ホッとしたい時間! *** yottin blog ***

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数字の面白さ

2018年01月07日 08時07分59秒 | 発見

小学校4年生から珠算教室に通った、高校でも珠算部に入っていたが先輩が気に入らなくて

一ヶ月でやめて(一度も部には顔を出さなかった)山岳部に入った

魚屋という商売を12年ほどやった関係もあって、販売金額の簡単な暗算には自信がある

それはコツもあって、4と0.25は同類、2と0.5も同類、8は1.25  9は10-1あるいは10の0.9

こういう風に捕らえていると、割と簡単に数字が解ける。

1の位だけ足していって、次に10の位を足して、最期に両方を足すと簡単に足し算ができる

45をかけるなら、50かけて10%引いた方が簡単だし、0.25かけるなら4で割っても結果は同じ

 

こんな発見が今でも続いているけど、数字で一番最初に発見したのは鮮明に覚えている

小学校で九九を習って、一生懸命覚えていたときのことだった

9×1=09

9×2=18

9×3=27

9×4=36

9×5=45

9×6=54

9×7=63

9×8=72

9×9=81

1の位を一つずつ食べて10の位が一つずつ太っていく、これを発見したときの驚き

都会の優秀な先生がいる学校なら、こんな事は普通に教えてくれるかもしれないが、田舎には

そんな風流な先生はいない、だから教えてもらった記憶は無い

自分で法則を見つけた気分、大発見の気分だった

先生に「九九のどの段でもいいから言える人」と言われて手を上げて9の段を言って褒められた記憶

人前で褒められることの快感を知ったのだった

この時は、九九を完全に覚えていたのでは無く、この一つずつ片方は0から増え、片方は9から一つずつ減っていく

それを頭の中で描きながら順に言っただけだった

その当たり前の事が不思議に思えた

しかも81=8+1=9   72=7+2=9    54=5+4=9とどれも分解して足すと9になることも不思議

勿論数学的には当たり前の事なんだろうが、子供心には不思議な現象だった

まあ8の段でも1の位は2つずつ減っていくが始まりが8だし、10の位は4がダブル、やはり9の段はミステリーだ

今朝のテレビで面白い数学の講義を見たので思い出した次第です

その中で、あっという間に750品目の全商品の価格を覚えた学生アルバイトの話しをしていた

「何を売っている店でしょうか?」というのが講師の質問

講師は多分大学教授かと思いますが、教授ギャグですね「100円ショップです」だって・・・・・・・・・!

 

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青春よみがえる、50年前のノートが

2017年12月18日 08時57分26秒 | 発見

高校時代と結婚1年前のノート5冊が出てきた

詩集と創作、いかにも高校生らしい生意気盛りの素直で幼稚な・・・・・でも純粋

  

  

女子だけの部活「文芸部」に唯一人の男子として非公式に潜り込み、彼女たちの同人誌を借りだして部長宛にノート30ページ

びっしり綴った書評を

それに対して彼女(文芸部長)からも10ページの返信が来た

まさに青春の交換日記???

私が書いたイラスト入り創作、万年筆書きだろう

  

 

これは若くして亡くなった片山正子さんの遺稿集「正子絶唱」より         

写した詩

東京でつきあった彼女への・・・ (左)   その後、女房殿と交際 ・・・結婚前に書いたもの、今を予言したかのような詩

これは親友(今は故人になってしまった)の彼女宛に交際中の女房殿のことを書いた

  

悩める青春のバイブル「愛の無情について」亀井勝一郎より             小説のまねごと

  

 

 

この年齢になったからこそ、恥も外聞も捨てて懐かしい発見を世界中に公開できる。

良い時代になった。 

           

    

