11月1日(日)、まだ残っている「我が家の水問題」をクリアするため、さいたま市岩槻区(旧岩槻市)にある某店へ行くことにした。めったに行かない方向なので、ついでに何処か散歩できないものかと事前にカチャってみると『元荒川緑地』という名前が目に留まった。元荒川に沿って緑地があるのだろう。
さて、当日用事を済ませ、地図を頼りに緑地に行ってみると、テニスコートの駐車場に行きついた。それではと別の道路を行くと門というかバリケードのようなものがあり入れないようになっていた。手前には駐車場があったものの釣り堀用?
ならばと、隣接(?)している岩槻文化公園の駐車場に止めることにした。
ここはスポーツ施設が充実しているようだ。陸上競技場と多目的広場には大勢の年配の方がいて驚く。どうやら大規模なゲートボール大会のよう。
屋内体育施設の建物があったので受付で緑地のことを聞いてみると、「ちょっと分からないんだけど」って、まさかの回答。
広げてくれた公園マップには記載が無い。「たぶん、こちらの方だと思うのですが」と南側の方であろうと伝えると、「そっちの方は、曙ブレーキさんのテストコースがあったところで・・・、何をされるのですか?」、エッ?テストコースって何!?と思いながらも、怪しい者ではないことを伝えねば、「さっ散歩です」。
トボトボ歩いていくと駐車場の先に柵があり、そこからアスファルトの道路が伸びていた。旧テストコースは緩い「く」の字の直線。左右は・・・緑地。どうやらココらしい。↓画は南側折り返しポイント近くから
※旧テストコースについて
Webサイトによる曙ブレーキ工業の社史によると
1967年(昭和42年)岩槻市元荒川沿いにテストコースが完成 (直線コース1,800m、幅8m)
1988年(昭和63年)福島県いわき市にテストコース完成
とあるので、今から27年~28年前までは使われていたのだろう。
なるほど~と思ったのは、普通の道路だったら放置しておくと、路面がうねったり、割れたり、剥がれて穴があいたり、さらに植物がはびこったりすると思うけど、さすがテストコース!造りが違うのでしょうな、四半世紀経ってもこの状態だ。
(ということは、原状回復も難しいのでしょう。だから、このままなのかな。)
緑地といっても、自然の保全をしている感じで、分け入ることは難しく散策向きではなかった。↓途中で見かけた大木とチョウ達。
長いコースを歩いて行き合ったのは、ランニングマン、大砲+三脚の鳥見屋さん、左手に長い手袋をした怪しいおっちゃんのたった3人。
鳥見屋さんには声をかけたけど、手袋のおっちゃんは雰囲気が人を避けている感じがしてあまり見ることもできなかった。
すれ違ってしばらくすると、後ろから笛のような音が聞こえた。ひょっとしてと振り向くのと、近くの林の中からバッサバッサと大きな鳥が飛んで行くのと同時だった。ビックリした。おっちゃんは鷹匠もしくは鷹を飼っている人だった。
鳥見屋さんが「川沿いも歩ける」と言っていたので、折り返しポイントから川に出る。
護岸が整備された、見晴らしの良い川だ。↓画の左側が緑地。
川沿いを上っていくと。護岸が凹になり、緑地側と行き来できる小道があった。その途中には放置された舟が2艘。その昔、舟運に使っていたのだろうか。
この辺りの川沿いで見慣れぬ植物を見ることができたので、別ブログで取り上げるとしよう。
公園駐車場に戻る途中、今や見る機会がかなり減少した電話ボックスを発見。
しかも屋根に動かない2羽の鳥がいる。これはサギ・・・じゃなくて鶴?タンチョウ?
ちょっとカチャってみたが、理由は分からない。何の意味があるのだろう。
この後、車に戻り散歩終了。
見知らぬ林や森の中の道を探検するという雰囲気ですね。わくわくします。
まさか、曙ブレーキさんの沿革まで調べることになるとは・・・。
人による古いものがあると、思いを馳せますね。