秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

柳田国男の山人とヤツカハギ

2017-02-24 | 神話・伝説
書くネタがない。笑
なので、夜な夜な柳田国男の「山人論集成」を読むという
ジジイの域を超えた日を過ごしている・・・。

この本で、あっ!と思った内容がある。
なんとなく、何かありそうな予感。
妄想しがいがあるのだー。
こんな話・・・。

「山人すなわち日本の先住民はもはや絶滅したという通説には、
私も大抵は同意してよいと思っておりますが、彼らを我々のいう絶滅に
導いた道筋についてのみ、若干の異なる見解を抱くのであります。

絶滅の理由6つ
その1.帰順朝貢に伴う編貫
2.討死
3.自然の子孫断絶
4.信仰界
5.永い歳月の間に人知れず土着した
6.次第に退化し今なお山中を漂泊しつつあった者がいた。


という柳田国男の話で、6の山中を漂泊しつつあった者というのが、
昔話によく出てくる仙人や隠者になっていると。

山中でも塩を使って火をおこして食事をちゃんととっていたとか、
炭焼き小屋の火に黙ってあたっていたりとか、平地の人から塩を多くもらっていたとか。
そして山人は主に裸であった。
また、なぜか山人には草鞋(わらじ)の話が多いという。
大型のぞうりを山中で見かける話。
大きな草履は、魔よけとされなるべく平地とさける独特の風習だった。

さて、この草履について思うのは、ヤタガラス(出羽三山:わらじを奉納する健角身神社)
これが、繋がった。面白い。



山人=ヤツガハギ=葛城氏などがいた。それが役小角の修験に受け継がれ、
仙人や修験者となった。

「山人の特色とは何であったかというと、
一つには肌膚の色が赤いこと、二つには丈高く、ことに手足の長いことなどが、
昔話の中にも今も伝説せられます。
諸国に数多き大人の足跡の話は、話となって極端まで誇張せられ、
加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、
もとは長脛彦もしくは上州の八掬脛(ヤツカハギ)ぐらいの
やや我々より大きいという話ではなかったかと思われます。
北欧羅巴(ヨーロッパ)では昔話の小人というのが、
先住民族の記憶の断片と解せられていますが、日本はちょうどその反対で、
現に東部の広い地域にわたり、今もって山人のことを大人と呼んでいる
居る例があるのです。


私は他日この問題が今少し綿密に学界から注意せられて、
単に人類学上の新資料を供与するに止まらず、
日本人の文明史において、まだいかにしても説明し得ない多くの事跡が、
この方面から次第に分かって来ることを切望いたします。
ことに我々の血の中に、若干の荒い山人の血が混じっているかも知れぬということは、
我々にとっては実に無限の興味であります。」


山人の血にピンときた。ど~も私の先祖は山人の血が流れてそうだ。
ならば、妄想してみよう。
今はよい時代になりましたね。
専門家でも何でもない単なる趣味で妄想な自分ですら、
大人について自由にネット上で語れ、発信できるのですから。

山人の棲息地は、北は陸羽の堺の山、日本海より、北上川の東岸の連山、
只見川の上流~越後秋山周辺。
東海岸は大井川の奥、吉野~熊野の山、大山周辺。
しかしアルプス山脈周辺には、山人の話はない。
屋久島、九州、四国にも山人の話があり、特に剣山周囲には無数の話があるという。
九重山、南霧島以北には無邪気な山人がいたとの話がある。

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もう山人の代表といったらサンカしか浮かばないのですが、
この本では、サンカのことも書かれています。
おそらく、柳田国男は、サンカについてもっと専門家が言及してほしいと
願っているのだろうと思います。

サンカについては割愛しますが、
妄想するに、もう結論からいって、長脛彦が出てくるところと、
剣山に無数の山人説があるところから、キリストとモーセが関係するという
妄想をして、自分でつっこむ。
そんなわけない・・・?

山人といわれる中に、ヤツガハギという人?名前?があります。
土蜘蛛のことなのですが、山人が生息していた地には、共通して土蜘蛛や蝦夷など、
穴に暮らしていた先住民の伝承があります。

ヤマトタケルが退治した土蜘蛛なのですが、ヤツガハギは、秩父の和銅の話でもでてくる。
「小脛」と書いていますが、これがヤツガハギのことだという。
よって、和銅を開拓した秩父の産鉄族の中に、葛城氏(竹内すくね?)がいたという事です。
それが群馬県の多胡碑に記されている「羊太夫」という人で、
羊はイエスキリストに関係し、日辻である。
十字架の十に道をしるした人物。なので、ユダヤに深い関係をもつ人。
それに、和銅黒谷には13の数字が多く使われている。

巨人といわれる大人とは、聖人という意味もあると思います。
単に背が高いというよりは、精神的に高い人の意味もあるのか、と。

いくつかの説をまとめてみると、
ヤツガハギのヤツは、アイヌ語のヤツが考えられ、
湿地の意味があるのですが、関東諸国にこの地名が多い。
ハギは、アイヌ語で崖の意味があるのですが、土砂災害など災害の多い場所に
つけるハキから由来する説がある。
柳田国男は、
「我々の祖先は現にアイヌ人の祖先が居住しているところへ後から入ってきて、
アイヌの経済生活にはあまり関係のない谷合の湿地を占有して田を開き、
その付近に住居を構えたということを想像させるのです。」


要は、アイヌ人などの先住民が住んでいた土地に、渡来した人が開拓のため
入ってきた。山奥や洞窟に住んでいた人たちを占領してきたので、
奥地に逃れ(北と南)蝦夷と隼人となり、関東では関八州といわれて、
山人はそんな山々へ逃れたということ。
また、ヤツはヤトともよび、ヤト神にも通じる。


埼玉県飯能:天龍寺のわらじ

実際、関東地方の飯能や秩父方面でも、関八州と呼ぶ山はいくつかあり、
修験が開いた山でもあり、天狗伝説も非常に多いです。
そして、その場所には、大きなわらじを奉納されているお寺もある。


牛頭天王を祀る



ということで、ヤツガハギは山人であり、わらじを奉納する人たち。
豪族でいうならば、葛城系の人たちだったわけです。
土蜘蛛の中でも、奈良県の大和葛城山にいたというものは特に知られている。


福島県のわらじ(信夫山のわらじ祭に使う)

それらがサンカのルーツだったりするのかどうか。
結束が固く集合体としての村をつくり規則も厳しかったという。
どこか遠くから逃れたある信仰を深くもっている人たちの守りが
固い結束を生んでいたのと似ている。
そこに剣山が浮かんでくる。

剣山の七と八-----------------------------------

もうひとつ、気になった剣山。
モーゼの伝承のある有名な山らしい。
この山周辺に無数のヤツガハギがいたという伝承なのですが、
長脛彦の名は、七束脛と八束脛と同じく王化にしたがわぬ土を
いやしめた名称という説が。


(剣山)

七とも八ともいう脛とは?
スネが、スクネのことだという話もあるが。

剣山は鶴と亀を象徴とする山とある。
ということは、鶴が7で亀が8ということか。
説明はできないけど。

ハキのもうひとつの説に、椿のツバキのツがとれてハキになった説もあった。
それが萩(山口県)なのですが、椿には、「椿の淵とうなぎ」という
昔話が東海道のどこか忘れたけど、あるそうだ。

この「椿」なにかとある言葉なのですが、
雨乞いの水神に対して使う言葉で、龍、蛇、うなぎ、山女の意味があると
柳田国男が言っていた。
アイヌ語のハキが崖などの土砂災害という意味から、
水の多い湿地帯→雨乞いの水神を祀る。
開拓した民が土砂災害を起しつつ(木々の伐採)
水脈・鉱脈の探していた場所。
そこには金鉱があったわけだ。

若狭の八百比丘尼が手に持って巡礼した時、東北地方に移植された説がある。
それは松や杉といったもので、木の下に黄金がうまっていると。
どういう意味かというと、それがなんと「聖なる樹」というのだっ!?
ユグドラシル(世界樹)・・・という説もある。


※北欧神話における世界図:中心の木がユグドラシルである。

世界神話に、
「ある日、イナンナはぶらぶらとユーフラテス河畔を歩いていると、
強い南風にあおられて今にもユーフラテス川に倒れそうなフルップ(ハルブ)の樹を見つけた。
あたりを見渡しても他の樹木は見あたらず、
イナンナはこの樹が世界の領域を表す世界樹(生命の樹)であることに気がついた。

そこでイナンナはある計画を思いついた。
この樹から典型的な権力の象徴をつくり、この不思議な樹の力を利用して
世界を支配しようと考えたのだ。
イナンナはそれをウルクに持ち帰り、聖なる園(エデン)に植えて大事に育てようとする。」


う~ん・・・東北地方にある都波岐(ツハキ)という岐は、
塞神のサエ(サヘ)神といわれますが、それは聖なる樹を植えていたという妄想を
してしまうのです。
それがイナンナの樹=岐だとすると、東北地方に多く信仰されたイナンナという
金星の女神という構図を、執拗に計画して作っていた都市とは仙台で、伊達政宗ってことなんだ。
だから、太白山が金星が落ちてきたのでタイハク(金星)という名前にしているのも、
イナンナの聖なる山であることをさしている。


※唐草図鑑(シュメールの天候の神(洪水をおこす)、手斧の発明者:エンリル)
http://www.karakusamon.com/orient/sumer_gods.html
思うに、左の動物のような人が、羊なんじゃないか、と思う。
違うかもしれないけど、なので、羊夫太という漢字に「羊」を使うのでは?

「秀真伝(ほつまつたえ)では、ヲシデと呼ばれる神代文字を使われて居ますが、
この文字では現代かなの「ナ」に当たる部分が、「女性」を現わす様です。
そしてその文字は、原典では○に十を重ねた○に十という様に現されていますが、
この文字は、シュメールで「羊」を意味するものと同じです。
日本の家紋の大部分は、シュメールの文様と共通点があると考えれば、
辻家の先祖も又渡来系民族であったとも考えられます。」

※第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その3 
神道/シュメールの羊と秀真伝の『女』/牛頭天王とバール神/鬼と 謝寅

モーゼは、キリストよりは後になりますが、
ヘブライ人をエジプトから救った聖者といわれている。
日本ではナガスネヒコと二ギハヤヒを実在した人物として
語りつぐ理由には、
キリストとモーゼの関係というのが、チラっと見え隠れしているような気もするのです。
コメント

千貫神社とアウターライズ地震

2017-02-19 | 東北地方の伝説(宮城県)
車で20分くらいのところ、岩沼に千貫神社があります。
気になってはいたのですが、行く機会がないというか。。。
気軽に立ち寄る気分でもなかった。

でも、先週あたりから行きたい気分になってきたので、
立ち寄ってみました。



千貫の松の話-----------------------------------------

 西部の丘陵地帯にある標高191メートルの山の頂から峰伝いに、
かつて数千株の松が一列に並んで生い茂っていました。
1600年頃に政宗が仙台城を築城する際、
この松を切って用材にしようとした時のこと。
ある漁師が「この松は古くから沖に出た舟子の目標となっている。
伐採すると舟子が迷う」と、銭千貫文を差し出して伐採を免れました。
以来この松は「値千貫の松」、一帯の山は千貫山と呼ばれるように。
千貫松は、無線や灯台の無い時代、命綱のように大切にされていたのです。



1611年(慶長16年)に発生した大津波は阿武隈川(※1)を遡上して氾濫し、
千貫松まで届いたとか。政宗が駿府城(現・静岡市)を訪れた際、
徳川家康に話したとして、伊達・徳川両家の記録に残されています。
遠く離れた地で岩沼のことが話題にのぼったのです。
※1 当時、阿武隈川の川筋は現在よりも北にあった。


※岩沼市のはじまり(岩沼市のサイト)


※山津見神(右)

千貫山の標高は119m位で、小さな山ですが、昔、この山の高さまで
津波が来ていたそうです。
名取の閖上も、観音様がゆり上がったので、閖上という地名がついたとありますが、
大津波で流された観音様が閖上にあがったことを伝えているものだと。
長町(仙台市)の蛸薬師堂にも、池(沼地)に観音様をひきあげた伝承がありますが、
大津波で流された観音様のことを伝えているものだと思います。

以前、石間稲荷神社へ行きましたが、昔はあのあたりまで湿地帯で、
葦が生い茂る場所だった。

しかし、3・11の震災では、そのことを忘れていた。
そんな言い伝えを無視したことにも原因がある。
まさか、あのような大津波が襲ってくるとは誰も予想しなかった。
都市伝説では、人工地震といわれていますが、
自然であれ人工であれ大津波がきたことを予想できなかったのはなぜか、と問う。

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「2000年前に宮城に100メートル級の津波があった。」
という歴史学者の意見に、耳を傾けるべきだろう。
それをアウターライズ地震という。

ダイヤモンドオンラインより引用。
http://diamond.jp/articles/-/33634?page=3

「福島・岩沼(宮城県南部)沖のアウターライズは、2000年近く動いていない
空白域の地震帯です。東日本大震災より大きなマグニチュード9以上の揺れと
巨大津波が予想され、福島県から仙台平野にかけて、大きな被害を受けるでしょう。
前回起きたのは、西暦95年の『東北太平洋沿岸津波』のときで、
仙台平野は大崎の辺りまで、壮大な運河のようになったとの記述があります。
倭の国は(仙台平野の内陸が津波で海となったため)、
旧阿武隈川河口から船で内陸へ進出する絶好の機会となりました。
いまの大崎市と石巻市の間に大きな運河があって、
倭の国の船が行ったり来たりしていたとの記述もあります」(
飯沼氏)

「宮城県岩沼市の千貫山では、標高50メートルほどの山腹まで津波が
駆け上がったことがわかった。千貫山一帯の麓は、縄文時代から弥生時代にかけて
海岸線で、山の中腹に千貫神社があったという。」



※阿武隈川

こうしたことから、飯沼氏は「2つの伝説に共通する津波の巨大性を考察すると、
古代に、福島沖と岩沼沖を震源とする地震が連動して起こった。
岩沼の海岸での津波の高さは100メートルを超えたと思われる」と推測する。

「地蔵森山(新地町)も千貫山も、同じ整合性のある津波ということになれば、
2つの津波伝説は信ぴょう性があるのです。
津波伝説にも10のうち1つは必ず真実がある。
それを解明するのが、我々の役割です」(飯沼氏)



「佐竹健治先生(東京大学地震研究所)ら地震学者たちから、
石巻平野にも東日本大震災とほぼ同じ規模で浸水していた様子が
2010年までに論文でまとめられていたことは、大変ショックな話でした。
1980年代末以降、地質学の箕浦幸治先生(東北大学理学研究科)が、
869年の貞観津波の痕跡を調査された論文を出し、
産業技術総合研究所の活断層地震研究センターが、石巻から仙台平野全体、
福島原発の北にかけて、海岸から5キロほど津波の運んだ砂層が来ている
ことを確認しています」


「それまで、石巻以南の平野部には、大きな津波はないという思い込みがあった。
これだけの論文や物証が出ていて、国でも公的な議論が始まっていただけに、
それらが発表されていれば、とくに学校や教育現場に伝わっていれば、
少しは違っていただろうという。」


なるほど~。千貫神社へ行ってアウターライズ地震を知った。
というか、思い出した。
ずっと前に知人からアウターライズのことを聞いていた。
大津波が来る可能性もあるのだよ、ってことを。
私は震災があったから、もうあのような津波はない!と思いこんでいた。
が、どうもそうでもないらしい。

アウターライズ地震は、東北の太平洋側の200キロにも及ぶ日本海溝の外側
で発生する地震のこと。(震災は内側)
震源地から離れているので陸地の揺れは小さいものの、津波は大規模になりやすいという。

昨年の11月か12月か忘れたけど、福島県沖で地震がおきまして、
宮城県、福島県全域で交通がストップしました。
震度5弱だったと思う。
太平洋側の地域で津波警報が発令されましたが、NHKが「早く逃げてー」といった叫びに近い
警告をテレビで発していたことを、世間は、大袈裟な、震災の不安を煽るとか、
たたかれてました。

けれど、それがアウターライズ地震だったら?
もしかしたら、NHKは、アウターライズ地震の大津波を想定して、
警告したのかもしれない。

「2013年10月26日に起きた福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.1の地震は、
一昨年の東日本大震災以来この海域で心配されていた「アウターライズ地震」
であることが分かった。
日本海溝の東側で起きたこのタイプの地震は、震源が陸から離れているため
震度は比較的小さいが、過去にも大津波を引き起こしている。
幸いにも今回観測された津波は小さかったが、今後も同タイプの地震および、
それが引き起こす津波の発生が予想されるため、“長い揺れ”を感じた時は
とくに注意は必要だ。」


過去におきたアウターライズ地震、
・1933年 昭和三陸地震(震度5だったが大津波で3000人以上の死者・行方不明者)
・2007年 千島列島沖地震
・2012年 スマトラ島沖地震
震度4でも、6~10mの津波発生もあり。

ということで、こうなったら、高台に逃げるしかないのですが、
日頃から直感力をやしない、海側の人たちは、地震に注意した方がよいです。

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まあ、しばらくないでしょう。。。と思いたいところですが、
残念ながら、日本の火山活動が
「大規模噴火の準備段階入りの可能性も」という専門家の指摘。

地震と噴火の関連性は、わかっていません。
関係ないと言いますが、実際、3・11の震災から全国で活発になったことは確か。

「今までが静かすぎた」ため、「マグマにたまっていたエネルギーが爆発する可能性」
は、大といえる。

震災以降に活発化した主な火山

2013年11月 西之島(小笠原諸島) 継続的に噴火し、新しい島が出現(継続中)
2014年6月 草津白根山(群馬県) 火口周辺に噴火警報
2014年8月 口永良部島(鹿児島県) 新岳で小規模噴火
2014年9月 御岳山(長野県) 水蒸気噴火で登山客らが犠牲に。死者・行方不明者63人
2014年11月 阿蘇山(熊本県) 中岳第1火口で小規模噴火を開始
2014年12月 吾妻山(福島、山形県境) 火口周辺に噴火警報
2015年4月 蔵王山(山形県) 火口周辺に噴火警報(6月に解除)
2015年5月 口永良部島(鹿児島県) 新岳で爆発的噴火。全島民が避難
2015年6月 浅間山(群馬、長野県境) 山頂火口でごく小規模の噴火
2015年6月 箱根山(神奈川県) 大涌谷でごく小規模な噴火。入山規制など
2015年7月 雌阿寒岳(北海道) 火口周辺に噴火警報
2015年8月 桜島(鹿児島県) 急激な山体膨張により周囲に避難勧告(噴火未遂)。
 その後,小規模噴火の繰り返しに戻る。
 硫黄島(小笠原諸島) 断続的にごく小規模な噴火確認
2015年9月 阿蘇山(熊本県) 中岳第1火口から再噴火。入山を規制


※nippon.com
http://www.nippon.com/ja/currents/d00197/?pnum=1

もうひとつ、しつこく前から言っている白頭山。
私は天変地異のひとつに、この山の影響が働いていると思っている。
説明はできないが。
もう、白頭山が大変になっている時の、日本海側の大雪。
そして北朝鮮の暗殺。
本当に残念。

日本列島も繋がっている白頭山が今、どんなことになっているか。。。
「2002年以降、頂上付近の火山性地震の回数が約10倍に増加し、
火山ガスの噴出があったほか、02年から05年にかけて衛星が地下での
マグマ上昇を捉えている」」(
火山学者)という。

東北大の谷口宏充名誉教授は、
「白頭山は、日本でマグニチュード7以上の大地震が起きた後に、
何度も噴火を起こしている。869年の貞観地震以降、確認できるだけで5回ある」と解説。
過去の大地震との連動性を踏まえた上で、
2011年3月11日の東日本大震災(M9・0)の影響を受けた形で噴火する
ケースがあるとすれば、「2020年までに68%、
34年までに99%の確率で噴火を起こすだろう」と分析する。



In Deepより
http://indeep.jp/possibility-of-eruption-of-north-korea-paekut-and-yellowstone/

「北朝鮮の超巨大火山「白頭山」が目覚める公算が大きくなる中、
マグマ溜まりが極限かもしれないアメリカのイエローストーンにも新たな異変 」


白頭山の噴火は、東北地方・甲信越にも影響があり岩木山でも灰がかなり積もったそうです。
イタリアのポンペイに匹敵するか、それ以上の噴火であったことがわかっており、
全世界に影響を及ぼすといわれている。
日本への作物への影響や、気候変動は避けられないかもしれない。

しかし、当時、噴火について書かれた史書が残されていない。
理由はわかっていないのですが、ほぼ、全滅した為、記録する人がいなかったか、
そこに住んでいた住民は、契丹族といわれ文字で伝える民族ではなかったことなど。
また、日本の歴史書では800年後半に噴火したとだけ記されていたが、
中国では900年代に噴火と記されている。
年代が異なるのですが、もし、800年後半の出来事だとしたら、唐が滅亡したのは907年で、
日本では、東北地方における安倍氏が活発になる頃にあたります。

自然災害の影響で、国が滅ぶことは歴史上、よく語られる話ですから。
分断された北緯38度線をつなげる役目を白頭山が行っていると願う。

妄想するに、聖山は人の心を揺さぶる力をもっている。
白頭山の調査が、北朝鮮にとって不都合なことでもあるのだろうか?
逆に、それを利用して弾道ミサイルを発射して震わせているのだろうか?
もしそうだとしたら、背後にはその力を良く知っている他国が関係している。
表では批判をしているが、裏で操っている。
日本への影響を考えて・・・?

新潟県新発田市の加治川の道の駅には、ほぼ北緯38度線にあたるため、
「無限の大地」と名付けた地球をイメージした球体が置かれています。
台座には「和」の文字が彫られている。


※全国の道の駅完全制覇の夢
http://ameblo.jp/rs-trip/entry-11082853082.html

新潟県新発田市が分断した和を結んでいた。
悪い話が入れば、良い話も入る。
周易から学んだ。
どこかで悪が働くと、どこかで善が働く。
善と悪は表裏一体。

目覚めてほしくない聖山があるとしたら、
目覚めてほしいと思っている人たちの前に現れる聖人とは、なんだろう?

私たちが、このような世界情勢に、全く関係ないといえなくなる時を迎える。
その背景に、自然の脅威が眠っている。
震災を教訓にして思うことは、日々の生活の中に、
どれだけ地震と噴火の「ふるえ」に影響されずに平穏な心でいられるか。
大変な作業ですが、どうも、人間はかなり霊的にパワーをもっている存在だと感じる日々です。
コメント

福島県双葉町の古代史 その2

2017-02-17 | 東北地方の伝説(福島県)
染羽天石勝神社の
「元国津神を天津神として祀った」というところから、
この話が伝承されているのだと思った。

「今の益田市染羽は実は尊場と書くのが正しい。
というのは、この土地は初め岩石がそびえており、住むに住めないので皆困っていた。
そこで村人たちはより集まって相談、手力男命のお助けに預かろうということになった。
村人は一つ所により集って、一心に命を祈念して開削にかかった。
すると、その固い岩が易々と穿たれて、仕事が思いの他はかどって一帯の地ができ、
村人は大喜びでそこに住むことにした。そして命の御恩を忘れないために、
その村を尊場と命名した。
尚、そこに命を祀って岩勝神社を建立した。
それがいつの間にか染羽となったという」


※広小路
http://hirokouji.on.coocan.jp/broadstreet/contents_myth/my_10_tadikarao.html

当社は、元来石神であったそうだ。
社殿の側に大盤石(注連岩)と呼ばれる巨岩があり、
このシメイワが転訛してシミハ(染羽)となりソメハ、
ソメバとなったと説明している。
元々は巨岩に対する自然崇拝から発したもの。

手力男命とは、
岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、
アマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、
それにより世界に明るさが戻った。
天孫降臨の際、アマテラスが三種の神器にオモイカネ、タヂカラオ、
天石別神を副えたとあり、その後伊勢の佐那県(三重県多気町佐奈)に鎮座したとしている。


どうでもいんだけど、ももいろクローバーZのアルバムに、
「天手力男」の曲があるそうだが・・・。どんな歌なん???


「ももいろクロ~バ~~ぜーーっと」的な迫力。まじで投げてほしい。ワラ

…で、天手力男は壱岐島の一宮に天手力男神社があり、
天忍穂耳尊(あめのおしおみみのみこと)、天手力男命
天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀ってます。

やっぱり気になる「耳」とつく人。
民俗学の谷川健一氏が、若狭や丹波など、鬼伝説がある大江山あたりに、
ミやミミのつく地名が多いことを指摘し、昔、耳飾をしていた風習の
海人族の渡来人で首長ではないかということ。
私はこの話で、耳長族と耳短族の話を思い出す。
イースター島のモアイの話で、昔、ミミの長い部族がいたのですが、
渡来してきたミミの短い人が征服したという話。(宇宙人説あり)
まあ、長い耳がウサギで、丹波の白ウサギが宇宙人だったという話もある。
けれど、地球におりてきた時は、普通の人間だと思うわけ。


※オロンゴに彫られた背中を丸めて卵を掲げる鳥人の像
とにかく、イースター島は鳥人間の話が多いっす。

ま、耳に飾りをつけていると耳が長くなるので、そのような風習をしている
民族のことを言っていると思う方が、平和な気分になれそうだ。
イースター島のモアイは東に向いていて、その先が日本だという話もあります。

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前回の話で、阿波さま(あんばさま)とよばれた茨城県の大杉神社ですが、
苕野(くさの)神社と関係が深いことと、足彦命は、阿波国(安岐)からきたこと。
阿波が属する台地「信太流海」という。
信太流海は霞ヶ浦のあたりなんですが、このへんは、香取海とともに、
巨大集落があった台地でした。海の門といわれるだけあって、水軍が力を注いでいた
開門になるわけですね。
ちなみに夢むすび神とは、夢の中に現れる神といわれる。

信太(しのだ)とよむのですが、狐の油あげのことを「信太巻き」といい、
油あげを用いた食べ物のことですが、狐が食べる油揚げを信太とよぶ。
これが、「葛の葉」伝承に繋がる。
こちらも「葉」なのだ。

葛の葉の伝承とは、伝説上のキツネの名前。

村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、
兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、
野狐の生き肝を得ようとする。
摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名
(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、
その際にけがをしてしまう。
そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。

葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して
童子丸という子供をもうける。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた
白狐であることが知れてしまう。
全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、
葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。



※小さい子が童子丸(新形三十六怪撰)

信太の「しの」は、篠だと思うのだが、
この話で、また繋がっていそうなのが、「大大御神楽」。
日光東照宮のサイトで見つけました。
http://www.toshogu.jp/blog/2015/10/post-54.html

