心象日記

日々の中で印象に残った場面、言葉、音、味わい、ふれあいなど、五感に最も訴えたモノについて記します。

うちわのような、扇子。

2005-06-26 | 日々の心象風景。
またまた画像が悪い写真を載せてすみません。これは昨日、『メッシュ』観劇後に
寄ったoaz(「オアゾ」と読むそうな)に鳴り物入りでオープンしました、書店
の丸善の文房具コーナーにて購入しました。うちわの顔をした扇子でございます。
私は体格の割に手足がミニサイズと言うバランスの悪いスタイルをしていますので、
普通のサイズの扇子ですとちょっぴり大きくていささか手に余るのですよ。


通常扇子と言うものは紙でできていますが、この「うちわ扇子」は日本手拭いで作られているの
ですよ。昨日はとっても暑かったですよね。お芝居もマチネの回でしたので暑さしのぎのために
絶対に扇子を持参するべきだわと思って部屋中のいたる所を探したのですが、昨年買ったはずの
扇子がどうしても見つからないのです(涙)。
仕方が無いので汗拭きハンカチタオルを2枚持っていきましたが、それにしても暑かったですよ。

屋内は当然冷房が効いていますので体感温度はぐ~っと下がるのですが、外を少しでも歩くだけ
でだぁ~っと汗が流れ出てつらかったですね。日傘ももちろんさして行きましたが、紫外線ビ
ー厶の威力が凄まじくて日傘を通り抜けて来てるように感じましたよ。
丸善はとっても見応えがありましたね。先日もこの日記で取り上げました、明川哲也さんの
絵本「ぼく、あいにきたよ」を絵本コーナーで探してみたのですが見つからず残念でした。
詩集(?)のコーナーに置いてあったのを見たと言うお話も聞いたのですが、その詩のコーナー
すら見つけられませんでした。(ふがいない)

私は最近のベストセラー本はほとんど読んでないのですが、書店で大々的にどーんと平積みして
宣伝していると、何となく手に取って見てしまうから不思議です。(でも読まないくせに)
だから私のマイベストセラーは世の中よりずっと遅れてやって来ます。読み始める頃には誰も見
向きもしてませんからね。いつも人より一歩も二歩も遅れて歩いています。
実はoazも昨日初めて行ったのです。(恥)一緒にお芝居を観劇したお友達にも目を丸くされまし
た。お台場もまだ行った事がありません。興味が涌かないとなかなか足が向かないのです。
だから、面白いものや味わい深いもの、心に残るもの、刺激を受けるものなど、一杯見逃している
ものがあると思います。もったいないですね。もっと視野を広げたいです。

視野を広げた内に入るかどうかわかりませんが、昨日はお友達のおかげでoazに初訪問できました
し、丸善も探険できましたし、そこでうちわ扇子と出会うこともできた訳です。
昨日におけるたった一日のいろんな出会いに、感謝、感謝。

「メッシュ」観劇、その2。

2005-06-25 | 心象舞台。
本日、Studio Lifeの新作公演である「メッシュ」のダブルキャストの観劇に行って参りました。

一昨日は別のキャストで演じられた舞台を観ましたが、同じストーリーのはずでも演じる人間が
違うと言うだけで、こんなにも「別物」になってしまう不思議さをまたまた痛感させられました。
席種の違い(舞台全体を見渡せる席か、対して舞台に非常に近い距離で、演じる役者の一挙手
一投足から額に滲む汗、表情までが見えてしまう席か)もあるのかも知れませんが、本日の座席は
後方ながらもほぼ中央の位置で、舞台のセットが隈無く見渡せてお芝居の進行もより良く理解する
事ができました。そのためなのか、役者さん達ひとりひとりの表情がよくわからずとも、一昨日に
観た時よりも、もっと登場人物に感情移入してストーリーの中にも入り込む事ができたのです。

