秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

伊具の古代史 その1

2015-11-30 | 神話・伝説
お斗蔵さん

青い空が映える晩秋。
落ち葉歩きをしに軽く斗蔵山へ。
ずいぶん久しぶりに行ってきました。
私はここの千手観音様が好きで、今日はお寺も開帳しており拝観できました。
御顔が人間的で、親近感がもてるマリア様みたい。
奈良や京都の都からみたら、完成度はちょっと・・・と思うけれど、味があっていい。



前にもちょっと書いていましたが、ここはとても重要な場所であったと思います。
「斗蔵山・野鳥の森」は、とっても良い森です。
野鳥の声もよく聞こえます。
ここは、ウラジロガシの北限として林木遺伝資源保存林に指定されており、
国内有数の貴重な群生林です。



林木遺伝資源保存林なんて言葉を始めて聞いたのですが、
ウラジロガシの保存を行っていくという事なのでしょう。





斗蔵観音堂
斗蔵山の山頂にある斗蔵寺観音堂は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立し
千手観音を安置したと言い伝えられており、同年、弘法大師がこの地を訪れた際に、
「紫雲天になびき 奥州無二の霊地なり」と賛美したと言われております。  
 
斗蔵寺には秘仏の銅造千手観音像懸仏(県指定文化財)と
木造千手観音立像(市指定文化財)及び眷属の二十八部衆と雷神、風神が安置されています。 
秘仏の千手観音懸仏は、千手千眼世音菩薩ともいい、両手のほかに左右二十手あり、
それぞれの四十手四十眼二十五の功徳を配して千手千眼とされています。
多くの人々の苦悩を救い諸願成就及び、出産、平穏を司る観音様で、広く信仰されています。




伊具王族は阿部氏----------------------------------

阿武隈川の西と東では異なる。
長泉寺古墳群、横倉古墳群、山中古墳群(伊具随一の規模)
台町古墳群、大群古墳などなど古墳群が集中している。
台町古墳群は、男女の埴輪や花文鏡などが出土し、直刀も見つかっている。

隈西(阿武隈川を挟んで西)は6世紀頃、隈東は6~7世紀。
各々二大王族が分裂したが、隈東王族に併合した為、
多くの古墳が作られたと考えられています。

その王族が阿部氏で併合した力のあった王族と考えられる。
他にも毛町氏、大伴氏などがいたと思いますが、後の繁栄に結びつけたのは阿部氏といわれています。
確かに、このあたりは巨石が多い丸森町にあたる。
地名も「羽入」「羽山」など羽のつく地名が多く、イワクラ信仰も阿部氏と繋がりそうです。



大化の改新にはすでに伊具は成立しており、
郡山遺跡は隈東にあり、最終的に隈東に落ち着いていったと考えられます。

伊具は最後の阿武隈川の国。
伊具には昔、「伊具郡麻」といって奈良時代すでにあった麻は、
麻積郷(おみのごう)の麻で、ムラがあった。
史書にはあまり伊具郡がないのですが、当時は石城国(山側)にも、
石背国(川側)でも、どちらにも属していた為、曖昧になってしまったと。

続日本書紀に、
丈部が登場し、伊具郡擬大毅陸奥真成らに阿部陸奥臣の姓を賜わる。と書かれている。
丈部は阿部氏服属の部民。
「大毅」は、軍団の長のこと。
名取郡には、エミシ征伐の際に送り込まれた上毛野名取朝臣がいる。
この方は、吉弥侯部から姓を賜る。吉弥侯部(はせつかべ)=丈部(はせつかべ)

ここに麻をもたらした麻積郷は、安曇氏や大伴氏のような気もします。
すでに大伴氏や安曇氏の海人は伊具郡にいたと思います。

多賀城の瓦は伊具から納入しており、麻を栽培し紡いで衣服にし、伊具郡は中心的な生産地でした。
市内の麻山(おやま)の名残があり、
ひとり麻や芋(からむし)の生産だけではなく、すべての面で郡の中心をなしていました。
静戸郷、倭文部(しずべり)は、古代織物の職業集団で、丸森から移住してきたムラでした。

高蔵寺を建てた人は、岩城氏級の地元豪族で、信夫佐藤氏、名取郡司、熊野別当など
皆、平泉の有力な郎党であった。

※角田歴史読本より参照



海人族の伊具----------------------------------------

伊具の一宮・二宮は、熱日高彦神社と鳥屋嶺神社の二社がある。
東に熱日高彦神社があるが、西は鳥屋嶺神社であるが、
角田歴史読本の著者、高橋富雄先生によると、
元は西には斗蔵神社だったのでは?という興味深い話。

斗蔵山は、岩山を磐座、磐境に見立てた神体山であり、天神から地上へ降りる神座と考えられた。
平安時代中期から神仏習合、後に観音信仰と広まり、鳥屋嶺は戸座といった。
聖なる座には、クラをつける。
鳥屋嶺(トヤミネ)も「戸」で屋は「座」の誤字ではないか、と。
北上川の日高見水神社に対し、北上の河伯(水神)であるから、
阿武隈の河伯が、ここの伊具にあり熱日高彦神社は、オチかアチの意味があり、
日高見の当て字と考えられると。

つまり、東は渡来系の神、西は先住民(縄文)の神を置いたので、
ここが縄文と弥生の融合のあった場所であると考えます。
鳥屋嶺神社の祭神は、ウガヤフキアエズ。
もしこれが神武天皇をさしているのならば、元は斗蔵山だったのをククリヒメにし、
鳥屋嶺神社に遷した理由もわかりそうなのですが…。



なぜ、そんな面倒くさいことをするのかが、
「天照国照彦 火明櫛玉饒速日命」の名前に関係しているように思えてきた。

もっと深く妄想するならば、二ギハヤヒの「天照国照彦 火明櫛玉饒速日命」と、
「天火明(アメノホアカリ)」が違う人物ではないか?という話。
これは、知人の情報からヒントを得た。
日本書記や先代旧事本紀は、二ギハヤヒと同一とされるが、
古事記は別人で書かれ、元伊勢の籠神社は、彦火明命を祀り、
配祀に、天照大神、豊受大神 海神 天水分神を奉る。
古事記が別人としたのには理由があるのですが、これは後ほど。
彦火明命も「アメノホアカリ」になっているから二ギハヤヒと同じだと言われる。
でも、籠神社は「天照国照彦火明命」を二ギハヤヒとし、別の相殿に「天照大神」を祀っている。
ということは、天照大神は二ギハヤヒではなく、別の男神として区別している。
神武天皇はウガヤフキアエズだから、本来の正統は、ウガヤ朝の神武天皇のことなのだろう。
それを崇拝していた海人族の安曇氏が浮かぶ。
まあ、謎が多い神武天皇です。

このへん、もっと調べないとわからないのですが、
後に「天照大神」という別の男神に変えることが必要で、
伊具郡を例にとると、すでに鳥屋嶺神社にあるように縄文系の神が鎮座されていたのだから、
後に東に渡来系の神を祀り、神武天皇は河神の方へ移動した。
なぜ、斗蔵山に坂上田村麻呂伝承があり、ククリヒメの白山信仰があるか?
何となく、深い意図がある気がします。

これがどんな意味があるのか、伊具郡に隠されている感じがしたから、こんな話に流れてしまった。

元は武蔵国の豪族、阿部氏、大伴氏、物部氏がとくに有力で東北へ開拓にきていました。
そこにはすでに諏訪、出雲、海人族の安曇系と宗像系がおりました。
そして意外にも武蔵とも深い関係があった。
丈部は、阿部氏の管理、大伴部は大伴氏の管理、武蔵では入間が物部氏の管理。
入間に毛呂町がありこのあたりはアイヌ語地名が多く出雲系の社も多い。
この付近に物部天神社があり、二ギハヤヒを祀る。
毛呂町にも出雲伊波比神社があり、「天穂火命:アメノホヒ」を祀る。
アメノホヒの稲は、火でもあり、ここが鉄に由来している説もあります。

でもこの頃は、平和な融合です。
先住民たちは武蔵の豪族と融合して、後に大和朝廷が来た時に譲歩したのだと思います。
その契約は、鉄だと思います。
鉄の古語は、「銕」と書いた。蝦夷は、金の夷のこと。

七ツ森でもクラの名前をつける山名がある。
角田にも高蔵寺や斗蔵があるように、クラをつける地名が何か所かある。
これは、「高倉下」という人がいますが、高い倉の主の意味があり、
フツヌシの霊剣を奉る物部氏の石上神社の事。
高倉神社が三重県伊賀にあり、伊具郡の麻とつながる。
また、その霊剣が、神武天皇の霊剣であるという説もある。

伊賀と伊具も似ている。
伊賀氏という豪族もいて、阿部氏の系統だといわれる。
また、長野県(信濃国)にも麻績郷があり、平安時代から京都と東を結ぶ街道があった。
この本田善光という人物が、
推古十年(603)に、
信濃国司の従者として都に行った折り、難波(大阪)の堀江でありがたい仏像(如来様)を見つける。
この仏像は、「欽明天皇十三年(552年)、インドを経て、仏教伝来の折り、
百済からわが国へ伝えられた日本最古の仏像といわれる。」
しかし、元はこの尊像を信奉すべきか否かの評議が開かれた時に、反対したのが物部尾輿
と中臣鎌子で、異国の蕃神として退けることを主張。
しかし、蘇我稲目は生身の如来様であるこの尊像を信受することを奏上。
それから疫病などが流行し、本尊を受けれいたせいだとされ、難波に放置されていたものだったそう。
本田善光は、この仏像を長野の飯田に持ち帰えり、寺を建立し現在に至る。

(善光寺縁起より)

ちなみに、オチは、阿智や恩智と書く。
安曇氏の阿智、アマツミ、海人の転訛といわれます。
安曇の阿と阿部の阿は同じ。元は別の氏族だったのが同族となったこともあり得ます。
熱日高彦神社を奉納したのは、物部氏だと思います。
香取神社と同じ祭日で、フツヌシを祀る。

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さて、ここからまだ続くのですが、長くなるので次回に。

ところで、ククリヒメのククリはククルともいった。
私は、ククルカンに似ていると思うのです。
マヤ文明のククルカンは、(白い)羽をもった竜で、
マヤのピラミッドも9段で、マヤでは9が地下の黄泉をあらわす。
ピラミッドの地下は、9、地上は10。
日本では10や100は神の領域なので、人間界は9や99で留まる。
天と地の仲介をしていた人が、ククリヒメというシャーマンだった。
神話では、イザナミとイザナギの仲介にあたり、死と生の間をとりもつ存在。
ピラミッドが魂の再生と思われているのは、六角形にあると思います。

妄想するに、世界の話に99段の階段や建物の建築の際に、
鶏が鳴いて朝になってしまったから最後まで完成できなかった話は、
ピラミッドの未完成のことだと思うのです。蘇ったら困るという話。
「蘇る」は、「黄泉から帰る」のだから、黄泉から目覚めたら困るのを阻止しているのは、
日本では、ククリヒメの役目なんでしょうか?

黄泉国が地上の人にとって都合が悪いのは、人間は何度も生まれ変わりをしているのだから、
その人生の集大成に今はきています。
それに気付かれたら、世の中が「ひっくり返る」。地球の磁場がひっくり返るくらいの大きな転換。
要するに、黄泉国とは、地下にあるが天上にあった美しい世界だった。
今の世の中が、中ツ国?で落ちてきた世界であると私は思います。


(白山信仰の斗蔵神社)


(斗蔵神社:えんころ節の発祥)

666の数字にも関係すると思うのですが、
正三角形を6枚つくると、正六角形になる。
蜂の巣や雪の結晶など、バランスのよい形になるのが命の形。
6の復活は六芒星にも繋がる。
悪いものではなく、多種の民族が共存して生きていることを誓う意味もあり、
調和のとれた世界観がある。
上向きの三角と、下向きの三角も男女や陰陽を現し、その調和を整えるのがククリヒメだと思います。
その白山信仰は、日本海と埼玉県に多く信仰されています。
埼玉に多いのは、武蔵国のさきたま古墳に関係し、秩父彦にも繋がるかもしれない。
渡来人である新羅にも関係するような話。



がらりと話は変わって、角田には宇宙開発センターなるものがあり、JAXAがある。
私は、このようなモノも、古代と繋がっている気がするんですよね。
角田が宇宙開発の地になっているところ、鹿島と似ている。
鹿島にも宇宙通信研究センターなるものがあり、そういうのが似ている。
ずっと前に行った鹿島神宮の帰り、バスの中で海側に大きな工場や大きなアンテナなどが立っている風景
に、何かフツフツと感じることがありました。
もののふは、宇宙をみていたのかな~。





ということで、ついでにコスモハウスへ。
こんな巨大なモノが宇宙に浮遊しているのは、正直気持ちが悪い。
とか言いつつ、生活の中で、ネットではグーグルマップを活用している。
ドライブでも通信衛星はかかせない。じゃないと道に迷う。
こんな膨大な予算をかけても、たった1%ちょっとくらいしか宇宙を知らないという私たち。
そういうのを物質文明に執着しているという。
科学には限界があるのだけれど、人間はエゴだからやめられない。
こんなことを言ったら宇宙開発をしている人に申し訳ないが、残念ながら庶民はそう思っている。


(衛星の心臓部:エンジン)

それにこういう宇宙開発に、ほとんどの人が興味を持たないが、
UFOや都市伝説には、ほとんどの人が興味をもつ。
結局は、精神世界や宗教に頼る。
宇宙は、精神世界だと50%くらいは謎解きができるけど、この世は物質的なモノに塞がれているから、
精神世界だと常にスル―される。本当は知っているのにね。見て見ぬふり。



ここは展望もあるので、360度、伊具の古代史が妄想できます。
角田は何かと面白い場所だな~と思いました。
次も、武蔵との関係も絡めて、もうちょっと伊具の古代史を妄想してみたい。

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アラハバキ大神の巨石

2015-11-26 | 洞窟・巨石探訪
舞草神社から丹内山神社を直線で結ぶと、近くにエミシ征伐の話に関係していそうな寺社が並んでいる。
①観音山(舞草神社)②音羽山③虚空蔵山④黒石寺⑤丹内山神社
金星と牛が隠れている気がしますが、偶然にしても、追いかけるしつこさ…
アトランティスとムーの関係もあるのかな?と。
牛と金星などはアトランティスみたいな感じがします。
龍は別次元の話ですけど、三次元にしたら龍は中国に出てくるような鱗の龍ですが、
レムリアかムーの沈んだ大陸の象徴が龍になっているので、
これらもみんな地上に落ちてきたから、これから何かが良い方向に流れるといいんですけど。





①この前行った舞草神社(イザナミ・ウカノミタマを祀る)なぜかイザナミだけ。
②音羽山も京都の話では、清水寺と坂上田村麻呂の伝説があり牛王山とか牛尾観音とよばれている。
③虚空蔵菩薩は、「明の明神」の化身なので金星。
④黒石寺は元は妙見信仰。牛頭天王の厄病祓いのお祭りで有名な蘇民祭りはここが発祥。
⑤アラハバキ大石を祀る丹内山神社。

