シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

腹を割って話す

2008-09-08 | 豆知識的な…

先日まで読んでいた文庫本「やみとり屋」(多田容子、講談社文庫)は面白く深かった。その中で…
江戸、五代将軍綱吉の時代。主人公は、“言部流舌法”の5代目を継ぎかけた者であるという設定で、文中にはしばしば話術のことに触れている。んで、気に留めたところがいくつかあった。

例えば、『腹を割って話すということは独りではできない。互いに割る。聞くだけの者も、胸を奥を開いて受け取る。「よく考えながら聞け」「構えて忘れるでない」などと厳命した場合、聞いた言葉そのものを何とか覚える者はあっても、その内容が血肉となることも、腑に落ちることも見込めない。』とある。
そうそう、真面目そうな顔で話しても、命令調であれば???「腹を割って」と口でいう方に限って、腹を割って話していない。そんな気がします。

『文書には「行間」というものがあり、話には「言外の意味」があるという。これに対し某話術(文中では“言部流”)の教えでは、「言裏(げんり)の聞き取り」ということを大事とする。つまり、言っていないことを聞くのではなく、話そのものを、表裏ともども丸ごと呑み込めということだ。
「言裏」について考え込んだり、努めて聞き取ろうとすれば、それは己の勝手な解釈に終わる。もっと素直に、楽に聞くべきなのだ。』
と。

社会人を長くやっている私としては、時々の上司の話を聞く中で、「そうも言えない」とも「まったくだ!」とも言えるケースはあったが、ここ数々年は後者の方が多いな。あ~でもない、こ~でもないと勝手に考えても、それは多くの場合、ポジティブにはならない。何も生まれない場合が多い。何でそんなふうに捉えるの?と思うこともある。素直に話を聞くのではなく、話の裏を一生懸命捜して文句をいうような方は何人もいたな。

続けて小説ではこう言っている、『楽に聞かせるには、話が面白くなければならない。面白さの究極が、笑いだ。腹の底から笑う時、人の心は開いている。そこへ投げかけた言葉は、必ず、好意的な感覚とともに腹の奥へ収まるものだ。』と。なるほど!とは思うのだが、ふりかえると社会人生活では、「こういう時は真面目に話さなければならない」という場面が多すぎるなぁ~と思う。だから、言葉が足りない、面白くない、ストレート、になるのかも知れない。
とはいえ、キチンとした話をすることが大の苦手としている私なので、このように話そう!とは思わない(出来ない)。せめて、聞く立場の時は素直に聞きたいと思う。

ちなみに、作者は自身のことを「よくしゃべる私は、議論や討論を好んだ頃もあった…」それから話術を研究するようになり、コミュニケーションに拘るようになった。そして、お笑いを師匠としている。(ダウンタウン等のお笑いは、ほとんど神業といえるほど高度なのだそうだ。)この江戸が舞台の時代小説なのに、主人公の2人が関西弁なのは…そのせいのようだ。
最後に、「全般にわたり、ダウンタウンの番組、ビデオ作品、及び松本人志氏の著作を参考にさせていただきました。」とある。ここまで読んで、私もな~るほどと思ったね。やはり会話が・・・。

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