中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

挙一反三 (一を聞いて十を知る)

2009年08月24日 | 中国語成語
挙一反三
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ひとつのことから類推して多くのことを知る(一を聞いて十を知る)

人民論壇:享受生活従“知味”開始
張保振 2009年06月10日04:06 来源:人民網-《人民日報》

中国社会は豊かになり、金さえ出せば何でも買えるようになった。しかし反面、様々な精神的ストレスを受けるようになり、そのため、「生活を楽しみたい」という欲求が出てきた。今回紹介するのは、“生活を楽しむのは「味を知る」ことから始まる”という話である。

人若能做到享受生活毎一天,固然妙不可言,但享受不是“充飢”,不是把肚子填飽就行,享受是要“品味”的,而品味就需要“知味”。
[訳]毎日の生活を楽しむことができるというのは、もとよりたいへんすばらしいことだが、楽しむとは「飢えを癒す」ことではなく、腹を一杯にすればよいということではなく、楽しむとは「味わう」ことが必要で、味わうには「味を知る」ことが必要である。
妙不可言 そのすばらしさは言葉では言い表せないほどである

人莫不飲食也,鮮能知味也。”2000多年前,孔子這様感嘆。不知味的原因,除了物質不豊富、温飽問題未得到解决還来不及品味、知味外,関鍵在于缺少“知味”的能力。知味就要辨味,而辨味需要訓練学習、経験積累、帰納総結与創意評価。
[訳]「人は飲食をしないのではない。味を知る者が少ないのである。」2000年余り前、孔子はこのように感嘆した。味を知らない原因は、物質が豊富でなく、衣食が足りるという問題が解決まで至っておらず、まだ「味わう」「味を知る」ということができない以外に、大切なのは「味を知る」能力が欠けていることである。味を知るとは味を見分けることであり、味を見分けるには訓練、学習、経験の蓄積、帰納・総括、創意・評価が必要である。
● 人莫不飲食也,鮮能知味也
《中庸》の中のことば。《中庸》は四書のひとつで、儒教の総合的解説書。孔子の孫、子思の作とされる。詳しくは、下記参照。

疏八珍之譜,以為知味,不如庖丁之一啜。”要享受生活,就要多親歴、多親嘗。只有行之篤,才能知之明;只有行無窮,才能知無窮。不行,難有真体験;不嘗,難知真味道;不行不嘗,難有真享受。
[訳]「珍しい料理のメニューをよく知っているから、味を知っているというのは、料理人が味見をするのにも及ばない。」生活を楽しむには、もっと自ら経験し、自ら試してみなければならない。熱心に行動してこそ、物知りになれる。行動が無限であれば、知識も無限である。行わなければ、本当の体験はできない。味見をしなければ、本当の味はわからない。行わず試さなければ、真に楽しむことはできない。
● 疏八珍之譜,以為知味,不如庖丁之一啜
魏源(清)《海国図志》のことば。下記参照

要“知味”而獲得生活的楽趣, 還離不開帰納総結和創新。“挙一隅不以三隅反,則不復也。”這就需要善動脳,能挙一反三;善聯想,能触類旁通;善推理,能以近知遠。聴于無声,見于無形,嘗一滴之咸,而知滄海之性;窺寸隙之光,而見日輪之体。否則,品味而不“回味”,很難真正地享受到味道之美、之鮮。人不応似螞蟻,只会去收集;也不応似蜘蛛,只会従自己肚中抽絲;人応如辛勤労作的蜜蜂,采集百花之蕊,譲造出人見人愛的香甜蜂蜜。
[訳]「味を知る」ことで生活の楽しみを得ようと思えば、更にそれを総括して新しいものを創造することを忘れてはならない。「壁の一隅を示して、残る三隅を推察することができなければ、もうあなたを教えない。」これは、頭を使って、一つのことから多くのことを類推することができる必要があるということである。連想が上手であれば、ひとつのことから類推し他を理解することができる。推理が上手であれば、近きから遠くを知ることができる。声無きを聞き、形無きを見、一滴の塩辛い水滴を嘗め、それにより大海原の性格を知る。差し込む光を見て、太陽全体を知る。そうでないと、味はみているが「後味を味わう」ことをしていないので、味の美しさ、鮮烈さを本当に楽しむことはできない。人は蟻のように物を集めるだけではだめで、クモのように自分の腹の中で糸を繰るだけでもだめだ。人は懸命に働くミツバチのように、たくさんの花のおしべの花粉を採集し、皆が好きな甘い蜂蜜を醸し出さねばならない。
● 挙一隅不以三隅反,則不復也 
《論語・述而》から出たことば。
● 挙一反三  
「挙一隅不以三隅反,則不復也」を基にできたことば。
● 触類旁通 chu4lei4pang2tong1
一つの事柄から類推して他を理解する。意味は「挙一反三」とほぼ同じ

