チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「英語で読む啄木」 (前)

2016-03-14 10:19:09 | 独学

109. 英語で読む啄木 〔自己の幻想〕(前)   (ロジャー・パルバース著 2015年4月)

 著者のロジャー・パルバース(Roger Pulvers)は、1944年にニューヨークでユダヤ人の家庭に生まれる。UCLA、ハーバード大学院に学ぶ。ベトナム戦争への反発から、ワルシャワ大学、パリ大学へ留学後、1967年に初来日。京都産業大学、オーストラリア国立大学、東京工業大学で教鞭をとり、作家、劇作家、演出家。

 著書に「英語で読む銀河鉄道の夜」、「英語で読む桜の森の満開の下」、「英語で読み解く賢治の世界」、「旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン」など多数。2008年、宮沢賢治賞、2013年野間文藝翻訳賞を受賞。


 『 長い間、啄木の短歌を英訳することは気がすすみませんでした。うまくできそうになかったからです。翻訳は原文と同じような感動を与え、その感動の度合いが原文と同じくらい深い分だけ成功しているのです。

 啄木の短歌にとても具体的なメッセージがこめられていることに気づくようになったのは比較的最近のことでした。彼の短歌が名作と言われるのは、それが完璧に彫られたダイヤモンドのように澄み切っているからですが、魅力はそれだけではありません。

 多義的でいろんな意味がありますし、美しい暗示もあります。言外のニュアンスが豊かにこめられています。とらえがたい感情がただよっています。

 この矛盾しているかのような二つの特徴(具体的であることと暗示的であること)を同時に表現できなければ、翻訳は失敗に終わってしまいます。

 詩の翻訳の中でも、俳句と短歌を別の言語に訳すのは最大の困難をともないます。危険な割れ目、迷い道、恐ろしい絶壁におおわれた山に登るようなものです。

 宮沢賢治の詩を翻訳するのに費やした四十五年間をとおして、私はそういう割れ目や裂け目に何度も出会いました。しかし、啄木の場合は、割れ目はさらに深く、迷い道はさらに多く、その絶壁は見上げるだけでも首を捻挫するほど高い。

 微妙な意味にあふれたいろいろな意味が響き、あいまいで、はげしく抒情的、ありのままで切なく、簡潔……そうしたものすべてが具体的な詩のメッセージにつつまれています。

 この詩を英語にして、読者に強い印象を残すにはどうすればいいのかわかりませんでした。しかしある日、登り方が閃いたのです。私はすべての短歌を簡潔で明晰な文にして、それにタイトルをつけることに決めました。 

 日本のもっとも偉大な近代詩人の二人である石川啄木と宮沢賢治はおよそ五十キロしか離れていない場所で生まれました。その年齢差はわずか十歳で、同じ中学校に通いました。

 すべて偶然の一致かもしれません。二人とも若くして結核で死にました。啄木二十六歳、賢治三十七歳。 』 (まえがき(Perfce)より)


 石川啄木は、明治19年(1886)2月に盛岡市渋民で生まれる。明治31年(1898)に12歳で、盛岡中学(現盛岡一高)に学んだ。三年先輩に金田一京助、10年後に宮沢賢治が入学する。

 啄木の第一歌集は明治43年(1910)12月に「一握の砂」、第二歌集は明治45年(1912)6月に「悲しき玩具」を発行した。啄木は結核のため26歳の若さで、明治45年(1912)4月に亡くなっているため、啄木が「悲しき玩具」を見ることはありませんでした。


 『 ON  A  LARK

 I  lifed  my  moter  onto  my  back.           たわむれに母を背負いて

 She  was  so  light  I  wept            そのあまり軽さに泣きて

 Stopped  dead  after  three  steps.        三歩あゆまず


 題名の lark は、ヒバリと同じスペルですが、この場合は、”はしゃぐこと”の意味で、on a lark で「たわむれに」という意味です。 dead は、彼の母がこの世にあと長くいないことを示しているため、stop dead (急に止まる)を用いました。


