シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

塞翁が馬

2008-02-18 | 豆知識的な…

数日前のこと。以前、同じ会社で働いたことのあるYMさんと、メールで近況のヤリトリをした。YMさんの文に「人間万事塞翁が馬」とのくだりがあった。
はて、国語の類が大嫌いだった私は「人間万事塞翁が馬」の意味するところを正確に把握していないことに気づいた(情けない)。なので、忘れないように調べて書いておこうと思った。

カチャカチャといくつか見た中で、この「人間」を「じんかん」と読むページがあった。知らなかった。「にんげん」の事ではなく、世間(せけん)という意味だそうだ。しかし、「にんげん」と呼んでいるページでも「人間万事」で「この世のすべて」とか「人間のあらゆること(災難と幸福)」との意味だとあるので、同じようなことなのでしょう。日本語的には「にんげん」と読んだほうが通りがよいだろうし、ウンチクを語るときには「じんかん」と読んだほうが…(語ることは無いな)。

「塞翁」というのは、言うまでもなく城塞(とりで)に住んでいる「翁=老人」という意味。
この言葉の出所は中国の古いお話(淮南子)で、簡単に書くと、馬が逃げた(禍)→でも良い馬を連れて戻ってきた(福)→でも息子が馬から落ちて骨折した(禍)→でも戦争に行かずに済んだ(福)。となる。(簡単過ぎ?)
そこで、全体の意味としては、「このお祖父ちゃんの馬は、福から禍へ、また禍から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」となるわけだな。

他にもいろいろ書いてある。例えば、
予測できないのだから、安易に喜んだり悲しむべきではないということ。
不幸な目にあっても、これで厄が落ちたと意識を前向きにすれば幸福はめぐってくる。
不幸を恐れて幸福になることを躊躇しない。幸福は幸福で足元を見失わないようにしないと。
ものごとは考え方ひとつで、どうにでも考えられるということ。そうであるなら、自分が生きやすいように考えることは大切なこと。

なるほどね~、今不幸だとか、不幸になるか?幸福になるか?分からない選択を迫られたとしても、先の事は分からないのだから、それよりも本人の考え方次第だと・・・と納得しつつ、最後にと別のサイトを見てみたら、

この話は禍福がただ転換することや、人生の偶然性を指しているように思われるが、『淮南子』の本意は《偶然と見えることも皆人間が自ら招くものだ》と言うところにあるらしい。それは〈人間訓〉の書き出しの一部に、「それ禍の来るや、人自らこれを生ず。福の来たるや、人自らこれを生ず。」とあるからである。とある。エーッ!何だよ~そういうオチか(オチじゃねぇよ)。何事も自分自身が招くものなのね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠くに

2008-02-17 | 日常のできごと

家で煙草をすうときに、換気扇の下よりベランダですう割合が高くなっている。今日は晴れているしそれほど寒くない。会社でも外階段が喫煙場所なので…慣れか?それに、家の中で吸うよりも外の方がおいしいような…(止めたらいいのに?そうそう)

レッドカーペットを見た後に、本日最後の1本を吸うためベランダへ。今日も?月でけっこう明るい。なんとなくイイ。月の右下の方にはオリオン座。「また、そこにおったん」と声でも掛けたくなる(会社の帰りにもいつも空を見あげているので)。

しばらく見ながら「この月とオリオン座(の位置)は、東京でも見ても、名古屋や大阪で見ても同じなんだな~」と「先週、車で移動しながら見た日本一高い富士山でも見え隠れするのに」「人が肉眼で見ることができる一番遠いものは星なんだよな~」「それが地球上(北半球)のどこからでも同じものが見えんだもんな~」。そんな、ささいな、あたりまえの事を考えていた……。

……最近、仕事のことであれやこれやあって…、そのせいかな…。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十日町小唄

