文章を作る力の向上に書写が役立つか?
私の結論は、まずダメだろう、です。
役立つとしてもごく初歩的な勉強程度ですね。
昔からある方法ですし、信じて書写をされることは
ご自由です。
けれども自分の塾の生徒に勧めようとは思いません。
(例外はおきるかもしれませんが)
まず自分自身に成功体験がありません。
私も若いころ、筆力を磨きたいと有名作家の名文を
写しました。
三島由紀夫はそれで力を磨いたとも聞きます。
三島さんは成功されたようですが私はサッパリ。
もちろんそのことだけで方法論を否定してはいけません。
ただエネルギーが湧かない理由のひとつではあります。
文章についての本を読む方がまだ役立つかもしれませんね。
「文章読本」とか「名文について」「悪文について」などなど。
○
私が書写をうまくできないのは姿勢が悪いからでしょう。
自分の文章ではないから、気が入らないことがあります。
分析をせず器械的な作業になりがちです。
頭がついてゆかないこともあります。
内田百の文章を写して(塾業界に入っての修行)
あまりの名文ゆえに自分の居場所が分からなくなりました。
当たり前の事を淡々と書いておられる・・風に思えるのです。
一見すごく楽に書いてある様ですが実は大変な努力で
遅筆であったことはつとに知られています。
出来上がったものからは苦労が分かりませんね。
読めば、むふーとなる名文を、写したらスカ。
これは、写す側に問題あり、です。
書く側のマジックもよほど高等なのでしょう。
したがって私にはどうすればよいのか、ちっとも見えないのです。
書写は役立ちませんでした。
○
名文を写すということですから、何が自分にとって名文かの
判断も難しいですね。
高校生なら「天声人語」でも名文かもしれません。
でも私にはほぼ悪文としか思えないこともしばしばあります。
現在、天声人語の書写が流行っているようですが
「悪文」を写してどうするんでしょう。
好き嫌いもあります。
考え方が違うと勉強になりにくいでしょう。
立派な文であるからと言って名文であるかどうかは疑問
ということもあります。
逆に、名文だが内容はそれほどでもない場合もあります。
泉鏡花がそう。
好きな作家では久保田万太郎の文がそうではないか
もちろん悪文を写すのは最悪。
天声人語だけでなくS新聞などひどい日本語が多いと
思いますねえ。
難しい言葉、著名人引用、形容過多、反復の多さ、論理下手
過度な丁寧さ、等など、いずれも悪文ですが、世の中には
そういうものに感心なさる人もおられますので要注意。
たとえば「○○という言葉をご存じ?」などと始まる文に
ロクなものはありません。
難しい言葉の知識をひけらかすことが目的なのですから。
「誰それは~と言ったが・・」なども同様。
○
私が何事かホエても真偽のほどは怪しいですね。
「なので」書写も役立つかもしれません。
ドリルで金儲けをした脳科学者のk先生は書写の仕方を
説いておられるようです。それも天声人語を。
(そう、全国の年寄りを騙して有名になったkセンセイ・・)
全国の塾の先生も天声人語かその類を写して文章力を磨き
実際にモノを書いたり生徒に指導したりされればよいのかも
しれません。日本のためにもなります。
残念ながら身近ではあまり聞きませんけれども。
塾講師はナマケモノなのか、書写の力を信じないのか。
ともかく発信が少ないですね。
生徒にむけては作文だの小論だのという癖にね。
発信が上手な塾を探すとなると、更に少なくなります。
或は私のように下手糞でも恥をかき続ける、これも必要ですが
そんな人間も業界では少数派のようです。
ときおり塾のブログというモノを覗くのですが
これもまた日本語がお上手ではない方が多いようです。
私と同じで肝心の足元がふらついているのでしょう。
あれで「良い文」「見本になる文」のおつもりかなあ。
まず、自分は下手だと十分認識しなくちゃ。
・・・暫くして自分のものを読み返せばよいのですよね。
絶望的になるけれど。
ただ、絶望しない人は、よほどのナルシストで、かつ
自分が見えていない恐れが強いでしょう。
それもまた、つける薬がありません。
私の結論は、まずダメだろう、です。
