石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 八幡市八幡 石清水八幡宮五輪塔

2008-02-21 00:24:51 | 五輪塔

京都府 八幡市八幡 石清水八幡宮五輪塔(航海記念塔)

石清水八幡宮の参詣者用駐車場に接する御旅所の左手奥、神応寺という寺に向かう参道と水路に囲まれた細長い三角形の一画に巨大な五輪塔がある。12想像していたほど大きくないというのが第一印象だったが、石段を上ってさらに近づき、間近で観察するとやはり大きい。台座の蓮弁は大きすぎて何枚あるのか一見しただけではわからない。自分の身長が地輪の上端高より低い。台座に登らないと地輪の上面が見えない。普通ならしゃがまないと見えない火輪の下面を見上げるとたくさんの鑿跡がはっきり残っている。正面から見上げる写真しか見ていなかったので、茫洋として間の抜けた印象を持っていたが、斜めの角度で少し離れてみると、この五輪塔の印象が変わる。空輪だけは全体に比較して少し小さい感じだが、これほどの大きさにもかかわらず、19全体の均衡がきちんととれている。ここは石清水八幡宮のある男山丘陵の東麓、神仏混合時代に存在した極楽寺という神宮寺の跡だという。五輪塔はその極楽寺の一角に建っていたとされる。このように巨大な五輪塔を移設することは考えにくいことから、元位置を保っていると思ってよいのではないだろうか。五輪塔は石垣と石柵で囲まれ、御旅所側からは一段高い場所にある。傍らに説明板があり、航海記念塔とある。平安末期に摂津尼崎の日宋貿易の商人が航海の無事を感謝して建立したものだという。あるいは、九州宇佐八幡を石清水に勧請した大安寺の僧行教の墓塔であるとか、西大寺の叡尊が蒙古襲来時に敵調伏の祈祷を行い、命を落とした元軍将兵の供養のために建立したものともいわれる。石を運ぶ時に火花で綱が焼き切れたので竹を利用して綱を作って引いたとか、八幡の忌明塔であったとか、伝承は多い。鎌倉中期終わり~後期初め頃とされた川勝博士の説に時期的にいちばん近いのは、叡尊による元寇供養説である。川勝博士が指摘されるように石清水八幡宮と関係の深かった西大寺を通じて大和系の石工の関与も十分に考えられる。五輪塔は花崗岩製で、高さ6.08m、地輪の幅2.44mとされるが、高さは総高なのか塔高なのかは不明。切石の基壇と反花06座の高さだけで50cmはありそうなので、6mを総高とするならば、塔高は約5.5mとなる。火輪の隅棟の曲線は伸びやかで、ぶ厚い軒先の反りは力強く、水輪はあまり下すぼまりとならない安定感のある球形で、どっしりとした低めの地輪とそれを受ける台座は傾斜が緩く曲線の伸びやかな単弁反花で荘厳され、隅弁は間弁(小花)にならないタイプ。その下の切石の基壇も含め、塔全体のバランスは見事に整っている。風輪はやや深めの鉢形で、空輪の宝珠形も申し分ない。地輪は一石ではなく、下部に数個の石材を組み合わせ、その上に巨大な一石の石材を据えて地輪を構成している。13この大きさに見合う石材が見つからなかったからと言われている。しかし、元の石材の大きさは、地輪と火輪にさほど大差はないように見える。どこから石材を調達したのかということもあるだろうが、宇治川と木津川、桂川が合流するこの場所を考慮すると、水運を前提に考えるのが合理的ではないだろうか。少し離れるが、山城町の泉橋寺では、同じ頃である鎌倉時代後半に5mを超える巨大な地蔵の石材を運搬していることを考慮すると、大きい石材をまったく入手できなかった可能性は高くないように思える。むしろ運搬上の都合と考える方が、より合理的ではないだろうか。五輪塔の製作工程、つまり、大まかな石材を切り出してからこの場所に搬入し整形したのか、別の場所で整形された各輪をここに運んで組み立てたのかということも考えておかなければいけないが、最も質量(or重量)が大きい地輪を物理的に運搬できなかったため石材を分割せざるをえなかったという可能性は高いと思う。さらに、なぜ地輪が一石でないのかについて、もうひとつの可能性として、構造上の意図からあえて地輪を一石にしていないのではないのかと推定してみたい。つまり地輪下に何らかの埋納施設を設け、そこに追納する場合を想定した構造であったのではないかということである。台座は明らかに組み合せ式であり、地輪下の台座中央にスペースを作り得る構造である。切石基壇も同様に、井桁に組んだとすれば、中央にスペースを作り得る。地盤を固め、あるいは繰込石などで補強し地面に埋納坑を掘ってあるかもしれない。いずれにせよ、このスペースを反復継続して利用するために地輪の下部にあえて可動式の小さい石材をはめ込んだ可能性は考えられないだろうか。この小さい石材を外しても五輪塔全体の重心は崩れない。これを脱着して埋納スペースの利用を可能にしたと考えることも可能ではないだろうか。もっとも、誰もが簡単に脱着できては管理上望ましくない。しかし、これだけの大きさの五輪塔である。小さい石材といっても少人数ではそうそう動かせないサイズである。したがってそうした管理面からの心配は少ないだろう。とにかく、近世の大名墓などを除けば、日本最大の五輪塔で、保存状態もよく、力強さと優美さを兼ね備えた、鎌倉時代に遡る優品で、まさに重要文化財にふさわしい。

 

写真:上左、上右…全景、中右:切石基壇と反花座、下左:地輪上中央に小さく見えるのはタバコの箱です。巨大さが伝わりますか?ウーンちょっと分かりにくいですね…。とにかくでかいです。ハイ。

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 21ページ

   川勝政太郎 『京都の石造美術』 140ページ

   竹村俊則・加登藤信 『京の石造美術めぐり』 207~209ページ

  (財)元興寺文化財研究所 『五輪塔の研究』 平成4年度調査概要報告


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