2008-02-16 | 音楽と…

昨日、十日町(雪まつり)のことを日記に書きつつ、十日町といえば地元の民謡もあったな~と。盆踊りの時にも使われていた。♪越後名物数々あれど 明石ちぢみに雪の肌~んっ?この後なんだっけ?で、調べてみた。
(十日町や民謡に興味の無い方はここまでにしたほうが?ちょっと長くなったので)
(写真は旅館原田屋の古いページにあった。撮影・提供は大島氏。お借りしました)

「十日町小唄(以下「この唄」という)」は昭和4年、十日町織物のPRを目的として、永井白ビ、中山晋平のコンビに依頼して作られた歌とのこと。
「しゃぼん玉」など童謡でも知られる中山さんは、この唄の4年後に売り出された「東京音頭」の作曲もしている。中山さんは「この唄」のためにいくつか曲を書き、採用されなかった方の曲が東京音頭になったとの逸話もある。実際、出だしがちょっと似ている?作詞家の永井さんは…どなた?

日本の代表的新民謡として確固たる地位を占め広く多くの人々に親しまれています。と十日町観光協会のサイトでは紹介している。ちょっとオーバーだろうと思いつつ、詞を見ると…

『十日町小唄』

1.越後名物 かずかずあれど
 明石ちぢみに 雪の肌
 着たらはなせぬ味の良さ

 ※テモサッテモソジャナイカ
  テモソジャナイカ (これを以下繰り返す)

2)娘ざかりを なじょして暮らす
 雪に埋れて 幾仕事
 花の咲く間じゃ 小半年

3)窓にさらさら 粉雪の音
 聞いて眠れぬ 夜もすがら
 やるせないぞや 雪明かり

4)人が見たらば 横丁へよけて
 雪のトンネル 隠れ場所
 恋の抜け道 まわり道

・・・以下、18番まであるので略す

感想1:民謡なので何番かはあると思っていたが、18番って!そんなに長い唄だとは知らなかったのでビックリだ。(全て見たい時はコチラを参照)

感想2:地元・雪国の情緒を語っているとの認識をもっていたが、どうでしょう4番の詞は。よくよく読めば18番中4つ5つはこのような恋の唄だ。でも、考えてみればそういうものかもしれないな。私はこの4番の唄がいたく気に入った。(で、上のような写真も探してみた。)

感想3:何気なしに何度も何度も聞いていた「テモサッテモソジャナイカ テモソジャナイカ」ってなんだ?「ソジャナイカ」というのは「そうなんじゃないの」「そうでしょ」というような意味かな?「テモ」は辞書で検索すると《「さても」の音変化》とあり「さてもまあ。なんとまあ。」という意味だ。「サッテモ」も同じような意味だろうか?方言?

カチャカチャしていて十日町小唄の事を取り上げているのを見つけた。東北文庫というサイトで「東北見聞録 2 歩く・会う・語る・住む 黒田四郎 著」の立ち読みコーナーで紹介していた。 これによると、
作曲者・中山が囃子言葉の出来不出来によってその曲の生命が決まると強調し、あれこれと考えた結果「テモサッテモ ソジャナイカ テモ ソジャナイカ」が浮かび、これを囃子言葉と決定したそうだ。なるほどそうなのか「…で、意味は?」と思ったが、囃子言葉だからそこはそれほど突っ込むところではないのだ、と納得。
それに、十日町小唄は当初「サッテモ節」と名付けられ、十日町小唄は副題だったという。中山さんがそれだけ囃子を重視していたことの表れですね。その後、昭和30年代になってこの名が定着したようです。他にも…

この唄の生まれた昭和4年は民謡ブーム。織物の宣伝のために民謡をということで、織物の技術指導を受けていた松坂屋意匠研究担当者・永井豊太郎に相談した結果、永井が作詞することとなり永井白シ眉という号で作詞した。
当時売り出していた明石ちぢみのコマーシャルソングとして全国に先駆けて誕生した。この発表会には水谷八重子らも招き、町を挙げて盛大に行なわれ、宣伝も大いにされた。