大前神社(栃木県真岡市)に大大御神楽が奉納されたと。
①五行の舞...万物を構成する五行(木・火・土・金・水)が活動をおこす様を舞う。

②天狐白狐の舞...狐が植えた稲を稲荷社の神である宇迦之御魂神が刈り取る。
舞の途中で、実りを表す餅を観客に向かって撒き、神酒をふるまう。

③猿田彦の舞...天孫降臨に際して道案内をしたという猿田彦神の舞。

④恵比寿・大国の舞...恵比寿様が鯛を釣り上げ、大国様が米俵を担ぎ打ち出の小槌を
振いながら現れる縁起の良い舞。
俵の中から取り出した餅を観客に撒く。大前神社の御祭神が主役の神楽。

⑤天岩戸の舞...天宇受売神の舞に続いて手力男神が現れ、
岩戸を外して天照大御神に岩戸から出ていただく。

海の縄文人は狩猟の生活と海の漁をしながら暮らしていました。
渡来した弥生人は、稲をもたらし新しい文化を導入。
四季がはっきりしている日本の気候が、いろんな恵みを与える土地である。

天手長男とは、「御手長」とされる。
手長、足長伝承がある貝塚の新地町も相馬にあり双葉町にも近い。
原発のある地域には、手長男と関係する先住民がいたと思うのです。
その後、渡来してきた新しい海人族が開拓をすすめるときに、
古来の信仰を別の信仰に置き換えたのだろうと思います。

大大御神楽もそんなストーリーがあったようにみえるのです。
太々神楽も、タタラだと思うのですが、
鉄を打つということは、神事としての刀であり、
両刀をつくり祈祷をすることが、バランスを保つ陰陽(火と水)の造形である
ことを、縄文から続くものとして神宝されていたと思う。
それを言霊として用いていたのが、物部氏のフルノミタマの祈りだったと思う。

渡来した人たちも、その神宝を伝え保存してきたこと。
縄文人と弥生人が争うことがなかったのは、日本が祈りの地だったことを、
世界中が知っていたわけです。
いつか、そこに戻ることを。

天狐白狐の舞は、天=男、白=女。
また、天は黒。
白は大地の母、天は空の父。
古来は、母系社会だったので大地母神の信仰がありました。
また、日本には海の神話もある。

後に、男神をもってきて、天を男とした話が、天孫降臨です。
それが国譲りなので、古くは女性が太陽神で母神とされ、
女系社会だったことを伝えています。
耳飾をしていたのは女性ですから。
耳とつく海人族とは、女性首長がいた村のことでしょう。

ということで、双葉町には、古くから海人族の縄文人が暮らしていましたが、
天手長男神を信仰していた九州をルーツとする母系社会であった。

そう考えると、原発で大地が汚染されたのは、
母なる大地を破壊されたのだから、私たちが破壊されたのと同じこと。
先祖のためとは、母なる大地のため。世のすべての女性のため。
福島のために、しっかり歩いて生きていかなければ。

やっぱし、女が家をしっかり守らなければ、何も守れないと思った。
そんなことを考えることができるのは、やっぱし福島は母なる大地だったのだな。
いいね、福島~。大好き♪
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福島県双葉町の古代史 その1

2017-02-16 | 東北地方の伝説(福島県)
一度書いてみたかった双葉町の歴史。
ここにはどんな古代の歴史があったのか。
原発のせいで故郷に帰れないことを、
いったい誰が、想像したのだろう…。
先祖のためにも、この地について何かを調べなければとずっと思っていた。

これも妙見から続いている。
相馬の妙見様が、双葉町の原発について想うことがあるのだろう。
でも、現地に行けないのでわからないでいたら、うれしいニュースが。

私は新聞をとってないし、まず読まない。
けれど、地元の情報を知りたくなって珍しく新聞を買ってみた。
そしたら、産鉄族のオオ氏で妄想していた横穴式石室の壁画が、
3Dで蘇ることに!(2月11日の記事)

「東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県双葉町がアーカイブ事業の一環として、
町の現状をレーザー光線などで精密に測量し、3D(立体)画像化する作業を進めている。
これまで町内の学校などを撮影。
9、10日は事業に協力する東北大が国史跡「清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)」に入り、
古墳時代の貴重な壁画を測量した。」


この渦巻きマークは、妙見信仰の宇宙の中心を模したものだと考えられている。
発祥は九州にあり、茨城県から福島相馬にもたらされた。
松本清張氏によれば、九州から東北地方太平洋側沿岸に進出した人々が、
途中の海域の渦巻きをみて、イメージしたものであろう、と。

残念ながらそのままの状態で残されることはないのだが、
3Dで蘇るとは、まさにこの古墳があの世とこの世を結ぶ蘇りの古墳である
ことがよくわかった。
遺跡や遺品は、別の媒体を通して記録されていくようになるのだが、
この時代に、実際生きていたようなバーチャルを体験できる日は近いのだね。
この記事を読んで、もう物質文明は終わりに近づいていると思った。



ここでスイッチが入った。
そうなると、いろんなモノが入ってきた。
妄想ス。

染羽-----------------------------------------------------

双葉町は、標葉(しねはorしぬは)と楢葉(ならは)の二つの葉がある。
この周辺には古墳が非常に多く、夫沢横穴古墳の長者原の地名、
標葉郷夫沢村は相馬中村藩領。
古墳の壁画、妙見の宇宙の中心に繋がる。
では相馬氏の前は・・・?

現在の浪江町の東部、高瀬川と室原川の2河川による河岸段丘の台地上には、
古くから文明の形跡が確認できます。
町内にある順礼堂遺跡・七社宮遺跡・植畑遺跡・大平山貝塚・清水遺跡・中平遺跡などは、
縄文時代の遺跡であり、その出土品の中には、全国的に見ても当遺跡にしか
見られない独自のものが確認されています。

当地には、これら画期的な縄文文化の延長線上にある独自の弥生文化が
展開されていたことは、町内に少なくとも13か所以上存在する
遺跡の内容からみて明らかです。
古墳時代(西暦300年頃から600年頃)となると、この河岸段丘の両岸一帯に、
前方後円墳、後方墳、円墳、方墳など多様な古墳が次々と建設され、
その周辺には、大規模な集落が多数あったことが証明されています。
その数は、近隣の他地方に比して類を見ないほど多いと言わざるをえません。

この時期と同時代と考えられる第13代成務天皇の御世に、
足彦命(たらしひこのみこと)が、染羽国造(しめはのくにのみやつこ)に任じられ、
現在の浪江町、双葉町一帯から、大和朝廷の威光を示していました。
この「染羽」という地名が、8世紀頃になって「標葉」に変更されたと言われています。
いずれにしても、この国造と数多い古墳群の存在は、当地が古代における
政治・文化の中心地であったことを物語っています。

一方、浪江町民の心のよりどころとなってきた苕野(くさの)神社(請戸地区)は、
和銅年間(715年頃)に社殿が建立されたものです。
貞観の津波(869年頃)、慶長の津波(1611年)他で海没するなど様々な災害に
遭いながら遷宮し、さらに月日を経て、再び東日本大震災に見舞われることとなりました。


浪江町の歴史(浪江町のサイトより)
http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-history-1.html

苕野(くさの)神社(タカオカミ、クラオカミ、五十猛など)は、
茨城県大杉神社と関係深く、眷族は烏天狗、鼻高天狗。
あ、前回の鼻が折れた天狗のことですかね。
義経の家来、常陸坊海尊が大杉大明神の神徳により奇跡を起こしたと伝わる。
そして、この神社の眷族である烏天狗を、阿波さま(あばさま)とよんだ。
阿波が属する台地「信太流海」「夢むすぶ」神といわれる。
霞ヶ浦のことで、航路標識に大杉を利用していた。

霞ヶ浦~千葉県の常総台地には、製塩遺跡、土器の出土が発見され、縄文後期~晩期のもの。
霞ヶ浦湖岸は砂鉄に恵まれ、浮島村や麻生船着場の所も砂鉄で黒々としており、
古代鉄民タタール人が住んでいたという伝承もあるそうだ。

原発のある地域は、昔から津波が多い所でした。
869年貞観地震の津波、1611年慶長の津波、震災と3回の津波を経験している。
なので、あの場所に原発を置いたことに問題があるのだから、人災ですよね。
宮城県の女川原発は過去の津波被害を考えて高台に建設されましたが、
福島県の場合は、なぜかそれを怠った。


浪江町の風景より:標葉郷相馬野馬追祭
http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/furusato-namie-pictures.html

標葉について-----------------------------------------------------

「信太」と「阿波」のキーワードと、「染羽」→羽が「葉」となった。
これは元は葉山信仰だったのが羽になって羽山になっていたりして。

標葉の祖は、苕野神を氏神としていました。
標葉四郎隆義という人が初代。(1159年頃)
その父親が、海東小太郎成衡といわれ、海東氏とは、平家。
相馬妙見の話をしましたが、桓武天皇(第5)→高望王→国香次男の藤橋氏
国香の平氏は海東氏の後に標葉氏となった。
海東小太郎成衡は、源頼義の娘と結婚して、清原氏の養子になったが、
それが原因で後三年役が始まる。

詳しいサイトがありますので、リンクしておきます。
「藤標記」
http://www.sky.sannet.ne.jp/taneyasu/new_page_1.htm

さて、標葉が染羽を由来とし、志波(しは)と訓読みする。
続日本紀に標葉と記し、先代旧事本紀では、成務天皇(13代)阿岐(安岐)
国造の飽速玉男命(あきはや)を10世紀足彦命を国造に定めたと。
信夫国と同系、後に石城国となる。


飽速玉男命とは、明るく映える玉という意味。
飽速を祀る神社があります。
速谷神社(はやたに)で、広島県にあるが、どうも調べてみると水軍発祥があり、
海賊なんだとか。
野間神社があり、愛媛県の今治にあるのですが、飽速玉男命を祀る。
そして野間神社は、鹿児島県にもあった。

広島は、阿岐(安岐)とよばれ宮島がある所。
厳島神社より格が上だったという!
ということで、標葉の祖は、鹿児島~愛媛~広島の水軍=海賊だったかもしれない。

大和の蝦夷地へ政権として五国を治めていたのは、
阿尺国、思(太)国、伊久国、染羽国、信夫国。
これが鉄であり、九州から鉄を求めて開拓をした。
なぜか九州と東北は近畿の大和より有力な豪族と鉄技術があった。

これには出雲の存在もあり、九州と東北の統合を考えており、
ちょうど中心にある甲信越と関東地方。
関東はその当時、毛国といわれるように豊かな田園がありました。
ここを武蔵国とし開拓をすすめます。
そこに出雲が入り、南は九州、北は東北の豪族たちがやってきて、
一大都市を築きました。

染羽について-----------------------------------------------

染羽が実際、ここから由来しているのかわかりませんが、
気になるので情報としてあげておきます。

島根県益田市に染羽天石勝神社があり、祭神の天石勝命(アメノイワカツ)と
多数の天津神を祀っている。
ここに弁天池があり、イワクラ信仰があり、かつては滝があったそうです。
725年天石勝命を祀ったと考えられ、この神々の由来には、
元国津神を天津神として祀ったようです。

染羽の地を開いた春日族が、石神(いわがみ)として祀ったそうで、
やはり春日神なのだ。
春日神とは、藤原氏(中臣氏)の守護神である武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)、
祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって春日神と総称される。

春日神は、石上神宮の十種神宝を奉納している神事と関係する。
古来、物部氏のふるえ~の祝詞がここでもあげられているようなのですが、

東北へ逃れてきた多氏と物部氏が重なるのは、楯原神社(大阪府)の存在が気になった。
神功皇后の時代に、楯之御前社の社号を楯原神社に改めたとする神社。
息長真若中女媛という碑があり、息長氏と関係している。

ここに神宝十種宮があり、祭神は布留御魂神(フツヌシ)。
天正年間に石上神宮が織田勢の襲撃を受けた際、十種の天璽瑞宝が流出し、
生魂の杜へ奉斎されたものの、幕末の混乱のなか再度略奪され、
街の古道具屋で発見されたとそうだ。


※楯原神社
http://mononobe.webcrow.jp/tabi/tatehara/index.html

なぜ陸奥国に滋賀県が由来しているのかが、このあたりで繋がっていて、
息長氏なんですね。
神武東征があった神武より別の天皇家がいたと。
それが「意富富杼王(おおほどのおおきみ)」といい、息長氏の祖という。
多氏は、また意富氏などと書かれ、オオ氏となる。
別の天皇家のルーツが九州にあり、石室を残してきた人々が東北地方へ逃れ、
出雲と共に、新しい建国を目指していたと思う。
ですが、神武天皇が新たな政権となり、物部氏たちは排除されました。
排除された貴族たちは、東北でほそぼそと生きていたということになります。

同様に津波被害を受けた閖上の弁天様も、「富主姫」と言いますが、
富=トミ族なんですね。
こちらも息長氏が関係していたし、平家であり、これが逆卍の支倉常長へと繋がった。
閖上など名取に最初に来ていた豪族は、神功皇后時代から続く人々の崇拝が
あったと考えられるのです。

しかし、息長氏などの開拓民が入ってきても、それ以前から人は住んでいました。
物部氏たちが出雲と融合して、東北へやってきていることはあり、
福島県阿武隈地方に非常に多いイワクラや巨石信仰を考えると、
先史時代の巨石文明(縄文)が元々あったわけです。
それは縄文時代の初期にあたると思い、その後、いったん、海を渡ったのではないか、
という妄想がある。

関東地方にたくさんの帰化人を迎えた天武・持統天皇は、
三韓征伐で軍功してきた人を歓迎している。
元は、日本に住んでいた人たちが、例えば、中東の方から戻ってきて、
朝鮮半島にたどり、任那は日本の領土だったので協力。
それぞれが三韓征伐で争ってきたこともあると。
その時に、神功皇后なる女性がおり「女性として戦ったアマゾネス」という姿で
長い間、信仰が続いている。

