秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

子眉嶺神社の馬伝承と鏡ケ池

2017-01-30 | 東北地方の伝説(福島県)
相馬探訪の帰りにもうひとつたちよった神社が、子眉嶺神社です。
福島県相馬郡新地町にある神社。
やっとあの伝説の舞台に会えた。
ここは相馬と深い関係がある神社です。

2013年9月、雲から落ちてしまった雷神の昔話に興味をもち、
角田のどの場所か正確にはわかりませんでしたが、
巨石のある森を見つけた。





ここに大きな「雷神」と書かれた石碑があり、
祀られている神社が、子眉峯神社でした。
その名前の山が、「相善山」


「雲から落ちてしまった雷神さま」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130911

いろいろと調べてみると、子眉嶺神社のご祭神は、豊受大神宮で、
伊勢神宮外宮と同じだといわれているが、
伊具郡誌には、宇加之御魂命(うかのみたま)を祀るとある。
また、手代木沼の近くにある大荒山神社は火産具命と祀り、
沼の側にある八雲神社はスサノオを祀る。

その角田で出会った伝説が、今回、訪れた新地町の子眉嶺神社でした。



相善神の由来-------------------------------------------------

敏達天皇の御代(6世紀頃)、都に美しい身分のよい姫君がいた。
ある年の3月、梅の花の風情を賞でようと伴ぞろえをし輿を召しておでましになった。
邸内の馬屋には筑紫は唐津より献上の今帝駒という三代の天子に仕えた
名馬が飼われていたが、姫の輿が近づくと突然高くいななき、
馬屋の板を蹴り上げて暴れだした。
この姿をみた姫は不吉に思い、その日の外出はやめた。
その夜、今帝駒は姫の夢の中に現れ、間もなく姫は懐妊した。
時の大臣はかねて姫を思慕を寄せていたが、
馬屋に入って今帝駒が姫と通じたと知ると激怒し、
殺そうとしたがかえって駒に食い殺されてしまった。



このため姫は罪に問われ、うつぼ船に乗せられ伊勢の二見浦から海へ流された。
船は奥州宇多郡の浜(現在の新地町今神地区付近)に流れ着き、
土着の豪族糠塚太夫なる者が姫を憐れみ、仮屋を立てて住まわせた。

が、後に半里ほど西へ入った相善の地(子眉嶺の地)に移して扶持することになった。
やがて姫は一子を産み、権太夫は赤子をみて驚いた。
生まれた子の顔があまりに馬に似ている。姫の落胆を思った
権太夫は子を秘して姫に見せないことにした。
しかしわが子に会いたい姫の思いは募るばかり。
権太夫は「それでは池のほとりに子を連れて行くから池の水に映る子の顔を見よ」といった。

その日がきて、姫はわが子の顔をみたが、驚きのあまり病気になって死んでしまった。

これより先、今帝駒は姫の跡を慕ってはるばる奥州へ下り、相善の姫と再会し、
姫の無事を喜んで都へ戻って行った。
この故事よりこの地を駒返りの嶺とよぶようになったという。
一方、都の方では金帝駒が逃げたのを知り、追手を差し向けた。
奥州へ下ってきた追手は、途中で駒と出会い、
連れ戻すことができたのでその地を行き会い道という。



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この伝承に出てくる「権太夫は、それでは池のほとりに子を
連れて行くから池の水に映る子の顔を見よ」という池が、
この鏡ケ池と伝わります。

御神水 鏡ケ池(看板より)

「都の姫にまつわる伝説のなかで、姫は罪を負い伊勢の二見ケ浦から
空舟により流されて、当町の今神浜に漂着した。
土地の豪族である糠塚権太夫に助けられやがて勝善(相善)の地に住むようになった。
姫はここで出産したが、その子があまりにも馬に似ているので
権太夫は姫に見せなかった。
しかし姫がしきりに見たがるので、姫を丘に立たせ、産児を抱いて池水に映った姿を
姫にのぞかせたのです。
これをみた姫の驚きと嘆きは大きくそのまま床について亡くなってしまいました。
そのなきがらを葬ったところを母山と名付けたが、後に羽山となっている。
御神水として太古よりいかなる旱天にも泉の涸れることがない。
本社七不思議の一つ」




この池を覗いた時、さすがに声を出さずにはいられない。
「ひゃーーー、なんかすげーーーっ」という叫びが広がりますな。
何かが湧きあがってくる感じ。

旦那は冷静に、ご神水はこっちだよ。
と教えてくれたが、飲めるそうだ。
は~。
とりあえず、飲んでみる。



話を知っているだけに、ここで産んだというか。
降りてきたっつーか。
竹林もザワザワするんですが、
かぐや姫が登場してきそうな、きれいな竹林でした~。



真面目な考古学を考えたら、
相馬地方で馬を大事するのは、相善山の話がルーツにあると思います。
馬と娘の伝承は、遠野物語では、オシラサマが有名。
宮城県北部にも馬と娘の話はある。
各地にあるのですが、馬のような子を産んだということから、
ここも異類婚の話にしている。



天皇家に生まれる子は、他の人とは違う動物や植物などの神と婚姻することを
伝えるようにする風習は、昔からありますが、宇賀神がそのようにしている感もする。
海幸彦のタマヨリヒメが、ワニだったという話もそれで。
松の木の精霊や、柳の精霊等も。

ですが、
「伊勢の二見ケ浦から空舟(丸太をくりぬいて造られた船)
により流されて、当町の今神浜に漂着した。」
へ~、空舟ね~。
・・・馬顔の宇宙人が降りて来たんだな。あはは。
そんな妄想も楽しい。

二見浦が出てくるとは。
猿田彦神の夫婦岩のことかね?
新地町は手長足長明神だから、繋がりそう~。
猿田彦の巨人と貝塚。そして馬?

子眉峯神社の由来-----------------------------------------------

ご祭神:豊受比売之命
由緒:延喜式神明帳に記載された式内社と呼ばれる神社です。
「宇田郡一座 子(負)眉嶺神社名神」と記されている。
全国で3132座あり、陸奥国には百座あり、大社が15座。
宇多郡(相馬新地)では子眉嶺神社だけである。
社伝によると702年よりおよそ200年近く仮宮を造り
788年の建立といわれる延喜の朝にいは、名神大社として、
案上官幣を受け賜り、中世には旧藩主仙台候の氏神として社領の
寄進や社殿の再建修繕等が加えられたが1779年、
2月7日に野火のため社殿が焼失した。
1796年4月に再建。
むかし、勝善社、相善社といい、俗称「奥之相善宮」と称し、
馬の守護神として信仰が篤い。
祭神については、都の姫の悲恋にまつわる伝説がある。
また、境内に七不思議があり「鏡ケ池」はその由来を語る名称と言われる。」




なんと、豊受大神だからなのか、本殿の裏に安産の石が祀られていました!
ガラス越に、チラッと拝見させて頂く。
白い布がかぶせられていたので、よく見えませんが、
赤い色の石だと伝わります。



安産の神様だったわけね~。
だから池が祀られているわけだ。
神功皇后みたいな、マリア様みたいな。
誰かが、この池で出産したか、洗礼を受けたのかと思う。
この水で、安産を祈願していたわけですね。
神聖な場所だったと感じます。
けど、産鉄のことを考えると、この水で刀や剣を清めたとも考えられます。



七不思議---------------------------------------------

①南天の桜
 社庭南側にあり、南天の実のように花が一か所に咲くため「南天の桜」と呼ばれる。
②北斗の松
 神社前の石階段東側にあり、海岸に漂着した姫がお産の時にしがみついたため
 北側に向かって曲がっているという。
③七葉の柏
 社庭西側にあり、葉が7枚ずつ一群をなして生えることから名付けられた。
 初代「七葉の柏」は明治37年9月の暴風雨で倒木したため、
 その跡に当時の宮司が柏の苗を植樹したという。



④鏡ヶ池
 社庭東側の谷地にある周囲3.7メートルほどの池で、そばに御神水が湧いており、
 池へと流れ込んでいる。この水と池は、いかなる旱魃の時も水が涸れたことがないと伝わる。
 鏡ヶ池の名称は、姫君が池の水を水鏡にしていたという言い伝えにちなむ。
⑤片葉の葦(よし)
 鏡ヶ池周辺にあり、茎の一方にのみ葉をつけるという。
 夷子別神と白媛神はこの葦を餌として馬に与え育てたという。
⑥芽白の笹
 鏡ヶ池周辺の丘にある笹で、芽が白いため「芽白の笹」と呼ぶ。
 馬が普通の笹を食べると病を起こすが、芽白の笹を馬が食べても病にはならないという。
 また、鏡ヶ池の御神水に浸した芽白の笹を馬に食べさせると、
 馬の病気によく効くと伝わる。
⑦九曜の皐(さつき)
 神社前の石階段西側にあり、花が9枚重なり白飛びに咲くという。




片葉の話は、源氏っぽい。
九曜は、日本に平安時代から神仏習合の際、日食を引き起こしたスサノオと
結びつけられ、災いを引き起こす天体と考えられたそうだ。
その九曜に皐(五月の意味)があるのは、「さつき」です。
白い花から連想するに、この漢字の意味が、
古くは、「白」「大」「十」なんだそう。
豊受大神を祀る意味もそれで、
皐月は、耕作を意味する古語の「さ」から、稲作の月として
「さつき」になった説があるのです。
皐は、神に捧げる稲の意味もあるそうだ。
(語源由来辞典より)



「白い光のさす大きな台地」を現すそうで、明るい、広がる意味がある。
十字のクロスに白い光となると、イエスキリストしか浮かばないね~。
考えてみれば、馬やどの王子は聖徳太子ですが、イエスキリストも
馬小屋で産まれてましたね。
馬の子=馬小屋で産まれた子。
ということは、聖杯の印なわけで?
なるほど~、そっちの方がしっくりくるなぁ。

飛ぶ馬------------------------------------------------

昔から、アイルランドでも空飛ぶ馬の話がある。
海外の動画サイトで、馬のような黒いモノが空を飛んでる映像がありました。
嘘っぽいような、本物っぽいような。
たぶん、何度もそれ系の番組で紹介されているから、実際、あったのかもしれない。
ただ、吊られているような感じで重たそう。それにすっげ~おっそい。
ピアノ線でつれられてないよね??
もうちっと馬らしく駆けまわってほしいな~ぁ。

スレイプニルという馬がいます。
北欧神話に登場する神獣の一つ。
主神オーディンが騎乗する8本脚の軍馬である。
非常に速く走ることができ、空を飛ぶことができたという。

スウェーデン軍 VAC の紋章

紋章にも車輪があるね。



なまはげの想い・・・-------------------------------------------------

まるっきり話が変わり、なまはげに寄りそってみる。笑!!
ところで、なまはげ(秋田のお店)が炎上してしまいました。
ニュース映像をみた時、ふが~ぁっと煙を出していた感じが、
らしいというか。
誰もいない時に火事になったそうで、
怪我人がいなくてよかったです。

なまはげで、ひとつ誤解されていると思うのは、、
あるオカルトな人が、「泣く子はいねがー」と言うのは、
なまはげは、子供を食べていたから。と言ってました。
ちと、違くね?

これもケルトの「取り替え子」と同じような風習で、
泣く子=病気やかんしゃくを起こす子。
と昔は考えられていた。
そういう子供は、精霊が森へ連れて行き、取り替える。
新たに健康な子供に取り替えられた子が戻ってくる話。
これが神隠しと言われるもの。
森に隠された子は、森の精霊と共に暮らす。
古代は、次元の違う世界に自由に行き来していたと思う。
森はその入口。

ケルトでは、健康な子がほしい時は、丸い石をくぐり戻ってきます。
あちらとこちらの世界を丸い石が境界となり、
日本では藁になります。
丸い藁をくぐると健康になるのと同じ。(牛頭天王のルーツ)
戻って来る時は、健康になって戻ってくるのだから、
これも星の運行をさしていると思います。

なまはげのような仮面(精霊)信仰は、あちらの国からの訪問ということ。
ただ、なまはげは、そういう悪い部分というか、弱いところを
引き受けるものと考えていたと思うから、今でも風習として残っているのでしょう。
たとえ、過去に悪いモノとして扱われたとしても、
それを未来にそのまま受け継ぐ必要はないわけです。
どんな解釈にせよ、実際、秋田の子供たちは、なまはげというと大人しくなるという。
それでいいじゃないか~。
子供を寝つかせるために生まれている昔話のひとつとして、
なまはげがあるのは、いいと思う。
お化けは怖い。
それでいい。

そうそう何年か前に、「なまはげは幼児虐待だ」と言って取りやめるように
モノ申した親がいたという。へ~、そういう感覚なんだ、と思ったけど。
そうとう、鬼にトラウマがあるんだろうな。
じゃ、泣き相撲はどうなん?

縁あるものとしての精霊を考えれば、水木しげるさんのように
妖怪と同じで、人間とどこか変わりなく。
今は、子供が少なくなっているので、高齢者がなまはげを待っているという。
そして、なまはげに慰めてもらうという時代に・・・。

「冬点描 ナマハゲ 怖いだけではありません」NHK
高齢者にやさしいナマハゲ
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/01/0113.html
朝の特集をじーーーっと見てしまった。
へ~、変わったな~って。



「病院にいってないことを心配するナマハゲ」

ナマハゲ:「病院通いしていたけど、最近病院に行ってない。
健康なのか?」
「元気なことは元気です。」

ナマハゲ:「秘けつはあるんだっけ?」
「秘けつはなんでも食べることよ。」

ナマハゲ:「なるほどな。」

むむー。
そのうち介護しそうな。。。
地名が、双六!ってとこも。

そんなにやさしすぎると、あれ?ってなるけど。笑
伝統は、時代に応じて変化するもんだ。
たとえ、その鬼が子供をとって喰らったとしても、
今は、高齢者を慰めるまでに成長している鬼が秋田にいるってことが!

そういう変化とは、何だろうと。
最初のナマハゲってどうだったんだろう?とか・・・。

よって、悪を完全の悪とせず。
てなことを、なまはげが伝えたいのだとしたら、
その誤解を払拭したかっただろう。

オカルト系の、あっちの世界の恐怖感を盛る話には、(私も盛りすぎ)
エンターテイメントとしては面白いけど、
実際、精霊信仰とは、そんな浅いもんではない。
流動的に動くモノであり、
その人により、悪が善に変わるモノでもある。

コメント

ホピの謎の石板からいかに内観するか

2017-01-28 | 神話・伝説
ホピ族の少女ナタリーの言葉(1975年10才)

「空がわたしたちのことを見ていて、わたしたちの言うことを聞いてくれる。
空はわたしたちに話しかける。そしてわたしたちの返事を待っているの。
空には白人の神様が住んでいるって先生が言っていた。
あなたたちの神様はどこに住んでいるのでしょうって先生が聞くから、
わたしは知りませんって答えた。だって本当に知らないんだもの! 
わたしたちの神様は空。

だから空のあるところには必ずいる。太陽も月もわたしたちの神様。
それにホピ族の人たちも。わたしたちはここに住んでいなければならないの。

ここからはなれたら、神様もきえてしまうから。(中略) 
でも、白人はわたしたちの言うことに耳をかさない、
自分たちの言うことしか耳に入らないって、
四六時中白人とつきあっているお父さんが言ってた(父親はトラックの運転手であった)。
おばあちゃんはね、白人は空をせいふくしようとしているけど、
わたしたちは空に祈りをささげるために生きているって。

せいふくしようとする人に話してもむだだから、白人の分もいのるしかないって。
だからわたしたちはただニヤニヤして白人に《イエス》ばかり言うのよ。
そしてあの人たちのためにいのるだけ」

ブラッキー(少女の愛犬)と散歩していたとき、空にけむりのすじを見たの。
ひこうき雲。いったいだれがのっているのかなって思った。
わたし、ひこう場に行ったことないんだ。
学校で写真は見せてもらったことはあるけど。
ブラッキーと二人でひこうきにのっているところをそうぞうした、
太陽にむかってどんどんとぶところをね! 
そんなことしたらひこうきがとけちゃうって知っているよ。

太陽に近づくと、なんだってとけちゃうって学校で習ったもの。
でもたましいまではとかせないよ! わたしたちはお日様やお星様に手をふるんだ。
光をおくってありがとうって。ずっとずっと前のおくりものを、
いまわたしたちがうけとっているんだよね。わたしって空想するのがとくいなんだ! 
ホピ族のご先祖様たちに会って、先のことを話したい。
みんながまたいっしょになれるときのことを。

川には水がたっぷり流れていて、お日様が地球のさむいところをあたためて、
すっごくあついところは少しのあいだあまりてりつけないようにする。
そして世界の人が大きな輪にすわる。みんな、きょうだいってわけ! 
そのとき世界中の霊が出てきておどりくるう。

星もお日様も月もよ。鳥たちも地面にまい下りておどる。
人間たちがそこらじゅうでおどったり、またすわって輪をつくったり。
輪はすっごく大きいから、メサの上に立って地平線のほうを見ても、
どこまでつづいているかわからない。でもみんなうれしそう。

けんかなんかしない。けんかするのは、まいごになって、先祖のことをわすれて、
わることをしでかすから。いつか、みんなが大きい輪になって手をつなげるときがくる。
ホピ族だけじゃなくて、みんなよ。そうなったらほんとうに《いい》んだよね。
先生が良いこと、良いものの例をあげなさいって言ったことがあるの。
ブラッキーはいいよ。だってだれもきずつけないもん。この世界もみんなが大きな輪
をつくれるようになったらいいね。ぐるぐる回りながら、
世界中の人がその輪に入ってきたらさ」



閖上の朝日

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私は以前は、こういう純粋な言葉に何も感じなかった。
ですが、今は、よーくわかる。
すんごくわかる。
そうそう、そうだった。

