心象日記

日々の中で印象に残った場面、言葉、音、味わい、ふれあいなど、五感に最も訴えたモノについて記します。

来なくなったメール。

2005-08-29 | 日々の心象風景。
突然ですが、私と言う人間はとてもさみしがり屋だと思います。

もうすっかり図体は大人になっていますが、未だに両親と共に暮らしておりますし、
「しばらく一人になりたいな~」などと考える事もある反面、「ひとり暮らし」は絶対に
できないだろうとわかっている所もあります。(とっても寂しそうだから)
家族の誰かが必ず帰って来ると言う前提があるからこそ、しばらくの間(どの程度だと
言われてしまうと具体的には申せませんが)なら一人で居られる訳です。
私の「一人になりたい願望」は、所詮その程度のものでしかありません。
その故なのか、数少ない私の友人知人たちから様々な催しへのお誘いの声がかかると、
私は余程の事がない限り誘いに乗ってそこへ足を運びます。
好奇心は人並みに持ち合わせているつもりですが、いかんせん体力と運動神経が皆無であるため
誘ってくれた方の足を引っ張りたくはないので、アウトドア的な催しものはなるべく避けて
丁重にお断りしております。
まあ、まず誘われませんけどね(苦笑)。

Studio Life(スタジオ ライフ)と言う劇団の存在を知りながらも実際にその舞台へと
足を向ける事がなかなかできずにいましたが、ある友人が興味を持ってくれたおかげで
ようやく私はライフの舞台に触れる事が叶ったのであります。
それから早いものでもう三年が経ちますが、いろんな小劇団を観劇し尽くしている友人の
感覚に私は付いて行くのがやっとという具合で、何というか、友人と私とでは感覚の「ずれ」
が多少あるようで、私も薄々勘付いてはいましたが友人もどこか「不快」なものを感じ始めた
からなのか、毎日のように送られて来たメールがぱたりと来なくなったのであります。

来月に新作の舞台があるのですが、その公演を「今回は別々に観に行きましょう」と言われ、
(理由はよくわかりません)
ライフに関する事となるとどんな些細な事でもメールを送って来る程でしたのに、もうかれこれ
2ヶ月近くも全く音沙汰がありません。宮城で大きな地震があった時、丁度お盆の頃でしたし
友人の実家がその近辺だった事もあり(彼女は必ずお盆には実家へ帰省してましたので)、
心配になって一度メールを送ったのですが、その前の週に帰省したとの事で地震があった時には
実家には居なかったようで安心はしましたが、返信内容は何だか素っ気無い感じでありました。
それに対してまたメールを返す気にはなれず、それからはまた音信不通となっています。

このギャップに私は悩まされております。ここ数年は友人からの積極的な「波」が、ガーッと
押し寄せてくるばかりで私は常に押されっぱなしでいた訳ですが、それを上手にこちらが受け
止められなかったのでしょうねぇ・・・。とうとう愛想をつかされたのかなと言う感じです。
その一点には非常に寂しさを感じるのですが、彼女とは今まで一緒にいても疲労を感じるばかり
だったので、無性に連絡を取りたくなるとか会っていろいろ話したいとか顏が見たいとか、
そんな風には感じていない自分には無性に腹が立つのです。
たぶん彼女も私と同じ想いでいるのでしょう。
だから、メールも来ないのだと思います。

でも私には、友人のような「押してばかりの波」を誰かに対して起こす自信はありません。
拒絶されたら・・・と言う恐怖が拭えないからです。
さみしがり屋のくせに、人を求める事にはすごく臆病になるのです。
なんて矛盾してるんでしょう。



小さなオアシス。(その2)

2005-08-25 | 日々の心象風景。
今日は久し振りに涼しくて、過ごしやすい一日でした。

我が家の小さなベランダに、トルコ桔梗が咲きました。

紫色の花と桃色の花の2種類の花弁が、美しいコントラストを見せてくれています。

人為的に着色して作られたのではない、自然の色の美しさに敵うものはありませんね。

花には表情はないはずですが、しっかりと上を向き胸を張って堂々と咲いている姿を観ていると、

不思議とにっこり微笑んでいるように見えてしまうのです。

花は何も語らないはずですが、「何をそんなにくよくよしているの。しっかり胸を張って、

前を見てにっこり笑いなさい」なんて言われているようで。

ここ何日か、ちょっぴり情緒不安定気味な私。

とうとう花に説教されていると感じるようになってしまいました。(苦笑)



