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荒波人生 昭和21年 調布での生き様

2019年12月09日 09時31分53秒 | 短編

調布での荒っぽい仕事にも慣れ、良心を少しずつ失いはじめていた

 

再婚した母の相手の義父に反発して小学校卒業と同時に住み込みで

就職、その後、会社が倒産して失業した15~6歳頃は一番心が

荒んだ時期で、砂町の不良グループに入り浸って喧嘩に明け暮れた

負の実績をもった父だった、逆境に入ると裏返ったファイトが湧き上がる

誰かに咎められれば咎められるほど裏返しになる心

小学生の時から貧しい故にいじめ抜かれてきた人生だった、誰のせいに

することもできず、幼心ながら我慢を覚え、それは勝手な大人や

虐げてきた同級生などへの復讐心となって心の奥にたまり

笑うことを忘れてしまったのだ、それを小学生で極めてしまった。

 

ようやく落ち着いたのに、戦争で両親も家も一番信頼していたセイ叔母さん、

姉のように慕っていた珠子さんも失い、何の目的も、自分を愛してくれる人も

無くなって半分は自暴自棄になっている21歳の父だった

こんな仕事だから同業ともめることもしばしばあったが、そんな体験が

重なって元来の負けず嫌いに輪をかけ気持ちを曲げない頑固さも

身についてきた

子供の頃は小さくて胃弱のやせっぽちだったが、成人した頃には

同年代の平均身長163cmになっていた、胃弱も軍隊に入ってから

御飯一口を三十回噛めと言われて実行するうちに、すっかり治って

健康になり人並みの体格になった

 

年が明けて昭和21年になり、それも瞬く間に7月になった

父は日野の仕事に疑問を持って聞いてみた

「農家に農機具を売ったとき現金でもらった方が仕事が早いんじゃ

ないですか? 米もいいけれど没収の危険をおかさなくてすむんじゃ」

日野は「ふふ~ん」と鼻で笑って

「そりゃ並みの人間の考えさ、仕事ってのは面倒になるほど儲けが

でかいのさ、同業の奴らのほとんどが現金をもらって喜んでやがる

もう一押し、もう一工夫するから人より稼げる、危険があるから成功すれば

儲けもでかい、農機具売って十円もらって、それで五円の仕入する

それより米をもらって、それを三十円に売れば・・・簡単な話しさ

五円の機械を三台一度に仕入れれば、次は米を三倍四倍もらって、

百円、百五十円の稼ぎになるだろ、世の中は金をいっぱい持っている奴が

娑婆を大手を振って歩けるのさ、誰だって金の力にはひれ伏す

金が無いのは魂の無いのと同じだ、稼げ!人と同じ事をしていて稼げるものか」

わかったようなわからないような、丸め込まれた気もするが、実際、他の

同業より羽振りはいいから、ある程度事実なのだろう、分け前も悪くはない

ちょっと懐が豊かになったことで父は大事なことを思い出した

それは長野の伯母さん(義父の姉)の二女との許嫁(いいなづけ)を解消する

ことだった、両親が居ない、家も無い今では何の意味も成さなくなったからだ

当然先方も、そんなことすら覚えていないだろう、しかし父はそういった事にも

きっちりと白黒つけたい性分なのだ、曖昧が一番嫌いだ、何よりも後回しが

嫌いなのだ

日野に一週間ほど休むと言って、信越線の汽車に乗り長野市に向かった

伯母は義父の姉だが先妻の娘だった、そのために継母を嫌って早くに家を出て

亡くなった実母の実家を頼って長野へ行ったのだった

当時は義父の一家は代々日本橋に居宅を構えていて、それなりに由緒ある

家柄だったから、長野へ行った伯母さんが善光寺ゆかりの僧侶に嫁ぐのに少しも

臆することは無かった

井川家の家運が傾いたのは大正12年9月1日の関東大震災で家が焼けて

しまってからだった、それ以前に伯母は長野に嫁いでいて子も数人もうけていた

善光寺の門前で宿坊を僧侶でもある夫は営んでいた、その父親も善光寺の僧侶で

そうとうに高い位に就いていた、墓地も善光寺の境内にあって一度だけ義父に

連れられて行ったとき、お参りした事がある

許嫁は小学校の教員をしていたが今はどうしているか知らない

初夏の東京は蒸し暑いが長野は涼しい、湿気が全然違う、ひんやりとした空気が

気持ちいい

だが盆地である長野市は周囲三百六十度、全てが山である、それが気に入らない

生まれ故郷の古河は茨城県とはいえ、もっとも内陸にあって、そこは関東平野の

ど真ん中なのだ、日本一広い関東平野は渡良瀬川の遊水池の土手に上ってみると

周囲三百六十度全てが緑の平野で果てしなく広い、山といえば遥か遠く上越県境と

上州の、のこぎりのように尖った山並みがうっすら見えるだけだ

だから信州は息苦しいほど狭く思えた(ここには住めないな)

そして伯母さんの立派な家にたどり着いて、許嫁解消の許可を求めたが

伯母さんは父の境遇に同情してくれて「少しも気にしてないよ」と

あっさり認めてくれた

だが父は心の中で(厄介払いができてホッとしてるんだろう)と曲げて

解釈していた、そしてそろそろ帰ろうかと思ったとき伯母さんが言った

「かずさん、あなたに一つお願いがあるんだけど、聞いてもらえますかね?」

「・・・・・・・」それは思ってもみなかった(まさか)のお願いだった

 

 

 

 

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