アラハバキとの関係も気になるのですが、
東北にアラハバキ信仰が深いのは、(関東もそうですけど)
高橋克彦氏のハパルキからきている由来を考えてみれば、
鉄の技術に長けていた民族が、中東から日本へ戻ってきたと思うわけです。
その先祖は、縄文人だったと思います。

埼玉のさきたま古墳群が、メソポタミア文明と同じ紋様の遺品が見つかっている
というのは、元は、縄文の文明をもっていた人たちが四代文明を築いてきたという妄想。
再び、日本に戻り青森県(北東北・北海道)などを中心にした蝦夷を開拓したとも思える。
それが擦文文化へ。
再び帰化した人たちを、東北で物部氏などが迎えいれたと考える。

さて、帰化した海民の以前はどんな人たちだったのか、
染羽天石勝神社に伝わる話が気になりました。

続く。
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周易の占いから後の出来事

2017-02-15 | 日記・エッセイ・コラム
周易のビッサル先生(韓国)の講座の時、周易の歴史の由来について
話してくれたことを思い出す。

文字が生まれたのは、易の歴史では甲骨文字といい、
亀の甲羅に火を(日本では桜の枝に)つけて燃やし、
その時にヒビができるのですが、その亀裂の線で文字として解明し、
占いを行っていた文字の発祥がある。

文字の誕生は、まだ人類がネアンデルタール人や、ホモサピエンスなどの時、
天変地異があり絶滅の危機にあった。
これからどうやって人類が生き延びたらよいかを考えた人がいる。
それが文字の誕生で、亀の甲羅で占ったという。
そこで、今、そのような頭の良い人は、どんな仕事をしているか?
と、先生が訊ねた。

私は冗談で、「トランプの会社で働いている」と答えたのだけど、
先生は、「それは頭の悪い人がいきますね~」と言った。笑
すると、現代の頭の良い人は、「人工知能」を行っていますね。
と言ったので、ちょっと驚いた。
(人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み)

まさか、周易に精通している先生からAIのことを聞くとは…。
正直、いまだに人工知能に不信感をもっています。

巨額な資金でソフトバンクと契約した事もニュースになりましたが、
IT関連の企業は、トランプを支持していると言われ、多くの支持者が見えないのは、
人工知能をすすめる人たちの集団なのだろうと思う。

世の中は、デジタルな架空の世界?へ向かうわけですけど、
日本がそれについて報道しないことが気持ち悪い。
人類が滅亡の危機に瀕した時に、甲骨文字が生まれた。
その時の優秀な人が今、人工知脳を勧めていると。
人類滅亡・・・ではなく、人類の転換期にきているとここでも実感したわけです。
そのバックに超人なテクノロジーをもった人間みたいな何かがいることもあり。。。

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さて、プライベートな話なのですが、もう、半分愚痴だけど。
これを書くことで、私の中に何かが吹っ切れるのなら、そうしたい。
実際、介護や問題ある身内に苦労されている方は多いと思います。

周易の勉強会で、占ってみたのが介護のことと、義姉がカワリモノで、
主人が大変なんですが(私も)、不仲な状態をよくできるものなのかを
質問してみました。
その結果、答えがズバリ、そのまんま!だったのです。

37:家人(かじん):女性主義
「女性が世界を豊かにする」
家人 利女貞(家庭、女性が正しいことを守るのがよい)
といった内容のもので、家にいる女性は家庭のことをする。
男は畑を耕す、男女がその役割をもって努めれば、天と地の大きな意思であると。

ビッサル先生は、この家人を引く人は、涙がでるような話だと言われた。

夫は夫らしく。
妻は妻らしく。
子供は子供らしく。

先生は、子育てや介護などをしている女性は、善の行為であると。
家庭を守るために尽くす女性は、37を引くのだそうです。

ここで面白いのが、さらに今後、どうなっていくか、点のある部分を
反転(陰なら陽に)させたら、44になった。
「姤(こう)」といい、悪の種。
「悪はどこから始まったのか」
この意味が、私は謎でした。

先生の解釈では、悪とは「女」になることであった。
善=母、悪=女。
これには納得。
「化粧をする女とは付き合わない方がいい」
これは、強い女性の意味でもあるのですが、
柔らかい(陰の気)が強いことと、陽の気運が出会う意味がある。
付き合わない方がいい女(男)とは、関係が長く続かないといった内容でした。

義姉は女だから、悪なんです。
私は柔らかい陰の気が強すぎたから、陽の気(義姉)と出くわすことになったのです。
本当に悪い人ではなくて、私の中が善すぎるからバランスをとるために、
悪がやってきたという結果に驚いた。。。

で、どうするか。
私に悪になれ、というのは・・・。
女になれと言われているわけで。
先生が厚化粧をしなさいと言うので笑った。

化粧について、伝説で思うふしがある。
古川の化女沼。化粧は化けるから女なんですね。
長者の娘が沼の水を鏡にして化粧をしたので、化粧沼という由来になっています。

他人に尽くすことばかりが良いことではない。と。
なので、自分に尽くすという意味でもあるんですよね。
それを、淡々とやっているつもりが、どんどん怒りがたまっていました。

実は、周易を学ぶ1週間くらい前に、友人のヒーリングを受けてました。
介護で疲れた体をほぐしたく、癒したいと思い行ったのですが、
私の中に怒りが相当たまっていた。
もちろん、義姉に対する怒りです。

友人は、私がどうしてそうなのか、を知っているはずだから、
自分でわかるはずと言われた。義姉に対する怒りについては、
他人が何かすることでもない。

「相手の心は変えられない」でも「自分の心は変えられる」と。
これは、先生の「誰でも世界を変えることができる」のテキストのタイトル通りだった。

友人も先生も、同じことを言っていたのが、
「相手に言いなさい」と。
言えなければ、部屋で一人で吐き出すとか、文字にして書くとか。

相手の性格をいうならば、
自己愛が強い、何もしないわりに文句はいう。
プライドが高い。自分はOK、他人はNO。
他人が困ることを喜ぶ。ものすごくひねくれている。
すべてにおいてそんな態度で接する人に、快く受け入れる気持ちなどない。
義父の介護をしているから、いろんな状態を知っていることに嫉妬をする。
わかりやすい。

一度、見舞いにきた時、
「あなた(主人)のせいでうつ病になりました」
と公言しはじめた。

人のせいにするからそうなる。

日々衰えていく体を見ながら老いることや、
病気への対処など、何ひとつわからないからパンパンにむくんでいる太い足をみても、
リハビリしてるのか、と聞く。
おいおい、心不全だし腎不全だし、末期だということをずっと話してたよな。
リハビリどころじゃねーし。
義父は苦しいから早く楽になりたいんです。
でも私たちが一生懸命介護をしているから、早く死にたいとは言わない。
精一杯生きているのに、そういう現実を経験してないし、
まのあたりにしていないから、自分が病気になると、人のせいにできるのだな。

何がすごいかって、こんなに夫婦で介護をしているのに
感謝のかの字もないし、話し合いもできない。

そうやって自分の欠けている部分を人のせいにして、御破算にしようとしているから、
こんな相手に、善で対抗などできません。
だから自分が悪になるしかない。
徹底的に悪になる。
ええ、もう容赦なく言いましたよ。
そうすると、相手も怒りますね。
お互いさまになる。
これが5分5分だからようやくバランスがとれた状態になる。

相手は私の怒りを、不快に思う。
それは、私が鏡になっているからですよね。
義姉の冷たい態度を受けていたのを、そのままかえす。
でも、善から悪になるのは簡単ですが、
悪から善になるのは、難しい。

母から女になれても、女から母になることが難しいということ。

真面目で一生懸命に尽くす人がつぶれてしまうのは、
善(陰が強い)すぎるからで、悪いもの(陽)を引き寄せていると感じるならば、
バランスをとるために悪がやってきていると思った方がよいと感じた。
相手に言うことは、決して悪いことではないです。
愚痴ったりすると、悪い人になっている自分が嫌だとはよく聞きます。
でも、そうやって我慢していても、どんどん悪が近寄ってくるだけです。
バランスを保つ時、真逆の状態を引き寄せます。
なので、それに乗っかることになる。

そうするとまた別の流れに。
陽が強すぎれば、また陰の方向に流れていく。その繰り返し。
流れが進むとぐるぐる回って円になり、縁と広がり人が繋がる。
人と関わりを持てないのは、ずっとどちらか一方に留まっているからです。
どんどん、先へ進める人は、とことん今の置かれている状況について考えることができるから、
何かがやってくる。
その背中を押してくれたのが周易でした。

介護離婚というのが増えているそうです。
在宅介護は、夫婦で協力しないと絶対に無理です。
一人で抱え込む介護なんて、できるわけがない。

今の社会は、家族や会社の人間関係について「なるべく関わらない」
方向に進んでいるような気がします。
ぶつかってお互いの言いたいことを言えるような環境はないですね。
ニュースをみて思うのは、異常な過保護。
皆が神経質になっていて、ちょっと何か言えば、すぐ訴える。
もう何も言えない時代になっている。

友達の話で、昔、韓国へ行った時に、ある韓国人が反日感情を抱きはじめ、
口論になったそうです。
友人は、韓国語は話せないけど、お互いに通じない言葉でわいわい言ってたら、
だんだん興奮してきて、なぜか、お互いにハグをして涙を流したという話。
感情的になっていたが、どこかで心が通じることがあるんですよね。
そうやってぶつかることで、本物の人間関係を築けるのだと思います。

さて、その後の流れはどうなるのか。
陽の流れになっているので、また活発に動くようになりそうです。
コメント

天狗の鼻が取れた話

2017-02-10 | 神話・伝説
有名な鞍馬寺の天狗。
入口にあるオブジェの天狗の鼻が雪の重みで取れてしまったそうだ。
応急処置ということで、「ばんそうこう」で治療中とか。
面白いねえ。天狗の鼻もそろそろ替え時?
海外でも評判よろしいようで。



今週末も日本海側では大雪だそうで。
雪の多い地域ならわかるけど、西日本の雪は、今年は多いそうです。
プチ氷河期ともいわれていますが、
どうも、これは朝鮮にある白頭山が関係するそうです。
日本海寒帯気団収束帯というそうで、冬の日本海に形成される長さ、
1000kmの束帯のことだそう。
大雪の原因は、この帯だそうでドカ雪となるそうです。


Before


After
京都新聞より
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170208000089/1

----------------------------------------------------
さて、天狗の鼻が折れることなどあるのだろうか?
と、そんな疑問をもつと、昔話を探す。
・・・あった。ワラ

京都ではないけど山梨県に伝わるこんな話。

「鼻かけ天狗」
昔、大菩薩峠から流れる重川(おもがわ)を見下ろす萩原の天狗山に一人の天狗が住んでいた。
また、その重川を挟んで小田原の高芝山にも一人の天狗が住んでいた。
小田原の天狗は高芝山の広い原っぱで獣たちと自由自在に飛び回っていた。

一方、萩原の天狗は大の子供好きで、子供達が毎日、
入れ替わり立ち替わり集まってきては一緒に遊んでいた。

小田原の天狗は子供達と遊ぶ萩原の天狗が羨ましくて仕方が無かった。
しかし小田原の天狗は、天狗というのはいつも威張るもので、
自分の方から子供達と遊ぶ事は出来ないという考えの持ち主だった。

ある日の事、小田原の天狗は子供に化けて天狗山へと出掛けた。
子供達は初め、小田原の天狗が連れてきた沢山の動物に驚いたが次第に仲良くなり、
一緒に相撲を取って遊んだ。

小田原の天狗は子供に相撲で負けたら二度と子供の前には現れまいと思い、
萩原の天狗と相撲を取ることになった。萩原の天狗は子供とは思えない力に驚いたが、
突き飛ばして勝利した。
負けるとは思っていなかった小田原の天狗は悔しがり、正体を現した。

二人の天狗は本気での相撲勝負を繰り広げたが全て萩原の天狗が勝ち、夕方となった。
小田原の天狗は一度も勝てなかった悔しさから、卑怯にも巨大化して拳を振り下ろし、
萩原の天狗は地面深くめり込んでしまった。


※まんが日本昔ばなしデータベースより

小田原の天狗が帰ろうとすると、地中から巨大化した萩原の天狗が現れ、
小田原の天狗を地面に叩きつけた。萩原の天狗の鼻は折れて『欠けて』しまっていた。
その姿を見た小田原の天狗は自分も鼻を折るから許して欲しいと頭を下げた。


※まんが日本昔ばなしデータベースより

毎日、子供と遊ぶのが羨ましかったという小田原の天狗に、萩原の天狗は
「まずは好きになることじゃ。そうすれば相手も親しみを持ってやって来るものじゃ。」
と諭した。

小田原の天狗は考えを改め、自分の鼻を折ると心から詫びた。

それ以来、小田原の天狗と萩原の天狗は仲良くなり、
子供達も小田原の天狗と一緒に遊ぶようになった。
そして鼻のかけた二人の天狗のことを「鼻かけ天狗」と呼ぶようになった。

※まんが日本昔はなし
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=575

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小田原にいた戦国大名同士の話みたいですけど、
天狗は相撲をとるんですね。

国技である相撲は、ヤコブが神と格闘した結果、
ヤコブはイスラエルという名前を得る。ということから、ユダヤの儀式ともいわれる。
ヘブル語で「スモー(シュモー)」は、ヤコブが神と戦った「彼の名」を意味すると。


ということで、天狗の相撲取り場といわれる巨石は、各地にあります。

天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴とも考えられる。
これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表す。
彼等は総じて教えたがり魔である。
中世には、仏教の六道のほかに天狗道があり、仏道を学んでいるため地獄に堕ちず、
邪法を扱うため極楽にも行けない無間(むげん)地獄と想定、解釈された。(
Wikipedia)

そんな傲慢な天狗の鼻が折れた。
でも、鞍馬山の天狗は違うよね。

大天狗といって、「強力な神通力を持つとされる天狗である。」と。
あら、じゃあ、天狗の鼻がとれたら、その力はないんでね?