寒天と踏み台。

2005-08-18 | 日々の心象風景。
昨日父が「壮快」と言う健康雑誌を買って参りまして、「お前も読んでみろ」などと偉そうに
薦めるものですから、仕方なく目を通したのであります。
表紙の見出しでまず目を引いたのは、「寒天茶で体重がドカンと落ちた!」って言うのと、
「踏み台昇降でダイエット」の2項目でありました。
気管支喘息の持病が災いして、今まで生きて来た中で運動らしい運動など全くして来なかった私。
喘息の治療&予防には「副腎皮質ホルモン」(所謂、ステロイド)が使用されるため、今や私の
身体には立派な「ステロイド脂肪」がたんまりと付いてしまっているのです。
おかげさまで体重も体脂肪も人並み以上にありまして・・・(恥)。会社の健康診断でお医者から
毎年口を酸っぱくして言われる事は、「痩せましょう」との一言のみで。とほほ。
「壮快」の中身を読んだらていたらくの私でも続けて実行できそうでしたので、早速本日から
始めてみる事にしました。

まずは我が団地の真下にあるスーパーへ行き、粉寒天を購入。(2グラムのスティックが5袋入って
158円なり、これって高いの?安いの?)
これを毎食前に温かい飲み物に1スティック溶かして飲むと、お腹の中で寒天が膨らんであまり空腹
を感じずに済むようになるので、間食やドカ食いをしなくなるのだそうです。

それから準備をしたのが、「踏み台昇降」で使用する踏み台作りであります。
丁度購入期間が終了した不要の通販雑誌が数冊あったので、それを5~6冊重ねてガムテープで
しっかりと留めてマイ踏み台を作りました。
懐かしいですね、踏み台昇降。学校での体力測定時に必ずこれをやらされました。
ある一定時間(3分だったか、5分だったかもう忘れましたが)踏み台を登って降りて登って降り
てを繰り返し、その後確か1分間脈拍数を計るんでしたよね。

その踏み台昇降を毎日10分~20分間続けると言うダイエットなのですが、部屋の中で何かを
しながら実行できるし服装も関係なく夜道を歩く必要もないので怖い思いもしなくてすむし、
何よりも全くお金がかからない事が私にはとっても魅力的でありました。

雑誌にはこの方法で体重が見事に落ちたと言う方の体験談が載っていまして、100kgあった
体重が33kgも落ちたと言うのです。
さすがに私の体重はそこまでは到達してはいませんが、このままにしていたらいつか私も
100kgの大台に乗ってしまう日が来るとも限りません(震撼)。

夕食前に早速挑戦してみました。全く運動をしてない場合は10分間から始めるのが良いとの
事でしたので、とりあえず10分頑張りました。喘息持ちの私でもそれほど息切れを感じずに
済みました。たった10分間でもじんわりと汗が滲んで来て、気持ち良く運動できました。

寒天と踏み台昇降。
とにかく根気よく続けてみます。


お気に入り。

2005-08-18 | 日々の心象風景。
8月15日、マイ連休の二日目。
戦争が終わりを告げた日。世界中で大勢の人間が犬死にした戦争がやっと終わった日。
そうじゃなくて、「もう永久に地球上では戦争を行わない日」になればいいのに。
国家間の争いどころか同じ国土に住みながら「人種」「民族」が違うだけで殺し合ったりしてる
人たちもまだ居る訳で。
「戦争放棄」と言う言葉を、「マンガ」や「カラオケ」以上に世界中に広めるべきだと思います。

そんな事を考えながら一日が始まりました。

この日は以前から花巻への旅を共にする事となっている友人Nさんと約束をしていました。
1時に待ち合わせ、ちゃんぽんのお店に誘われて一緒にランチを取りました。
とっても美味でありました。
本当は和食の美味しいお食事処へ行く予定だったのですが、この日の天気予報で夕方から雷雨が
ひどくなるとの事で、大事をとって遠出を避けたために和食屋さんはこの次に会う時までお預け
となりました。
熱い食事をとったので急に冷たいものが欲しくなり、食べ終わってすぐに席を立ってお会計を
したのですが、別のお店へと向い出したその時、私はちゃんぽん屋さんに忘れ物をした事に
気付いたのであります。
それは日傘でありました。昨年の夏に買った初めての「マイ日傘」。持ち手の部分がスライド
させると少し長くなる、真っ黒の晴雨兼用の日傘です。
「あ~あ、私もとうとう日傘なんかさしちゃう歳になっちゃったのねぇ」なんて思いながらも、
汗っかきの私には帽子を被るよりもずーっと快適に紫外線をブロックできる事に気付き、
この夏はすっかり重宝して使っていたのです。
お気に入りの日傘だったのです。