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死んでも払い続ける税金

2017年10月16日 19時27分45秒 | 発見

ようやく母の49日法要が終わり、これから母の預金などの整理が始まる

一応、預金は銀行でホールドされ出し入れがままならない

いままで口座引き落としだった母の固定資産税は名義変更するまで

払い続ける必要があるのだ

当然と言えば当然だが、その間、家族が引き受けることになる

未だに母は税金支払者として市役所帳簿の中で生きている

死んでも税金を徴収されるとは知らなかった

「あなたの口座から引き落としできるようにしますか」と言われたが

誰が引き受けるかわからないのに、2~3ヶ月の為に面倒な手続きをするのも

嫌だから、毎月払い込みますからと言って用紙をもらった

だが今月はまだ払っていない、2~3000円の税金だが、しかも自宅から200mの

市役所がなぜか遠い

いつまでもこんな事をしていられないし、自分でするには面倒すぎるので

同級生の司法書士女史に手続き一切を任せてきた

税金を払うほどの相続でもないし、手続きの暇で時間を潰すより、仕事をした方が

はるかに得というものだ

それにしても知らないことが多すぎる

今月から年金から住民税だか所得税だかが引き落とされている、年金事務所から通知が来て

市からの要請で年金から住民税?を引き落とすことになりましたと書いてあり、そのとおり

減額された年金の入金になっているが7%程、手取りが減った

しかし市からも市民税県民税の決定通知が来ている、年金の引き落とし額と市の額は

合わないし、何がどうなっているのかまったく???だ

なぜ急に年金からの引き落としになったんだろう?それも謎

いったい何種類の税金を払っているのか考えたことも無かったが、ちょっと考えてみた

消費税、市の固定資産税、都市計画税、市民税県民税、自動車税、印紙税、早死にすれば

没収される年金基金も税金みたいなものだし、介護保険料、まだ何かあったっけ?

もしかしたら給与所得と年金所得の税金が別々に引き落とされているのかな?

所得税は給料から天引きされている

父に話したら「おれたちは税金を払うために働いているのだから、つべこべ言わず払え!」

と叱られた、なるほどそういうものなのか・・・・また何かを発見した

 

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日本も狭くなったもんだ

2017年09月02日 09時07分40秒 | 発見

北海道の女性グループが宿泊している

随分と遠いところからやってきたもんだ

ふつうわれわれ田舎者の考えでは電車で大宮まで行き

そこから東北線に乗り換えて青森まで行き、青函連絡船で北海道に渡る

多分15時間以上の行程じゃ無いだろうか

カーフェリーで日本海を行くという方法もある、これは苫小牧に入港するんじゃ無いだろうか

これは30時間くらいかかりそう(調べてないから正確ではない)

今は新幹線があるから、遥かに早くなったろう、でも6時間くらいかかりそう

だが飛行機利用というのがあった、富山空港から新千歳まで1時間半、北陸新幹線と合わせて

富山駅から富山空港まで10分くらいだから、2時間くらいで北海道に行ける

京都なんかに行くより遥かに近い

飛行機を使えば、日本の真ん中のわれわれは3時間以内で富山から日本の大都市やソウルにも

大連にも行ける、日本も狭いものだ

ローカル人間はなかなか飛行機利用を思いつかない、我が店の社員の大部分が飛行機は怖い

という、だから飛行機利用の社員旅行は不可能

10数年前に社員旅行で沖縄へ行った帰り、着陸寸前の羽田上空で乱気流に巻き込まれて

たいへんな恐怖を味わった、それが社員の中でトラウマになり、新入社員に伝統的に語り継がれ

みんな恐がりになっている。

 

 

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お薬手帳

2017年07月08日 18時26分40秒 | 発見

父母の通院、入院の度にお薬手帳の提示を求められていた

昨年、風邪だか何かで調剤薬局に行ったら「お薬手帳お持ちですか」と言われた

介護老人の持ち物だとばかり思っていたから驚いたが「ありませんよ」と言ったら

「それでは、お作りします」と言って、それはすぐに出来た

なんだか介護老人になった気分でがっかりしたが、考えてみれば既に年金から

介護保険料を差し引かれている身分だった

一昨日、体のパーツが壊れて医者に行ったけれど、また調剤薬局と言うことで行った

「お薬手帳はありますか」「ああ、いつも持ってなければダメなんだね、持ってこなかった」

すると「このシールを入れておきますから、お薬手帳に貼っておいてください」

何だか医者にかかるのも面倒な時代になったなあ、でも薬の使用履歴がわかるし

複数の医院に行っていれば、相性の悪い薬もあるだろうし仕方ないんだろう

だけど老人みたいで嫌だなあ

今日、何気に20歳の社員に聞いてみた「お薬手帳って見たことある?」

「はい、わたし持ってますよ」「ええ!?、老人の手帳じゃ無いのかい」

「いいえ、子供の時にもらいましたよ」「・・・・そうなんだ」

介護とお薬手帳は関係なかったのか、おれも世間知らずだね

 

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最近、医者通いが増えてきた

2017年07月04日 12時10分16秒 | 発見

体の一部が壊れて医者に行ってきた  命に全く関わらないささやかなパーツに異常

自分療法で治してはいたが、一進一退で面倒になったので、薬を買うより医者だなと考えて

行ったのだが、総合病院はきっと数時間待ちで、数分でおしまいだろうから

町医者にした。 この先生は藪医者でパッとしない、でも仕方ない

車で走りながら考えた、自分以外の誰も、この先生を藪医者と言った人はいない

そして何回かかかったけど、毎回トラブルなく全快している

じゃあ藪医者じゃ無いじゃん!?

