今日の観念だと、「けがれ」は「汚(よご)れ」と同様な意味に捉えられているようだ(「汚(よご)れ仕事」とは、非衛生的な仕事を指すわけではない)。
「死」の「けがれ」が、その代表的なもの。
「死」を「けがれ」(穢れ、汚(けが)れ=不浄)であるとする観念は、いまだに残っていて、葬儀から帰ってきた人へは、「清め」(=清浄化)の塩を振ったりする。
しかし、「けがれ」=「穢れ、汚れ」(=「不浄」)という観念、平安仏教が入ってきて以来のもののようだ。
民俗学の知見によれば、それ以前から、「死」に対する「けがれ」の観念はあったが、そこには「浄/不浄」観はなかったようなのだ。
「けがれ」とは、語源的には、「ケ(気)」が「枯れる」。
「ケ」とは「稲を成長させたり実らせたりする根源的な霊力」のこと、そのような霊力(エネルギー)が枯れ(衰え)た状態を、「けがれ」と呼んだ。その衰えたエネルギーを充填するのが、ハレの儀式(「ハレ行事」)なのである。
「死」が「けがれ」であるのは、日常生活を機能させる霊力が衰えたという意味なのである。
その霊力が衰えた状態は、個人に留まることなく、共同体へも波及する。
「ケガレが伝染すると考えられていた」(網野善彦『日本の歴史をよみなおす』)
からである。
基本的な「けがれ」には、死穢(しえ)のほかに、お産に伴う産穢(さんえ)があったようだが、これも、お産が、人間と自然との間にある、エネルギーのバランスが崩れた状態であると観念されていたから。
このような基底にある「けがれ」観に、「浄/不浄」という要素を持ち込んだのが、平安仏教(原型はヒンドゥー教の観念)である。
ヒンドゥー教の観念では、元々血液や屍体などは不浄なものとし、神々はそれを嫌うとした。
しかし、古事記・日本書紀には、そのような不浄観念は描かれてはいない(しいて「不浄」とされているものを挙げるなら、「糞」であろうか。しかし「糞」にも邪気をはらう力があるとも見ていたことは、「くしゃみ」の語源から分る。「糞喰(は)め」→「くさめ」→「くしゃみ」)。
「けがれ」=「汚れ」「穢れ」ではなく、民俗学の知見のように、「ケ(気)が枯れる」状態を「けがれ」と捉えるのが、この列島での古くからの観念のようである。
参考資料 桜井徳太郎「結衆の原点」(『思想の冒険―社会と変化の新しいパラダイム』所収)
鶴見和子・市井三郎編
『思想の冒険―社会と変化の新しいパラダイム』
筑摩書房
定価:1,900円)
1974年初版発行
「死」の「けがれ」が、その代表的なもの。
「死」を「けがれ」(穢れ、汚(けが)れ=不浄)であるとする観念は、いまだに残っていて、葬儀から帰ってきた人へは、「清め」(=清浄化)の塩を振ったりする。
しかし、「けがれ」=「穢れ、汚れ」(=「不浄」)という観念、平安仏教が入ってきて以来のもののようだ。
民俗学の知見によれば、それ以前から、「死」に対する「けがれ」の観念はあったが、そこには「浄/不浄」観はなかったようなのだ。
「けがれ」とは、語源的には、「ケ(気)」が「枯れる」。
「ケ」とは「稲を成長させたり実らせたりする根源的な霊力」のこと、そのような霊力(エネルギー)が枯れ(衰え)た状態を、「けがれ」と呼んだ。その衰えたエネルギーを充填するのが、ハレの儀式(「ハレ行事」)なのである。
「死」が「けがれ」であるのは、日常生活を機能させる霊力が衰えたという意味なのである。
その霊力が衰えた状態は、個人に留まることなく、共同体へも波及する。
「ケガレが伝染すると考えられていた」(網野善彦『日本の歴史をよみなおす』)
からである。
基本的な「けがれ」には、死穢(しえ)のほかに、お産に伴う産穢(さんえ)があったようだが、これも、お産が、人間と自然との間にある、エネルギーのバランスが崩れた状態であると観念されていたから。
