中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

文の変換を利用した語義の明確化

2010年10月26日 | 中国語
 中国語では、文型まで変えるのではないが、語順を変える等、多少の変換をすることで、文に様々なニュアンスを追加することができます。こうした変換は、表現を豊かにするだけでなく、詞で構成される文が持つ意味の紛らわしさの解消、或いは語義の識別に利用することもできます。今回はこうした文の変換について見ていきます。

                         句式の変換とその応用
                           一 句式の変換

  文(“句子”)は言語の基本運用単位である。人と人の交際、思想交流の過程で、話をする人は必要に基づき文に変化を加えることができる。この変化は、文の基本構造まで変えるものではないが、これにより若干の色彩(ニュアンス)が加わる。こうした変化は、文には起こるが、文を構成する詞組には見られない。例えば主述詞組は、常に主語が前で述語が後ろだが、主述文では反対の語順になることがある。例えば:
   (1)写得多好啊,這篇文章
   (2)都読了嗎,你們

 この二つの文の主語は後ろに置かれている。例(1)は強烈な感情を表現するためで、例(2)は述語を強調するためである。口頭で表現する時、これらの文の中では明らかに語気の停頓が起こり、それは書面では逗号(コンマ“,”)で表示される。

 修飾語は一般に中心語の前に置かれるが、文中の修飾語は中心語の後ろに置かれることがある。例えば:
   (3)我們曽経抵制那些壊作品,色情的暴力描写的
   (4)学生們都跑来了,従操場上従教室里従学校的毎個角落

 動賓詞組では、動詞が前、賓語が後ろで、順序は固定されている。一定の条件下では、動賓述語文の中の賓語は動詞の前にも置くことができる。通常見られるのは:
(一)賓語が疑問代詞で、通常“都”、“也”と共に用いられる場合。例えば:
   (1)我哪儿都不去。
   (2)他什麼都会,真是一個能干的人。

(二)賓語の前に“一”があり、後ろに否定を表す副詞“不”、“没”、“没有”があり、“一……不(没有)”の文型が構成される場合。例えば:
   (3)我一個人都不認得。
   (4)山上一戸人家也没有。

(三)いくつかの賓語は、疑問代詞ではないが、文全体が列挙形式の時、クローズ(“分句”)中の賓語が動詞の前に置かれることがある。
   (5)我上海也到過,天津也到過,几個大都市都到過。

 形式上は並列するいくつかの項目は無いけれども、意味の上で言っているのが一項目に止まらない時も、この形式が採られることがある。例えば:
   (6)我上海也到過。

 以上の三つには、共通の特徴がある。つまり、普遍性を指す(“遍指”)と同時に、賓語が強調されている。“哪儿都不去”は如何なる場所にも行かないという意味であり、“一個人都不認得”は如何なる人も皆知らないという意味である。例(5)で列挙されている“上海”、“天津”にも、普遍性の意味を含んでいる。

  賓語が動詞の前に置かれる時、賓語の位置が変わるだけで、動詞と賓語の間の構造関係は変化しない。“我們応該向他学習”のような場合は、ここでは“他”は既に“学習”の賓語ではない。“向他学習”は偏正構造であり、動賓構造ではない。

 偏正構造の複文(“偏正複句”)では、“偏句”、つまり副文(或いは修飾文)が一般に前に置かれ、“正句”、つまり正文(或いは被修飾文)が一般に後ろに置かれるが、反対の語順になることもある。このことについては後述する。

 二つの単文をつないで、一つの単文にするのも、文の変化のもう一つの形式である。例えば:
   (7)他洗衣服。+ 他洗得満頭大汗。→ 他洗衣服洗得満頭大汗。
   (8)在旧社会,媽媽忍痛把姐姐売給人家。+ 姐姐給人家当童養媳。→ 在旧社会,媽媽忍痛把姐姐売給人家当童養媳。
   (9)你到過北京?+ 你没有到過北京?→ 你到過北京没有?
   (10)他聴得見?+ 他聴不見?→ 他聴得見不?


                     二 “岐義”(紛らわしい意味)の解消

  “岐義”、つまり紛らわしい意味が発生する原因は多種多様である。いくつかの岐義は詞を文中で用いる中で、詞が多くの意味を持ち続けるために発生する。例えば、“小店関門了”の中の“関門”は、営業を停止したことを指すし、営業時間が過ぎたことを指すこともできる。文法関係が不明確であるので発生するものもある。例えば、“研究方法十分重要”の中の“研究方法”は動賓関係と理解することもできるし、偏正関係と理解することもできる。いくつかは、語義の関係の確定が難しいために発生する。例えば、“反対的是他的弟弟”の中の“反対的”は動作の主体(“施事”)にも、受身(“受事”)にも取れる。文の構造の階層区分がはっきりしないため発生する場合もある。例えば、“他們三個一組”の区分方法は一つではない。岐義を解消するには、前後の文を利用することができる。用いることばを変えたり、語句の運用を変換することもできる。句式、つまり文の形式の変換を利用して岐義を解消するのは、幅広く運用されている方法である。以下に例を挙げて説明する。
   (1)今天下午我們小組討論。
      a.今天我們下午小組討論。
      b.今天我們小組下午討論。

   (2)他們能考慮安排這些事情。
      a.這些事情他們能考慮安排。
      b.安排這些事情他們能考慮。

 上の例文は何れも意味が紛らわしいが、aやbに変換してやると意味が明確になる。


                          三 語義の識別

 いくつかの文は同じ文型に属しているが、包含する語義の関係は一様ではない。その差異を識別するため、文の変換を利用することができる。例えば:
   (1)a.飯吃完了。
      b.飯吃飽了。

 aは“被”を使った文に変換し、“飯被××吃完了”とすることができるが、bはこのように変換することができない。これは“完”と“飯”の間に語義上の連係があるからで、“飽”と“飯”の間にはこのような連係は無い。

    (2)a.他們来了客人。
      b.他們来了三位。

 aは“他們的客人来了”と変換することができるが、bはこのように変換することができない。これは“客人”は“他們”とは別のもので、一方“三位”は“他們”と同じものであるからである。

   (3)a.我找不着先生教。
      b.我找不着東西吃。

  aは“我找不着先生教我”と変換することができるが、bはこのように変換することができない。これは、“我”は“教”に対しては受身(“受事”)、“吃”に対しては動作の主体者(“施事”)であり、文中の語義の関係が異なる。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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