また、この道を歩くとなるなら、私はチベット仏教のようなヒマラヤと似ているような。
歩くことが供養となり、前世への誓いとなるような道である。。。

観音菩薩・・・ポータラカ(補陀落)。十一面観音の化身(チベット仏教では)
音羽山清水寺・・・千手十一面観音が御本尊。
虚空蔵菩薩・・・「虚空の母胎」の意。「空」やエーテル体。
黒石寺・・・本尊は薬師如来。

話がそれますが、
アーリア人は、神智学ではアトランティスの末裔と言われる。
ナチスのヒトラーは、その血統を受け継ぐゲルマン人こそ正統なアーリア人だから、
アーリア人しか認めない。という考え方になったそうだ。
そんな話があるのか?って感じですが、その後、北極だか南極だかへ科学者と消えたという都市伝説もある・・・。
子供の時にホームステイに来たドイツ人が、正統なゲルマン人でした。
アジア人と体格が似ていて胴長短足です…。

アトランティスの話は、プラトンが書き記したもので、人伝えに聞いた話だから、
これは重要なことではないか?と信じたわけです。
本当は平和な島だったのが、だんだん欲深くなり他の島も植民するように争いごとを始めたことで、
神が怒り島が沈んだという話。

それに対して日本含めたアジアは、ムー大陸があったと主張した?
日本人がムー大陸の祖先であると。ネイティブアメリカンも同様。
太陽信仰で縄文のルーツとも言われるようになった。


※無人駅の晴山駅

このへんが、ドイツのアトランティス論に対抗するような感じもする。
もうひとつ、私がしつこく言ってるレムリアというのもある。
オカルト系といわれて片付けられてますが、隔離分離といってマダガスカル島にいる
猿と遠く離れたインドにも同種の猿がいることから、昔、インド洋に大陸があったとの説。
これがムー大陸と同じものと言われます。
これは、アトランティスも同じで、エジプトのピラミッドと同じものが、
遠く離れた南米のインカ文明やメキシコにもピラミッドが残されているのは、隔離分離が起こったとされた。
要するに、近隣には同じものが残されていないのに、
遠く離れた場所に同じものがあるのは、元は陸続きであったのが、離れて分離して残ったと考えられています。
大陸が一つだったのは、一つの言語を話していたからだと思います。人々の間で分裂が起こり、大陸も分離していったのだと…


※猿ケ石川

実際、沈んだ島が見つかるはずはないけれど。

今は、UFOや不思議映像などがテレビ番組で流行していますが、今に始まったわけではなく。
たまに見ちゃうけど。
アトランティスとムーの話が流行したように、時代の転換期にくると、
人は違う世界を見たくなるもの。
多分、失った経験(ノアの大洪水)があるから不安になり、そこに回帰しようとする潜在意識が働くのだと思う。
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さて、岩手県では最強だと思っていた巨石のアラハバキ。
遠野の続石とは違って緊張する。
調べてみたら晴山駅から約3.4km。徒歩40分くらい。


※まほろばの郷だ~。

十分歩ける範囲にあった。
今までの最高は、登山以外で片道8km歩いたことがあるので楽勝♪



そしてここでもラッキーでした。
天気悪いし雨が今にも降りそうなどんより日。
まあ雨を覚悟で来ましたけど、晴れてくれました。





丹内山神社と藤原秀衡の由来について看板より。
当社権現の御神徳は、日ごと月ごとに霊験あらたかで、
1096年頃、当時の官僚藤原秀衡の信仰浅からぬものがあり、
耕地24町を神領として、また山内に御堂百八か所を建立し、
百八体の仏像を安置したと伝えられております。
藤原秀衡は隣の郡である江刺の餅田の館に居りましたので、
距離も遠くなかったことから、毎年の例祭には清衡自身みずから奉幣して、
祭りを司っていたと言われています。
その後、1384年~1571年にかけて、小原氏、平清義、時義、義清等によって
御堂・大聖寺権現堂、観音堂を再興したと史料に記されています。




この神社の創建は801年、この地を開拓したタニチヒコの神を祀ったといわれる。
社殿の裏にある長さ15mの大石は胎内石といわれ、空洞の壁面に触れずにくぐり抜けると安産するといわれている。
タニチヒコとは、単に丹内をタニチと呼んだだけらしい。
あまり意味がないようですが、いろいろな説ではセオリツヒメを祀るという話。



十一面観音様だから?
ん~、東和町には大きな毘沙門天がある。関係しているかわかりませんが。



なので、この大神を祀っていた氏神は、物部氏でしょう。
要するに、ここも巫女が祈祷していた場所だったわけです。

その昔、社前で朝、敵降伏を祈るために鏑矢を射るひきめの神事が行われていた。
矢が雁俣の田に落ちたので雁俣村と名付けられ、矢が落ちた田には塚が建てられた。
雁俣はいつかなまって「苅松田」とよばれているという。
9世紀初頭に建てられた社は、物部氏、安倍一族、奥州藤原氏と深い関係をもちながら、
現在に至っている。

これまでの歴史は対中央という視点だった。物部氏も蘇我氏に敗退してから
ひっそりとしていたのでしょう。最近、物部氏の墓も注目されているという。
※岩手の伝説を歩く:岩手日報





※巨大杉!

物部氏のお墓は、天理(奈良)未知の石室が発見され、物部氏の墓ではないか?
と話題をよんでいます。
詳細はこっち。
http://www.asahi.com/articles/ASH4W6HXRH4WPOMB017.html

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早池峰神社と同じように、入口の手前には駒形神社がありました。
神社に着いたらとうとう雨が降ってきた。
でも、本社をお参りした後、青空がみえて晴れてきたんですね。光があるって有難いです。
昔の人も、歩いて山里を超えていたのですから、雨より晴れてくれた方が助かる。



タイミングよい神社でのこういった自然現象には、自分自身の投影が働いていると私は思います。





常にそれを望んでいれば、ちゃんとカミは返してくれるもの。
気づかないとずっと何もないと思ってしまう。
鏡(カミ)とはそういうことだと思います。
なぜそこに神を祀るのかは、自身の内を観るための鏡と向き合うためにあると思っています。



だから、青空や太陽が顔を出す。
それは、私が常にそうありたいと願っているからです。
と考えると、丹内山神社は、本当の鏡をもっている神社なのかもしれない。



それを見せてくれた巨石が、岩鏡だったと、そう思いたい。
「苔むすまで」長~い長い時間、呼吸をしているみたいです。




※どれだけ大きいか、折りたたみ傘を置いてみたのですが・・・。

ただ、やっぱり残念というか、悲しいものもあります。
決して特別なことでもなく何も不思議なことでもない。
でも、人が神といって政り上げることが苦痛だったのでしょう。
そんな巫女がいたような気もしてくるから不思議です。

人はみんな、その内に宿す光を見ることはできると。
たとえ雨が降っていようと。
一時ですが。
昔、それを見せる場所だったのを、良いと思わない人々の祈祷があったような気もします。
封じるという言葉はどうかと思うのですが、そうならないようにマイナス感情が働く世の中になったのは、
プラスに働く要素をすべて取り除かれてしまったような出来事があったと妄想してしまう。



とかなんとか言っちゃってますけど、晴れてくれたから良かったものの、
始めて神社に来て、ゾッとするような怖い雰囲気がありました。
あの橋がね~、渡るのがなんか嫌で。
肌石とか近づけないし。(写真下)。
ちょっと遠くから写真。早池峰神社と書かれた石碑っぽい。



神社境内の池はもっと苦手。
小走りに橋を渡る!
まだこの時は雨だったから、しんみりしてて。
またこの鉄がうねってるような気持ち悪いのがある~。



鉄が溶けた塊が額になっている。産鉄族が好きそうな見せ方?
東和町は鉄がとれた所?
やっぱりこのへんも舞草神社とつながる鉄文化を感じます。



それに境内にも巨石が幾つかあり、裏手の山もゴロゴロ埋まってます。
晴山駅近くにも立石神社があり、ここもイワクラを祀っています。
そしてここにも黒い牛。



丹内山神社の七不思議

・境内の建物につららが下がらない
・境内に竹がはえない
・境内にある肌石に雪が積もらない
・どんな干天でも手水が乾かない。
・わき障子の唐獅子をなめると居眠りしない
・イチョウの葉はどんな強風でも境外に散らない
・祖父杉の幹にキリの木が生えていた。


ここは岩手出身、高橋克彦さんの「火怨 北の耀星アテルイ」の小説の中で、
丹内山神社の巨石の前で若きアテルイが坂上田村麻呂との対戦を決意する舞台となった所だそう。(まだ読んだことないです)

しかーし、神社を後にし、駅に向かう途中は雨と風で靴はびしょ濡れ。
駅までの帰り道は、荒れてました・・・。



晴れたいのか雨を降らせたいのか、どっちか。
まあ、神社にいた間は晴れてくれたので、ラッキーでした。
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舞草神社も丹内山神社も鬼のような牛のようなお面がある。
魔よけであることはわかるのですが、何を伝えているのかはスサノオなのかもしれない。
と、勝手なことを言う。
それが国常立命と関係するかわかりませんが、艮の金神とはスサノオでもあるのでしょうか?

アラハバキという言葉は、東日流外三郡誌で知られました。
アラハバキは、遮光器土偶の姿で描写されます。
「東日流荒吐神」の中の、日、月、木、火、土、金、水神にあたると。
亀ヶ岡遺跡の亀ヶ岡はカムイのことでカムイがカメに転化したと。
なのでここでいうカメはカムイなのだ。
ということは、亀に乗ってくる話とか亀を奉るのは、
アラハバキのハハキである龍=亀を現し、
太陽神であった名残では?
妙見さまは亀の乗り物です。
妙見は星信仰なので、甕星のミカ=カミ。
ミカボシは、カカセオ。
亀は甕だから、妙見さまは亀でなく甕だから。
常陸国には、カカセオがおりました。瀬男セオと書くので、瀬織津姫の男神と私は考えます。
やっぱ、猿ケ石川のそばだし。


※神社から見える東和町の郷

埼玉の氷川神社は客人神を祀っていますが、まろうど神もアラハバキで、
秩父神社群(北斗七星の形に並んでいる)と、比企郡ときがわ町の萩日吉神社で一点で交わり一対一で対応しているとか。
ひっくるめて出雲としていますが、氷川神社も主祭神がスサノオだといわれ、
武蔵も出雲族がいた所だったので、エミシ征伐の対象でした。
そこにはもちろん物部氏もたくさんいた。
縄文人が住んでいた所に出雲族がやってきて、農耕や鉄文化を伝えたと思うのですが、
優秀な鉄の文化も、南と北からの民族がまじりあって、うまれたモノかもしれない。

単純ですが、スサノオはミノタウルスみたいな感じで、
ギリシャの牛みたいな。ミノタウルスも地下に閉じ込められますよね。
元はスサノオも龍だったのを、牛にされたような気がします。
自分の行い(罪?)を自身で祓えと。ヤマタノオロチも別の解釈をしたら、
自分で自分を封じてしまったような話です。

前にも書いたのですが、倒語というのがあり、スサをサスと言ったり、
マリアをエルマと読んだりミカはカミだったり、たくさんあります。
日本書紀にも倒語は書かれていて、呪術の意味で逆さ読みにすることがありました。

ギリシャ神話のミーノス王の牛は、牛のお面を被って祭りをしていた起源にあるそうです。
牛を飛び越えている人の絵図は、ギリシャの遺跡でも見られます。
牛のお面とは、朝鮮のムーダン(武塔神)と同じではないか?
蘇民祭の起源です。ムーダンは女性の巫女。
日本にきて女神だったのに、男神のスサノオにされ、牛頭天王になった。
おそらく、以前は、ハリサイニョという龍神の女神かと。
だから、ルーツはスサノオとは女神でもあったんですね。
いろんな名前になっているのは、外来のモノだからなんでしょうが、
言うならば、全ては母系社会です。

女性性を高める母系社会の精神文明から、
男性社会に変える物質文明にするために日本では、
スサノオという牛の男神をもってきたんだと思います。
それを祀ることで、母系社会は弱くなっていった。

ハリサイニョについては、武甲山で妄想しています。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/ab4154c55ceef1cf3fc68dad66909eb6

結局は、シャーマニズムな思想が邪魔だと…
ムーは母系社会があったと思う。
卑弥呼が関係しているのか?卑弥呼という人物がいたというよりか、
日の巫女で、卑弥呼の太陽(光)という霊体を降ろして、
代々巫女は祈祷を行っていたのだと思います。鏡を用いて。
どんな現象でも照らしてくれる。誰だって明るい方がいい。

おかげで怖かった神社に日が差してくれたので、ホッとしました。



この神社が丹内と言っているのは、子宮の胎内ですから、胎内くぐりは、
巨石群に必ずあります。
なんとかくぐってみた~。
この思想は同じく巨石文明があるケルトのドルイドとも同じ。



アラハバキが土偶から生まれてる由縁は、土から目覚めることだと思います。
それは水ではなく。
水は流すから留まらない。でも土は延々と蓄える。死骸も土になり肥料となる。水より強い。



だからオウゲツヒメの方が神話では重要なんじゃないか、と。土着信仰ですから。
また、スサノオがそれを生み出したことになっている。
東洋の土、西洋の水の融合が土偶です。妄想すぎてますが…
縄文の鉄の民が、アラハバキなんじゃないの?

