石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 京都市東山区円山町 安養寺宝塔

2008-03-25 00:06:49 | 京都府

京都府 京都市東山区円山町 安養寺宝塔

桜の名所円山公園は今からの季節大勢の花見客で賑わいを見せる。13_2円山公園でも最も奥まったところ、安養寺の境外堂である吉水の弁天堂がある。さすがにここまで足を伸ばす人は少ない。ましてこの弁天堂の裏、崖下の狭い場所に京都でも有数の石造宝塔が隠れるように立っていることを知る人はけっこうな石造マニアといって過言ではない。花崗岩製。基礎は失われ、代わりに平らな自然石になっている。自然石をあわせた現高約3m、塔だけの残存高2.44mに及ぶ巨塔。塔身は首部と軸部よりなり円盤状の框座や匂欄部は見られない。軸部は最大径を高めにとった壺形で、短い首部の直線、肩から裾にかけての曲線は08_2スムーズで美しい。正面に扉型を薄肉彫し、扉は左右に開き、縦長の長方形の龕部を彫りくぼめ内に並座する如来坐像を半肉彫りしている。印相は風化により明らかでないが、頭頂の肉髻がはっきり見える。扉の召し合わせ部分と上下の長押には一段を設けて、手の込んだ表現である。法華経見宝塔品に説かれる多宝、釈迦の二仏を表す天台系の教義に忠実な意匠である。笠は大きく平らで、軒は厚く全体に緩やかな反りを見せ、若干内斜ぎみに切っている。笠裏には垂木型は見られない。四注はむくりを見せ低い隅降棟を削りだしているのが見られる。笠頂には低い露盤が表現されている。相輪は九輪の3輪目と4輪目の間で折れ、6輪目以上の先端部を欠く。低い伏鉢と彫りの深い単弁下請花の間に頸部を設けている。九輪は凹凸を非常に明確に刻みだし14_2ている。銘は見られず、造立年代は推定の域を出ないが、相輪や笠の形状は一般的な鎌倉後期の石造宝塔と15は一線を画する古調を示し、鎌倉中期、場合によっては前期末くらいまで遡る可能性がある。基礎が失われている点は実に惜しまれるが、低いどっしりとしたものであったことは想像に難くない。五輪塔や宝篋印塔とは一味違う宝塔の美しさをよく示す優品。なお、この石塔は天台の高僧、慈鎮和尚(歌人として有名、百人一首にも登場する前大僧正慈円)の塔との伝承がある。元より実証困難な伝承に過ぎないが、慈鎮は吉水と呼ばれたこの地に住んだとされ、法然上人は慈鎮和尚から吉水の一画を得て、それが今日の浄土宗総本山知恩院につながっていく。この地に天台系の教義に基づく古い石造宝塔が残っているということは、とりもなおさず、かつてこの付近が天台系の影響下にあったことを示しているといえる。石造美術に興味のある諸兄、円山公園に遊ぶ場合は八坂神社の石灯篭、それから少し離れるが知恩院の五輪塔とあわせてぜひ立ち寄って欲しい。

参考:川勝政太郎 『京都の石造美術』 89~90ページ

   川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 12ページ

   竹村俊則・加登藤信 『京の石造美術めぐり』 46~47ページ

写真右上:笠と相輪下部の意匠・造形、写真右下:扉型内の二仏並座

塔身の肩のあたりの曲線、すぼまりぎみの裾、伸びやかな笠、悠々とした軒反、小生が宝塔に惹かれるのはこのあたりにあります。実に素晴らしい宝塔です。うーんわかってもらえましょうか・・・。


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