他の天狗に比べてより長い鼻を持つ「鼻高天狗」半人半鳥で背中に翼をもつ
「烏天狗」などが最も多く、その他太平記などに出てくる崇徳上皇は「金色の鳶」
として登場し、また那智滝本前鬼坊のように鬼が苦行を積み大天狗となる場合などは
「鬼」の姿で表現されたりもする。
また、人間と全く変わらない姿で登場する事もある。
(Wikipedia)


※鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「天狗」

へ~、鬼の角がとれたような。
天狗の鼻がとれたのは、鬼の角がとれたと同じようにみえるから、天狗は鬼でもあるのだなあ。
そう考えると、面白いね。
これは何かメッセージ性があるね~。

天狗は「大魔王」ともよばれるのよね。
私は前から古坂大魔王が好きなんですけど、ピコ太郎ね。
この方は青森出身で、昔からねぶた祭りなどの伝統的なものを、
ロックにしたり、日本を世界にアピールしたい夢をもっていたのだろうと思います。
それが、今は、世界中で有名に!
だからなんかうれしい。

しかも、教えてもらったんだけど、「ピコ」は、ハワイでは
「おへそ」という意味なんだって。
その「太郎」ということは、地球のへそをもつ長(リーダ)という解釈にもなる?!
だから世界中が癒されるわけだ~。

ま、天狗とは関係ないっすけど。
日本でも人気になってきたブルーノ・マーズもハワイ出身(ホノルル)だし。
この人もすごく気になっていて、すんごく良い歌をうたうけど、
(FITのCMソングね)
やっぱり、ハワイっていいな~なんて思ったり。
だから、ぜんぜん天狗と関係ないんすけど。

まあ、昔話のように、
「まずは好きになることじゃ。そうすれば相手も親しみを持ってやって来るものじゃ。」
てなことを教訓にされていると思い、素直に天狗の鼻が戻ることを待つのみじゃっ。
コメント

半田沼の桔梗伝説と兄と妹の恋

2017-02-09 | 東北地方の伝説(福島県)
昼ドラみたいな~。ワラ
相変わらず、妄想すぎて長い話になります。
結論はいつもないですけど。

相馬の妙見からまだ続いていたはなし~。
桔梗という人は、平将門の正妻?と伝わっている。
秩父では平将門とは敵だった藤原秀郷のスパイ説があり、
平将門により殺されたと。
不憫に思った秀郷は、桔梗の首飾を天に投げたのが、
くびかざり座になった。という素敵な話が伝わっています。
ギリシャ神話のかんむり座と同じような内容です。

さて、この桔梗伝説が、福島県の半田山にあったとは~。
このあたりは、伊達家ゆかりの地なのですが、
昔から半田銀山として有名。
奥州藤原氏とも関係の深い沼です。


※半田山と半田沼



「昔、藤原の俵藤太秀郷という豪勇無双の武士がおり、
瀬田の唐橋のたもとに棲む大蛇の化身の美女に頼まれ、三上山の大百足を退治した。
秀郷と美女は一夜の契りを結び、美女は桔梗姫となる娘を産んだ。
桔梗姫は自分の出自を知ることなく、後に平将門の妾となった。





将門は破竹の勢いで天下を伺っていたが、朝廷はこの征討に秀郷を向わせた。
しかし、将門は常に影武者を置いており、本物の見分けがつかなかった。
そこで秀郷は身を偽り、将門の家来となることでその秘密を探ろうとした。
こうして桔梗姫と秀郷は出会い、桔梗姫は秀郷が自分の父であることも
知らずに心を惹かれてしまう。姫が秀郷に名をたずねると「私は半田の半七です」と
秀郷は答えたという。そして、ついに桔梗姫は将門の秘密を秀郷に教えてしまった。



秘密を聞き出した秀郷は将門のもとを去り、敵将として将門を討ち果たすことになった。
一方、桔梗姫は秀郷を恋慕すること止み難く、半田を訪ねて半七なる人を探し歩いた。
しかしそのような人がいるわけもなく、尋ねる村人も戸を閉めて会ってくれなくなる。
喉が痛みだしたので、姫は半田沼へ降り水をすくおうとした。
すると、水に映る自分の姿が大蛇となっていることに気がつく。
姫はもはや自分は魔神に変わった、と思い、半田沼は小さかったので、
山ひとつ向こうにある菅沼へ行き、ヌシとなった。

※みずうみ書房『日本伝説大系3』より要約


上からみるとハート型の半田沼なのよ~♪
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この話だと、最初は、瀬田の唐橋=滋賀県大津市瀬田
で滋賀県の話になっている。そこで桔梗姫は生まれたというのだから、秀郷の娘になる。
でも、妹説もありこのあたり不明。
こういった話は、あこや姫伝承とよく似ている。

その後、秀郷は陸奥討伐へ向かっていた時の話になり、
「半田」と言っており、桔梗は秀郷を訪ねて半田沼へ来ているが、
菅沼へ行ったとある。
菅の地名も砂鉄などを産出していた鉄の意味があると思う。



以前、赤牛の話で書いていたこと。
このあたりは、治水工事を行っていた人たちがいて、災害が多くあった場所です。
人柱のように、沼に女性を鎮めたような話がありました。
その沼には、大蛇ではなく大きな牛が住んでいたと。
その牛と結婚した機織り姫となっている。
秦氏の話っぽいけどね。

※半田沼の赤べこ
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101010

さて、俵藤太という人がよくでてきます。
藤原秀郷もよくでてきます。
俵藤太=藤原秀郷
同一人物だそうですが、いまいちわからないのです。
なにか、この人はありそう…。

稲作と産鉄------------------------------------------------

秩父出身なだけに、先祖は秩父平家になったことはある。
が、平将門の影響を先祖が受けていた感じがしない。
なぜだろう?
私は畠山家の方に興味をもつんだな。
葛西氏より。
畠山氏の方がいんだな。この人のルーツは太陽信仰をしていた日置部に関係するから。

さて、平氏VS源氏や、藤原氏VS阿部氏などと、
何かと対立する。
ムカデを退治したのは、俵藤太という人。
名前の由来は、藤原氏の長(おさ)で、長の人は「太郎」とつける。
なんちゃら太郎といったら、初代か酋長と考える。
なので、俵藤太は、藤原氏の長という意味。
他、田原という地名からとっている話もありますが。


※藤原秀郷

瀬田の唐橋は、
東海道・東山道(中山道)方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡る、
もしくは南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要があったそうだ。
神功皇后の時代にはすでにあったといわれ、摂政元年、香坂皇子と忍熊皇子が反乱。
忍熊皇子は神功皇后(応神天皇の母)の家来である武内宿禰の軍に攻められ、
瀬田で自害したという(『日本書紀』 気長足姫尊 神功皇后)。

ということで、このあたりから続いていそうな。
壬申の乱でも揉めていた橋。
それが琵琶湖。
妄想するに、琵琶湖が聖なる湖だからですよね。
ここは侵入禁止!だったのでしょか?

俵藤太がムカデを退治するきっかけは、琵琶湖にすむ大蛇(龍の一族)の娘が、
三上山に住むムカデに苦しめられていると藤太に救いを求める。
ムカデを退治した藤太は、八幡神に祈願をして矢を射ると退治できたという。
お礼に米の尽きることないほどの俵の宝物をもらう。

なんとなく、古代産鉄族と藤原政権の産鉄族の対戦と思いたくなるのですが、
土地を譲渡した古代産鉄族がいたんですね。
山中には地下水脈が通っています。
水を確保すれば、平地に水が流れ稲作ができます。
水戦争はありましたから、水がほしかったのだろうと。
俵藤太は、山民が守っていた地下水脈(ムカデと称した?)を
譲ってもらうことにしたとか。
秩父の和銅にある聖神社にムカデを奉納するのは、あそこにも岩場があり掘った
穴の跡があったので、ムカデのようにイメージした?

そのおかげで稲作に従事できるほどの豊かさをもったという解釈がなされる。
だから藤原さんは良いことをしたと。
稲作が大量に実ることを伝えている伝承は、名取熊野三山にある
高舘の奥の樽水伝承もそうです。
源義家がやってきた時に、阿部貞任と宗任が米を入れて水に見せかけて流したのがお米だった。
こちらは、阿部さんですが。

さて、似たような伝承としては、田道将軍のことを書いていましたが、
眉間に矢を射られて亡くなった。
それが第3の目だったのですが、平将門の弱点が「こめかみ」だという。
意味わからんが、妄想するに、これも同じことかと。
日光の伝承と重ねると、百目鬼伝説というのがあり、
百の目をもつ鬼がいると。兎田という地名なのですが、「田」も鉄用語になります。
鬼は、また産鉄族でもあり、その目を射るというのは、古来から
目というのは、見えている目ではなく、見えない方の「第三の目」だと思う。
なんか出雲っぽいけど。
平将門も何かの啓示を受けていた人だと思うので、その第三の目を失うことになる。
それが田道将軍とも似ている。

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話が少しそれますが、私は藤原秀郷の伝承を読んでフツフツとしてくるのは、
妹との関係なんですね。
歴史云々より、関係が気になってしまう。
おばちゃんは、こういう話になると萌えるんだわっ。
実際はどうかわかりませんけど。

桔梗が妹だとしたら、兄と妹の関係が気になってくるわけで。
こういう妄想も、ちと、面白い。
伝承では、妹か娘とされる藤原秀郷に味方についた桔梗ですが、
平将門を裏切った結果として伝承されていることは共通している。
妹と兄の関係。
平将門は実際、良い人だったという妄想はあります。

答えはないけれど、似ている伝承が各地に点々としてあるという事は、
実際、モデルがいたんではないか、と。
どっかに繋がりそうなんだよね。

桔梗という女性は、兄だと思う秀郷に、恋をしたということで、
一線を超えてしまったから、平将門が追いだした感じに受け止めてしまう。
けれど、そういう話にしている伝説で、実際は違うとは思いますけど。
でも、なぜそんな恋話にするのか?と思う。

国学院大学に「妹(イモ)」の説明がありました。
なるほど!な話。

「~沖縄の民俗事例をもとに家の中の祭祀を担った女性を指すともいわれている。
記上巻の阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)と妹高比売命(たかひめのみこと)
や仁徳記の丸邇臣口子(わにのおみくちこ)と妹口比売(くちひめ)の挿話などから、
霊能で結ばれた兄妹関係があった可能性が指摘されている。
これらの「妹」は必ずしも同母の姉妹ではなく、血族の記憶を管理し家の祭儀を行う霊能を持った親族だったのではないかという。
また、記紀神話におけるイザナキ・イザナミ神は兄妹の関係であるとされ、
世界の創世神話の多くにおいて夫婦関係の詩的・神話的原型が「妹」と「兄」であったともいう。」


男女神ってことだ。
沖縄が発祥のようですが、卑弥呼も神降ろしをした言葉を、弟が伝えていた。
物部氏も巫女がおろした言葉を物部氏は伝えたようなので、かなり古い
祈祷のやり方だったと思う。

近親婚ということもありそう。
エジプトでもツタンカーメン王は妹?と結婚したと思う。
勝手にその話にもってきますけど、王の血を引くのは濃い方がよい。
でもそういう血統はなぜか、弱い子が生まれるといいますね。
雑草が強いのと同じで。種は広いほうが子孫が残しやすいから、
いろんな民族と婚姻をしていたのが地方豪族たちで、
皇室は、そういうのを避けていた。
ですが、日本では異母との結婚は許されていたのですが、同母との結婚は許されてません。

藤原秀郷のルーツはどこなのか。
思うに、関東の平家が強くなった要因に、雄略天皇が関係している気がする。
雄略天皇・・・専門家では実在しないと言われていたのが、
さきたま古墳群の稲荷山古墳で鉄剣が発見され、この人の名前が彫られていた。
実在した人物だったとわかり、日本の歴史に衝撃を与えた発見だったと聞く。
何かと武蔵の武将は、歴史上に出てきますし、
陸奥開拓には、かなりの影響を与えていました。
それが関東平家と言われる人たちで、秩父平家の集団です。

藤原経清(つなきよ)という人がいます。多賀城に勤務してました。
元は下総(現:千葉)にいたのが陸奥へ来て、亘理郡司になった人。
確か、亘理の鹿島神社にいたんだよね。
奥六郡を支配していた安倍頼良の娘(有加一乃陪)と結婚し、藤原清衡が生まれる。(初代奥州藤原氏)

この藤原経清の先祖が、藤原秀郷にあたる。
もう一人、伊具郡の郡司となった平氏がいて、平永衡(たいらながひら)という人がいる。
藤原経清の奥さんは有加一乃陪で姉、中加一乃陪は妹。
その妹と結婚したのが平永衡という。
なにー、姉妹だったのー?!
という驚き。ホントカ?