昭和4年6月発行の中山晋平の編集により山野楽器店より楽譜として出版された『中山晋平新民謡第九集 越後十日町サッテモ節』の表紙は、竹久夢二による大正ロマンの薫り高い美人画。夢二は明石ちぢみのポスターも描いており、十日町小唄の普及に一役買っている。
昭和35年には『週刊サンケイ』誌で全国新民謡の第一位となった。

また、十日町市は津軽じょんがら節、八木節などの元唄となり日本民謡のルーツといわれる新保広大寺節のある町である。

作詞家のことも分った。協会の紹介文もあながちオーバーではなさそうだ。知らないことばかりだった。民謡に歴史あり。エライものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十日町雪まつり

2008-02-15 | 豆知識的な…

先日、札幌の雪まつりが終わりましたが、今日の夕方からは、新潟県の十日町市で(私の実家のやや近くで)雪まつりが行われる。

スケールとメジャーな都市名から「札幌雪まつり」をご存知な方は多いでしょうが、「十日町雪まつり」はどうなのかな?あまり知らないですよね、きっと。でも、歴史は同じです。両雪まつり共に昭和25年に始まりました。
さらに、同年ですが、十日町市の雪まつりは、札幌雪まつりの2週間前に開催しました。なので、十日町は雪まつり発祥の地と言われています。(現在は、札幌が2月の初め、十日町は2月の第3週末に開催しているようです。)

ギネスブックにも掲載された雪の建造物をバックに行われる 「雪上カーニバル」、芸術的な作品が立ち並ぶ 「雪像コンテスト」、訪れた人々の憩いの場となる 「おまつりひろば」などで楽しめます。詳しくはコチラをご参照。(一応PR)

十日町の雪まつりが何故開かれるようになったのか?
その昔、日本有数の豪雪地での冬の暮らしは(今よりも)とても辛く苦しい生活でした。でも、雪を敵として闘うだけでなく、雪を友とし雪を楽しもう…という発想から雪まつりは始まったようです。

確かに大変なのです。例えば道路。私が幼い頃でも(市街地ではなく、辺ぴな所なので)バスが通る道だけが除雪され、それ以外の道路は積雪+屋根の雪降ろしの雪が溜まり、その上を大人がカンジキで雪を踏みしめ歩道とするような状態でした。歩道の高さは1階の軒先よりも高かったように覚えています。
それでなくとも雪曇なのに、積もった雪で1階の部屋は暗くなり、昼間でも照明が必要です。「2階から出入りするんでしょ」とか言われますが、そういう家の造りにはなっていませんので、出入りは1階の玄関からです。ただ、玄関の前は急な雪の階段です。
ほとんどの家は農家で、一番の働き手であるお父さんが出稼ぎに行く家も多かったと思います。残された奥さん、お祖父ちゃんお婆ちゃん、子供達が総出で繰る日も繰る日も雪降ろしに雪かきと、雪との格闘です。辛いに決まっています。
それなのに、「雪を友とし雪を楽しもう」だって!「何を言ってんだ!自分の事で精一杯なのに、そんな事にまわす手も金も無ぇよ!」と、当初周りの方は思われたことでしょうね。
詳しくは分かりませんが、十日町は昭和30年代からの十数年間、きもの産業が盛んだったので、そういったところに支えられてきたのかもしれません。

雪まつりにも歴史あり。エライものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DREAM(ドリーム)

2008-02-14 | 格闘系

HERO'Sと旧PRIDE勢が合体し「DREAM(ドリーム)」となったようだ。
これまでHERO'Sと旧PRIDE、それぞれに参戦していた選手が一堂に会するのだから、様々な対戦も期待できるというものだ。盛り上げてほしいものだな。

さて、「ドリーム」と聞いて「ドリームチーム」を思い出したのは私だけではないでしょう。もう10年前?のコミック『1・2の三四郎 2』での五頭信が立ち上げた団体名だ。その後「東三四郎」以下、元『桜軍団』のレスラー達が入団し最強軍団になった。とても面白くためになるコミックだ。
このドリームチームを意識したのかどうかは知りませんが、一つの単語でしかない(つまらない)新イベントの名称「ドリーム」に愛着がもてるような感じがします(少し)。

