無題

特になし

平成最後の熾浦和高砂歌会と沖先生や仲間よりの歌直しの事例

2019-04-21 11:08:46 | Weblog

短歌結社?熾の浦和高砂歌会に参加して10年以上になる。

新:
https://okihome.web.fc2.com/

旧:
http://www.o-k-i.org/

2019年4月20日、平成最後の歌会であった。

この中で、一番歌の上手な某氏の歌が、”人生の真ん中に位置した平成は空白だった”ような主旨で衝撃だった。

実は、自分も同年代で、平成は、人生のど真ん中にあったのだが、氏とは違った意味合いで、空白だ。

オウム事件、911同時多発テロ、311震災、社会的な事件はいろいろあった。
個人的にも結婚、子育て、引越し、マンションの売却損と住宅ローン返済、妻の病気、いろいろあった。

然るに、仕事人生が失敗、遅すぎた反省の日々で、あまりにもぱっとしない為か、我が平成は、やはり、空白だ。

某氏は、やるべき道が定まってきたから、令和にかけて、歌に結実できたのかも。
自分は、恥ずかし、当面、日々の生活を、ただ続けるので手一杯。



ところで、熾浦和高砂歌会で、沖ななも先生 や 仲間から、拙作、最近、直された事例をあげてみたい。この我が趣味も、平成は停滞。そんなものか。

 

液晶に「余命半年」文字浮かび垂乳根の母は死にたまうのか

メールには母の余命は半年と!我がフリーズしデバック見切る


注)沖先生、仲間が言うには、斎藤茂吉の露骨な真似はいけない。
  気取らず、自分の言葉で、統一しろとのことで、書き直してみた。

 

オリオンは終電乗るため駆けていた若き日同様南天にあれど

終電に乗るため駆けた若き日と同様オリオン南天にあり


注)順を変えたほうがいいとのこと。平成の前半は、ブラック労働?だったが、
  充実感があった。今、思うと、何にもならなかった、実らなかったのかな。

 

駅毎にかつて待ち合わせし場所を過ぎるに切なし彼女等何処《いずこ》へ

駅毎にかつて待ち合わせせし場所を過ぎるに切なし彼女等何処《いずこ》へ


注)「待ち合わせし」を「待ち合わせせし」に、せ、一字を入れると
   リズムが整うのだそうです。

 

山笑うようにパルコも笑い出し井沼の桜を迎えんとす

山笑うように公園も笑いだし井沼は桜を迎えんとす


注)字余りでも、普通に公園でいいとのこと。意味が伝わらないと駄目。

 

花桃と八重桜落つ花道を行けば実家に南部富士載る

花桃と八重桜落つ道ゆかば実家の屋根に南部富士載る


注)花がだぶるのが駄目。屋根がないと説明不足なそうです。

 

風光る明治通りの鈴掛の若葉ともども新人来たり

当年も明治通りの鈴掛の若葉ともども新人来たり


注)あまり、盛るな、飾るな、とのこと。笑。

 



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