思いのままの綴り

どんなに打ちひしがれても、希望を無くしても、大好きなチョコレートひとかけらを口にする幸せは感じるものです。

もう一人の自分

2008年02月15日 | ひと言 雑記
心から好きな君と逢ったり話ししたり、
思いのまま自分の気持ちを好きな君にぶつけることができて、
それを君は受け入れてくれる。
自分以外と自分以上に心を預けられる人がもう一人いるのはすごく幸せなこと。

もしかすると、もう一人の自分と出逢うために人は生まれてくるのかもしれないと思う。

ありったけ

2008年02月12日 | ひと言 雑記
晴れた日に、澄み切った空を見あげると
心は優しく柔らかく穏やかで大らかな気持ちになる。

些細なこと
深刻なこと
人は皆、さまざまな思いを抱えて生きているけれど。
でも、心に愛を持っていれば、
「どうにもならないこと」なんて、一つもなくて、
「どうにかなること」ばかりだと気づくはず。

自分自身のありったけを信じ、
自分自身へのありったけの愛を感じて生きていこうよ。

一緒に

2008年02月10日 | ひと言 雑記
いま流れてる時を
いま繋いでる手を
いま想っている心を
いま寄り添っている愛を
いつも感じながら
好きな気持ちに好きな気持ち足して
愛する想いに愛する想い加えて
一瞬一瞬の優しさと一日一日の温もりを
いつも感じて一緒に歩いていこう。

自分を見つめる時

2008年02月06日 | ひと言 雑記
辛い時、その辛さのなかで、人は初めて「いま自分には何ができるだろうか」と考える。
どうしてこのようになってしまったのか。「自分を見つめる時」とは、このような時。
人は悲しいこと、辛いこと、苦しいことがなければ、自分を見つめようとはしない。
こうして自己を見つめた時に、深い心の痛みを感じると同時に他人の痛みが理解できるのだと思う。

母親

2008年02月06日 | ひと言 雑記
ものもしゃべれない時から、立ち、歩き、走り、学び、恋をする子どもの折々の成長を我がことのように楽しみにしてきたのは、母親。
子どものためにはと我が身を削ってきたのも母親。
そんな母親の恩があればこそ、今の自分があるということを解ってほしい。

たしかに、母親の思い通りに子どもは成長しないだろう。
でも、解りきっている苦労の山を前にして母親をして誰が止めるだろうか。
我が身のことも顧みず命を削って子どもを大きくした母親ならでこそ、止めるんだと思う。

そうした、母親を越して自分の望む道に進むとするならば、その進む自分をこれまで育ててくれた母親をして誰に感謝するというのか。
社会へ独り立ちするなら、家庭を持つというのなら、母親が自分にしてくれたことを思い出すといい。
そこには一日足りと子どもに想いを馳せないことはない母親の姿しかないはず。

自分も母親となるのであったら、母親のありがたみをもう一度振り返ってほしい。もう一度鏡の前に立って、自分の姿を写し出してほしい。
鏡に映る自分の姿こそ母親が命をかけて大きくした自分が写っているはず。
そして、感謝してもしきれないほどの母親の愛情が溢れているはず。

2008年02月06日 | ひと言 雑記
過去の出来事や過去の自分をどうにかしようとしても、今ではどうすることもできないだろう。
今を悔いるということは、それは過去に蒔いてきた種が良くも悪くも育ってきたものなのだから。
だから、今からできることは、これからの人生を大切にし、今後のために新たな種を蒔き始めること。
これから先をどう生きるか、これからどう過ごすか、これからの自分をどうしたいか。これからのための種を蒔き始めること。
そして、いつかきっと実を結び花を咲かせると願うこと、信じること。

本当の愛

2008年02月05日 | ひと言 雑記
愛するということは、
自分や相手のすばらしさを
実感することではなく。
いやなところを受け入れること。

良いところを好きになることは
誰にでもできるけど。
しかし、それは、愛ではなくて、
単なる好き嫌い。

醜い部分、いやな部分を許し、
受け入れるのが本当の愛。