『贅沢は素敵だ』
第二次大戦時の標語のパロディー
本当に「日めくり」に近づいてきたようです。
それとも若い人はもうご存じない世界だということか。
それならば「標語」の存在の説明から必要では?
我々の常識では、標語で『贅沢は敵だ』とされた時に
揶揄をして『素敵だ』と切り返したって話は有名です。
「戦時中に贅沢は敵って言われたのを
贅沢は素敵、と言い変えたセンス、良いですよね」
という共通感覚が存在していると思います。
「たまには目刺も戴きたいですね、贅沢ですか?」
「いや素敵な話です」
当時糾弾された(贅沢)は勿体ないとは違う実態で
肯定的にも使われていた内容です。
○
本当の贅沢は物質的なことにはなくて、精神的なことに
あると鷲田先生は説かれます。
そうなのでしょう、異論はありません。
でも話が違う方向になってやしないか
少なくとも戦中のこととは違いますね。
○
反骨精神の面白さを味わうべきで
貧乏の側を持ち上げる話ではないと思うのです。
それとも「いたわり」や「ねぎらい」は贅沢なことに
なっちゃってるのかしらん、今や。
それとも戦前の「徳育」が再燃しているのかしらん。
却って危ない精神論かもしれません。
第二次大戦時の標語のパロディー
本当に「日めくり」に近づいてきたようです。
それとも若い人はもうご存じない世界だということか。
それならば「標語」の存在の説明から必要では?
我々の常識では、標語で『贅沢は敵だ』とされた時に
揶揄をして『素敵だ』と切り返したって話は有名です。
「戦時中に贅沢は敵って言われたのを
贅沢は素敵、と言い変えたセンス、良いですよね」
という共通感覚が存在していると思います。
「たまには目刺も戴きたいですね、贅沢ですか?」
「いや素敵な話です」
当時糾弾された(贅沢)は勿体ないとは違う実態で
肯定的にも使われていた内容です。
○
本当の贅沢は物質的なことにはなくて、精神的なことに
あると鷲田先生は説かれます。
そうなのでしょう、異論はありません。
でも話が違う方向になってやしないか
少なくとも戦中のこととは違いますね。
○
反骨精神の面白さを味わうべきで
貧乏の側を持ち上げる話ではないと思うのです。
それとも「いたわり」や「ねぎらい」は贅沢なことに
なっちゃってるのかしらん、今や。
それとも戦前の「徳育」が再燃しているのかしらん。
却って危ない精神論かもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます