石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 綴喜郡井手町井手 駒岩(左馬)

2009-05-06 01:20:40 | その他の石造美術

京都府 綴喜郡井手町井出 駒岩(左馬)

井手町をほぼ東西に流れる玉川沿いに上流に向かって進む国道321号線を行くと、山道にさしかかって間もなく道沿いに左馬ふれあい公園なる小公園がある。公園の奥、川沿いの谷間に高さ5mはあろうかという巨岩が現れる。もともとはもっと上にあったものが昭和28年の大雨と土砂による災害で流出転落したものという。02すぐ南の国道に上に岩が見えるが、そのあたりにあったものだろうか。この巨岩の南隅の一角のくぼみに小祠が見える。一見したところ本尊らしいものは見あたらないが、岩のくぼみの天井にあたる部分にある馬のレリーフを祭っているのである。01_2もともとこのような天地を逆にしていたわけではなく、垂直に近い壁面に彫られていたはずで、岩ごと転落して現在のような状態になったものを災害後、地元の努力により掘り出されたとのこと。これを左馬(ひだりうま)と称し、女性の芸事・習事の上達に利益があるとされ、江戸時代には既に信仰を集めていたという。後脚の脇に、平安時代後期、保延3年(1137年)の銘があったとの記録があるらしいが、風化摩滅したものか見あたらない。花崗岩の壁面を平らに整形した中に、頭を右に向けた馬の姿を半肉彫りにしたもので、前脚を蹴り上げ後脚を折りたたんだ一瞬を捉えており、躍動感のある逞しい駿馬が描写されている。首の付け根から胸の辺りにかけて斜めに何か彫ってあるように見えるが鞍などの馬具には見えない。頭の先から尾の先までの長さ約135cm、前脚から肩までの高さ約65cm。頭頂部から鼻先まで約32cmで、浮彫りの厚みは約2~4cm程度である。類例のないもので、保延3年銘というのも肯けなくはないが、花崗岩にこれだけ手の込んだレリーフを鮮やかに彫り込むには、かなりの技術の蓄積、手馴れた職人技がなければなしえないと考えるのが自然で、やはり石彫技術が飛躍的に向上したとされる鎌倉時代以降のものと考える説に説得力があると思うがいかがであろうか。何のために作られたのかについても正確なところはわかっていないようだが、神社などに神馬として馬を奉納したり、もしくは絵馬を奉納する風習の中に位置づけられるものではないだろうか。あるいは水を祭ることとの関わりも考えられる。

参考:清水俊明「関西石仏めぐり」

今回は紹介しませんでしたが、駒岩のすぐ下流には磨崖地蔵石仏が、西方すぐ近くの玉津岡神社と近接する地蔵禅院にはみごとな石造層塔の残欠があります。あわせてご覧になられることをお薦めします。さかさまになっているので観察はもとより写真を撮るにもままならないですが、災害で転落してよくぞ残ったものと感心するとともに、このような位置から掘り出された地元の方々の尽力に頭が下がる思いです、ハイ。例によって法量値はコンベクスによる実地略側値ですので多少の誤差はお許しください。


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