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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

命日に綴る

2007-04-17 | 戯言あれこれ
今日は妹の命日だったのでお墓参りに行った。
母には余り出歩かない方がいいと止められたけれど、今日はどうしても
行きたかったのだ。
幸いまだ傷みはあるものの動けない程ではないし、車で送って貰う分には
大丈夫だから・・と私も同行。普段セカセカ足早に歩いているのだけれど、
ゆっくりしか歩けない今は丁度両親の歩調とはピッタリだった。
ぐずついた天気の一日だったけど、お参りしている間はどうにか雨にも
降られずに済んだ。ご先祖様ありがとう。

私の妹は摂食障害で亡くなった。
亡くなった時、身長160cmで体重は25kgしかなかった。
昨年末大掃除をしていた時ふと妹の事が頭に浮かび(その時近くに来てた
のだろうと私は思っている。)それから障害って事について改めてずっと
考えていた。なかなかブログに書けずにいたのだけれど、命日の今日ここ
に記そうと思う。

「障害」というのは、そのまま生きて行くには少し不自由で自分自身が
ままならない事のように思う。
生まれついての障害もあれば、後天的なものもある。なのにほとんど
の人は自分と障害とは無縁のような気がしているのはなぜだろう。
「性同一性障害」という言葉に抵抗を感じる・・という書き込みを時々
見かけるのは、「障害」という言葉に対するマイナスなイメージからに
他ならないのではないだろうか。

摂食障害は身体障害でも知的障害でもない為、手帳も取れなければ何の
制度の対象にもならない。
実際にはまともな日常生活を送る事が出来ず苦しんでいてもだ。
アルコールや薬物と違い、食べ物は完全に絶つという事が出来ない。
それ故にとても根が深い。
妹は約10年間入退院を繰り返した末死を迎えた。家族全員が共に悩み
苦しんだ10年だった・・。

「障害者」と「健常者」という言葉があるが、私はこれが余り好きではない。
子供が生まれた時、私も家族も五体満足だった事に安堵した。
でも肉体的に問題が無くても、うちの子のように内面に障害を持つ事が
後からわかる場合もあるし、私は自分自身も「健常」だとは思っていない。
障害と健常との境目って、誰がどんな風に決められるのか。

私がこんな風に障害を身近に考える事が出来るようになったのは、妹の
事や子供との生活を通して得たものからが大きい。
子供が小さい頃、就学前にある障害児専門の施設に親子で通っていた。
そこには自閉症やダウン症、脳性麻痺等の様々な障害を持つ子供とその
母親が通園していた。
ほとんどの子が自分の気持ちを表現する事が出来ず、身体もうまく動かせ
ない。でも皆ちゃんといろんな事を感じている。「気持ちの代弁」という
行為があるのだけれど、状況からその子の思いを読み取り代弁して声に
出し抱きしめてあげると、パニックになっている子供も落ち着きを取り戻して
くる。物言えぬ子達の気持ちをどうにか汲み取りたいと、毎日必死になって
過ごしていた。相手の立場にたって自分がそれを考えるという事を、私は
ここでの日々で学んだ。

それまでの私は、障害というものを頭では知っていても肌で感じる事が
なかった。世の中の大多数の人がきっとそうだろう。
障害はどこか遠い縁のない人の話。心のバリアフリーを叫んでみても、
他人事だから関係無い、良くわからないから怖い、面倒くさい、気持ち
悪い・・・それが現実ではないだろうか。今日あなたやあなたの身内が、
事故や病気で障害者になるかもしれないのに。
あなたが気づいていないだけで、身近な人が障害を抱えて苦しんでいる
かもしれないのに。

障害ってものはすぐ近くにあるんだよ。そこにいるんだよ。同じなんだよ。
・・そんな気持ちでいっぱいだ。
伝えたい思いは沢山あるのに上手くまとめる事が出来ない。それでも私は
これからも障害について考えて行くだろうし、自分がするべき事、やれる事
を模索して行くと思う。小さく愛しい者達の為に。

また書きます。



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4 コメント

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黙っていられない話題 (べにすずめ)
2007-04-18 00:57:33
こんにちは。
わたしは、左ひざの半月板が生まれつきふたつに割れているという「異常」を持っています。生活にも生命にも支障がなくて、でも人と違うので「異常」とわたしは呼んでいます。1万人に一人の症状らしいですが、わたしがこうだと判明した日の同じ病院に、同じ症状の患者さんが午前中いらしたそうで、看護士どもは笑ってやがりました。笑ってるってのは生活にも生命にも支障がないというので深刻じゃないけど、今思うと、ちょっとなーと思います。
友人の旦那は、37歳になってから、心臓の弁が生まれつき1枚足りないということがわかり、手術を受けて障害者手帳を交付されてます(この夫婦のご長男も内面に何かおありみたいです)。
ほかにも、生活にも生命にも支障のない先天性異常という話は、1件報告を聞いています。もっとデータを増やしたいです。
というわけで、人間、本当に身体に欠陥がない状態で生まれてこれる人は意外と少ないのではないかというのがわたしの考えです。赤ちゃんが生まれると、6~8%はなにかあるみたいですし。
だからどうした、なんですが。
こういう考えの人間もいるということは覚えておいてください。
育児、お疲れさまです。

http://d.hatena.ne.jp/kayoco/20060703 →こんなこともありました。
返信する
私自身が (J)
2007-04-18 10:20:35
考えのまとまらぬまま思いつく事を書き並べていますので、何が言いたいのかわからない・・という事かもしれませんが、この日記は障害を身近なものとして考えて行きたいという気持ちから書いたものです。
本当に苦しんでいる人達が理解を得られない現状へのもどかしさ、自分自身への問題提起とか。

べにすずめさんは、皆何らかの障害を抱えて生まれて来ている、何も気付いていない人ばかりではないよ・・とそういうお考えだと解釈しましたが宜しいでしょうか。
だとしたらそうして考えていらっしゃる人がいる事を知る事が出来て、私は嬉しく思います(^-^)
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はじめまして (ばーば)
2007-04-19 21:21:32
身体に障害、心に障害 沢山の人が持っています。
私自身も欝状態の時も躁状態の時もあります。
以前はこの世は光に満ち溢れていると思ったものが
今は悲しみに満ち溢れていると思うようになりました。
角度を違えて見るとずいぶん見えるものが違ってきますね。
返信する
ばーばさん (J)
2007-04-20 09:03:53
初めまして。コメントありがとうございます(^-^)

確かに同じ事柄でも角度を変えて見ると違った見え方がするものですよね。
つい一方からだけを見てしまいがちなのですが、視点を変えて見るという事は大切だと思います。

ばーばさんの今の悲しみが、どうか光りに変わりますよう・・・。
良かったらまた遊びに来て下さいね。
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