コミックで、三四郎が赤城との異種格闘技?戦で、どちらかというと古臭いブレーンバスターで勝ったように、プロレス(技)の強さを見せてくれるような戦いもみたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洋菓子屋さん

2008-02-13 | 我が家のアレコレ

約一年前位まで・・・会社から少し早く帰れる時で、なお且つ年に何度かの事ではあったが…自宅近くの洋菓子屋さんから家に電話し「ケーキ買っていくけど食べる?何食べる?」そう聞いたときの、喜んでいる子供の声を聞くのが嬉しかった・・・。

ところが、昨年からその洋菓子屋さんで娘がアルバイトを始めた。学生なので夜の当番。店の最後までいる。すると、お土産でケーキやお菓子を持ってくるわけだ。なので、これ以降私はケーキを買ったことが無い。もう少しで一年になる・・・当初、ちょっとした楽しみが無くなったのはプチさみしかったが、それよりも娘がちゃんとバイトを続けていることの方が…もちろん嬉しい。

バイトは週に3日?毎回ではないにしても…そう思うと結構食べている私。
息子はイチゴ系と何とかが好きでないので、さすがに片寄ることがある。ちょっと前は「え~またぁ!」とか「どうせ…」とか言っていることがあった。ちょっと怒った。それが、先週?から店長が変わり、改装オープンとともにケーキの種類が変わったようで…昨夜、「歯磨いて寝な」と言ってもなかなか動かない息子。で、娘が帰ってきたと思ったら早速箱を開け「どれにしようかな~」と。この前までは何なんだとイヤミも出たさ。
とはいえ、そんな光景も嫌じゃない。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記

2008-02-12 | ネットやブログ

今日は上腕二等筋が痛い。筋肉痛ってやつだ。慣れない引越しの荷物持ちのおかげだ。といっても本当に大した事はしていないので情けなくなる。たぶん、建築設備関係の仕事をしている義弟はもちろん、素手でダンボールをバリバリ引き裂く義妹(といっても1才年上さん)はなんともないのだろうな。


さて、私が思うに、Web上の「ブログ」には2種類あるようだ。
一つは、ある分野・事柄のことについて専門的に紹介しているようなブログ。これはブログの形式ではあるが、一般のホームページとそれほど変わりないと思う。もう一つは、紙の日記代わりに書いているブログ(以下、区別する意味で「日記」という)。私が書いている日記もコレにあたりますな。

日記の場合は(日記なので)毎日書くことが基本でしょうが、なかなかそうもいかない。で、時々何日分かをまとめて書く場合があるのだが、まとめてアップするので、その日はタイトルが3つ4つあることになる。これは後から(捜して)見るときに分かりにくい。そもそも、日記帳であれば、3日前の事を書こうと思ったら3日前のページに、2日前に考えたことは2日前のページに記入するじゃ~ないのと。

なら、Web上の日記も同じように考えて良いはずだと思うようになった。だいたい当日のことを次の日に書くので、次の日を基準にしてみようと。で、土曜日の事を月曜日に書いて、日曜日の日付でアップしてみた。ん~やはりこの方が自然だ。これからはそうしようと思う(もちろん個人の日記なのでどうしようと勝手なのでしょうけどね)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義母の引越し

2008-02-11 | 我が家のアレコレ

嫁さんが子供の頃に住んでいた家は、もう何年も前に無くなった。子供達が嫁にあるいは独立したので、義父母二人は、裏にある(以前は義父の兄弟が住んでいた)小さい平屋の家に移って、元々の家等は更地にしてから貸し駐車場になった。そして、昨年から義母は一人暮らしになり・・・・・なんだかんだあって義母は住んでいる土地の一部を売り、別の所に家を買って住む予定となった。

