日曜日のお昼から、一度訪れてみたいと思っていたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公である
黒田官兵衛のゆかりのお寺という妙興寺へ行って来ました。
黒田官兵衛ののぼりがあちこちに見られました。
この地の国主であった赤松則興の息子、権大僧都日伝上人によって、応永10年に則興の追善供養
のために開かれたのが、日蓮宗のお寺、妙興寺です。
妙興寺は宇喜多直家の父である興家や、黒田官兵衛の曽祖父高政や祖父の重隆の墓があることで
知られています。
黒田家は近江の国で、戦国時代の.鎌倉.室町と、六代に渡り勢力を張り続けていたが、
六代のときに軍令違反で厳しく批判され、現在の滋賀県長浜市におられなくなり、官兵衛の
曽祖父.祖父.は一族を引き連れて、備前福岡に移住したとのことです。
大河ドラマでは、黒田重隆を演じるのは竜雷太、職隆は柴田恭兵、孝高は岡田准一ですよね。
慶長5年に官兵衛の子長政が筑前に任じられ、その居城を博多の西に築いたとき、備前福岡を偲び
福岡城を名づけたそうです。
筑前の新たな城地に「福岡」と名付けるほど大切なところだったのですね。
興家は、中国地方を代表する謀将と言われた宇喜多直家の父、豊臣政権下における五大老の
一人であった秀家の祖父です。
砥石城主であった父・能家が、同僚であった島村盛実によって攻め殺された後は、子の直家と
共に流浪の生活を送りました。
やがて福岡の豪商の庇護を受け、故郷に戻れましたが、興家自身は不遇のうちに病死してしまいます。
法名は露月光珍だそうです。
備前福岡は、中世に備前随一として栄えた町だそうですが、当時の福岡の繁栄を今の時代に想像
することはできませんが、わずかに「七小路」「七井戸」と語り伝えられたものに、その昔整然
と区割された町であったことをしのばせるものがあります。
仲崎邸住宅
駐車場横の仲崎邸は明治時代末期から大正時代に10年余りの歳月をかけて建てられた大地主の邸宅で
当時の最高級の材木を用いて造られた格調の高い県内屈指の建造物です。
近年空き家になっていたのを地域住民が中心となって地域活性化の拠点として再生し、公開、活用
しています。
七つ井戸
村人にとっては、情報交換、社交の場として楽しいところでしたが、打ち抜き井戸や水道の普及
などで次第に使われなくなり、現在、七つ井戸のうち四つの井戸が昔の姿のまま残っています。
備前福岡の市
山陽道と吉井川が交わる福岡の町は、物資の集散地として大変賑わっていたそうです。
鎌倉時代の一遍上人も、この辺りにやってきたようです。
当時は月に3日だけ市が立ち、その間は賑やかでも、市がないときは普通の農村のようでした。
一文字造剣之地碑
福岡一文字派は鎌倉時代初期から中期にかけて一時代を築いた備前刀の一派で、多くの国宝級の刀を世に
送り出しました。そして、福岡一文字派の作風は、のちの日本刀の原型となったようです。
現在の福岡は田園に囲まれた小さな集落ですが、南北に二本、東西に四本、その間を結ぶ狭い道路も
碁盤の目のように整備されています。
農村にしてはあまりにも趣のある白壁や格子窓が残る家並みの町作りです。
ここに訪れて耳を澄ましてみると、あたかも往時の賑わいが聞こえてくるような、そんな気がする町でした。
黒田官兵衛のゆかりのお寺という妙興寺へ行って来ました。
黒田官兵衛ののぼりがあちこちに見られました。
この地の国主であった赤松則興の息子、権大僧都日伝上人によって、応永10年に則興の追善供養
のために開かれたのが、日蓮宗のお寺、妙興寺です。
妙興寺は宇喜多直家の父である興家や、黒田官兵衛の曽祖父高政や祖父の重隆の墓があることで
知られています。
黒田家は近江の国で、戦国時代の.鎌倉.室町と、六代に渡り勢力を張り続けていたが、
六代のときに軍令違反で厳しく批判され、現在の滋賀県長浜市におられなくなり、官兵衛の
曽祖父.祖父.は一族を引き連れて、備前福岡に移住したとのことです。
大河ドラマでは、黒田重隆を演じるのは竜雷太、職隆は柴田恭兵、孝高は岡田准一ですよね。
慶長5年に官兵衛の子長政が筑前に任じられ、その居城を博多の西に築いたとき、備前福岡を偲び
福岡城を名づけたそうです。
筑前の新たな城地に「福岡」と名付けるほど大切なところだったのですね。
興家は、中国地方を代表する謀将と言われた宇喜多直家の父、豊臣政権下における五大老の
一人であった秀家の祖父です。
砥石城主であった父・能家が、同僚であった島村盛実によって攻め殺された後は、子の直家と
共に流浪の生活を送りました。
やがて福岡の豪商の庇護を受け、故郷に戻れましたが、興家自身は不遇のうちに病死してしまいます。
法名は露月光珍だそうです。
備前福岡は、中世に備前随一として栄えた町だそうですが、当時の福岡の繁栄を今の時代に想像
することはできませんが、わずかに「七小路」「七井戸」と語り伝えられたものに、その昔整然
と区割された町であったことをしのばせるものがあります。
仲崎邸住宅
駐車場横の仲崎邸は明治時代末期から大正時代に10年余りの歳月をかけて建てられた大地主の邸宅で
当時の最高級の材木を用いて造られた格調の高い県内屈指の建造物です。
近年空き家になっていたのを地域住民が中心となって地域活性化の拠点として再生し、公開、活用
しています。
七つ井戸
村人にとっては、情報交換、社交の場として楽しいところでしたが、打ち抜き井戸や水道の普及
などで次第に使われなくなり、現在、七つ井戸のうち四つの井戸が昔の姿のまま残っています。
備前福岡の市
山陽道と吉井川が交わる福岡の町は、物資の集散地として大変賑わっていたそうです。
鎌倉時代の一遍上人も、この辺りにやってきたようです。
当時は月に3日だけ市が立ち、その間は賑やかでも、市がないときは普通の農村のようでした。
一文字造剣之地碑
福岡一文字派は鎌倉時代初期から中期にかけて一時代を築いた備前刀の一派で、多くの国宝級の刀を世に
送り出しました。そして、福岡一文字派の作風は、のちの日本刀の原型となったようです。
現在の福岡は田園に囲まれた小さな集落ですが、南北に二本、東西に四本、その間を結ぶ狭い道路も
碁盤の目のように整備されています。
農村にしてはあまりにも趣のある白壁や格子窓が残る家並みの町作りです。
ここに訪れて耳を澄ましてみると、あたかも往時の賑わいが聞こえてくるような、そんな気がする町でした。
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