たぶん、亘理の鹿島神社に居住(鹿島神を信仰)していたという話から、
藤原経清は、物部氏や中臣氏たちと関係する人だと思った。
物部の信仰を受け継いでいるということ。
蘇我氏と物部氏の対戦から続いている話になりそうなんですけど。

安倍頼良の娘ですが、父親は、ぶいぶい言わせていた安部貞任。
伊具は伊具郡の古代史で妄想してましたが、角田の方ですから。
ここに八竜城がありまして、ここに平永衡が居住していた。
安部氏の伝承が多い角田ですから、安部氏と交友関係をもっていた平家だった。
「雲から落ちてしまった雷神様」で書いた記事なんですが、
あれは相善山でした。
実は、相善山へ行く前に、八竜城に行くかどうか迷っていた。
どちらかに雷神様が隠れていると思っていたけど、山の方が好きなので、
相善山を選んだわけです。行ってみたら巨石の山だった。
巨石信仰は、葛城氏たちだと聞く。
山城国。柴田町の拆石神社もそうだろうと思う。
こういう所から、妙見信仰が繋がっていますね。
八竜城も妙見の影響を受けていると思います。

関東平家は陸奥開拓の際、東北を統治していた安部氏などの豪族と
婚姻を結び、積極的に陸奥国への拡大を目指していたわけです。
その裏に、古くから伝わる天皇家に嫁いだ皇后などの女性が深く関係していると思った。
そういった皇室出身の女性と結婚した地方豪族とは、
大和朝廷に対する力の権力を誇示するための反抗だったりしないか?と。
また、女性もそんな居場所を求めていたような・・・。

皇族間の紛争は大変だったと思う。
殺されることもしばしば。
平家は落ち伸びた皇室の家族を、かくまることをしていたわけで。
例えば、北畠顕家は霊山(福島)にいましたが、
伊具郡の方へ逃れた。丸森町には北畠顕家は護良親王(もりよししんのう)と共に逃れたと伝わっている。
(護良親王の奥さんが北畠家だったから?)
事実だとしたら、実際、護良親王は東北へ逃れ亡くなっている可能性あり。
が、東北に天皇家の血筋を継承してはならず。と、そう思った朝廷が、
京都へお墓を戻した可能性もあり。

刑部(忍壁皇子)--------------------------------------------------------

兄と妹の関係が気になりつつ、まずは、藤原秀郷の末裔だった藤原経清についての伝承が、
宮城県北部の色麻町にありました。

色麻町史によると、藤原経清のお墓(塚)があると伝わるのです。


※藤原経清の塚

「平安時代秀郷6代にあたり、子は初代奥州清衡である。
伊豆~武蔵~下野~奥州にわたり、昔えみし征伐後、北方の山に隠れ住んだ
北山巌石丸という子孫が奥州に来て、郎党となる。
子孫は北山刑部左衛門、「あやめの方」と京より多賀へ来る。
矢にあたり桑畑の小屋で臨終。清經が墓を立てた。」


この話では、「北山巌石丸」という名前が出てくるのですが、
この方が「北山刑部(きたやまおさかべ)」といった。
おさかべは、忍坂部のことでもある。
ということは、藤原経清の先祖は、忍坂部からの出となる。

ムカデを退治し、平将門と敵対していた藤原秀郷のルーツは、
刑部氏となる?下野国から突如現れた秀郷は、滋賀県から来ていた。
それ以前は、奈良・・・ではなく、鳥取県だった?!(このへん微妙)

再び、思いだし、忍坂大中姫がいる。
允恭天皇の皇后が、忍坂大中姫で雄略天皇の母親。
雄略天皇の母は、「忍」という漢字を用いる。
そして九州が発祥。
忍坂部は入墨をしていたマタギであったいわれるのだ。
まさに海民だね。

ここで繋がりそうな感じなんですが、
なんで兄と妹の恋話が気になったのかというと、やっぱり、いた。
本当の話か定かではないとしても、それを記紀が伝えているということは、
何かあったからですよね。
たぶん、皇位継承をつぐであろう人が、迫害されたことがあったとか。
その理由に、近親婚があったから、という理由なんだよね。。。

衣通姫伝説(そとおりひめでんせつ)を見つけてしまった。
軽皇子と軽皇女の恋話。
兄と妹が愛してしまったので、追放された話。
最後は、奈良県の初瀬で二人とも自害する。
ハツセのハセだわ・・・。

で、この話は、蘇我馬子と物部守屋の時なんだよなあ。

秀郷と桔梗の伝承が、因縁つーか、似ているなあ、と思ったのです。
たぶん、そこを似せてつくられた感もする。
で、気になったのは軽皇子とは軽部といわれ、
木梨軽皇子のことで、軽部により語られたと。

「名は呪術的な力を持つ。古代、天皇、皇后、皇子らは自分の名を
冠することで「民」を私有した。これを「御名代」という。
皇族の私有民はやがて、皇族の名を伝えるようになる。
「刑部」は允恭天皇の皇后「忍坂大中姫」より始まった御名代である。
その最も有名なものは「軽部」であろう。
軽部は木梨軽皇子より始まる。
この皇子の物語「軽皇子と衣通姫」の悲劇は軽部によって語られた。
刑部親王が万葉集で柿本人麻呂によって「忍坂部皇子」と呼ばれていることに注意したい。

※「梅原猛 海人と天皇ー日本とは何か」より

むむむー、軽部=刑部(忍坂部皇子)なのだろうか?
忍坂大中姫は、民をもつようになり、その人たちを刑部とよんだ。
その中に、軽部がいたという話なんだよね。

雄略天皇を母に仕えていた忍坂部からの末裔が陸奥へやってきて、
刑部→藤原経清→藤原秀郷と繋がっていると・・・。
武蔵にある古墳を築いてきた子孫ということに。

桔梗と秀郷の恋話が、どこか軽皇子と重なるのです。
ですが、伝説であり事実ではないと言われる。
本来であれば皇位継承権を持っていた木梨軽皇子が、
権力争いの末に穴穂皇子に敗れ、皇位継承から排除された事件を語ったものである。
とする説。

いくつか歌が残されていますが、別人が書いた可能性もあるとか。(Wikiより)
「天飛(あまと)ぶ 鳥も使ひぞ 鶴(たづ)が音(ね)の聞こえむ時は 我が名問はさね」
※寂しくなったら空を行く鳥に私の名を訊ねなさい、
そうすればきっとその鳥が私たちの間で言葉を運んでくれるから。

こういうラブラブな歌がいくつか残されています。
別人が歌ったのだとしたら、なぜこんな歌をうたうのか?
なぜ残されているのか?

軽皇子は、四国伊予へ流罪されたそうです。
刑部は、允恭天皇の皇后に仕えていた武勲のために「刑部」
の役職をもらい、下賜されたという。
雄略天皇は、長谷(はせ)の宮にいた。
初瀬でハセとよび、支倉のハセである。
軽皇子が自害した所が、初瀬というのは偶然なんだろうか?
弟である穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)がつくのだが。

「こもりくの 泊瀬(はつせ)の河の上(かみ)つ瀬に 
斎杙(いぐい)を打ち下(しも)つ瀬に 真杙(まぐい)を打ち斎杙(いぐい)には 
鏡をかけ真杙(まぐい)には 真玉(またま)をかけ真玉(またま)如(な)す 
我が思う妹(いも)鏡如(な)す 我が思う妻ありと言はばこそよ 
家にも行かめ 国をも偲ばめ」

※泊瀬の河の上流に斎杙を打ち、下流には真杙を打ち、斎杙には鏡をかけ、
真杙には真玉をかけ、その鏡のように我が思う妹、その真玉のように我が思う妻、
おまえがいるからこそ家に帰りたいと思い、国を偲びもするのだ。

呪術っぽいんですけど、なんと、忍坂(壁)皇子は、
天武天皇から、石上神社の神宝に触れているんです!
天武天皇が忍坂(壁)皇子にお願いしていた仕事の中に、
「674年石上神宮に派遣され、膏油で神宝の武器を磨く。
この日に、石上神宮の神府を皇室の武器庫とするためか、
神府に納められている諸家の宝物について、
全て各子孫に返すように勅が出されている」

十種神宝??

で、持統天皇の息子、草壁皇子を時期天皇にすることも宣言させている。
草壁=日下部。
におうね~。
忍壁皇子を高松塚古墳の被葬者とする説がある。
そうとうだね。

刑部(忍壁皇子)は物部氏と関係していたから、排除されたの?

ということから、九州発祥の豪族がうかぶ。
物部氏の祈祷を知っていた人たち。
複雑なんですけど、物部氏は軽皇子の弟だった穴穂皇子へ継がせようとしたけど、
蘇我馬子により殺されたはず。
蘇我氏は物部氏の継承を許していなかったと考えられます。

このあたりから蘇我氏と物部氏の因縁が続いていて、
物部氏の継承を受け継ぐ人だったと思われる人々は、
東北へ逃れてきた感じもする。

十種の祝詞の「ふるえ~、ふるえ~」の御魂振りは、蘇ってしまうことを恐れたわけで、
震動(振動)で震えてしまうことを恐れた祈祷を封印したと考える。
なので、修験が中心になって伝えたものだと思うのですが、排除された皇室の復活を願って恋話を記している。
でもどれも悲恋話になっている。
あこや姫伝承もこの部類に入る。

天武天皇が石上神社の神宝を忍坂(壁)皇子にお願いしているということは、
やっぱり、刑部は、物部氏と深く関わっていた皇族だったんじゃないか、と。
天武天皇は大海人というのだから、海民だったから、
吉野へこもり役小角に会っていたわけだし。
兄の天智天皇は滋賀県に縁がある。
大津京をたてたのは琵琶湖の近くで、飛鳥から離れたんだよね。
天武天皇のこともあって?

吉野(熊野の奥の院や石上神、玉置神社など)古くから続いている神道に対し、
渡来した人たちが交易を求めて滋賀県へ移り山王信仰をもたらした。
山民VS海民、という派閥が起こっていたのではないか。
ヤマツミとワタツミの対立。
でも、このように離したのも、物部氏の神宝を他の手にいかないようにしたのもあると思う。

兄の方が悪いことをしたという伝承になるから、弟を継がせようとした話。
海幸彦と山幸彦も兄と弟ですね。
で、穴穂皇子も女性関係で騙されたか、おびきよせて殺害されるんですね。

巫女が外宮として宮廷の中に入っても、他人との婚姻を許されなかった時、
関係をもったこともあったでしょう。

熊野信仰は、役小角の影響を受けています。
刑部が物部氏の子孫にあたる人だとしたら、藤原秀郷も刑部を受け継ぐ人と。
ムカデ退治した大蛇(龍)の一族を背負って、東北に強大な飛鳥を東北に作ろうとしたとか。
仏教王国です。
すごく美的に考えたら、世の中の不条理で亡くなった武将の鎮魂の聖地。
それが今の平泉ですね。
そこに物部氏が関わっていることが驚きというか、やっぱりな。

それに秋田物部氏は、平将門の征伐に参戦している。
物部側の人が、平家を倒したい理由があったんでしょうか。

藤原秀郷が、平将門を敵としてみていても、たぶん、どちらも同じ一族だったと
する妄想で、母違いだけどルーツをたどると同じ家族だったりして。
しかし、軽皇子の因縁をもってしまった藤原秀郷と平将門なんだろ、と。
柴田町の支倉といえば、新羅の郷。
ここに俵藤太伝承や新羅三郎伝承(えんぶり長者)など、滋賀県と繋がる伝承があるのだから、
藤原秀郷は奥州街道を通りながら、雄略天皇を偲んでいたわけだ?

桓武天皇から桓武平家へ-----------------------------------------------------

武蔵があんまりよい感じがしないのは、桓武天皇がいたから。
後の桓武平家になった人々。
桓武天皇から平高望王がいて、平家となります。
その一族が平将門です。平国香という人が先祖になる。
畠山重忠という人がいますが、秩父氏(深谷)なので秩父ではこの人の伝承が多い。
畠山家は平国香の出自ですが、源氏側についた。
こういう繋がりもあるもので、畠山重忠は、半田山近くにある阿津賀志山(福島県伊達郡)
で1189年に奥州藤原氏(奥州藤原討伐)をたおしている。
陸奥国葛岡郡(宮城県岩出山町辺り)を勲功の賞として拝領したと。
畠山重忠は、北畠顕家に追われて、九州へ向かった話があった。


畠山重忠
※嵐山町旅の達人
http://www.ranzan-kanko.jp/shigetada.html
ちなみに、畠山重忠が住んでいた所も、菅谷屋敷という。
半田沼から菅沼へ移動した桔梗の話も、「菅」になっている。
これを須賀とみるか、菅とみるか。
熊野は阿須賀というし。

秩父が、もし全国で5位内に入るくらい実は、天皇家と深い関係ある聖地だった。
と言っても、誰も信じないだろう。
埼玉には大きな古墳群がありますが、元は秩父の山民だった人が稲作をするために、
山へ下り、武蔵(埼玉北部)へ移り住んだわけですから。
ルートは甲信越。日本海~信州~会津の大彦命(意冨比垝)が浮かぶ。
この人が、雄略天皇と繋がる。

稲荷山古墳で見つかった銘文では意冨比垝は乎獲居臣の7代前の祖とされているが、
この乎獲居臣は雄略天皇の時代の人物と見られており、雄略天皇の7代前は垂仁天皇に当たる。
雄略天皇の時にいたのか、それより前なのか時代が違うので、はっきりとしてません。

ただ、関東には新羅人、高句麗人、百済と朝鮮半島から帰化した人たちを住まわせて
開拓を行っており、和銅を発掘している。
その山民が平地に住むようになり、渡来人と繋がり後に平家となる。
金を求めて陸奥へ向かい、桓武天皇から、厳しいエミシ征伐をすすめるようになります。