役立つとしてもごく初歩的な勉強程度ですね。
昔からある方法ですし、信じて書写をされることは
ご自由です。
けれども自分の塾の生徒に勧めようとは思いません。
(例外はおきるかもしれませんが)
まず自分自身に成功体験がありません。
私も若いころ、筆力を磨きたいと有名作家の名文を
写しました。
三島由紀夫はそれで力を磨いたとも聞きます。
三島さんは成功されたようですが私はサッパリ。
もちろんそのことだけで方法論を否定してはいけません。
ただエネルギーが湧かない理由のひとつではあります。
文章についての本を読む方がまだ役立つかもしれませんね。
「文章読本」とか「名文について」「悪文について」などなど。
○
私が書写をうまくできないのは姿勢が悪いからでしょう。
自分の文章ではないから、気が入らないことがあります。
分析をせず器械的な作業になりがちです。
頭がついてゆかないこともあります。
内田百の文章を写して(塾業界に入っての修行)
あまりの名文ゆえに自分の居場所が分からなくなりました。
当たり前の事を淡々と書いておられる・・風に思えるのです。
一見すごく楽に書いてある様ですが実は大変な努力で
遅筆であったことはつとに知られています。
出来上がったものからは苦労が分かりませんね。
読めば、むふーとなる名文を、写したらスカ。
これは、写す側に問題あり、です。
書く側のマジックもよほど高等なのでしょう。
したがって私にはどうすればよいのか、ちっとも見えないのです。
書写は役立ちませんでした。
○
名文を写すということですから、何が自分にとって名文かの
判断も難しいですね。
高校生なら「天声人語」でも名文かもしれません。
でも私にはほぼ悪文としか思えないこともしばしばあります。
現在、天声人語の書写が流行っているようですが
「悪文」を写してどうするんでしょう。
好き嫌いもあります。
考え方が違うと勉強になりにくいでしょう。
立派な文であるからと言って名文であるかどうかは疑問
ということもあります。
逆に、名文だが内容はそれほどでもない場合もあります。
泉鏡花がそう。
好きな作家では久保田万太郎の文がそうではないか
もちろん悪文を写すのは最悪。
天声人語だけでなくS新聞などひどい日本語が多いと
思いますねえ。
難しい言葉、著名人引用、形容過多、反復の多さ、論理下手
過度な丁寧さ、等など、いずれも悪文ですが、世の中には
そういうものに感心なさる人もおられますので要注意。
たとえば「○○という言葉をご存じ?」などと始まる文に
ロクなものはありません。
難しい言葉の知識をひけらかすことが目的なのですから。
「誰それは~と言ったが・・」なども同様。
○
私が何事かホエても真偽のほどは怪しいですね。
「なので」書写も役立つかもしれません。
ドリルで金儲けをした脳科学者のk先生は書写の仕方を
説いておられるようです。それも天声人語を。
(そう、全国の年寄りを騙して有名になったkセンセイ・・)
全国の塾の先生も天声人語かその類を写して文章力を磨き
実際にモノを書いたり生徒に指導したりされればよいのかも
しれません。日本のためにもなります。
残念ながら身近ではあまり聞きませんけれども。
塾講師はナマケモノなのか、書写の力を信じないのか。
ともかく発信が少ないですね。
生徒にむけては作文だの小論だのという癖にね。
発信が上手な塾を探すとなると、更に少なくなります。
或は私のように下手糞でも恥をかき続ける、これも必要ですが
そんな人間も業界では少数派のようです。
ときおり塾のブログというモノを覗くのですが
これもまた日本語がお上手ではない方が多いようです。
私と同じで肝心の足元がふらついているのでしょう。
あれで「良い文」「見本になる文」のおつもりかなあ。
まず、自分は下手だと十分認識しなくちゃ。
・・・暫くして自分のものを読み返せばよいのですよね。
絶望的になるけれど。
ただ、絶望しない人は、よほどのナルシストで、かつ
自分が見えていない恐れが強いでしょう。
それもまた、つける薬がありません。
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