今は、ナタリーはとっても可愛らしいお婆ちゃんになっているんだろうな。
私も黒柳徹子さんみたいに、いつまでも純粋で可愛いお婆ちゃんになっていたい。笑

義理の両親の在宅介護を経験し、思うこと。
高齢になって、一人で自活出来なくなった時、
それでも、ナタリーのような純粋さをもっていられるだろうか?
誰かのせいにし、社会のせいにし、私は何も悪くないと言い張って
死んでいくのが一番最悪なことだから。
そんな魂は、二度と生まれ変われない。

少なくとも、私はエミシ探訪で、癒されていることを実感しているのが救いだ。
本当に、エミシは悪い人だったのか?
私自身が、エミシによって癒されているとは、
ナタリーの言葉が、よく理解できるくらいに成長しているのだから。

不思議な流れで、田道将軍からホピ族に繋がると思わなかった。
いまさら思いだしたことがあった!
私はホピ族にあったことなどない!と自信を持って言っていたのだが、
会ってた・・・。

秩父神社奉納パフォーマンス。
知人に誘われて見に行っていた。この時は埼玉にいたので。
2012年の話。



※アリゾナに住むケンコシオさんと、ホピ族のデリック・スワイマ・デイヴィスさんと、
ライオン・ポリクワプテワさんが秩父神社の奉納で、
和太鼓とホピ族に伝わる太鼓、踊り、ケンさんの笛、広島からきた太鼓も含め、
秩父の夜空を奏でてくれました。



秩父の屋台囃子とホピの太鼓が共振した!
(動画は途中まで)

秩父の神様も、天之御中主柱(あめのぬなかぬしのかみ)、知知夫彦命などを祀る。、
宇宙の中心という神は、ホピ族も見ていた星だったのだろう。
だから、今、世界の民族=ジョーモン魂と思うこと。
もう魂なんだよね。
言葉にならないモノ。
天之御中主という神は北極星(道教の場合)で、バラバラになっても、みんなで見ていたんだよね。
その信仰を受け継いできた先祖のことを思うと、私はこの世界に生きていて幸せなんだ。



ブログにも書きましたが、改めて。
水木しげるさんの「三途の川の渡り方」から、水木さんがホピ族の踊りをみた時の話を一部ご紹介します。
「ホピには興味深い伝説があって、世界は2度も絶滅しているという。
その度に、ホピ族はグランドキャニオンの地下1000mの地底に隠れた。
1回目は、世界を浄化する火で人間は滅んだ。
2回目は、大洪水で滅び、その名残がノアの方舟だという。
ホピ族は農耕の民なので、夏至の頃、精霊を送ると同時に雨乞いのためのダンスを踊る。
・・・・(省略)
3000年前までは世界中が精霊信仰だった。
いま純粋な精霊信仰が残っているのはホピ族だけだと言ってもいい。
彼らの歌は「元に戻せ」と言っているように聞こえた。
精霊信仰に戻れ、とぼくに伝えたかったのだろう。」




なぜ、田道将軍とホピが繋がるのか、わかった。
夜刀神は、自然の精霊を呼ぶ人だった。
だから、木々などの自然を壊す時、インディアンが夢に出てきたわけだ。
ネイティブな人が住んでいた所に、産鉄の開拓が入ってきた。
それが、今の日本の歴史を記している。
「精霊信仰に戻れ」と言っているのだ。
だから、今、田道将軍だったのだ。
角や蛇というのは、インディアンの冠だろう。
鳥の羽。
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宗教多元主義というのがある。
あらゆる宗教のすべてを認め、互いの異なる価値の中でも、
共存していく姿勢をもつことをいう。

宗教多元主義は、キリスト教などの一神教には反発がある。
いろんな民族が入ってくると宗教も多様化してくる。
それをどう受け入れるか、というのが問題だった。
排他主義は他の宗教は認めず、自身が崇拝している宗教であれば救われるという思想。
包括主義は、他の宗教は認めても、最終的には自分の信仰している宗教が絶対である
という思想。
しかし、宗教多元性は、あらゆる宗教を認め、救いもすべての宗教にもたらされると
いった思想にある。



※様々な宗教のシンボルマーク

社会の形成には、根本的にこれらの3つの宗教思想が根底にある。
そうなると宗教多元性は、宗教の意味もないんだろうか?と思う。
信仰は自由。全ての人が全ての信仰により救われるというのならば、
私たちのみている神は、みな、同じ神をみていることになる。
多くの名前が日本神話にあるが、世界の神々を別の名前にしているだけにすぎない。
見ている先は、同じなのだから。
そこに差も区別もつける意味がない。

それが、自然崇拝の奥義にあり、
先住民が抱く自然神というのは、自身の内に神が宿ることを根底に知っているから、
自然=すべての命。というシンプルな上での生活がある。
それは、神というものではなく、自然の中に人(神)が宿るといった平等の価値観を、
潜在的にわかっているのが日本人だということを、インディアンは伝えたかったのではないか。
そのすべてとは、動植物も含めて「生きとし生けるもの」であることを。

「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」
(古今和歌集)


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ここに繋がるまで、適当に動画をみてました・・・。
音楽、お笑い、宇宙話、いろいろと。
それで、宇宙の動画を検索していたら、ズニ族と宇宙人の話をどこかの
テレビ番組で放送されていたのが出てきた。

その内容だと、ズニ族は古くから宇宙人と交信しており、
ズニ族が住んでいるそばに、自然のウランが地下にあると。
なのでよくUFOが目撃されるという。
第二次世界対戦前に、アメリカが日本に原爆を落とすために、
ウランがあったその場所で、核実験を行っていたという。
ズニ族が言うには、UFOは空からずっとアメリカの核実験を監視していたと。
ロズウェルのUFO墜落の話は、そのためだったという。
これは福島の原発も例外ではない。


※ホピの人々:EDWARD S. CURTIS

その後、ホピ族の予言の話になった。
私はホピの予言をほとんど知らない。
噂には聞いたことがあるけれど、具体的な内容を知りませんでした。
へ~、は~、ほ~という感想でしかないが。

※ホピの予言
http://www.jp-spiritual.com/hopi1.htm

ネットで調べてみると、たくさんの人がホピの予言について書いてますが、
食いついたのは、その番組にも出てきた石板だった。
その石板についての予言の多くが、この石板のことを示すのではないか?
と言われる。
その石板とは、私が以前、福島の信夫もちづり石について書いた時、
北斗七星の意味がある「甲剛碑」を妄想していた記事にリンクしたもの。
ムーの石板としてのせていたものでした。


沖縄のロゼッタストーン。
線刻文字が発見されたのは、北谷町の洞穴(テラガマ)という。

海底遺跡を研究している木村先生の、「発見、ムー大陸」では、
トカラ列島のことを言っていた。
この石碑の内容は、大陸は一つだったのがいくつかにわかれ、
一族(家族)が別々に別れたような解釈をされていました。
ホピの神話にも4つの方角に散らばった話がある。

ホピ族の予言の中に、
「大いなる清めの日が近づいたとき、遠い世界へ旅だった白い兄が欠けた石板を
持って戻り、世界を邪悪から清め、平和に導きいれる」


その欠けた石板のひとつが、沖縄のロゼッタストーンでは?と噂されている。
はて?本当にそうなのか、誰もわからない。
すでに誰かの手に渡っていることもあり得るわけで。
まだ今は、表に出すのは早いと?
私たちがその準備ができるまでは、まだ早いというのかなあ。
ということで、これがその石板とは正直、思えない。
すでに現れている時点で、違うかと。

白い人=日本人と、ホピ族が言っていた。
私はこれで思うことがあった。
日本の伝説・神話には、「白い鳥」が多い。
それに対し「黒い鳥」もある。
白に対する黒の描写は、必ずある。

これが、兄弟だと思っている。
白鳥信仰などが根強い日本の信仰に対して、
ヤタガラスの黒い鳥がいる。
ワタリガラスもしかり。

白の人と黒の人は、鳥でイメージされているならば、
ホピや先住民は、鳥を神格化しているのだから、
鳥がキーワードな。
あ、今年は酉年だった。
インディアンの冠も羽だよね。

鷹を奉納する話が多いのは、白い鳥をトーテムとしている民族と、
鷹などの黒い鳥をトーテムとしている民族がいたと思う妄想。
これも水と火の対比がある。
水鳥=白鳥、砂漠の鳥=鷹などの猛禽類。
ああ、ユダヤと日本人?というのはありがちなので却下。ワラ
古代にもそういうことがあっただろう。
それが兄弟であり、再び出会うことが?
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田道の「田」という漢字は、四方向のことを差すと。
今の物質文明にしたのは、四つの角をもつ。
角々しいのは、何かと動きにくい。
が、丸の縁は、精神文明のことを差す。
コロコロ回転する。
ホピの輪が丸に十字というのは、そういうこと。
四角の十字から、丸の十字へ移行する意味と考える。
それは、物質文明(富(カネ)を必要としていた世界)
から精神文明への準備と考えた方がいい。

※ホピのマーク


けれど、救世主とか誰かがやってくれるのではなく、私たちの内観が重要。
いかに、私たちがそれを決めるか、の時だということを、
数年ぶりに友人のヒーリングを受けて、実感したのだ。
もう内観するしかねーっ。てことを。

そして、またあの三角マークをみる。
ここんとこ、よくこのマークを見つけてしまう。
ホピ族も水のマークが、この三角マークであることを知っていた。
これは、相馬妙見の記事で産鉄族多氏の横穴式石室でも描かれたマーク。

EDWARD S. CURTIS(エドワード・カーチェス)は、ホピ族の肖像をたくさん写真に収めていました。

仮面てやっぱ強いね~。
意味は、「水のために生まれたもの」


※美しくも奇妙なアメリカインディアンの12の肖像より
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/102700299/
PHOTOGRAPH BY EDWARD S. CURTIS, NATIONAL GEOGRAPHIC

これらの仮面などは、日本では「なまはげ」があるように、
精霊といわれるモノ。
タイトル通り、人間の内にあるいろんなモノが現れた時に、具現化されるカムイである。
良いも悪いもカムイ。
自分の内に神が宿る思想が、インディアンや縄文人などの特徴。
怖いと思ってみていても、人間ではない別の存在からみたら、人間はこういう姿にみえているわけだ。
鳥や動物は、こんな風に人間がみえるかもしれないし。

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もうひとつ、大事なことに気づいた。
「己」という漢字は、北斗七星の形に似ている。



※風船あられの漢字ブログより
http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-4cf2.html

「己」は、糸巻きの形からきていた。
北斗七星が水と結びつけられるのは、機織りからきているからなんですね。
七夕ですね。
これも秩父夜祭と繋がる。

自ら発言するのは、記。
自ら糸を引くのは、紀。
自ら体を動かし始めるのは、起。
己という漢字は、すべての始まりの意味がある。
己から始めるというのは、宇宙のビッグバンのこと。
宇宙の最初、ビッグバンは、「無」から始まった。
そこにはまだ、己がなかった。

私は豊受大神が好きになった。なぜか。
トヨ好きなんですが、
トユケが正確らしい。
内宮が太一で、北極星。
外宮は、北斗七星という説もある。(ホントケ?)
合わせて八星。
八百万神(やおろず)は、あらゆる全ての神といえるだろう。

己=おのれは、「キ」とよむ。
キミのキ。
それに一本線を引いて閉じると、
巳(ミ)になり、蛇の女に変身。
ON(陰) OFF(陽)の思想が、漢字にも現れていた。
また、巳は十二支では、植物が完全に芽吹く意味があり、
完成なんだと。

男と女で、キミ=己巳
なぜ、大神を太神といって点をつけるのかは、
こんな意味もあるのかもしれない。

己はなんだ?と聞かれたら、私は私であると答える。
自身に対する言葉。
自分はどうするのか。
自分はどうしたいのか。
こうやって内観するんだ、と。

深すぎて吐きそう~。
こんなことが、いつか当たり前になっているだろう。
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石間稲荷神社と夜刀神(2)

2017-01-26 | 東北地方の伝説(宮城県)
神社裏手の広い原野に、何かを感じました。
ここだけ木が切られ、中央に草があまり生えていない部分がとても気になった。



写真をとると、どうしても白いオーブが映りこむ。
どんなに角度を変えても映ってしまう。
この先へ行く気持ちはなく、とても中へ入る勇気がない。
何かを守っている感じもする。





地元の伝承で、神社境内の松の木(今は切られていると思います)
が甲冑をきた人に似ている話があった。

何があっても不思議ではないですが、
いろいろと感じる場所です。
でも、私はどうしてもこういう場所へ来ると、
負の感情で拾うならば、悲しみしか感じとれない。
恨みのような重い霊魂よりは、悲しみしか受け取れない。
なので、ここも、忘れられたもの寂しさを感じる。

ただ、私には何もできないので、
手を合わせるだけです。

夜刀神----------------------------------------------------

上毛野田道の父は、荒田別(あらたわけ)とされる。
朝鮮へ派遣された武将なのですが、鹿我別(かがわけ)という巫部(かんなぎべ)
と遠祖らしく一緒に同行していた。
かなりシャーマニズムな家系だったんでは?

石間稲荷神社のある場所が、葦の原野であったこと。
砂が見つかること。これがもし砂鉄も見つかっていたとしたら、
古代産鉄族がいた所と考える。

夜刀神は、常盤国風土記に登場する蛇神。
蛇体で角を生やした神で行方郡にみられる原野に群棲する。
相馬の産鉄族の話しでは、行方郡は鉄族がいた所だった。
「産鉄族の多氏」の柴田氏によると、
香島郡の角折という地名は、
「南方にある平原と角折の浜は、昔、大蛇がいて東の海に通おうと
思い浜を掘って穴を作ったが蛇の頭の角が折れて落ちた。それで名付けた」

とある。
鹿島市大野は太平洋側にあり、仙台市太白区にも大野の地名がある。
かつての郡山遺跡のあったところで、多賀城より古い。
大野という地名も、出雲の銅鐸、オオヌテがオオノに転じた話しがあった。
それで行方郡が砂鉄産地だったと。

夜刀は谷頭(ヤツ・ヤト)で、原始的製鉄の説がある。
そこにフイゴを持ってきた西方産鉄族の麻多智(またち)が侵入してきた。
葦原を新田とし、開墾した人で、妨害する夜刀神と打殺し、山へ駆逐。
人の地と神の地を区分するために、境界である掘りに「標(しるし)のつえ」
を立て、以後、祟りのないように社を建てた。


麻多智は、箭括氏という存在は不明ですが、物部氏と同族といわれ、
矢の製作をしていた集団だった。
大きい杖で外と内の境界を引いた。
トーテムポールみたいな?
塞神というフナト神も夜刀神の蛇が絡んでそうだ。

なぜ、蛇神なのか。
川崎町の蛇塚八幡の伝承に、木に登る蛇(男神)の伝承をもう一度。

「一本の高い樹は、信仰であり聖なる樹。
神が降りる木に何年かごと切り下ろして祀る風俗があるが、
その木に登るのは、男が蛇の姿になる。
それを占いにより命じるのが蛙。
占いは女であり、蛙は山姥=巫女(占い師)。
これらは、洞窟に関係し、三輪山の神封じの洞穴や、
夜刀の神(蛇)が畑に出て邪魔をするのでそれを嫌がった
里人が神の住まいに立札をたてて追いやったと。」

(蛇信仰と機織姫:篠田著より)

蛇はまた水神を表象とし、夜刀神に対する祭は、
稲作に係る水利に関係し、農耕儀礼、自然神から土地を譲りう受ける。
また、夜刀神について、その姿をみた者は、一族諸共に滅ぼすといわれる。
まさに、田道将軍が蛇になって蝦夷を滅ぼしたというのは、
夜刀神であったことを伝えているわけです。

以前ブログに書いた内容を。
「日本とは何か」の著者、細野善彦氏より夜刀神について。
「この官人はの開発姿勢は、人間の自然に対する関わり方が大きく
変化したことを物語っている。これまでの歴史家は官人の姿こそ
文明の担い手のあり方を示しており、未開から文明へ社会を発展させる
進歩の現れだと評価してきた。
しかし、この官人のように魚や蛇などを殺すという姿勢で自然に立ち向かい
はじめたことは、文明による自然の本格的な破壊の始まりということもできます。」


原野を切り開く時に、自然霊(夜刀神)を殺したり排除するのではなく、
人間と神との領域に境界をひき、夜刀神を形象化して祀る。
環境を破壊することに繋がるが、自分たちの領域をもつことを
「お許し頂く」ために丁重に祀り、儀式をしていたのです。
その場所へは害さないように誓いをたてた。

そう考えると、田道将軍など上毛野氏や多氏は、古くからいた古代産鉄族と考え、
弥生人や縄文などの先住民と共同し、鉄資源を利用した開拓と水田開発を行おうとしていた。
そこへ、物部氏系の新しい産鉄族が支配するようになり、追われる形になったのだろう。
鹿島の地名が多いことを考えると、中臣氏や物部氏たちは、
夜刀神に対して呪術的支配を行っていたのだろうと思う。
だが、残酷に殺したというのではなく、儀式的な意味あいがある。
しかーし、田道将軍が殺されてしまったことが汚点というか。
蝦夷は田道将軍とも友好的だったと思うのですが、殺されてしまったわけです。
北上し石巻まで行ったのだが、物部氏系の蝦夷によって殺されたのかもしれない。

後に、マロが鎮魂の意味で、猿賀神社から石間へ霊を弔うことをしたのは、
実際、ここに古代産鉄族がいたからでしょう。
マロの東北における活動とは、蝦夷征伐で亡くなった霊を弔う(寺社を祀ることで慰めた)
行為を行っていただけではないか。
なので、地元ではマロに対する信頼感があったでしょうし、
朝廷もマロの絶大な信頼を得ていたわけです。
その裏に物部氏がいることは、確かです。


※左上にも、いろんなオーブが写りこんでしまいましたが、黄色のオーブは始めてです。
----------------------------------------------------