日傘を忘れて気が付いて直ぐにお店に戻ったのに、さっきまで私たちがちゃんぽんを食していた
席に日傘は影も形もありゃしませんでした。
本当に、がっかりしました。
カウンター席の一番端っこだったのですが、そこから三つ置いて席に着いていた年配の女性から、
「これは、私の、日傘ですよ」と、その手に握りしめられていた白い日傘を見せつけられた時に
私は思わず、「わかってますよ、大丈夫」と彼女をなだめてしまったのでした。
お店の人にも尋ねましたが、そういう忘れ物はありませんでした、の一言。
私の日傘は忽然と消えて無くなってしまったのです。とほほ。

でもこんな事、初めてと言う訳ではありません。
私が気に入るモノたちは割と短命で、長く愛用することができないのです。

雨傘、扇子、ハンカチ、マフラー、手袋、手帳、CD、財布、カーディガン、・・・。
小学校の時、ランドセルごと学校に忘れた事もありました(恥)。さすがに無くなりは
しませんでしたが。
観てきたばかりの映画のパンフレットをどこかに置いてきたこともありましたね。
ただの不注意だと片付ければそれまでですが、忘れ物になってしまったそのほとんどが
お気に入りのモノばかりだったと言う所が、何だかとっても悲しくさせるのです。

私の日傘、どこでどうしているのやら。

お気に召すまま。

2005-08-15 | 日々の心象風景。
久し振りに昨日の日曜日から本日にかけて連休をさせて戴き、心が安らいでおります。
昨日は一日特に何もせず、とにかくポワ~ンポヨ~ンっとしゃぼん玉にでもなったように
気分を部屋の中で漂わせておりました。父も母も留守にしていてほぼ半日ひとりぽっちで
いましたので、欠伸を噛みしめるほど飽きるまで「したいこと」を次々と片っ端から
やりました。
まずはパソコンに向い友人が送ってくれたメールに返事を書き(彼女のHPにも遊びに行って)、
大好きな明川哲也さんのHPを覗いてから、9月に花巻への旅に出るため新幹線の時刻や交通費
などを調べたり、宿泊予定の毛越寺のHPへも行ったりしていたらあっと言う間に時間が過ぎて、
お腹がぐ~っと鳴ったのでようやくお昼を食べていない事に気が付きました。

何を食べたらよかんべな、と思案しているうちに両親が相次いで帰宅しましたので、
きっと何か美味しいお土産があるに違いない、と言う期待は見事に裏切られ仕方なく三人揃って
カップヌードルを食べました。(父はシーフード、母はスタンダード、私はカレー)
その後両親は外出の疲れからか早々とお昼寝モードに突入したため、再び部屋には静寂が訪れて
私は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に手を伸ばし、リズミカルに頁をめくって読みすすめ・・・、
ところが満腹になったためか強烈な睡魔が徐々に勢力を増して来まして、いつの間にか私も
スヤスヤと夢の国へ。

目が覚めて、二人の寝息がまだ聞こえていたので傍らの銀河鉄道はそのままに、職場の「文庫
コミック」愛好家から拝借した樹なつみさんの漫画を持ってきて、2冊読んでしまいました。
二人はまだ起きません(呆)。
今度は急に昔の映画が観たくなって(映画「ギター弾きの恋」について日記に書いた時に少し
話題に上りました、フェリーニの「道」です)、録画してあるビデオテープを引っ張り出して
見始めました。ところが。
映画を見始めて15分もしないうちに父が目を覚ましまして、「見たいテレビがあるからビデオ
を止めろ」と一言。
仕方がないので途中でビデオを止めて、そのうち母も目を覚ましたので三人で仲良く(?)
日本テレビの「笑点」を見ました。(名作の「道」が笑点に負けてしまった)

