シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

大ちゃん!それ悲しい歌じゃん

2006-08-21 | 格闘系

昨夜(今日深夜)、TBSで亀田大毅の試合をやっていた。
開始早々からプレッシャーをかけ、1RKO。
それから、歌2曲。
試合の後にリングで歌を歌うのは、昔の女子プロレス以来
見たことが無い気がする。(彼女達は持ち歌だけど)
歌謡ショーをすること自体の是非もあるようですな。

まぁ、それは少し置いといて・・・。
「ロード」って何で?悲しい歌でしょ。
私はこの歌が嫌いではないので、なおさら何で?と思う。
何か特別な理由でもあるのかな。

嫁さんが試合を見ながら「漫画と体つきが一緒なのね」
と言っていた。たぶん「はじめの一歩」を読んだことがあるので
(当家にコミックが直近まで全巻ある)そう言ったのでしょう。
でも、逆だよね。漫画が後。

ただ、漫画は強調して(デフォルメして)いるところもあるのに、
それでも似ているんだからな~。
嫁さんの感想もまんざらじゃないか。

さて、ボクシングのあとは日本テレビでプロレスリング・ノア。
秋山と丸藤のタイトルマッチの前哨戦で、タッグマッチでの対戦。
秋山は元々ヘビー級、丸藤はジュニアヘビー。9月9日に
チャンピオンの秋山に丸藤が挑戦する。

久しぶりに秋山を見たが、他の3人がジュニアヘビーの体格のため
秋山の太さというか厚さが目立った。と同時に秋山も昔は、
細かったな~と想いだしましたね。
今の秋山には、昔の強くて個性のある外国人レスラーと
戦わせてみたいですね。ちょっと興味あり。

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昨日は楽しかったな~!

2006-08-20 | ご近所、周辺事象

(我が家のことではないが)
昨日は、午後6時過ぎから、息子の同級生のお父さんと
ヤキトリを食べはじめ、場所を代えてあと2人のお父さんも
参加し、4人で次のカラオケへ・・・結局夜中の2時近くに帰った。

暑気払いとかいう飲む理由は何でもよいのだが、
ご近所のお父さん達と飲むのは本当に楽しい。
(ご近所といってもお隣さんということではなく、地域の…である)

数年前までは、お父さん達もママさんテニスに参加していたり、
キャンプも年に何回か行ったり、学校行事でも一緒になったり
と、ちょこちょこ飲む機会もあった。
最近は、そういう事が減ってきたので、ともすると忘年会で
「1年ぶりだね~元気?」とあいさつするお父さんもいる。
で、いつも私は楽しい。

気兼ねなく話せる、飲めるというのは本当に気持ちが良い。
皆、社会人を何十年もやっているから、いろんな意味でわきまえているので、気分の悪くなるような話は無い。
また、「家族ぐるみのお付き合い」という感じなので、
それこそ、変な事はできない(しないけどね)。

私は自分では人付き合いが上手くないと思っている。
たぶんそうだ。いや、絶対そうだと思われる。
(生来のわがまま小僧?)
ご近所の人とこうやってお付き合いできるのは、まず、嫁さんの
おかげである。そしてやさしいご近所さんのおかげである…
と思っている。

これからも、楽しいお酒が飲めますよう宜しくお願い申し上げます。

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飲んでる席でプロレスをおちょくる輩に

2006-08-18 | 格闘系

私の周りでも、プロレスの話をしていると
「ありゃ~八百長だろ。八百長がなんで面白いんだ」と
いう方がいる。
こういう人はプロレスを見ないのでなかなか扱いが難しい。

そんな時は、馳浩(ハセヒロシ)~代議士であり全日本プロレス
所属のレスラー。今年引退予定~の言っていることを参考にしましょう。

八百長論なんて今時振りかざして、知ったかぶりをしているご仁に、
たまにお会いする。頭からそう決めてかかっているので、
私は素直に次のように対応する。
Q:プロレスって八百長?
馳:違うよ! 
Q:だって、どうしてロープに走ったら戻ってくるの? 
  相手の技を受けるの? わざとらしい。
馳:わざとらしいかどうかは、そのレスラーの技量の問題。
  思い切り殴ったり蹴ったり殴られたり蹴られたりして、ケガをしない、
  させないのがプロレスなんだから。
Q:痛くないの?   
馳:痛い。
Q:手加減しないの? 
馳:加減はするが手加減はしない。
Q:どういうこと?
馳:急所を狙ってケガをさせないという加減は必要。
  殺し合いじゃないんだから。でも、鍛えられる所は思い切り
  殴ったり蹴ったりする。それでケガをするようじゃ、半人前。
Q:痛いのにどうしてよけない?
馳:それがプロレスだから。
Q:ケガしないの?
馳:する時もある。 …てな具合だ。

彼らは不思議がり、さりとてそれ以上反論せずにプロレスを
哲学するようである。
プロレスとは八百長なんかじゃない。「そういう格闘技なのだ」
ということだ。『そういう』というのは、プロレスの暗黙のルールだ。

「暗黙」だから分からない人には分からなくても良いや。
たまに腹も立つが大人の対応をしよう。そうしよう。

えっ何?「ありゃ~ショーだろ。ショーがなんで面白いんだ」って、
だから・・・。

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太陽系って12惑星なのか~?