特に、主人公のメッシュを演じた岩崎くんにすごく感情移入してしまいました。クライマックスの
ミロンに抱きしめられながら号泣するシーンでは、(詳しくは昨日の日記を読んでね)一身に父親
の愛情を求めていたメッシュのどうしようもない切実な気持ちがこちらにもジンジンと伝わって来
て、思わずポロポロと涙がこぼれて来て自分でもとっても意外でした。と言うのも、一昨日は涙な
んてこぼれなかったのです。じんわりとまぶたの裏に滲みはしたものの、とうとうこぼれ落ちる事
なくまぶたの中でどうにか収まってしまったのです。何故でしょう。この感情の違いは一体何なの
でしょうか。自分で問い掛けても、自分で答える事ができません。
涙を拭きながら心の中で何度もつぶやいていたのは、「ただ、愛されたかっただけなんだよね。
ありのままの自分を受け入れて無条件で承認してくれる、父親の呼びかけと、温かい抱擁とキス、
自分を見守り続けてくれる眼差し、それが欲しかっただけなのにね」と、まるでメッシュの心情
を代弁しているつもりにでもなったような言葉だったのです。岩崎くんの泣き叫ぶ姿を目の当た
りにしている内に、自然とそう感じる事ができたのです。その内に自然と涙が溢れて来たのです。

岩崎くんのメッシュは、山本芳樹さんよりももっと素朴でより少年らしく目に映りました。
体格は山本さんの方が華奢で小柄なのですが、背高で体格も良い岩崎くんの方がいつも俯いて
猫背でまるで拗ねて手の付けられない子供のように見えて不思議でした。山本さんのメッシュに
ない雰囲気でした。山本さんには余りあどけなさがありませんでした。もっと大人に見えました。

それに、ミロンを演じた高根研一さん。一昨日すごく素敵に映って見えた曽世さんが一瞬霞んで
しまいそうなほど、とっても素敵でした。曽世さんはかなりデフォルメしてミロンを演じていま
したが、高根さんは割と抑え気味でより自然に演じていました。今までの高根さんが演じた役の
中ではミロン役が私は一番好きです。メッシュに向ける愛情もとてもわかりやすくこちらへ伝わ
って来ました。

ファーストシーンとラストシーンでは、メッシュが同じ台詞をつぶやくのですが、(内容はある
一日の過ごし方というか、ある日の出来事をスケッチするようになぞって行く他愛もない事柄に
ついてなんですが)ラストでのその言葉に、またまた涙腺が緩んでしまったのです。
虎舞竜の歌を真似るつもりはありませんが、「何でも無いような事に実は幸福があり、その積み
重ねが如何に大切であるか」を改めて感じて、それが全くなかったためにメッシュの心にはポッ
カリ穴が空いていて、すきま風が通るばかりでどんなに寒かっただろうと思うと涙がこぼれ始め
て大変でした。岩崎くんの傍らで、温かな眼差しをメッシュに向けるミロンの高根さんがこれま
た素敵で、ついつい涙が誘われてなかなか涙が止まらず困りました。(ついでに洟水も・・・)


でも、とっても心に残る舞台でした。

「メッシュ」観劇。

2005-06-24 | 心象舞台。
昨夜、Studio Lifeの新作公演「メッシュ」を観劇して参りました。会場は新宿御苑前駅から
すぐの、シアターサンモール。(丸の内線ね)
何度か足を運んでいる劇場でありますが、ここの小じんまりとした佇まいの、舞台と客席の
雰囲気がとても好きです。幕が開いていざお芝居が始まると、何とも言えない緊張感が舞台
と客席にじわじわ漂い出して、いつの間にか濃密な空気に包まれてしまうのです。

少女漫画界の巨匠、萩尾望都さんの原作である「メッシュ」についてはこの日記でも一度
内容に触れさせていただきましたが、原作に忠実に描かれた舞台になっていました。

父の愛に飢え、姿を見る事もない母の優しかった自分の呼ぶ声を夢にまで見て、自分を理解
し見守ってくれる居場所さえない主人公のメッシュ。怪我を負った彼を拾い、放っておけな
くて面倒を見てあげる年上のミロン。私は登場人物の中でこのミロンが一番好きなのですが、
その役を劇団の中で一番好きな曽世海児さんと言う役者さんが演じていて、配役の発表があ
った時からとっても嬉しくて、とっても楽しみにしていたのです。
もうそれこそ期待していた通りの、いいえ、期待していた以上のミロンになっていて、とて
も素敵でした。

