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中原の国と彼称蛮夷の国二千年

2010-10-01 08:50:32 | 父の懐
私達が知っている中原の歴史の始まりは、夏・殷・周・秦・漢・・・・・。夏について私は殆んど知りません、西夏という国が後代出てきますけれど、その西夏は古代の夏と関係あるのかなあ・・・?と思うくらいです。殷になれば滅亡時のお話、教室でも陰陽の話に時々出てくる伯夷叔斉の故事くらいしか知りません。湯王と紂王二人の王様くらいですかね。そうそう甲骨文字も殷の時代でした。

周ともなれば孔子様があこがれた国、ぐんと身近になってきます。東洋の芸術とも言うべき、周礼や周楽はみなこの時代に始まります。そしてそして、それよりも私の母校、平戸の猶興館高校の出身者にとっては、『文王無しと雖も猶興る』との孟子の一節によりうんと懐かしさを覚える国になってきます。そしてマクロビオティックを人生の梯子とする者にとっては、桜澤先生により解説された易の思想があります。易は周に始まるのです。

そんな周でさえも秦によって滅ぼされます。始皇帝の万里の長城は誰一人知らぬものはないと言っていいくらい、世界一の規模を誇る国境の砦です。ローマが築いた防塁と鎌倉幕府の水城を思い浮かべても、その格段のスケールの差をひしひしと感じます。夏・殷と周が最初どこに起こった国かわかりませんが、秦はその名から推測するに中東近くに起こった国かもしれません。そして歴史上初めて北方の蛮夷の脅威を後世に形として遺しました。秦は万里の長城を築くのに国力を使い果たしたのか、長くは続かず漢によって滅ぼされます。

漢と言う国号の音を考えれば、『カ』『カン』『ハン』という彼らの言う蛮夷の王号との関係を思わずにはいられません。それなのに『漢』はそれ以来中原の正統性を表すと考えられてきました。要するに『中原を制したもの』と、『中原の辺境に存立する蛮夷』という構図なのでしょうね。つまり中原は入れ替わりの構図になりました。その漢は初めて我が日本の近くに現れた国です。子供の頃『漢倭奴国王』という金印のことを習いました。つまり我が日本の先祖は漢に冊封される必要性を感じたということです。漢は朝鮮半島まで直轄支配したのです。これまた中学校で『漢の四郡』を習いました。

その四郡の間に存在した中原の言う蛮夷である民族国家は敵対するか冊封されるかのどちらかを選んで存立を図りました。敵対した第一の雄は『高句麗』です。一貫して独立を守り漢を滅亡させ、隋を滅亡させました。この中原と北東の満州から朝鮮半島にかかる地域の歴史を私達日本人はもっともっと我が身と感じ研究しなければならないと思います。何時かブログでもご紹介した韓国の映画《チュモン》は改めて事の重大性と普遍性を考えさせてくれました。漢、あるいはそれ以後に興る隋、唐という中原国家と朝鮮半島諸国家の関係は、歴史のお手本です。漢に直接接する国の外交方針は、隷属か対立かしかありません。自国がどれくらい強大であるかにかかっているのです。高句麗は中原の北東域で自国の強大化に成功した唯一の国です。貢物を献上して国力を低下させる必要のなかった唯一の国です。

その時代朝鮮半島には新羅と百済がありました。新羅と百済のように高句麗という中間国を挟んで漢(隋・唐)という強大な国と対峙した国家の選択はこれもまた二つです。漢を頼って高句麗と敵対するか、高句麗と結んで漢と敵対するか・・・・・。人間は悲しいものです。今日の苦難をしのんで明日の大敵に備えることはなかなか難しいのですね。お隣と結ぶのは、あまりにも利害関係が近いのでしょうか。またそういうときは高句麗と対決している漢も決して腹の内を見せません。それどころか敵対している国がある時は、その向こう側の国に近寄るものなのです。つまり前門の虎、後門の狼と挟み撃ちをするものなのです。そしてその次は前説を翻すというのが、こういう力による国家関係では当然のことです。海という天然の要害に守られていた日本でさへ、何らかの必要性を感じ使者を送ったのです。近代ではロシヤ南下の危険性に西郷隆盛が征韓論を唱えたのも、李氏朝鮮がロシヤの庇護国になるか日本と協力してロシヤの危険に備えるかの選択がつかなかったからです。

大国はなぜ膨張して辺境と対立するのでしょうか。その理由は色々とあるでしょうが、一つには一定領域内での富の増大には限度があり、国民を満足させるためには新しい富の供給を求めなければならなくなるからだろうと思います。つまり人間は『足るを知らない』動物になってしまったのです。既得権益を失うことはあり得なかったのです。国内の満足を満たすことが皇帝の仕事、つまり国家を存続させることです。そういう欲求が辺境に朝貢を求め隷属を求めることに大義を見つけてしまうのです。属国化した国に対し富の貢納と労働力にその国民を奴隷に要求してしまうのです。そうやって国家は精神的に堕落し始め、ついには内部に対立構造を生みだします。辺境へ辺境へと拡大すると同時に、内部は制度的に精神的に崩壊し始めてしまいます。自己矛盾の打開を外に求めれば求めるほど、内部は解決能力を失っていきます。高句麗のように漢(中原国家)との対立を国是とした国でさえ、最後は内部崩壊によって国力を低下させ滅びてしまいます。必ず最後は無力な王と堕落した官僚によって滅亡への道をたどるのです。

それで我等が聖徳太子は『十七条の憲法』をお定めになりました。これは行政組織に対する戒めです。深く国家の興亡をお考えになったのだと思います。それから幸いにも海を超えて浸透しなかった制度は『奴隷制』だと思います。『魏志』には奴隷を卑弥呼が魏の皇帝に献上したとの記事があるそうですが、日本には定着しなかった制度なのだと思います。実態は同じだとの意見もあるかもしれませんが、奴隷という観念が定着しなかったのは『公地公民』が制定された日本人の神話以来の精神的背景によるのではと思います。中原や朝鮮半島の歴史は、奴隷制度を抜きには考えられません。戦争の歴史は奴隷確保の歴史でもあるのです。漢には漢の正義があり、高句麗には高句麗の正義がある・・・・・しかし《チュモン》に肩入れしてしまったのは、同族が奴隷という悲惨な身分にあり、その苦しみの解放と言う当然の願いの自然さです。親が子を思い子が親を思う、家族を思い国を思うというその身近さです。韓国の時代劇を通して実感したのは奴隷の悲惨さであり、奴隷によって成り立っている富の構造です。

現代の中華人民共和国も多分同じ中原国家としての性質を持たざるを得ないのだと思います。私達はもっと歴史に学ぶべきだと思います。それでなければ現代もなお力を基盤として国際政治が行われている現実に目をつぶって自分だけの理想に安住していては、愛する家族や同胞を隷属化させてはならないという責任を果たせないだろうと思います。



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