鳥取というキーワードは、ピンとくる。
蔵王になぜ白鳥信仰が多いか。
白鳥信仰をもたらしたのは葛城王朝だと思っていましたが、
やはりそのようで、葛城王朝は、鳥取県にあった説がある。

鳥取氏は、白鳥を献上する人たちだった。
鳥を扱う人だから、鳥取氏となる。
だから、蔵王には白鳥信仰と大高山神社のある「鷹」の系譜がある。
白鳥と鷹の融合とは、新しい鉄族と古代鉄族と、みる。
東洋と西洋、縄文と弥生、対極している異なる民族同士の融合と考える。
秋田へ物部氏が逃れた時に、鳥取氏も一緒だった。
岩手県には止止利神社がある。
------------------------------------------------

が、もうひとつ、陸奥開拓で混乱する歴史。
鴨家と賀茂家がいる。
鴨は、呉からの渡来人とされる。
賀茂はヤタガラスの方。違いはわからない。

上賀茂神社と下鴨神社とあるように、賀茂と鴨と表記される。
賀茂氏は元は出雲だったのだが、大国主を祀るのは天津神としてよくない
ということで、国津神だった出雲を賀茂家と統合して天津神にしたという話がある。
これがエミシ征伐となっていく。
それをがむしゃらにやってきたのは、桓武天皇。
自然なやり方が気に入らないというか、この時代から物質的な社会(男社会)
に向かったと思っている。
それから天変地異が多くなってきたというのは、無理なことをしてきたから、
環境破壊になったわけで、土地を追われた人が多かったからです。
それを桓武天皇はエミシ(出雲の封印)をしたことが原因と考え、怨霊だとする。

よって、八幡神社をやたらに建て、マロなどの征夷大将軍を東北へ派遣した。
マロは、八幡宮を建てることは鎮魂だと思っていたので、
別に封印をすすめていたわけではなく。
でもこれもうまくいかないので、東北へ逃れた藤原氏でない皇族と共にしていた
賀茂氏(葛城氏)や物部氏に頼み、エミシ平定に力を貸してくれと頼んだのはマロでしょう。
その一人が、アテルイだったわけです。
アテルイは、武蔵にいた騎馬民族に関係する人だと思う。妄想ですが。

照井さんや白鳥さんが、アテルイと繋げたい理由は、
鳥取氏からきている系譜なんだろう、と思うのです。
鳥を扱ってきた人たちだから、この方たちのルーツは鳥にある。
それが物部氏の祈祷と通じるものがある。

歴史は何度も繰り返すとは、よく言ったもんで。
霊的なモノが、何かと結びつけようとしている。
面白い現象。
今、起こっていることが、1000年前のエミシ征伐が活発になった
時期の9世紀~11世紀(安部氏と奥六郡)とよく似ている。
べつに日本は特別な国ではなく、決して右よりな話でもなく。
単に自然崇拝を重んじているだけで、生活の中に禅のような思想をもっている。
易の世界もいまだに息づいている国だからこそ、世の中に葛藤するのは当然。
それは、迫害された豪族たちの歴史が動きはじめている感じ。。。
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仙台と福島は祈りの地

2017-02-06 | 日記・エッセイ・コラム
タイトルの意味は、周易で説明するならば、
仙台の「仙」と福島の「福」は同じ意味があるという。

先日、韓国から周易のビッサル先生(金戴亨先生)が仙台にいらして、
通訳の方とまじえて勉強会に2日間参加させて頂きました。

ビッサル先生の心に響く詩を読みながらの周易でしたが、
とても深くて面白くて、世の中がすべて陰と陽でできている
事に改めて実感し、とっても楽しい勉強会でした。
周易については、いろんなサイトに基本的な話がのっているようですが、
今は、芸術や文学の方面で易学が幅広く世界に浸透している、
といった周易の歴史の流れも聞きました。

細かい話は、まとめられないのでお伝えできませんが、
先生が「仙台」という漢字をみて興味をもち、ぜひ、仙台へ行ってみたい。
ということで、今回の勉強会が実現したそうです。
その機会に恵まれて幸せな時間でしたが、
仙台について教えてもらったことは、共有したいと思いました。

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周易では、「天地人」が基本の「3」にあるという。
熊野三山があるのは、そういう意味で。



福島は、図のように天と地の間に人の口が入る。
言霊のように。
仙台の仙は、仙人というようにこれも人の意味がある。



天地人を祈る意味から、福と仙は、周易では祈りの場所と考えられると。

陰陽は、どちらも備わっていないと良くないことがあり、
善悪二元論を唱えた西洋思想は、東洋思想とは異なる。
昔話や伝説に、「鬼」を登場させたのは、陰を描いたことになる。
鬼は完全な悪ではなく、陽に必要な陰である。
陽ばかりでは×、陰ばかりでも×。
どっちも半々もつ。



北東北や各地で、鬼を良しとしている地域は、
東アジアの思想(陰陽五行)の影響を強く受けており、
それがそのまま継承されている地域。
それに反し、鬼を退治した話など朝廷側にあった地域は、
西洋の二元論を示している地域になる。
なぜ、鬼を悪としたのかは、堕天使が悪をもたらした。
と思っているからだろう。

「日本の思想は、西洋と東洋の両方が生かされている」

これがとっても重要なこと。
どちらか一方なのは、アメリカと中国。
ちょうど今、トランプが吠えている先は、中国です。
どちらも片方しかないので、そこに日本が入るというのは、
陰陽の間にある「点と線(占)」に日本がなるしかないわけです。

これを戦争がおこるシナリオとして世論はみるんでしょうけど、
実際、もっと奥深いところで、「人間の心が試されている」と見ています。
だから、私は内観しないと。と思っていたところで、ビッサル先生の周易に辿りついた。
わかりやすくて救われた~。



善ー鬼を退治するー陽ーOFFー線(占)-見える。
悪ー鬼ー陰ーON-点ー見えない。

コンピュータの世界も、0と1で全てがプログラミングされているので、
ONとOFFのスイッチの切り替えで、人は世界を見ているのです。
花が開く時もそうです。
夕暮れの赤い光の波長が一番長くなる時に、
スイッチをOFFにするという命令が入るので、花は閉じます。
朝になり、陽が入ると、ONにせよという命令が入るので、花は開きます。
鶏の鳴き声は、一番早く陽の気を受けることができるから、
いち早く陽を教えてくれる鳥なので、昔から重宝されてきた。
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もうひとつ、太白山について聞いてみたのですが、
太白は、韓国に太白山脈がありテベクサンという。
テベクサンは、太白と書くので、漢字が同じ太白山が仙台にあるのは、
偶然ではないのです。

太白山は、古くから信仰のあった山で、
小さな山で、たくさんの伝承が残されている山は、
他に探してもないくらいです。

先生は、「白」とつくのは、韓国では(中国も?)
「天に礼拝するところ:天祭」と言ってました。
白や頭とつく山名は、天に礼拝する意味があるという。
なので、そういう山の山頂には、神様をお祀りしているはずだと。

朝鮮半島にある「白頭山」などもそうで、
太白山=白頭山と。
あー、だから私は白頭山が気になっていたのだな。
仙台の太白山に登れば、白頭山に登ったのと同じなのだ。

日本語の森(モリ)は、韓国では、人をモリで数えるそうです。
動物のことをマリという。
日本の山の神の日では、山仕事をしてはいけないタブーがあります。
その日は、神様が木の数を数えるので、人が入ってはいけないと。
人=森という関係も繋がっていますね。
ということで、仙台と福島は、「天の信仰がある所」に。

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日本神話には、大小の描写があります。
大物主や少名彦、
大持山、小持山、
ヤマトタケルの大碓皇子と小碓皇子など。
世界神話に兄弟と2人や双子にしているのは、
「バランス」を保つためです。
実際に兄弟だった話もありますが、それだけではなく。
女性ならば、姉妹で記す。
どちらか一方では、世の中が淀んでしまうからでしょう。
それでは、流れていかない。

周易では、ミクロとマクロの世界を伝えていた。
な~る、ほど。

周易を占う時、6回、ふります。
コインや玉などを使って、コインの裏(陰)と表(陽)で示す意図は、
天・地・人でひとつ。
下から、最初の3つ(3回)は、ひとつの宇宙。
後の3つ(3回)も、ひとつの宇宙。
ふたつの宇宙が出会う意味があると。
それが小陽・小陰・太陽・太陰と示し、6回行うことで占いの結果をみる。

ということは、三角形は、陰と陽を重ねて六芒星になる。
これも易と同じもので。
で、三角は水を示すから、水から六芒星を形作った人たちが、ユダヤ人だったわけで。
易を伝えた人とユダヤ人の思想が、絡んでいるのですね。
この形も世界共通。
世界の歴史は、みな、同じ思想から生まれているから宗教も同じ。

天にいる私たちと、地にいる私たち。
それが鏡になっているから、カミとなる。
日本語の50音も、鏡にすると100音になり、桃となる。
百はモモとよむ。
中国では、鬼は桃の木にいたと伝わる。
おひなさまのお節句は、桃の花を飾る。
言葉に発する50音(聞こえる)は、同時に聞こえない音の50音(振動)を出していることになる。
悪口を言うと、聞いている相手も、低い波動を受けることになるので良くない。
かといって、良いことばかり聞いていると、高い波動だけ受けるから自尊心が高すぎてしまう。
極端にはなれない。難しいところですが、バランスが大事。

といったような思想は、神道も同じで、音にあわせた神々の名前もある。
北斗七星を天の図と地の図と、反転させるのは易も同じで、
陰ならば陽に転換。
陽ならば陰に転換。


1:無極(日本の国旗みたいな)

丸に点をつけるのは、出口王仁三郎さんですが、「丸にチョン」も周易と同じような陰陽の世界を伝えている。
丸にチョンの、チョンは、キの意味があると。「木」のこと。
「困」の漢字は、なぜ困るのか。
木が囲まれているから、その囲いをとらないと、木は枝を伸ばして成長しないから。
だから、困る。


2:陰陽太極

たまっているモノがあるのだから、あまり使っていない方の力を使え。
というメッセージが周易にあるわけです。
そうやって太極が回転しはじめ、車輪となる。


九曜紋の三太極。

車輪は、周波数を高めること。
東アジア(東洋)と西洋の陰陽が回転すると、
周波数が高まり、世界が共振、共鳴、共感していく。
それが周易ということで、まとめると、深い話になってしまいました。

まだまだ周易の世界は広くて、基本の基本しかわかりませんでした。

最後に、先生は震災のことも気にかけて下さりました。
あれから、6年も経ちますが、いつまでも被害を被った気持ちでいることを、
終わりにしなければならないと思う。

前を向いて歩くにはどうしたらよいか。
先の未来はあるのだろうか。

先生は
「周易は理想主義なんですね」と言ってました。
一緒に講義を受けていたNさんが、
理想主義のことについて感想を述べていて。

今まで、綺麗ごとを言う人を嫌だと思っていたり、
理想ばかり言う人も嫌だったけど、
理想を自分の中に持っていないと、未来がないことに気づいた。
大いに、理想を持ってよし。
それを目指すことで歴史を作ってきた周易だから、
時間はかかるけれど、「文化的変化」が大事と。

私の旧姓の中に「黄」の文字が入っています。
政治的、権力的、の意味があるそうです。
古来は、錬金術のようなシャーマニズムからきていたのだけど、
今は、金=カネになっていることを考えるとそうなりますね。
私は結婚をして、この名前から脱することができてある意味良かったと思っている。笑
夫婦別姓について反対する人がいますが、霊的な日本を考えると、
名前が変わると人生が変わるくらい、言霊の威力はすごいことを
知った方がよいと思っている。
古い考えかもしれないけど、名前は大いに生かすべき。
女は霊性の中で生きているのだから。

婚約した頃に、旧姓からやっと別の姓になることを、
心から喜んでいる自分と先祖がいた夢をみました。
旧姓の名前から縁を切る=刀で切る夢でした。

理想をもって、未来を目指す。
復興の原動力にもなりそうな、易の世界。
どんどんこれからも広がっていきます。
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縄文人が稲作を拒んだのは?