フランスのパリが舞台設定になっているため、セットの雰囲気も裏街道を闊歩する顔利き
達や手下達の衣装も、ミロンが大雑把に用意する朝食のカフェオレやバゲットも、贋作を
生業とするミロンの出来損ないのアトリエにカンバスも、行った事もないくせにそこここ
にパリらしき匂いが醸し出されているように感じて、不思議な気分になりました。
ミロンの衣装も良かったの。貧しい暮らし振りを表現しているため粗末な感じに映るので
すが、組み合わせる色がとてもキレイで曽世さんに似合っていました。

主人公のメッシュを演じた山本芳樹さんも、父に向ける愛情と憎悪に苦悩する少年をごく
自然に演じていました。彼の心情に思いを馳せると、愛情を強く強く求める対象から全く
愛を得られないと、今度はそれが憎しみへと取って代わってしまうのですね。メッシュは
父親に殺意まで抱きます。そこを理解するのがとても難しかったです。私は憎しみを感じる
ようになるまで人を愛した事がありませんので。男にも女にもモテる中性的な魅力を持つ
メッシュですが、異性とキスさえ交わした事もなく(まぁその後はイロイロ経験する訳です)
オクテだった彼を暗黒街の輩達がアングラな世界へ引き摺り込んで痛めつける中にいながらも
父親に自分の本当の名前を呼びかけてもらい、駆け寄って行って父の首に手を回し抱きしめて
もらい、父の優しいキスを受けたいとミロンに泣きじゃくる姿がまるで赤ん坊のようで、
とても痛々しくて涙がこぼれそうでした。そんなメッシュの要求通りに実の父親に代わって
名前を呼びかけ、抱きしめてキスをしてあげるミロン。美しい場面でした。

明日は昨日とは違うキャストの「メッシュ」を観劇しに行きます。
また昨日とは違った雰囲気の舞台になるだろうと期待しつつ、
では、これからお仕事へ行って来ます。

思いがけず、お休み。

2005-06-22 | 日々の心象風景。
本日は仕事のはずだったのですが、母が久し振りに体調を
崩しまして。父も出掛ける用事があったため朝から大いに
悩みました。母を一人ぽっちにして良いものかと。

母は割と嘔吐しやすい体質で、数年前も夜中に突然ひどい
嘔吐が続き救急車を呼んでそのまま緊急入院をすると言う、
私としては思い出したくも無い体験があるため、今回もと
ても心配になりました。その当時に発見した方法だったのか
今となってはもう定かではありませんが、母が吐き気を訴え
始めると私はすぐに母の手の親指と人さし指の「股」を、
我慢できる程度の痛みが感じるようにギュッ、ギュッと押し
続けるのです。しばらく押し続けるとだんだん痛みを感じなく
なり、押している部分もだんだん柔らかくなってきます。
痛みを感じる間はそこに所謂「こり」があるからなのか、硬く
感じるのです。柔らかくなり始めると自然と吐き気も治まって
くるのです。(我が母にいたっては、この方法だと100%の確率
で吐き気は治まります)

今朝早くから吐き気を催したのでしょう、仕方がないので一度軽く
嘔吐してしまったようで、お手洗いの扉をバタバタとやっている
物音で私がようやく目を覚まし、真っ青な顔色で部屋に戻って来た
母を見て慌てて上記のマッサージを開始しました。両方の手の指の
股を押すのですが、不思議な事に必ずどちらか一方の指の股がすご
く硬く感じるのです。右手の時もあり左手の時もあり、より硬く感
じる方を集中的に指圧する訳です。その際、これも必ずと言っていい
のですが、もう一方の手の指の股はとっても柔らかくて押しても痛み
をほとんど感じないのですよ。なんでですかね・・・。