ちなみに、西洋のオウゲツヒメは、グリーンマンです。これもケルトから。
鼻から口からあらゆる植物を生み出します。
グリーンマンも土着神。



そういえば、「スサノオの到来」の展覧会を見に行ったな~。
それが艮の金神の開きに通じるような気がします。

ところで、これは昭和になって書かれたものですが、
東日流外三郡誌のビッグバンがあります。
「宇宙とはその創誕の前たるや。
ただ暗に在りて固成なる明星とてあらず、無明のなかに雲霞の如き塵の漂ふ無辺界の中に
わづかに固まれる塵魂成りて初めなる宇宙界となりけるより、無尽の塵をその一星に
引き寄せ大ならしめたる動き起これるや、光熱起り、光明無辺の暗を照せり、
これぞ荒覇吐魂とて号く。」


アラハバキは、魂を吐く荒神。
この書物が偽書だといわれても、正しい史書はあるか?といえばそれもない。



仙台への帰路、雨上がりに綺麗な虹が見られました。水沢江刺のあたり。
アテルイとモレのいたところ。
何の心配もないよ。ということで、アラハバキ探訪は、明るい兆しの中で終了で~す。
もう雪降るし、そろそろ白鳥やガンがたくさん戻ってくる頃ですね。
白鳥を何羽か見かけましたが、賑やかな声が聞こえてくる季節になります。

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6の数字と国常立命

2015-11-21 | 日記・エッセイ・コラム
11月に入ってから、666のゾロ目をみかけることが何度かあった。
今は落ち着いたが、買い物した金額が666円とか、
番号札が66番とか6が並ぶ数字を何度かみてしまう。立て続けに。
時間を見る時に、数字のゾロ目は度々みることはあっても、
さすがに666はないので、気になった。

しらべてみたら、ミロクラインも666のことらしい。
北緯36度線にある神社といったら、秩父妙見。
鹿島神宮、秩父神社、武甲山の御嶽神社、諏訪神社など。
そーか、だからか、古御嶽城跡に国常立命の石碑があるのだな。
アラハバキの氷川太神、大神ではなく太神だから。
春日大社も一緒に祀られる。
あんな奥山のセメント工場が建つ落ち着かない所で地元も知らないような場所に、
たくさん神々の石碑があるのは御嶽講の特徴ではあるが、普通の状態ではないと思う。
地元の人たちが信仰していた氏神を置いたという話だが、
まるで、国常立命に参列する神々の姿だ。御嶽は、ウタキだからそう感じる。
国常立命の石碑に向かいあうのが、聖徳太子の石碑。かなり大きく立派。
宇宙会議みたいだね。

ところで、出口王仁三郎さんの大本教によると、666はミロクを表し、
鬼門に封印されているのが国常立命の艮の金神となるそうだ。

国常立命が再び現れる時、体から霊への文明に転換し、ミロクの世が訪れるという話。

666は、天、中、地で天はマイナス1で5。6は中、プラス1で地は7。
なので、567をミロクとするらしい。
確かミロクの世が生まれるのに、567の数字が関係していたと思います。
アイヌや縄文では6は聖数で、三内丸山遺跡の巨大柱は6本です。
神の祭祀を意識して作られた柱と考えられており、縄文のいう神の数は6であるから、
より人間に近い真ん中?の存在が神であった。
中津国の意味もありそうですが、ある説では、天は日、中は水、地は土というのもある。

その神に近くなる人間を許さないものがいて、神が人間に味方にしたことで排除したり、
封じたりした。それが、西洋ではルシファーになる。
ルシファーは堕天使といわれるが、国常立命と似てる感じ。

あんまり宗教くさい話にはしたくないが、人間が神のような崇高な存在になることが
悪いというのがよくわからない。
わからないというのは、その考え方に共感できないという事。

多神教である日本やネパールなどと比べ、一神教はその意識が強いのかもしれない。
生きることそのものが罪であるから、それを持って生きることを人間は課せられたと。
束縛のような世界で生きるから、神になれない人間は懺悔をする。
人間の罪の代わりに背負い、祓いをするのが、水神信仰だと。
もうこのへん、キリスト教。
人間中心に考えたらそうだけど、人だけが生命として生きてるわけではないから、
縄文はそこが違う。そこに戻れる気持ちがどれだけ強いかどうかで、
人生は全く別の世界に導かれる。人間が主体ではないのだから。

そうか、今になってようやく気づいた。というか、明確になった。
この前、主人と三神峯公園に寄った時、懐かしい空気を感じた。
ここは桜の名所で桜の老木がたくさん植えてありますが、それ以外には何もない。
三神峯については何の知識もなかったので、展望は良いですが何もない公園だと思った。
でも度々ふっと感じる懐かしい人恋しくなるような空気。




(三神峯公園)

後で調べてわかった。
ここは、三神峯遺跡といって縄文前期の集落があった所でした。
太白山の麓には縄文遺跡がとても多い。
また主人が、「縄文の森広場」に行ってみたいというので寄ってきたのですが、
思い出すような光景。
はるか昔、長~い間、夫婦ここで暮らしていたのかもしれない。
竪穴式住居に入り、十分住めるね。なんて話をしていることがおかしい。笑。


(縄文の森広場)

私の先祖のルーツ探しは、縄文だった。
仙台と縁があるのは、こういう意味があったのか・・・。
日高見国は縄文のことだった。


(人みたいな桜)
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国常立命などは、縄文人のように人の内にもうひとつの神(自分)が宿ることを訴えていたと思う。
よく緑色に光っている巨木の夢を見るのですが、自然が全てであり、
その恩恵を受けて生きていることを、こんな人工的な世界で生きていても、
その部分は忘れてはいない。
木々を見ているというより、自分もその一部であると気づく。

人間の中に、一人一人に神が宿り、人は慈しむことができるから、「愛しむ」とも書いて、
どちらも「いつくしむ」とよむ。

また、「いとおしむ」とも同じ意味があり、「糸を織しむ」と書く。
機織りは、慈しむ行為から生まれている気がする。
愛おしいは、天使が愛の矢を射ることにつながるのか、「射通す」の「いとほす」から。
それが、なぜか矢は敵を射るものになってしまった。
その思想から間違っているのだが、かわいそうな意味もある「いとほし」も、
慈悲愛があるから、人間は哀れみをもつことができる。

そんな愛情深い存在を、悪として人々から遠ざけているところで、
なぜか今、666の深い意味を知ることになった。

6が並ぶと西洋で悪とするのは、国常立命が目覚めないようにしている裏の仕組みがある。

堕天使も666で表される。
ルシファーは金星。イシュタルという名前も金星の女神。
日本では、明けの明星といわれ、持統天皇が恐れていたことがあった。
鞍馬寺に降臨したのもサナンダ。
これも不思議な金星人。

そろそろ、国常立命が目覚めてくれることを期待したいが、
こればっかりは、一人一人の気づきにかかっていると言う。
しかし、いつまで待たされるんだろう。待ってるだけではダメなんだろうか…
祈りだけで人は救えるものか?
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昔は、アジールがあった。
平泉はアジールであったような説がある。だから、物部氏や坂上田村麻呂、
アテルイもそうで、鍛治集団を作り権力の及ばない地域にしようと考えていたと思う。
大和朝廷は、支配できないアジールが北東北にあったから制圧しようとした、
という考え方もある。
ドイツではアジール(Asyl)のことを、「難民擁護」の意味があり、庇護することを示す。
現代の難民問題、テロ問題。ずっーと前から同じことを繰り返している。
日本刀を作っていた鍛治集団は、北上川を挟んで中尊寺のある平泉を浄土としたのだと思う。
違う視点からみれば。
平泉にはすでに外国人がたくさん入ってきており、多民族国家が形成されていたと思う。
金の交易は、アフリカまで及ぶ。
十三湊など古くからターミナルであったから、安部氏の他都からきた豪族が統治していたと思う。
朝廷にも支配されない自由な宗教も含めた統治を考えたのが、平泉の浄土思想だった。
渡来してきた多種の民族も受け入れるような場所だったのだろう。
国家には属さない平泉の支配権を獲得したかったのが源氏の鎌倉文化でした。

「特定の場所(および時間)がもつ神聖な力への信仰を前提にして、
教会、墓地、温泉、家などが不可侵なAsylとされてきたのでした。
しかし時代が進むに従って歴史的Asylは力を失い、
国境の中ではいかなる所でも均質に法が作用するという法治国家が成立したのでした」

そのときAsylは外国からの難民の庇護として、国家に取り込まれるに至ったわけです。
しかし1980年代に入って、この国家の法制度と違ったAsylがいわば“復活”しています。
それは「Kirchenasyl(教会アジール)」と言って、ドイツにおいて退去強制処分が差し迫った難民を、
キリスト教徒を主とする一般の住民が、教会の敷地内で保護する現象です。
国家のAsylに対して、このKirchenasylは「下からのAsyl」と呼ぶことができるでしょう。
私はこのように多元化する現代のAsylについて、ここしばらくフィールドワークを行なってきましたが、
国家主権、外国人問題、難民と人権、また地域住民のトランスナショナルな役割などについて考察する上で、
きわめて示唆深い研究対象との思いを強くしています。」
引用:Asyl(アジール)とヨーロッパ人類学(小田博志)

アジールについて詳しくはWikipediaを参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB

アテルイの子供が、人首丸といい、大森観音堂に人首丸を丁重に祀ったという話がある。
後で移したそうですが、大森山は種山ケ原の麓にあり、
宮澤賢治の風の又三郎の舞台となったイーハトーブ。
人首丸は鬼と言われて達谷窟堂から北上しながら逃れ、大森山の洞窟に潜んでいたところ、
坂上田村麻呂の女婿の田村阿波守兼光により首を討ち取られた。
鬼と思っていたら、人だったと。
15.6才くらいの美少年だったので、兼光は不憫に思い観音堂に祀ったという。
鬼だと思っていたというのは、どーいう感情でそうなるのかわからないが、どっちが鬼か。

さて、不思議なメッセージは、いろんなことを教えてくれる。そして歩かされる。
足があるのだから、歩けと!?

嬉しいことに、最近、このブログをきっかけに伝説の場所に行ってきました。
というご報告を頂くようになった。
それがなんとも嬉しくありがたい気持ちでいっぱいになります!
こんな勝手なブログを読んで頂き、ありがとうございます。

だから、私も歩く!たまに車だけど…汗。
寂しい里山には、人を待っているモノがいる。そんなに怖いものじゃない。
精霊も人恋しいのだ。

まあ、変な話だけど、解放ということなのかな。
祈りはもう通用しない。
縛りつけているのは、私たちですから。

思い出すのは知人の話で、震災の半年位たった頃、横腹に急に激痛が走ったそうだ。
あまりにも痛みが続くので、師匠と呼ぶ人に相談に行ったら、
龍が噛みついているのが見えると言われたそうな。
知人はヒーラーさんなので、そのような経験をするみたいです。
龍は、福島県の原発付近の神社にいて、今まで人がたくさん来ていたのに、
誰もいなくなったので、どうして良いかわからないと、知人にくいついてきたそうだ。
もうお役目は終わったのだからそのように言うと良いと。
知人もさすがに「?」だったそうですが、
体をいたわるようにそのようにしたら、2.3日後に痛みが消えたそうです。
福島の龍神は自由に宙を舞っているでしょう。

まだ艮の金神は、続きそうです…。

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日本刀発祥の地

2015-11-20 | 東北地方の伝説(岩手県)
また平泉。また来てしまった。
気になっていた舞草神社へ。
舞にイ偏がついた漢字のモクサ神社ですが、奥州平泉にあります。
調べてみたら平泉駅から7kmと十分ママチャリの範囲内にあった!笑。
とーぜん、平泉といったらレンタルサイクル。
いつもの駅側のチャリをレンタルして、のほほんママチャリ日和。


(北上川)


(観音山)

「舞草、白山岳付近に安房という刀鍛冶が住んでいた。
名刀をうつために舞草の神社にお参りしたところ「金と火と水と風の陰陽を合体するようにすればよい。
うしとらの方角に刀を鍛えるのによい湧き水がある」とのお告げを受けた。
その場所で鉄を鍛えたところ、名刀が出来上がったと伝えられる。
ある時、安房を恨むものが襲いかかってきた。安房は一族の者五、六人で防戦していたが、
舞草の神の加護によって三百人もの助太刀が突然現れ、敵を打ち破ることができたという。」


日本刀は陰陽道の造形物だったんですね~。

この神社のことは知っていましたが、行くのは大変だと思っていました。
でも意外にも簡単に行けた(ナビのおかげ)。それにすごい絶景でした。
そういう事では、平泉は何かと呼ばれるトコロかもしれない・・・。
さて、ここは日本刀発祥の舞草刀の聖地。
最近、なんだかいろいろと考えさせられる出来事などがあって、雪が降る前に行っておきたい所がたくさんある。
で、やっぱり磐鞍と今回はククリヒメ。
しかし~歩きの方が楽だとは思う。自転車の坂はきつい。
道なりに進んでも、看板が全くないので、ナビがないと辿りつけません。
ポッケにしのばせていた携帯からのナビの声だけが頼り。
「200m先、左方向です」と言ってくれなければ、延々と一ノ関に戻ってしまいかねない…



14号線を進むと白山神社があります。向かいあうような場所にあるので、
私はここにある白山神社が観音山と関係しているような気がしています。
入り道がわからず遠くから参拝。



看板の説明より「724年大野東人がこの地に勧請し建立したと伝え、白山妙理大権現と称していました。
祭神は、イザナミ命(女神)で火の神、学問の神です。
明治時代になって、大年神、御年神、若年神の三柱の神を合祀しました。農業の神、稲の神です。」
て、ことは男神も何処かに祀られているのでしょうか?

ここで、大野東人の名前が出てくるとは。この方は宮城県北部の加美町あたりから、
西の山形~秋田までの道を築いた人と言われてます。
また、薬師如来を祀る人と考えられます。

縄文時代は1万年近くも狩猟だけの文化を築いていました。世界四大文明はすでに農耕文化があったのですが、
縄文の日本だけが狩猟生活だったわけです。
そこに外国から農耕文化が入ってきて、渡来人は森を切り開き、山里の麓に住んでいたと思われます。
狩猟の生活を糧としていた先住民たちは、山での暮らしを余儀なくされたでしょう。

それにここは、北上川が雄大に流れる日高見国の一部でもある。

大野東人という人が、農耕文化を伝えた開拓の話に発展させるならば、狩猟から農耕文化への転換期であり、
その場所がここにあったわけです。それ以前は女神信仰だったのですから、
かなり古い時代から先住民が住んでいた場所だと思います。
14号線からはずれて左へ。林の道を登っていくと表参道があります。



ここから徒歩で登ることはできるのですが、どのくらい時間がかかるのか予測がつかず。
今回は無難に車道を進む。
しばらく進むと、「観音堂入口」という小さい看板をみつけた。
ここからは急な細い登り道になります。車でも入ることはできますが、対向車きたら厳しい。
でもそのまま先へすすむと広い道に出て、民家らしき家が遠くに見える。
さすがに自転車を転がしてはきつい坂なので、チャリを置いて歩いていきました。



ここからは徒歩10分くらいで神社に到着します。(林の中)
神社前に広い駐車場があるので車で行けるとは思うのですが、他のルートがあるかもしれません。





このへんから大きな石が埋まっています。
ところで、神社へ行く途中に「仁王像」がありました。看板が汚れていて読めない…





「この山は舞草山といっていたが、今は観音山という・・・」
「坂上田村麻呂が・・・で、吉祥山東城寺と称した。
修験の場所でもあったのですが、多くの武器を必要とする安倍氏や藤原氏などが控えており、
鉄落山からは刀の原料として優秀な鉄鋼を産出したので、修験者たちは日本刀の原型といえる刀を制作。
900年くらい前に安部氏の名前がいろいろ・・・」読めない。

まあ、貴重な場所ってことで参拝。



日本刀発祥の舞草神社----------------------------------------------------

平泉が世界遺産になっても舞草神社は含まれていません。
おそらく、製鉄跡や遺物は見つかっていますが、時代の特定ができない為、何とも言えないからだと思います。
観光客はまず北上川を超えて反対側へはあまり来ないですね。
でも、束稲山などの山ばかりを見ていましたが、こちらからみる景色も素晴らしい。
実際、行ってみると本当にここで産鉄族が集まって大きな製鉄跡があったとは想像できない…



このあたりも物部氏が関係していると思います。平泉にもハウシワケ神社(配志別神社)があるので。
ちなみにハウシワケ神社は秋田の保呂羽山にあります。
縄文時代からある聖地なのですが、こういう所に物部氏はやってきます。



刀は武士の魂が宿る、なんてことも言われていますが、古くは儀式として用いられたものなので、
天皇へ献上する刀の中で、舞草刀はベスト5に入ります。
日本の製鉄錬は、早い時期に行われていたそうです。
鉄は大陸から入ってきて、北海道~日本中央へ伝わりました。
縄文晩期といわれる蕨手刀が日本刀のルーツといわれ、九州まで伝播され、
その鍛治集団のいた所が舞草神社のあるあたり。今は白山岳か観音山とよばれています。
元は、白山信仰のククリヒメを祀っていた山でした。
なぜここで刀が作られたか?