2017-02-03 | 日記・エッセイ・コラム
ここ何年か、「縄文」について海外の研究者が注目するようになってきました。
日本でも、たくさんの人が縄文について言及していますが、
縄文はとっても謎が多く、たくさんの遺品が見つかっても
その意図がなにか、いまだにわかっていないモノが多いんです。

世界が稲作の文明になっていても、1万年以上も狩猟を続けていた縄文人。
その理由は何か。
私たちはすでに答えを知っているはず。
経験で知っているはず。

経験から気づくことはとっても大事だと痛感します。
誰かに聞いたことだと、実態としての経験がないから身につかない。
ああ、そうなんだ。で終わってしまう。
こういうブログも読んでいて面白くても、
ああ、そうなんだ。で終わってしまう。

ただ、経験している人は、あ、そうか。
に、なるから腑に落ちることもでてくる。
私もこういう話を聞くと、やっぱり!そうだよね~。と腑に落ちた。
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義理の両親を介護してきて痛感することがある。
「病人にとってお米(白米)は悪化する」ということに気づいた。

病気をした人に、何を食べさすのが良いか。ではなく、
何を食べたら悪いのか。が、わかってきました。
義父の体をみて、炭水化物を食べさすことに疑問をもつ・・・。

食事を作っていて、この事に気づいてモンモンとしていた時に、
知人からこの情報を教えてもらって、その通り!と思ったことが、
実は縄文からの教えだったこと。

これは、面白い対談。
澤野大樹氏の話が、日々の介護にも通じている。

「多次元世界から読み解く、今なぜ縄文なのか」
国際縄文楽協会
https://www.jomon.or.jp/archives/124.html

対談の一例。

「1日30品目を食べましょう、バランスよく野菜もたべましょうとかいった
食事法というものは、実は私たちを病気にしてしまうのではないかという
疑問が少しわいたんです。それで猛烈に勉強を始め、
インターネットなどを使ってあらゆる情報を集め始めたというのがきっかけなんです。
それまでは縄文に関してまったく興味もなく、全く考えてなかったんですね。
それまでは情報誌などを作っていて、スピリチュアルな精神世界系の話を
のせていたのですが、ダイエットから食のこと健康のこと、
常識というものを疑うということを今まで以上に強烈に湧き上がってきて、
調べ始めたんです。日本人なら米を食べろ。
大和民族なら米を食べろ、というのを9か月前まで信じ込まされてきた。
いろいろ調べていくと、元来日本人は米を食べていたのか?
そこで縄文に出会うのです。まだ縄文に関しては浅い知識ですが、
狩猟民族であったり木の実を食べて生活をする。

イノシシなどの肉から蛋白質をとったり、貝塚などをからわかるように
貝や魚を食べていたり、もっというとアザラシ、クジラ、イルカまで
たべていたということが段々わかってきた。
もともとこの日本列島に住んでいたネイティブジャパニーズ、
縄文時代には米は食べていなかった。
じゃあ何を食べていたか。今言ったように動物性蛋白質と木の実など
ごくシンプルで自然からとれた塩などで食べていた。」



(酒田:山居倉庫資料館)


※鳥海山と秋の稲穂
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澤野氏も経験から気づいてたことなんですね。
別に縄文を推進しているのではなく、健康を考えた時に、
やっぱり、いきつくのは縄文なんです。

ただ、お米は甘くて美味しい。
私もお米が好きです。
食べない方がいいと言われて食べない人はいない。
高齢者は、白米を食べることが当たり前だから、
食べさせないわけにもいかない。
玄米とか五穀米やらいろいろあるけど、白米よりはまし?



健康な人は、消化する力があるからまだいい。
病人はそうはいかない。
機能が落ちると、大変でっせ~。

以前から病院や介護施設で、毎日3食を炭水化物(お米中心)を食べさす
ことに疑問はあった。

お米は糖質をどんどん増やしていることになると。
糖分控えめの意味はないんでね?
義父は多臓器不全もあるのですが、体重は増え、
むくみもひどくなり、内臓の働きが悪くなって消化できない状態でも、
食べ続けるという姿は、自然ではない。
ある意味、遠野物語の世界・・・。

これが洗脳されてきた現代食にある。
お米などの糖質は(甘いものも含め)、すぐお腹が空くのだそう。
いっぱい食べてもすぐお腹がすくから、どんどん食べてしまうようになると。
だから太る。
栄養をつけることが、単に、太らせているだけに。

食事量を少なくして塩分控えめにしたとしても、
お米を食べているからには、何をしても変わらないと思った。

一番感じたことは、大体、和食中心の食事をしていると、
体に悪いものがむしょうに食べたくなる。
カップラーメンとかハンバーガとか、加工食品がめちゃくちゃ食べたくなる。
やっぱり、味つけされた加工食品は、体に悪いから美味しい。
知人が仕事が忙しいからと、子供の夕食をたまにハンバーガーにすると聞いた。
・・・・あかんよ、その子は大きくなった時に受ける体の代償がひどくなるよ。
とは、言えない。他人のこった。知らん。
自分で気づかないことには、どうにもならん。
いかに現代食が洗脳されているか、よーくわかった。

でも、お米を食べさせないのが良いのかは、本人が決めることだから、
他人や家族が食べさせないことができない。
何も考えていない人は、そのまんま医者の言う通りに薬を飲んで、
がっつりお米を食べ続けると、あんな体になってしまう・・・
ただ、どんなに健康に気を使っても、早く病気になって亡くなる人もいて、
何も気を使っていない人が、長い寿命を全うしたりするもの。

本人は自ら食べることでかえって体を酷使している結果になっていることに
も全く気づけず。
もちろん、薬も。副作用はいろんな形で体に表れるんですね。。。
考えてみると、おかしな事態です。
ただ、自分の体は、自分にしかわからない!


※山居倉庫資料館)昔の女性は強かった!

稲作とイヌの変化-------------------------------------------------

稲作とともに変化したのは、犬だそうです。
狩猟としていた犬が、食べる犬に変化したそうだ。
人間は、食いつくし、排出し、汚し、何もしないで死んでいく。

日本の伝説では、稲をもたらしたのは狐。という話が多いです。
稲作と水田開発をもたらしたのが、弥生人と言われますが、
渡来した人たちです。

また、稲作と共に変化したのが、イヌだと。
縄文人は、犬は狩猟のために飼っていたのですが、
家族と同じように扱っていました。
怪我をした犬でも、大切にされていたことがわかっています。
しかし、稲と共に新しい犬も入ってきた。
雑種というのかどうか。
弥生時代から犬の骨が、バラバラになって見つかっているそうです。
縄文遺跡では、犬は埋葬されていたのですが、弥生時代から犬は埋葬されなくなる。
弥生人がもたらしたこれらの犬は、「食べるために」連れてきたことにあると。
繁殖させて食べるという考え方から、犬と人の関わりが変わってきました。

中国などの地域では、犬を食べますね。
縄文人と弥生人の違いは、現代をみてもはっきり分かれる。
弥生人と一緒に暮らしてきた縄文人もいますが、そこに理解を示せない山民も
もちろん、いたでしょう。
山への暮らしを余儀なくされ、里に下りてくることはなかった。

詳細はこちら。
「こだわりアカデミー:縄文人は犬ととても大事にしていたが、
弥生人は食料にしていた。」
http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000181_all.html




※岩手県:樺山縄文遺跡

義母はガンになりましたが、痛みはあまりなく、苦しむことなく亡くなっていきました。
義母は、食べ物に気をつかっていたので、
むくみにはなりましたが、きれいな体でした。
外見だけではなく、内臓は丈夫で胃も丈夫だったので、最後までよく食べてました。
なので、ガンになってしまったことは残念です。

変な話、
自分の籠となる肉体は、離れてもまた戻ることはあるのか、と思う。
灰になってしまったとはいえ、亡くなった時の肉体の状態により、
それが魂にも記憶されて次へ移行するものだと思ったりする。
痛みや苦しみがあったまま亡くなると、その経験をもったまま魂が
天上するとなれば、生まれる時はものすごく苦しくなるとか。
死は生を繋ぐものと考えれば、そうなる。

なので、身体を残酷に鞭打つような治療を続けると、
亡くなった時、その魂は、その肉体を記憶して次へ移行する。
そうなると、次の魂はその肉体をどう処理するのか、と思う。
アストラル体は、今までの肉体を記録し、
次生まれ変わる時に、欠けていた部分を補うとか。

縄文人は、そこまで考えていたと思う。
病的な肉体を増やさないために、内臓も含め、細胞も幾何学的な
美しい形で持って生まれ変わらない限り、苦しみや痛みを消すことはできない。

心=体ですから。
縄文人は、心と体を一致させることを常に行っていたと思う。
現代人は、バラバラですね。
心と体の動きが伴っていません。
そういう人、たくさんいます。
なので、つぶれるのは当然。
私もそれは感じるので、ストレスをためたまま放置することもある。

問題は、
高齢になり体のいろんな機能が落ちてくる時の、
身体に見えてくる変化を、本人が一番、見えていないことにある。
あきらめているのか、どうでもよいと思っているのか。
もしくは、現実逃避?

特に男性は、自分の体について、感じることを無視する。
病気をしている高齢者は、早く楽になりたい。とはよく聞きます。
が、残念ながらそういう人に限って長生するものです。
なぜなら治療をしている限りは、なかなか死ねません。

それが家族にとっては良いのですが、本人は辛くなる一方だという。
入退院を繰り返すことになるから。
そして一人ではトイレに行けなくなり、歩くこともままならず。
食も一人でとれず。誤嚥もするからとろみ食になる。
食べた気がしない。(認知症、心不全や内臓疾患の方などは)
それを長いこと繰り返しているために、介護者の負担が増えるだけ。

海外(ヨーロッパ)では、胃ろうは考えらえないと。
自然なやり方ではないからね~。
食べられなくなったら、死んだも同然と思う外国の医療なんですが、
胃ろうをしたら一生食べられない、ということはないそうです。
どんなに口から食べられなくなっても、治療により食べられるようにはなります。
それを本人が希望すれば、ですけど。

そういえば、外国では、徘徊する高齢者をあまり見かけないと聞いた。
日本の医療や、何でも情報のいいなりになっている日本人の性格と、
外国の食べ物が、介護者を増やし、認知症を増やしていることに気づかないと。

私たちが高齢化になってくる頃には、代替医療が進んでいると思います。
体調が悪くなった時、「薬を使わないで治す」ことを、
「自ら治験」するように考える人が、増えてくると思います。
というか、そうならざる得ない。医療も限界にきています。


※樺山縄文遺跡のストーンサークル

諏訪の縄文----------------------------------------------------------

ところで、最後まで稲作を拒否していた縄文人は、諏訪だったそうです。
御柱の祭りは、それが名残だという。
動物儀礼、森に生きる精霊たち。

「古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~」より
http://ameblo.jp/skyblue-junior/entry-12178016910.html

「巨木への祈りが生まれたと考えられる縄文時代、
1万5千年前から1万年以上にわたり日本列島各地で続いた。
縄文人の主食はドングリやトチ、クリ。
落葉広葉樹の森から木の実を集めた。冬も狩猟のため森へ。
獣の毛皮をはぎ、肉は干して保存食にした。森は生きるための全てを与えてくれた。
青森の三内丸山をはじめ縄文研究の最前線に立つ岡村道雄さん。
巨木への祈りが生まれたのは、ごく自然なことだという。」



諏訪大社

「研究によると、縄文時代の日本列島に稲作が伝わったのは紀元前10世紀後半。
九州北部から400年ほどかけて東へ。
ところが諏訪を含む中部高地を前に勢いは急速に衰える。
そして中部高地を迂回するようにして青森へ。
そこから東北各地へ南下する。
日本列島の大半が弥生の文化に覆われる中で、
諏訪の縄文人は最後まで水田稲作を拒んだのである。
それは縄文人に対する旧来の見方を覆すことになった。」



水田稲作が入って来たら(縄文人は)みんなすぐ飛びつくとイメージされる。
むしろ自分たちが稲作はやらないと、受け入れないと自主的に判断している
と考えられる(国立歴史民俗博物館教授の藤尾慎一郎さん)

「米ではなく森の恵みとともに生きる道を選んだ諏訪の縄文人。
その暮らしを巨木に宿る神がいつも見守っていた。」


(諏訪大社:出雲の大国主社)

「出雲から来た農耕の神の下で、世の太平を願う諏訪の大地の精霊。
縄文と弥生が争い合うのではなく融和していく。
神々が共存する諏訪で巨木の祭りは絶えることなく受け継がれてきた。」




土地の神(ミシャグチ)が、稲の神、タケミナカタを祀るという形式が、
今の神話を物語っている。
中国南方から伝わった稲作と銅鐸。
出雲などは、新しい建国を目指し、縄文との共生を考えていた。
御柱に乗っている人たちをみると、グっとくるなあ~。
世界で最高にして最大のお祭りだよ。



※三内丸山遺跡:六本柱建物(復元)

縄文時代から立派な柱の建築がありました。
当時すでに測量の技術が存在していたことを示すものであり、
ここに住んでいた人々が当時としては高度な技術を持っていたことを示すものである。


※出雲の柱(古来は、こんなに大きな樹がたくさんあったんですよね)


※上社本宮の御柱祭り

これらの柱のルーツの原点が、諏訪の御柱にあるのかもしれない。
スワの始まり「アスワ」の世界。
もう一度、ここに戻る時にあると。
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朝日の龍雲

2017-02-01 | 日記・エッセイ・コラム
今日から2月。
朝の6時頃、この日は主人が出張なので、
朝早く起きて外をのぞいてみたら、まだ日が昇る前でしたが、
雲が龍の顔にみえてしまった。
この雲はなんだか、龍にみえる。
目と指も三本にみえる。
それに雲がとっても長い。





なんだか1月の長い妄想から解き放たれて、
2月になったとたん、ガラリと気持ちが変わったというか。
何かがまた終わったような節目を感じる。

昨日の夜、仕事帰りに家の前で空を見上げたらオリオン座が光っていた。
ああ、もうそういう季節なんだな~と思う。

江島縁起より-------------------------------------------

五頭竜があらゆる天変地異を引き起こすため、これを宥めるべく、
津村の長者は16人いた子供達を1人残らず五頭竜に捧げた。
この地名は昔「子死越」と呼ばれていたが、それは五頭竜に捧げられた生贄の名残である。
今の地名は「腰越」である。

あるとき江ノ島が隆起し、そこに弁天様が住むことになった。
この地域を支配する五頭竜は、弁天様に一目惚れして求婚した。
しかし弁天様は、人間に対する残虐非道の行いを理由に求婚を断った。
五頭竜はしぶしぶ湖に帰ったが、翌日に心を改め、人間を守ることを弁天様に誓ったという。


子越・・・越王:スサノオと龍が浮かんできます。




今日の雲は、なんだか不思議です。
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