今朝は吐き気が治まるまでに、だいぶ時間がかかりまして。指圧を
続ける私の指も限界がきそうなほどでした。
手首に巻き付けて計る「簡単血圧計」の数値も、何度計っても芳しく
なくて、体温計を脇に挟ませたらなんと、34度9分だというのです!
吐き気はいくらか治まったけど気分は最悪だと言うし、倦怠感がひど
くて布団から起き上がれないと言うし、「お願いだから、今日はお前
も仕事を休んで」と、心細そうに母から訴えられた事もあって、
思いがけずに今日は私もお休みしてしまいました。

その後は二人で掛かり付けの先生の所へ行って診察を受けましたが、
私もそばに居りましたし先生にも看てもらって安心したのでしょう、
血圧も正常、体温も平熱、気分の悪さもほとんど無くなり、今朝の
様子とは比べ物にならないくらいに元気になって帰って来ました。

夕飯もがんがん気合い入れて作り始めるし、(買い物は病院の帰り
に済ませちゃう勢いだし。私は荷物持ちになってあげました)
おまけに夕食後はデザートまでたいらげる始末だし。やれやれ。
とりあえず、めでたし、めでたしで一日が終わりました。


今は、私のすぐそばで軽くイビキをかきながら気持ち良さそうに
眠っております。良かった、良かった。

誕生日。

2005-06-19 | 日々の心象風景。
いつからでしょう、誕生日を迎えてもわくわくしなく
なったのは・・・。

だんだんと「わくわく感」が衰退して行くのに合わせて、
「お誕生日おめでとう!」と、祝ってくれる人も周囲から
どんどん消滅して行きました。と言うか、私自身が、「もう
こっから先は誕生日など祝ってくれるなよ」バリアを自然と
この身の回りに張り巡らしているからなのかも知れません。

「マドンナのスーザンを探して」に主演していたキュートな
女優、ロザンナ・アークエットが監督した「デボラ・ウィンガー
を探して」(タイトルが似通っているなぁ)と言う映画の中で
どこかの女優がこぼしていた言葉・・・(名前を忘れた)、
「米国の女優たちが年齢を重ねると、やれしわ取りだ、やれ整形
だと走り回る姿には虫酸が走る」・・・。だからこの女優さんは
米国人ではなかったと思うのですが、様々な人種の女優さんたちが
「仕事と家事と育児の両立はできるのか」とか、「年齢を重ねると
すぐに現場で肩叩き(もうババアなんだからすっこんでろ、と言う
意味)に合うのは一体どういう訳か」等と言った女性なら誰しも
一度はぶつかるであろう非常に親しみやすいテーマについて、ざっく
ばらんに語りまくってる面白いドキュメンタリー映画なんです。
北欧などヨーロッパ地方では「エイジング」と言う言葉の通り、
「年齢を重ねる事は素敵な事。その年齢にならなければ滲み出ない
魅力を思う存分発揮すべき」との加齢に対する独特の意識があるら
しく、特に米国、そして言わずもがなの日本においては、その意識
とは正反対の「アンチ・エイジング」加齢に対する恐怖感、嫌悪感
がとっても強いらしいのです。

別に私は初対面の人から「お幾つですか?」と尋ねられても、
何の抵抗もなく自分の実年齢を発表できますよ。(ここでは内緒)
自分自身の好きになれない所もたくさんあるけれど、何とか折り合い
をつけてやって来ましたよ。のはずが、なんで誕生日を迎えても何も
感じないのか。ちよっと汚れてきちゃったのかな。

故人の淀川長治氏が「誕生日は自分にお祝いする日じゃないの。自分
のおっかさんに、産んでくれてありがとう、って感謝する日なの」と
仰っていたそうです。

これだ。私に足りないのはこの心だ。だから誕生日を迎えてもなんにも
感じないんだ。命がけで「私」を産んでくれた「母」があるからこそ、
今の「自分」があるのだと言う事。一年に一度くらいはそういう想いを
噛みしめるべきなのかも知れない。
だからこれから誕生日を迎える時は、その事を静かに噛みしめながらも
この先どんな事柄が自分を待ち受けているのか、どんな人との出会いが
待っているか、少しはわくわく感を持って楽しみに待つ事のできる自分
で居たいものだな、と思いました。