バナジウム--------------------------------------------------------------------

舞草刀の特徴は、以前の直刀ではなく「反り」のある少し湾曲した刀を生み出した。
そのような反りを実現できたのが、おそらく、バナジウムという物質を含んでたいたことにあるでしょう。
白山岳はバナジウムを含む山とわかっています。
反りのある刀を生み出したのは、馬に乗っても斬れるように。
騎馬民族らしい理由ですが、残酷な話です。
だから直刀は祭祀用具であったわけです。鹿島神宮の直刀とか。

バナジウムは灰色の金属で主な産地は、南アフリカ、中国、ロシア、アメリカで90%以上も占める。
金属としては柔らかいので、鉄にバナジウムを含めると、やわらかくなるため、しなやかな形にできるそうです。
鍛治集団は、元素などあらゆる物質界の知識をもっていた人たちでした。
バナジウムが白山岳に含まれていることを知ったのは偶然ではなく、大陸で鉄の知識をもっていたから、
バナジウムを発見でき、黄金の平泉が実現できたわけです。
また、ククリヒメ信仰は水信仰にあります。
富士山の湧水には多くのバナジウムを含み、血糖値を下げサラサラ血になることで、健康にも非常によい水です。



日高見の時代:河北新報より引用します。
「奈良時代6,7世紀頃、日本刀に特有の「反り」は、直刀に比べて進歩した形で、これを創始したのは舞草鍛治。
この祖先は中国からやってきた。
北九州に上陸し、鉱物資源を求め、日本海水軍で奥羽に入る。
修験道のネットワークと結びつき、冶金族は山岳地帯を網羅する修験のネットワークを使い、資源探査をしていた。
最も高度な鍛治技術を必要とする日本刀は、「火と鉄の芸術品」とよばれ、古代奥州には優れた鍛治集団がいたのですが、
その代表が、舞草刀工団と月山一帯の月山鍛治である。
金色堂の内陣を飾るクジャクの彫り物は、銅板で作っている極めて純度の高い素材が用いられており、
通常は不純物として銅に含まれている。鉛が全く検出されなかったという」


また、舞草刀は後の「政宗」という名前の名刀になっていくのですが、千年前の刀鍛冶の部落から誕生したものだったので、
彼らは「俘囚」だったわけです。
朝廷に召されて京都周辺に定着していた人の名前は「保昌(ほしゅう)」一派といい、俘囚(ふしゅう)から由来している。
※一関博物館に、舞草刀が展示されています。



また、歴史書では鉄の技術をエミシに伝えるために、坂上田村麻呂などが京へ俘囚たちを派遣していたと言いますが、
それは逆で、エミシたち鍛治集団が京へ鉄技術を伝授していたと思います。
また、鬼の名前を名工にする人も多い。
皇室御物の「鬼丸~」という名前があるのは、奥州鍛治鬼丸といわれる名刀だそう。



阿吽が鬼みたいな牛みたいな。
初めてみたんだけど、これ何?蛙の後ろ姿みたいな・・・ちょっと気持ち悪い。



で門をくぐってまわってみると、これまた不思議なモノ…



アラハバキがもたらした鉄-----------------------------------------------------------

さて、妄想するに、こんなに優れた鉄をもたらした人々は、どんな人だったのか?
男根信仰など縄文的要素をもった信仰は、北東北中心にあります。
青森県の「日本中央の碑」も、優秀な鍛治集団がいたからこそ、人がたくさん集まってきたような場所だったと思うのです。
三内丸山遺跡の巨大集落があるように、1万年以上も維持できた独特の狩猟文化をもつ人々の自然に対する認識は、
私たちよりもはるかに優れたものでした。
その人たちは、鉄を生み出していた可能性もあります。
群馬県妙義山の縄文後期~晩期には、石棒祭祀が発掘され、同じ場所から多種の石が発掘されました。
その中に、鉄鉱石を奉納しているものがあり、縄文人により鉄鉱石が集められていたそうです。

不純物が少ない鋼は世界に伝播し、青銅器技術を受け継ぎ、鋳鉄から始まる。
BC13頃に伝わるインドでは、ダマスカス剣がある。
日本にはBC4世紀、縄文晩期頃に伝わったといわれます。最古の鍛治跡は、九州で見つかっているので、
九州~中央~東北の説もありますが、湾曲した日本刀の発祥は、奥州なので、それ以前は九州に巨大鍛治集団があったと思います。

鉄は隕鉄から始まり、古代ヒッタイトが鉄をもたらしたと言われる。
しかし、最近の研究でわかったことは、「ヒッタイトは鉄をもたらした民族ではなかった」
という衝撃的な話。鉄を生み出したのがヒッタイトという王国であったと歴史で勉強しましたが、
どうもその先に住んでいた人々がいたと… でも、なぜか地下に住んでいた。

アラハバキの由来とも言われるヒッタイトの鉄を意味するハパルキは、アナトリア地方(ハットゥシャ)にヒッタイト王国がありました。
その周辺の遺跡から最近、巨大地下空洞が見つかり、そこに居住していた民族がいたと考えられている。
後にヒッタイト人がやってきて、鉄を利用したと考えられ、先に地下に住んでいた謎の人たちが、隕鉄を利用していた可能性が高いという。
ヒッタイト王ハットゥシャ3世が、エジプト王ラメス二世にあてた粘土板には、
「キズワトナの私の倉庫には、今は良質の鉄がありません。私は今、彼らに良質の鉄を造るように命じました。
彼らがそれを造りあげたら、あなたにお送りしましょう。」


「彼ら」とは誰だろう・・・。
キズワトナは、BC25世紀、フルリ人という人が住んでいて、コーカサス山脈が故郷にある人々といわれる。
北部から移住してきたそうで、ミタンニ王国とよばれます。が、直接、鉄と関係しているか不明です。
ヒッタイトは獅子を門に置くので、獅子が日本に再び戻り、狼や狛犬に変化したものだと思う。


(ハットゥシャの獅子門:by Wikipedia)

また、現在、カルホユック遺跡を調査しているのは日本人です。
この方の成果によって、地下居住跡が発見され、ヒッタイト人ではない先住民により鉄が造られたことを発見したわけです。
これはトルコ政府が日本を信頼している事もありますが、アメリカなどの他国に発掘調査を依頼しなかった理由は、
日本人が丁寧に発掘調査をするから。日本人は、生活で使用していた土器でさえも丁重に扱うと。当たり前なんですが、
他国は、発掘の際、必要ないと思うものは排除してしまう。生活用具とか捨てる場合もあると…。
おそらく、欧米や中国の四大文明は、農耕を行ってきたので、農耕ではなく狩猟生活をしていた縄文人のような
先住民を愚かな者(知識がない)や未開としてみる傾向があるからだと思います。
アメリカ人もそんなことを言っておりましたが、日本の縄文文化がだんだん世界に認められる日が来ると思います。
その点、絵図や文字については欧米人はよく見ます。
「情報」をみている外国に対し、日本人は「道具」を見ていると思います。
そこに重要なモノが隠されている直感を見出すことができるのが日本人なのです。
世界中の先史時代の遺跡発掘調査には、日本人が多いです。


(この先の道をいくとイワクラがあります)

その遺跡に定住していた人たちが日本へ渡り、舞草刀を残してくれたと考えるなら、
それを受け継ぐ者たちを「アラハバキ」と呼んでいたかもしれない?
それはまた女神信仰である。
そんな妄想をしてしまうほど、果てしない大地が広がっていました。



絶景のイワクラ---------------------------------------------------------------------

最後に、ラッキーだった話。
景色がよい岩場があるとネットで知って、そこを見てから帰ろうと思っていました。でもやっぱり場所がわからない。
展望がよい場所といったら裏手の高い山まで登ると思ってしまうのですが、もちろん誰もいないので聞ける人がいない。
さすがにネットでもそこまでの道順は書いてない。また来ればいいか、とあきらめて帰ろうとしたら、車が一台入ってきた。
誰もいないこんな神社によく来るな、と。(ジブンもな)
車から降りてきた方は、高齢の男性の方。先に声をかけられ仙台から来たと答えたが、
車のナンバーが岩手だったので、「地元の方ですか?」と聞いたら、「私はここの管理してます」と。
おー、なんと!
タイミングよすぎ!!
「展望のよい岩場ってどこですか?!」もう興奮気味に聞く。
教えてもらったら、全然わかんない場所にあった。



しかもちょっと下りたところに。
西参道という看板先に鉄塔がありますが、そこを下ったところです。
行ってみたらすごかった~。





岩場に囲まれて絶景を堪能。
ぜいたくなっ!
自分で言うのもなんだけど、本当に導かれて来ているのだな、と実感してしまう。それにこの景色。感動しました。





「夏草や 兵どもが 夢の跡~」
今では新幹線が田園を突っ切って走る。
でも豊かだと思う平泉。あっちは黄金文化。でもこっちは刀文化。
その中間に稲が実り北上川が流れる。こんな良い場所は、ほおっておけない。先祖はいつもよい場所を知っている。
敵が見つけやすい見張り台の意味もありますが、平和な気持ちで見ないと、その土地は良くなっていかないと思う。





気持ちよかった~~。

岩場から戻ってくる時に、管理のおじいさんが心配して(まあ、女の人が一人でここまで来るって普通ではないもんな…)
「よくひとりで来たね。どうやってここまで来たのか?」と。
下まで車で送ってくれると言ってくれたのですが、なんせ、ママチャリを借りてますから~。
返却せねばならない…
レンタルチャリできたことを伝え、親切なおじいさんとはお別れ。
下に置いてきたチャリまで戻り、帰りはあっという間に平泉駅までついてしまいました。

ところで、この探訪はまだ終わらない感じ。
なぜ、舞草神社に行きたくなったか。
これがまだ他の場所へ続きそうです。
それは、11月に入ってから何度か「666」の数字を見かけていた。
これってどういうことでしょう?
どうも関係しているように思えてきた。
続く。



まだアジサイが咲いていましたよ~。



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トンパ創世記物語

2015-11-14 | 神話・伝説
昔、宇宙はただ一つの卵でした。
天体もなく万物もなく、生命もありませんでした。
天地の境もわからず、太陽も月も見えません。
風雨が吹き荒れ、川・海などが混在し、すべてが混乱に陥っていました。
ここに一つの力が宇宙の中に生じ、時機を待っていました。
ある時、ついに卵がその力のために裂け、白身と黄身は茫々として果てしない宇宙へ
まき散らされました。
そして瞬く間に空には無数の星が煌めきました。

しかし、まだ太陽と月は秩序なく昇ったり沈んだりして世の中は混乱の中にありました。
そこへ新しい天地を創造するために天の父が現れ、鋭い斧で天を割りました。
すると、光が滝のように世界へ流れ出し、太陽も月も星も空も上りました。
そして地の母は、鋭い剣で大地を割りました。
岩が裂けて水がざがざがと湧き、沢山の川が合流して飛ぶように海へ流れていきました。
田畑は潤い、月の太陽が秩序正しく昇ったり沈んだりして、世界は新たな姿を現しました。

天地ができた後、天の父と地の母の子孫が結婚しました。
小鳥が花環をくわえて飛んできました。
人々が太鼓をうち、歌を歌い、踊りました。
花の香りが空一面にみなぎります。鳥は空に舞い、鶴がこの吉報を持って
遠いところへ飛んでいきました。
生きているものすべてが、二人を祝福しました。
これから後、人間や動物達の秩序ある生活が始まりました。



(by Wikipedia)
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なぜかトンパ。
私は大学が史学科で、東洋史を学んでいた友人から、トンパ文字のハガキをもらった事があった。
面白い文字が中国にはあるんだな~と思っていました。
トンパ文字など目にすることないけれど、豊かな自然の中で暮らしている人の文字と考えれば、
自分流に色を染めてみたくなった。(色は勝手に塗ってます)

でもこの文字は、一般に使われることはなく、祭祀の時に使うもの。
生きた象形文字と言われ、ユネスコ記憶遺産に登録されています。
その数は2000に及ぶそうですが、なかなか興味深い文字なんです。
また、その話を聞いて書く人により、絵文字というのは想像力が膨らみますから、
同じ話をきいても、トンパ文字に書き起こすと書く人により異なる絵文字が生まれ、
それが一つの大きなキャンパスとなる。
それがトンパ文字の特徴だと思うので、私は芸術として読んでしまいます。


ナシ族(トンパ文字)

トンパとは、中国雲南省ナシ族に伝わる文字。
祭司を行う人をトンパといい、母系社会の自然崇拝があります。
なので、女性を「大」、男性は「小」で表される。
一部の地域でも母系社会が残っています。


(女神)


左も女神の文字ですが、蛇のような尾がついている。右:薬草。

山はナシ族の聖なる山、玉龍雪山が由来だそうです。
山にも足をつけると「麓」の意味ですが、生命力を表します。


ナシ族も生殖崇拝なので、山に足がつくと強い生命力といった解釈になるそうです。

(やまびこ)
口があいたような形に、にょろ~と線がでているのは、発声と表現される。
左にいるのは鷹のような鳥。
この山は岩を現わし、山は下の図のように基本的に三角形。

「高い山に登らなければ鹿の声は聞こえない」
奥を極めないと見えないものも見えなくなってしまうという意味。
例えるならば、こんな感じのトンパ文字になる↓


トンパでも鹿が聖なる山に鎮座すると考えられていたようです。
※ウ冠みたいのが天を現わす。旗がつく山は高山。旗は良い印となっているのか、恋人同士にも人に旗をもたせます。
目から線がでているのは見ていること。左は耳を現わす。角がある動物が鹿。蓮のような花は福をよぶ意味。
渦巻きのような模様は招く意味があるそうです。
点々があればあるほど、たくさん、という意味。

また、トンパは知者という智慧の意味があります。
どのような経緯でトンパ文字が伝わったのかまだ不明なところが多いです。
トンパ文字を「スンチュルチュー」といい、直訳すると「石と木に刻まれた痕跡」となり、
大自然そのままを写しであることを表しています。


(秋:大地に実る秋の稲穂に、月が関係している。)
どうも、トンパは月神を信仰していたようで、月の暦をみていたと思います。
7は1の事で、「3」という数字が聖数とされるようです。それに星も3ツ星で表す。
仙台人は77を見ると、七十七銀行だと思ってしまう・・・。(笑)

トンパ文字の由来--------------------------------

「大昔、ある人が自然を見たままいろいろな文字を書いた。
男と女がそれを見たが、(意味はわかっても)読み方がわからなかった。
そこへトンパが現れ、読み始めた。トンパは記録のためにお経を書いて残した。
それが今に残るトンパ文字である」


ナシ族の原始宗教、チベット仏教、道教からの影響を受けてそれに基づいた色があり、やはり五色です。
人の形を描いて色をぬると、
白=人、黒=悪い人、赤=良い人、青=温厚な人、黄=金持ちの意味になります。
鳥の場合は、黄=ひな、青=雄、赤=雌といったように。
トンパ達が儀式の時に着用する帽子も、「五佛冠」といってこれも元は五色の人種のルーツがあると思うのです。

五色の人種とは、地球人類の各祖神を奉る意味がある。
黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)
赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト
青人  北欧、スラブ
白人(オリンピックの旗では緑)  ヨーロッパ全般
黒(紫)人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)
日本では幣立神社(阿蘇)の五色神祭りがありますが、
正式には、赤、白、黄、黒、青、の順で中央に黄色を奉る。


(神の踊り)

で、他にも興味深いトンパ文字のほんの一例を。

動く様子には、足を描く。
太陽は公転しているから歩く太陽になる。
また、太陽は車輪のように回転するものと考えられていた?