このような基底にある「けがれ」観に、「浄/不浄」という要素を持ち込んだのが、平安仏教(原型はヒンドゥー教の観念)である。
ヒンドゥー教の観念では、元々血液や屍体などは不浄なものとし、神々はそれを嫌うとした。
しかし、古事記・日本書紀には、そのような不浄観念は描かれてはいない(しいて「不浄」とされているものを挙げるなら、「糞」であろうか。しかし「糞」にも邪気をはらう力があるとも見ていたことは、「くしゃみ」の語源から分る。「糞喰(は)め」→「くさめ」→「くしゃみ」)。
「けがれ」=「汚れ」「穢れ」ではなく、民俗学の知見のように、「ケ(気)が枯れる」状態を「けがれ」と捉えるのが、この列島での古くからの観念のようである。
参考資料 桜井徳太郎「結衆の原点」(『思想の冒険―社会と変化の新しいパラダイム』所収)
鶴見和子・市井三郎編
『思想の冒険―社会と変化の新しいパラダイム』
筑摩書房
定価:1,900円)
1974年初版発行
お名前は、以前から。
blogも何度か拝見させていただいております。
よろしくです。
意見の相違というか認識の相違点として
穢れが平安以前か以降か。
過去の私の記事をTBしましたので
宜しければご覧下さい。
平安時代を794-1185頃とすると
・日本で初めて火葬が行われたのが700年
・魏志倭人伝にある喪明け後の禊ぎ祓いの様子
ここからだけでも、穢れと言う概念が平安以前から
日本にあると私は考えています。
>しかし、「けがれ」=「穢れ、汚れ」(=「不浄」)という観念、平安仏教が入ってきて以来のもののようだ。
民俗学の知見によれば、それ以前から、「死」に対する「けがれ」の観念はあったが、そこには「浄/不浄」観はなかったようなのだ。<
ここには二つの視点がいりまじっており
>「けがれ」=「穢れ、汚れ」(=「不浄」)<
この概念が定着していったのはあるいは
平安時代ともいえるかもしれませんが、
私のTB内の持統天皇は697年に
天皇として初めて火葬されています。
この火葬は当然ゾロアスターの影響を受けた仏教の
影響であり
火葬を後押しした仏法僧が『「浄/不浄」観』を
持っていなかったとする
合理的な論拠を私は持っていません。
こんな感じでどうでしょうか?
初めまして。よろしくお願いします。
たった今、ブログ拝見しましたが、別に「認識の相違」があるとは思いませんでした。
小生が問題にしているのは、「けがれ=不浄」ということで、平安時代以前から、この列島に「けがれ」観/感がなかったとは思ってはいません。
ですから、貴ブログにある葬儀も、死によって、
>エネルギーのバランスが崩れた状態
を元に戻す、
>ハレの儀式
と捉えます。
さて、これでご納得いただけましたでしょうか。
では、また。
>「けがれ」=「穢れ、汚れ」(=「不浄」)<
天皇として初めて703年に火葬を行った持統以降
皇族の火葬は増えていきます。
火葬はゾロアスターの影響を受けた仏教の
僧侶たちの後押しで行われたのはほぼ疑いはないでしょう。
私のTB記事より
>殯宮に参集した僧たちは、穢れを火葬によって速やかに浄化することを勧めただろう。<
平安以前に行われた火葬と穢れ・不浄の関係が“ない”とする
論拠はなんでしょうか?
あとでgegeさんとこにコメント上げておきますね。
自分のところのコメント欄にも書きましたが、日本において「穢れ=不浄」となったのはいつの時代か。
現状の私の知識では、まったくわかりません。
現状ではなんとなく、権力争いの中で概念の変化が起こった、というか、権力闘争が概念の変化を加速させ、かつ、ゆがませたのかな、と漠然と思う程度です。
勉強して、出直してきます・・・。