2006-08-17 | 自然・環境とか

「太陽系の惑星が、これまでの9個から12個に増える可能性がでてきた。
チェコのプラハで開催中の国際天文学連合(IAU)総会で16日、
新たな惑星の定義の原案が示された。原案のまま承認されれば、
冥王星の発見(1930年)以来、76年ぶりに太陽系の全体像が
大きく書き換えられることになる」というニュース

身近と思っている太陽系でもまだまだ分からんことが
多いんだな~。
今日、前に書いた恐竜は古くて分からないが、
宇宙は広すぎて分からない。でも、宇宙もロマンですな。

中学校のころ、まだ星がよく見えた。天の川もあった。
近年天の川を見たのは数年前にキャンプに行ったとき。
キレイな星をみるのは、とても得をした気にもなる。
これ以上視力も悪くならないように(祈)

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恐竜って夢(ロマン)があるよね~

2006-08-17 | 四方山話…

雑誌に「恐竜VSほ乳類」の書籍が紹介されていた。
(NHK「恐竜」プロジェクト編/ダイヤモンド社)
先月、同じタイトルの特番をNHKやっていたので、
同じ内容なのでしょう。

~恐竜全盛時代にひっそりとネズミほどの小動物
(哺乳類の先祖)が暮らしていた。しかし、
隕石の衝突で恐竜は絶滅し、哺乳類は生き残る。
・・・そこまでの進化のドラマ~

未知の恐竜は化石の発掘→調査研究→化石の発掘→
調査研究→・・・の繰り返しから、徐々に解明されるようだ。
昔はゴジラのように直立して歩いていた恐竜が、
今は地面と水平に歩く。羽毛恐竜がいたこと。
恐竜から鳥に進化したことなど近年になってからじゃないかな。

この特番でビックリしたのは、ティラノサウルスの子供は
羽毛を身に付けており俊敏に動く。
この子供が獲物を親のところまで追い詰め、
待っていた親がガブッとするとのこと。

ティラノの手があまりにも小さく、狩りには使えないということから
諸説があるが、他の恐竜の食べ残しを食べていたという説よりいいな。

新しい発見から新しい説が生まれる。
皮膚の色や声も想像だけど、これからも楽しみであります。

ところで、このような進化や発見を、海洋堂という会社は
小さいフィギュアに忠実に再現していますね~。
まぁ、それはまた今度・・・。

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NHKでジャイアント馬場の特集やっていたんだ!

2006-08-16 | 格闘系

知らなかった。昨日たまたまチャンネルを回していたら、
NHK教育テレビ「知るを楽しむ」でジャイアント馬場さんの
特集をやっていた。

8月の毎週火曜日で全4回。昨日は2回目だった。
香山リカさんによる進行で今回のタイトルは「私の選ぶベストマッチ」。
対スタンハンセン、対天竜など節目節目の試合を紹介していた。

時間が限られているし、番組の主旨とちょっと違うのかもしれないが、
最強タッグリーグには触れてほしかったなぁ~。
フォッ、!フォークが腕に~!・・・」。
ブッチャー・シーク、ファンク兄弟、手に汗を握って見ていたものだ。

「馬場さんは、試合の中で自己を表現していた」と香山さんが話していた。
「王道」にもつながる話だった。詳しくは覚えていない(この頃すぐ忘れる)。
興味深い話だった。誰かご存知かな~。

前回、猪木さんの事をとりあげたが、ライバルの馬場さんは
本当に対照的だったな。
隣で珍しく、興味深そうに私の妻が見ていたが「香山リカさんて、
リカちゃん(人形)の本名と同じだね」。ソコかい!

今月もあと2回。忘れないようにしないと。

第1回 巨きいものが必要だった 8月8日放送/8月15日再放送
第2回 私の選ぶベストマッチ    8月15日放送/8月22日再放送
第3回 “儀式”としてのプロレス  8月22日放送/8月29日再放送
第4回 心も巨きな人でした      8月29日放送/9月5日再放送

ちなみに、来月も興味がそそられる内容です

円谷英二 特撮の神様
第1回 ゴジラは日本人である 9月5日放送/9月12日再放送
第2回 先生は「キング・コング」9月12日放送/9月19日再放送
第3回 ウルトラのおやじさん 9月19日放送/9月26日再放送
第4回 ここに特撮あり! ~唐沢俊一が選ぶ円谷特撮名場面
     9月26日放送/10月3日再放送

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まだ続く亀田問題!もういいよ猪木さん!