(太陽と光)

天は、漢字のウ冠にも似てる。
天は、地上と宇宙全体を覆う意味があり、屋根は日本でも「アマノコヤネ」といった
天の屋根みたいな名前が神話に登場しますが、屋根は天のこともあります。
古代の漢字でも、天の上に「―」棒がのる形が神となる。


魂を意味する文字は、蓮のようです。
月マークがあるのが魂の意味で、右は「幸福」の意味。

全部は紹介できないですが、植物や木々が豊なんです。
豊富にあるんですね~。

※「トンパ文字伝説」王超鷹(著)より参考にしました。
この本はCD-ROM付きなので、トンパ文字が収録されているのですよ!
来年のカレンダーはトンパ文字で作ってみようかな~♪


玉龍雪山(by Wikipedia)
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サヘノ神

2015-11-11 | 日記・エッセイ・コラム
笠島に道祖神があり、佐倍乃神社と書く。
松尾芭蕉の奥の細道行脚で
「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ。
名取市愛島(めでしま)笠島と、島が二つ付く地名の場所に鎮座する。



祭神は、サルタヒコ神とアメノウズメで、猿田彦が天孫降臨の道案内をしたから、
道祖神には、猿田彦神を奉ることが多い。
この神社では、出雲流道祖神神楽が奉納されています。



ただ、これがちょっと複雑。
社が火災にあった時に、小祠を発見。それが、佐具叡神社というのでした。
「さぐのえ」と読むらしい。
それで佐倍乃神社と一緒に祀るようになったらしい。



合祀前は、実方のお墓のある北側にあったという。
佐具叡神社のご祭神は、高皇産霊(たかみむすび)だそうです。
天孫系の神らしいので、猿田彦神が道案内した話と一致するようですが…。


小さい祠ですが、実は、こっちの方が重要だったりして。
春日神社に高皇産霊が祀られていますが、豊櫛弓削遠祖高魂産霊命(とよくしゆげのとうそたかみむすびのみこと)
という長~い名前で、二ギハヤヒ伝承地ともいわれます。
覚えられないね・・・。



まあ、このあたりは熊野三山の信仰が伝わっているので、熊野っぽい。
神話での神武天皇で、熊野から大和に侵攻する話を、ここでも伝承しているものかもしれない。

このすぐ北方には、実方中将のお墓があります。
前回名取探訪でも書きましたが、藤原実方は、佐倍乃神社の前で落馬して亡くなった伝承もある。

馬から落ちる話が多いのは、駒形神からの由来もありそうです。
馬には神が乗っていると。
秩父夜祭りでも馬には神が乗っているので、秩父市内を練り歩く。
馬の産地であったエミシ馬の話も東北ではありそうですが、
坂上田村麻呂、源頼朝、藤原氏(奥州)の駒形信仰を崇拝している話がある。

駒形が高句麗のコマから来ているとの説もあるが、
駒形を祀ることに腹を立てたエミシがいるなら、
元は新羅人が百済や高句麗人に対する反発もあると思う。

また、唐桑という地名があるように、高句麗がカラからコマに転じた説もあり、
カラ語?が日本に渡り農業を発展させた話もある。
カラには深い意味があるのかわからないが、駒形はカラからもたらされたと考えると、
弥生時代の到来にあたり狩猟の縄文から農耕の弥生への転換の歴史もある気がする。

埼玉県にある高麗神社は、元は原始信仰があったところに建てられている。
狩猟の民から農耕の民へ。
だんだんと境界を北上させ、駒形神を置いてきた渡来人の信仰があったと思います。
境界の塞神から由来していることもあるのでしょうが、
何のために、塞ぐ意味があるのだろう・・・。

なので、さへ神も元は原始信仰があったものだと思う。
また、アメノウズメの裸体で踊る神話が下品と言ったことで、
罰が当たって落馬したという話もある。



原始信仰の原点には、生殖器崇拝がある。
男根信仰といったコンセイサマは、早池峰神社でも祀られていた。
人間そのものを神格化することは世界中にある。
------------------------------------------------

ところで、勝手な妄想ですが、壱岐島と似ている信仰が東北の伊具郡にあり、
手長神が祀られているなど、地名も似てます。
イキからイクに変わるのが、単なる訛りではなく言霊のような気もします。
黒川郡のユキ、スギルのユキ神社、スキ神社とか。ユでなくイかもしれないが。
タリシヒコのタリや、イシュタルのタル。
タラ、タリ、タルになり樽に変化したとか?
シュメール語っぽいけど。

例えば、このカラ国?のカラが言霊のカラで説明できるなら、
カ行は月の陰、ラ行は日、太陽を表す陽の音だと、詳しい知人から聞いたので、それも関係していると思うのです。
言霊の原理はわかりませんが、日本語の五十音が「音」になっていることを考えれば、
「気になる響き」があるという事は、地名や神名に言霊の響きが隠されているからだと思います。

今は太陽信仰なのですが、それ以前は月信仰でした。
「カ」キクケコは陰。
「ラ」リルレロは陽。

面白いのは、アから始まった創生が、今はラ行に入っているという。
だから今は太陽信仰なんだって。
五十音図はンで終わるから、次のワ行を過ぎると終わり…?
アワ歌みたいに。



他にも秋田物部文書を参考にすると、物部氏は「ノル(宣る)」と「ノレ(宣れ)」を区別していたようだ。
当時の物部氏の祝詞は、巫女が神からの啓示を受ける時を、ノルと言い、藤原氏に奉納する。
ノレの部分で、天神から受けたヒフミ誦を天津神に代わって参列する官人に向けて宣だす。
それが終わると、藤原氏は「かく宣らば」と言い天神に返す。
天から受けたモノを参列者に対して下す。それをまた天に返すような流れらしい。


(母が子を抱いているような姿。観音菩薩?みたいです。)

これは、水の払いも同じで、水分祭も春に受けた水は、秋に再び水を返す循環の儀式がある。
秩父の今宮神社の水分祭は、アークを運ぶ姿そっくりです。
その作用を言霊で行っていたところに、物部氏の祝詞にはかなり古い原始的な言霊があったと思うので、
物部氏はユダヤ人だと思う理由のひとつです。

しかし、後の延喜式になって、ノルが「申す」に変わる。
白のことを「まうす」といった。「かしこみ白す」
曰く(いわく)とも言いますが、日が白に漢字が変化している。
点がつくのと、つかないのには何かあるのでしょうか?
そういえば、申は神の漢字に入っている。
渡来した人が表現した神が、申すなんでしょう。

それ以前は、参列者に対しノルと言っていたのを、神に対して「申す」ことになった。
この変化ってどういう事なんだろう。

「宣る」は、宣言するという事ですが、神からうけた重大のことを告げるのは、
「参列者に対して」行っていた。
「申す」は単に「言う」という言葉に変化してしまったのでしょうか?
誰に言うの?自らに問うことではなく、神に対し人間がモノを言うようになってしまった。
言霊の原理からずいぶん離れた祝詞になっている気がするのだが・・・。
とにかく、何かが変わってしまった今の時代、古代は祝詞に重要な意味があったのです。

であれば、サへ(エ)ノ神社は善に働く言霊と感じる。
悪に働く人は封じたり防ぎたくなるような塞ぐ場所と考えたいところだが、
サ行は美しい言霊なので、あまり悪くとらない方が平和な気持ちにはなるよね…。
サから始まる言葉が美しいのは、春を意味するからだと思います。
サ行は死のシもあります。
サクラに遺体を埋めるという古代の噂がありますが、サの蔵だから保管ということもあったのでしょう。
でも、遺体が悪いものではなかった。古代ではそうでした。縄文もお墓はすぐ家の側においた。
渡来した民族が、生活から死を切り離したから、死に対する恐怖を抱くようになってしまったのです。
シは、静かとか白のシもそうですが、無音の働きを表現したらシになるのです。

でもそのサ行は、新たな生命力を生む。
冬の寒い時期から冬眠して目覚めた生命力が、一気に開花する時期。
それが「サ」の力だと思うのです。
「さあ!」というかけ声もそう。
サがアから始まる「さあ」の響き。

太白山の麓に、「佐保山」という地名があります。
奈良県にも佐保山があり、春の桜を意味する佐保姫が由来ですが、聖武天皇のお墓がある場所。
秋は竜田姫とよぶ。



太白山周辺には「金」の地名があるように、鍛冶場でした。
このあたりは縄文集落があり「縄文の森広場」がある。それが「鉤取」という地名にあるわけです。
奈良県の佐保山に聖武天皇のお墓があるというなら、佐保が金の意味もあると思うのです。
それを守る女神が佐保姫。
佐保山の地名も、茂庭台の峯山遺跡(平安時代)があるように、藤原氏が東北の砂金交易に訪れた由縁のある
場所だから、佐保山になったのかと思います。

藤原実方が登場するのも、製鉄遺跡のある岩沼長岡~志賀沢川沿い、村田町姥ヶ懐に抜ける道~菅生~川崎・・・と
あこや姫伝承にあるように、実方が歩いた道と大体一致する。それは新羅人が歩いた道でもあるのです。
何となく、実方の落馬説は、金に深い関係がありそうですね・・・。

まあ、そんな金とからむ東北の思想に、原始シャーマニズムの思想は眠っているので、
それをいかに「平和に発掘」するか。
争いごとは終わったことにして。
再び、原始の世界に戻ることにしよう。
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若松寺と弁財天

2015-11-08 | 東北地方の伝説(山形県)
鈴立山若松寺(じゃくしょうじ)は、冬の雪多い日に初めて行った時、
とても良い印象がありました。
なので、また行きたくなってしまった。

冬の若松寺
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150106



このお寺は、良縁に恵まれるということで縁結びの神様として注目を浴びました。
その理由のひとつに、芸人の山田花子さんが若松寺に参拝し、
その数ヶ月後、彼氏ができたと。それが今の旦那さんでした。
「あの花子が?」という驚きで、
じゃあ、ここの勧音様はすごいんだな、と話題になった。
(・・・失礼じゃね?)

地元の方の話ですと、住職と握手すると良縁に恵まれるという・・・。
まあ、結婚できました。という報告は多いと聞きます。



昔は、西の出雲、東の若松寺というほど、良縁に恵まれる観音霊場として賑わっていたそうです。

展望のよい所に、幸福の鐘がありまして、ガンガン鳴らしてきました。笑。
私にとっては「降伏」の鐘。笑。
面白すぎる東北に、私は完敗。降伏します・・・。

私も良縁に恵まれ結婚できました。
ここは参拝してませんが、仙台では泉区の二柱神社が縁結びとして県外からも訪れます。
その頃近くに住んでいたので、よく二柱神社へお参りしてました。
今思えば、二柱神社のご利益が効いているかもしれませんが。(半分は努力…汗)
なので、今でも二柱神社へはお礼参りを時々しています。
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若松寺の奥の院(弁財天)は、鬼の院とよばれています。
最上三十三観音のうち、一番が若松寺。

最上観音霊場の由縁
光姫物語
最上家五代目の一人娘、光姫は京都から婿養子を迎えて結婚します。
しかし、姫の美しさに魅せられて恋慕う家臣が、姫を奪おうとして失敗し処刑される。
それから姫は家臣の亡霊に苦しめられ、ついに出家します。
乳母たちを連れたって観音巡礼の旅に出ますが、途中、老人に姿を変えた
観音様と出会い、「若松」から「庭月」までの三十三観音の道を教わり、
無事結願し、姫は心身共に清浄な姿へ生き返った。






なぜ、一番が若松寺なのか理由は不明ですが、
一番からスタートする観音霊場だから、きっと縁結びとしての良縁に恵まれるのだと思います。
何を委ねても観音様はいろいろなことを導いてくれます。
昔から女性が多く参拝した観音霊場なので、それは秩父札所観音霊場も同じ。
男は伊勢、女は秩父と江戸時代頃から最も栄えていた観音霊場でした。
全国から訪れる人気のある観音霊場は、やはり女性にとってご利益があるからです。
女性は子供を育てることや出産のリスクがとても高いので、昔は、寿命が男性より短いものでした。
その為、観音様のような優しいご加護がなければ、生きていくのが相当辛い時代にあった。

しかし、優しいだけではダメなので、時には厳しい説教も必要。
その役目が住職で、「握手をすると良縁に恵まれる」というのも、理にかなっていると思います。
若松寺は印象としてはとても明るく、良い気の場所に立っている。
景色もいいです~。




(白鷹山)

ところで、東北地方には行基と円仁開基の話はとても多い。
大同元年や大同2年、坂上田村麻呂伝承の話も多いですが、
若松寺も708年に行基が開山、後に円仁(山寺立石寺を建立した人)が再び開山といわれる。
これは、岩手県の黒石寺も同じで行基と坂上田村麻呂開山になっている。


(垂水不動尊:裏山寺にある不動尊をここにもお祀りしています)

行基は、奈良県東大寺建立をした人ですが、
参考にしたお寺が奈良県喜光寺という本堂だそう。
喜光寺はの旧名は、菅原寺と称した。菅原道真が誕生した地名になっている為。
ご祭神は、菅原道真、天穂日命、野見宿祢命(のみのすくね)を祭る。
垂仁天皇の命により、当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲で力比べをするため、
出雲からやってきたのが、野見宿祢命という人。

野見宿祢命は、皇后崩御の時に、殉死(主君などの死を追って臣下などが死ぬこと)
を禁止するために、埴輪を献上した立派な方でした。
殉死は、古代エジプト、メソポタミア、古代中国、古代朝鮮、古代日本で行われていた。
しかし、任意で自殺をしたり、命じられて殺される場合もあったそうです。
それを食い止めるための埴輪とは、人形と同じような意味で、
野見宿祢命の土に魂を込めて作る埴輪が、特別な意味をもっていたわけです。
この功績から土師臣を賜り、代々、王家の葬儀を司り古墳の技術集団となった。

