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【0803/109:駅名改称問題】入試問題に影響?、湖西線「西大津」改め「大津京駅」:古都名称論争

2008-03-15 23:43:15 | Weblog

「大津宮(おおつのみや)」か「大津京(おおつきょう)」か――。3月15日のJR西日本ダイヤ改定で、大津市内にある湖西線「西大津駅」が「大津京駅」に改称されるのを機に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)が667年に造営したとされる都の名称論争が起きている。改称は市がJRに要請して実現したが、本格的な古代都市は見つかっていないのになぜ、「京」と呼べるのか、と学者や市民団体から異論が出ているからだ。歴史用語をめぐる騒動は、教育現場も巻き込みそうだ。

【写真】史跡案内では「大津宮」と表示されている=大津市錦織2丁目で
【写真】観光振興につなげようと、大津市がつくったシンボル緑地には「大津京」の名前がある=同市錦織2丁目で
【地図】近江大津宮錦織遺跡とJR西大津駅
 
●宮と京が混在

西大津駅から徒歩約10分の閑静な住宅街に、7世紀ごろの遺跡が点在する。中大兄皇子が即位した宮殿の跡とされる近江大津宮錦織(にしこおり)遺跡で、74年に滋賀県教委の埋蔵文化財技師だった林博通・同県立大学教授(62)が、内裏の南門跡とみられる巨大な柱穴を見つけたのをきっかけに宮の存在が徐々に明らかになった。

学術的には、天皇が政務を行う中核部を「宮」と呼び、「京」は、律令制に基づいて宮殿を中心に碁盤目状に区画された都市全体を指す。大津から本格的な都市遺構は見つかっておらず、最初の「京」は694年の藤原京とするのが定説だ。

その一方、同遺跡周辺では、マンションや「緑地」の名称などに「大津京」が定着している。

●百家争鳴

「文化の薫り高いまちづくりに役立てたい」。地元住民らが「駅名を大津京に」と署名活動を始めたのは00年。市側も背中を押される形でJRに駅名変更を要請し、昨年9月、変更が決まった。

市などが大津京のよりどころにするのは、林教授が持論とする日本書紀などの記述だ。林教授は日本書紀に「近江京」の名前があるほか、藤原京以前の記述にも「倭京」「京内」の文字が出てくることから、本格的な都市でなくても当時は「京」という言葉を使っていた、と主張。藤原京を基準に、それ以前を「第1段階の京」、以降を「第2段階の京」とし、大津京は第1段階の京に位置づける。

これに対し、山尾幸久・立命館大学名誉教授(日本古代史)は「京というのは、中国の唐を手本にした律令国家の完成以前にはあり得ない。大津京と呼ぶのは、100年を超す歴史研究を無視したものだ」と説く。日本書紀の記述については「律令政治の下で造営された『京(きょう)』と、単に都を意味する『京(みやこ)』を混同しているだけだ」。

市民団体「皇子山を守る会」は駅名再検討を市に要望。別の市民団体の代表らは先月、「存在しない歴史的な名前を使うことは、観光・文化行政の信頼を失墜させる」として、変更にかかった費用をJRから返還させることなどを市に求める監査請求をした。

●受験に影響も?

名称論争は日本史教育にも影響を及ぼしかねない。「大津宮→飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)→藤原京→平城京……」といった古代史の遷都順は、大学入試での頻出問題の一つ。筆記試験で「大津京」と答えたら、どうなるのか。「間違い、と判断されるでしょう」と大津市内の私立高校社会科教諭。