その後は夕飯を食べながらなかなか始まらない世界陸上の女子マラソンのスタートを待ち、
テレビに向って応援しながら原さん、弘山さん、大島さん、小崎さん、江田さんのゴールを
それぞれ見届けて(原さんがとってもつらそうだったね)、
彼女たちが団体で銀メダルを獲得したとの情報を得たため、眠い目を擦りながら今か今かと
表彰式を待っていましたが(あんなに昼寝をしたのにもう眠くなるなんて)、
とうとう睡魔に勝てず見逃してしまったのでありました。

目が覚めると真夜中でしたが、父に「笑点」で横取りされて鑑賞するのが中途になっていた
「道」を、見始めたのでした。(やっぱり、泣いてしまった)

本日については、また後日。



脇役グラフィティー。

2005-08-12 | 心象映画。
私の日記は多くの人に読まれている訳ではないので、「ギター弾きの恋」のヒロインは何て言う
女優さんなのか誰か教えて!と問い掛けても、だーれも返事なぞしてくれないのは日常茶飯事で
あるからして、自分で検索していろいろ調べてみるようにしてるのですが。
昨日の日記に書きました「マイノリティ・リポート」&「パッチ・アダムス」の脇に出ていた
気になる男性俳優の件も、バッチリわかりました!

彼の名前は、ダニエル・ロンドンさんと言うそうです。(何て魅力的なお名前)
出演作は上記の2本のみしか判明せずでありました。年齢も不詳であります(残念)。
彼は一体どこの国の方なのでしょう。お名前から拝するに、「ダニエル」はフランス人ぽいし、
「ロンドン」と言う姓名は単純に考えればイギリス人?、て言う気がしないでもないし。
それ以上の事はわからなくて残念でした。

しかし、ダニエルさんの事を調べている内に、「脇役グラフィティー」なる面白いサイトに
めぐり会う事となり、試しに覗いて見たらこれがとっても面白かったのです。
ダニエルさん以外にもう一人、気になっていた脇役の方を思い出してしまい、そのサイトで
調べたらその人の事が見事載っていたのです。

それは誰かと尋ねたら、メグ・ライアン&ヒュー・ジャックマン共演の「ニューヨークの恋人」
でメグの弟役を演じていた彼です。
名前はブレッキン・メイヤーと言うそうです。ドリュー・バリモアは中学の時の同級生だとか。
彼についての様々なエピソードが載っていて、とっても面白かったです。
もしかしたらダニエルさんの事も載っているかも知れないので、この日記を書いてしまったら、
早速また遊びに行ってみようと思っています。

余談になりますが、フジテレビで放映していた「Dr.コトー診療所」で時任三郎の息子役を演じて
いた富岡涼くんをご存知ですか。その後彼の姿にあまりお目にかかっていないので、私はとっても
寂しいです。一緒に出演していた神木くんはあっと言う間に売れっ子になってしまいましたが。
私は富岡くんが好きです。

サマンサ・モートン。

2005-08-11 | 心象映画。
「ギター弾きの恋」でヒロインを演じていた女の子は、サマンサ・モートンと言う女優さんだと
判明しました。
確か、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」にも印象的な役回りで顏を見せて
いましたね。(いつ、誰が、どこで、殺人を犯すかを予言するミステリアスな役だった)
やっと思い出しました。と言っても、パソコンで検索してやっとわかったのですけど。

「マイノリティ・リポート」に同じく出演していた男優さんで、サマンサ・モートンを始めとする
預言者達の世話係として出ていた、アロハシャツが妙に似合わない眼鏡をかけた男性を知っている
人はいませんか。あの人もなかなか良い味を醸し出していたのですよ。
確か彼は、ロビン・ウィリアムス(大大大好き)主演の「パッチ・アダムス」にも顏を出して
いたような気がします。飄々としていてやっぱり眼鏡をかけていました。
とってもインテリジェンスに見える眼鏡を。黙って佇んでいれば十分インテリなのに行動に何故か
間の抜けた所があって、そこのギャップがまた面白くて憎めなかったのです。

脇役を演じる役者さんの中に、時々、主役を喰ってしまうほどの異彩を放っている人物を見つけて
しまう事があります。何て言うか、主役の人よりも脇にいるその人の事ばかり気になってとうとう
忘れられなくなってしまうんです。