そして喜光寺には、「宇賀神像」がある。
人面で体が蛇という不思議な神。
宇賀神は、出雲の野見宿祢命がもたらしたものだと言われています。
喜光寺には、
「宇賀神像は、弁天様と共に祀られている。
弁天堂に祀られる宇賀神は、弁財天と一緒に祀られていることが多いという。
ウカノミタマのお稲荷さんは、神仏習合後に弁財天の水神と蛇(龍)が合わさり、
宇賀神が崇拝された」




弁財天は、池のそばに祀られる。
龍神池とよばれたり、清水に祀られる弁財天は、龍神と同じ。


(弁天堂の美しい紅葉)



1632年~美濃出身の円空がいます。
私は円空の彫刻が大好きですが、「縄文的性格をもち、日本民族の古層の神を祀った
原始宗教を受け継ぐ修験者であったと指摘される」
と言われています。
円空は早くから出家し、白山、伊吹山で修業を積み、仏像を作り始めます。
天河弁財天に納められているオオクニヌシの習合が見られる大黒天立像がそれで、
人頭蛇身の宇賀神像もある。


(円空の宇賀神像:「スサノオの到来」図録より)

「ウカ」は、カタカムナの言霊では、「生まれ出る力」と解釈されます。
ウの力は、子宮そのもの。
渦を巻く蛇は、出産のスパイラルのエネルギーと思います。
渦巻く大地のエネルギーと共に生まれ出る力はものすごい威力を放つもの。
ヤマタノオロチが大地のエネルギーを描写した地球であるならば、
ウカ神は、地球の命=エネルギーを表現した神といえます。
蛇や龍信仰は、爬虫類という単純なものではなく、「縄」である。
縄文は「縄の文(ふみ)」なので、出雲の注連縄がとても大きいのは、
縄文から受け継ぐ精神を現すものだと思います。
役小角も縄文的性格をもつ修験者といわれています。

ヒフミの東日本-------------------------------------

実は、エミシの中でも仏教を望んでいた人もいました。
689年、脂利古男麻呂(シリコノオマロ)と鏃折(カナオリ)の二人。
アイヌ人だった説もあります。
「沙門になりたい」と、朝廷に懇願している。
厳しい税金から逃れるために、僧侶になる人も多かった為、
税金を治める人が少なくなると困るので、出家には官人の許可が必要でした。
行基は、そのようなエミシたちを指導する立場にある人でした。
仏像や寺院建立に、エミシを利用するのは役立つと。
朝廷もエミシを指導できる行基を利用していたと思います。
行基が本当に東北の主な寺院を建立したか不明です。
実際は、弟子が建立したものを「行基開山」としているものも多いです。
それほどこの方には「カリスマ性」のある人物と位置付けられている。

朝廷がエミシと接触させるように行基を促したのならば、
行基も秦氏などと一緒に行動していたユダヤ教を理解(ユダヤ人か不明)していた人物で、
仏教とユダヤの統一を考えていた人かもしれない。
行基がやってきたという温泉には、薬師如来を多く建立しており、弥勒信仰があったとも聞く。
東北地方のエミシ征伐の地にも、薬師如来を建立する。

「水の時代」と考えるといかに女性性を高めるか、が鍵だと思うのです。
アマテラスは女神ですが、男神にも変わる。
ただ母体は女でなければならない。霊的に高い存在の神?というものを入魂するには、
女性でなければできないから、アマテラスは女性でなければならない。
観音霊場の開山が、女性であるというのもその理由のひとつ。
男性は職人なので、その姿を彫刻して彫るわけです。
それは、男性は他に変わって入魂することができないからだと思うのです。

弁財天は、奥の院というように、奥に祀る傾向がある。
縄文を意識して、最も神聖な場所として祀るような習わしがあったのか?
それとも怨霊を恐れて奥に祀ったか?



三ツの巨石と、3つの不動尊と三十三観音。
この共通点には「3」という数字が関わる。
日本語の数の数え方の起源は、「ヒフミ~」で始まる。
ヒ=開く。フ=振る。ミ=お宮と解釈しているようですが、
ヒは日やヒナ(辺境)などともいわれるように、日出る場所で光。
フは、フルミタマとあるように、魂を振るわせるモノ。
ミは、その光で魂を振るわせる場所(入れ物)と考える。

そのミは、身体や実のミ。だから私たち人間は肉体あっての存在。それがすべてです。
宇宙人はその肉体を持ちません。

肉体は箱モノです。その中に魂を入れ、開かせる。
どんなに障がいがあっても、病気や怪我で動けなくなったとしても、
その体は、たったひとつの実。誰にも譲れないモノなのです。
「御身大切」とよく言いますが、先に魂をよくしようと考える人がいますが、
まずは身体を大事にすべきだと私は思います。



日高見国がヒナ国といわれたのは、辺境の地=日出る東の国で、
かなり原始的な世界観をもっていた人が住んでいたと感じます。
西からみると、関東甲信越、東北地方がヒナ神のいる国だったわけです。
まだまだ東北には縄文の精神が残されていると感じた山形でした。
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オリオンの三ツ石とシャガラ王

2015-11-07 | 洞窟・巨石探訪
紅葉の森歩きをしに、わざわざ山形県天童へ。
わざわざ行った理由には、三つの大きな石があるというのを聞いていつか行ってみたいと思って。
石に詳しい方のサイトより、エジプトのピラミッドのように
3つが仲良く並んでいる巨石が福島県や山形県に点在しているという。
探せばいろいろあるらしい。
それが、オリオン信仰なのでは?と興味深い話し。
そのうちの一つが、この森にある三ツ石。
巨石がある中でも、大体、固まって3個置くことが多いみたいです。



天気いいから雨呼山まで登山してこようかな、と思って山形へ入ったら、まっしろしろすけの深い霧!
町中がもや~っとしていた。視界が悪い・・・。
この日は、宮城県は雲ひとつない晴天なのに、
やっぱり峠を越えると違うものです。
しっかし、この状態では山は不安。
ですが、雲海がきれいでした。
雨呼山までの登山口は、かなり奥まで細い道をいきます。
で、やめた。
今回は、途中で車を停めて三ツ石まで歩くことにしました。



ところで、2011年から「水の時代」に突入していることを今更思い出した。
雨呼山はその名の通り、雨を呼ぶ山だった。
ずっと前にカウンセリング関係で知り合った方で、西洋占星術?
に詳しく、震災前でしたが、「これからは水の災害が多くなる」と言っていたのを思い出しました。

今さら思い出したのは、先日のイエメンの大洪水のニュースをみて。
水に縁のない砂漠地帯のイエメンで、およそ8年分の雨が降ったそうで、町中が濁流になっている映像でした。
海上にあった台風は、通常は東のインド洋に移動するはずが、
真逆の西のイエメン上空に移動した為であり、55年ぶりの大雨だそう。
しかし、こんなに雨が降ることは初めてらしい。

世界中で、大洪水や水の災害が増えています。
海上の温度上昇が原因(温暖化)といわれていますが、
今が「水の時代」であることを考えれば、自然なことなのかもしれません…
ですが、被害が多いことが残念です。

また、「龍蛇族直系の日本人よ」などの著者で先史文明にも詳しい浅川嘉富さんのサイトを愛読しているのですが、
「4年前、ニュージーランドの旅の最中に、ポロハウ長老が私に話して下さった
「ウォータークロックの到来」がいま世界的規模で現実となっていることを、はっきりと示している。」
と書いています。

ということは、震災の津波から始まっているわけで。
そして水は女性性の象徴。
それまでは、石の時代で男性性を象徴していたとか。
セオリツヒメの商標登録で騒ぎ出したのも、水に関係しています。
男性性が強いから、セオリツヒメを商標登録するという考え方になる。
女性的な感性であれば、そんな発想は思いつくことがないでしょう。
なので、これも女性性への転換期を示しているものだと思います。

今までは男性社会で行ってきたことができなくなり(物質的な欲、アメリカ式の社会)、
これからは女性性が高まる状況にあるので、女性の時代。
いままでのやり方に執着していると、生きづらい世の中になっていくでしょう。

でも、水は災害をもたらすものが多いですが、
浄化もあるので、一風してくれる力も持っている。
イエメンの洪水は、そう感じとれます…





そういえば、自分の体験でも女性性が高まる場所や水のある場所へよく行くようになった。
たぶん、潜在的に変わろうとしている自分がいるようです。
まあ、普通に生活していれば何の問題はないですが。

三ツ石---------------------------------------

三ツ石の場所は、「じゃがらむら」という看板を目指していくとお店があります。
その先を看板の通り細い道を進んでいくと、広場があります。そこで駐車できます。

ちなみに雨呼山は、もっと奥まで進むと駐車場があり、
三ツ石コースからも登ることはできますが、結構距離があります。



白い霧の中を進んでいくと、この森の光!!
素晴らしい!!
明るい日差しが木々の間を縫って光が放射する森が、とても美しかった。
駐車場まで、まるで招かれているような気分で光のカーテンをくぐりながら、
ゆっくり進んでいきました。





道沿いに「三ツ石」の看板があります。
森も歩きやすく問題ないです。
歩くこと約20分くらいで、巨石に到着します。



巨石は、ひたすら観賞するだけ。笑。
へ~、ほ~。ふ~ん…
盛岡の三つ石神社を思い出しますが、森の中にある巨石は、いつも興味深い光景です。
これは、そんなに大きくはないです。(2mくらい)





この尾根をずっと歩いていくと、雨乞いをしていた龍神池が(小さい)あり、雨呼山山頂に至ります。
中腹には、「じゃがらもがら」という面白い名前の風穴もあり、
あまり標高は高くないのに、高山植物が咲くそうです。
風穴の冷たい空気が流れているらしい。
なので、春~初夏がおすすめ♪



雨呼山には龍が住んでいました。そんな昔話を。

「東漸寺というお寺には偉いお坊さんがおりました。
大勢の村人が毎晩寺にやってきて説法を聞きにきていました。
ある時、気品ある美しい一人の娘がおり、村人たちも上人も不思議に思って
いましたが、いつもしっとり濡れておりました。

最後の晩のこと、村人たちが帰った後、上人に娘が話かけました。
「実は私は人間ではありません。
雨呼山にすむ龍なのです。どうしても天に昇ることはできず、
上人様のありがたい説法を聞いて、やっと悟りを開くことができました。
そこでお礼に上人様や村の人たちになるようなものを残していきたいと思います。

日照りで、みんなが困ったときは、私の手形を持ち、
上人様の縫い目無しの衣を着て、雨が降るように、天にお祈りしてください。
必ず雨を降らせましょう。」
そう言い終わると、娘は満足した顔をして天に昇っていきました。
それからというものは、日照りが続くと、村人たちは、娘の言う通り、
雨乞いをしました。すると、必ず恵みの雨が降り、田畑を潤したということです。」


-------------------------------------------------------------------

この下にある不動尊から、かつてお坊さんがこの場所に石塔のようなもの?
を建てたのが、崩れて偶然残った。という説もあります。
確かに、巨石の下には城跡のように積まれた石もある。

しかし、このような狭い尾根に建てられるはずがないと思うが。
三つとも隙間が空いてるし。

三ツ石に行く途中にも、いくつも巨石が埋まっている。



エジプトのピラミッドがオリオン座の三つ星に合わせて並んでいると言われていますが、
3つの巨石を並べる発想は、エジプトのピラミッド信仰=オリオン座を意識して?



それに雨呼山麓には、3つの不動尊を祀っています。
剣瀧山不動尊(奈良沢)天龍山不動尊(石倉)、高瀧山不動尊(山口)。

かつて先住民が雨乞いをし、祈祷をしていた場所で、所々にある泉を大事にしていたような場所。
昔は大きい泉だったと思いますが。
それで奈良沢不動尊は、弘法大師が開基と伝承される。それは、雨乞いをしていた形跡があったから・・・。
そしてこの不動尊のことを、「逆さ水不動尊」とも呼ぶ。



「逆さ」にするのは、「逆さごと」と言って逆さに奉るものがある。
葬儀は非日常のことなので、普段と逆にすることで魔よけの意味があると。
北向き、などもそうで、逆さまの風習は、「生の裏返し」と考えられる。
なので、水を逆さにしている不動尊とは、
生の逆、「黄泉の水」を奉る不動尊なのです。
てことは、遺体を清めていたお堂かもしれない・・・。
で、その水神を逆さにしているということだ…。

なんかいそうな感じだが、じっとしていられない雰囲気はあります。
なぜか、3つの不動尊の中で、一番ここに寄りたかった。
三ツ石と水はセットなのかね?



宗像三女神には、オリオン信仰があります。
住吉三神の三柱も水神で安曇氏の信仰とも言われていますが、星は航海の道しるべでした。
北斗七星も剣で表されますが、北斗七星は天に対し地上では反転させます。
エミシの地では反転させるように、北斗七星形に神社をおいている。
奈良沢不動尊が逆さ水と呼んでいるのも、3つの不動尊を祀ることから、オリオン信仰が関係していると思います。
そのシンボルとしての巨石があるなら、雨乞いにふさわしい。



ところで、「じゃがらもがら」という面白い名前の由来は、龍に関係するなら、
シャガラ王とマカラ、なんてこともないだろーか?
普通だと面白くないので、妄想する…
八大竜王の中に、シャガラ王というのがいます。
「じゃがらもがら」の「じゃがら」は、シャガラ王の説もある。
龍でナーガのこと。
「もがら」は、マカラかも?
インド神話に出る怪魚なのですが、水を操るもので、ワニのような龍ですが、マカラの背に乗る乗り物といわれます。
「シャガラ王の乗り物…」UFOみたい。
また、観音菩薩の眷属だから、その信仰をしていたインド、アーリア系?の人々が住んで
雨呼山で龍神を祀るようなことがあったのでしょうか?
それで、密教が伝わり不動明王に変わったという妄想。
もし、インド、アーリア語圏だとしたら、ハプログループは、ロシア人、ポーランド人か、
インド系のタルク人、アルタイ人あたりが半数を占めます。


(小さな沢)

まあ、妄想ですが、「じゃがらもがら」は言霊のような気もします。
地元の話で、風穴から空気が流れる音が、人のうめき声に聞こえるので、
それをかき消すための意味の無い言葉だったことを聞いたことがあります。
かなり前に聞いたので、その時は、意味がないと思っていましたが、
それを地元の人が嫌な音を消すためのまじないの音としていたならば、
意味なく使っている言葉が実は、しっかり龍王を呼んでる呪文なわけです…

不動明王がちゃんとお堂の裏に奉られていました。
しっかり、剣をもって。
さすがに写真は撮れない。
そーいう雰囲気。
このあたりはブナ林がきれいで、不動尊は大きなブナの根元から水が流れているように、不動尊をお祀りしている。



鎌倉山の巨石群でもそうだったけど、ここも圧迫感があるのね。
息を飲むような迫力。鬱蒼とした迫力。
水と不道明王の迫力が伝わってくるから、うわ~っと声をあげたくなる。
水の威力はすごいな~。





さて、前回のブログでなぜか私は、
「剣を持つ力は不動尊です」と、言いきっている。
自分で書いておきながら、意味がわからない。てか、覚えてない・・・。

そんな不思議なことを思いながら、目の前にあるのが、
「剣瀧山不動尊」だ。
で龍じゃなくて、瀧だ。
なんだか、「頼りなさい」という言葉が頭を巡っている。
頼っていいというのは、どういうことだろう?