角をもつ産鉄族というと、アラハバキしか浮かんできません。
その姿は、まさにアラハバキ。
角をもつ蛇のことを、中国の武神蚩尤(しゆう)と考えられ、
「天界の帝王である黄帝と大戦争をした。
獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、
頭に角があるなどといわれる。」
「砂や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、
黄帝の座を奪うという野望を持っていた。」



※蚩尤。漢代の石刻画(ちと、怖いね~)
これは仮面をかぶった儀礼かも。

これが、ミャオ族の祖先といわれる。
もう、禹(う)だよね。
半人半魚。
治水工事をした禹なんだな。
北斗七星などの星に沿って歩く禹歩(うほ)というのがあり、
川の氾濫を鎮める意図があるのですが、開拓を行う際、
その土地や山を人工的に変えず、自然の形を利用した治水工事を
行った人で、大洪水を引き起こす要因が不自然に壊すことにあると
提言した人だったんですね。
おそらく、禹の思想は、日本でも産鉄族に繋がっていると思い、
道教に影響を与えたものだと思います。

柴田氏によると、ギルガメシュ神話に古スキート人と
鉄の結ぶつきがあると書かれていて、ギリシャではサソリのこと。
ギルガメシュ神話とはシュメールなんですが、
メソポタミア文明を築いた。

埼玉にある古墳群は騎馬民族特徴の埋葬だったのですが、
刀などの装飾品のデザインが、メソポタミア文明のものと酷似しているそうだ。
「偉大な神々が姿を造った。人間と神を繋げる存在」
天界を神、現世を人。人間は神々の労働の身代わりに創られた伝承があり、
神に反すると大洪水により滅ぼすと。
これがノアの大洪水のことを伝えている。

こちらも半神半人という姿なんですね。
龍族といわれる話しは、ここからきているようです。
半神半人(龍)VSシュメール人の人類。
が、今は、過去のことは忘れて、再び一緒に仲良くという宇宙人な話。
2017年は、意識をそこへ向けていければ、2020年は平穏に訪れると。

また、さそり座は、中国人では青龍にたとえ、
強力だが慈悲深く、天に現れることによる春を告げるといわれ、
頭に房宿、心臓に心宿、尾部に尾宿の3つの星宿をもっている。
青龍にも角があり、一つはアークトゥルス。
もう一つは、スピカ。

武蔵の武将たちは、このへん受け継いでるようなんだよね。
武蔵国は独特な騎馬民族だったんです。
アテルイも騎馬民族だった気がするんですね。(妄想)
武蔵と絡んでいたかもしれないなあ。


猿賀神社---------------------------------------------

では、津軽の猿賀神社はどんな場所なのか。
結構、興味深い話がありました。

由縁
「蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、
後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる上毛野君田道命
を主祭神とし、保食神を相殿に祀る。」

境内にも鏡池がある。
胸肩神社(弁天宮) -- 鏡ヶ池内の中島に鎮座。市杵島姫命を祀る。
あかい堂(水天宮) -- 拝殿東側の鏡ヶ池湖畔に鎮座。水天宮水波能売神を祀る。
池上神社(薬師様) -- 拝殿東側に鎮座。少彦名神を祀り、医薬の神として信仰される。
日吉神社 -- 鏡ヶ池内の中島の胸肩神社のそばに鎮座。事代主神を祀る。


※猿賀神社のサイト
http://saruka.webcrow.jp/

他の伝承では、田道命は、鹿角郡猿賀野(現秋田県鹿角市)に祀られましたが、
欽明天皇28年(567年)の大洪水の時、その神霊が、白馬にまたがり
漂木を舟として津軽の地に降臨したと伝えられています。 
鹿角市には同名の「猿賀(さるが)神社」があり、由緒には、
そのことが記されているということです。」

また、その姿が大きな人だったと伝わっている。

秋田の鹿角にもあるんですね。
「サル・タとは大蛇の日本古語という川崎真治氏の指摘から、
猿賀神社や申ヶ野のサルは、サル・タのサルではないかとする。」そうです。

猿田彦がサエの神だったり、何かと猿の言葉が気になります。
相馬新地町の貝塚伝承は、手長足長明神で、猿田彦とも言えそうです。
そういえば、「猿」とつく岩や石の伝承が東北地方に多い。
阿武隈川にある猿岩や、胆沢(岩手県)の猿岩もそうですが、
治水工事などの開拓を行う際に、猿とつく岩が邪魔をし、
大洪水を起こす伝承がありました。
福島県の国見町にもあります。

だから、手長足長明神=猿田彦になるのか。
なるほど。

石については、猿賀神社にも伝わっていました。
津軽に、猿賀石というのがあるそうです。

「太古の昔、山神社(金屋・権現平)の辺りに、
線刻文字を使う集団がいた。彼らは巨石を崇める原始信仰をもっていた人々で、
「大石さま」を中心とする祭祀場をつくっていた。
狩猟を主として生活していた彼らは、やがて農耕文化が広がるにつれて、
より肥沃な土地へ移った。現、猿賀神社の付近に定着し、巨石を見つけた人々は、
そこに新しい祭祀場としたが、元の「大石さま」の祖先の霊地として、
その後も変わらず崇拝し続けた。その結果、田道命の伝説も残った。」


引用:「津軽の北斗七星「猿賀神社」ーつがるみち121」
http://madamada888.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

線刻図は、星を岩に記したものだろう。
北斗七星も。
金山巨石群(岐阜)にも、北斗七星のイワクラがある。

しかも、石間稲荷神社もそうでしたが、猿賀神社周辺も「葦」があった。
「葦の魂」という石碑があるのだ。


 
「中泊町は、小泊村と中里町が合併してできた町ですが、
旧小泊村は漁業が盛んなのに対して、この「下の猿賀さま」のある
旧中里町は農業依存型の町です。
この地域もまた、江戸時代に新田開発が盛んに行われた分けですが、
一帯は葦の茂る沼地が多く、その開拓は容易ではなかったようです。
 【湿地帯で「腰切田」とか「乳切田」といわれ、
多くは深いぬかるみ田んぼ。加えてたびたび冷害に見舞われた。」


葦の原野は、開拓が困難だったのを、人が住めるように開拓した話し。
アシは、他に意味があると思います。

石やイワクラのある所は、水に関係しています。
川沿いに巨大な石を置くのも「流れを変える」意図があり、
意図があって置かれたことが、だんだん調査でわかってきている。
自然の物を利用した自然の治水工事。
今のように破壊して削るやり方はしない。

巨石やイワクラは、ただ、そこに居るのではないんですね。
意味があって、はるか昔、置かれた石なのです。
天の宇宙に沿って岩が置かれるとか、石は天と地を結ぶ役目だったり。
地上の星座を作っているのがイワクラなんです。
古代の人は、私たちよりずっと近い宇宙にいたのですから。
UFOを見るとかそういうのではなく、ただ「天にそって地上を歩く」
それが修験や仏法の行脚であり、ひたすら山や森を歩いていたんです。
それは地上の浄化になりますから。

現代人は、そのことを忘れているからどんどん破壊します。
土砂災害が起きる場所は、自然に対し、何も感じていない人への報復なのです。

なので、ちゃんと祀ることをしないといけない。
でも、まだ日本は良い方なんだな。
工事を行う前に、神主さんを呼んでお祓いをしている。
これはとっても重要だと痛感する。
実家の家の木を切った時に、そう思った。
木を切る時、なんにもしないで切ったのよね。
そしたら木を切った人が大怪我をしてしまった。
その後、夢でインディアンが出てきて、
切られた木の供養をしてくれたのだよ!

そのルーツは、夜刀神だったわけですね。
自然神に対し、お許し頂くというお祓い。
まだ日本にはそれが残っているから救い。

そのおかげで、人口が増え山を崩して団地を作っても何も問題がない。
実際、震災の時も無傷な団地は多かった。
しかし、その代わり、海側に被害が及ぶのです。
水は土に対し、浄化しようと一生懸命なのです。

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ところで、猿賀神社は、「深沙大権現」が始まりとされる。
Wikiより
深沙大将(じんじゃだいしょう)は、深沙神、
深沙大王とも呼ばれる仏教の守護神の一人で、
大般若経の十六善神の上首として信仰されることが多い。
従って、独尊としての信仰は修験道によるところが大きい。

玄奘三蔵がインドへ行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護したと伝えられる。
姿は、1面2臂(ひ)で髑髏の瓔珞をつけ、象革の袴を履く、
持物については一定しないが、蛇や戟を持つものがある。
西遊記の話ですね。
助けてくれたのは、髑髏(どくろ)をつけていたことを想像するに、
海賊だったりして。山の海賊。
イタコのような巫女も動物の骨などをつけていたので、
アジアの山岳信仰が想像されます。
「しんしゃ」は、辰砂と同じ響きだね。

なんと東京の調布市に「深大寺」があり、創建由来が、深沙大権現でした。
「深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満(ふくまん)が、
郷長右近(さとおさうこん)の娘と恋仲となりましたが、
右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。
時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、
深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、
霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。
娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、
やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。」


もう、いろいろと浮かびますね。
亀の背に乗って島へいく。補陀落(ふだらく)の世界。
観音霊場、水を祀る意味。

まあ、こんなにいろいろと繋がりすぎると、いずれ忘れる。笑

まとめると、田道将軍は、
夜刀神のような古代産鉄族で、治水工事をすすめて悪い土地の環境整備をし、
水が飲めるようにし、水田開発をし、人々を住みやすい環境にした。
それは、アイヌ人や北方先住民と協力しながら行ってきたが、
中臣氏など藤原政権になる前と考えると、上毛野氏や物部系産鉄族がやってきて、
多氏や阿部氏、大伴氏などと協力しつつ、新しい産鉄の世界を築き始めた。

マロの鎮魂話しは、東北地方に多いですが、
物部系(穂積氏など)の呪術集団が、マロの名前を利用して、
鎮魂してきたのだろうと思います。
そこにアテルイが登場するということは、マロの代わりに物部氏がそれを担う
ことにしたわけで、やはりアテルイは武蔵の産鉄とも関係深い騎馬民族だったと思し、
出雲とも繋がっていたと思う。
物部氏はアテルイとなり、名前を出さず、見えない世界で、エミシの鎮魂をしてきたのだ。
エミシで以てエミシで征する。
物部らしいな、と思うのでした。

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いろいろと思うことはたくさんあるのですが、
また機会があったら、田道将軍について妄想したい。
しかし、なぜ今、上毛野田道なんだろう~と思った。
今までずっと登場することなかった人が、亘理町の小さな神社で縁をもつことが、
不思議でならない。

こうなると、偶然にも、流れ流れついて、ホピ族と繋るのだから!
へ~、そうなるのか。
夜刀神とは、かなり原始的なシャーマニズムが根底にあるのかもしれない。

そうだった。
この流れは、妙見様ですが天之御中主神だった。
天之御中主神は宇宙の中心ですが、最初、ひとつだった家族が、
世界中に広がり、それぞれがその土地で暮らしていた。
でも、みんなバラバラになっても見ている星がひとつだった。
それが北極星だった。
それを、天之御中主神と呼んだ。

「田道」という名前も意味がありそうです。

以前、北斗七星を妄想していた時、
記事にも書いていた事があった。
それがホピ族の予言と繋がるのでした。

やっぱり相馬妙見は、宇宙だった。

つづく。
コメント

石間稲荷神社と夜刀神(1)

2017-01-25 | 東北地方の伝説(宮城県)
ここも、相馬妙見と繋がっているのでしょうか?
深い話しになってくるのですが。
もうこれは妄想しないと、エミシの歴史上
重要な場所だと気づかないままに。

ほとんどの人が知らないと思う、この遺跡。。。
私も知らなかった。列車でチラ見するまでは。
数年前、常磐線を利用した時に、車窓から石碑がたくさんおかれた
鳥居をみかけて。気になっていたけど、ずっと忘れてました。
すると先日主人が、福島へ行った時に車窓から石碑がたくさんある
神社をみかけたと。気になるので行ってみたい。と言うのだ。

・・・正直、うっそうとした感じを受けたので、
あんまり気が乗らなかったけど、相馬妙見神社の帰りに寄ってみよう。
となり、行ってみたら、すごい所だったー。

常磐線は海に近いので、産鉄族の多氏の経路をたどる道に、
6号線や常磐線が存在すると思った。
この道も、この列車も、古代産鉄族の歴史を運んでいる。


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看板の説明より。
「石間稲荷神社」(亘理町)
御祭神:宇加之御魂神(うかのみたま)
衣食住の神様であり、あらゆる産業の守り神。
特に稲の豊作を守護する神様です。
父は天照御大神の弟、速須佐男命です。



由緒:
「神社が鎮座します逢隈下郡地区の昔は、現在と同様に
「石間山や八ツ山峰」を中心とした山々の谷を源流として、
山林と水利の恵まれた田畑があり、自然条件のバランスのとれた所で、
古くから集落もあり、阿武隈川を古来より生活の水源とした大変住み良い
地域でありました。



また、平安時代頃までは上郡、下郡地区の山辺から東は海であり、
海の変化と共に川や沼に囲まれた葦の原野だったと云われております。
石間山周辺は海であり、今でも境内の一部から砂地が出るようです。」


説明はまだ続くのですが、小出しに話しをしないと、
まとめられず、わけわからなくなるので。
まず、ここが葦の原野だった環境を踏まえた上で次の話しを。

看板の中盤の説明を飛ばして、最期の部分、
「当初、神社が建立された石間山の処は、巌山で波が打ち寄せあう場所で、
石の間に祠を置き祀ったことから、神社名は「石合稲荷(いしあいいなり)」
「石間大明神」と称しておりました。
その後、時の豪族が奉護し、拠点として下郡をはじめ逢隈地区が開拓開墾され
発展しました。
(大和朝廷より、ヤマトタケルをはじめとする将軍が時代により陣所をかまえ、
統治の施策として鎮守しに来たのです。)


後の豪族とは、藤原秀郷や北畠顕家などと伝わりますが、
ここは、古くから有名な場所だったと思われます。

説明にあるように、弥生時代頃から古くはすぐ側まで海があり、
葦の湿原が広がっていたそうです。
ヨシという和名があり、「豊葦原国」とよばれた。
馬人が隠れるくらいの生い茂る葦の湿原のことで、平安時代までは、
西の方ではアシとよばれた。
しかし、アシが悪しを想像させるため、良しのヨシに変化した。
葦の湿原は、浄化作用があると聞いた。
土壌汚染に非常に役立つ葦は、古代エジプトでは葦をパピルスといい、
紙のように文字を記したのは有名ですね。
伊勢神宮にも葦の神社(葭原神社)があります。
この神社の祭神もウカノミタマが祀られ、月宮の裏側に鎮座している。



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なぜここに数々の武将も訪れ、修験の石碑が多く祀られているのかと思う。
とても有名なよく知られた場所とは言えない。
ひっそりとして人を拒んでいるような感じすらある。
石碑が多い場所は、弔う意味があるのですが、弥生・古墳時代の遺跡から、
何かここに埋まっている可能性もないことも。。
墓とは言い切れませんが、何かあったと思う。
それが、看板の説明で、納得いった。
まさか、この方の名前をここで聞くとは思わなかった!




※椿山観音堂

「797年征夷大将軍となった坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折り、
この地で討伐の犠牲になった先人の将軍上毛野田道(第十代崇神天皇の皇孫)
をはじめ、土地の豪族や住民達の弔意のために、伊治水門(石間山)
に石合稲荷(現在の石間稲荷神社)を勧請(神様の分霊を祀る)し、
椿山に観音堂を祀り、その後神社境内に移転。武運長久や開拓の安全を祈願したと
伝えられています。」


かみけのたみち!!



