2月16日の朝出発し、前回とりあげた東吾妻町の湧水とキャンプ場を見た後、伊香保温泉に向かった。
事前にランチをする候補店をWebで探していたので、とりあえず行ってみる。石段に近い「茶屋 たまき」は、窓側であれば眺めが良さそうだが・・・。
残念ながら窓側は先客で埋まっていた。ここでは軽めにしようと、私は磯辺焼きのセット、妻はお汁粉のセットをいただく。店内に置かれていた和食器や調度品に落ち着く。奥の和室は使用禁止だったが、炉が切られていた。
伊香保温泉といえば“石段”がシンボルになっている。その石段の上り口が近いので少しだけ登ってみる。
振り向くと、眺めは良く遠くには雪山が望めた、レトロな街頭は灯れば風情がありそう。脇に木製の門があったので入ってみる。
伊香保関所(伊香保口留番所)は、間口5間奥行3間の約15坪の萱葺屋根の建物で周囲に木柵があり、東西に門扉があったという。
石段から少し入った広場に、大きな絵が2つ。これはTVで観た。プレバトのスプレーアートで、千原ジュニアと佐藤詩織の作品。
次の目的地は、365段の石段を登り、その先になるのだが、都合により車で行くことにする。
河鹿橋駐車場に車をとめ「河鹿橋」を渡る。周辺はモミジがあり、紅葉の観光スポットになっているようだ。
その先に「伊香保温泉飲泉所」がある。ここで伊香保温泉の温泉水を飲むことができる。せっかくなので一口飲んでみる。けっして美味しいものではなかったが、源泉を楽しめる施設ということでは貴重であろう。
緩い坂道を進むと「伊香保露天風呂」がある。当日は浴槽の改修工事のため臨時休業だった。
その隣に、「若き日の ベルツ博士」の胸像が建てられていた。石碑の説明によると~ベルツ博士は日本温泉医学の父であり、明治初期(1870年代)数多い日本の温泉のなかで博士に第一番に系統的指導を受けたのが伊香保温泉であり、この時の指導内容が日本鉱泉論として発表され日本温泉医学の原典になっている~伊香保温泉にとって大恩人ということだ。
その隣に「源泉噴出口」がある。噴出する様子をドーム型のガラス越しに眺められる。屋根も掛けられ整備されている。掲示によると、昭和34年完成、温度45.7度、毎分湧出量は約1,443㍑、泉質は硫酸塩泉。
その奥には「ラドン発見の碑」が建てられている。碑文によると~明治42年夏、日本で初めてラドン(ラジウムエマナチオン)が伊香保で発見された~という。ベルツ博士の指導といい、伊香保には温泉初めて物語がある。
まだチェックインには早いけど、雪が残るくらいで寒いし、落ち着きたかったので、宿泊するホテルに向かうことにした。
伊香保神社の脇を通り、石段を通過していくのだが、途中までの道路がとても狭い。一方通行ではないのだが、ほぼ1台の車と人が歩ける幅しかない。坂に造られた街なので仕方がないけど、車幅の大きい車は石段街を通るルートを検討した方が良さそうだ。
14:00過ぎにホテルに着く。スマホにダウンロードしたワクチン接種証明を探すのに手間取りながら提示したり、電子クーポンの発行と説明を聞いたり。部屋の準備ができるまで少し待つように言われたが、ロビーのソファに座って間もなく準備ができたと呼ばれた。部屋に入ったのは14:30頃か。
15:00に大浴場へ。ここの大浴場は床が全面畳敷きになっていて、冷たくないし滑らないのが嬉しい。大きな桶型の露天風呂も畳敷きだった。
大浴場近くのコミックコーナーは、部屋への持ち込みもOKということで、数冊選んで部屋に戻る。夕食まで、横になりコミック見ながらまったりと。
18:30~20:30頃まで夕食。1時間飲み放題がセルフで、最初の一杯のビールをつごうと思ったら、間違えてハイボールでがっかり。食事は多めだけど残さず食べお腹いっぱい。なので、それほど飲んでない。
21:00からの貸切風呂は8~10名でも可能なくらいの広さでゆったり。ただ冬期で風除けのためかヨシズで覆われていたので、開放感がイマイチ。
コミックは、床屋で読みかけの「宇宙兄弟」で、就寝までに5冊読んだ。何でホテルにきてまでと自問自答もするが、気になっているのがあるんだからしょうがないし、有意義な時間であることは間違いない。
(公になるブログで、こんなことまで書かなくとも。と思いつつ、備忘録として記録しておこうと書いている・・・。つづく。)