ちょっとWikiで調べてみたら、不動明王はシバ神(ヒンドゥー教)のこと。
不動の「動かない」の意味は、
梵名の「アチャラ」は「動かない」、
「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味だそう。
密教を学んでいた空海によって唐からもたらされたものだと言われます。
不動の気持ちを持ちなさい、という解釈を勝手にしてみる。
水の被害があっても不動な明王は睨みつけながら、濁流を留めている。
そうか、不動明王は水を留める力が強いのか。
だから大洪水のような濁流が襲ってきても止めることができると?!
何が起こっても、心はぶれず、動じない。
そんな気持ちでいたいと思います。

ついでに、この小川にはカジカを放流しているそうです。
清流にしか住まない淡水魚なので、ここは、カジカにお願いして
清らかな川であり続けることを祈りながら、冬に行った若松寺へ。
若松寺もここの峰々と繋がっています。
雪が多い時は奥の院に行けなかったので、今回は奥の院(弁財天)に会いにいってきました。
ここでも、また水信仰だな~。



紅葉もきれいでしたよ!

続く。
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多治比氏と山窩(サンカ)

2015-11-04 | 秩父の祭りと信仰
山窩(サンカ)は、山人だが、マタギでも木地師でもない。
山窩は聞いたことがあったけど、何も知らなかった。
しかし、その山窩が、タジヒと呼ばれ多治比となっているそうだ。

また、サンカはエミシやクマソ、ツチグモなどのように、差別用語でもある。
サンカというより、「ナデシ」といわなければ、サンカにはわからないそうだ。
ナデシは、漢字にすると、「撫師」と書き、これが本当のサンカの自称だという。
その由来は不明だが、撫でる神様がいる。テナツチ、アシナツチ。

どうも私はこのような言葉に敏感に反応してしまう。
歴史においては無知が差別を生むのだから、知らないことは罪だといっても過言ではない。
外国人に、日本人は母国の歴史を知らない民族だといわれる事がある。
本当にその通りだ。
義務教育での歴史授業の時間が、他国と比べて少ないと聞く。
知る時間が少ないから、妄想するしかないわけよっ!

で、だから山窩も、まつろわぬ民である。ただ、山窩用語が犯罪用語に使われていることもある。
でも、ここでは、純粋に民俗学からの山窩を考えてみたくなった。
ということで、漠然とですが、サンカは実は誇り高い山民だったと思われる話を。

サンカは「傘下」などともいうように、集団のある組織の中で庇護されるような
意味合いでとられますが、「山窩は生きている」「山窩奇談」などの著で、
山窩研究をされていた三角寛の本を読んで頂くと興味が湧きます。



ある事件により、犯罪集団のことをいわれる場合もありますが、
県境に住むことが多い為、犯罪を犯した者が逃れて住む人々ともいわれていた。
警察も県境までは追ってこないという理由らしい。
まあ、それが誤解や山窩を遠ざけている一因にはなっているだろう。
確かに、怖い一面もある。
しかし、実際は違うようだ。

民俗学の説では、移住生活をし、自然洞窟、遺跡跡付近に住み、戸籍はもたない人々。
あるいは、古代史では追われた山人として、縄文時代から続く先住民、大和朝廷
から追われて山生活を強いられた人との説もある。生活は少しマタギに似ているが主に川漁をする。
日本のジプシーのように自然の中で暮らす人々のことも含まれる。

山窩は九州の隼人説、近畿、関東地方特に山梨県では山窩のための捜査まであったそうだ。
そして武蔵七党の中に、サンカがいた可能性大という妄想。
その前に久々に秩父ネタ。
まず、横瀬の歴史を復習。
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横瀬町歴史民俗資料館より、
横瀬町は、平安時代から南北朝時代に活躍した同族的な武士団、
武蔵七党のひとつ、丹党の一族が居住し、在名を名字として名のった土地として知られています。

古文書に「横瀬」の文字が初見されるのは、南北朝時代になってからで、
「安保文書」の中の1340年安保光泰(6代目)の譲状に「秩父郡内横瀬郷」とあり、
横瀬はこれ以前、丹党安保氏の所領であったことがわかります。


ということは、横瀬は丹党安保氏だったのだ。
安保姓は秋田県にたくさんいる。
埼玉県児玉郡神川町大字元阿保に居城していたが、鎌倉幕府が崩壊し、北条氏と共に滅んだ氏族といわれる。
1189年初代安保実光が、奥州合戦に参加。奥州藤原氏との対戦。
6代目の光泰が足利尊氏の先陣であった分家で、旧領地を与えられたとされる。
安保氏は阿保という同じ一族もいて、出羽の安保氏もいる。
秋田の鹿角盆地の中央あたりに安保氏の居城があり、武蔵から陸奥へ渡り、秋田に落ち着いた安保氏もいた。
秋田では「あんぽ」とよみ、出羽の安保氏は武蔵の安保氏の支流。
山形県余目城を居住。
鹿角四頭は、関東武士団の成田氏、奈良氏、安保氏、秋元氏の四氏のことをいった。
ところで、児玉郡の出身といえば、長瀞に白鳥氏がいましたが、
多治比彦王の系譜の子が土着して、武蔵に配流したと言われた人が桑名峯信。
この人が丹党首になり、一大勢力となる。
ここから、武峯→経房が秩父中村郷に住んだ。
白鳥氏を名乗ったのも、この系譜で元をたどれば、多治比彦の安保氏に繋がる。
その系統に桓武天皇がおり、桓武平氏として武蔵は強大な平家集団となっていく。
秩父平氏もその中から派生している。


根古屋から見る武甲山

イタドリと蝮---------------------------------------------------

多治比彦の名前の由来が不思議。
多治比彦の「たじひ」が、イタドリからきているから。


(イタドリの花)

タジヒは古名であり、日本書紀には、「天皇初め淡路宮に生まれる。
生まれつき歯ひとつ骨の如し、容姿美麗、ここに井戸あり端井(みずのい)と日う。
すなわちこれをみて太子を洗う。時に多遅花(たじひのはな)落ちて井戸の中にあり
因りて太子の名となすなり、多遅花は今の虎杖花(いたどりのはな)なり。
故に多遅比端歯別天皇(たじひみずはわけ)という。


産湯の井戸の中に、イタドリの花が落ちてきたので、その花の名をつけた話になっているのですが、
古事記では、水歯別の名代を蝮(たじひ)部を設けたとなっているが、マムシとなっている
蝮は、ヘビの「真虫」と解釈されるが、この場合、蝮一族のことを指す。
これは、蝮を生活の中で使用する独特な職業のこと、それが山窩のことだといわれ、
多治比彦のタジヒとは、山窩の出であるという。
蝮のタジヒは、「這う虫」「咬む虫」の意味がある。

ちなみに、古事記を編纂した太安万侶も、多治比氏の多、らしい。
なので、秩父にも関係しているらしく、女性だった説も。巫女?
だから、古事記にはちゃんと蝮と記す。

三角氏の「山窩奇談」に「蝮天皇の史実」がある。

山窩の「田地火(たじべ)」という人がいる。
田地火の火を「ヒ」と言わず、「ベ」という。
なぜ、ベというのか?「ハンゼイさんの田地火だ」と、地元の人がいう。
ハンゼイさんとは、18代目の反正天皇(はんぜいてんのう)のこと。
「オオサザキと申しあげるのは、つまり仁徳さまですわ。
このお子様がイザホワケ17代、の履中さまでしょう。
その次が弟王で、マムシ天皇の蝮端歯別天皇です。この18代のマムシ天皇が反正天皇でしょう」


田地火とは、蛇捕りのことで、縄文以前からの職業であるから、
「ツチカミのタチゴモ」といって火明命の一族だという。
※火明命は、(日本書記では)天火明命、
(先代旧事本紀では)天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)、
穂積臣、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神としている。 
一方、『播磨国風土記』ではオホナムチの子とする。

ツチカミは、漢字以前の言葉で蝮のこと。
タチゴモは、断ちごもで、蝮を捕る者の掛け小屋のことで「瀬降(せぶり)」という。
※「瀬降り」は、河川敷のテント集落のことの意味や、眠る、寝るの意味。
また、セニフルという隠語もある。瀬に降るで、雨とも飛沫とも解らぬよう行動すること。
この語源は、900年前からあるそうだ。

ちなみに、三角氏の「山窩は生きている」で
取材をしていた山窩の場所は、所沢(埼玉県)だった。

「田地火から聞いたところを申しますと、蝮のことを太古にはタチヒといったんですね。
これも漢字の来ない縄文時代を八千年以上の昔としても、それ以前ですから、
漢字では書けません。太古には、いえ、歴代はじめ頃でも赤土の野や山を歩いていると、
あの逆歯でグシリと噛まれる。それが焼けた刃物で刺される痛さを増してくるから、
タチヒというのだと言ってますから、太刀火とも書きますか。
ですから昔は、蝮を捕る役目の人間(かみがみ)が大勢いたんです。
火明命は、その首の神です。
竪穴の上に薦屋根をふいて住みながら、転住生活をしていた縄文時代や
その以前には、この国土には余程蝮が多かったと見えて、後の古書にもカマゴモ(防壁)
で蝮を防いだとありますが、田地火はその蝮の防人ですわ」


丹比という村は、日本中に河内(大阪)と因幡にしかなく、
この丹比が蝮を丹治比と書いた名残だという。
しかし、蝮(タジヒ)に、丹と比の当て字にした理由は定かではなく、
日本書紀など、天皇制について蝮という漢字を当てる(意味)のは無礼だという
ことで、なぜか、蝮をつけないようになったという話などが記されている。
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天皇についてはここでは述べませんが、実は、山窩は誇り高い山民だったのでは~?

しかし、謎多し。
他にもマタギのように、決まりもある。
また、妙に先祖のことを気にし、神社の由来や神社の建築に詳しい山窩もいた。
山刃というウメガイは、他人に見られることはタブーとしている。それは、薙の神剣に似ているそうだ。
が、たまに悪いものに使うから埋めにいく。だから、貝掘りにゆくと言い、埋めた貝=ウメガイだそうだ。
そのような隠語は、百種もあるそうだが、そんな山窩の結束が不思議だ…

奥秩父では、木地師はいました。それも山人ですが、山窩とは違うようです。

ところで、多治比真人という方がいます。
真という漢字がつくのは相当認められた人だと思います。
和銅がとれた秩父の頃に、丹党が早くに入っていましたが、
藤原氏とも関係をもっていました。藤原不比等とか・・・。
中臣鎌足との関係も深い。
また、本拠を河内国におき、その子孫が秩父にいて鍛治集団となっている。
河内国の石上神宮と同じ長瀞にも石上神社があります。
境内には、光玉稲荷神社という光の玉?という不思議な名前のお社もある。
多治比真人は、大化の改新の頃にいたらしいので、ここから枝分れして、秩父平家がうまれている。
そして和銅の開発も進めてきた。

どうも、秩父にはモノノフの影はないが、物部氏の末裔が入ってきている感がある。
それ以前から早くに多治比氏が入ってきていたら、追いかけてきた物部氏系に対し、
多治比氏は、やはり「多」だから、オオ氏なんだろうか?
その神聖な刀が必要になった時に、自然銅を生かそうとした人々もいただろう。砂金を追って。
それに、平家はよく逃げる。平家落里はあっても、源氏の里とはあまり聞かない。

また、多治比真人は「霊寿の杖」というのを授かっている。
功績と高齢に与えられる杖らしいが、鳩がついている杖?とも。
当時は鳩だったかわかりませんが、中国の「鳩に三枝の礼あり、鳥に反哺の孝あり」という難しい言葉ですが、
礼を重んじ、孝養を尽くすべきとの意味があることから鳩の杖となった。
多治比真人が、こんなに立派な方とは知りませんでした。

産鉄族のオオ(タカ)氏?----------------------------------------------------------

反正天皇は、淡路宮(不詳、淡路島?)で生まれ、容姿美麗(色白)であったそうだ。
※イタドリの花も白い。
生まれながらにして綺麗な歯並びであったので、瑞歯別の名があるという。
武蔵と考えれば、このミズハの「歯ひとつ」とは、
「目ひとつ」や片足という鍛治のイメージがある。
やはり、産鉄の神と考えるのが武蔵らしいと思うのだが、どこかで、山窩と産鉄族が混じっている気もする。
朝鮮語でオオは「タカ」とよばれており、タカの地名が東北には多い。
武蔵には高麗人の里もある。

縄文時代から生活していた先住民と、渡来人が混在して
名前を「多治比」と漢字にしたとしたら、どこかで自分たちの租を名前にいれていると思うのです。
オオは神武天皇の系統だといわれていますが、出雲族といわれ古い産鉄族です。
オオ氏も忽然と史料から消えます。
そのようにしていったのが物部氏と藤原氏だと思うのです。

それに、丹生都比売を祀る社は秩父にとても多い。
それは丹党氏が祖神としているからでもあるが、湯から生まれる話は、
おそらく刀の誕生といった霊刀を伝えるものと思う。
丹生都比売は奈良県吉野なのですが、「イザナミのゆばりから生まれた神」といわれる。
灌漑用水や治水工事の神といった説もありますが、水銀から金を産出することになった水銀を敬う風習もあり得る。
丹生=水銀。

また、生まれつき他の人の容姿が異なることを伝えているのは、
多治比彦が特別な存在であったことを記し、もしかしたら、ミズハはミズハノメの意味もあるかもしれない。

丹生川上神社(奈良県吉野郡)などで淤加美神とともに祀られているのも、ミズハノメの水神である。
ということは、武甲山が龍神とされているのは、丹党の思想?で、
「ぶこう」が六甲山の「むかつ」から「むこ」となっているルーツには(江戸時代頃)、
武甲山を水神=ミズハノメとしているから、このような思想になることもないだろうか?
という妄想は、前にも記していますが・・・なので、武甲山の山姥伝説や藤が生えない話しになる。
藤が生えない話しも、産鉄用語で解釈することもできるし、
藤を生えなくした氏族がいたという事も伝えている。

ミズハノメは龍神でもあり、水神、瀧神でもある。
亀に乗ってやってくる妙見様も、ミズハノメの姿としてみえるかもしれない。



武甲山と妙見宮の昔の写真があります。(横瀬町資料館より)
大正12年、灯篭と神使の亀の子石。
秩父夜祭になると、亀の子石に妙見様が降りてきます。
鎌倉時代から秩父の武士たちは武甲山を観音様や龍神、水神、いろいろな姿でみてきました。
観音霊場、熊野信仰が秩父霊場として今でも武蔵の聖地としてあり続けるのは、
多治比真人の系譜を受ける武士たちの信仰が秩父の景観や風土に合ったのでしょう。