2006-08-16 | 格闘系

まだまだ、いろんな方面で話題になる亀田一家。
ついにアントニオ猪木さんまで出張ってきた。

以前も書いたことだが、試合結果・判定について
亀田は全く関係ない。未だに勘違いをしながら
体勢にのり亀田批判をする輩が多いのだろう。

また、亀田の躾のこともとやかく言わない。
見る人が判断すればよいだけのこと。
ウチの子供だって、私だって・・・人のことは言えないなぁ~

それに、プロなんだから視聴率は大事。だからパフォーマンスも大事。
団体競技じゃないんだから、自分でやるしかない。
逆に神の子KIDだって、オリンピックを目指してからは
大人しくなった。それも当然だ。

アントニオ猪木さんもこの件について述べている。
選手が悪いことをしたわけではない」と。

しかし、再戦しろとか、時間無制限だとか、今後の試合の
ことについては静観してほしい。
猪木さんが選手の頃、皆が「太陽に吠えろ」を見ていても、
「ワールドプロレス」を見ていた私にとって、
新日本プロレスの会長職になった頃からの猪木さんの介入?
には…ちょっと引く。

直前まで対戦が決まらなかったり、直前になって変わったり。
年末には準備期間の少ないレスラーが、
総合の試合に出ることになったり…。
今年になって大量の役職者が会社を離れているが、
その責任は猪木さんとは無関係ではないと思う。

いずれにしても、猪木さん!もういいんじゃない?表に出なくとも。

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NSPについて(2)

2006-08-15 | 音楽と…

前回お話ししましたが、私の青春には確かにNSPがおりました。
中学や高校の時は下手なくせに文化祭で弾き語りもしました。

田舎の友人Oさんの結婚式の二次会では、
私と友人Sさんで「さようなら」を歌ったことがあります。
誤解しないように補足すると、決して嫌がらせではありません。
Oさんからのリクエストです。皆フォーク好きなんです

2002年にNSPが復活したと聞いたときはうれしかった。
コンサートも満員で、昔からのファンが待望していたのが分かる。
昨年2月には19年ぶりのシングルもだした。

昨年7月4日(月)朝、ニュースが流れた。----NSPリーダー天野滋は、かねてより大腸癌にて療養中のところ、平成17年7月1日午後7時8分、脳内出血のため急逝した----と。52歳だった。

《以下は中村・平賀両氏のメッセージより一部抜粋したものです》

2004年2月上旬、病院の担当医に「早ければ6ヶ月、
長くても2年以内です」と宣告された天野が自分自身のために
選んだもの、それは治療よりもコンサート・ツアーだった。

昨年のコンサート・ツアー、本編最後に必ず歌う「さようなら」の前の挨拶では「これからはどれだけ生きるかというよりは、どう生きるかがテーマです」「皆さんも一日一日を大切に」と照れながら言っていたのを憶えているかな。

遠回しだったけど彼なりの言葉で各会場の皆さんにお別れのメッセージを送っていましたね。悔いのない人生などないと思っています。そんな中、天野は限られた時間を上手に使って楽しく厳しく生き抜いたなと思います。

命を削って完成させた19年振りの新作「Radio days」を筆頭にこの3年間で数多くの作品を残すことが出来ました。
戻りたい場所に戻り、戻したい縁(えにし)を戻し、満足したような笑顔であいつは逝きました。

会社でこのニュースを見ながら涙がにじんできたのを覚えている。
会社の社内報にも寄稿したものだ。
NSPが19歳の時に作った「あせ」という歌がある。

「あせ」
…そりゃ誰だって つらいことはたくさんあるけれど
この世に生まれた以上は 生きていかなくっちゃ
生意気だけど精一杯 生きてゆくのさ。
そうすれば きっと何かがあるはずさ

私は、平均寿命からすれば既に折り返している。
生きることは大変な事ですが、精一杯どう生きるのかを(時には)
考えていかないと…と思う。
ブログのタイトルとして勝手にNSPの歌を拝借し恐縮です。
「シャツのほころび涙のかけら」好きな言葉です。
想いが強く乱文となりましたことご了承ください。

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NSPについて(1)

2006-08-14 | 音楽と…

今回はブログタイトル及びコメントに取り上げている『NSP』について

NSP=「納豆、そら豆、ピーナッツ」が分かる方にはあえて紹介は不要ですが。岩手県一関高専卒の3人組(天野・中村・平賀)。叙情派フォークの代表格なのです。
1973年6月に「さようなら」でデビュー。