例えば「エリン・ブロコビッチ」でジュリア・ロバーツの恋人役を演じた、アーロン・エッカード。
「丿ッッティング・ヒルの恋人」でヒュー・グラントと同居していた変人、リス・エヴァンス。
(これにもジュリア・ロバーツが出てたね)
「いつか晴れた日に」の、アラン・リックマン(大好き)。
ミッキー・ローク主演「死にゆく者への祈り」で、IRAの革命闘志を演じた、リーアム・ニーソン。
(今や彼は、大作の主演を張る演技派俳優となりましたが)
「アメリカン・ビューティー」の、クリス・クーパー(この人も大好き)。
メリル・ストリープ主演「ソフィーの選択」の、ケヴィン・クライン(強烈でした)。
「眺めのいい部屋」の、ダニエル・デイ・ルイス。
「グリーン・マイル」で看守を演じた、デヴィッド・モース。

もう今は「脇」などには居ないという人も居りますが、脇に大人しく居ながらも何となく目を引いて
しまう魅力的な役者さんて、結構居るのですよね。

そう言う人にめぐり会う事を楽しみにしながら、映画にかぶりついてしまう私です。

気管支拡張剤。

2005-08-08 | 日々の心象風景。
気管支喘息が私の体に居座ってから、かれこれもうウン十年になります。
現在お世話になっている気管支拡張剤は噴霧式のもので、もうずいぶん長い間使用していますが、
とても強い薬なので使用した直後は動悸がしたり手に震えがきたりします。
以前に使っていた吸入器は、薬剤のカプセルに針で穴を空けてから口に含み吸い込むと中にある
ファン(プロペラと言ったらわかりやすいか)が回転して、収縮している気管支へ薬を送り
込んでくれると言う仕組みのものでした。これにもずいぶんお世話になりましたが、
年齢を重ねるに連れて効果がなくなっていったのです。
その後掛かり付けの医者を変えて、現在の拡張剤に出会った訳であります。

現在私が使用している拡張剤と全く同じものを持っている有名人を、二人だけ知っています。
一人はオリンピックの金メダリスト、スピードスケート選手の清水宏保さん。
もう一人は、極楽とんぼの加藤さんです。
加藤さんはともかく、清水選手が喘息持ちだなんて知った時には驚愕しました。
それも試合のシーズンは、発作の起きやすい真冬だと言うのですからもう脱帽です。
常に第一線で活躍し続けるには、特に持病のない健康な人以上の訓練と鍛練を自身に課さなけれ
ばならないはずであり、またその負荷も多くかかるはずであります。
強靱な精神力がなければ乗り越えられない苦しみを味わっているのだと思うと、何と言うか、
励まされると同時に私自身のこのていたらく振りを情けなく思ったりもするのです。

先日、民放で放映された映画「着信アリ」を、「怖そうだなぁ・・・(震)」とびくびくしながら
一人で観ていたのですが、驚かす効果音として拡張剤を噴霧する時の「シュッ」と言う音が
使われていたのを観て、いささか複雑な気持ちになってしまいました。
その音の正体が自分の身近にあるものだったとわかった瞬間から、急激に現実へと引き戻されて
しまい、それまで感じていた恐怖感がすっかり影を潜めてしまったのです。
想像力の乏しい私には、あのラストシーンも良く意味がわかりませんでした。
喘息はアレルギー物質を体内に取り込む事で発作が起きる場合がほとんどですが、
嫌な事があったり避けたい事があったり、心に強いストレスを感じた時、無意識の内に
自ら発作を起こしてしまう事もある程、精神的なものと密接に結び付いているのです。
その辺は映画の中でもさりげなく描写しているとは思いましたが。

あの女の子が苦しんでいる様子を、演技だとわかっていても私は正視する事ができませんでした。

ちなみに、映画の中で使用していた拡張剤は私のものとは違う種類でした。
(そんな事、どうでもいいよね)




「ギター弾きの恋」。

2005-08-06 | 心象映画。
1999年、ウッディ・アレン監督(大好き)の作品です。

映画館で公開当時とっても観に行きたかったのですが、案の定足を運べませんでした。
またまたBS2で鑑賞いたしました。期待通り、なかなか面白かったです。

エメット・レイと言う(多分実在していた)ギタリストの半生と言いますか、
類い稀なそのギター弾きの才能を如何なく発揮していた頃の話が中心となった物語です。
ナイトクラブやホテルでのステージに立てば、どのお客もお酒やつまみを注文するのも忘れて
彼のギター演奏に聴き惚れてしまうほど、彼の奏でるその音色は本当に素晴らしかったです。