ちなみに私は6月生まれではありません。

児童虐待。

2005-06-16 | 心象書庫。
先日、インターネットで初めて新刊本を注文しまして、
本日セブンイレブンへ引取りに行って参りました。

大好きな明川哲也さんが初めて著した絵本です。
『ぼく、あいにきたよ』と言う作品です。



写真はその絵本の表紙を携帯電話のカメラで撮影した
ものですが、非常に画像が悪いため、表紙の絵の可愛さ
がイマイチ伝わりづらいと思います。ご勘弁の程を。
なにせ、デジタルカメラもプリンターも持ち合わせては
居りませんので、この表紙の悲しいほどのあいくるしさ
をご覧になりたいと思って下さった方は、是非書店で
ご購入下さい。

本題に入りますが、日記のタイトルが示すように絵本の
中に描かれているのは、「児童虐待」と言う許し難い現実
です。
「この本を世に出す事で、ひとりでもいいから子供の命が
救われれば」
そんな切実な願いを込めて、哲也さんは出版に踏み切った
そうです。もうこの本で商売に失敗しちゃってもいいや、
と言う覚悟を持っての事らしいです。

とにかく、すごい絵本です。
いろんな人に読んでほしいので、思い切って画像の悪い
表紙の写真まで載せてしまいました。文芸春秋社から
発売されています。

私は未だに独身で子供も居りませんが、そんな私の心にも
訴えかけてくる内容でした。まして現在子供のいらっしゃる
人がこの本を手に取ったら、きっと、傍らに居る自分の子供
を思わず胸に抱きしめてしまうだろうと思います。

それほど心に突き刺さる絵本です。
私はこの絵本を誰かにプレゼントしたくなりました。
そうやって、この絵本の素晴らしさを広めて行ければ
なと思っています。




明川哲也

最後の一人。

2005-06-16 | 日々の心象風景。
私の職場で、この7月には閉鎖される事が決定して
いるある部門があるのですが、(早い話がリストラ
と言う事です)早々に見切りを付けて次々と同僚が
退職して行く中を、ただ静かに彼らを見送りながら
も黙々と仕事を続け、辛い立場にありながらも笑顔
を絶やさず、つい最近までストレスの為か体調を崩
してしまいしばらくの間検査のため入院までしていた
「部門に残った最後の一人」であったYさんが、
とうとう本日付けで退職する事とあいなりました。

私もYさんも今の勤め先のオープニングから勤務をして
いたので、働く場も仕事の内容も全く違っていたとは
いえ、スタートラインが同じよしみで何かとお互いに
気にかける存在ではありました。彼女も映画鑑賞が趣味
で、よく映画の話で盛り上がりました。とってもスレンダー
な美人さんで、面と向っておしゃべりする時は、彼女の
顏にうっとりとさせられる事もしばしばありました。
気分にムラなど全くなく、いつも機嫌良く挨拶を交わし、
整理整頓好きで常にきちんとしている人でした。

本日付けで退職だと聞かされたのも正に「今日」でして、
それも本人からではなく、私と同じ部門の人から教えて
もらってやっと知ったと言う感じでした。本人は、でき
たら誰にも言わずに退職したかったらしいのですが、や
はり何も言わずに突然ばっくれるのも失礼な話だなと、
思い直してくれたようで最後に少しでも彼女と話ができ
て本当に良かったと思いました。何も知らずに辞められて
いたら・・・。考えただけで寂しくて涙が出そうになるよ。

「ごめんね、話すのが当日の今日になっちゃって・・・」
そう言った彼女の肩を、私は思わず力一杯突き飛ばしそう
になりました。「そうだよ、黙って行こうとしたくせに。
何でもっと早く言ってくれなかったの」
仏頂面で私が文句を言うと、彼女の瞳がみるみる内に
潤み出したので思わずこちらまでおろおろし始めて、
「やだ、やだ、冗談だよ、ごめん、ごめん」と謝ったら、
「そんな風に言われる事が何だか嬉しくて」と言われて、
彼女の涙がこっちにまで伝染ってきそうで困りました。
きっと本当は、辞めたくはなかったのだろうと察しました。
「ここの職場はみんな良い人ばっかりだったからさー」
寂しそうに笑いながらつぶやいた彼女の言葉が、今も耳の
奥に残っています。
あ~あ・・・、何とか引き止められなかったのかな。
辞めずに他の部門へ移動して、この職場で仕事を続けられな
かったのかな。まぁ、もともと無力なのはわかっちゃいるけど、
私は彼女にな~んにもしてあげられなかったんだなぁ。

