頭、体、心の健康がすべて整っていると
生活の質は高い。
体の健康は比較的わかりやすい。
いたいところがなければOK。
頭の健康??
心と頭は切り離せないが、それをいうと
体もまた切り離せない。
また、社会とのつながりも人間の一部だから
社会的健康というのもありうる。
すべては「恋愛」と子孫を繁栄させる遺伝子の
しくみから始まっている。
ここで今、議論したいのは恋愛と子孫繁栄が結ぶついていないのではないか?
というの例が目も前にあることだ。
第一次ベビーブーマーだ。
彼らは戦争がおわり、戦場から開放された男性が
母国の女性との間にブーム的につくられた世代だ。
彼らが第二次ベビーブーマー(団塊ジュニア)を産んだときには、
一部は恋愛で結ばれて、
一部は社会の仕組み「お見合い」で結ばれて子供を
産んでいる。
恋愛組は一度は「生存競争」に勝った遺伝子だから
別の言い方でいうと愛の結晶だからその子供、つまり
団塊ジュニアの中でも優秀な恋愛遺伝子を持っている可能性が高い。
一方、ブームで生まれ、ブームで結婚した団塊世代は
一度も「生存競争」に勝っていないのに
子供を作った第二世代であり、
非常に恋愛遺伝子的に弱いと思われる。
ここで団塊世代の両親の教育が子供の恋愛力を左右しているというのが
今回の仮説だ。
遺伝子でも教育力でも結果的な意味は同じだ。
「かわいい女の子をみつけてうまくアプローチして
デートして・・・」
って言葉では教えなくても
両親の仲睦まじい様子を見ていたら
自然に結婚や恋愛に対してプラスの印象をもつだろう。
その子供には遺伝的にも容姿や魅力に秀でたものがあるはず。
一方、冷め切った両親の様子を見て
恋愛や結婚にマイナスな印象を持っている子供は
今後の恋愛においても不利だ。
童貞のまま一生を終えるべき男性を父親にもっていると
感じる子供は
自分の恋愛にも当然、消極的になるだろう。
恋愛に限らず、「生存競争」としての就職活動すらしていない
両親の子供は、就職活動について不利である。
頼りになる大人の助けがなくては
大人になれないのが人間の特徴でもあるからだ。
父親が恋愛や就職活動にたいして成功体験がないのは
子供にとって致命的なハンディキャップとなる。
これは、社会の流れであるが、
アメリカ流の競争主義ではなくて
人類に共通の遺伝子競争のひとつであり、
第一次ベビーブームという異常事態が引き起こした
副産物であると私には思える。
過剰な遺伝子を淘汰して強い遺伝子を後世に残すのは
遺伝子の基本ルールだからだ。
婚活する世代にとって、とるべき方法は
まず、自分は求められる魅力がどの程度あるか、知ることだ。
たいてい婚活しなくてはならない集団は
魅力が少ない。
女性なら「若さ」が武器になるので
決断は早い方がいい。
女性の生き方は
1、サービス、接客、福祉
2、知的、事務処理
3、生産、作業
4、専業主婦
などがある。
1にはキャバクラや性風俗やタレントも含まれる。
2にはパンツスーツを着て男性と同等に渡り合うイメージがある。
3も、作業服をきて男性と同じ作業をこなさなくていけない。
一方、1には女性らしさを強調して
エロさ、かわいさをセールスする印象がある。
主に女性としての生き方の成功例はひとそれぞれだと思うが、
どれも自分の遺伝子を効率よく残す戦略のひとつだ。
男性には1のタイプの仕事は少ないし、4は皆無だろう。
ここで、肝心なのは
自分がどのタイプに当てはまるか、
どのライフスタイルを選ぶと一番成功するか、
を見極める力である。
体力があり、ケンカが強い男性が自衛隊や警察に入るか
ヤクザになるかでは社会的な成功の可能性はまったく違う。
★考え方が多様化してようには生き方は多様化していない。
いろんな考え方の人がいるが、
それぞれ社会にある役割に自分を当てはめて適応させていくなければ
生きられない。
自分に合わせてくれる社会など存在しない。
フリーターという生き方が
自由を好む考え方に社会があわせてくれると考えるひとは
いまどきいないだろう。
フリーターは会社が発展するために使い捨てられる人員のことを
さしている言葉だとみんなが理解しているからだ。
が、フリーターに陥ってしまった我々は
どうすべきか。
正社員になる。
または
正社員の配偶者をみつけること。
これはどちらが困難か??
結論は流動的だ。
派遣は政治の力で変えられる可能があるし、
30歳代後半からアラフォーは
子供を産むという肉体的限界を目の前にして
フリーターでもいいから結婚するという
選択もありうる。
あるいは、
もっと若い世代の女性が
35歳前後のフリーターでも結婚相手に考えるか??
今後のフリーターや派遣の男性の割合が多ければ、
若いフリーターより経験のあるフリーターの方が
有利という考えもあるからだ。
動くべきは、今だが、
リスクを取るか現状維持を取るかは
結局、自己責任なのだ。