柔軟な発想で、何事にも積極的に関心を持つ。こういうプラス思考が大切である、ということです。

【人莫不飲食也,鮮能知味也】
人は飲食をしないのではない。味を知る者が少ないのである。
[出典] 《中庸》説“人莫不飲食也,鮮能知味也”。能吃不代表喜歓吃,喜歓吃不等于会吃。能吃的人,饕餮tao1tie4一生也未必知道自已在吃些什麼;喜歓吃的人,津津楽道于某些口歯的艶遇;会吃的人,于尋常瓜菜中也能発掘旖旎yi3ni3風情,故才能享無辺風月。
[訳] 「食べられる」は「食べるのが好き」を代表しない。「食べるのが好き」と「食べることの達人」は同じではない。「食べられる」人は、食いしん坊の一生の中で、自分が何を食べたか必ずしも知らない。「食べるのが好き」な人は、口や歯の快感を興味深げに話す。「食べることの達人」は、日常のありふれた食事の中からたおやかな風情を発掘できるので、果てしのない景色を享受できるのである。

【疏八珍之譜,以為知味,不如庖丁之一啜】
珍しい料理のメニューをよく知っているから、味を知っているというのは、料理人が味見をするのにも及ばない
[出典] 魏源(清)《海国図志》及之而后知,履之而后艱,烏有不行而知者乎?披五岳之図,以為知山,不如樵夫之一足;談滄溟之广,以為知海,不如估客之一暼;疏八珍之譜,以為知味,不如疱丁之一啜
[訳] 物事は実物に接してはじめて知ることができるし、自ら実践してはじめて物事を行うことの難しさを知ることができる。しかし実践もせずに知識を得ることはできない。五岳の地図を開いて見て、それでもって山を知ったというのは、樵(きこり)の一歩にも及ばない。大海原の広さの話をして、それでもって海を知ったとするのは、遠方と取引する商人の一瞥にも及ばない。珍しい料理のメニューをよく知っているから、味を知っているというのは、料理人が味見をするのにも及ばない
・烏有 まったく無いこと
・披 披露する。展示する。
・滄溟 海洋
・估客 商人。ここでは、遠方から来た商人
疏八珍之譜 疏:よく知る。八珍:八種類のめずらしい食品。譜:メニュー
・疱丁 pao2ding1 料理人。コック
・啜 chuo4 すする。味見をする

【挙一反三】
一つの事から類推して多くの事を知る。四角な物の一隅を取り上げて教えれば、それによって他の三隅を類推して理解するように、積極的に自分で考え求めること。(一を聞いて十を知る)
[出典] 《論語・述而》:“挙一隅,不以三隅反,則不復也”
[訳]私は壁の一隅を示すので、あなたがたは残る三隅がどのようであるか推察しなさい。それができないなら、私はもうあなたがたを教えない。この前に、「不憤不啓。不悱不発」ということばが出てきます。これは、「わかろうと努力しなければ啓発しない。発言をしようとしなければ説明しない」ということ。孔子が弟子たちに言ったことばです。「挙一反三」はここから生まれました。
[類似語]
・融会貫通 rong2hui4guan4tong1 ある事物に関するあらゆる知識や道理を知り尽くすことによって、その全体の理解に達する。完全に理解する
・触類旁通 *上出
[反意語]
・囫圇吞棗 hu1lun2tun1zao3 ナツメを丸呑みにする。物事をよく検討せず鵜呑みにすること。
・不求甚解 、浅嘗輒止 bu4qiu2shen4jie3, qian3chang2zhe2zhi3 徹底的に理解しようとせず、上っ面だけかじってやめる


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