スタートラインの同じだった人が、一人、また一人と辞めて
行きます。非常に寂しいです。

「ミリオン・ダラー・ベイビー」

2005-06-13 | 心象映画。
昨日、やっとやっと観に行く事ができました。
今年のアカデミー賞の、最優秀主演女優賞、最優秀
助演男優賞、監督賞、作品賞を獲得した作品です。
特に予備知識を詰め込んで行った訳ではありませんが、
どうも、女性ボクサーの物語らしい・・、と言う程度
の情報は得ていました。しかし、これほど凄まじい話
だとは思いませんでした。

ヒラリー・スワンク演じるマギーの、ボクシングに
懸ける一途さ。「自分のやり遂げられるものはこれしか
ない」と信じ切り、どこまでも突き進む強靱さ。
それはきっと、誰にも理解されない、誰にも受け入れて
もらえない(自分の家族にさえも)、そんな苛酷な境遇に
ずっと身を置いていたからこそボクシングをあそこまで
信じることができたのだろうと思いました。

それと、クリント・イーストウッド演じるフランキー。
「彼の指導を仰げば必ずタイトル戦のチャンピオンになれる」
マギーはほとんど直感でフランキーを信頼し(関係を築い
てからではなく、直感で信頼するところが凄い)、
フランキーの言われるがままにとことんボクシングに打ち込む
のです。実の娘とは長い間疎遠のまま、絆が修復できずにいる
フランキー。家族の中で唯一自分を理解してくれた亡き父を忘れ
ずにいるマギー。お互いに心の中で欠けているものを、お互いが
知らず知らずの内に補い合って行く過程が、ボクシングに打ち込
む事を通して丁寧に描かれて行きます。その二人を冷静でありな
がら、押し付けがましくない温かさを持って見守る、モーガン・
フリーマン演じるスクラップ。この物語は、二人を見守り続けた
彼の、感情を抑えた静かなナレーションで綴られるのです。

物語の顛末はここでは話せませんが、これはボクシングの物語では
なく、血縁やしがらみなどを超越した生身の人間同士の魂と魂の結
び付き、無条件の愛情が描かれています。
「男だから」「女だから」「娘だから」「父親だから」ではなく、
「この、ありのままの私を信じてくれるあなただから」こそ、
全ての虚飾をかなぐり捨てて、そばで「私」を見守っていてくれる
存在であるからこそ、フランキーとマギーはあそこまでお互いを
信頼できたのかも知れません。
「かけがえのない人」・・、その人と出会い、信頼し、見守ること
で、人は初めて何事かを成し遂げられるのかも知れませんね。

この映画に出会えたことを、心から感謝したいです。

「WATARIDORI」

2005-06-12 | 心象映画。
 おはようございます。
こんなに早い時間に日記を書くのは初めてです。
昨日はいつもの遅番日で、土曜日だった事もあり、
アルバイトさん達も平日よりも数多く仕事をしに
来てくれていたのですが、業務終了後に女の子達
から、ある一人の男子アルバイトくんに対する
猛烈な怒りのクレー厶が寄せられまして・・(汗)、
精神的にもものすごく疲労困憊して帰宅の途に着いた
ため、PCを開く元気も出ず早々に床に着いてしまった
のです。詳しい事情は書けませんが、感じた事がひとつ、
「女って、いくつになっても、やっぱり強い」
と、言う事です。昨日の彼女達の話を思い出したら、
な~んか、小面倒くさくなって参りました(溜め息)。
やれやれ。

 話がやっと本題に入ります。先日、BS2で放映された
「WATARIDORI」という映画をご覧になりましたか?
日本で公開された時、映画館の大スクリーンで観賞した
かったのですが、機会を逸して足を運べなかったのです。
ビデオに予約録画をしておいて、日付をまたいでから
見たのですがその日も何か心に引っ掛かる事があった為か
なかなか寝つけずに、真夜中にひっそりと観賞したのであります。