  SURPRISE

 My daughter's  face  lit  up          猫の耳を引っぱりてみて

 When  I  yanked  the  cat's  ear         にゃと啼けば

 And  it  yelped  "Meow!"            びっくりして喜ぶ子供の顔かな

 

 「にゃと」、「びっくり」、meow、yank、yelp はすべて擬声語。題名は「びっくり」からとりました。


  IN  MY  DARKENED  ROOM

 I  turned  off  the  oil  lamp,  alone                   灯影なき室に我あり

 As  my  father  and  my  mother  walked  out  of  the  wall   父と母

 Each  holding  a  cane.                           壁のなかより杖つきて出ず


 たまたまある人が体験した現実が、読者にはシュール(超現実的)のようにとらええられるのです。 cane は ”トウ製のの杖” の意味。


  INTIMACY

 When  I  compare  myself  unfavorably  with  my  friends   友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

 I  buy  a  bouquet  for  my  wife                     花を買い来て

 To  cherish  her.                               妻としたしむ


 「したしむ」という言葉ひとつで、妻との間に何が起こるかを暗示しているからです。誰かを守りたいことから誰かを愛することに至るまで、いろんな意味あいを含む美しい英語の単語 cherish を選びました。啄木が家に戻った時、彼と節子が行うかもしれないことを、タイトルの Intimacy (深い関係、愛情行為)はさらに示唆しています。


  LOVE

 I  want  to  try  to  love  like  a  man       やわらかに積もれる雪に

 Burying  his  burning  cheek            熱てる頬を埋むるごとき

 In  soft  drifts  of  snow.               恋してみたし


 一行目の「やわらかに積もれる雪に」の抒情的な効果を soft drifts of snow であらわそうとしました。


  WEATHER

 The  rain   brings  out  the  worst            雨降れば

 In  every  single  member  of  my  family        わが家の人誰も誰も沈める顔す

 Oh  for  one  clear  day!                  雨晴れよかし


 私がイギリス人の家内にこの翻訳を見せたとき、彼女は笑いながら言いました。「まったくイギリス人の家族みたいだわ!」と。どうやら、日本とイギリスで共通なのはたくさん降る雨だけではなさそうですね。 』


 『 MEMORY

 Dozing  on  my  belly  on  a  sand  dune       砂山の砂に腹這い

 Brings  back  every  single  distant  pain       初恋の

 Of  first  love.                         いたみを遠くおもい出ずる日


 「遠く」という対象的な言葉がこの苦しい思い出を特徴ずけています。思い出の時間や場所は遠くにあるかもしれませんが、わたしたちの中では現実として生きているのです。この短歌には色気があります。彼は柔らかくてしなやかな砂の上にいます。この感覚は愛の思い出を呼び起こします。


  ONE  DAY

 I  waited  for  her  hour  upon  hour             待てど待てど

 Yer  she  never  showed  up.   So  I  carried        来る筈の人の来ぬ日なりき

 My  little  writing  table  to  where  it  is  now.      机の位置を此処に変えしは


 わたしは作家なのでこの短歌が大好きです。やはり、作品を書く机は大事です。彼は彼女のことをあきらめたでしょうか。それとも彼女への手紙を「変わった位置から」書くだけのために机を動かしたのでしょうか。


  A  FRIEND

 I  opened  myself  up  to  him          打明けて語りて  

 And  felt  I  had  lost  something       何か損をせしごとく思い

 Before  we  parted                友とわかれぬ


   BEFORE  WE  WERE  MARRIED

 My  wife  once   longed             わが妻のむかしの願い

 To  have  a  life  in  music.            音楽のことにかかりき 

 Now  she  sings  no  longer.          今はうたわず


 節子はもう幸せではないようです。とくに啄木の時代の結婚生活は、女性から自分の時間を奪い去りました。起きているすべての時間は、夫、子供、身内の世話をするのに費やされます。


  FOR  SOME  UNKNOWN  REASON

  All  I  did  was  wave  my  hat          高山のいただきに登り

 At  the  top  of  tall  mountain          なにがなしに帽子をふりて

 Before  setting  back  down  again.        下り来しかな


 「なにがなし」の英訳はいくつかあります。なぜ帽子をふるだけのために山を登り歩きしたのか、啄木本人にもわかっていなかたでしょうから、for some unknown reason を使いました。 


