父が遺していった本が数十冊ある
一番多いのは定期購読していた文藝春秋で、次いで大東亜及び太平洋戦争に関する本
流行作家の小説は全くと言って良いほど読まなかった
あとは歴史小説くらいだ
そんな中に「仏教入門」という本があった、年老いてからは読経のカセットテープを買ったり
こうした仏教関係の本もいくらか読んでいたようだ
昭和20年3月10日の東京大空襲から3日後に父は、大被害を被った城東区亀戸へ軍部隊の
特別休暇をもらって調布から向かったのだ
自宅がある福神橋周辺もすべて焼け焦げていた、両親の姿は見当たらず、探しまわったが埒もない
たまたま隣家の住人に出会って消息を訪ねたが「亀戸駅方面に行ったのをみたが、あっちへ行った人は
たいがいやられちまったようだ」という
それでも錦糸町公園まで行ってみたら、焼け焦げた遺体が山積みになっていて、とても探し出せるような
状況ではなかったのだ
救護所なども訪ねたがまったく手がかりもなく、叔母さんが住む浅草象潟町へ行った
浅草寺の裏手にあたるこの地域も仲見世共々消失して、散さんたる有様で、焼け落ちた叔母さんの家の
前には立て板に「住人行方知れず」の文字があったという
多分、叔母さんの夫が書いたものなのだろう、なぜだか一緒には暮らしていなかったらしい
誰だかが「浅草寺へ行ってみてご覧よ」と言ったので、境内目指して行ってみた、浅草神社は焼け残っていた
だが浅草寺もまた散々な被害を被っていた
そんな中、境内には「ご本尊無事」の文字があった、それを見た瞬間、父の心は怒りに変わったという
境内に山のように積み上げられている遺体・・・その中には両親もいるのでは無いだろうか
今はそんな理不尽に殺された人々の霊を慰めることが坊主の勤めでは無いか
それなのにわが家の無事を喜んでいるとは・・・・
この日から神も仏も信じるものか」というかたくなな心になったのだ
それが寄る年波には勝てず、仏壇の前で読経し合掌する、仏教の本を読む
私も今日から、その「仏教入門」を読み始めた、父とは違う動機だ
仏教には興味がある、お寺巡りとは違う意味の興味・・・・・・仏教のなんぞやを知りたい
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