上毛野田道将軍は、早くに陸奥開拓にやってきた上毛野氏で、
蝦夷に殺された話しがある。
上毛野田道は、青森県平川市の猿賀神社に鎮座し、367年と古くから
征夷大将軍に抜擢されていた。朝鮮半島の時に、軍功をたてた為、征夷大将軍に
任命されたという。

伊治水門(いしのみと)で敗死たそうですが、場所が上総国(千葉県)と
石巻の説と2つあるのですが、石巻が有力?らしい。
石巻には、蛇田という地名があり、田道将軍が石巻で矢を射られて
倒れた場所なので、蛇田道と名付けたと言われる。
その亡くなった所に、石碑があり「面剣田」というものである。
面というのは、田道将軍が眉間(みけん)に矢を射られて亡くなった為と伝わる。
顔のことだろうけど、平将門も、こめかみが弱いという。



で、これが産鉄族の巨人、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)のことだと思った。
上毛野氏は、毛野国にあたり、上野(群馬)栃木(下野)にあたる。
ここには豊城入彦を祀る二荒山神社があり、太平山には天目一箇神を祀る神社がある。
また、星宮神社がとても多いのが毛野国の特徴。

以前、新羅の朝貢について触れたことがあったのですが、
新羅が朝貢を怠ったため、まず兄の竹葉瀬を詰問使として遣わし、
続いて田道が兵を率い遣わされ新羅の兵を撃破したとある。
それは、百済が新羅のあるモノを取り替えた(盗んだ)という話しだった。
そのモノが何だかわからないが、珍しいモノだったので、百済がとってしまったので、
新羅は質の劣るモノになってしまったから、朝貢できなかった話があった。
その話しに続いており、その時、四つの邑の住民を捕虜とし連れ帰ってきた人だという。



妄想するに、神宝だったと思うのですが、ユダヤにつなげると、
モーセの一族は私だ。と互いに主張していたので、メノラーのような神宝を
取り合いしていた感じを受ける。
もーせのもうそう・・・。

第三の目をもつ人--------------------------------------

ところで、眉間を射られたというのは、第三の目のことだろう。
目と目の間だから、第三の目を失った話。
天目一箇神とは、目が一つしかないのではなく、
第三の目をもつ人を、一つ目といったと思う。

この方が殺されたことは、衝撃だったはず。
妄想するに、テレパシーな古代のテクノロジーを使って
開拓をすすめてきた人物だったと思うのです。
多賀城ができる前から奈良の都まですでに道ができていたことが驚き。
その技術は、第三の目をもった巨人の系譜だったわけで、
高速で道路や灌漑用水を確保し、水田の確保など、治水工事を
急ピッチで行ってきた人であると。
また、地中に眠る鉱石なども第三の目で見つけていた、なんてことも?
隕石の隕鉄だって、どの山にその石が埋まっているかを探すだけでも一苦労。
でも、第三の目をもつ者は、簡単に見つけられた。

なので、片目のカジカ、片葉の葦など、片目を潰された将軍の話しは、
田道将軍のことを言っているわけです。
片目が、右か左かで異なるのは脳の作用に関係するのですが、
後の将軍で片目にされている(源氏)武将たちは、
第三の目をつぶされた田道将軍の跡継ぎということになり、
またその怨霊を鎮めるために書かれた話しなわけです。

松果体は、第三の目といわれる。
漢字のごとく、松の実にそっくりなので、松と蛇の描写や、
昔話に蛇が木に登るというのは、松果体=第三の目=天目一箇神=巨人ワールド。
だったわけですね。
松果体は、人間の体の中でも一つしかない。
脳は左右あるけれど、松果体はひとつ。
この世は、松果体で創られた。

巨人のテクノロジーはすごいものがあったのでは?
想像できませんが。
それに、亘理町を南下すると相馬の方は新地町がある。
手長足長明神を祀る貝塚で有名。
猿賀神社の猿から連想するに、猿田彦っぽいけど、ここの繋がりはわからない。
猿賀神社については後ほど。

妙見と蛇-------------------------------------------

上毛野田道が殺されて埋葬された時、蝦夷がその墓を掘り起こすと、
大蛇になり毒気を吐いた。蝦夷たちは次々と亡くなったので、
田道命の祟りと考え、猿賀神社に祀った伝承がある。


田道将軍が蛇になっているのは、どういうことか?
これも妙見信仰など道教の思想に関係していそうですが。
例えば、東京都多摩地区に妙見寺があります。
「蛇より祭り」というお祭りがあり、
北辰妙見尊の言い伝えに関わる北斗七星(七曜星)になぞらえた七人の村人が、
朝早く茅場から茅を刈り出し、妙見山の二十三夜塔のある広場に運び上げ、
一握りの束(約300束前後)に丸って日干ししておく。

蛇をよる足場を組み、蛇の胴の首にあたる辺りから3人の編み手により干した
茅で約200メートル位の長さに拠り込んでいく。
頭にあたる部分は別に編み、上顎(7本)、下顎(5本)及び舌(3本)
の部分をあわせ、角をつける。

胴部分が編み上がると、当日参拝の全員で、妙見宮の参道に沿って担ぎ上げ、
最後に、二十三夜塔の前で頭の部分と胴の部分をつなぎ合わせ、
事前に修法を行っている僧侶により、
蛇の頭等への御神酒での清めにより完成となり、行事は終了する。」



※多摩川三十四観音 神王山北辰妙見寺より
http://www.myoukenji-i.com/hebi.htm

これは、ハイヌヴェレ神話ですなっ!
すごいね。
要するに、バラバラにした蛇の胴体を、二十三夜塔の前でつなげる儀式。
肉体に戻すといった意味か。
二十三夜塔とは、月待行事というもので、月齢から二十三日に行われることを
意味するもので、講の人が行う行事のこと。
十五夜もそう。月は、悪霊を払う意図がある。

蘇生のことですね。
死者を再び生き返らせるお祭り。
これが妙見の竜が蛇となり、ハイヌヴェレの豊饒の神に捧げる儀式だった。
かなりシャーマン。

この話しから、田道将軍が亡くなり、蛇になったのは、
ハイヌヴェレ神話に重ね、再び生き返らせる蘇生の神話にし、
蛇の化身となって蘇ったことになっている。
その蘇生をさせたのが、妙見信仰の北斗七星の働きだった。

なぜ、津軽に猿賀神社があり田道将軍が祀られるのか、
全部繋がってしまいました。
なぜなら、以前にも津軽の北斗七星の大星神社を書いたわけで。
イシキルイのこと。大星=ミカボシ=カカセオ
伝承ではマロ(坂上田村麻呂ではないと思う)が、
北斗七星の形に寺社をおいた。
蝦夷征伐では、よくある話だそう。
この時は、あまり気にしていなかったのですが、
猿賀神社(猿賀深沙宮)は、マロが置いたという北斗七星の一つだったからです。
「乳井」という神社も、丹生の方でしょうね。
辰砂(しんしゃ)というもの。秩父和銅も関連する鉱石です。
水銀=丹生=丹党一族=相馬(秩父平家)



※「津軽山信仰グループ」

田道将軍が石巻で亡くなったとし、墓の場所は不明ですが、
蛇となり祟りになった為、猿賀神社に霊を祀ったのだとしたら、
猿賀神社も元は縄文、弥生時代から伝わる儀式等を行っていた聖地だったと。
田道将軍のような人は他にいない。
この人を再び蘇生するには、津軽しかなかった。という事なんだろうか?
そこには北斗七星の星神の御加護あると?
この場所ならば、天に還ることができると約束された地が、津軽だったのだろうか。

思うことは、自ら第三の目を失うことにしたのだろうと。
私たちのような人類が、第三の目をもつと危険なので、 
自ら、封印したわけです。
その復活祭は、エジプトの蘇生につながり、
古くは北斗七星なのだろう。

マロは青森には行ってない説が有力なので、
坂上田村麻呂ではない、別のマロが鎮魂したかもしれない。

なぜ、石間山に田道将軍の霊を祀ることにしたのか。
ここは実際、そのような人たちが開拓を勧めて住んでいたのだ、という事がわかる。
縁がないと思っていたけれど、相馬探訪からここに繋がることは、
意味があってそういう流れになっていることもよくわかった。
行かなければ、ずっと田道将軍のことを知らずに終わっていたわけだし。
これも何かのご縁。
もう少し田道将軍について妄想したい。



長くなるので次にします~。
田道将軍が夜刀神だったと思われる話しと、猿賀神社について。

つづく。

※石間稲荷神社は、逢隈駅から徒歩10分弱。(MAP有)
駐車できるスペースありますが、民家があるので迷惑のならないように。
用水路の橋が狭いです。
コメント

相馬妙見の宇宙 その2

2017-01-22 | 東北地方の伝説(福島県)
開通した頃に、相馬中村神社へ行こうと考えていて、
産鉄族といわれた多氏「産鉄族の多氏:柴田弘武」著の本で、
石室に描かれた模様を残した人たちにずっと興味をもっていた。
そのルートはこちらの地図をみて頂くとわかりますが、
多くは千葉・茨城・福島~宮城北部まで広がっている。


※「産鉄族の多氏」
(地名に、鳥見神社(下の方)と河内郡があるから、もうニギハヤヒじゃね?)
あ、これは風土記の地図だった。
ま、いっか。

そのことを思いだし、もう一度、この本を読んでいた。
そして妙見神社といえば、「天之御中主神」を祀る。
それはお決まり。
この神様は、簡単にいえば宇宙の中心なんだけど、よくわからない。
秩父神社もそうですが、思兼命も祀られている。
思兼命は、諏訪の方からきている越智(阿智)=オチかアチという人が祀ったのだろうと。
この方は、宮城県伊具郡に伝承があり、どうもアジスキタカネヒコではないか?と。
アジ→アチだって考えられる。

そうすると、古くはアジスキタカネヒコという人物が関与しているのですが、
東北地方でこの方の名前を聞くことがほとんどない。
けっこう祀られているのですが、名前が違う。

ちなみに、妙見様の平良文がいた信太郡は千葉にあり、
「難波の長柄の豊前の宮で天下を治められた考徳天皇の御世の
653年に小山上の物部の河内と大乙上の物部の会津たちが、
総領である高向の鄕たちに申請して、筑波の郡の家と茨城の郡の家の七百軒を
分割して信太の都を置いた」
と風土記に書かれている。
この場所は、日高見国といった。
日高見国といったのは、前回にものせたフツの神がおりてきた話しになっていて、
自然霊(もののけ)とか?
九州の王朝から富士王朝、常陸に王朝をつくり、それが日高見国だった。
この地図を見ていると、星神が浮かんできてしまう。

中臣氏VS藤原氏というのがあり、難しいのですが、
簡単にいうと、中臣氏の方は藤原ではない以前の豪族のことを示すそうだ。
物部氏は中臣氏側で、蘇我氏は藤原氏の不比等側だったと思われます。
後に、藤原政権になっていくのですが、そうではない豪族たちは、
藤原姓を名乗らず、ほそぼそと生きていたのかもしれません。


不思議な石が浮いている二の丸の池。

馬小屋
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で、そんな相馬の妙見のことを妄想していたら、
知り合いからラインで「天之御中主神」の神が映っているという
光の写真が送られてきたー!!
なんと、タイミングがよすぎるっ。
神社へ行く2日前。
むむむーー。なんかあるねぇ。
寒いから行くのやめようかなあ、と思っていたのですが、
この写真で背中を押された。
たぶん、天之~ではなく、相馬へ行くことが重要なんではないか?と。

お見せできませんが、珍しい写真でした。
光の写真は太陽にレンズをむければ、普通は撮れますね。
いろんな光が入ってきて、私もこういうのを撮るのは好きなので遊んでます。
が、この写真は、もうひとつ大きな太陽のような強い光が映っていて、
太陽が2つあるみたいな。
しかも人の上に光っているところがすごい。
意図して人にあてている光なんだと思う。
神社に映っているのではなく、人が隠れてしまっているくらい強い光。

主観ですが、光は人に当たるものだと思ってます。
いろいろ撮れるオーブは、単に漂っているか埃や塵でしかないと思っている。
本物は、人に光りが当たるものだと思ってます。
というか、そうあるべきだと…。
いろんな所へ行って感じるのは、さ迷う霊はいっぱいあり、
それを気にするか、気にしないかの違いだけだと思う。
特に知らない場所などで映るオーブは、
感受性をもって受け止めるものではないわけです。
このご時世、デジタルカメラが生かされますね。
どんな光でも遠赤外線を通じていろんなモノが映りこみますね。
UFOなんか特に。
面白いけど。

ただ、人が増えれば増えるほど、無念な死を遂げる人も増えてしまう。
これは問題だと。

先祖が現れるオーブというのもあるよね?
ある時、実家のお祭りの写真をみていたら、実家の地区で行われている
お天狗様のお祭りがあり、終わった後、村の人たちで宴会みたいな集会をするんですね。
皆が集まっている写真の中央に、大きなまっ白いオーブが映ってました。
あんまりにもはっきり映りすぎているので、和風のデザインをした丸い電灯かと思い、
誰も気づかなかった。
こういうのは、先祖の霊魂だと私は思う。
自然の光ではないから。
大きくて白く丸いのは、霊にも成長する?らしく、
大きければ大きいほど、霊魂も何かの働きを示していると思った。
この大きな白いオーブは、先祖の霊魂で、祭りに一緒に参加している
ことと、保護している印でもあるので、嫌な気がせず。
逆に嬉しかったです。
写真を撮った人が父だったので、やっぱり、と思う。
実家の氏神を祀るお祭りだったから、我家の先祖だった…?

残念ながら、夜にフラッシュをたいて映るオーブの写真の多くは、
埃や塵なわけで、カメラについてたりする。
あんなに汚染された生活をしているのか・・・と思ったり。
とは言うものの、オーブや光が気になったいきさつは、
相馬神社の帰り、2つの神社に寄ってきたのですが、
ある神社にて、オーブらしきものが撮れて、考えてしまったんです。
珍しかったから。というか、その場所になにかあると思ったから。
それは後でお伝えしたいと思うのですが、最強でした。

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ま、そんな天之御中主神らしき写真が届いたので、
ワクワクしながら相馬中村神社へ行ったら、
なんと修復中で、入れなかった!!!
なにーーー。フラれた。
3年後に完成するそうです・・・。





つーことで、トホホな足取りで社務所で参拝。
社務所には、代わりの神棚がありました。



剣をもった不動明王みたいのがおりました。
宮司さんが仙人みたいだったな。笑



ぽっつーんな気分で神社を後にし、トボトボ鳥の元へ帰る。
戻ってくると、また、わっさ~とやってくる。
して一列に並ぶ。相変わらず面白い。



相馬の産鉄族-------------------------------------------------------

さて、ようやく産鉄族の話し。柴田氏の本から参照します。
「相馬は、6世紀後半の坪田の高松古墳群の丸塚古墳、および7世紀頃から10世紀頃
まで営まれた馬場野の福迫横穴群などに特色がみられる。
長老内の大森A遺跡からは古墳時代後期から奈良・平安時代にかけての
水田跡が発見された。
「和名抄」に見える宇多郡中村郷は現在の中村を遺跡地とし、
宇多川の旧流とみられる梅川と小泉川に挟まれた地域に比定される。
中野の黒木田遺跡を宇多郡衙に比定する説がある。(地名大系)」

相馬は、武井地区に製鉄遺跡群、南相馬に金沢製鉄遺跡群があり、
7世紀~9世紀には、一大製鉄地帯だった。
国府多賀城とも関連があり、早くから鉄生産地として律令国家が成立し、
寺院や郡を建設、行方や宇多郡が鉄の生産地として選ばれたのが、
相馬の武井や金沢製鉄だった。
そこを製鉄の場とし、住居は別の所に住んでいた。」


相馬に与えた鉄は、伊久国、阿岐国造十世の孫、豊嶋命の名(豊島氏)
があり、伊具郡の丸森や角田を支配していた。
豊島氏は、東京池袋の豊島区がそれ。
秩父平家の一族で、南武蔵を占拠。
武蔵郡豊嶋郡から発生し、後に陸奥国にやってきた葛西氏がその系譜。
宮城県の室根山に物部氏系の穂積氏がセオリツヒメを祀った話しがあり、
熊野から移したという伝承もある。

葛西氏や北条氏、伊達氏もやってきた有名な室根山なのですが、
葛西氏も水神信仰があり、
その背景は、豊島氏が紀伊国の熊野権現を勧請することをしていたからです。
占拠する場所に、熊野神社をたくさん設けていたのですが、その最もな神が、
「王子神社」だという。ご祭神が、盲目の蝉丸と。。。
は~、蝉(セミ)を祀るってことは、「瀬見」ですね。
山形県の瀬見温泉。
源義経と弁慶の伝承が伝わる温泉です。
「源義経の子の亀若丸の産湯を探しにでかけた弁慶が、
愛用の薙刀「せみ王丸」の石突きで掘ったのに由来するという地名伝説がある」

秩父が熊野修験と深い関係があるのは、秩父平家が、水神を信仰していたからですが、
セオリツヒメというよりは、青龍とよんでいた青龍権現でしょう。
なので、秩父神社には、つなぎの龍(青龍)がある。
大洪水を鎮めるために、青龍をつなぎ止めた伝承がある。
このへん五行説の話しもありますが、よくわかんない。

産鉄族の多氏が残した横穴式石室は、
熊本がルーツで、妙見信仰がもたらされ、関東に来た時に、
秩父~千葉・茨城~相馬~宮城北部(大崎)まで伝わっています。
途中で途絶えたのは、気候変動があったからと思われますが。
そして、この人たちが残した紋様に、あった!
ここにもあった。三角のマーク。
本の表紙にもなっている日立にある虎塚古墳です。



昨年10月、蔵王周辺の寺社巡りをした時に、
この三角マークと義経をビジョンでみた人がいて、義経がきていた着物の
模様がこの三角マークをちりばめたデザインだったこと。


王子神社を崇拝していた豊島氏の蝉という存在が、
「せみ王丸」であったとしたら、義経が繋がる。
もしかして、義経は刀を象徴してる?
過去、無念な死をとげた王子たちの鎮魂のために、
この「黄泉がえり(蘇る)」マークをお墓に用いた氏族がいたわけです。
物部氏と多氏がそれを受け継いでいたような・・・。

南相馬の羽山横穴の壁画。
今は見られませんが、赤色の壁画の中に15センチくらいの
疾走する鹿を白色粘土で描いてあり、これは他に例をみないという。
この写真は、看板の図から。



※南相馬観光サイトより
http://www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog/details.php?bid=55

多氏と物部氏は同様に古代の金属製鉄氏族といわれ、
涌谷町(宮城県)のたたら製鉄の証拠となる鉄滓(かなくそ)や
陀々羅丘(ただらく)とい地名もあることから、
「台」とつく地名の多い宮城県北部や海側では、多氏の産鉄族支配があったと
考えられる。大、台、太の地名が多い大崎地方。
鹿島台などもそうです。

耳取(古川)の玉造部や、「物部国」と書かれた須恵器の発見もあり、
耳取→丹取→名取。
神武天皇の名前は、神八耳井であることも、多氏がその系譜をもつという説も、
神武東征とは、ナガスネヒコの焼畑や狩猟の民(古来産鉄族)から、
新しい移民開拓となった水田開発の産鉄族へと変わった歴史である。
それが弥生時代なのかもしれない。
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狼信仰が秩父に残されているのも、産鉄と関わっていることは否定できません。
狼の古語は、「於保加美」と書き、狼の「ミ」は、「美」で書かれる。
対して神の「ミ」は、「微、未、尾、味」で書かれる。
イザナミの「ミ」も、狼と大神では別に考えていたと思われます。
どちらも「オンカミ」であり、御神であることに変わりはない。
宮城県の加美町の地名もそうかもしれない。
加美=狼の方だったら興味深い。

しかし、東北地方では、狼とはよばず、
「おいぬ」、「おいの」等とよんでいた。
おいぬ=猪(いの)とも考えられており、猪の昔話が多いことや、
ヤマトタケルは猪に襲われた話しなど、イノ=イヌとも捉え、
山にいる動物霊のことを示すと考えられる。
福井県や三重県では狼は、「かめ」とよんだ。
山形県飽青海郡では、「おに」とよぶ。

もののけの「ケ」は、動物霊のことで、
動物や自然の精霊が考えられる。
それが角の信仰になったのは諏訪神からだと思います。

気仙沼のことをアイヌ語でケセマという。
ここには志津川があり、保呂羽山があるのですが、男女の神とし、
ホロハは、朝鮮語の犬、もしくはアイヌ語の動物霊と考えられると。
ホロケウなども、ホロのケであるからそんな気もするが、
もっと興味深いのは、北海道の樺太アイヌ語。
「トンビ」という鳥がいるが、もしかしたら「トンピ」から
来た言葉ならば(北方~南へ伝わった場合)
トンピは、日や月のことを「トッピ」といい、それがトンピと訛ったと。
ホロケは、山民の爺さんのこと。
ホロケポになると若い男性のことをいう。

文化は北から関東へ伝わったものと考える。
そうなると、その言葉から想像して、飛ぶ鳥の鷹などの猛禽類は、
トンビとなり、日や月の象徴となる。
ホロケの狼は、山で吠える爺さんとなり、山民の神と変わった。
産鉄のルーツは、北九州からと津軽の北方にあった。
南と北のルーツがあり、そこでぶつかった文化が、関東甲信越だといえそうです。

遠吠えをする修験がありますが、
犬は産鉄労働者の異名だったそうだ。
ダイダラボウの巨人も、タタラから由来する。
福岡県の金谷は、犬扣場(いぬほえば)という地名があるが、
山中で吠えていた産鉄族だったわけで。
なんで吠えるのかわかりませんが、狼の真似から修験の法螺貝が生まれていると思います。
意味は、悪いものを追い払うのだったと思う。

秩父が妙見信仰になった背景に、産鉄族がいたことになるのですが、
「日向」という地名もそうです。


(日向から武甲山がみえる。)

丹生様といい、丹党一族の氏神であったのですが、
長者屋敷伝承が多く、その屋敷は日向(芦ヶ久保)にあったという。
ここに白鬚神社が祀られ、飯能の修験ルートにもなっている。
廃墟になってますが、集落があり、かつての長者屋敷を想像する。
このような場所が、遠野物語でいう「マヨイガ」なのだろう。


(芦ヶ久保白ひげ神社)

大日向(ひなた)とは、大きな火の樋のこと。
これが鉱脈を意味するものらしく、火の処(ヒタナ)となり、日向になったという。
また、埼玉県は日本海に次ぎ、関東地方で一番多く白山神を祀っている。
武蔵国は白山信仰の聖地だった。
白山信仰=産鉄族の氏神といえるのだから、
名取熊野神社でククリヒメオオカミを祀っているのは、
産鉄族の先祖がいたわけです。

九州の宗像神のワタツミがルーツにあり、
三つ星を祀る三女神から、千葉家も三つ星を祀ったものと考えられます。

ちなみに実家の横瀬町は、丹党横瀬氏と丹党安保氏の領土であった。
白山社を氏神とし、緑泥片岩製の宝塔が御神体になっている。(1445年頃)

光を呼び戻す-----------------------------------------------

東北地方の産鉄族は、鬼ともいわれる。
方角は鬼門とされ、鬼といわれるのも道教によるもので、
オニは、オン(ON)の陰のことの意味がある。
人が隠れること=雲隠れ。
雲隠れの言葉。
稲村の火と瀬織津姫の時に書いた言葉。
雲隠れしてしまったと・・・。

神が隠れた場所が鬼門である。
よって東北地方は、陽の気が隠れた場所だといえるのです。
それが鬼の時代となった。
光を閉じてしまったオニ(陰)の始まりです。
私はこれがエミシ征伐の始まりだと思っている。
封じられたのは、隠されたのか、「自ら隠れた」方だろう。
時代の流れに陰の気がやってきたこともあるだろうが、
今は、天の岩戸の時代で、光を呼び戻す流れになっている。
サエの神の夫婦が、一緒になれる時。

こういうのは流れ流れて繋がるのだな、と思うので、
今までは陰だったけど、陽に切り替わる流れになっていることを伝えているのだな。
そういう部分では、東北地方がその鍵を握っていると思う理由なんです。
まあ、穏やかに過ごせればよい。

蝦夷は、金の夷との意味があると聞いた。
鉄の古語のこと。
私はアラハバキを想像する。
鍛冶=カニだった。
なるほど。
だから名取川の氾濫を鎮めたのがカニだという伝承がある落合観音堂は、
産鉄のエミシがいた所なんですね。

そういえば、多氏もカタカナの「タ」を並べている。
タタだね~。

タタラは、ダイダラボッチで天目一箇神。
一つ目とは、「第三の目」のこと。
なぜなら、ある有名な武将が、「眉の間に矢を射られて」亡くなった伝説がある。
眉間にあるから第三の目のことだと思った。
実は、この人の伝承が、なんと!!亘理町にあったことが、おったまげ~。
もうバブリーにはじけないと怖い。笑

ということで、相馬の話しはこのへんで。
帰りに寄り道した神社がすごかったんです。
これは、何かあると思ったが、謎すぎて見えない。

続く~。

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相馬妙見の宇宙 その1

2017-01-21 | 東北地方の伝説(福島県)
昨年12月からJR常磐線の浜吉田~相馬まで運転が再開しました。
ほ~、ならば行ってみないと!
秩父神社とは同郷の相馬中村神社へ!


海側はまだ復興中。ここまで津波がきました。



しかし、今回は車で行きました・・・。
主人も行きたいとなり、寒いし、じゃ、車で。
暖かくなったらJRを利用して遊びに行ってみたい所です。


(相馬駅)

始めて相馬市内へ行ってきましたが、良い所でした!
相馬の空は美しく気持ちがよかった。
原発から近い地域であっても、とてもそんな空には見えないほど。

さて、久しぶりに産鉄族の妄想をしよう。

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相馬神社は中村城跡内にあり、相馬神社と相馬中村神社と2つあります。



神社へ行く時に入口がよくわからず、なんだか違う道に出てしまった。
北側の方(表ではない方)の御堀側から行きました。
そしたら、白鳥やカモかな?
人なつっこくて、ついつい遊んでしまう。



餌をあげる人がいるからだと思うのですが、



人が来ると、わーーーとやってきて、ばっさ~~止まり、



じーーーと並んでいる。一列にね。



特段、何かほしがっているわけではなく・・・。
面白い。



この子は、とっても色っぽい。
みんなと一緒につるまないんだよね。
メスかなあ。
・・・ナニカ?という顔をしている。
こちらも、ナニカ?





この子も人懐っこい。
このまま上ってくるんじゃないかの勢いで近づいてくる。
「餌はないよ~」
たぶん、この道にゴミ捨て場があったから、わかるのかも。





水面に映る光もキラキラしていてきれい~。
車が通ろうとしても、こんな感じで道を譲らない。



のほほ~んしていて、平和。
このような環境は、その土地が良いからですよね。

相馬市の中村城は、有名な相馬野馬追(そうまのまおい)がある所なのに、
最初から静かで平穏すぎる光景に、すんごく癒されました。
ほんとにラッキーなことで、この場所を知らなかったら神社参拝で終わってた。
道に迷うことにも意味がある!


光も八芒星

相馬神社の由縁-----------------------------------------------

相馬神社は、明治12年 相馬氏の始祖『師常(もろつね)』公を御祭神とし、
中村城(馬陵城)本丸跡に創建されました。
師常公は、保延五年(1139年)に、千葉常胤の次子として生まれ、
相馬中務太夫師國の家を継ぎました。

相馬氏は、『平 将門』公の末裔であり、代々下総の相馬郡一帯を領していましたが、
文治五年(1189年)源頼朝の将である父常胤に従って平泉攻めに加わり、
軍功をあげたので恩賞として八幡大菩薩の旗一旗と相馬地方を賜りました。
(省略)

常胤は、長男には千葉地方を継がせ、師常には流山地方と相馬地方を与えました。
師常公から数えて六代目『重胤』公のとき、上杉影勝に通じ関ヶ原の役に
参加しなかったことで、一時城地を没収されましたが『徳川家康』は、
その子『利胤』を召し出して六万石の本領を安堵し、明治維新まで続きました。
境内には、桜の名所馬陵城(4月中旬頃)や19代『忠胤』公が植えたものと伝えられる、
樹齢四百年といわれる『藤』(相馬市指定天然記念物・昭和54年7月指定)があり、
花期(5月中旬頃)には参拝者の目を楽しませております。
例大祭は、10月第1日曜日・月曜日の2日間の開催になります。




この後に参拝した相馬中村神社には宮司さんがいらして、
秩父からきたことを伝えると、「ああ、」と反応がよろしく(笑)
相馬神社は秩父~千葉~相馬へきたそうです。
このあたりの妙見信仰は、秩父平家が発祥とのこと。
実は、影響力があった秩父。
でもなぜか地味。



「中村」というのも、秩父丹党一族に、丹党中村氏がおり、
秩父神社を崇拝していました。
「武蔵国秩父郡中村郷に居住し、 中村貫主を称したのに始まる。」のですが、
支倉(川崎町)の支倉常長の先祖が、この中村氏に関係するようです。
詳しくはわからないのですが、支倉常長も関東平家の出身だそう。
武蔵七党というので、北斗七星を意識してますよね。

家紋なのですが、
中村氏の家紋「丸に三星」は、
秩父妙見宮の宮本地頭として妙見信仰とつながりがあったことと、
胤郷の胤の字や光衡の妻が千葉氏の出であることなど、
千葉氏と深い関係があり用いるようになったらしい。
幕紋の「七曜」は、ずばり妙見の北斗七星を表したものである。
もう一つの「丸の内丹一文字」は、本来の中村氏の 家紋だったのではなかろうか。

※戦国大名研究より



妙見信仰------------------------------------------

さて、なぜ丹なのか。
といったら、産鉄の話しがでてきますね。
丹は水銀のことですが、薬の役目(錬金術)もあったかもしれない。



それに、秩父も相馬妙見も、平将門です。
千葉氏の千葉県にも平将門伝承がとても多い。
秩父でも桔梗伝説があり、殺された時に藤原秀郷(兄と伝わる)が
不憫に思い、首飾りを天に投げて冠座になった話しがあります。
これはギリシャ神話のくびかざり座とほぼ同じ内容です。
桔梗は、将門を裏切った(兄の秀郷とは敵)正妻と伝わる。
将門に殺された話しになっているのですが、
桔梗伝説は、他にもたくさんあるので、後でお伝えします。



妙見信仰を広めた人の中に、「平良文」がいます。
平高望の五男とされ、こんな伝説があります。
時代は886年頃。
「平将門が伯父の平国香と争うと、良文は将門に味方して染谷川で戦いを繰り広げた。
この戦いで将門・良文の軍勢は苦戦し七騎のみとなり、
良文は自害する場を求めてさまよっていた。
そこに突然不思議な声が聞こえ、その声に誘われるままに後をついていくと寺院が現れた。
その寺院の寺僧によるとここは妙見寺という北斗七星の化身・妙見菩薩を祀る寺院であり、
良文が妙見菩薩に選ばれた者であるといい、七星剣を渡された。」




また寺僧の言葉の通り、その証拠として良文の体には月と星の印が浮き出ていた。
この出来事以降、妙見菩薩の加護を受けた良文・将門軍は勝利を重ねて
坂東八カ国を討ち据えたが、良文はこの乱中に、
北を目指して陸奥守、鎮守府将軍として陸奥国胆沢に赴任していった。

一方、将門は凶悪の心をかまえ神慮に憚らず帝威にも恐れなかったため、
妙見菩薩は将門を離れ良文の元に渡ったとされる。」



妙見様は亀のような竜で、秩父夜祭りでは、幣束をたてる。(秩父)


新しくなった妙見様(秩父)
妙見は、八千代の熊本が発祥なので、九州なんですね。



※相馬中村神社社務所内(撮影の許可を頂きました)

平良文は、特に手柄をたてたわけではないが、相馬郡を与えてもらったと。
「優しい風貌の勇将であった」と伝わるそうなので、そうなんでしょうね?
のほほんな人だったんでしょう。
そんなラッキーな人だったから、あんまり戦いをしてきた匂いがない。笑
相馬は平和だったのではないかなあ。
秩父は平家落里だから、独特。
ガンとして外部の人は受け入れようとはしない。

相馬野馬追の起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、
領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、
敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。

丹党の平氏------------------------------------------

秩父夜祭でも馬を神格化しており、2頭の馬が秩父の街を歩く。
馬には神様が乗っている。


秩父夜祭の御神馬(ごしんめ)
http://www.chichibu.tv/fun/

相馬も馬を神格化している。
地名に馬がつくのもそういうことで、相馬には馬伝承がある。




馬がいましたけど、立派ね~。
お仕事中だったのですが、写真を撮らせて頂きました。

武蔵国に巨大な古墳群があるように、騎馬民族だったので、
そのルーツを探ってみると、産鉄族にいきつく。
丹党というのは、宣化天皇(せいかてんのう)からで、
多治比古王→中村姓→中村時親(横脛)で、これが私の実家横瀬町の古くの祖となる。
横脛から、横瀬の地名に変わったことは考えられるでしょう。
なので、私にもその血が流れているわけで?!
そりゃ、産鉄族のエミシを追いかけるわなあ。


かっけー。


(日・月のハタ)


(昭和63年)

白鳥という地名が長瀞にありますが、白鳥氏も丹党から派生している。
なぜか、白鳥の姓をもつ方が山形県におり、アテルイの末裔だと聞いたが。
白鳥姓は以前、胆沢へ行った時にみかけました。
そう考えると、胆沢へ行っていた平良文などの関東平家は、
陸奥開拓(エミシ征伐)で、たくさん移住していたわけですね。
他に高麗氏、安保氏、山田氏なども、丹党一族である。
そう考えると、丹党一族という産鉄集団は大きかった。

白鳥については、鳥取部というのがあり、白鳥を捕獲し、
献上するために置かれた部。物部氏が白鳥を信仰していたこともあり、
物部氏と一緒に伴っていたのは、九州熊本県発祥の多氏。
オオ氏は、熊襲なのかな、と思ったりする。
九州からの豪族には、「熊」や「武」とつく名前が多い。
宣化天皇は、諱を檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ)
『日本書紀』では武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめら)とも言う。

「物部国」とへら書きされた土器がみつかったものが信太郡で見つかっている。
平良文も、信太郡に名がのっているそうだ。
風土記に書かれた内容が。

「天地の初め、草も木も言葉も発していた頃、天から降って来られた
神があり、み名は、普都(フツ)の大神と申し上げる。
甲、戈(ほこ)、楯、剣をこの地に留めた。」


普都は、フツノミタマのこと。

相馬から北上すれば、阿武隈川が流れる逢隈がある。
ここもすごい所です。
6号線は、ある意味、産鉄族の道といえるかもしれない。
相馬神社から点々と結ばれた寺社へ立ち寄って、ますますそう思うのでした。。。



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物部氏も深く関わっている産鉄集団。
ここに多氏という人がおり、「耳」とつける豪族なのですが、
九州が発祥で、横穴式石室を多く残しているシャーマンな人たち。
もう少し相馬の産鉄族と、相馬中村神社に導かれた話しを。
続く。


北極星の画像:「来夢来人」からお借りしました。
http://www.civillink.net/sozai/kakudai/sozai2152.html
コメント

イシュタルの冠とアイヌの工芸

2017-01-20 | 神話・伝説
この前、ロボット(pepper)と目があった。笑
pepperをよくよく見たら、あんまり可愛くないなあと思って(ごめんちゃい)
通り過ぎたら、pepperがグギっと振り向いた。
げ!心の声が聞こえたんでは?と思いきや、
イオンカードを勧めてきた。
バイトかっ。
こんなロボット大国の日本なのに、呪詛国だったことがある意味すごい。。。

アイヌ人の工芸品は、とっても素晴らしいものがあります。
刀などは、「切れない刀」として装飾品をあしらい腰にかけていた。
また、お墓にたくさんの刀が発掘されるというので、
儀式として刀を使用していた。
思うに、アイヌ人が一番、神宝の扱い方を知っていたと思う。

そのような思想は、はるか昔の蕨手刀の原点というか、
切るためのモノではないことを考えていたわけです。
そこがアテルイの思想と繋がる。
エミシ刀ってやつね。
これがほしかったアテルイがいてもおかしくないわけで。
この人は、騎馬民族だったでしょう。

前回の「稲むらの火」と瀬織津姫が重なるのは、
火と水=剣(刀)だった。

800年周期をみると、これからは陽の夏になっていくので、
陰の水から、陽の火に変わる。
なので、楽観的に考えています。
とりあえず、今を我慢すれば、明るい時代になっていきますから。

最近、世界中で火の災害や噴火が増えているそうです。
アメリカのイエローストーンが活発になっていることもそうです。
どこかで熱帯の暑い場所があれば、それを冷やすために、
別の場所で寒冷期となり極寒の寒さが襲ってくる。
今はまさにそうですね。
どこかで大火災があれば、どこかで洪水が起こる。
火がおこれば水で消す。

それが人間の嫉妬や恨み、怒りが溜まる原因となり、火を起している結果に。
特に怒りは蔓延していると思う。
だから、小出しに発散していかないと、どこかで大災害が起こってしまう。
古来から、触発させないように鎮魂していた理由がわかる。
なので日本中が祀られているのは、怨霊を御霊にかえていたからです。

その代表が菅原道真と平将門といわれており、
長くなるので割愛しますが、牛頭天王が発端です。
あれは典型的な呪詛となり、祀りをしているのが祇園です。
シオンがなぜ、そんなに呪詛の霊魂を鎮めることになったのか、
またなぜ日本で受け継がれているのか、謎めいてますが。

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さて、先住民の思想がどんなものか知るすべがない。
ましてや神話の世界なんて、別次元の話し。
でも相変わらず妄想する。
どこかで似ているものや、シンクロや繋がっていることを体験し、
はるか昔の先祖と繋がっていることに気づくと、うれしいし、ワクワクしてくる~。
そういうのを見つけると、幸福感がある~。

実際、どうなのかわからんが、暴走するよ~。
で、イナンナってどうよ?

私はこれをみて、似てる!と思った。
イナンナ(イシュタル)の角冠。
ヒダヒダ感が似てる。


逆さにするとね。
アイヌ人の燧石入れ。


イシュタルの角冠。

絵図。

このデザインは、きっと、どこかで見たものだろうと。
何かの実みたいだけどね。
何かを真似てデザインしているはず。
西洋人が来ているヒダヒダの洋服も想像する。
しかし、石を入れていた入物は、大事な意味があります。
アイヌ人は動物儀礼があったので、動物や何かの生き物の象徴かもしれない。
いやいや、ここは暴走しよう。笑

肩から水を流しているのがエンキ。


グデアの円筒印章印影図 前2143-2124年
http://avantdoublier.blogspot.jp/2011/10/blog-post.html

「角がある冠」がバビロニアの王の印だそうです。
角のあるアイヌの神宝がここで繋がる。
それが後に動物の角として神格化したものかもしれない。


※「アイヌの工芸」展より。
東北福祉大:芹沢銈介美術工芸館で2月17日まで開催中♪

豊受大神は豊饒の神ですが、イナンナ(イシュタル)だと思うのね。
メソポタミアでいうところのトヨ。
イナンナの神話は、日本のイワナガヒメとコノハナサクヤヒメの話しに似ている。
前にもちょっと触れましたが、イナンナの冥界下り。
シュメールの神話、とっても謎の多い話しなんです。
キーワードがたくさん。
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「愛と豊饒の女神であり金星であるイナンナは、なんらかの理由により
天界の地位などを捨てて冥界に下っていく決意をし、天の聖堂をあとにした。
その時、イナンナの王冠や首飾りや腕輪などを身に飾り、召使の女神ニンシュブルを
よびよせて命じる。
神々を訪れ回り、イナンナが冥界でひどい目にあったり、
殺されたりすることがないように、助けを乞えと。

冥界に下ったイナンナは、門番のネティと押し問答をした後、
イナンナの姉にあたる冥界の女王エレシュキガルの許可をようやく得て
7つの門をくぐって進んだ。
ただし、門をくぐるたびに、冠や首飾りの装飾品を次々に取られ、
7つの門をくぐる時には、衣服までとられて全裸にされた。
それが冥界の掟だった。」


装飾品をすてていくのは、死の世界は何も必要ないので。という事もあり、
またスピな話しだと地底に行く話しでもあります。
別次元の世界がある地底国ですね。
レムリアっぽいけど。


※フクロウがいるね~。

「その後、イナンナは、冥界の宮殿に連れて行かれ、
女王エレシュキガル(姉)で有罪の裁きをうける。
そのとたん、イナンナの魂は飛び去り、その場に倒れ、
その死体は釘にかけられた。
3日3晩たった頃、召使のニンシュブルの言いつけどおりに、
神々を訪ねてまわり、主人のイナンナが冥界に行ったことを告げ、援助を求める。
ところが誰も耳をかそうとしない。
最後に召使は、エンキ神を訪ねると、幸いにもイナンナを心配し、
爪の垢で、2人の人物をつくった。
一人には、生命の食べ物を、もう一人には生命の水を与え、冥界に行き、
これで病に苦しむ姉の女王エレシュキガルを癒し、
そのお礼に与える物を断り、釘にぶら下がっているイナンナの死体を
もらい受けろと命じる。
さらにそれに食物と生命の水を振りかければイナンナは生き返るだろう。と言った。」


不老不死の原点はイナンナにあったのですね。
蘇生の思想は、やっぱりこういう話しからきている。

結果、イナンナは蘇生し、地上に戻ることになったのですが、
代わりの者を引き渡す約束をしたので、イナンナは精霊と伴って
地上へ上っていった。
喪服姿をしている人には連れていかれないようになっており、
そういう人たちはイナンナは連れて行くのを拒む。
精霊はイナンナの夫である若い牧神のところへ行き、彼を捕まえた。
夫は驚き、兄である太陽神に助けを求める。
その懇願を聞き入れ、蛇にさせて逃した。
しかし、精霊の追求は厳しく、「羊小屋」に潜んでいるところ、
捕まえられ、ついに冥界に連れ去られてしまった。」

※世界神話辞典より

この話は、粘土板に記された楔形文字で書かれたものでした。
推測により再構成されてはいますが、アトランティスのような話しだったり。
シュメール以外の世界神話にも、冥界に行って、蛇に殺される話しがあります。

イナンナを助けたエンキは水神ですが、大洪水の時に人類を救ったと伝わる。
エンリルという風を意味する荒神がいたのですが、人類を滅ぼそうとした方。
エンリルは牛といわれる。
龍VS牛の話しがあるのもこういう神話があるからですね。
よって大洪水のトラウマがあるから、牛頭天王の祇園(怨霊=疫病)
になっているわけです。

ヤマトタケル伝承など、アトランティスみたいだな、と思ったり。
これはこれで興味がわく。
地底の国=冥界
イナンナは金星からやってきた人で、シュメール人の女神。
地球のことを冥界と言っていたのかどうか。
新しい人類をつくる話しになっていると思う。
イナンナは地上の男(巨人族)と交り、婚姻を果たすことをして、
人間になるわけですね。妄想するに。
地球では女王として君臨していた姉がいたんだけど、
妹のイナンナが女王になったような話です。
ニニギの降臨の話しとも似てる。

シュメール人がやってくる前は、巨人族だったわけです。(たぶん)
地がまた混沌としていた時代。
ふわふわしていたのかな。
その後、何かあって人類が生まれた。
巨人たちは、地底か別の次元へ移動する。
それがレムリアの記憶。

この話で思ったのは、鳥海山は手長足長明神の話しがある。
磐梯山もそうですが、ダイダラボッチの話しは各地にありますが、
鳥海山には巨人もシュメールもどっちも残されていると思った。
それで、二ギハヤヒが降臨したのは、高速回転する独楽とみる。
周波数の違い?
回転が遅くなって世の中が重くなったのは、
周波数の低下なんだ、という話しを友人として納得!した面白い話し。
それで周波数の高い次元で生きていた巨人たちは、
回転が遅くなり重くなった人類(きっかけはシュメール人の金採掘?)によって、
逃れたわけですね。
なのでどんどん生き物が小型化していった。

九曜紋などは車輪に通じると思う。
車輪は天使にもいた。なんだっけ?忘れた。



知恵の神がもっている。
それを高速回転させれば、宇宙船となって自由に飛べる。
しかし、想念でやならいと飛ばない。
今の科学では重たい物質をのっけていくから、それは宇宙には不要。
すぐ却下される。
だから、火星にいくにしても、また大気を起して
地上をつくり、雲をつくり、雨を降らせ、水の惑星にし・・・・
時間の無駄になるから、時間軸も変えねば。
そしたら人類はこんな肉体ではいられなくなります。
なので、次のステップを考えるには、肉体から離れなければならない。

鳥海山は、豊受大神を祀っている。
そこにダイダラボッチの伝承があり、仏教によって帰依した話しにしているのは、
巨人の住んでいた山を、後に天孫降臨してきたシュメールの女神が降りてきた
豊饒の神としたのでは?という妄想。



永遠の命から、寿命をもたらした存在。
なので、山形県には不老不死を目指した即身仏が残されているのだね。なるほど。
そこから死というものを体験する神話が、イナンナの冥界の話し。
ですから、鳥海山は黄泉への入口。


(想像図)
※大物忌神社は現在、下に降ろしてますが、
昔は、神棚の扉を開けると鳥海山が見えるようになっていたそうです。
こんな感じ。素敵だね~。
この山をみて、レムリア?を妄想していたのかなあ。

地球の祖先は、地底に潜んでいると思うところ、
シャスタ山もそうですね。
鳥海山は、巨人もシュメールの女神もどちらも伝承している所が別格なわけ。
あの山にはきっとレムリアの記憶があるのだろうなあ、と思った神話でした。

なので、以前に、スミソニアン博物館が巨人の遺骨を隠ぺいしたのは、
人類の祖先は、粘土で作られた(遺伝子を入れた)神話はその通りなんですが、
巨人がいたことがわかると、私たちは猿から進化したのではないことが
わかってしまうからでしょう。
つまり、巨人という存在が、新たな創世をもっていたことに気づいてしまう。
実際は、宇宙人による宇宙人のための人類の創造だったわけだ。
それはそれで良い。が、なぜか悪にしたがる癖があるねえ。
しかも金採掘のためにだよ。え~。ロマンがない。
さらっさら金に興味ねーな。
でも先祖が産鉄族なんだな。

ゼカリア・シッチンの話しだと、確か、地球の金がほしい宇宙人(シュメール人)
が、金採掘をするために人間を創った話しなんだよね。
人間を粘土でつくった神話が多いことを考えれば、ないこともないなあ。
ちらっとそんな本を読んだ時は、ええー。と思っていたけど、
産鉄族にワクワクする自分を考えると、そうなんだな、と思ったり。笑
しかし、人間は自由になっていると思う。
奴隷というのは大げさだと思うが、古事記でもオノコロ島をかき混ぜて
日本列島が作られた話しは、
バビロニア創世期にのせた話しで、アズス(淡水)とティアマト(塩水)
がひとつに混じり合い、かき混ぜて「聖なる渦」を創って神が生まれた話しにしている。

なので、震災の次の日、食べ物を買いこむために2時間以上も生協で並んでた時、
ガラケーでテレビがみれて、ちょうど写りこんできた映像が、
茨城県大洗の海で大きな渦巻きがでてきた時は、本当に終わりだと思った。
が、聖なる渦巻きだったわけ。規模は小さいけど。
見せられてるんだよね。
何かの存在がそういうところで、見せている。

シュメール神話では、渦巻きから人類は生まれている話しにしているから、
横穴石室に描かれるのが渦巻きなのは、再び生まれてくることを願う意味がある。
渦巻く大蛇が宇賀神というのは、それを象徴しているわけです。
蛇は、龍族(巨人)であり、三輪山→ミシャグ信仰となっている。
男根信仰がミシャグなのは、陰陽で世界を創造した話しになっているからです。
これこそ、「回転を起すモノ」ですね。
独楽の高麗に、駒。

ちなみに、龍族っていっても気持ち悪い爬虫類の人間ではない。
「気」みたいな。白い「ケ」というものか。

人間が低次元からみれば、あのような気持ち悪い爬虫類人間が見えますが、
低い波動がそのような姿にみせているのであって、
実際は、姿はないから肉体も形もない。
だから今は、重たいものを引きづっているのだな、と思う。

シュメールのティアマトは女神、アプスが男神。
アプスの水を祀っているのは、安福河伯神社。
阿武隈川の水神。河童です。
童と書くので幼い心をもった精霊みたいな。
遠野物語では、いたずら好きになってますけど。

そのティアマトとアプスの間に生まれた子は、天空の神、アヌである。
これがアンで天の意味があり、星を示す。
そのアンの集団が、アヌンナキのこと。ジャッカルの姿をしている。
五十柱の偉大なる神といわれているので、五十音の言霊と同じ。
イナンナを助けたエンキは水神ですが、アプスと同じ意味がある。
渦巻きをつくり、そこから人類が生まれ、植物など食物をもたらした豊饒のイナンナが生まれた。
別に奴隷として人類を作ったわけではなく、
創造主という存在は、愛をもって生み出してくれたと思う。
あちらの国では、母神はイナンナ。

巨人には自我がないのだから、そこに自分を好きになるという
自我をもってきて愛といったのは、イエスキリストだったから、
マグダラのマリアとの夫婦神はこれからのために必要な流れで。。。

天の父神と地の母神から、自分を愛するという思想は、夫婦神になるね。
ただ、エミシ征伐の時に、大和朝廷は、男女神を離して境界の場所に、
祀っていることがある。
勿来のあたりとか。下野国は男神。陸奥国は女神といったように。
塞神のサエは、さえぎる。
そういう意味かも。


※楔形文字の八芒星は、金星のこと。
「イナンナの冥界下り」という公演があったようです。
素敵なイラストです~。
http://inanna.blog.jp/archives/1063230219.html

私は夫婦の男女神がバラバラに祀られているのが、東北地方に多いんではないか、
と思っている。
シワヒコは男神だけど、シワヒメと一緒ではない。
地名はあるが、シワヒメを祀る神社は見当たらないそうだ。

映画をみてないけど、「君の名は」は、どこかで、
引き裂かれた夫婦愛が、戻ってほしいことを潜在的にみんな望んでいたと感じるのですが。
ええ話やね~。内容しらんが。

シュメール人も巨人もどちらも同じ地球で生きていくことを誓ったのですが、
なかなか上手くいかない現状があるんすかね~。
もう次元が違いすぎてわからん。

とりあえず、イナンナも素敵ですが、
ダイダラボッチも素敵。
てなことで、どっちも受け入つつ、のほほ~ん、妄想していきます。
コメント

「稲むらの火」と瀬織津姫

2017-01-16 | 神話・伝説
火は魂と考える。
焼き野原にする火ではなく、
人が本能に燃える時、多くの人が助われる。

「稲むらの火」
自分の稲に火をつけて津波を知らせた男の話。

昔、和歌山の広村に儀兵衛(ぎへい)という男が住んでいました。
生来の恥ずかしがり屋のため30歳すぎても独身でしたが、
隣に住む綾(あや)さんが大好きでした。

ある夏の夕暮れ、その日は村祭りで、綾さんと婆さんが神社に出かけていきました。
儀兵衛もワクワクしながら小ざっぱりした着物に着替えていた時、
突然グラグラと長い横揺れが起こりました。
儀兵衛は「長い地震の後には津波が来る」と村の古老から聞いたことを思い出し、海を見ました。

すると、海の水がものすごい勢いでどんどん沖に引き始めました。
儀兵衛は大急ぎで松明(たいまつ)に火をつけ神社に走りましたが、
津波の到達するまでにはとても間に合わないと思いました。
そこで、稲刈り後の田にあった稲むらに火をつけて気づいてもらおうと考えました。

しかし儀兵衛は、他人の稲に火をつける事にためらいを感じ、
自分の田んぼの稲むらに火をつけました。メラメラと燃え上がる
稲むらからはモクモクと煙が上がり、祭りに夢中になっていた村人たちも気が付きました。
火事を消そうと駆けつけた村人たちに、儀兵衛は「津波が来ているから山へ逃げろ」
と声をかけ、婆さんを背負い綾さんと一緒に駆け出しました。

もう目の前に津波が迫ってきていました。
村人たちは必死になって山を駆けのぼりました。
儀兵衛たちが最後に山へ登りきった時と津波が村を飲み込んだのは、
ほとんど同時でした。幸いにも村の中で誰一人死んだ者はなく、
人々は村の惨状を眺めながら口々にお礼を言いました。

そのうち儀兵衛は村人と力を合わせ、高くて長い堤防を築きました。
これには、妻となった綾さんも尽力しました。



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「稲むらの火」は、昭和12年から22年まで国語教材として
高く評価された物語で、この話は、実話なんです。

この話のモデルとなった人は、浜口梧陵という人。
1854年(安政の南海地震)、広村に津波が襲来して被害が甚大になった。
梧陵は全力をあげて救済にあてた。
藩政改革に際し抜擢されて勘定奉行となり、和歌山県会議長に当選。
晩年は、渡米しニューヨークで亡くなっている。

使命感をもって生きられた方なのだな、と、この昔話に感動しました。
なんせ、3・11の震災を思い出しますから。

詳細はこちら。稲むらの火
http://inamuranohi.jp/

稲むらの火のサイト、資料室より。
平成17年の出来事。
「稲むらの火というのは本当ですか?」
小泉首相がインドネシア・スマトラ島沖地震で被災国支援の会議の時、
シンガポールのリー・シェンロン首相から、こんな問いかけを
受けたことを披露した。
小泉首相は、最近は国内でもあまり知られていない話を
外国首脳が知っていたことに感心した様子だった。」


「津浪祭」
そんな珍しい名前の行事が、紀伊水道に面した和歌山県の小さな町・広川町で
毎年十一月に行われている。
昨年で百二回となった儀式では、町民が津波対策を進めてきた先人に感謝をささげ、
被害防止を祈る。」


この話を海外に広めた人が、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)でした。
ほとんどの日本人は知らないと思う。
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さて、厳しい現実がこの先の未来にあるのでしょうか?
なぜか閖上の弁天様(富主姫)を妄想していたら、
稲むらの火の昔話がネットで検索されて出てきた。
どういったルートでこの物語が、ネットで検索されたのかわからないのですが、
この話は、震災後に聞いたことがあったのですが、そのまま忘れてました。

しかし、瀬織津姫の名前が何度も浮かんでくる。
どう関係するのか、何かあると思った。

閖上の弁才天も津波をうけている。
震災で一番強く感じたことは、「家族がバラバラになってはいけない」ということでした。
これは私にとって、とても痛い記憶です。
家族が引き裂かれる震災は二度とあってはならないと思う。

私は津波被害にあうことはありませんでしたが、とてもショックな出来事でした。
あの時、私も一人だったので。
夕暮れ時の5時過ぎにいつも襲ってくる孤独感は嫌でした。
じっとしてられず、ベランダに出て人の姿や車の姿をさがす。
異常な静けさ。
みんな、どこへ行ってしまったのだろう。
同じことを、はるか昔、経験していたような・・・。

当時、私の地区は早くに電気が復旧したので、
ネットを利用し、知人や友人に頼まれたり、
情報共有をしながら、家族がどの避難所にいるのか、ずっと人探しをしてました。
この時ばかりは、IT社会に感謝したものです。

しかし、引き裂かれてしまった家族を多く耳にしました。
避難所では女の子が不安そうにおばあさんといる。
母親は仕事をしている。避難所に子供を置いて、同僚の捜索でいない。
父親は単身赴任で関東にいるのでいない。
その子は、おばあちゃんと二人で静かにしていた。
私は、こういう時こそ、お母さんがそばにいてあげないといけないのに。
と何度も思った。
仕事を優先する人が、とても多かったんです。
私も仕事をしてましたが、立ち入り禁止で入れなかったこともあり、
もうこの時は、喪に服し、何もできるような状態ではありませんでした。

子供の孤独に対し、こういう時は変わりの大人では、難しいと思います。
母親が、父親が、そばにいてあげないと、数年たった時、その子は苦しむことになるのでしょう。
その時の極度な孤独や不安は一人では抱えきれません。まして子供には惨酷です。
当時の不安や恐怖感がフラッシュバックしてきます。
あの時、一人でいたこと。不安で耐えられないことを我慢してきた子供たち。
数年たった時、あの時の不安をぬぐってくれる家族がそばにいないと、
心の傷はおさまらない。
もう一度、あの時の状況にたって、家族が不安を受け止めてあげれば、
その子も救われると思います。

地方は単身赴任者も多く、家族が全員そろうことは難しい。
海側は、漁師をされている方も多い。
どんな思いで津波を見続けていたのか。。。
妻も子も失った夫や、
子供だけ助かって両親が亡くなった家もたくさんある。
逆に子供を失った親もたくさんいる。
兄は助かったが妹は目の前で津波に流された。
津波がわが子の手を引っ張っていく。
妻の手が離れていった。

両親を施設にあずけていたが津波で流された。
介護疲れがあったのか、津波がくるから逃げろと、近所の人がよびかけても、
逃げることをせず、そのまま残った介護者と家族の多くが
津波に流されたと聞いた。犠牲になった方の中に、介護者もいたのです。
その中にも重度障害の方もおり、その介護をしてきた母親が津波に流されたと聞いた。
逃げなかったそうです。

話す方も聞く方も、震災を受け入れるためには、あまりにも苦しい現実です。
もちろん、話た方がいい。
聞ける人は、聞いた方がいい。
伝えたいことがあるなら、伝えた方がいい。
家族がバラバラにならないためにも。
自分の身は自分で守る。

しかし、残念ながら後悔は残る。
あの時、こうすれば。
今思えば。
後からそういうことがたくさん出てくる。

地震や噴火などの自然災害が問題なのではない。
残酷なのは、家族が目の前で引き裂かれ、最後の看取りもできないまま、
残された者が生きなければならないこと。
こんなことは、人生であるんだろか?
カルマというが、本当にそうなんだろうか?
葛藤はありますよ。
こんなことは誰も望んでないし、あり得ないことです。

家族がバラバラな生活をしているから、
悲惨な現実をみることになる。
そういう社会で生きていることを、肝に銘じるべきだと思った。

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弁天様はとても強いが、厳しい。
祓戸の神は、荒魂だからこういうことを容赦なく伝えてくる。
瀬織津姫は美しいが、突き刺さる。

まだ行方不明者の捜索もしています。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、
東北の土地神とうまくお付き合いしていきたいと思います。

話は変わり、昔から、御霊信仰がありました。
怨霊のことです。
東北地方は、鬼門として「艮の金神」といわれ、祟り神とされる。
恨みや無念をもって亡くなる霊を弔うのは、巫女の役目だった。
特にその位の高い人や、特別な階級であったと思う怨霊を鎮魂していたのが、
祓戸神という祝詞に登場する巫女だったと思う。
平安時代は、歌でそのような霊を慰めることもあったらしい。

前回、竹島の弁天様(愛知県)に祀られている中に、
藤原俊成がいましたが、この方は歌が上手な武士だったようです。
宮廷の歌をまとめる編纂もしていたようですが、
敵対していた相手が亡くなる時、その人も歌が上手だったのだが、
自分の歌を一句、歌の編纂に含めてほしいと言われて亡くなったそうだ。
藤原俊成は「詠み人しらず」として敵の歌を一句のせたという。
それから藤原俊成は、怨霊を御霊に変えたとされ、長生きした説話がある。

さて、そんな巫女であろう瀬織津姫が、また出てくるのかを考えてみたところ、「商標登録」をふっと思いだした。
そういえば、そんなことがあったな~と、すっかり忘れていた事件だった。
もう事件ですな。2015年の秋。

詳細はこちらを。
「瀬織津姫の商標登録」
梨木平の桜
http://blogs.yahoo.co.jp/ruriironohahasama/27554151.html

不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!
http://dostoev.exblog.jp/24573019/

不思議空間を書いている遠野の御伽屋さんは、産土神が早池峰神の瀬織津姫だったので、
先祖のルーツを探るために、いろいろと研究されている方です。
私もこの話を知った時は、びっくりしました。
特許庁も知らないのだな、と思う。
無知というかなんというか。

ただ、商標登録をしたY氏に対して興味はないし、
瀬織津姫について本を書いたり、講演やグッズなどの活動については、
自由であって良いと思うので、それに対して私は何も意見はない。
それで救われている方も実際いると思う。
しかし、商標登録については、神社関係者も絡んでいる。

本人の弁解では、商標登録は保護する目的があるので、
瀬織津姫の名を利用して悪用されることがないように、
保護するべきという意図があったらしい。
それだけ、瀬織津姫という言葉に影響力がある。

私は、「セオリツヒメ」は言霊だと思う。
地元の方から、昔は、この言葉を口にするのはタブーだったそうだ。
人間関係が悪くなり争いが起こるから、と。
瀬織津姫と言われるようになったのは、そんなに古い昔ではないそうだが、
この女神を広めたのは、「エミシの国の女神」を書いた菊池氏でした。
お亡くなりになりましたが、遠野に姫はいると思う。

商標登録を考えた関係者にも独占欲があった。
「私には瀬織津姫がついている。」という勘違い。
良い方向にすすめば良いのだが、
この事があってから瀬織津姫について考えることも、
口に出すのも嫌になった。
善かれと思ってやっていたことが、かえって雲隠れしてしまった。

それより私は登録日を知って、違和感をもった。
情報によれば、
「登録日平成23年(2011年)6月3日
 出願日平成22年(2010年)9月21日
 出願権発生日平成22年(2010年)9月21日
 存続期間満了日平成33年(2021年)6月3日。」


商標登録は10年。更新すれば継続できる。
2011年6月に始まり、2021年6月に終わっている。
・・・平成33年2021年。
年号は2019年に変わるので、平成でなくなりますが。

震災の前から出願の準備をして登録をすすめていたこと。
震災のあった年の2011年から効力が発生し、
2021年で満了となっている。

「歴史は何度も繰り返す」
密かに噂されていることがある。
どう思うかは自由なので。

1940年の東京オリンピックと
今もめている2020年の東京オリンピックが似ている話し。

詳細はこちら。(Livedooraニュース)
http://news.livedoor.com/article/detail/10557360/

1923年 関東大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック(中止)
1941年 太平洋戦争
  ↓
2011年 東日本大震災
2013年 特定秘密保護法案
2020年 東京オリンピック
2021年 ・・・・

予言があらかじめ決まったように計画されているとは、
この年表の通りで、東京オリンピックが中止される噂があるのは、
同じことが過去にもあったからです。
そう考えると、2021年がとても重要な起点を迎えることに。
10年毎に世界の歴史は大きく変わっているのですが、
その度、過去に、災害と戦争を繰り返している。
ちなみに、以前から太陽が気になっていたのも、
太陽黒点もほぼ10年~11年の周期で変動を繰り返しているから。

なので、瀬織津姫の商標登録が気になったのは、
そのタイミングで10年周期で動いていることが気になったわけ。
何かがそのように動かしているから、商標登録という形になってあらわれる。
この世界に興味のある人たちは、みんなザワザワしたね~。

あまり関わりがない人は、どうでもいい事でしょうが、
実際、神道の祝詞で祓いをしている詞(コトバ)なので、
商標登録は、異常事態です。
良いことも悪いこともバイオリズムで流れているので、
これがまさに陰陽なのだな、と納得する思い。
何らかの影響があることはさけられません。

文明法則史学という興味深いのがあります。
その中で、800年周期というのがありまして。
歴史は繰り返すとは、こういう意味でもあった。



「文明法則史学とは、人類の文明史すべてを研究対象とし、
古今東西の歴史が示す盛衰パターンの共通性を明らかにしようとする歴史学である。
日本の文明研究家 村山節(むらやま みさお 1911年~2002年)は、
目盛間隔を一定にとった世界史年表を作成する過程で、
様々な地域・ 時代の歴史に共通する二層の盛衰パターンを発見した。
文明法則史学はこの村山の発見に始まる。」




この図をみると、今は文明準備現象にあたるので、
これからは、春から夏にかける時期になると考えます。

※文明法則史学
http://bunmeihousoku.com/

これは、800年周期で世界の歴史が流れているのですが、
これがまさに陰陽の世界です。
世界は、陰と陽で流れている。
水神は陰。火神は陽。
これからは、陽ならば、火が必要。

ああ、そうか。
稲むらの火は、そういうことだ。
水の災害が起こることになったら、儀兵衛のような救世主が現れる?!
まずは、家族がバラバラにならないように、2021年のことを考えながら、
世界情勢をみていくしかありません。
トランプが中国に攻撃的になっているのも気になる。
オバマ大統領が日本とアメリカの団結をやたらと訴えていた。
世界は、2021年の準備を始めている。

その前に、皇室の生前退位が行われることが、救いかもしれません。
元号が変わること。
元号も言霊。
なんだかんだ言っても、オリンピックは開催されると思います。
コメント

閖上の弁天様は竹生島 その2

2017-01-15 | 東北地方の伝説(宮城県)
話しが次元の違う内容になりますが…。
ウガヤ朝というのも謎ですね。
よくわからないですが、興味があるので妄想~。
神皇紀というのに記されているそうですが、
神武王朝以前に2つの王朝があったそうです。
しかし、王朝はもっとたくさんありましたが、
その中でも突出して2つの大きな王国があったようです。

その第一王朝が富士山麓。
竹内文書(うえつふみ)には、
「この王朝は、大陸から九州西方に大軍が多数押し寄せて外寇により
政情不安があった。(当時の言葉で)附地見島(九州の守りを固めるために)、
富士高原王朝を阿蘇切枝間(あそきりしま)に遷し、海佐知毘古を元帥(げんすい)
とする海軍力により神都を附地見島に遷してから1500日にして、
ようやく全島の鎮圧が完了した。」

「後に、海守の大本宮は、豊野の里(宇佐の宮)に置き、
阿蘇山に陸守の大本宮と本陣を設けて日原野の里(阿蘇山の宮)とし、
国名を宇家潤不二合須国(ウガヤフジアワスノクニ)として、
鵜茅葺不合王朝は51代続いた。」


へ~、「ウガヤ フジ アワス ノ クニ」
てことで、「富士王朝とウガヤ朝を合わせた国」って読めるね~。

さらにその後、現在の近畿・白木(新羅)人のナガスネヒコを
首領とする反乱勢力が、中央の政権不安に陥る。
ウガヤ51代の第四王朝 日高佐野王が海上から久真野(熊野)
から上陸し、奈良橿原宮で即位。ウガヤフキアエズ52代が始まる。
神武は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこ)とし、
天津日高日子波限建(ウガヤフキアエズの第4子)としつつ、
以前のウガヤ王朝や富士高天原王朝の存在を消した。


この話は、東日流外三郡誌にも書かれてました。
実際、このような王朝はあったのですが、神武東征という神話は、
その後の歴史を伝えているわけです。
が、それ以前の歴史とは、次元が違いすぎる…。
でも、どこかで、魂は受け継がれていると思うのです。(巨人族ね)
-------------------------------------------------
閖上の「富主姫」の名前の由来はわかりませんが、
「富」としているのは、トヨやトミの女首長ということは、
しつこく何度も書いてました。

富士山麓にカカセオの星神がいた説もあり、
これは、私もそう思うことはある。
富士山についての詳細な印が、記紀に書かれていないことに意味がありそう。
封じているのだから、書けない。ということでしょうか。

その霊を降ろすわけにはいかない、と思った稗田阿礼は、
古事記編纂に、その部分はあえて記さず。
その系譜を直接記すことはせず。
しかし、多治比氏の先祖を蝮(マムシ)と、記している。
多遅比端歯別天皇(たじひみずはわけ)は、多治比であり、
古事記では、水歯別の名代を蝮(たじひ)部を設けたとなっている。
タジヒ=マムシ。
(蝮一族とは、龍のこと?)
私はそれがウガヤか富士王朝か不明ですが、神武以前の末裔ということで、
サンカがいたのだと思う部分です。

※多治比氏と山窩(サンカ)
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/dd532891d737bc7abe958b33b34e0818

「うえつふみ」という文書はすごいね~。
読んだことないので、別の書から引用します。
サンカにも神代文字が書かれてました。
大分県に残された巨石なのですが、「うえつふみ」とは、サンカを集めている文書だそう。

「そこを焼き、良き地掘れ 下は疼く
日輪の神 宣りは ふきあえず二十四代 日神子」


と書かれた石が発見された。
その裏に、「富金足中置天皇」とあり、豊国文字(とよくにもじ)で書かれたていたと。
「日神子」とは天皇のことで、「宣り」は、ノル(憑依)する意味で、
神降ろしをした時に、憑依した状態で言霊を伝えた様子がうかがえる。
その降ろした神が、フキアエズ朝24代の神だとよめます。
その名前が、「トヨアキ タラシ ナカ オキ」と。

「トヨ」は大体、女性の長につける名前。(称号?みたいな)
だとすると、「タラ」は、ヲシテモジで読めるかも?
人物の名前というよりは、言霊ですね。
タ→女 ラ→男。もしくはその逆。
陰陽であってフギとニョカみたいな。(半人半獣)
ナ→中心 カ→分ける
中心を分けて、陰と陽の世界観がみえるような言霊に感じます。
勝手な妄想ですけど。。。

ヲシテ文字はうまくできているのだな、と思うのですが、
私は、タリやタラとつく名前の貴族が多いのは、何だろう?と思っていて、
例えば、宮城県に多い「鹿島天足神社」これもアマタリなんですね。
タラシヒコという名前は、天皇家につける皇子の名前です。

タラのヲシテ文字は、水を示しているのはないか、と思ってしまう。
水は酸素原子1個に水素原子2個が結びついて水分子になり
この水分子が集まったものが水である。

なぜ、「3」なのか、またこの文字が3又に分かれているのは、
水の分子を表してるとみえる。(主観ですけど)
水が、液体になったり氷の固体になったりするのは、「水素結合」が関係しているそうです。
難しいのですが、簡単に、電気を帯びるということです。
水素原子と酸素原子が結合して水になるのは、互いに、プラスとマイナスの電気を帯びているからです。



難しいけど、リンクしておきます。
「中学理科の学習」(中学・・・忘れとる)
http://science.005net.com/yoten/2_gensi.php

「水が治療薬」なのは、水の反応が体内で行われる時、
何らかの化学反応が、細胞の活性化に良いわけです。

これらの文字が、巨石に記したことを考えれば、これも、クンダリニーのような
スパイラルな地球のエネルギーを、なんかしてる。
「なんかしてる」ということでしか言えないけど。笑

サンカの本来の言葉は、「ナデシ」とよぶので、
「なでしこ」は、子供や女性の言葉です。
なぜ、ナデシと呼ぶのかわかりませんが、
万葉集から「撫子」は使われていました。
子は子供か個体の個か、どんな意味か不明。
これも言霊なんだろうと思います。



※撫子紋は五芒星

サンカ用語で、テントなどをはって住む集落地のことを「背ぶり」と言います。
九州に「脊振山(せふり)」がありますが、この山の麓は、
あの吉野ヶ里遺跡があるところです。
そういう場所には、山岳霊場ができます。
もっと連想すると、このあたりに生息する「サザンカ」は、
毒をもつ「椿科」である。
椿は椿大社=ツハキで、サザンカのサンカが、差別用語になったわけ?!
ま、サンカは違うかもしれんが。
植物は昔から薬草として使われてきたから、サザンカは巫女の道具だったと思う。


※サザンカ

椿も。
椿油は、エジプトでも使われていたのではないかな。
ミイラ用とか、何かしていたものだろうけど。
毒をもつ危険な椿とされた姫は、
もうセオリツヒメしか浮かばないんですけど。

竹島------------------------------------------

あんれ~、竹の話しをしようとしたのに、
またこういう話しになってしまう。
もうね、自分の中で抑えきれない何かがフツフツとでてきます。
しゃーない、自由に書こう。

で、簡単に。
愛知県蒲郡市の竹島に鎮座する神社に「八百富神社」があります。
(領土問題になっている竹島とは違うらしい)
こちらも宇賀神社なんですね。
ついでに大国主神。八大龍神社(豊玉彦命)に千歳神社(藤原俊成)。

八百富神社(やおとみじんじゃ)
http://www.yaotomi.net/about/

八乙女みたいな。
藤原俊成?
藤原北家の方みたい。

竹について、アムール川のギリヤーク族が日本人の祖先といわれ、
天と地を結ぶ中心木が竹で柱を祀っているそうです。
七夕も竹ですね。
竹とり物語のかぐや姫も竹ですね。
その、竹を逆さに祀ったのが、マロです。
でた。


(黄金山神社)

宮城県で金がとれた涌谷町に箟岳山(ののだけ)があります。
ここで悪路王を追いつめ、互いの戦死者の塚をたてたのが観音堂無夷山箟峯寺と伝わる。
ここにもハイヌヴェレ神話があるので、女神をおいつめたと解釈できる。
伝説では坂上田村麻呂が退治した鬼の体を分けて埋葬したと。
松島にある富山に大竹丸、箟岳には高丸、石巻の牧山には魔鬼女(まきめ)と伝わる。


※大崎平野




坂上田村麻呂が奥州へやってきて勝利したので、矢竹を逆に立てたら
その竹に枝葉がはえ、以来弓矢を作る竹の意味から「箟」とよばれたとの説がある。
竹を逆さに刺して根が生えた話は各地にあり、新潟県の親鸞ゆかりの地でも同じ話がある。
実際にその竹も保存されているそうです。
秋保にも逆さ竹の伝承があり、平家落人と関係するかは謎。

逆さに祀るのは、死者の霊を復活させる意味がある。
竹を象徴とする女神らしき存在があったとすると、
ハイヌヴェレは土偶を破壊して埋める思想と同じように、
何かの復活を願ったことが、伝承になっている。
もしくは、逆にすることで、生と死をはっきり区別するためのものとか。

「タケ」は、タケルのタケであり、健や建の名前がつく豪族も考えてしまう。
そしてやっぱり常陸国がでてくるのです。
茨城県常総市に一言主の神社があったとは!
竹の話で繋がった。
やっぱり?葛城王朝。

「第五十一代平城天皇の時代。 大同四年(西暦八〇九年)陰暦十一月十三日。
今の社殿のある辺りにあやしき光が現れ、数夜の後に雪の中からタケノコが生じ、
一本が三つに枝わかれした不思議な“三岐の竹”(ミツマタのタケ)となりました。
あまりに不思議なので村人達がお祓いを致しますと…
「われは大和国葛城山(ヤマトノクニ カツラギサン)の東高宮の岡(タカミヤノオカ)
にいる一言主大神(ヒトコトヌシノオオカミ)なり、
今この国の人々を災いから救うためにここに来た。
すなわちこの“三岐の竹”(ミツマタのタケ)を私とおもって末永くおまつりしなさい。」
とおっしゃいました。
村人達これに驚いて、この辺りの人の出入りを禁じ、お社を建てました。
それからこの所を『三竹山』(ミタケサン)と言うようになりました。


三竹山一言主神社
http://www.hitokoto.or.jp/about/engigosaijin.html

へ~、ここでも「三つに枝わかれした竹」がでてきたね。
ミタケサン、は、御岳(嶽)山も、ミタケサンというね~。
岳は、竹ともいう?