演じるのはこれまた大好きな、ショーン・ペン。多分、実際に演奏はしてないのだろうとは思う
のですが、本当に演奏しているように見えました。映画の冒頭、ウッディ・アレン本人が現れて
エメットと言う男を「自信過剰で鼻持ちならない男だ」と評するのですが、全くその通りでして
彼が口にする言葉と言えば「俺はアーティストだ」「俺には才能がある」「女は楽しいから好きだ、
だが必要ない」「女に知性は求めない」・・・、ね、本当に鼻持ちならないでしょ。
全くなんて嫌な男だろうと思って、出だしは堪忍袋の緒を握って我慢して観ていたのですが、
ハッティという女性と知り合ってから少しづつ風向きが変わって来るのです。

彼女を演じた女優さんが誰なのか、知っていたら是非私に教えて下さい。とっても魅力的な女性
でした。子供の頃に患った高熱のせいでハッティは言葉を発する事ができません。
ホテルでの仕事がオフの時、エメットはバンド仲間と二人でもてもしないのに女性をナンパしに
出掛けます。失敗つづきでようやく振り向いてくれたのが、友人と歩いていた彼女だったのです。
話す事はできませんが、彼女の耳はちゃんと聴く事ができます。
エメットの本当のターゲットはハッティのお友達の方(とってもグラマーな美女)だったのですが
コイン投げでバンド仲間に横取りされてしまった訳です。
「腹が減ったか」と言うエメットの問いにすら、彼女はまともに返事を返せません。ただニッコリ
と笑顔を見せるだけ。でも、どことなく楽しげに彼の言葉に耳を傾ける様子を見せます。

出会ったその日にエメットの部屋へ(当然のように)連れて行かれますが、積極的なのはむしろ
彼女の方だったのが大いに笑えました。上着やネクタイをやや乱暴に剥ぎ取られながら彼が
「俺のこと、好きか」と尋ねると、彼女は首をぶんぶんと縦に振り適当に答えます。
それを見て彼が一言。「ずいぶん、あっさりだな」ここもすごくツボに嵌まりました(笑)。

仕事よりもお酒と遊ぶ事の方が大事だった彼は、年中へべれけになっては仕事をすっぽかします。
ホテルもあっさりクビになり、ハリウッドへ向うためハッティに別れ話をしに行きます。
彼の顏を見つめながらただただ泣きじゃくる彼女。「だから俺に惚れるなと言っただろう」
なんて格好つけながらも、「旅費は自分で出せよ。道中も働くんだぞ」と釘を刺して
仕方なさそうにハッティも連れて行きます。

車のタイヤ交換をしながら、エメットのつま弾くギターに聞き惚れるハッティの笑顔。
少女のように無垢で純粋です。思わず作業の手を止めて、彼女は彼のギターに耳を傾けます。
私も彼女の笑顔に見惚れながら、そのギターの音色にも耳を奪われました。

途中、ある村で「素人一芸コンテスト」のような大会が催されている事を知り、(優勝すると
賞金がもらえる)エメットは鳥の餌のセールスマンになりすましコンテストに出場します。
またまた軽快な演奏を披露して満場の拍手喝さいを浴びるエメット。仏頂面で座って居た人たち
も彼の奏でるギターの音に体を揺らせ笑顔を見せます。
「ばれたらリンチされてたぞ、あまり上手く弾くんじゃない」とバンド仲間にどやされても
「はん、どうせバカにはわからないさ」と、どこ吹く風。その言葉にハッティは不機嫌な顏を
見せます。それに気付いたエメットがこう言います。

「見ろよ、怒ってる。優しい女だろう。根っから善良な女なんだ」

この台詞に、私は何故かぐっと来てしまったのです。彼女への不器用な愛情がエメットに
芽生えていると感じたからでしょうか。

でも結局この鼻持ちならない馬鹿男は、ハッティを捨てて逃げてしまいます。
彼女の一途さが重たくなったのかも知れません。そして美女と衝動的に結婚したりします。
ハッティももともと住んでいたシカゴへと戻り、元の洗濯の仕事をしています。
そこへエメットがふらりとやって来て、彼女と再会します。
「明日ニューヨークへ出発する。お前も一緒に行きたいだろ。また楽しくやれるぞ」
相変わらず調子の良い彼の言葉を黙って聞きながら、ハッティは静かに何やら書いてメモを
渡します。

