石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 京都市左京区大原来迎院町 大原阿弥陀石仏

2009-06-02 00:05:23 | 京都府

京都府 京都市左京区大原来迎院町 大原阿弥陀石仏

大原三千院境内の東側の奥まった場所にある金色不動堂と観音堂の間を北に抜け、律川の渓流にかかる橋を渡るとすぐ正面の吹き放した覆屋の中に、見上げるばかりの大きい石仏がある。01緻密な花崗岩製で総高225cm、像高は約170cmとされる。川勝政太郎博士は、大きさと美しさの点で京都で一番の石仏とされている。別名、売炭翁の石仏とも称されている。02下端に半円形の大きい素弁の蓮弁を一列に並べた蓮華座を刻みだし、平らに整形した二重円光面に結跏趺坐する定印の阿弥陀如来を厚肉彫りする。光背面は、向かって右の頭光が少し欠けたようになっている。これは後から欠損したというより、元の石材の形による制限によるもののように見える。また、右膝の後方では元の石材部分が少し余って身光部分が背後から浮き彫りしたようになっている。背後はかなりの厚みを残してほぼ自然面のままとしている。背面中央に横向きの長方形に彫り沈めを設けている点は注目すべきである。目測値でおおよそ幅40cm前後×高さ25cm前後、深さは5cm程ある。従前この彫り沈めに言及した記述は管見に及んでいないので詳しいことはわからない。この部分に刻銘があっても不思議ではないと思ったのだが、肉眼による観察では特に銘文らしいものは確認できない。あるいは願文や経典を納め蓋石を嵌め込んでいた可能性もある。像容は体躯のバランスが良く、ことに首から両肩、肘にかけての曲線、衣文の流れるような波状の凹凸は木彫風で花崗岩製の石仏としては極めて秀逸な表現である。また、03螺髪を一つ一つ彫り出している点も手が込んでいる。面相は眉目秀麗。やや面長気味の丸顔で、お顔の中心より目鼻がやや下側にあり、やさしげな厚めのまぶた、涼しげな切れ長の大きい半眼から受けるお顔全体の印象は女性的でもある。白毫の突起も表現され、両頬からあごの先端にかけての凹凸も的確。鼻梁は高く、唇は少し厚ぼったい。光線の加減でよく見えない場合もあるが、花崗岩の石仏としては出色の面相表現である。04あえて難をいうならば、体躯に比べて定印を結んだ手先が小さ過ぎ、指先の表現に少し硬い感じがある。覆屋のおかげもあって表面の風化も少なく保存状態良好。京都では釘抜き地蔵・石像寺の阿弥陀三尊石仏に代表されるように、流麗な衣文表現、二重光背に刻んだ小月輪内の種子が像容を囲むように並べる手法を採用する石仏がしばしばみられる。これらは鎌倉初期とされる比叡山香炉岡弥勒石仏に端を発する意匠表現とされ、近江も含め比叡山の影響が強い地域に分布することから、川勝博士はこれらを共通する系統の石仏としてとらえられた。そしてこれらは叡山系石仏と呼ばれている。この大原阿弥陀石仏では光背は素面で、月輪種子を並べる手法は採用していないが、土地柄も考慮して叡山系石仏に数えられている。叡山系石仏の形態的な考察は、今後もっと詳しく進められる必要があると思われるが、いずれにせよこの大原阿弥陀石仏は天台系の浄土信仰に基づき造立されたものと考えてよい。造立時期については不詳とするしかないが、優れた意匠表現をみれば、やはり従前から考えられているように鎌倉時代中期を降るものとは思えない。花崗岩製ながら優れた面相、螺髪をひとつひとつ刻み、流れるような木彫風の衣文処理の手法が共通する元仁2年(1225年)銘の石像寺阿弥陀三尊石仏が参考になるだろう。石像寺石仏の精緻な表現に比べると若干粗いところがみられ、やや時期が降る13世紀中葉頃のものと考えたいところである。

参考:川勝政太郎「京都の石造美術」

     〃   新装版「日本石造美術辞典」

   片岡長治「京都の石仏」『日本の石仏』4近畿編

   中淳志 「写真紀行 日本の石仏200選」

   竹村俊則・加登藤信「京の石造美術めぐり」

とにかくでんと構えた大きい石仏で、存在感があり石造美術にあまり関心を持たないと思われる観光客も立ち止まります。大きさもあっておおづくりな第一印象ですが、お顔をよくみると実にハンサムな仏様です。写真右下:お顔のアップ。眉目秀麗です。(写真がヘタクソなのでそのあたりをうまくお伝えできないので残念です。)写真左下:背面にある長方形の怪しいくぼみ。いかにも銘文がありそうなんですけど…。なお、おそれおおくてコンベクス計測はできませんでしたので悪しからず。


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