五百部徳雄の監督日誌

NSR250の歴史


以前にも話しをしましたが、84年俺はHRCが開発したRS250のプロト車に乗ることができまた。        

また、レースに参加しながら開発の仕事をしてきました。        

それが後に市販バイクのNSR250となり、販売されました。        

開発の年。1年間で何回も転倒し怪我もしました。        

転倒の原因はフロントに16インチタイヤ、リヤ側に18インチタイヤの組み合わせがもつ、バランスだったと思う。        

それまで125㏄を気合いで乗っていた俺は、マシンのセッティングなど得意では無かったし、エンジンも壊してた。        

その時にメーカーのエンジニアから教えて頂いた、エンジンのメンテナンスの事やマシンセッティングが役に立ち、プライベートで500㏄を走らせる事も出来たと思う。(感謝)        


現役を引退しショップを持ったのが89年の6月。        

当時はSP250クラスがまだ盛んで、ガンマ TZR NSRがサーキットで戦っていました。        

当然、i-FACTORYもレースに参戦しました。        

当時はメーカーが力を入れ、有力チームをバックアップしていた。        

i-FACは後発のためにメーカーのサポート無しでレースをしていた。        

その時、RS250の開発で覚えた事を武器に、独自の理論で結果を出してきました。        

東日本のサーキットをメインに、地方戦での優勝や鈴鹿4h耐久の2位、そして1000㏄を相手に6位になった第1回「もて耐」        

NSRショップとして、評価されてきたi-FACTORYの歴史です。       

今日も工場には、NSR250の修理車が並んでいました。        

ギヤ抜け対策品や芯だし強化クランク。 サスペンションOHなど…        

俺の育てた可愛いパーツたちです。v(^-^)v        


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