前回(5月8日)の文章は、実は「くに」=「郷土」と考えているものが、どのような地理的範囲に及んでいるかを考えてみるためでした。
ここで「郷土」とは、取りあえず、ごく一般的に「先祖から住んでいる一定の土地」といった程度に理解しておいてください。
そう考えると、どうやら「郷土」=「藩」との意識が、まだ残っているらしいことが朧げながらに見えてくる。
一番鮮明に出てくる例としては、ちょっと古い話になりますが、1986年に会津若松市(福島県)が萩市(山口県)との友好都市提携申し入れを拒否したということがあります。
これは奥州戊辰戦争で、会津藩が長州藩と敵味方に分かれて戦ったからで、市民の間からは「未だ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」との声があったとか(現在は、どうなんでしょう)。
一方で、先祖代々の江戸っ子ならともかく、首都圏に住んでいる人たちに、このような「郷土」意識というのは、ごく希薄なんじゃないかしら。
せいぜい、冗談半分で「ダサイタマ」「バカナガワ」と呼んだりする程度で、これは「郷土」意識に基づくものじゃないような気がする(何しろ「埼玉都民」や「神奈川都民」「千葉都民」が多いんだから、「郷土」意識の持ちようもないでしょう)。
これも「藩」意識に関連づけようとすれば、できないことはない(同様に「人口移動」に関連づけることもできるけれども、ここでは歴史的なアプローチで)。
首都圏のほとんどの地域が、「天領」(幕府直轄領)や「旗本領」あるいはどこかの藩の「飛地」だったから、統合の中心となる強力な「藩」というものがありませんでした。
ですから、現在の都道府県の区分というのも、実に人工的/便宜的なもの。
一番いい例が、旧三多摩地域です。
ここは、当初神奈川県だったけれども、首都東京の水源地確保という目的から東京府に所属換えになった。1893(明治26)年4月1日に施行されたのですから、百数十年前の出来事ということになります。
ちなみに、今でも東京都町田市にあるマクドナルドでは、東京都の他地域で発行されたクーポン券が使えないそうです(「町田市を除く東京都内のマクドナルドで有効」と書いてあるとのことですから、ご確認ください)。
まあ、ことほどさように、個々様々な事情を抱えている「郷土」を愛する心を養え、というのも、なかなか難しかろう、とのお話でした。
ここで「郷土」とは、取りあえず、ごく一般的に「先祖から住んでいる一定の土地」といった程度に理解しておいてください。
そう考えると、どうやら「郷土」=「藩」との意識が、まだ残っているらしいことが朧げながらに見えてくる。
一番鮮明に出てくる例としては、ちょっと古い話になりますが、1986年に会津若松市(福島県)が萩市(山口県)との友好都市提携申し入れを拒否したということがあります。
これは奥州戊辰戦争で、会津藩が長州藩と敵味方に分かれて戦ったからで、市民の間からは「未だ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」との声があったとか(現在は、どうなんでしょう)。
一方で、先祖代々の江戸っ子ならともかく、首都圏に住んでいる人たちに、このような「郷土」意識というのは、ごく希薄なんじゃないかしら。
せいぜい、冗談半分で「ダサイタマ」「バカナガワ」と呼んだりする程度で、これは「郷土」意識に基づくものじゃないような気がする(何しろ「埼玉都民」や「神奈川都民」「千葉都民」が多いんだから、「郷土」意識の持ちようもないでしょう)。
これも「藩」意識に関連づけようとすれば、できないことはない(同様に「人口移動」に関連づけることもできるけれども、ここでは歴史的なアプローチで)。
首都圏のほとんどの地域が、「天領」(幕府直轄領)や「旗本領」あるいはどこかの藩の「飛地」だったから、統合の中心となる強力な「藩」というものがありませんでした。
ですから、現在の都道府県の区分というのも、実に人工的/便宜的なもの。
一番いい例が、旧三多摩地域です。
ここは、当初神奈川県だったけれども、首都東京の水源地確保という目的から東京府に所属換えになった。1893(明治26)年4月1日に施行されたのですから、百数十年前の出来事ということになります。
ちなみに、今でも東京都町田市にあるマクドナルドでは、東京都の他地域で発行されたクーポン券が使えないそうです(「町田市を除く東京都内のマクドナルドで有効」と書いてあるとのことですから、ご確認ください)。
まあ、ことほどさように、個々様々な事情を抱えている「郷土」を愛する心を養え、というのも、なかなか難しかろう、とのお話でした。
テレビや新聞などマスコミのサービスエリアによって、郷土の範囲が決まってくるようにも思います。
例えば東北6県の場合、テレビ放送は県単位に違います。
それと、県内をエリアとする地方紙も、各県毎に存在します。
総じて東北の場合、県を越えるような日常的な流動は少ないので、大体は「県=郷土」という感じでしょうか。
コメントありがとうございました。
「おそがけ新聞」を拝見していると、
秋田県の北部と南部とでは
若干風土色が異なる気がしていたのですが、
なるほど、TVや新聞などが作る一体感というものも
あるのですね。
戦前ですと、
「郷土連隊」と中等学校野球大会(現在の高校野球)も
その一翼を担っていたように思いますが、
秋田ですといかがでしょうか。
確か、秋田は「歩兵第17連隊」が
「郷土連隊」だったと記憶しています。
小生の父親が、満州で秋田の部隊と
一緒になった、と言っていたものですから
おそらく第17連隊のことだと思われます。
ちなみに、父親は歩兵第57連隊でした。
では、また。
首都圏でも、神奈川県民にはわりと郷土意識が強い人が多い気がします。
横浜在住とか、湘南出身とか、力強く語ってくれます。
埼玉や千葉との違いは、どこらへんから来るんでしょうね。
コメントありがとうございました。
1997年6月22日に、
「会津若松市長が現職市長として初めて山口県萩市を訪れ」
ていますね。
しかし、報道によると、
会津若松市長は「一気に関係回復に向かうかどうかについては懐疑的。儀礼的な握手は交したものの、記者団から改めて野村萩市市長との握手を要請され、「公の場ではできない」と拒む場面もあった。」
のだそうですな。
>埼玉や千葉との違いは、どこらへんから来るんでしょうね。
理由はよく分りませんが、
「分らない」というのは悔しいので、
無理に理由をでっち上げると……、
「湘南の開発は、薩長新政府の役人たちが、
別荘を建てることから始まったから」。
とでもなりましょうか。
結局、神奈川の人びとは新政府の権力になびいた
というと、怒られそう。
でも、「新橋」vs「柳橋」(=「新政府」vs「旧幕府」)
という花柳界の対立を考えると、
根も葉もない話ではないような……。
ちなみに、少なくとも関東大震災までは、
下町の大店の人たちは、
房総半島方面が
避暑地だったようですが。
gegengaさんも、
千葉方面に潮干狩りに
行きませんでしたか?
では、また。
「郷土」ということばが指し示す範囲は、
世代によって違うようですね。
結局は、「郷土」(「ふるさと」)の内実も、
かなり人工的/恣意的な地域区分だ
ということではないでしょうか。
ちなみに、
小生は「実家」ということばは
「郷土」や「ふるさと」「出身地」
といった意味では使いません。
かなり新しい用法なんじゃないでしょうか?
では、また。