石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県大津市坂本本町 香炉岡弥勒石仏

2018-01-01 12:16:30 | 石仏

滋賀県大津市坂本本町 香炉岡弥勒石仏
 石仏は、比叡山延暦寺西塔の中心的施設である釈迦堂(転法輪堂)の裏山、通称「香爐岡」と呼ばれる尾根の先端
ピーク付近にある。釈迦堂後方の西側から相輪橖へ向かう山道を北に進み、相輪橖を正面に仰ぐところで道を右手に折れると間もなく、疎らな木立の空地の真ん中にポツンと石仏があるのが目に入る。石仏の周囲は樹木や雑草が切り払われ、空が見える明るい広場のようになっているが、かつては背丈を覆うような熊笹に埋もれていたとのことである。
 周辺は平坦に整形された目測約15m×20m、高さ1.5m程の土壇状になっており、堂宇の遺構の上に石仏があることが見て取れる。江戸時代初め頃に書かれたとされる『比叡山堂舎僧坊記』には「弥勒堂 旧跡石仏弥勒之大像有之」の記載があり、これに当たるものと考えられている。弥勒堂は戦国期の兵火で焼失し、再建されることなく長い間忘れ去られていたところ、昭和34年頃、釈迦堂解体修理の際に、たまたま横川に参詣する篤信の一老女がこの石仏の存在を延暦寺関係者に語ったとのことで、そのことを聞きつけた川勝政太郎博士らが現地を調査し、世に知られるようになった。
 石仏はほぼ南面し、現状地上高約2.1m。二重円光背を負い蓮座に坐す如来像で、上端に反花を刻み出した台石と、敷茄子以上の本体の二石からなる。花崗岩製と見られる。反花座のある台石は幅約130㎝、反花は一見中央に稜を設けた単弁に見えるが、小さい彫くぼめが2つ認められることから子持ち複弁とすべきかもしれない。反花の蓮弁は前面から左右側面まで終わり後方には見られない。敷茄子は低平で、その上の蓮座は三重の同心円を半裁したような蓮弁で、小花も同様の意匠である。光背は幅約116㎝、厚さ約15㎝。像高約136㎝、髪際高約120㎝。体躯と頭部のバランスがよく、肩から胸にかけて上半身の肉取りやボリューム感のある腹部から広くとった両膝など、全体的に安定感がある。ほとんど丸彫りに近い手法で、特に右手、うなじは完全に彫り抜いている。両手を膝前に垂らしているが、手先が欠損磨滅して印相は明らかでない。左手の様子から降魔印と推定される。衣文も木彫風で写実的である。全体に表面は焼損によると見られる剥落と風化でかなり荒れている。特に面相部は痛みが激しいが左眼から額にかけては面影をとどめている。光背の向かって右側が大きく欠損しているが、光背面には、頭光に5つ、身光に6つ、合計11個、径約17㎝の円相を浅く彫沈め、内に梵字を平板陽刻している。肉眼では判読しづらいが、採拓された川勝博士によれば、頭上「アーク」、向かって左側、上から「アー」「アク」「ア」「ヨ」「ウーン」、右側上から(欠)「アン」(欠)(欠)「バン」とのことである。さらに、光背の背面には中央に外径約68㎝、内径約50㎝の下方に蓮座を持つ月輪を平らな突帯で刻み出し、内に大
きく釈迦如来の種子「バク」を平板陽刻している。その下方左右にも同様の手法でやや小さく月輪と種子を刻んでいる。「マン」「ウーン」で文殊菩薩と普賢菩薩と考えられ、釈迦三尊である。普賢菩薩の種子は通常「アン」であるが、川勝博士によれば「ウーン」も用いられるとのことである。その下方には約33㎝四方、深さ約12.5㎝の内に二重に段を設けた方形の奉籠穴を穿っている。手の込んだ奉籠穴で、失われた蓋石があったことが容易に推定できる。この奉籠穴の下方にも半肉彫りの蓮座状の高まりが見られる。奉籠穴の脇には文字が刻まれていたような方形の窪みも見られるが磨滅しているため不詳。二重円光背を負い光背面に円相種子を設けた石仏が京都付近に点在し、川勝博士により天台系あるいは叡山系の石仏と名付けられている。この石仏はその最古の例とされ、造立時期は、藤原期の余風を残す鎌倉時代初期とされている。

二重円光背に円相梵字が叡山系…






堂々とした正面観に比べると側面観はちょっとペンペンな感じ…後頭部に注目、くり抜いています。


背面の様子。何か文字でも刻んであったような方形枠がうっすら見えます…


剥落しておいたわしい面相部…


肘のところは完全に彫り抜いています…


奉籠穴…


蓮座と敷茄子、台石の反花の様子…膝元のギザギザは何でしょうか?カエルの足みたいに見えますが…

参考:川勝政太郎「比叡山香爐岡石仏とその様式」『史迹と美術』第300号
   川勝政太郎『京都の石造美術』
   栗東市教育委員会(財)栗東市文化体育振興事業団編『忘れられた霊場をさぐる』3-近江における山寺の分布-

蓮弁や梵字など他に例を見ない非常に手の込んだ意匠表現で、丸彫りに近い彫成法も考え合わせれば、往時の威容と壮麗さが偲ばれます。北嶺の
一画を占めた堂宇の本尊であっただけのことはある流石の石仏です。そういえば、山麓や末寺には石造物が多いのに当の比叡山には石造物を見かけない。田岡香逸氏などは、古い石造物はまったく無いとまで言っておられますが、そうでもない。くまなく見て回ったわけではありませんが、中世に遡りそうな小型石仏や五輪塔などはあちこちで見かけます。この石仏はその中でも別格のエース的な存在でしょう。