「日本の若者のポップシーンを作ったさきがけとなったのは、フォーク・クルセダーズであり、加藤和彦に間違いない。ギターが本当にうまい。指が長いので、俺たちが不可能な指が届いているから、やわらかく弾く。天才肌のセンスとテクニックをもった男・加藤和彦、永遠なれ」
・・・10月17日に亡くなった加藤和彦さんにあてた、吉田拓郎さんのメッセージ。
その昔、フォークをよく聞いていたが、周りの影響からか当初は拓郎・陽水・かぐや姫からだったと思う。そして少し遅れてNSPだった。
もちろんフォークルの存在は知っていたけど、私の中では「前の代」で終わっていた。その後のミカバンドは、ロックと認識していたので、フォーク小僧は興味を持たなかった。
だから当時は(拓郎さんのメッセージにあるような)加藤和彦さんがスゴイ方ということを知らなかったな~。「悲しくてやりきれない」も拓郎さんの曲だと思っていたくらい(拓郎さんがLPでカバーしていたので…)。
17日以降、ニュースなどで加藤和彦さんの功績(!?)を聞きながら、そんな当時のことを思い出していた。
ところで、加藤和彦さんは背が高いな~と。どれくらいあるのだろう?フォーク系のミュージシャンの中では、拓郎さんも大きいと感じていたけど・・・・・気になったのでカチャってた。
・加藤和彦(1947年)身長183㎝ やはり大きいです
・吉田拓郎(1946年)身長176cm もう少し大きいイメージがあるな~
他に大きい方は、
・井上陽水(1948年)身長178cm 拓郎さんより少し大きい
・山本コウタロー(1948年)身長178cm 最近見ないな~
故人では、
・河島英五(1952年)身長182cm この方も大きかった
・天野 滋(1953年)身長175cm NSPでは一番
加藤さんはダントツですね~。拓郎さんが歳を重ねてもカッコイイのは、身長がそれなりにあるからかな。イイな~私もあと10㎝あればな~ブツブツブツブツ。
YouTubeで探した、加藤さん作曲の3曲↓。
http://www.youtube.com/watch?v=w7__ydkHezo&feature=related
ザ・フォーク・クルセダーズの『青年は荒野をめざす(1968年)』、『悲しくてやりきれない(1968年)』、『家をつくるなら(1971年)』。
『家をつくるなら』ってCMソングでよく聞いた覚えがある。ナショナル住宅だったかな。この歌も加藤さんだったんだね。
『悲しくてやりきれない』は、「イムジン河」の次の曲。ちょっと感じが似ているのよね。作詞はサトウハチローさん。
♪白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか
沁みますね~。今の私には、特に・・・。
〝追記〟23:40、YouTubeで加藤和彦さんの曲を何曲も聞きました。
泉谷さん、坂崎さん、拓郎さん等との歌。そして、不思議な日を聞いて思いました。加藤さんと天野さんって、歌い方がちょっと似てるな~と。私だけかな。
ご冥福をお祈りいたします。
海外の流行をいち早くキャッチする名人だったようですね、加藤さんは。
合掌。
泉谷さんが「いつも、他人の先を行っていた」というようなことを言ってましたね~。
それにしても、あの身長にロンドンブーツを履いたら、そうとうデカッ!
私もどこかで、そういう話を聞いたことがあるのですが、
http://www.musicman-net.com/relay/71/a_2.html
によると、そうではなく、3時間缶詰して(実際は20~30分ぐらいで)新たに作られたようですね。
まぁ、真意はともかく、スゴイ才能なんですね~。
NSPで検索したら、この記事にたどり着いてしまって、つい書かせていただきました。
サディスティック・ミカバンド大好きでした。
加藤和彦は天才だと・・・。とにかく黒船のコンセプトアルバム(古っ)に当時、脳天かち割られました。
天才ゆえにナイーブだったのでしょうね。北山修が主治医でなかったことを後悔していた記事があったのが、より悲しみを感じられましたね。
あ、NSPから外れてしまった(汗)
また、お寄りします^^
(年代的なこともあるかもしれませんが、田舎では情報が・・・)
黒船も分かりません。残念です~。
天才で器用で高身長で・・・全盛時が今だったら
スゴイことになっていたでしょうね。