中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

現代漢語への古語、方言、外来語等の吸収、採用の原則

2010年07月04日 | 中国語
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 今回は、前回の慣用句、成語のところで触れた、「言語規範化の法則」という概念について、述べられたところを見ていきたい。

              語彙が各種の成分を吸収する原則

(一)普遍性の原則

 古語の現代語への移入、方言の標準語への移入、外国語や他民族のことばの中国語への借入、及び専門的な技術用語の一般化は、普通語(中国語の標準語)の語彙を更に豊かにする。しかし、普通語の語彙が古語、方言、他の民族の言語、社会習慣語の各種の成分を吸収、採用するには、基準があり、条件がある。これは、新語の創造と同様、語彙の規範化の原則に基づかねばならない。

 先ず、普遍性の原則に基づく。

 普遍的な使用、或いは次第に普遍化することは、現代語が古語を採用する重要な条件である。もし、いくつかの古語のことばが現代社会の生活の中で通用することができるなら、それらは次第に古い、書面語的な性質から脱し、普通語の口語の中に入って来る。これに反し、もし現代社会の生活で通用しないなら、それらは死んでしまった、生気の無いものである。
 例えば、“老百姓”(民衆、一般大衆)は使われるが、“黎民”は使われない。“拂暁”、“黎明”(明け方)は使われるが、“昧爽”は使われない。“琢磨”(鍛え上げる)は使われるが、“切磋”は使われない(“切磋琢磨”の成語の形で使用)。

 方言の採用も、その普遍性を重要な基準としている。例えば、“搞”、“垮”kua3(崩れる)、“尶尬”gan1ga4(具合が悪い、気まずい)等は特殊な意味を表すのに用いられ、また普遍的な使用の事実と趨勢があり、普通語のことばになった。北方方言の地域では、時にはいくつかの意味の全く同じことばが使われ、普通語の中にもその中の普遍的に通用しているものが採用され、一方、普遍的でないもの(“偏僻的”)或いはあまりに土俗的なものは採用されなかった。
 例えば、“饅頭”(マントウ)は採用されたが、“馍馍”mo2mo、“蒸馍”は採用されなかった。“蚜虫”ya2chong2(アブラムシ)は採用されたが、“膩虫”、“蟻虫”、“蜜虫”、“油虫”、“旱虫”等は採用されなかった(“膩虫”は俗称として使われるようだ)。
 北京の“土語”の“老爺儿”(太陽の意味)、“肉杠”(豚肉を扱う肉屋)、“格渋”(人と異なる、の意味)等も、あまりに土俗的過ぎるので、採用されなかった。
 その他の方言地域のあまり通用していない方言も、特殊な必要がなければ、なおさら採用されることはない。

 一つの外来語(“借詞”)で、いくつかの異なった言い方がある場合は、そのうち一種を採用し、規範とする。選択の主な基準は、どれが実際の使用での普遍性が最大であるかである。
 例えば、“水泥”(コンクリート)は採用されたが、“洋灰”、“水門汀”は採用されなかった。“保険”(Insurance)は採用されたが、“燕梳”は採用されなかった。“汽水”(サイダー)は採用されたが、“荷蘭水”は採用されなかった。“郵票”(切手)は採用されたが、“士坦”は採用されなかった。“商標”(マーク)は採用されたが、“唛”mai4は採用されなかった。“暖気管”(スチーム)は採用されたが“水汀”は採用されなかった。
 また、“米”(メートル)は採用されたが、“密達”、“米突”、“米達”は採用されなかった。“尼龍”(ナイロン)は採用されたが、“呢隆”は採用されなかった。“法蘭絨”(フランネル)は採用されたが、“佛蘭絨”は採用されなかった。“巧克力”(チョコレート)は採用されたが、“巧格力”、“朱古力”は採用されなかった。

 社会習慣語については、専門用語や技術用語であれ、一般の言語の中で意味が拡大された用法であれ、一般的に最も普遍的に通用しているものが用いられ、用語の統一が求められる。

(二)必要の原則

 次に、必要に基づく原則である。

 適宜に古語のことばが運用されるのは、特殊な意味を表す必要があるためで、差別的な意味、厳かな、或いは諷刺的な意味を表す、及び歴史的事実を叙述する時のような場合であり、復古を提唱して古語のことばを使うのではない。“抵京”、“莅校”、“購物”、“従事”といったことばを用いることを好み、“到京”、“来校”、“買東西”、“進行(做)”を使わない人がいるが、このようにすることは、意味の表示の面では必要でないばかりか、却って意味を難解にしてしまっている。

