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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

自粛

2011-04-08 | 戯言あれこれ
以前から読んでいる、お菓子とお料理の大好きなブログがある。
少し前に本を出版されてすっかりメジャーになってしまわれたのだけれど、
その方の最近の記事で気になる事があった。

牛タンのグリルを載せたところ「震災で不自由な思いをしている人もいるのに、
配慮が足りない」とのお叱りのコメントがあったと。
それは函館のレストランからお取り寄せした牛タンの記事だったのだけれど、
牛タン=仙台だから不謹慎なのか!?

その方は名古屋の人なのだけれど、震災発生と同時期に父上を病気で無くされ
ブログをしばらくお休みしていた。
程なくして再開する時に、ブログにどんな記事を書こうか悩んだとの事。
普段通りの生活を送ることが良いのかという思いと、あえて普段通りにしなくては
いけないという思いとで、どうするべきか迷ったと。
でも名古屋に住むその方は、普通に生活を送ることのできるありがたさをかみしめて
節電しながら外食や買い物もなるべく普段通りにしようと思う・・と綴っていた。

私はこれを不謹慎だとは思わない。
被災地の方を思い、自分に出来る事は何かを考え過ごす事は大事。
でも何もかもを自粛して同じように不便な思いを共有しなければいけない・・と
強制するのは、ちょっと過剰反応なのではないかと思う。

震災を余りに他人事としか捉えていない東北、関東以外の方の記事を読んだり
するとちょっと悲しくなったりもするのだけれど、でもこれが現実なのかとも
思ったりする。
自分に関わりがなく被害が及ばないところで、リアリティを持って感じろと
言っても限界があるのだろう。

それでも必要以上に過剰な娯楽の自粛を求めるのは、何か違う気がする。
お花見したい人はすればいいし、ただするとしても自然にいつものような
バカ騒ぎにはならないのではないか・・と思う私は考えが甘いのだろうか?

相手の立場になって考えるという事に、今改めて思いを巡らせたい。



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4 コメント

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Unknown (ばーば)
2011-04-09 01:27:02
自粛も過ぎると嫌味です。生産者を潰し、配達する人の品物も無くなり、仕事を失う人も出てきますよね。 だから少しでも普段通りの生活をしようとしたその方の気持ちを大切にしたいです。 大震災や福島事故で、ともすれば沈む気持ちを奮い立たせようと私も努力中。一昨日友人と3人で花見に出かけましたが、話は震災の悲惨さの方に向かいがちで湿っぽい花見になりました。
趣味の朗読の仲間から「震災復興ランチ」のお誘いがありましたので、遠慮なく行ってくることにしました。
耐乏生活を強要し、少しでもはずれると近所みんなで非難し白い目でみた戦中の轍は踏みたくないです。古い人間だからこそ。
「相手の立場」から脱線してしまいました・・・
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その方は (J)
2011-04-09 10:17:31
「震災後、レストランなどの外食産業は閑古鳥が泣いている。売り上げ9割減のお店もあり、アルバイトの出勤カットを行うなど雇用にも影響が出て来ている。
個人消費が停滞してしまうと、経済的な二次災害を招いてしまう。震災地から復興を果たすためには、震災地以外の場所では今以上に必死に経済をまわしていかければならない」
という記事も紹介されていました。これって本当にそうだと思うのです。
日本全体が落ち込んでは立ち行かなくなってしまうでしょう。

戦争中にもこういった状況はあったのですね。経験者の方のお話を聞き新たに考える事も財産です。
「震災復興ランチ」行かれましたらぜひまたお話聞かせて下さい(^-^)
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思うに (にっき)
2011-04-10 01:53:41
思うに、当事者の悲しみは深すぎて、いくら思いを寄せてもたどり着けないものだと思います。

昨日、避難所に支援物資を持っていったのですが、最近耳にするのは、被災者格差。津波に流された家とそうでない家。家族が行方不明の人と無事な人。仮設住宅に入れる人と入れない人。豊かな避難所とそうでない避難所・・・・。キリがありません。

思うに、自粛といっても、その程度は、被災者の不便さや苦しみには決して及ばない。

でも、思うに、本当は、被災者(私の場合は半分被災者、半分部外者ですけど)は、喜びに共感して欲しいのでは?
私たちの悲しみに共感してくれるのはうれしいけど、私たちの喜びに共感して欲しい。

行方不明の人が見つかった。温かい食事をとることができた。ガソリンが手に入った。電気が復旧した。水が出た。笑った。希望ができた。

一緒に喜びを分かち合いましょう。



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いつも (J)
2011-04-10 11:44:35
何を書いてもきっとそれは綺麗事でしかなく、自分の思いなど被災地の方が実際に感じているものとはかけ離れているのだろうと、そんな気持ちが頭の片隅にあります。
当事者の方の苦しみに近づこうなんて、おこがましい話だろうと。

それでも私達被災地以外の人間は、自分に出来る事は何か日々問いかけ考えながらやっていくしかないのだとも思っています。

震災に関する記事を書く度にっきの事を想っています。
喜びを分かち合う・・そうだね。悲しみよりも喜びを。希望の笑顔を。
あなたからは本当にいつも沢山のかけがえのない気持ちを貰っているよ。ありがとう。
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