いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

ありがたいネットのご縁。静ちゃんへの手紙

2013-04-22 | Weblog
 インタ-ネットの世界は、不思議なご縁と作り出してくれる。いまお付き合いしている多くの友人も、ネットがなければ知りあわなかったであろう方々だ。

 そして、今日は、Facebookで見つけた陸上自衛官の書き込みに感動してしまった。まったく見知らぬ方である。公開されている写真から見る限り、若い2等陸曹だろうか。

 毎日「今日の一言」という書き込みをされている。この一言一言がなかなか内容の濃いもので、失礼ながら防衛大学校出身の幹部でも書けないだろうと思う。流石である。いささか長いが、4月20日の「今日の一言」を転載する。(以下引用)

【今日の一言】

“静ちゃんへの手紙”

 
 『静ちゃんお便りありがとう。何べんも何べんも読みました。

 お送りしたお金、こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。

 神棚などに供えなくてもよいから、必要なものは何でも買って、つかって下さい。

 お兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これからも静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。

 ではお元気で、おじさん、おばさんによろしく。』

神風特別攻撃隊、大石清伍長

 
 昭和20年3月の大阪大空襲で父を失い、その後重病だった母も亡くなった。たった1人の肉親は妹の静恵さん(当時小学生)は、大石伍長が特攻隊員として戦場に赴いたためおじさんに引き取られた。
 昭和20年5月、大石伍長は、最後の手紙を整備担当だった大野沢威徳氏に預けて出撃。

 『なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。

 兄ちゃんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころには、沖なわの海に散っています。

 思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、
ゆるして下さい。

 兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であずけていたゆうびん通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるときにつかって下さい。

 時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。

 兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大じなのです。

 もうプロペラがまわっています。さぁ、出げきです。

 では兄ちゃんはいきます。

 泣くなよ静ちゃん。がんばれ!』

 預かった大野沢氏は、遺書とは別に自分の手紙を添えている。

 『大石静恵ちゃん、突然、見知らぬものからの手紙でおどろかれたこととおもいます。

 わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、見事に出げきされました。そのとき、このお手紙を私にあづけて行かれました。おとどけいたします。

 伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられてました。

 他の飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうだと言っておんぶするように背中に吊っておられました。

 飛行機にのるため走って行かれるときなど、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、
うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。

 伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょに居るつもりだったのでしょう。同行二人。仏さまのことばで、そう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぼっちではない。いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。

 伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの仏さまになって、いつも見ていてくださることと信じます。

 伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。

 静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強してください。さようなら』

 大石伍長、大野沢氏の置かれた状況や静ちゃんを思いやる気持ちのためだけではなく、小学生の静ちゃんが読みやすいように使われた平仮名とわかりやすい言葉。

 「沖なわの海」「出げき」「大じ」

 そして「わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です」という一行のなんという胸が詰まる優しさ。

今日われ生きてあり

いつもありがとう

今日も1日しっかりやっていきましょうね(^_^)b

感謝

(以上引用)

 こんな素敵な感性を持った方が、陸曹(下士官)として我が国の平和と独立を護ってくれているのだ。ありがたい。そして、大石伍長のような純粋に国を想った若人が祀られている靖国神社に詣でることに何の遠慮がいるものか!