 全ての文学作品は、専ら特殊な地区の人々の需要により書かれた方言文学以外は、全て標準語(“普通話”)のことばで書かれるべきである。標準語の中に吸収された方言のことばは特殊な、差別的意味を表す必要のためである。
 例えば、標準語のことばの中に、上海の“土語”の“癟三”bie1san1(ごろつき。チンピラ)、“噱”xue2(笑う)、拆爛汚ca1lan4wu1(ごまかしをするいいかげんなことをして人に迷惑をかける)、“像煞有介事”xiang4sha4you3jie4shi4(まことしやか)などが吸収された。しかし、“白相”bai2xiang4(遊ぶ)、“打烊”da3yang4(閉店する)、“辰光”chen2guang1(時間)、“淴浴”hu1yu4(風呂に入る)、写字間(事務所)等は、標準語の中に既に適切なことばがあり、方言のことばを採用する必要がなかった。

 外国語の中から必要な成分を吸収し、適用することのできるものを吸収することは、全く必要である。しかし、外国語のことばをそのまま無理やり持ってきたり、乱用してはならない。
 例えば、喔開(OK)、派司(Pass)、司的克(Stick)、乃木温(No.1)、剛伯度(Government)、賽因斯(Science)、拉司卡(Last Car)、曲奇(Cookie)、克力架(Cracker)などは、このような外来語が多用され、ことばの中に充満すると、ことばが傷つけられてしまうので、整理し使わないようにするべきである。[注1]
 どうしても必要で、ある程度すでに国際的なことばになっているものは、吸収して使っても構わない。例えば、“邏輯”(ロジック)、“威士忌”、“奥林匹克”、などである。 

 まとめると、中国語の中に吸収するかどうかは、実際に必要とする情況をみて決めなければならない。

 専門用語や技術用語は、意味が拡張し、転じて一般的なことばとなったもの以外は、一般言語の中で必要な時にだけ使うべきである。

(三)意味の明確化の原則

 第三は、意味の明確化に基づく原則である。

 標準語の中で普遍的に使用されている古語のことばは、通常、意味が明らかで、一般の人が理解できるものである。それに反し、めったに見ない(“生僻”)古語のことば、例えば、“璀燦”cui3can4(珠玉のきりきら光るさま)、“葳蕤”wei1rui2(草木がよく茂るさま)、“嶒嶝”ceng4deng4(挫折する)、“夭夭”yao1yao1(草木がよく茂るさま)などは、意味が明確でなく、一般の人の理解が難しいので、使わない方がよい。  [注2]

 標準語に方言のことばを採用する場合は、意味の明確化を要求しなければならない。誤解や混乱を避けるため、意味の不明確な、不適切な方言を使ってはならない。例えば、“電車”は使われているが、方言の“磨車”は使われない。“輪船”は使われるが、方言の“火船”、“電船”、“車船”などは使われない。

 中国語の中で、外国語の吸収については、しばしば元は外来語(“借詞”)であったものが、後に別の新語が作られるが、これは一部は漢字の影響を受けるためだが、主な原因は、ことばの意味伝達の明確さの要求のためである。もし適当な新語がなかったり、新語の意味表現があまり適切でない場合は、外来語が用いられる。
 例えば、“邏輯”(ロジック)は用いるが、“論理学”、“名学”は使わない。“托拉斯”(トラスト)は用いるが、“企業公司”は用いない。
 また、新語の中に、めったに見ない字が含まれる場合は、しばしばよく知っていて意味の明確な字に改められる。例えば、“清漆”(ワニス)は用いるが、“凡立司”は用いない。“燃焼弾”(焼夷弾)は用いるが、“焼夷弾”は用いない。

 専門用語、技術用語についても、その意味を正確に理解できてはじめて、適切に使用することができる。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年より翻訳

[注1] 外来語の使用であるが、時代とともに、変化も生じている。
 例えば、“曲奇”(Cookie)であるが、1980年頃であれば、外国製クッキーがまだ珍しく、日常のおやつであれば、“餅干”と言っていれば事が足りたのであるが、生活レベルの向上で、高級クッキーが入って来ると、ことばとして区別したい、という需要から、“曲奇”が市民権を得るようになった。元々、広東の“皇后恋曲”というメーカーが使い始めたようである。
 “朱古力”は未だ市民権まで得てはいないようだが、字の感じがダークブラウンの色を連想させるので、一部の人が使っているようである。香港や広東語から入ってきたことばも多い。
 ことばは生き物である。時代とともに、普遍化されて定着するケースがある訳である。

[注2] “葳蕤”wei1rui2について。5月に来日した温家宝首相が、歓迎レセプションで、以下のような漢俳(日本の俳句の形式を漢詩に応用した詩文形式)を詠んだ。
     融氷化春水、
    雨過青山分外翠、
    大地生葳蕤
 意味だけで言うと、三句目は、大地盛樹木、などとしても構わないはずだが、ここで敢えて“葳蕤”というめったに使わない古語を使った理由は、各句の末尾を“ui”音の語で統一し、脚韻を踏ませるためである。通常のスピーチでは絶対に使わないだろうが、詩という特別な環境なので、敢えて使ったのである。