「幸せか」メモを読んだ後、エメットが尋ねます。その後はもうハッティの顏は映りません。

「子供はいるのか、坊やか、女の子か、・・・そうか。また惚れられても困るしな。元気でな」

その夜、彼はしこたま酒をあおりナンパした女を連れて汽車を見に行きます。気に入った
女性を必ず連れ回すのが「汽車を見る」のと、自分の45口径の拳銃でドブネズミを撃ちに行く
事。「私はまともな女なのに、なんでこんな所で汽車を見なけりゃならないのよ」
女にくどくど罵られながら、いつものどこ吹く風でエメットは「スゥイート・スー」と言う曲を
つま弾きます。弾くのを止めると女は事も無げに尋ねます。「もう気は済んだ?」
その言葉に傷ついたエメットは女に「うせろ!」と怒鳴りつけ、

「俺は間違いを犯した!俺は間違いを犯した!」と叫びながら
大切なギターを地面に打ちつけてバラバラに壊してしまうのです。
今更になって気付くなんて。本当に愛していたのは誰かを。

このラストシーンを観て思い出したのが、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」と言う映画です。
ジェルソミーナの死を知って、海に向って獣のような声を上げて泣き叫ぶザンパ丿の姿。
あのラストと思わずだぶって見えました。
本当に大切なかけがえのないものは、すぐ目の前にあるのに気が付かなかったりする事が
あります。そしてそれは必ず、目の前から消えてしまってから大切だった事に気が付いたり
するのですよね。

悲しいですね(涙)。

「ふたり」。

2005-08-01 | 心象映画。
先日BS2で放映された、大林宣彦監督作品「ふたり」を鑑賞しました。
もう15年も前の映画なんですね。
アイドル時代の石田ひかりさん、島崎和歌子さん、中江有里さんが出演されていました。
大林監督の作品に出てくる主役の少女たちには、いつも「憧憬」に近い感情を抱いてしまいます。
彼女たちの部屋の雰囲気、子供の頃から大切に使っていそうな洋服箪笥、手作りのカバーが
長く垂れ下がった姿見、椅子のない勉強机(←これは、男の子が主人公だった「さびしんぼう」
に出てきたんだった)、オルゴールやお人形など主人公が大切にしている小物たち、
それに、彼女たちの装う衣装もとってもガーリッシュで目を奪われてしまうほど。
清楚で奥ゆかしくて、美しい。
「ふたり」の石田ひかりさんも、とっても可愛かった。
そうそう、お姉さん役の中嶋朋子さんも忘れてはいけません。このお姉さんは映画の冒頭に
不慮の事故で命を奪われますが、どことなく頼りない妹を心配して幽霊の姿でこの世に現れて、
様々な場面で妹のピンチを影ながら救ってくれるのです。
生前この長女はしっかり者の性格が災いしてか、家族を精神的に支える柱のような存在であった
らしく、特に彼女を頼みとしていた母親の落胆振りは生存する次女を亡くなった長女と勘違い
するほどで、そのため妹の方は「優秀なおねえちゃんの代りに、ぐずでのろまな私が事故で死ねば
良かったのに」なんて思い悩むのです。

同じような悩みを映画「スタンド・バイ・ミー」で、スティーブン・キングの少年時代を演じた
主演のウィル・ウィートンくんも親友役のリバー・フェニックスくんに打ち明けてましたね。
彼も作家を目指してましたが、石田ひかり演じる実加も小説家になることを夢見ているのです。

柱が消えてしまった家族間は少しずつ箍が外れて行くように、バラバラになりかけて行きます。
妹自身のごくごく個人的なピンチはあの世の人になった姉にも何とか救えましたが、
家族の危機となると流石のお姉ちゃんにももうどうする事もできません。
せいぜい正気を失いそうになってる妹を「冷静になって、落ち着いて」とたしなめるくらいです。
でも、柱を失っても生きている者たちはお互いの存在をもう一度思いやる事で、ようやく正気を
取り戻していきます。
そして、妹はがらくたで埋もれていた自分の部屋を精算し、姉はようやく「妹」と言うしがらみ
から解放されるのです。

家族とは所詮、「しがらみ」の始まりにすぎないのかも知れません。
しかし、なんのしがらみもない人生なんて、余りにも寂しいではありませんか。
そんな事をしみじみと考えさせられた作品でありました。