教育とは人を悪くすること。。

2007-10-05 09:27:11 | 塾あれこれ
最近、幼児にモテル。

目を合せ蕩ける様な笑顔してやっと立ちをる神の御使

・・即席ですがこんな腰折れ歌はいかがでしょう。


じーっと見つめて、にこっとされると堪りません。
つくづくトシになったと思います。
若い頃は、泣かれることはあっても笑顔をもらうなど
縁がありませんでした。

彼らにとって私の年恰好はむやみに優しい人間ばかり
なのでしょう。
それでこちらにまで愛想をふりまいてくれます。

自分に孫がいたら、さぞ可愛いだろうと思います。


人間は生まれたときは善人なのです。

それが小学生くらいになると
見知らぬ人には要注意となります。

『吾と目を合はせて過ぎる幼な子よ
       さう怪しげに見なし給ふな』

人間を信じるなと教育しなければならないとは寂しい
ものがあります。
やむをえないのですが。

あのやっと立てるくらいの子供たちの無垢な笑顔を
考えると小学生にしてつまらない生き物であります。


ただ、その反対よりはマシかもしれません。
小さい頃から人を信じられないような世界で生き
「人を信じよ」とは教えづらいでしょう。

動物としては弱い人間が他の生き物の上に立って
エバっているのはひとえに脳のおかげです。

悪賢いヤツが遺伝子を残して現代の人間が出来ている
のですから、教育も考えねばならない
・・・は多少ホンネまじりの冗談です。

子供が成長するにつれ人を悪くするがごとき
教育が必要となります。

例えばメディアリテラシー。
書いてあることを信じるな、という面がありますね。


『寂しさは落ち目になりて周りみな離れ去りゆくわが身の非力』

こういうカミングアウトは寂しいですね。

自分の持つ情けない性格を祖先からの悪い遺伝子の
所為にして正当化しようとしても上記の歌のような
現実が遮ります。

あんたがわるい。


ほわっとした話にするつもりが正反対になりました。
明日は続きの話ですが、サービスとは、にする予定。