結局、初めて行ったとき、あまり愛想が無くて第一印象が悪かったんだと思う

今日は、もう何回目かということもあって、友達みたいに話したり質問したりしていたら

とても良い先生に見えてきた

説明も丁寧だし、質問にも答えてくれるし、わからないことはわからないと言うし

まじまじと顔を見たら、私の中でのイメージよりも年配だった

帰りがけにジョークを言ったら、先生と看護婦にうけてしまった!

すっかり良い気分で近くの薬局へ

ここも父の薬をとりに行くので、毎回ここにある血液型の本を待ち時間読むのが楽しみ

今まで女房殿のA型の本を読んでいたが、あまりにもA型の行動は難解すぎて理解できない

今日は自分のO型の行動学を読んで見たら「そうそう そう その通り」

よくわかるねえ、というくらい自分の行動に当てはまっている、こういうのも何だけど

O型はいいねえ 楽しい

 

 

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家庭人気分

2017年06月29日 19時36分55秒 | 発見

今日は女房殿が店に仕事に行ったので、私は鬼の居ぬ間にと

自宅の障子を外して、古くなった障子紙を濡らしてはがし始めた

今日は、まことに素晴らしい暖かな日で、この仕事をするには最高の日だったのだ

私が、こうした家の仕事をするのは、本当に希なことで一年に3回くらいしかない

こんな夫だから

多分、女房殿の胸の内は、私に対して不満でいっぱいなんじゃないだろうか

・・・・・・・・と、この頃考える様になった

結婚して40年が過ぎようとしているが、面と向かって家庭の不満を言ったことは無い

大概夫婦げんかの原因は、言葉のあや

それさえ無くなったのは、もうマンネリだからだろう・・・・・とはいえ安心してもいられない

 

ある意味、私は家庭を知らない 父親や夫らしいことは家庭の中でほぼしたことがない

日曜大工、家庭菜園、釣りに子供を連れて行くとか、参観日に学校へ行くとか

子供の勉強を見るとか、子供の晴れ舞台を応援に行くとか、PTAも参加せず

子供の担任は高校を卒業するまで、たった一人しか知らない(弟の同級生だった)

家にいても、自分の趣味だけに熱中したり、酒を飲んでいるか、あとは仕事仕事仕事

息子が10年くらい前にぽつりと言った、「僕はお父さんに遊んでもらったことが無かった」

その通りだった

そういえば、息子が中学生の頃、息子は従兄弟とテレビゲームをやっていた

そこに私が行ったものだから、息子は緊張した、ところが何かの調子にゲームの面白い

場面があった、思わず私は笑った

すると息子が驚いて、「お父さんが笑った!」と言ったのだ、印象的な瞬間だった

この時のことは一生忘れない、これまでの子供からの父の印象とは笑わない怖い父だったのか

自分では少しもそうは思っていなかった、世間並みの親父だと思っていた

だが世間の親父たちが、家庭でどんな生活をしているかなんて全く知らなかったし興味も無かった

「家庭人失格」 これは今でも私の中にある、もう取り返しがつかない

時々、自分の人生は失敗だったと思うときがある、本当にそう思って悲しくなる

 

父も温かい家庭というのを知らずに大人になった

人間は環境で生き方が違う

父が家庭を持ったのは仕事に全力をそそぐためだったと思う

とにかく時代も時代だったが、何もかも失った20歳からのスタートだったから

得るために働いた  その日の糧を得るために働いて働いて働いた

日曜日は家族で....なんてことはまるっきしなくて、1年364日働いていた

昔は、そんな親は多かったけれど、わが家は極端だ

父にとってこの町は、頼れる者が一人もいない町だった、友達もいなかったし

酒も飲めなかったから、きっと面白くも何ともない男だっただろう

ようやく魚屋という社会の中で頭角を現して、この小さな世界の中で同年代と遊ぶ様になった

だが、それ以外はずっと仕事で、唯一の思いでは富山市のヘルスセンターへ家族で行って

デパートで鉄砲を買ってもらった、それが小学生時代の唯一の家族旅行の思い出

クリスマスのプレゼントだけはずっと続いていた、靴下を枕元に置いて

一眠りして、いつもより早く起きると嬉しいプレゼントがあった

 

今の家庭、家族関係は夢の世界に思える、親が子にべったりとくっついているなんて

想像もできない、勉強を一緒にやるとか、そういえば家族らしいことが一つあった

それは仕事が終わると、肩車をしてもらって銭湯に行ったことだ

魚屋という職業柄、あるいはダンディズムだけはあった父にとって、毎日の銭湯は欠かせなかった

小さな店を持ったのが私が小学校へ入学した年だった

その地区に引っ越しても、わが家に風呂ができるまでは、銭湯通いは続いた

その地区には夜鳴きそばの屋台が一軒あって、風呂上がりにそこで父と支那そばを食べる

思い出すとちょっとずつ家庭の味を思い出してきた、そうだなあ忙しい父だったが僅かな時間に

こうして父親をやっていたんだなあ・・・・・・・・・今日初めてこれを書きながら知った

夏には店の前の竹製の長いすに座って父と将棋をしたっけ

冬はミカン箱(木でできている箱)の底に竹を割って、それを釘で打ち付けてソリを作ってくれた

小さいときは貧乏でオモチャ一つ無かったけど、器用な父は一本の針金で、自転車のミニチュアを

作ってくれた

そうそう、多分パチンコ屋からもらったか買ったか知らないが、大きなスマートボールの機械を

家に持ってきた、白い大きな玉をはじいて穴に入れると、白い玉がたくさん出てくる遊び

あれは楽しかった

こんな思い出は3人兄弟の中で私しか覚えていない、父と私だけの秘密の様で嬉しい

中学生になるまで、ほとんど毎日、父に殴られていた記憶ばかりがある、だけどこうして記憶をたどると

それを解消するだけのこともしてくれていたんだなあ

今日は、このブログを書きながら、父の姿を発見した

オレにも家族と家庭があったんだって!

 

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「柏崎刈羽原発」見聞記

2017年04月24日 10時39分15秒 | 発見

知人の勧めで旅行の途中「柏崎刈羽原発」を見学することになった

2時間以上かかると言うことで、「そんなつまらないところより、もっと楽しいところにしたら」

という意見もあったが、当日になってそんな事は通用しない

見学前に、原発のすぐ近くのスィーツ&レストラン「至福の時間」に立ち寄ってフルーツケーキと

コーヒーで一休み、天気快晴で外での休憩

 

スィーツのあと、いよいよ原発見学に向かう、副所長以下職員の方がた4名が今日の案内をしてくれる

副所長までもが、いちいちチェックを受けるからびっくり

まずミーティングルームで副所長から概要説明を30分以上お聞きしてから、

財布や小銭、金属類、携帯やスマホを部屋に置いて、所内の専用バスに乗り込んで出発

写真撮影は禁止

いよいよ原発のゲートへ到着、ヘルメット姿の警備員に停められて、中に体格の良い警備員が入ってきて

一人一人入場カードと共にチェックしていく

韓国のDMZ(非武装中立地帯)見学に準ずる警戒体制だ、二重チェックで敷地内に入る

建物などの説明、目をひくのは特殊車両の列、放水車、電気を作る車両、直流も交流もある

いろいろな工作車両、その数は敷地内に100台近くあるのではないだろうか

柏崎市と刈羽村にまたがって構成されているこの原発だが、海岸部は全て柏崎市なのだ

海岸から15mの防潮堤が続き、その奥に1~4号機が標高5mの位置にある

5~7号機は刈羽側にありここは標高10数mで若干高い場所にある、しかし防潮堤を津波が

越えれば水面下になる恐れは充分だ

地震と津波のダブルパンチで壊滅した福島原発を教訓に、様々な対策をこの原発で行って

いるとのこと

地震が来て、津波が来て、土砂崩れが起きて、森林火災が発生して、電気系統がダメになって

などあらゆるトラブルの全てが同時に起きた時を想定した対応が基本になっているとのこと。

施設の工夫や、放射能対策などの説明を受けながら、いよいよ建屋とよばれる原発の核心部に

入場だ、まずは飛行機に乗る時と同じ金属探知機、それから2カ所ほどのチェックは

ボタンをおしてカプセルに入り、通行書を機械が確認すると扉が開くシステムを抜け

何度かエレベーター乗り換えオペレーターシステムの中に入る、それからいよいよ動力部

原発の中心に、二重扉を経て入ったところに冷却と排水のプールがあった、今は停まっている

のでとんでもない大きさの蓋は外されて積んであった

そして最後は更に上の階、電気を作り出すタービン?

工業機械系はまったく苦手で、商業的発想しかできないので商売で言えば売上ゼロが5年

以上続いているのに、人件費から維持費までどうやって工面しているのか不思議でならない

質問の時間もあったが、さすがに経営内容までタッチはどうかと思い、システムの質問に

とどめたが、大企業の経営は零細には謎が多い。

女性たちの中ではやはり安全性が一番の話題だったようだ、そうしたことが最大の問題点

であるが、会社の再開を信じて、一生懸命に働いている社員の人たちを見ると感じるものが

ある。

見る前は「こんなつまらない・・・」と思っていたが、こうして3時間近く見学した後では

新たな発見の連続で、目から鱗「見て良かった」と思った次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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世の中知らないことが多い 500円硬貨

2017年01月21日 13時36分56秒 | 発見

いつもコメントをくださる友達の「つーくん」が自分のブログで500円玉の

隠しイニシャル[JAPPAN]について書いていたので、早速検証

裸眼では不可能だけど拡大写真を見ると確かに6文字がありました

つーくんも何かで知ったと行っていましたが、まだ何かありそうでじっくりと見ていたら

500の00の中に、それぞれ縦書きで500円と書かれているのを発見

これは裸眼でも見えるけど、老眼の人は少し厳しいかも

角度を変えると光の具合で見えるようになっている、これもマニアなら常識かも知れないが

私にとっては新発見でした。

高速道なんかでガードのボードが数十枚並んでいて、一枚一枚は何も無い様に見えるけど

ある距離に行くと「交通安全」とかの文字が浮かび上がってくるのと同じような理屈だろう

??グラムとか言うんじゃ無いだろうか。

調べてみたら「潜像模様」というそうです

 

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山姥伝説 白系ロシア アイヌ 沖縄

2016年12月11日 11時23分45秒 | 発見

10年近く前に「山姥研究」の地方での第一人者というおじいさんの講演をお聞きした

講談風でたいへん熱の入った講演、頭の中に映像が浮かんでくるほどだ

山姥(やまんば)の正体は白系ロシア人の女性(たち)だという

昔、蒙古の軍団が北にも攻め寄せてきた、アムール川流域の白系ロシア人は追い詰められ

海を渡って樺太に逃げたそうだ、それでも蒙古軍は追いかけてきた

絶体絶命の時、数百の白いオオカミの群れが突如現れて蒙古軍を襲って蹴散らした

そうして難を逃れた白系ロシア人の数十人が北海道に渡った

所々で一人二人とその地に定住して、減りながらも南下を続け、ついに青森に渡った

それから、東北、越後、信濃などの山中に住み着き結構その地の人々と交流していたらしい

それが、いつしか山姥の伝説として語られたのだという

当然、背が高く口は大きく、色は真っ白で髪は長い

それを思い出したとき、アイヌ民族が思い浮かんだ、イザベラバードの紀行ではアイヌ集落で過ごした

記事がある、その中でアイヌの風貌について、男は平均163~168センチくらいあり、体格は

非常にがっちりして毛深く、顔は、ほりが深く角張っていていかめしく、しかも美しい

どちらかと言えば欧州人に近い、とべた褒めである、更に歯並びがよく、真っ白な歯をもっている

鼻からあごには豊かな長いひげを蓄えて近寄りがたい威厳がある、それなのに笑うと何とも言えない

優しい表情になるのだ(要約)、女性は醜いがよく見ると口の周りなどに入れ墨をしているからで

あらためてみると、とても美しい女性ばかりである、背筋も伸び、胸は発達していて、姿がとても良いと

「醜い顔と姿の日本人」と比較して記している。

アイヌ民族は縄文時代の日本土着の旧人類で、大陸からやってきた弥生時代の新日本人に追われて

沖縄と東北、北海道に別れて逃げた民族という説もある。

だから沖縄の土着の人とアイヌ人には共通項がいくつかあるという、それは体型や顔つきだけでなく

入れ墨の風習、それぞれの山姥伝承にも共通点があるという。

実はアイヌ人の中で東北などの山中に住み着いた人が、山姥として語られたのでは無いかと思ったのだ

色が白い、背が高い、アジア人より欧州人に近いなど白系ロシア人に似た感じがしたからだ

ところが調べてみると、アイヌ人にも山姥伝説があるのだ、ということは彼らも山姥を恐れる人々だった

アイヌ民族は山姥のルーツではなかった。

結局、アイヌ民族の研究の一端を知ることだけが知識として残り、山姥伝説については進歩がなかった

 

 

 

 

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