書写は有効か

2012-06-15 10:31:05 | 塾あれこれ
文章を作る力の向上に書写が役立つか?

私の結論は、まずダメだろう、です。
役立つとしてもごく初歩的な勉強程度ですね。

昔からある方法ですし、信じて書写をされることは
ご自由です。
けれども自分の塾の生徒に勧めようとは思いません。
(例外はおきるかもしれませんが)

まず自分自身に成功体験がありません。

私も若いころ、筆力を磨きたいと有名作家の名文を
写しました。
三島由紀夫はそれで力を磨いたとも聞きます。
三島さんは成功されたようですが私はサッパリ。

もちろんそのことだけで方法論を否定してはいけません。

ただエネルギーが湧かない理由のひとつではあります。

文章についての本を読む方がまだ役立つかもしれませんね。

「文章読本」とか「名文について」「悪文について」などなど。


私が書写をうまくできないのは姿勢が悪いからでしょう。

自分の文章ではないから、気が入らないことがあります。
分析をせず器械的な作業になりがちです。
頭がついてゆかないこともあります。

内田百の文章を写して(塾業界に入っての修行)
あまりの名文ゆえに自分の居場所が分からなくなりました。

当たり前の事を淡々と書いておられる・・風に思えるのです。
一見すごく楽に書いてある様ですが実は大変な努力で
遅筆であったことはつとに知られています。

出来上がったものからは苦労が分かりませんね。

読めば、むふーとなる名文を、写したらスカ。
これは、写す側に問題あり、です。

書く側のマジックもよほど高等なのでしょう。

したがって私にはどうすればよいのか、ちっとも見えないのです。
書写は役立ちませんでした。


名文を写すということですから、何が自分にとって名文かの
判断も難しいですね。

高校生なら「天声人語」でも名文かもしれません。
でも私にはほぼ悪文としか思えないこともしばしばあります。

現在、天声人語の書写が流行っているようですが
「悪文」を写してどうするんでしょう。

好き嫌いもあります。
考え方が違うと勉強になりにくいでしょう。

立派な文であるからと言って名文であるかどうかは疑問
ということもあります。

逆に、名文だが内容はそれほどでもない場合もあります。
泉鏡花がそう。
好きな作家では久保田万太郎の文がそうではないか

もちろん悪文を写すのは最悪。
天声人語だけでなくS新聞などひどい日本語が多いと
思いますねえ。

難しい言葉、著名人引用、形容過多、反復の多さ、論理下手
過度な丁寧さ、等など、いずれも悪文ですが、世の中には
そういうものに感心なさる人もおられますので要注意。

たとえば「○○という言葉をご存じ?」などと始まる文に
ロクなものはありません。
難しい言葉の知識をひけらかすことが目的なのですから。

「誰それは~と言ったが・・」なども同様。


私が何事かホエても真偽のほどは怪しいですね。
「なので」書写も役立つかもしれません。

ドリルで金儲けをした脳科学者のk先生は書写の仕方を
説いておられるようです。それも天声人語を。
(そう、全国の年寄りを騙して有名になったkセンセイ・・)

全国の塾の先生も天声人語かその類を写して文章力を磨き
実際にモノを書いたり生徒に指導したりされればよいのかも
しれません。日本のためにもなります。

残念ながら身近ではあまり聞きませんけれども。
塾講師はナマケモノなのか、書写の力を信じないのか。

ともかく発信が少ないですね。
生徒にむけては作文だの小論だのという癖にね。

発信が上手な塾を探すとなると、更に少なくなります。

或は私のように下手糞でも恥をかき続ける、これも必要ですが
そんな人間も業界では少数派のようです。

ときおり塾のブログというモノを覗くのですが
これもまた日本語がお上手ではない方が多いようです。

私と同じで肝心の足元がふらついているのでしょう。
あれで「良い文」「見本になる文」のおつもりかなあ。
まず、自分は下手だと十分認識しなくちゃ。

・・・暫くして自分のものを読み返せばよいのですよね。
絶望的になるけれど。

ただ、絶望しない人は、よほどのナルシストで、かつ
自分が見えていない恐れが強いでしょう。
それもまた、つける薬がありません。


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