石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 御所市冨田 天満宮前五輪塔

2008-10-05 11:40:37 | 五輪塔

奈良県 御所市冨田 天満宮前五輪塔

室大墓と呼ばれる著名な巨大前方後円墳、宮山古墳の北側を通り東西に走る国道309号線が冨田集落の南西で大きく南に折れ、大口峠に向かう曲がり角の南東、直線距離にして約200mのところに天満宮社がある。北東約300mには三白鳥陵のひとつ日本武尊陵がある。現在の国道の東側に平行する旧道を少し南に進むと三叉路になったところ、道と倉庫に挟まれた狭い一画に立派な五輪塔が立っている。東面する天満宮の参道南側にあたる。元は南の大口峠にあり、峠道開鑿の際にこの地に移建されたという。01 そうだとすれば、こうした石塔が交通の要衝などに建てられた一種のモニュメントという側面を持つという説を補完する事例になるのかもしれない。

五輪塔は直接地面に置かれているように見えるが、板石を敷いた基壇が地輪下に埋まっているらしい。12基壇と地輪の間に反花座は見られない。元々なかったのか移建時など後に失われたのか今となっては確かめようがない。塔高約251cmと大きい。緻密で良質の花崗岩製。表面の風化摩滅も少なく火輪の軒の一部を少し欠損するだけで概ね遺存状態は良好。梵字は見られず、地輪北側に大きめの文字で「大念仏衆/奉造立之/正和四年(1315年)乙卯/十一月日敬白」の4行の刻銘がある。光線の加減もあり肉眼では判読しづらいが、刻銘があるのはハッキリ確認できる。念仏を起縁とする結衆による造立であることが知られる。清水俊明氏によると、南の山向う、高野山口の紀ノ川沿いに「大念仏」の刻銘を有する五輪塔や板碑が分布してるとされ、非常に興味深い。地輪は幅80.5cm、高さ約58cmと高すぎず低すぎず、水輪は径84cmと比較的大きく、重心つまり最大径をやや上に置くが曲線が割合ふくよかなので裾がすぼまっていく感じは強くない。08火輪は軒幅76.5cm、軒口がぶ厚く、軒反も力強く整っている。四注の屋だるみはどちらかというと、まっすぐで軒反に13あわせて隅近くで少し外反する。空風輪はやや大きめで、風輪の側線はやや直線的で上端面は少し外側に傾斜している。空輪は特に大きく、先端には突起が見られる。側線にやや直線的な硬さが出ているが重心が低いため、くびれ部に脆弱な感じは受けない。火輪や空風輪に硬い感じが出ているが、全体として鎌倉時代後期の石造五輪塔の典型的な特長を備えている。反花座を持たないことや、地輪と火輪に比べ水輪と空輪が相対的に大きいせいか規模の割に大きさを感じさせないフォルムであることによるものか、律宗系の五輪塔の厳しさすら感じる趣きとは少し違った印象を受ける。周囲ののどかな環境や倉庫の脇というシチュエーションも加わってか逆に親しみやすさを感じる。全体の風化が少なく彫成のシャープさと苔や地衣類のほとんどない石材の白さが特に印象深い。

参考:清水俊明 『奈良県史』第7巻石造美術 468ページ

   (財)元興寺文化財研究所 『五輪塔の研究』平成四年度調査概要報告

   (文中法量は同報告による。)

   平凡社 『奈良県の地名』日本歴史地名体系30 211~212ページ

移建されたとの話ですが遺存状態良好で各部揃い、鎌倉在銘の奈良県内でも指折りの巨塔、マニアの間で知られる存在を越えて、もっともっとその価値を世に喧伝されて然るべき優品です。写真でもわかると思いますが、ちょっとどうなのというロケーションにあって冷や飯を食っている観のある気の毒な五輪塔ですが香華が手向けられ地元では大切にされているようです。


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