タイトルが示す通り、自らの生命と種の保存の為に、
鳥の種類によっては何万キロと言う気の遠くなりそうな
距離を、此の地からかの地へまた彼の地から此の地へと
渡っては同じ場所へ戻って来る「渡り鳥」の生態を、
ちょっぴり哀愁のあるやさしい音楽と共に大空を仲間と
一緒に飛び続ける渡り鳥の美しい姿が力強く描かれていて、
本当に感動しました。そのルートを渡る鳥でなければ決して
見る事のない自然の風景を、まるで自分も本当に飛んでいる
ような視点で下界を俯瞰して撮影されていて、これは一体
どうやって撮っているのだろうと不思議な感覚に陥るほどで
した。山脈の間を縫って渡る鳥、どこまでも続く砂漠を見下し
て渡る鳥、工場とビルが建ち並ぶ都会へ渡る鳥、大海原をただ
ひたすら渡り続ける鳥・・。いろんな種類の鳥たちの、体力の
限界を越えて命懸けで渡る姿を見せ続けられて、途中から彼ら
がまるで修行僧のように見えてきてしまって、生きる事の厳しさ
苦しさ、そして美しさを彼らから教えていただいた気持ちになり
ました。映画館で見られなかったことだけが悔やまれます(涙)。

絶対オススメです。未見の方、是非ご覧になって下さい。

ぶんりき。

2005-06-11 | 心象書庫。
本日、とっても懐かしい方からお電話を
いただきました。

その昔、彩図社と言う出版社から刊行されていた
「ぶんりき」と言う名の投稿誌に、文章を書く事が
好きだった私も恥を忍んで一生懸命したためた作品
を思い切って送ってみた事があるのです。
なんと、私の作品をその雑誌に載せていただいたの
ですが、作品の発表の場を提供する代りに、その為に
割く頁分の費用がかかると言うシステムになっていまして、
(なんに考えないでやるから、こう言う事になるのね)
「投稿誌に自分の書いた作品が掲載される」と言う
誘惑には敵わず、当時としては結構な金額を支払って
とうとう載せてもらっちゃったのですよ。

同じ頃、その雑誌に詩を投稿して掲載されていた女性が
私の書いた作品に対して丁寧で真摯な感想を寄せて下さり、
私も彼女の詩がとっても好きだったので思い切って
私の拙い物語を読んでくれてありがとうございます、との
お礼の手紙を送ったのです。
それから数年、互いに直接顏を会わさずにお手紙だけのやり
とりを続けていましたが、ある日ぱたりと手紙が届かずに
戻って来るようになり、それから今に至るまでずっと音信不通
のままで居た方から、今日久し振りにお電話をいただいた、と
言う訳なのです。(前置きが長くてごめんなさい)

とにかく、ただただ懐かしくて、ほんの短い時間でしたが、
楽しくて和やかなお話しをする事ができました。
「今も書いてますか」と聞かれ、(何故か顏を赤らめながら)
「いいえ、全然、書くとしたら日記とメールぐらいです」
と言う自分の答えの覇気の無さに気が遠くなりそうでした。
彼女は現在も、詩を書きつづけていらっしゃるそうです。
「あなたの書いた物語をまた是非読みたいんです。どうか、
書いて下さい」と真剣にお話しをされて、身が縮む思いが
しました。彼女はPCをお持ちでないので、新しくなった
住所(転居されていて、手紙が戻って来ていたのね)と電話
番号をうかがって、幸いにお互いの電話はファクス機能付き
なので、また手紙のやりとりを再開しましょうと約束を交わし
心の中に温かいものがじんわり残るのを噛みしめながら、
なごり惜しかったのですが受話器を置いたのでした。

彼女は現在、写真にも挑戦していらっしゃっていて、
それに詩を書き添えたものを作品として知り合いの
ギャラリーで展示をしたりしているそうです。
すごいなぁ。嬉しいなぁ。
詩を書き続けておられる事が、本当に嬉しい。
私は・・・。
私は一体、どこに流れ着こうとしているのだろう。