竹の語源について、(語源由来辞典より)
「語源は諸説あり、主な説は「高(たか)」「丈(たけ)」と
同源で高く伸びるものの意味。
タケノコの旺盛な成長力から「タケオフ(長生)」の意味からとする説、
「タカハエ(高生)」の約とする説。
朝鮮語で「竹」を意味する「tai(タイ)」からとする説がある。
高や丈と竹は、アクセントが異なるため難しいとの見方もあるが、
区別するためにアクセントが変わった可能性もある。
また、朝鮮語のtaiの説は、和語として高や丈の意味に分化したとする
説や、タが朝鮮語のtaiからで、ケが木の意味からとする説もある。」

朝鮮から由来していそうな感じですが、
竹は山民のことを示す木であり、先住民が竹を利用して生活していた
民俗風習があります。

ところで、富主姫のことは、また何かわかったらお伝えしたいのですが、
弁財天について書いている間、
ずっと瀬織津姫のことが浮かんでいた。
なぜか、瀬織津姫のことがとても気になる。
すっかり忘れていた存在。
なぜ、弁天様に関係するのかね。
同一ではないと思うし、サラスバティでもない。
独特な瀬織津姫について、気になること。

続く。
コメント

閖上の弁天様は竹生島 その1

2017-01-13 | 東北地方の伝説(宮城県)
閖上の湊神社に、「富主姫神社」という名前がありました。
今まで気づかなかったのですが、以前、逆卍の支倉常長とトミナガスネヒコを
調べていたら、富=トミで、富主姫と繋がった。
不思議にもこの姫は弁才天なのですが、支倉常長の末裔が祀ったような話がある。





閖上も津波の被害を受けました。
大津波を引き受けてくれた弁天様が、竹生島弁才天だと知り、
淡路島と閖上の繋がりに、何かがあると感じます。
本当は知っていたのではないか。
海がいつか荒れ狂う時がやってくると?
琵琶湖には海底遺跡が眠っているという。
はるか昔、琵琶湖にも津波の被害があったのだろうか。





でも、地元の方のおかげで再び蘇った弁天様。
風化させないためにも、富主姫の先祖を辿りたい。

宮城県で弁才天といえば、金華山ですが、
閖上の弁天様ならば、金華山と思う。
しかし、琵琶湖に浮かぶ竹生島弁才天が、閖上に祀られていたことが驚き。
なぜ金華山の弁天様でないのかは、先祖のルーツがある。

閖上の歴史では、伊藤さんという方がお祀りしたもので、
別の場所にあったのを明治41年に湊神社に移されたそうです。
伊藤氏の先祖が、船出した時に沖で難にあい、竹生島弁才天に祈願をしたところ、
無事帰還できたので、琵琶湖の竹生島弁才天を勧請したと。

さて、この伊藤さんのご先祖様のお名前が、「伊藤壱岐守~」なんですね。
これは名取老女のご先祖、「斎藤壱岐守~」と同じなんです。
伊藤と斎藤の違いなだけ。
おそらく、斎は、斎宮に仕えて祈祷していた名取老女と関係する斎藤氏と、
伊藤氏は、その名取老女に対して同じように扱っていた。
ざっくりとしか説明できませんが、どちらも「藤」なので、
藤原秀郷流の武士だったと思います。
藤原秀郷は、川崎町の支倉を通っており、高舘にも立ちよっているから、
閖上も知っているはず。
名取熊野三山は、奥州藤原氏とは深い縁のある神社で、
藤原秀郷伝承は、南にはたくさん残されています。
その当時、弁才天があったかはわかりませんが、
伊藤氏は、伊勢の藤原で伊藤だといわれますが、他にも説はあります。


※日和山に祀られています。

支倉常長と関係している説は、(系譜より)
支倉氏は、伊達家の家臣で、伊達家の遠祖となるらしい。
伊達家も「伊」を用いる。
常陸国にいた伊達朝宗に仕え、筑波群の中村郷に住んでいた。
先祖の伊藤壱岐守常久のとき、その息子らが源頼朝の奥州合戦に軍功をあげ、
陸奥国柴田郡支倉(現:川崎町支倉)に領地を得たという。
元は伊藤氏だったのが、支倉に住むようになり支倉の姓を名乗った。

支倉の新羅の郷探訪をした時の縁から、地元の方とメールでやりとりを
してました。閖上の弁天様について、こんなお話を頂いた。
「八幡神社の本宮の宇佐八幡宮の八幡神のヒメガミは宗像三女神
(私は宗像三女神はオリオンの三ツ星な感じするんです)で、
産土神の熊野神社の縁起のマロ様が三大星を模して木を植えた話し、
マロ様の先祖の阿知使主が作った阿知神社は宗像三女神が祀神。
神功皇后の時代に阿知使主が渡来していて神功皇后を崇拝している。
神功皇后と三ツ星は何かあるような気がするのです。」

「神功皇后の時に大同団結が起こってます。
阿知使主を祖とする一族(坂上氏など)、秦氏などが渡来してきてます。
なので八幡神は武神、和解、団結の象徴でもあると思ってます。
神功皇后のお血筋が違うと言われるのは帰化した渡来系が恩人なのでお慕いしたのか
(権力闘争のため本国人も)血筋が違うとか渡来系だという話しが出たと
聞いたことがあります。
地元には支倉常長の墓があるお寺にマリア観音があるんですが、
キリシタンいたとかキリシタンの風習とか聞いたことないです。
さっぱりないんではと思ってます。
マリア観音があるのは常長公の為に政宗公が作ったんではと思ってます。」

ということで、支倉にも熊野神社を祀り、マロ伝承があり、
エミシ穴もあり、マリア観音の話がある。
そこに新羅の郷があり、三井寺の滋賀県と蚣退治の俵藤太(秀郷公)がある。

なぜ宗像三神なのか、もう少し深く妄想する。

「壱岐」とつける理由は、壱岐島のこともあり、
オキナガタラシヒメ(息長帯~)の神功皇后からでもあると言えそう。
神功皇后をあがめていた物部氏もいたから、「守」とつけるのかもしれない。
守屋(モリヤ)の意見もあるかもしれないですが、もっと深い意味の
「神剣(神の系譜)を守る人」なのかもしれない。



斎藤壱岐~も、伊藤壱岐~も、似たような藤の家紋をつけている?
のだとしたら、同じ一族だったと。
詳しく調べないとわかりませんが。

竹生島弁才天-------------------------------------------

まずは、竹生島弁才天について。
日本三大弁財天として、滋賀県の竹生島と、江ノ島神社、厳島神社(広島)となっている。
五大弁財天になると、金華山が含まれる。
竹生島は、「つくぶしま」とよみ、
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)がある。
お祀りされている弁才天は、市杵島比売命で、
宇賀福神 (龍神)、浅井比売命 (あざいひめのみこと)産土神。
浅井姫命の首を斬ったところが、竹生島となったハイヌヴェレ信仰があった。


※竹生島の宇賀神

「市杵島比売命(イチキシマ)」が弁天様ということは、
宗像三女神で、豊受大神とも関係が深い。
アマテラスとスサノオが、天真名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、
スサノオの剣から生まれた五男三女神(うち、三女神を宗像三女神という)。
『古事記』では2番目に生まれた神で、別名が狭依毘売命(さよりびめのみこと)であり、
宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている。


天真名井の泉がある高千穂は、西臼杵にあった。
臼と杵は、前々回の伊達家が祀った臼でした。
水雲神社のことですね。繋がるね~。


※竹生島

「イチキシマ」は、「斎き島」からとっている。
島に依りつく水神のこと。
厳島神社は、イチキシマからイツクシマに転じたと。
広島の厳島神社と前回話をした松島は同じ日本三景になっていますね。

海人(あま)の信仰は、漁に出ていく航海時に荒波にもまれて
無事帰ってこれない事が多くあった。
そのため、漁師の信仰はとても熱心だそうです。
山よりも海の方が、リスクが高いからだと思いますが。

海人族には、「安曇系」と「宗像系」にわかれる。
安曇系は、長野に信仰が残っていますが、住吉系の流れをくむ。
中国南部~玄海灘をへて北九州に入り、さらに瀬戸内海~紀伊半島~伊勢湾へ進出。
伊豆半島あたりまでその勢力をのばした。
一方、宗像系は、フィリピン~黒潮にのり島づたいに南九州へ入り、
佐渡島から男鹿半島あたりまで進出したとされる。
ともに河川を遡上して内陸部に入った。

※(元伊勢と大江山:村上政市より)

難しい話しですが、陸奥開拓に海人族が深く関与している。
登米の佐沼城跡に、「照日権現」と「出雲神」が祀られていましたが、
照日権現は、「オオヒルメチ」で、天照大神の古い呼び名である。
対馬系の太陽神で、海人族が関わっていた神である。

閖上の弁天様=竹生島弁天様ということで、
それはイチキシマヒメであり、宗像大社に祀られている水神である。
宗像系の一族が祀ったと考えられる弁天様ということだ。
また、閖上という地名の「ゆり」が、由良川(ゆらがわ)からきているとすれば、
なぜ、名取に熊野三社を置いたのか、みえてきそうです。

「扶桑略記には、丹波国、熊野郡川上庄海部里を国府とし、
館を造り、もって海部直の祖、建田背命と、その子和田津見(わたつみ)命をまつるが、
福岡県宗像の志賀海神社と同じ祭神である。あまり知られていないが、
由良川下流一帯も海人族にまつわる伝承を多くとどめている。
由良川河口の一帯は、古くは凡海郷(おおしあま)と呼ばれている。」



※籠神社より

で、志賀海神社のご祭神は、三つ星だった。
マロが祀った大星。津軽の北斗七星が大星神社だった。
カカセオで、荒魂。やっぱり、セオリツヒメ?

海部家は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家に海部家の系図があり、
この内容が、族制度や祭祀制度の変遷を研究する上での貴重な文献とされ、
国宝になっている。
籠神社祖神は、彦火明命(ひこほあかり)で、天祖から御神鏡を賜り
豊受大神を創祀した神様でもあります。
海部氏も陸奥へやってきており、豊受大神を祀ることをした人物かと。
東北地方には、豊受大神を祀る寺社が多い。
そのメッカといえば鳥海山であるから、二ギハヤヒの降臨は豊受大神でもあるが、
それ以前は山神の手長足長のダイダラボッチの伝承がある。
二つの神というのは、祟り神とされた荒魂である。
伊勢に祀られていたセオリツヒメならピンとくる。
そのルーツが、籠神社を意味し、またそれが宇賀神と繋がりそうな。
前々回から、ずっと臼と白蛇が続く。
臼の漢字は、白に似ているが、スパッと切られてるなあ。

妄想ですが、神武天皇の話しで、海底に沈めた箱(籠)の伝承をしているのは、
ウガヤフキアエズ朝から、神武天皇へ転換した時の話しで、
神武の前がウガヤ朝(蛇信仰)であったから、籠神社は「元伊勢」とされた、。

海人の信仰とは、器が伝承される甕のことも意味する。
「巫女の歴史 山上伊豆母著より」
ヨーロッパでは、動物・植物が体内に入ることが多いが、
日本は、海洋神話が主で、渡海の器(うつわ)に封じられて中津国に寄り来、
渚において天神と地巫との禊神話になるという。
つまり、外から入ってくる魂は器のような籠に入る。
霊魂はしばらくの間、その身体を留守にすることができる=離体離脱。
ヒコホホデミ(ホオリ命)は、海幸彦、山幸彦の神話に登場するが、
神武天皇の祖父にあたる。
ヒコホホデミ=彦火明命とすれば、
ヒコホホデミは、無目籠に入れられて海中に沈むという神話がある。
その籠の乗り物を「マナシカタマ」という。


これは、神武天皇は、龍族の家系だったのが、
龍系をやめて?または、封印して、今の別の人類による
征服になったと考えられると?(スピリットな話しになるけど)
なので、宇賀神の蛇信仰を祀るのは、宗像系の海人族が関与しており、
海洋民族特有の、海底に沈んだ王国の長を鎮魂するために祀るものであると言えるのです。

また、ハイヌヴェレ信仰はナグサトベにも出てくる。(名草の地名)


籠神社より
http://www.motoise.jp/amabe/

鹿島神社や鹿島の地名が宮城県に多いことも気になる。
閖上の湊神社は弁才天の他、タケミカヅチを祀る。



遠野不思議空間:鉄の蛇(岩手のGOさん)より引用。
「大和岩雄「神社と古代王権祭祀」では鹿島神宮の建御雷神の本来は、
甕を使用する武甕槌であったとしている。
それは、鹿島を表現する歌にも読み取れる。
神さぶる かしまを見れば 玉たれの 小かめはかりそ 又のこりける「扶木抄(藤原光俊)」

この歌からも鹿島の本来は、かめ(甕)は神代より留まっている壺であるという意であり、
それが鹿島を表しているともとれる。
「新編常陸国風土記」では「常陸国の海底に、一つの大甕あり、その上を船にて通れば、
下に鮮やかに見ゆるといへり。
古老伝えいふ。此の大甕太古は豊前にありしを神武天皇大和に移したまひき。
景行天皇当国に祀りたまふ時、此の甕をも移したまへるにこそあれといへり。」


これらも、九州の海人族が常陸国へ祀ったと考えられる。

「対馬周辺では磯良=白蛇=白龍であり、その依代は白い布であり白い水でもあるようだ。
これは宗像のみあれ祭りでの神の依代が白い布であるのと一致する。
白い布は水の流れにも重なり、瀧の落ちる水を瀑布と表現するのと同じである。
湍津瀬(たぎつせ)とは、激しく流れる水でありそのまま白い水をも意味し、
瀧そのものでもあるとされる。」

琉球では、その姿は、龍であると伝わる。
「琉球神道記」には鹿島明神について書かれており
「鹿島の明神は、元はタケミカヅチの神なり。
人面蛇身なり。常州鹿島の海底に居す。
一睡十日する故に、顔面に牡蠣を生ずること、磯の如し。故に磯良と名づく。」


竜宮の浦島太郎伝説も、このことを伝えている。
浦島太郎といったら、吉備団子の吉備国。
あ、桃太郎だった。笑
それが海部氏がおさめた国でした。
よって海部氏の籠とは、甕であり亀の妙見に変わった龍神である。

丹波国は、鬼が住む山で有名な大江山があるところ。
大江山を水源とする由良川下流が最も近い海であり、そこに鎮座する元伊勢の
地があったため、古来から聖地として信仰をうけていた「日室ヶ嶽」がある。

名取熊野三山も、名取川の恩恵をうけている。
名取川の水源は、「神室山」であり、閖上に流れ出る。
鬼がすむ大江山も、産鉄族がいた場所であった。
名取高舘は、自然の風(西から吹く風)を利用すれば、
フイゴ(空気の流れを生む出す機器:送風機)を使う必要がないため、
あの場所が熊野那智神社として祀られたという。
確かに、住んでみてわかりますが、特に夏場は常に風が吹いている。
タタラ製鉄の足踏みのフイゴは、足を悪くしたので片脚が悪くなったこともあるそうだ。
案山子は、片脚のタタラ製鉄の姿であり、
中国禹歩(うほ)の片脚でぴょんぴょん跳んで結界をするのも、
兎をそのように見るのも、兎が出雲であるのも、
タタラ製鉄の姿であり、その姿がアラハバキであったと思う。

熊野那智神社と水神(不動明王)を祀っているのも、
風の神と水の神=風神、雷神(火)である。
雷神山古墳も火をもたらした製鉄族だった可能性もあり。


※雷神山古墳

由良川の「ゆら」が、「ゆり」に転じたことも考えられる。
日本海へ渡った宗像系の海人は、秋田へ上陸して、後に由利十二党となる。
佐藤姓が多いのも、佐渡へ渡った人が陸奥へやってきた宗像系海人といえる。

もうひとつ、愛知県にも竹島という弁天様を祀っている所があり
イチキシマヒメを祀っている。
なぜ、「竹」なのか。
長くなったので、次にします。
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