ところが思いのほか早く(私の印象だけど)売却相手が見つかり、早々に家を出なければならなくなり、とりあえず仮住まい?ということで、義弟が住んでいる近くにワンルームを借りて、今日引っ越すことに。そこで、昨日と今日は、私と嫁さんは義母の引越しのお手伝いにいった。

朝行って、夕方帰るわけだが、昨日は荷物の整理と箱詰め。今日は引越し業者に荷物を渡し、引越し先での荷解きをした。
「早かった。」義母が一人暮らしになったとはいえ、荷物は以外に少なく作業は早くおわった。日光街道沿いで以前は桶屋を営み、近くには蓮田も有していたという。たぶん江戸時代には既にそこに住んでいたであろう。それから代々何人もの人が暮らしていた、にもかかわらず荷物は…と。

嫁さんに言わせると元々住んでいた家を壊すときに、ほとんど捨てたのだろうということだ。それはそうだ、使わない荷物はスペースも必要になる。スペースはただではない。不要にせざるをえない。私の実家も10数年前に、道路の拡張で近くに引っ越した時にモノをだいぶ少なくしたようだ(けっこう田舎なんだけどね)。

それにしても、永年住んだ家や敷地(の風景)、家族のモノ等が無くなるは寂しいことだ。
もう少ししたら、義父母が住んでいた家はもちろん、犬小屋(があった所)の屋根も、アリが長い行列をして目指した木も、ハンガーで作られたカラスの巣も、ねじり草が生える芝生もなくなる。少し、しんみりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Yくん

2008-02-10 | ご近所、周辺事象

土曜日の夜。雪がけっこう降っていたが、隣駅近くの居酒屋待ち合わせだったので、チャリで出かけた。道は凍ってないし、深夜にはあがるだろうとの予想もあってだ。でも、着いた時には、帽子の上に少し積もっていた。こんな雪の中、チャリで走ったのは初めてか?(ちなみに、帰る時にはもう止んでいた。)

さて、Iさん、Hさん、Mさんの3人と久しぶりに(1年ぶり?の方もいる)会った。
久しぶりだと、やはり近況などが話題になる。例えば子供のこと。以前は皆何度かキャンプに行ったりしていたので、それぞれの子供のことは良く知っている。なので、他の家の子供であっても、子供達の成長話は嬉しいものだ。

今回は、特にMさんの長男Yクンのこと。Yクンは小さな頃から生き物大好き少年。川やキャンプ場では「アレがいた。コレがいた。一緒に見に行こう。こんなの捕まえた。」と。中学に入り野球部。一昨年の夏キャンプに行ったときはボウズ頭で背が伸びていたのに驚いた。そして、今中3で高校の進学先が決まったという。4月からは高校生だ。

しかも、野球部なのだが「陸上がやりたい」ということ&陸上大会での成績が認められての奨学生(っていうのかな?)だという。エライものだ。なんだかんだいっても本人の努力の賜物なのだからね。(ご両親にとってはいろいろと考えることもあることでしょうけど。それはおいといて)今度会ったら「おめでとう」と言いたいものだ。これからも頑張ってほしいし、それを私は楽しみにしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供お出かけweek

2008-02-09 | 我が家のアレコレ

日曜日夕方、娘が大学のサークルでスキー合宿(旅行)に出かけた。雪が降っているときだったので車で駅まで送ってあげた。
水曜日早朝、息子はスキー林間に出かけた。板やクツもあるので車で送ってあげた。
その日の夕方?に娘は帰ってきた。で、昨日(金曜日)息子が帰ってきた。
重なりもせず互い違いに子供達は出かけたわけだ。

そんなわけで、昨日帰る時に「家族全員が顔を合わせるのは久しぶりだな~」と。プチしんみり思った…、でも、昨日も一昨日も私は飲んで遅くなったので、息子がいても顔を合わせることは無いわけだ。娘はアルバイトで私より遅かったし…。そういう意味ではいつもと同じじゃないかと。なんだよ~。

まぁ、子供達が無事に帰ってきたので良かったサ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする