先日、知人と上野駅で待ち合わせ。時間よりも早く着いた・・・駅のショッピングセンター(のような所)の混みいってるトイレに立ち寄り、軽く迷子になり、案内板を見ていたら、「あゝ上野駅」の碑があることを発見!
ずいぶん前の歌だが、上野駅は東北・新潟方面の玄関口で、(新潟産の私は)この歌のことを知っている。もちろん当時は流行ったらしいので、私よりも年配のほとんどの方はご存じでしょう。
まだ時間もあるし、これは見に行かねば!・・・行ってみると、ガード下(のような所)だったので、ココなの?何で?もう少し目立つ場所でもいいでしょ?と思ったね。これまでだって上野駅には行っているけど、ココの前は駅前の割に通行が少ない所なのだ。ん~ちょっと不満!
(夕方なので暗くなった)写真のように、蒸気機関車や駅に降り立ち荷物を持ちながら歩く学生服姿の若者達が描かれたレリーフ板とその下には歌詞と歌の説明があった。これらの歌碑は2003年に建立されたものだった。
説明と学生服姿がひっかかり、家に帰ってからカチャッてみた。(特にコチラが参考になった。)
『あゝ上野駅』は、1964年に発表された。
当時、故郷を後にした集団就職者は、寂しさを癒やしてくれるこの歌を支持し共感を得た。また、全国的にも、いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えた楽曲だ。
当時は、交通網も情報も発達してはいなかった時代、地方に住む者にとっては「東京」はすべてが華やかでパラダイスのように思えていた。高度経済成長で、中卒者の求人倍率は4倍を超えたが、農村部・漁村部での就職口は少ない。兄弟は多い。若者は家計を助けるため(実家への仕送り)と、都会での暮らしを夢に、集団就職者=「金の卵」として上野駅に降り立った。
しかし、集団就職者にとって現実は「華やかさ」からはほど遠いものだった。『金の卵』と言われたが、これは雇用者側が使った言葉だ。勤め先の多くは中小零細企業。住み込みで過酷な労働+低賃金、でも真面目に働く田舎の子供。実際に金を生んでくれた…。
若者達にはどんなに辛くとも、働ける事が何よりも重要だ。同じ境遇の若者たちとの見えない連帯感と、自分一人ではないという安心感を心の奥底に秘めて頑張ったのだ。
滅多なことでは帰省などできない。故郷から汽車に乗って降り立った上野駅は、故郷につながる心の駅だ。
『あゝ上野駅』
詞:関口義明、曲:荒井英一
唄:井沢八郎(工藤夕貴の父)
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
就職列車に ゆられて着いた
遠いあの夜を 思いだす
上野は俺らの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり
ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は俺らの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある