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「チョン.ドジョン」と「せごどん」

2018年08月02日 08時34分59秒 | 韓国/中国/東アジア

今テレビで見ている歴史ドラマは韓国歴史ドラマの「チョンドジョン」とNHK大河の「せごどん」

「チョン・・」は、先日長編が完結した、「せごどん」はいよいよ明治革命に向けて西郷が日本国の表舞台に立つ

「チョン・・」は今から750年ほど前に朝鮮半島で「高麗」を滅ぼして「朝鮮」建国したイソンゲとチョンドジョンの

革命タッグの物語

この中で、高麗の問題多き下級官僚だった「チョン」のセリフは一貫して、「虐げられている民の為の、民本位の

国を作る」である、そのために民の苦難の上で贅沢をむさぼっている高麗の王族、大臣、地主らを滅ぼして

民が最上位の国を作る、王は飾り物で良い、政治は官僚が行う。という物である

結局、朝鮮王朝になっても初志はチョンとイソンゲの死によって葬られ、チョンを暗殺した三代王「太宗」からは

高麗と変わらぬ民受難の国に戻ってしまう。

一方「せごどん」でも西郷のセリフ、「(琉球)の島々の民の暮らしは動物以下だ、政治を変えて民が人間らしい

暮らしができる、民の国にしなければならん」とチョンの物語と同じプロセスで革命を臭わせている。

実際のところ、どちらも本人の理想であったかどうかは眉唾だが、脚本家の考えは日韓同じだったと言える。

時代は違えど、西郷とチョンドジョンにはいくつか共通点がある、下級武士の子と下級役人

どちらも地方の権力者に可愛がられて表舞台に登場する。

その権力者の陰に回って、様々な工作陰謀によって権力者を助ける、そして最後に自分自身が最高権力者に

躍り出る。

そして最後は、共にに革命を果たした仲間の手によって、夢見た世界完結直前に殺されてしまう、そこまで同じ二人

そういう点では、ロシア革命のトロッキィも同じだろう、詳しくは知らないが

西郷は大久保(幼なじみ)に、チョンドジョンはイ.バンウォン(イ.ソンゲの五男)に、トロッキィはスターリンに殺された。 

いずれも革命を成功させた仲間同士だった。

*チョンドジョン  朝鮮半島の王朝「高麗」(918-1392)末期、王は存在するだけで絶対権力者のイ.イニムが

政治を操っていた。  その頃の高麗は大陸の「元」に従属していたが、元の力が衰え、漢民族の「明」が巻き返してきた

高麗は、どちらに従属するか大問題になった、失敗すれば国は蹂躙されて奴隷国家となる

元との繋がりが強い王は「明」征伐を決断して、将軍イ.ソンゲ等を出兵させる

イ.ソンゲは今の北朝鮮あたりに勢力を張る軍閥だったが、中央のイ.イニムと仲が悪かった

イ.ソンゲは明と戦う事には反対だったので、敵地直前で反転して高麗の都に大軍を戻し、反逆を恐れた政府軍と交戦

これに勝利して政府軍の大将軍を殺して一躍権力者にのし上がったが、イ・イニムの策謀で都から自分の故郷に戻された

失意のイ.ソンゲの元に、野望たくましい下級役人チョン.ドジョンが現れて、高麗王朝打倒の易姓革命(王朝が別の姓の

王に代わる革命)をそそのかす。

革命は成功してイ.ソンゲは明の保護の元で朝鮮国を建国して初代王「太祖」となる、チョンドジョンはイ.イニムを刑死させて

太祖の元でイ.イニムにも勝る絶対権力者となった、しかも革命を共に戦った有力なイ.ソンゲの王子たちを排除して、

世子(次の王様)にイ.ソンゲの側妻が生んだ、幼い王子を擁立して太祖が認めた。

幼い王子を手中にすることで、イ.イニム同様、官僚による政権運営を企んだのである、そのために王子や有力者の私兵を

召し上げて、全て国軍に編入して自ら大将軍となって大昔、高句麗の領土だった遼東半島の奪還を企てる。

先妻の王子たちは反発して敵対する、特に5男のイ.バンウォンは野心満々で自分こそが王に相応しいと露骨に敵対する

バンウォンは仲間を集めて、ついにチョンドジョンと世子を暗殺する、失意の太祖は故郷に引きこもって、バンウォンの使いを

ことごとく切り捨てて、バンウォンを王と認めようとしなかった。

しかし太祖が死に2代目の王に2男が2年間だけ就いた後、バンウォンは3代王「太宗」となって朝鮮520年の礎を築いた。

 

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ブロークンイングリッシュ ハングル

2018年07月06日 09時11分14秒 | 韓国/中国/東アジア

        

昨日は、地元の大工場を研修に来た韓国人技術者8人と、ガイド役の日本人一名が

昼食を兼ねて当店で懇親会をしていった、料理は魚オンリーで頼むとのことだった。

東京から新幹線で日帰りが出来るようになって、このような企画も増えていくことだろう

韓国語の腕試しにはちょうど良いと思い、手ぐすねひいて待っていたら、一人やってきて

外に出たが、タバコを吸いに来たのだった

外は雨風なので、すぐに追いかけて行った、40歳前後の若い人だった

「タンベ チョギ ケンチャナヨ」(タバコ、あそこ、大丈夫よ)ロビーのテーブルを指さして言った

ブロークン韓国語、丁寧で無い通常語  彼は手を振って「outside」(外で)と英語で返した

ちょっと意味勘違いじゃ無い? 私はタバコのポイ捨てが嫌なんだ、それで食い下がって

もう一度指さして「チェットリ チェットリ」(灰皿)と言ったら、ようやくわかって、中に入ってきた

そして灰皿でもみ消して会場に戻っていった、彼もむかついたかも・・・

でも自然な対応で、手応えは感じた

帰る時間が来て、ガイド兼まとめ役の日本人精算にやってきた、一人幹事らしい韓国人が一緒にいる

二人の会話は英語だ

「ここではカードで支払いしないのか」「日本は現金支払いが一番喜ばれる、とくに田舎は」

「そうなのか」みたいな会話がブロークンで聞き取れる

とにかく、韓国人なのにほとんど英語で会話している、まあレベルの高い方の人たちであることは顔を

見てもわかるけど、韓国も欧州人も英語レベルは同じだと思った。

今月半ばに、わがボランティアで一週間、カルフォルニアからの高校生のスティの面倒を見ることになった

幹事長が相談に来たので、わが店で最終日に送別会を開いて、そのままわが家で一泊することに決めた

翌朝は次の目的地、新潟県長岡市まで車で送ることも請け負った

ところで、前出の韓国人と違って、わが団体にはまともに英語を話せる人間がいないという事実

幹事長は市議会の議長も2度務め、先般叙勲も受けた人だが、やっぱりダメ

「我々はレベル低いですね」「低いね・・・・・」

この家で、米国高校生は4日間滞在するので、どんな展開になるのやら楽しみだ

とはいえわが家でも一泊、好奇心はあるので、例のジャマイカン夫婦といつも話すみたいにブロークンで

やれば何とかなるさ、相手もブロークンジャパニーズだと言うことだから

歓迎会兼送別会は、パパママの「カリフォルニアドリーミン」かビーチボーイズの「カリフォルニアガール」を

入場曲にしようと企んでいる。

地元に居るスイス人先生がたまに来るくらいで、田舎ではなかなか外国人体験ができないから、

楽しい経験になるだろう

 

 

 

 

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権力の歴史

2018年06月23日 16時47分01秒 | 韓国/中国/東アジア

朝鮮半島で14世紀末にできた「李氏朝鮮王朝」と17世紀初めにできた日本の「徳川幕府」の成立過程は

似ている

徳川幕府は誰でも知っているので、簡単に成立過程を書くと、戦国時代が統一されていく過程で最後の

仕上げをしたのは、織田信長-豊臣秀吉-徳川家康の3人であった

信長時代では、秀吉は信長の有力な軍団長であり、家康は日米関係のような同盟者であった

秀吉時代では、秀吉が日本の統一を果たして戦国時代を終わらせた、その豊臣政権で家康は大臣の筆頭

となった

そして秀吉が死んだあと、残された遺児、豊臣秀頼を担いで、思いどおりに自分の権力を拡大していった

それを良く思わない、石田三成などの純豊臣官僚が立ち上がって日本を2分して関ヶ原で戦った

しかし、ワンサイドゲームで家康が勝ったが、まだ支配者にはならず、相変わらず豊臣秀頼の大臣として

振る舞った。 それは石田三成とは馬が合わなかったが純豊臣家臣である加藤清正、福島正則など

強靱で影響力ある豊臣恩顧の有力堅物大名が数名残っていたからだった

だが実権はあきらかに家康にあった、そして清正が死ぬとついに家康は大坂城に秀頼を攻め殺して

豊臣家を滅ぼし、徳川幕府を開いた、その時代は明治まで260年続いた

だが幕閣の権力争いは兄弟間の将軍位争いを引き起こす

家康の長男は家康が信長に従っていた頃に、信長に言いがかりをつけられて自らの手で切腹をさせた

家康の人生最大の痛恨事であった

次男は秀康は秀吉の人質として行った大阪城で秀吉に可愛がられたこともあり、家康はこれを嫌った

後に福井松平家の祖となる

3男秀忠は恐妻家の凡人と言われるが、家康は愛し、後継の2代将軍にした、6男忠輝は戦国豪傑の趣があり

舅は野心家の伊達政宗だったので、危険を感じた秀忠は家康と相談して、越後高田の大大名だった忠輝を改易

田舎に配流して92年の生涯を終わらせた

3代将軍となった家光は、父秀忠夫婦が愛した実弟の忠長に将軍の座を奪われそうになったが、乳母春日局の活躍で

家康から将軍のお墨付きをもらう

こんな事があって、兄弟の中は悪くなり、秀忠が死ぬと家光は忠長に切腹を命じた。

 

一方、半島では高麗王朝が約450年続いて末期を迎えていた、高麗の家臣で地方財閥であるイ.ソンゲ将軍は

今の北朝鮮付近に強大な軍団を持っていた、だが純粋な軍人で中央政界とは無縁だった

そこに取り入った人物がチョンドジョンである、彼は中央で中堅の役人だったが反骨心旺盛で反発して罪人になったこともある

野心家でイ.ソンゲを利用して国家転覆を謀ろうと近づいた。

まずは、高麗王朝を実質動かしている独裁大臣を追い落として殺し、イ.ソンゲの上官だった大将軍をも追い落とし

高麗王の首をすげ替える権力を握った、そして最後は高麗王のワン氏以下、一族をことごとく抹殺してイ.ソンゲを王位に

つけて李氏朝鮮国を宣言した。

だが官僚の多くは高麗王朝の官僚だったので反対する者も多く、粛正が続き、政権は安定しなかった

老いていくイ.ソンゲは、長年戦の連続でもう血を見ることには辟易していた、そして悪夢にうなされ仏教に帰依するように

なった、そして後妻の息子を世子(セジャ=次の王様第一候補)に指名したため、才覚ある5男のバンウォンが反発

チョンドジョンと対立して、ついにドジョンを暗殺した、次いでバンウォンはイ.ソンゲが亡くなるとセジャだったイ.ソンゲの

後妻の息子2人を殺害して、実兄で2男のバングァを2代王に奉ったがバングァは、バンウォンを恐れて王位を2年で

バンウォンに譲った。

朝鮮王朝、第4代王は、李氏朝鮮の王の中でもっとも優れた王と言われた世宗(セジョン)

3代王の父の情け容赦ない権力志向を反面教師にしたとも言われる、字を書けない庶民のためにハングル文字を発明した

王でもある。

 

 

 

 

 

 

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韓国.北朝鮮合同チーム 「コリア」

2018年05月05日 09時54分46秒 | 韓国/中国/東アジア

卓球女子の準決勝、日本はコリアに3-0で快勝したが、珍問題発生

準々決勝で対戦するはずだった「韓国」と「北朝鮮」が突然、最近の政治事情で我々は戦う事をやめた

故に合同チームを結成して、一つのチームとなる」と宣言、従ってこのカードは無くなり

自動的に統一チーム「コリア」と「日本」の準決勝となった

「ルールは変わるものだ、これは平和を呼ぶルール改変だから問題ない」と運営管理者

確かに、驚きの展開でも「問題なく」勝ち上がった日本女子は凄い!

「コリア」って何だ???

そもそも「韓国」「北朝鮮」ってなんだ?

我が国では、永世一系天皇家が「国父」として位置付けられてきたが、為政者となると国の始まりは

天皇家であったが、その後、約1000年間に「藤原氏」「源氏」「北条氏」「足利氏」戦国乱世を経て「豊臣氏」「徳川氏」

と国政を担った6つの時代があった。

しかし、隣の朝鮮半島で統一政府というのは2000年ほどの歴史で「新羅」「高麗」「李氏朝鮮」の3つしか無い

李氏朝鮮の力が弱まった1800年代後半には、日本、清国、ロシアの3強国に政治は揺るがされて、朝鮮での

権益を巡って、日本が清国、ロシアという強国を相次いで戦争で破ると、1910年朝鮮国を、日本に併合してしまった。

しかし1945年、日本はアメリカとの戦争で負けると、再び朝鮮半島はアメリカ、中国、ソビエトの3強国の草刈り場に

戻った。 

結局、1950年の朝鮮戦争を経て、北は共産中国とソビエトがバックの朝鮮、南は資本主義アメリカがバックの韓国として

独立したが、一つの民族が分断されてしまった。

韓国は北朝鮮国を「北韓」と呼び、北朝鮮は韓国を「南朝鮮」と呼び合った。 しかし今、統一国家にはほど遠いものの

頭が二つで胴体が一つの龍になる努力をしているように見える。

こうなると、統一された呼び名は朝鮮でも韓国でも偏ってしまうので、出てきたのが「コリア」だ、もともと英語では

「ノースコリア」「サウスコリア」だから、「コリア」だけだと統一名にはなる。

「コリア」の原型は「高麗」(コリョ)であろう。

朝鮮半島では2度「三国時代」がある、最初は紀元前1世紀に始まる「百済(ペクチェ)」「高句麗(コクリョ)」「新羅(シラ)」で、

次は10世紀初めの「後高句麗」「後百済」「新羅」

最初の勝者は、唐をバックに戦った新羅が高句麗、百済を相次いで滅ぼして統一国家を造った

次の三国時代の勝者は「後高句麗」の将軍だった王権(ワンゴン)がクーデターを起こし、その後、落日の新羅王朝を

平和裏に吸収、後百済を百済王父子の内紛闘争に乗じて滅ぼし、統一国家「高麗」を興した。

紀元前から七世紀まで続いた「高句麗」は、現在の北朝鮮から旧満州にかけて広がる大きな北方国家であった

新羅が唐に、百済が倭国(日本)に頼ったのに比べ、高句麗は独立制が強く、大陸の唐や、その前の隋とも全面戦争を

展開して、隋が滅ぶ原因となったほど強かった。

あまりにも大陸に入り込んでいるため、南の韓民族とは違うのでは無いかという見方もあり、先年には中国が高句麗は

中国の一部だったと言って、韓国が反発したこともあった。

いずれにしても後高句麗の王権が半島を統一した後、高句麗を引き継いで「高麗」と名付けたのであるが、それは「コリア」

となって朝鮮半島の民族の誇りなのである。

ゆえに統一された半島国家名は「コリア」が良いのだろう。

 

 

 

 

 

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危険な東アジア情勢

2018年03月06日 09時18分59秒 | 韓国/中国/東アジア

中国のの軍事予算が8兆円+Xになったとニュースが報じていた

Xは秘密の開発軍事費で額は当然不明だ

ネットのあちこちに数値があるが2016年では日本は

欧州の3大国、イギリス、フランス、ドイツ並みで一応一流国並みだ

世界3位のロシアは日本の約1.5倍、2位中国は5倍、1位アメリカは我が国の約13倍だ

太平洋戦争での日米の差以上に広がっているかも知れない、日本はアメリカの虎の威を借りている現状だが

(核の傘)、徳川家康ではないが、力の無いときは強力な保護者(織田信長)に尻尾を振ってでも屈辱に耐え

力を蓄えるしか無いのかも知れない。

何しろ、2位の中国、3位のロシアはいずれもかっては(今も?)仮想敵国、これに加えて軍事費が謎の

核軍事国、北朝鮮、この3国が目の前にある我が国はまさに危険最前線と言える。

戦争反対、平和を守れ、と国内でいくら行って見ても、戦争は一国だけでするのでは無く、相手国があるから

始末が悪い。 だから以前も書いた通り、勝海舟の言葉に(訳意)

「軍備を持っていることほどムダでバカバカしいことは無い、だが周りの世界の状況を見れば無くすわけにもいかないのだよ」

となる。

朝鮮有事は今では、即日本の有事だ、67年前の朝鮮戦争とはアジア情勢が違いすぎる

韓国が急激に北朝鮮にゴロニャンしている、日米韓が運命共同体と思っていたが、そうは問屋が卸さない

ややっこしい東アジアの構図だ。

気がつけば日本だけがアジアの中で孤立して四面楚歌だったなんてことが無いように、トランプさんによ~く

お願いしておかなければならないだろう。

総理の国際感覚が今問われている、**学園問題も議論の余地はあるが、緊張するアジア情勢の中で

国難に与野党一致して当たる審議が先では無いだろうか

明治維新に学んで欲しい物だ。

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ちょっとだけ(田舎では)刺激的な朝

2017年10月27日 08時17分56秒 | 韓国/中国/東アジア

昨日は我が宿はじまって以来、二度目の韓国人が宿泊した

一度目は、もう10年くらい前の事で、宿泊客ゼロの夕方、飛び込みでふらりと

30歳前後の知的な美人さんが「今夜泊まれますか?」と入ってきた

基本的にうちの宿は一人はお断りしているのだが、断れますか?

「どうぞ」

首から一眼レフをぶら下げているので、あれこれ話してからフロント受付、そうしたら彼女

「私は韓国人です」と言った、流ちょうな日本語は私の周りの日本人より美しい

顔だって、日本人と全く区別がつかない

東京の会社で働いていて、一ヶ月の休暇を取って北海道から日本一周女ひとり旅なのだそうだ

来年には東京の会社も辞めて、上海であらたな職に就くことが決まっているんだそうだ

私が韓国語を覚えるぞ」という意欲をかき立ててくれたのは彼女がきっかけだった

私は**学校とかで習うのが大嫌い、だから何をやっても本物にならない

全て独学、ホームページも、韓国語も中国語もゴルフも

 

昨日は夜はボランティアの会議で店にはいなかったが、今朝は宿泊の韓国人夫婦に会って

久々に韓国語の実践をしたかったので6時半に店へ行った

するとちょうど日本語を話せない、ご主人がいたので近づいていったら彼は私を見て

「おはようございます」と片言で言った、私も「アニョハセヨ」と返したら、表情がパッと明るくなって

「韓国語はなせますか」みたいなことを韓国語か日本語か忘れたが言ったので

「チョグンマン(ちょっとだけ)」と言った。 昨日受付で、私が日本語が話せる奥さんに「日本語がお上手ですね」

と言ったとき、彼女が「ちょっとだけね」と言った逆バージョン

「チョヌン イフェサ テッピョンイムニダ(私はこの会社の代表です)」と彼に言うと

「あ~~」と感嘆の声 反応を見てこりゃ通じそう・・・・社交辞令もついでに

「チョヌン ハングク ノムチョワヨ(韓国大好きです)」とこの前のブログに書いたことと反対のことを言った

するとむこうも韓国語でまくし立ててきたので、まったくわからない

それで「チョンチョニマレジュセヨ(ゆっくり話してください)」と言ったら、ゆっくりになったけどわからない

話すのは自分の言いたいことだけだから、知ってる言葉だけ言えば良いが、ヒヤリングは何を言ってくるか

わからないので語数の少ない私には無理

でもパダ(海)、ナガ(出る)だけ聞き取れた、そして海を指さしておパンフを見せるので

(これは海岸に下りられるか聞いているんだなと思った)そこへ奥さんも来たので確認したらその通りだった

行き方を聞いてきたので、片言で教えるよりつれて行った方が簡単だと思って、二人を私の

車に乗せて海へ行った、石を拾いたかったようだ

今日は天気は良いが風が冷たい、海岸はまだ日陰になっていて15分ほどで切り上げて戻った

それでも朝の30分ほどで結構打ち解けて、私の韓国語でも笑いが出るようになった

仁川から小松空港で降りて、レンタカーで我が店にやってきた、わが家のHPを見て予約したのだという

これから新潟市へ向かうという、ゆっくりといくそうだ、新潟空港から仁川に帰るそうだ

日本海側もそれなりに韓国便はあるからね(1日1往復だけど)

レンタカーということは国際免許か・・・かっこいいなあ

「アンニョイケセヨ(さようなら)」「コマスミダ(ありがとう)」

別れてから思い返せば、まだまだ言いいたかった言葉が浮かんでくる「コンガンハシプショー

(お元気で)」も最後に言いたかったなあ

田舎での久々の刺激だった・・・今日も頑張るぞ!

 

 

 

 

 

 

 

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空襲警報! 北朝鮮またミサイル発射

2017年09月15日 07時46分51秒 | 韓国/中国/東アジア

宣戦布告も無いのに、他国のミサイルが日本の国土を通過していく

Jアラートが魚市場に集う全員のスマホ、携帯で鳴り響いた

やがて町ではサイレンが鳴り響き、広報放送が繰り返される

「いやな音だな」魚屋の一人がぽつり

戦争中東京で暮らしていた父は毎日聞いていた空襲警報、まさか平和な70数年後に

また聞くとは考えても居なかっただろう

「建物の中に避難してください」というけれど、ちょうど通勤ラッシュ

国道は安謝変わらずの車列、何も変わらない

突然ジェット機の轟音・・・と思いきゃ、北陸新幹線の「かがやき」が通過する音だった

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台湾2017.6(5)

2017年06月24日 12時19分14秒 | 韓国/中国/東アジア

海鮮の昼食が終わったら、もう3時だった、これからまた一時間車で移動

なかなかお買い物の時間も無いので、台北市内の三越に行くことにした

ここは35年前にも行った、あのときは60人のツアーで大雪で成田に一時間近く遅れて

もうダメかと思っていたのに、機長判断で一時間近く飛行機の出発を遅れさせて待っていてくれたのだった

台北での最終日は団体から離れて5人の仲間で台北の裏町散策、腹が減ってステーキでも食べようと

行ったのが三越と現地法人の合弁デパートだった

当時の様子とは全く違っていた、ここで友達が買い物をしたが一時間以上かかった

私は買い物はさっさと片付ける方なので、することもなくデパートのトイレや非常口の見学をして時間つぶし

わが家では旅行のお土産はいらない。または最少に押さえるというルールが父の口から出て以来

ほとんどお土産は買わない

ようやく買い物が終わったが3時まで食事をしていたのでお腹はすかない、それで時間つぶし腹ごなしで

昨日もいったマッサージ店でまたマッサージをすることにした

今日はフェィスマッサージのオプション販売、もともと美しい顔?だからお断りして全身90分だけにした

さあ台北最後の夕食は何にしようか? 店を見て回る

串カツ、台北まで来て大阪名物?いらんわ!

ウナギ店もある、考えてみたら我が店のウナギも台湾産だ、あとで思ったがこれにすれば良かった

牛肉ラーメン、憧れの台湾ラーメンか・・・・・・ということでここにした

台湾の人はビールを飲みながらラーメンを食ってる、オレたちはつまみでビールを飲んで、〆にラーメンだ

これは台湾人からみればおかしい様だ、晩酌という文化はないのだろうか?

塩味と醤油味があった、麺はうどんと言った方が良い、醤油味は脂が多くてくどい、塩味は結構いける

台湾にきて食事をしていて、いつもなにか足りないと思っていたが塩分がほとんどないのだった

日本人の塩好きを実感した。 餃子は半月型ではなくほぼ四角形だった、これはなかなか美味い

アルコールやつまみは客が勝手に冷蔵庫から持ってくる仕組みだ、スーパードライを見つけてやっと

ビールらしい味が楽しめた。

この店もありふれたラーメン食堂でまったく日本人の姿は見えない、今回は徹底して現地の味を

追い求めたが、観光用の店の方が日本人向けかも

日本のラーメンはもはや日本文化だけど、このあっさりしたラーメンも良いかも

   

おいしかった餃子

これはウィンナーソーセージ

 

腹ごしらえが終わって、今度は台湾名物の屋台見学だ、バイクが車道の半分を占拠して車は恐る恐る走っている

タクシーに乗ったら、運転手さんが大の日本好きで、千昌夫が大好きと言って、CDカラオケを流して2曲ほど

歌って見せたが、なかなかの腕前だった

  

 

夏祭りの様な屋台街を抜けたら、汗びっしょり、冷たいものでもと思ったら

アイスデザートの店を発見

アイスクリームタイプとかき氷タイプがある

甘いのは~~~どうも~~~と思って、恐る恐る食べたけど、これがぜんぜん甘ったるくなく

ミルクの味が絶妙、ほんと美味しい 今回の旅行中最高の味だった

大きな丼、一つ完食 次回があればまた行きたいな

それにしてもハードな一日だった、シャワー浴びて缶ビール一本飲んだらバタンキュー

朝まで目が覚めなかった

翌日は9時半にホテルを出発、友達はまだお土産が足りないとかでまずは免税店へ直行

ここでまたすったもんだで一時間、飛行場でまたまた買い物、よくよく買い物の好きな友達だ

何回か同行しているが、今回はちょっとテンションが高い

飛行機往復で「きみの名は」を見終えました

高校生男女の魂が入れ替わるのはありふれているけれど、3年のタイムラグというのが「みそ」

評判どおりぞくぞくしたけど、歴史の事実が変わるのは「バックtゥザフューチャー」ぽいかも

 

ようやく日本に着いたが、今度は別の仲間がデパートで買い物したいって、だけど時間が無くてアウト

帰りは1万円贅沢して新幹線のグランクラス、始めて乗って見た

なんと我が町まで我々以外グランの乗客なし、それなのに2人の客室係がサービスしてくれた

帰りのANAの和食とグランクラスのサービス食事

北陸新幹線グランC  ビールやワインのサービスも

ANA

グランクラスに乗ると体がだらしなくなってしまう、特に他の乗客がいないと

行きにはもったいないけど、旅行帰りには良いよ、楽だね

 

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台湾2017.6(4)

2017年06月23日 08時11分26秒 | 韓国/中国/東アジア

九分から再び下ると海岸線の国道に出た

右手に海を見ながら走る、毎日毎日海を見て働いている私にとって

この景色は本当にホッとする、海は全てのわだかまりを解決してくれる

行けども行けども海、途中町並みもぽつりぽつりと過ぎる、台湾では木造の家は作らないとか

台湾にも地震が起きるし大きな被害もあった、とか台湾では北朝鮮に拉致された人はいないとか

台湾の原発は4基で一基だけ停止中だとか

山の上の建物は、テレサテンのお墓(メモリアル?)ですよとか、結構、張さんや呉さんのガイドで楽しませて

もらった。

そのうちに大きな施設が見えて鉄条網が張り巡らされている、「これは何ですか?」と聞いたら

原発だった、それで鉄条網かと思ったが、過日見学してきた日本最大の刈羽原発のセキュリティとは

全く比較にならないほど緩く見えた、立地も崩れかけている古い地層の山の中にあるし、安全性は

どうなのかな・・・。

そんなことを話しながら一時間ほどようやく漁港らしい町並みをいくつか過ぎて、ついに目的地の富基漁港に

到着、ここは台湾本島の最北端に位置しているらしい、だから海の向こうはセンガク諸島や沖縄列島と言うことになる

魚売り場には10数店舗が軒を連ねている、魚や貝を活かしたまま販売する

原発をイメージしているのだろうか

ウィークディのせいか、立地のせいか、お客の数は数えるほどしかいなくて、店員はたいがい暇そうで眠そうな顔を

していた、韓国のソウルのノリャンジン市場や釜山のチャガルチ市場などの賑わいとは比べようもない

だが魚屋で買って、魚屋直営か提携店の食堂で調理して食べる方式は同じだ、できたてのアツアツというのが

魅力、イカの刺身を食べたかったが呉さんがいきなり交渉を始めた店にはなかった

もう少し、あちこちの店を品定めしてからのほうが良かったのだが、もう2時みんな腹を空かしているから仕方

ない、アサリ、シャコ、大正えび、ガザミ(かに)などを買って、さしみは無難にカジキとマグロ

あまりパッとしない取り合わせだが、出てきた料理はなかなか美味そう、サービス品だと言って野菜料理なども

3品ほど出てきた。

私にとってはこれはみんな酒のつまみ、ビールを飲んでいるときが一番旅行気分だね

さて、食べ終わってまた一時間、台北までのドライブ開始だ

 

 

 

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台湾2017.6(3)

2017年06月22日 08時19分38秒 | 韓国/中国/東アジア

本道から少しだけ登ると、そこは鉄道の跡かと思われる枕木状の一直線の歩道をはさんで

両側に土産物店が30店以上並んでいる

その店先には、色とりどりのパラシュートをたたんだ様なものが無造作に並んでいる

高さは150cmほどの紙製、まずそれを買うと墨と筆を持ってくる、4面あってそこに一人ずつ

願い事を書くのだ、さっそく我々も購入して書いた

店員がその天燈を支えている我々を一面毎に記念撮影してくれる、それが終わると点灯する

この紙が熱気球となって空に上がって行く。  まわりが森林の山になっている場所で毎日

数百個の、火がついた大きな紙風船を飛ばすなど日本なら消防署が許可しないだろうな

まあヤボは言わないで、「3.2.1.点火!」手を離すとゆっくりと我々の願いは浮き上がった

数百メートルの高さまで上がって、先に行く天燈を追いかけて多分北の方に飛んでいった

それにしても今日も暑いなあ、でもジメジメした湿気は今日は無い、汗が噴き出す暑さだけだ

十分の次は「九分」へ行くのだそうだ、因みに「八分や七分もあるか」と聞いたら無いそうだ

十分から、数十分箱根に登っていく様な道路で、ぐんぐん高度を上げていくと眼下に海が広がった

入り江もあるけれど多分、太平洋だろう、車の数が多い、観光バスもやってくる

賑やかな場所で張さんの車が止まって降りる、そこは展望台

下は海の風景、上は段々になって上まで登っていく町並み

一番上に住宅がいくつも見えるけれど、あれは全て昔のお墓だそうだ、今はあんなお墓は建てないそうだ

ちょっと沖縄っぽい感じもしますね

道路を渡ると狭い小路に入った、緩い坂が果てしなく続き、左右は土産物屋、食堂、食べ物を売る店、雑貨屋

色とりどりの小さな店が数百軒続いている、観光客が多いが、休日はこんなものではないのだそうだ

確かに肩が触れるほどでは無い、まあ狭いアメ横の雰囲気、アイスコーヒーを買って飲みながら歩いた。

一度見たかった台湾ラーメンの店もいくつかあった、やっぱり全然日本ラーメンと違う(見た目)

   

 

そして一番上までたどり着くと、そこは海を眺める展望台だった(下の写真よりもっと上からの景色になりますです)

そこから別の道を下る、ここは伊香保温泉の様な急なまっすぐな階段が続く

私は知らなかったが「千と千尋の神隠し」の場面に出てくる有名な場所なんだって

映画名は知ってたが、見ていないし、台湾も舞台だって全然知らなかった

そこで写真を一枚撮ってもらった

   

どちらの写真も私ではありません、念のため

さあ、もうお昼をとっくに過ぎています、これから海鮮市場へ行って昼飯です

「どのくらいで到着しますか?」「一時間くらいです、我慢できますか?」

我慢するしかありません  でもビール飲みたい  ビール飲むとおしっこ我慢できない

だからビールも我慢します

 

 

 

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