いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

いわき市の自治会長さんより礼状来る

2011-04-30 | Weblog
 3月18日に「頑張ろう日本全国行動委員会(会長:田母神俊雄元航空幕僚長)」の一員として福島県いわき市に支援物資を届けた事は日記に書いた。私の地元の町会の皆さんが短時間で、車一杯の物資を集めてくれた。

 当日いわき市に搬入した物資は、町会のものとあわせて4トントラック2台、2トントラック1台合計10トンにものぼる。予定していた高齢者施設に荷卸しをしていると初老の老人が声をかけてきた。地域の自治会長さんだった。「余ったら私たちにも物資を頂けないか」との申し出だった。

 結局、義援金で購入した水130ケース(24本入り)をはじめ多くの物資を自治会館に降ろした。その自治会長さんから、ご丁寧な礼状が先日区役所の控え室宛てに届いた。


このたびの東日本大震災に際し、皆様方が当自治会に来て下さいまして、思いがけないこころ温まる多くの救援物資を提供して下さいまして、誠にありがとうございました。

当自治会住民の約35%が65歳以上の高齢者で、地震よりも福島第一原発の水素爆発による、放射能被爆の風評で若者が中心に住民の70%を超す人が県外に避難してしまい避難出来ない高齢者が残されていた状態でした。その様な状況の時の援助物資でしたので、正に”地獄に仏に会う”の心境でした。

この援助物資をきっかけに、当自治会集会所を避難所として災害対策本部に認定してもらい、翌20日から援助物資の配布と高齢者を対象とした昼と夕食の支給を開始することが出来ました。

それは、3月11日から断水、そして商店も開いていなく、ガソリンも底をつき身動きの出来ない8日後の援助物資でした。

自治会役員も4名しか残って無く、班長の7割も避難してしまい、連絡も出来ない様な有様でしたが、役員でもない5~6名の若い人達が自主的に協力してくれて、水道の水が出るまで頑張ろうと31日まで食事の支給をすることができました。

お蔭様で、70歳80歳代の高齢者から、自治会に命を助けられたとの声に疲れも癒されました。

しかし、戻りつつあった生活も4月11・12日のいわき市南部を震源とした震度6弱の直下型余震で、停電、断水となり、家屋の被害も本震よりも余震の方が甚大になった所もありましたが、生活は正常に戻りつつあります。早くお礼をと思っておりましたが、この様な状態が続き遅くなって申し訳ありません。しかし、今でも震度3~4クラスの下から突き上げる余震が頻繁にあり、原発の放射能に不安な日々を過ごしています。

私どもの生活が落ち着きましたら、上京して直接お礼にお伺いしたいと思っております。まずは略儀ながら心よりお礼申し上げます。

平成23年4月25日
                      福島県いわき市
                      ○○自治会
                      会長 ○○ ○○

追伸
大田区東六郷の援助物資を集めてくれました、子供達に宜しくお伝えくdさい。是非、お会いしてお礼の挨拶をしたいと思っております。



↑自治会館の黒板に貼られた、大田区の子供達のメッセージ

 嬉しくて、役所の控え室で泣いてしまった。頑張って!!会長さん 


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