滋賀県立膳所高校で日本史を教える池田敏之教諭は「西大津駅を利用する生徒も多く、大津京駅になれば混乱する子もいるのでは」と戸惑う。

【関連ニュース番号:0803/74、3月11日】

(3月15日付け朝日新聞)

http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200803140156.html
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名称の論争でも認識の相違でもない (櫻井信也)
2008-04-02 22:35:08
 JR西大津駅の大津京駅への改名の是非について、これを「大津京」にすべきか「大津宮」にすべきかという名称の論争として理解するのは正しくない。また、学術用語であるか街おこしの象徴であるかという認識の相違とするのも誤りである。
 天智天皇の近江の都は、「大津京」という名称ではなく、歴史上に「大津京」は存在しない。また、学術用語としても適切ではない。本紙の記事も「学術的には、天皇が政務を行う中核部を「宮」と呼び、「京」は、律令制に基づいて宮殿を中心に碁盤目状に区画された都市全体を指す。大津から本格的な都市遺構は見つかっておらず、最初の「京」は694年の藤原京とするのが定説だ」としている。
それにも拘わらず、天智天皇の都は大津京であるとして西大津駅の大津京駅への駅名改変が行われたことが問題なのである。
 駅名の改変を推進した「JR西大津駅を『大津京駅』に改名する会」(以下「改名する会」と略称)は、平成12年2月から始めた署名活動の趣意書に「「大津京」をアピールすることが大津や滋賀の歴史や文化を学び・愛し・再認識するきっかけとなり、まちと人の活性化を促し、地域振興という大きな副次効果に繋がって欲しいものと期待します」と明記している。しかしながら、歴史的に誤った「大津京」という用語で、どうして「歴史」を学ぶことや再認識することができるのであろうか。
 「改名する会」による署名活動の初日、西大津駅に出向いてこの旨を説明し、また、同会事務局長の鈴木靖将氏にも手紙を差し上げている。その後、この問題については「「大津京駅」改名運動と歴史認識」(『古代史の海』第43号、2006年)として小文を草している。
 平成19年9月に駅名の改変がJRから正式に発表されると、古代史学者や考古学者から、これに対する反対意見が表明されるようになった。「時すでに遅し」という感も無くはないが、大津京駅への改名は、大津市民や滋賀県民の無知(文字通り知らないということ)を世間に示すに等しく、よもや、大津京などという名称の駅が誕生するとは考えてもみなかったというところであろう。これらの研究者の反対意見は、決して特異なものではない。あくまで、現在の研究水準に基づいて大津京という用語が適切ではないことを指摘したものであり、学界の通説を述べたのに過ぎないのである。
 このように、「大津京」の矛盾が指摘されると、「改名する会」を始めとする推進派は、本紙の記事に「街づくりに一役」「文化の薫り高いまちづくりに役立てたい」とあるように、その主張を一変させる。同じくこの問題を取り上げた平成20年3月10日付『京都新聞』朝刊の「ニュースセンサー」(長谷川真一記者)には、竺文彦氏の言として「駅名は地域の人たちがどうしたいのかが基本」「観光など地域の活性化には『宮』より『京』の方が有利」と記されている。また、平成20年2月23日付『毎日新聞』朝刊「現場から記者リポート」(鈴木健太郎記者)にも、竺氏は「『京』の方が街の活性化につながる」「学術的な議論は別にしっかりやってもらえばいい。街づくりには、都というイメージを大切にする住民の意思こそが重要」と述べている。つまり、歴史的事実は関係ないということなのである。
 しかし、先に趣意書を紹介したように、「改名する会」は、大津京をアピールすることは、歴史を学び、愛し、再認識することであると主張して署名を集めたのであり、天智天皇の都が大津京であることを事実としていたのである。大津京というものが存在せず、学問的にも適切ではないということを説明してきたわけではない。そして、あくまで、街の活性化や地域振興は副次効果なのであった。或いは、「大津京」は存在しないという日本古代史の通説を知らず、これを確認することもなかったということであろうか。そうであるとすれば、同会の改名運動は何とも安易な行為であったというべきである。
 果たしてこのようにして誕生した「大津京駅」で、滋賀県や大津市の歴史を正しく後世に伝えることができるのであろうか。そこまでして駅名を改変する必要が何処にあったのか。この問題は、「街おこしのロマン」VS「学術上の正確さ」というものではない、大津京か大津宮かという名称論争でもない。これらの記者諸氏には、そのあたりのことをもう少し掘り下げて記して欲しかったと思うのである。

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