石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 奈良市西新屋町 元興寺小塔院宝篋印塔

2009-06-08 23:31:00 | 奈良県

奈良県 奈良市西新屋町 元興寺小塔院宝篋印塔

興福寺の南に広がるなら町は、大半が奈良時代の元興寺の広大な旧境内にあって、古い町家が建て込む中に元興寺(元興寺極楽坊、極楽院)、元興寺(東塔跡、観音堂)、小塔院跡といったかつての元興寺の子院の後裔が分散しながら辛うじて残っている。01このうち一番西に位置する小塔院は、町家に囲まれた一画にある小さいな虚空蔵堂がわずかに法灯の名残をとどめているに過ぎない。虚空蔵堂の西側は一段低く、境は崖状になっている。堂の裏手、法面の際に宝篋印塔が立っている。白っぽい緻密で良質な花崗岩製。基礎下にある幅約96.5cm、高さ約20cmの大きい複弁反花座は、一辺当たりの弁数5弁とする。また、隅弁を小花にする手法は大和に普遍的に見られるもの。03この反花座の上に、現存塔高約179cmの宝篋印塔が載っている。反花座はサイズ、石材の質感、反花の丁寧な仕上がりをみても塔本体とよくマッチしており、当初から一具のものと考えて特段支障はないだろう。基礎は幅約62.5cm、高さ約48cm、側面高約37.5cmで各側面とも素面。基礎上は2段とする。塔身は幅、高さとも約35cm、幅約4cm前後の枠取りで輪郭を設ける。輪郭内にはいっぱいに径約26cmの月輪を陰刻し、内に雄渾なタッチの金剛界四仏の種子を大きく薬研彫している。東側正面に「ウーン」、南側に「タラーク」、西側に「キリーク」、北側は「アク」で本来のあるべき四仏の方角を向いている。笠は上6段、下2段の通有のもので、軒幅約60.5cm、高さ約44cm。軒の厚さは約6.5cmとやや薄く、各段形は直角に近く折り目正しくきっちり仕上げられている。軒と区別して若干外傾する隅飾は二弧輪郭式で、概ね欠損なく、基底部幅約14.5cm、高さは約16.5cmと比較的小さい。輪郭内は素面。相輪は九輪8輪目までが残り、先端は欠損している。残存高約51.5cm。九輪の凹凸は浅いがしっかり刻んでいる。伏鉢の径約17.5cm、下請花は摩滅が進みハッキリしないが、覆輪付の単弁のようである。全体として風化が少なく、遺存状態良好で、細部のシャープで丁寧な作りから非常に端正な印象を与える。出来映えの優れた大和系宝篋印塔の一典型である。その意味からも相輪先端の欠損が惜しまれる。無銘であるが、造立時期は鎌倉時代後期、概ね14世紀初め頃として大過ないものと考えられる。

参考:清水俊明 「奈良県史」第7巻 石造美術

文中法量値は例によってコンベクスによる実地略測のため多少の誤差はご容赦ください。なら町側の目立たない小さい門は、ややもすれば見落としてしまいそうです。風化の少ない白い石材の硬そうな質感とエッジのきいた彫りの確かさがうまくマッチして、端正で清浄感のあるとても美しい宝篋印塔です。石造マニアならずとも一見の価値があります。少々荒れ気味の境内ですが、緑の多い落ち着いた佇まいはとても静かでしばし街中の喧騒を忘れさせるに足るものがあります。このほかにもなら町には見るべき石造美術が散在しており、隠れた見所のひとつです、ハイ。