  AT  THE  STATION

 I  slip  into  crowd              ふるさとの訛なつかし

 Just  to   hear  the  accent         停車場の人ごみの中に

 Of  my  faraway  home  town.     そを聴きにゆく


 啄木のもっとも有名な短歌のひとつ。どれだけ故郷を恋しがっていたかわかります。擬声語の slip (そっと入る)は気づかれないように群集にとけこんだことを指しています。 』


 『 IN  THE  RUINS  OF  KOZUKATA  CASTLE

 I  dozed  off  in  the  weeds        不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて

 As  the  sky  seized              空に吸われし

 My  fifteen-year-old  heart.        十五の心


 grass は西洋の読者に芝生を連想させるので、草は grass ではなく weeds (草、雑草)を用いました。 sucked into the sky のほうが「空に吸われし」の直訳になりますが、sky (空)を能動態動詞の seize (ぐいとつかむ)の主語にしました。するとダイナミックな感じが詩にあらわれます。  ruin (荒廃)で、dozed off (まどろむ)です。


  AUTUMN  WIND

 The  millet  leaves flutter             はたはたと黍(きび)の葉鳴れる

 Rustling  along  the  eaves  of  home     ふるさとの軒端なつかし

 Taking  me  back.                  秋風吹けば 

 擬声語の「はたはた」を翻訳すると英語の二つの擬声語の flutter (はためく) と rusting (サラサラ音がする)になりなす。 leaves (葉っぱ) から l を取ると eaves (軒)になります。日本語の「懐かしさ」に一致する英語がないとよく言われます。もちろんそうではありません。これを英語にする幾つかの方法があります。ここでは taking me back というフレーズを選びました。過去の時間や場所にtakes you back、つまり運んでくれるものは、「懐かしさ」があるものです。


  ASAKUSA

 Nothing  isolates  me  more          浅草の夜のにぎわいに

 Then  slipping  in  and  out  of        まぎれ入り

 Merry  nighttime  crowds           まぎれ出で来しさびしき心


 浅草は啄木の時代、今よりはるかに娯楽の中心地でした。宮沢賢治でさえ、そこに行って劇や映画を見るのが大好きでして。群衆の中で啄木が感じる孤立感は明らかです。


  THE  TRAIN

 I  hear  a  distant  whistle.             遠くより

 It  lingers  in  the  air  before  vanishing    笛ながながとひびかせて

 Into  woods.                      汽車今とある森林に入る


 「ながなが」はここで lingers (いつまでも残る)として表現しています。 linger の語源は long (長い)や lengthen (長くする)と同じです。 vanish :見えなくなる


  SEEING  OFF  AT  THE  TRAIN  STATION

 My  wife  came  with  our  daughter  on  her  back.      子を負いて

 I  caught  sight  of  her  eyebrows                  雪の吹き入る停車場に

 Through  a  blanket  of  snow.                    われ見送りし妻の眉かな


 この短歌は大好きです。雪が激しく降っているのに、節子は娘をおんぶして駅まで啄木を見送ります。 blanker (毛布)は愛しあう人たちをかぶせるものなので、blanket of snow (雪一面)というたとえを選びました。(訳者は角巻で母と子が包まれている情景を想定してると思います)


  JAPANESE  ROSE

 Will  you  flower  again  this  year,  Japanese  rose     潮かおる北の浜辺の

 In  the  sand  dunes  of  the  northern  beach         砂山のかの浜薔薇よ

 Fragrant  with  the  tide?                      今年も咲けるや


 浜薔薇(はまなす)は英語で Japanese rose と呼ばれています。潮とバラの香りがこの短歌では美しく混ざっています。まるでその香りがするようです。frabrant : よい香りの、tide : 潮の干満 』


 ここで終る予定でしたが、紹介したい啄木の歌が、20首ほど残りましたので(後)とします。(第108回)