同年の第5回ポプコン大会においてセカンドシングル「あせ」で入賞。以降活動休止する1986年までにシングル28枚、アルバム21枚を発売。平成14年に16年ぶりに再結成。その後全国ツアーを実施し、平成17年2月に19年ぶりの新曲を発売。
フジテレビ系「僕らの音楽」に23年ぶりにテレビ出演しました…。

時代的には吉田拓郎・井上陽水・小椋佳などよりもさらに次の世代にあたります。同じ世代といったら、松山千春、オフコース、ユーミンでしょうか。

私の中学時代、世間以上に何故かフォークが大全盛でした。田舎なのに皆がギターを持って、誰に教わるでもなく、へたくそなギターを弾いていた。
拓郎・陽水、かぐや姫が主流だったと思う。

私もそのような歌を聴きながらも、特にNSPをよく聞いていた
(有名ではないが、とんぼちゃん・ふきのとう等も聞いていたなぁ)。
初めて買ったLPもNSPだった(初めて買ったシングルレコードは森昌子「先生」だけど)。

ヒットした「夕暮れ時はさびしそう」、名曲「さようなら」をはじめ、
「雨は似合わない」「赤い糸の伝説」「君と歩いてみたくて」
「八十八夜」「白い椅子の陰」「風の旋律」「面影橋」…大袈裟かも知れませんが、
想えばNSPは私の青春と共にありました。

 「17才の詩(うた)」
 勉強しなけりゃ いけないといわれ 
 茶店に入っては いけないと いわれ 
 タバコを 吸っては いけないといわれ 
 夜は早く 帰れと いわれた
 …人を愛し 想いをこめて
 全てを ささげたら
 こんな すてきな ことはなかった
 …うそをついて 悪口いって
 きらわれて しまえば 
 こんな気楽になるなんて知らなかった

 「歌は世につれ」
 情熱を注ぐのは何でもいいし 
 どれもこれもが1つの青春で
 僕もこうしてギターを持って 
 LOVE SONGを口ずさむ
 歌は世につれ人は誰でも 
 過ぎて行った昨日にすがりついてる
 いつでも いつでも

~なつかしいなぁ。叙情派フォークと今はそう呼ぶが、当時は普通にフォーク。当時、田舎の人なんだと共感し、純粋な詩に共感したもの。
全く変わらない曲調のせいか、時代に合わなくなった?もともとフォークはラジオとクチコミ。テレビとなると機会がなくなる。
私も二十歳の頃からはあまり聞かなくなった。
その後、メンバーの脱退もあり活動休止・・・(2)に続く。

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田舎(実家)に行ってきました

2006-08-13 | 家族・帰省・イベント

10日の夜から今日の朝まで実家に行ってきました。
実家が新潟県と車でも比較的近いこともあって、
毎年、年末年始、GW、夏休みと3回帰ります。

さて、今回は実質現地には2日間ですが、
何をしていたかといいますと、初日は海に行きました。
海までは40分くらいでしょうか。毎回、海に行くときは
サザエを採ります。

ところが、今回行った場所は全然いない。
いても、小さいものしかない。
じゃ、沖のほうの岩場に行こう・・・監視員さんに注意された。

結局持ち帰るものは何も無かった。
手の指と足の裏に岩で傷をつけたくらいだ。
まぁ、この日は夏休みの一日としては満足。

次の日、(全国的な)雷雨と突風。
でも、短時間で昼前にはあがり、多少日もさしてきた。
そこで、「○○に行こうよ?」と私。「行かない」と息子。
何度かやり取りをするも動かず。

実家は飲食店をしており、甥っ子が手伝いを終えてきてからは
ず~っとゲーム。もしくはコミックを読む。
私は数十メートル先の川へ釣りに行った。
そう、近年はこんなパターンが多い。

小さい時は子供や甥っ子・姪っ子を連れて、川でよく遊んだ。
せっかく自然が近くにいっぱいあるのだから・・・。
5歩くらい引いて、自然でなくても良い。
ここでしか見れないもの、ここでしか体験できないことがある。
もうっちょと家からでかけようよ・・・。と思う。

ちょっと愚痴。親のエゴ?でも・・・、でも・・・。
このまま子供が大きくなったら、実家に来たときにここで何をするの?
きっと行くこと自体つまらなくなりはしないだろうか。
親にとっての実家だが、子供にとっても実家(田舎)であってほしい。

話は変わりますが、新潟は朝晩涼しい。実家の標高は90Mくらい。
日中は30度をこしても、夜になると結構涼しい。夕涼みって感じの温度。
でも、窓を開けたまま寝ていたら朝5時ころ寒くて起きた。

今年は、地震や、大雪など自然災害が無いように・・・。

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