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世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

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“不老不死”を売る“方士・徐福”という人物

2007-07-26 17:43:06 | Weblog
 “「東方の三神山に不老長寿の霊薬がある」と具申して、始皇帝の命を受け、財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出した。到着した土地で、徐福は「平原広沢」の王となり中国に戻らなかった。”(『史記』秦始皇本紀28年(紀元前219)の条:wikipesia)

 周知のとおり「徐福伝説」は各地に伝わるが、ここでは1989年4月29・30日佐賀市で開催された日中友好佐賀シンポジウム「徐福をさぐる」の記録『徐福伝説を探る~日中合同シンポジウム』(小学館)を参考にする。

 佐賀で開催されたのは、1986年の発掘調査で「吉野ヶ里遺跡」が世間の注目を集めていた時期で、「徐福伝説」と吉野ヶ里遺跡に接点がありはしないかと日中の学者の関心が高まっていたためである。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1

 “不老長寿”とは読んで字のごとく「老いることなく生きながらえる」ことである。古代中国には“不老不死”を求めた神仙の方術「仙術」があるが、元来頑健でなかった秦の始皇帝はこの「仙術」を用いる“方士”を身近においていたといわれる。現代風に言えば“老化せずにいつまでも若々しく”ありたいという願望が強かったのだろう。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D

『道教と不老長寿の医学』(平河出版社)の著者吉元昭治医師はいう。

 <多くの人々は、生への欲望は医学に、死への恐怖は宗教にたよるようになる。つまり、「生と死」「医学と宗教」とは、表と裏の関係にあるわけで、人類の長い歴史のなかで、この両者は全く同じ時代をすごした時があって、世界のどこでも、医学の始まりは、巫医時代という、両者が一つであった時を経験した。…>

 つまり、“不老長寿”とは人間の「生への欲望」で、時代にかかわらず人びとの心に宿る本能みたいなものであろう。吉元昭治氏がいう「巫医時代」は弘法大師空海が「医僧」であった例でわかるように、中世から近世に至るまで僧もしくは寺院が医療に関与した例は多い。先日述べた“永観堂 禅林寺”の施療院もそうだし、薬草園を手広く開く外国の僧院もその名残だろう。現代でもこの巫医雑混のあやしい“不老長寿”の宣伝が目につくが、そこには人びとの「生への欲望」をかきたて、くすぐる仕掛けが潜んでいる。

 絶大な権力を手にした秦の始皇帝がもっとも怖れたのは「自分自身の身体」だった。釈迦が説くように、「生・老・病・死」は生あるものの定めで避けようがないのだが、皮膚がたるみ、視力が落ち、毛髪に白いものが目立ち始めたわが身を怖れた。側近の“方士”たちはその始皇帝をサポートしていたが、ここに「東方に霊薬あり」という方士“徐福”が登場する。

 始皇帝は“徐福”に莫大な資金を与えその「霊薬」を採りに行かせる。旅立って9年後、“徐福”は始皇帝の前に現れ、「大鮫に邪魔されて辿り着けなかった」という。さらに、「海神が礼が薄いといって薬を採るのを許さない」といって、良家の童男童女3000人とさまざまな技術者、五穀の種などを始皇帝からせしめて再び旅立ち、海を隔てた東方に「平原広沢」の地を得て王となり、二度と秦に戻らなかった。(『史記』)

 “徐福”が辿り着いた「平原広沢」とはいったいどこか。説は多いが、いまだ確定していない。私の関心は「平原広沢」ではなく、“徐福”がいう“不老長寿の霊薬”にある。日中シンポジウム『徐福伝説を探る』には「道教」研究の大家・故福永光司先生の「徐福と吉野ヶ里遺跡の墳丘墓」と題する講話が掲載されている。ここに興味深い話がある。

 福永光司先生は、『史記』の記述から“徐福”が実在の人物だったと断定し、彼が“方士”であったことに注目する。

 <この時代つまり秦漢時代、西暦前3世紀から前2世紀、1世紀のころ、いまの山東省から河北省、日本や朝鮮と海を隔てて隣接している地域ですけれども、そこにたくさんの方士という職業集団の人たちがいて、皇帝やその他の政治権力者たちに自分の不老不死の技術の売込みをやるわけです。
 すべて人間の欲望は、最終的には不老不死の欲望となる。…戦場で戦闘にあけくれてくたびれますと、とにかく欲望というのは、ただ寝ることだけですね。…眠りが少し足りると、あとは食い気で、腹がある程度ふくれますと、今度は色気になる。…そのつぎは名利の欲望になる。…その上へずっと行きますと、結局、権力欲、他人を支配したいという欲望にとりつかれて、それの絶頂に立つと、あとは死にたくないという欲望にとりつかれるようです。…>

 “方士”とは、宗教と医学、薬学を含む広い意味の科学技術の専門業者。この“方士”たちが「不老不死」を実現するために行なった術に錬金術があげられている。『史記』に記す。

 「少君言上曰、祀竃則致物、丹沙可化為黄金。黄金成以為飲食器則益寿。」

 福永先生の解説。

 <「上に言いて曰く、竃を祀れば、則ち、物を致す」。この場合の物というのは、神仙とか鬼神とかいう超越的な存在。物の怪の物です。…そして朱の原料になる丹沙、これを化して黄金と為すべし。丹沙を原料にし、水銀をつくって、それをさらに化学処理して黄金をつくることができる。

「黄金成りて以て飲食の器と為せば、則ち寿(よわい)を益す」。つまりその黄金を飲み食いの器に使うだけでも不老長生の効果がある。
 
 これを日本でまじめに実行したのは、九州の名護屋に来た豊臣秀吉です。金屏風をめぐらせて、茶器も全部純金製の黄金を使っていますけれども、あれは熱烈な道教信仰です。この秀吉の使ったものが、いま京都の西本願寺に持ち込まれていますけれども、それ見ると、秀吉がいかに中国の黄金神仙信仰のとりこになっていたかということがよくわかります。
 
 現に金沢で盛んな金細工の職人は、ふつうの人よりだいたい十年は長生きするというふうにいわれていて、それは金粉をしょっちゅう扱うから、金粉が体内に入って、その作用で長生きするんだという説があります。…>

 秦の始皇帝は50歳で死んだ。“方士”による薬剤処方(水銀多用?)ミスが寿命を縮めたともいわれる。「不老不死」を探究した始皇帝だけでなく、のちの皇帝のほとんどが短命だったという。これは「寿は自然にしかず」の教えを示したものといえそうである。
 
 http://www2.saganet.ne.jp/jyofuku/

 http://inoues.net/mystery/jyofuku.html
 

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