(横瀬町:昭和初期の根古屋城跡:右側の山が武甲山)
ここが秩父の東にあたる辺境地。ここから先へ行くことを留めるための、御嶽講が残っている。
荒川から上流へ向かってやってきた平家は、ここから先は山の峯でふさがっているため、
ここから先へ行くことをためらう。こうして横瀬に住むことになった武士が多いという。
そしてこのすぐ隣の山名は、三角山。
三角山下には飯能までセメントを運ぶ地下トンネルができている。

多治比氏がいなくなった訳------------------------------------------------------------------

山窩は山人とは異なる点から、差別され部落があったことも指摘されている。
例えば、エミシの話しで多賀城を焼き打ちした呰麻呂(アザマロ)という人は、同じエミシの中でも差別的に見られていた。
お互いエミシで豪族の出なのに、位の低い豪族から成り上がったとして、自分の方が上だと主張する者がいた。
その恨みから呰麻呂は反乱を起こす。同じエミシ同志の仲間打ちがあったわけだ。
これらの差別とは、同族でも階級があったことを示している。
その呰麻呂は、アテルイといわれた人たちと関係をもっていたと言われる。
ということは、本当は、呰麻呂の方が身分は上(天皇の血筋をひいている)だったけど、
熟エミシの朝廷側から排除されそうになったから、その政権を正そうとしたこともあり得ます。

多治比氏がマムシの山窩であったから、差別され朝廷からは排除の対象になる。
その恨みから、「平」を名乗り新たな国家を取り戻すことを考えていた人だと思うのです。
それを受け継いでいるのは平将門なんじゃないかな?という妄想。
出羽三山に五重塔を建てたという話にも、何か意味がありそうです。
それに言霊の霊力は刀の先端に込める。
刀の先は、非常に強い霊力が宿るから触れてはならない、という夢をみたことがある。
それは2本の直刀でした。
二本なのは、陰陽で一つに合体した形が不動尊が持っているような剣になる。

昔は、木で結界を置いてました。
鉄ができると、陰鉄(隕石に鉄が含まれている)といって宇宙の力が宿ることを知った産鉄族は、
鉄で剣をつくり、山頂に剣をかざします。
宇宙からの結界をはるためでしょうが、早池峰山山頂には、剣がたくさん天に向けられていますね。
姫神山もそうですが、早池峰の方が数が多い。
剣を持つ力は、不動尊です。
悪を跳ね返すためであるから、上に刃がむいている。
人はそれに対して剣を横に切る。
人を殺めるための剣ではない。

山窩は、神社などのお堂に住むことはなかったという。
山窩ではない人は、お堂などに住んでいたようで、それは単なる山人というだけで、
山窩は他の人たちとは違うと区別していた。

お堂を避けていた山窩は、自分たちの祖がその系譜にあることを知っていたが故に、恐れ多くお堂には住めなかった…。
という妄想をしてしまう。

山窩は理由があって逃れ、山奥へ住んでいた人のことも言うのだから、
村人との暮らしから完全に孤立して暮らしていた人が多い。
なので、自らを明かすことはない。
また、言語も特有のものを使用する。
山窩文字は、神代文字といわれるがよくわからない。
大和朝廷から追われた古来の日本人=縄文という説もありますが、
戦国時代に特有の職業を持った集団との説もあり、ハッキリしていません。

今はすでにない廃墟な家が山奥にあるならば、もしかしたら、
それは山窩の形跡かもしれない?
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日本の古代史は、大和が中心のヤマト言葉になって書きかえられている。
元は漢字を用いていなかった言語をもつ人々の歴史が不明なのは、語ることをしなかったわけです。
だからそれを読み取るのは大変。

自分たちの先祖のルーツを知っていたから、他者を受け入れることをしなかった為もある。
自分たちの種を守るためであるが、
社会から切り離した生活をしているのは、自然を愛するといったものとは遠く、
山窩を読んでの感想だが、先祖は争いを行ってきた民族で、その償いのために集団から外れた生活を強いられた感じも受ける。
でも人々を招く時には、礼儀を尽くす。そして水にも非常にこだわる一面もある。
でも一切、身を明かさず。
それが先祖からの教えなのかもしれない。

山窩は、山窩研究をしていた三角氏を通さないと詳しく教えてはくれないようだった。
当然だが、それは山窩のことを三角氏が理解していたからで、それが信頼関係を保っていたのですが、
三角氏は新聞記者であったにも関わらず。

今回も、南国の海が浮かぶような話だ。
タチヒが、タヒチに似てるし。
マムシが多いのは、沖縄や九州だから、カヌーが浮かぶような話だ。
山窩もはるか遠く、海から山へ逃れてきた人々なのかもしれない。
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白頭山の謎

2015-11-02 | 神話・伝説
前から気になっているこの山。
世界中で火山の噴火が多いなか、静かにしている活火山。

グーグルアースで白頭山をみていたら、UNEPというのが表示されていた。
調べてみたら、「変わりゆく環境地図」という意味で、
「これらの衛星画像は、私たちが自らの惑星に対して加えてきた
破壊的な変化を直視せよという、私たち全員に対する警鐘なのです。
Google Earth と UNEP は、これらの目を見張るような画像を通じて、
この惑星がいま直面している危険を視覚化する新たな方法を提供します。
Google のグローバルなコミュニティを活用することで、
自ら立ち上がって変化を起こすことのできる何百万もの人々にメッセージを伝えることができます。」
- UNEP 事務局長、Achim Steiner 氏




という結構、深刻なメッセージだった。
白頭山は、中国と朝鮮の国境の壁となっている。
清の時代(1636年~1912年)から白頭山の周辺における領土をめぐって争い続けてきた歴史がある。
所有権を巡っては、中国と韓国の間にも緊張状態は続き、
中国側は「長白山(チャンパイシャン)」とよぶ。
なので、上海に居た時は、長白山で知っていた。
そのため、お土産や旅館などの観光施設が集中しているのも中国側で、名称も「長白山」となっている。
正しくは、「白頭山」だろう。
古くは、「白山」や「太白山」ともよばれた。
「どこまでも白い」という意味。
仙台市の太白山はここから来ているかも?

グーグルアースが見られる方は、「UNEP」をクリックしてみて下さい。
過去の白頭山と現在の白頭山の環境の変化がみられます。

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さて、この火山について、平成20年(2008年)、仙台市科学博物館で「白頭山の謎」
と題して東北大学の研究報告として企画展をやっていた。
入口の狭いブースでのパネル展示だけであり、ほとんどの人が知らない企画展であったと思う。
私も、たまたま科学館へ行ったら、企画展を知ったくらいです。
白頭山は過去2000年間では10世紀に世界最大級の噴火を起している。
当時、この周辺を支配していた王朝があったのですが、公式に噴火を記録している
習慣のある王朝だったのに、この時の噴火だけ記録が記されていないか、
または、今のところ見つかっていないそうです。

イタリアのポンペイの火山かそれ以上に匹敵するほどの巨大噴火だった為、
王朝が壊滅的になり、記録する者が誰もいなかったという説も。



東北大学が、白頭山を10年かけて研究していた理由は、
2005年、朝鮮から日本の火山学会あてに手紙が届いたことにある。
「2000年頃より白頭山とその周辺で地震活動が活発になり、
住宅にも被害が発生した。様々な異変もおきているので、
経験豊かな日本に対応の助力を求める」という手紙だった。

本当に地震活動が活発なのか、中国地震局にも問合せしたところ
事実であることがわかり、2002年7月以降、白頭山地域で地震が急増していた。

しかし、2011年の東日本大震災により、白頭山どころではなくなってしまったが。

・・・・それから、白頭山を忘れていたが、ふっと思い出すことが最近ある。
と、同時に気になる夢も数年前にみていた。
もしかしたら、その白いモノとは、白頭山だったのでは?と…

また夢の話で申し訳ないのですが、
インドネシアで地震と大きな津波被害があった年、(何年か忘れた)
震災の数年前にスマトラ島地震があった時のこと。
その時にみた夢でしたが、空高く地球を見下ろしている自分がいて、
富士山のような三角形の大きな山の上空に、白い雲のようなものが覆っている。
全体的に雪の塊をかぶっているようで真っ白。
でも場所が日本ではなく、南のインドネシアの方だった。
地震があった所だったので、何か関係していると思ってみていたら、カメラが動くようにある場所をズームインする。
それが日本の島を映していた。という夢。

東日本大震災を予告している夢かどうか、私にはわからないが、
なぜか、「白い雲のようなモノ」は、白頭山のこともないだろうか?という根拠もない直感が…
たぶん、この山に龍のような巨大な気が眠っているならば、あの雲のような白いモノが
龍気なんだろう、と思ってしまう。よくわからんが…。

それでもうひとつ思い出したのが、数年前、あるテレビ番組で、
ロシアの元宇宙飛行士が、衛星から地球を見ている時に、巨大な雲のようものが見えると大地震が起こると言っており、
ある時、日本の上空でもその巨大な雲が覆っていたことを話していた。
近い将来、日本に何か起こると言っていたのを覚えている。
その後に、東日本大震災が起きたわけですが、かなり年月は経っていました。
でも、すでにこの頃から何らかの変化があったのだろうと思う。
それに、震災の4年くらい前から、宮城県北部、岩手県では震度5以上の地震が多かったことは確かです。

そのロシアの人が言っていた雲のことを、銀雲という。
銀雲についてはこちら。
http://www.geocities.jp/semsweb/silveryclouds.html

なぜその雲ができるかは、不明だそう。
雲は、磁場と関係しているので、何かといろいろと話題にのりますが。
果たして、私が夢にみた白い大きな雲も、何らかの意味があったのでしょうか…

東日本大震災を経験してから、多くの犠牲者があったが故に、
もっと前から何か手立てはなかったのだろうか?と思うことはある。
後になって、「そういわれてみれば」という現象を多く耳にするので、
できるだけ異常気象や不思議な現象があれば、参考にしつつ備えていきたいと思います。
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さて、企画展の資料を持っていたので、せっかくなので、まとめてみた。



白頭山は、中国吉林省延辺朝鮮族自治州、同白山市と、朝鮮半島両江道の国境地帯にある。
標高2774mで頂上に「天地」とよばれる直系4kmのカルデラ湖がある。
この湖まで、バスで行けるらしい・・・。
世界遺産や冬季オリンピックを目指して道路や観光施設の整備が進んでいる。
つい最近では、天地にネッシーのような巨大な影を発見したという噂がとんでいる。
まあ、何がいてもおかしくないと思うし、イエティだっていそうだ。

白頭山の伝説---------------------------------

●朝鮮族発祥の地としての伝説

「桓因(ファ?)、風伯(?ペク)、雨師(ウサ)、雲師(ウジサ)ら3000人の
家来と共に白頭山頂上の神壇樹という神木に降り立ちました。
伝説では、朝鮮族の祖といわれる壇君(ダンクン)は、天から遣わされた桓雄の子として
白頭山で生まれたとされている。
壇君は、やがて王国を建てたとされ、韓国・朝鮮とともに教育に取り入れられている。

●満族(満州民族)発祥の地としての伝説

「布庫里雍順(フタリョション)はりりしく、かしこく成長すると川を下り、
争っていた3つの部族を治めて満族の始祖となりました。」
満族にとって白頭山は民族の発祥と深く関わる聖なる山。


満族は古くは、女真族といい、同族にツングース系のオロチョンがいる。
※オロチョンがヤマタノオロチのオロチからきている説がある。

この満族はシャーマニズムの祭祀が執り行われており、
白頭山の池に水浴びをしていた天女が身ごもり、満族の始祖となる伝説がある。
後に清の初代皇帝となるヌルハチへ続く。

●満族神話「天池」

白頭山が噴火した時、火魔人が全てを焼き尽くしていた。
そこに、日吉納という娘が天鵞を駆って天帝を訪ね、火魔人をたおす方法を聞いた。
彼女は天帝からもらった氷塊を持って白頭山にいき、噴火口に飛び込んで、
火魔人の腹の中に潜り込んだ。
すると天は崩れ、地は裂け、大音響が満天に轟いた。
その後、煙は止み、火は鎮まって、ようやく山はもとの姿を取り戻した。
そして火魔人の噴火口は大きな湖に変じた。後の人々はこれを天池と呼んだ。


日本への影響-------------------------------------------------

10世紀頃、巨大噴火した白頭山は、北東北にも灰が降り積もりました。
白頭山苫小牧火山灰層と名付けられ、十和田火山層で確認したところ、
年代は915年と考えられている。
しかし、大噴火があったことは明確なのですが、それ以降、その噴火について記録している史実がない。
なぜ、古文書に記されていないのかは、その当時の周辺王国の政治不安定によるものと
考えられていますが、先に述べたように、あまりにも巨大噴火だったため、
記録できる者がいなかったといわれます。

噴火の規模は、雲仙普賢岳の総噴出物量の200倍以上になるといわれ、
もし、これが蔵王山で起こったとしたら、山形市内は500度以上の火砕流により埋め尽くされ、
仙台市内にも名取川、広瀬川に沿って土石流が流れ込み大洪水を引き起こし、
厚さ25kmにおよぶ土砂が堆積されるほどの規模だという。

さて、915年頃に大噴火があり日本にも影響をもたらしたならば、
日本の古文書には記されているのでしょうか?
それらしい記録として注目されているのは、
「興福寺年代記」で、946年奈良で降灰したという記録。
しかし、この火山灰が白頭山とは一致しないことから、これは今では伊豆の神津島のものと考えられています。
939年、遠方で爆発による空震があったという記録はあり、雷鳴や白頭山噴火と関係する説も出ているようです。

915年に起こっている噴火は、十和田噴火です。
噴火によりできた湖が、白頭山と類似した伝説「三湖(さんこ)伝説」になっています。
白頭山火山灰の真下に火山灰が発見された十和田湖の平安噴火がありますが、
白頭山の噴火と十和田噴火がほぼ、同時期に起こった様子。

ただ、いずれも龍伝説として残されていることは確かで、古代から、大地震は龍が暴れると考えられていた。
ヤマタノオロチが大地震と重ねられるのも、その頃がいつか不明ですが、
大噴火が起こったことも指摘されます。
また、東北地方に多い「大同年号」も大災害の説が有力のよう?

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白頭山の始祖伝説のあるオロチ族などは、射日神話があり、3つの太陽を矢で2つを射り、
一つだけ太陽を残した話がある。
一つの矢は姉、一つの矢で妹を射る。
真ん中の太陽だけ残したという話。
日本では太陽の代わりに、姉妹の三山伝説として伝わる。
埼玉県入間市にも射日神話が伝わっていますが、熊野信仰のヤタガラスの3本足は、
3つの太陽信仰からきています。
これは太陰に関係する道教にも繋がるので月でもある。
太陽と月は同じもの?
この伝説は、中国大陸~東南アジアにある。

いつ起こってもおかしくない火山噴火はいくつもあります。
海外では、お隣の白頭山がいつ噴火してもおかしくないと言われても、鎮静を保っている。
が、噴火したら、日本にも灰が大量に積もる可能性は大です。

ネットでも詳細みられました。
興味ある方は、こちらを参照してください。
http://www.museum.tohoku.ac.jp/past_kikaku/paekdusan/index.html
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