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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

XXY

2007-09-17 | 本・映画
スペイン・ラテンアメリカ映画祭で「XXY」を観た。

『15歳のアレックスには、誰にも言えない秘密があった。彼女が生まれて
すぐブエノスアイレスを去り、ウルグアイとの国境近くの寂しい漁村に
移り住むことを決めた両親。そんな彼らの孤独な家に、客人が到着する
ところから物語は始まる。招かれたのは、整形美容外科医とその妻、
そして16歳の息子イバロスの3人。誰もあまり語りたがらず、目配せばかり
が飛び交う居心地の悪い空気・・・彼らはなぜ招かれたのか?大人たちの
思惑をよそに、同世代のアレックスとイバロスは次第に交友を深め、
親密な関係になっていく。そして、秘密は明らかになった・・・。 』

                          映画祭公式サイトより

アレックス役の女優さんは実際には23歳との事だったのだけれど、
身体つきや表情などとてもアレックスらしくはまり役だと思えた。
アレックスは内性器は女性、外性器は男女両方の状態で生まれ、両親は
手術をせずにホルモン療法をしながら女性として彼女を育てたとの事。
15歳になったある日から、彼女は自らホルモン剤を飲む事を止める。
成長し変化して行く肉体、男女の狭間で揺れる心。
彼女の体の秘密は村の人々に知られる事となり、様々な事態が彼女を
襲う・・・。

母親が整形外科医を呼んだのは彼女に手術をさせようと考えての事
だったけれど、最終的に彼等は彼女にどちらを選ぶか選択権を託す。
実際にインターセックスとして生まれた人のほとんどが、何の自覚も
ないうちに周りの大人によって手術を施され、どちらかの性に振り分け
られて育てられているのが現実だろう。
今の世の中では男女どちらかに属していないと、出生届を出すその
瞬間からもう不都合が生じるから。トイレ、お風呂、学校、全ては
男女に分けられ、それ以外の人は存在しないかのように成り立っている。

アレックスの「知ればいい。」「薬はいや、手術もいや、このままがいい。」
という言葉が印象的だった。
物語は最後まで語られずに終わるので、彼女はどちらを選ぶのか・・
という思いが残った。いや、そのままでいるという選択肢もあるのだと
少ししてから気がついた。

上映後監督さんの舞台挨拶とディスカッションがあったのだけれど、
監督は美しい女性の方で脚本は彼女のご主人が書かれたものだそうだ。
これまで彼女は短編しか撮っておらず、他人の作品の脚本を書く方が
多かったのだけれど、この本だけは自分が撮りたい!と思いメガホンを
撮ったとの事。
彼女のコメントを以下某所から転載。

『多くの人は知らないが、外性器があいまいな状態で生まれてくる
赤ちゃんもいる。「XXY」はある若者が自分のアイデンティティと折り
合っていくときの、残酷で変革の起きる瞬間を捉えた作品だ。
「自分自身の身体を恐れるほど残酷なことはない」、と「正常化手術」
を受けたある若者が私に言ったことがある。彼は手術による傷を体に
持ちながら成長した。この切断において、性器のあいまいさへの恐怖は、
差異の恐怖から生み出されるすべての切断へのメタファーなのだ。』

日本語訳はないけれど、海の底にいるような美しい公式サイト。
http://xxylapelicula.puenzo.com/main.html