秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

のほほん縄文登山

2013-10-31 | 洞窟・巨石探訪

Moritop3年くらい前から「縄文登山」と題して月1回くらい山好きな友と登山をしています。
なぜ縄文なのかは、山のあるところに縄文の痕跡が多く見つかることから、登山だけで終わるのではなく、私たち祖先の想いがどんな所で育まれたのか?
その想いと共に縄文精神について気付くきっかけになるだろうし、地球の文化を支えてきた縄文の埋れた財産は語り紡ぐと始めたのが縄文登山でした。

東北地方にはまだまだ埋れた世界がたくさんあって、ほとんどの方がそのような場所へはいきません。(秩父も同様)
でもそれが本当はよい所で、地元の方が守っているから癒されます。
でも、よくよく歴史を調べてみると、大体が遠くからやってきた人たちで、敵に追われたであろうし、生死をさまよいながら果てなる土地にやっと辿りついた場所を開拓して細々と暮らしていた背景がありました。

そんな世界を妄想し、歩くことでその地のご先祖さまも同じように癒されるならば、とことん行ってあげようと思っています。

おかげさまで、今までの登山で一度も怪我も事故もなく、熊も猪にも会うことはなく(動物の方が怖がってたりして…)いつもすがすがしく帰ってこられるのは、その土地に入ることを許して頂いていると受け止め、御礼参りの気持ちが芽生える感謝の道しるべと思いながら登っています。

主に宮城県と他の近隣を探訪していますが、今回は南三陸の志津川町!
震災後の南三陸は始めて。
至るところで工事中ではありますが、被災地で頑張っている方々のことを想いながらの探訪となりました。

Kyoseki_2 Mounts_2
 

(右:神行堂山)

★高野山(神行堂山)の巨石
昔、この山に大蛇がすみ、里の人々に害をすることがあった。
村人が退治しようと神に願うと、大蛇が現れたので、手に得物をもって立ち向かうと大蛇は大石の下に隠れてしまい、施しようがなかった。その時、雷が大石に落ち、大石は3つに裂け大蛇は死んだ。

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(右:上からみた裂け目)

巨石の裏山が神行堂山で、弘法大師が諸国行脚してこの地を訪れた時、山に寺を開こうと木ノ下長者に喜捨を求めたが断られたので果たせず、この地を去り、後に紀州の高野山金剛峰寺を開いたという伝説もあります。

木ノ下長者とは、金糞が多く出た場所で長者屋敷があった所。
この周辺は、黄金の平泉を支えてきた氏族や豪族が住んでいたようです。
近くに童子山がありこのあたりは12c前半、砂金採集を行っていたそうです。
また貞任山も近くにあり阿部貞任と源氏の戦いが伝わるところもあります。

Iwa01

巨石があるところは南三陸の志津川町で、本吉町は宮城県北部、北は気仙沼、岩手県室根村、西は藤沢・東和町、南に志津川、歌津町、の六か市町の堺にある三陸町。
リアス式海岸で有名。

また、大谷蝦夷塚古墳群が発見され、(三島古墳群ともいう)。
田束山の霊峰を望み、南は金華山に位置する古墳で、豪族の墓地とされ勾玉やガラス製品
の首飾りなどが発掘されました。
豪族の酋長は、首飾りをしていたのです。

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Sato南三陸も巨石がごろごろ。
北部の気仙沼は計仙麻(けせま)といったので、はるか昔は麻を栽培していたか利用していたと思います。
計仙麻大島神社の由縁では、大島を祀る亀山の大島神社というのがあります。
境内に石神社という巨石があり、岩倉神社と考証されています。
つまりは、石を神とする自然崇拝のアニミズム文化があったということです。
後に蝦夷征伐後あたりから、諏訪、鹿島、多賀神社などが多く祀られます。

ここに伝わるエミシは、「入谷村古今集(志津川町誌)」によると、山奥に竜福と弥惣(やそう)という兄弟のエミシがいて、時々里に下りて住民の仇をなすため、平泉の藤原秀衡に願い出たら秀衡の命で、義経が退治に来ることになったという。
この竜福は鬼と伝わる。
大船渡市の猪川にある長谷観音や田村麻呂が竜福を退治して観音堂をたてたとあるが、ここでは坂上田村麻呂ではなく源義経がエミシ退治したとなっている。

源氏については、平泉の三峰神社の御由緒にもあるように、詳細はわかりませんが、葛西氏、熊谷氏、千葉氏など、関東軍との戦いがありました。
中世は、関東地方の豪族がたちが来ていたようです。

平泉没後は関東武士の移住があり、多くは八幡、熊野で源氏の氏神となる。
熊野は平氏の縁が強いらしい。(志津川町誌より)

▲神行堂山の巨石-------------------▼

Iwakura_3
この付近一帯が中生代三畳紀の地層が分布し、花崗岩の地下で生じたマグマが冷え固まったものがいくつか突出しています。
この巨石には、男女が社会人の仲間入りをする前にくぐり抜けなければいけないという風習になっていました。
この割れたところに通りぬけることができれば善人で、通り抜けができない人は、悪人だといいます。
かなり先が狭くなっているので、メタボだと無理…。
メタボ防止にはよいかと思います!?
この隙間に入れれば痩せたってことですから…。

高知県は地質学発祥地といいます。
秩父市長瀞でもナウマン博士が調査にきていましたが、高知県もナウマン博士が調査していました。
高知県が地質のメッカなのは、四万十帯、秩父帯、三波川帯、領家帯の地層が横断しているため、足摺岬は特に巨石のメッカになっています。
このあたりは縄文人の集落があり、ストーンサークルも見つかっているのです。

秩父は古生層が走っていて、約2億年前~数百万年前の地層の上に秩父があるようなものだから、秩父人はその上で生活していることを考えると、毎日癒されている・・・はず。
武甲山や両神山などが一番古く1億年以上も前のもの。
ハワイ沖から流れて隆起した岩盤が秩父盆地なのだから、海でない山のハワイみたいなもんだ。

秩父は生活の中に岩盤があるのだからわざわざ人工的に石を運んでイワクラにすることはない。
神社の境内は別だけれど、大滝にある聖岩などが東北地方にあったら、至るところ伝説だらけで蛇退治やら鬼やら、いろいろと祈祷がなされたと思います。
でも秩父はそういった痕跡がほとんどない。人が手を加えていないでそのままにされている。
聖岩に行った時に、一瞬、とってもふる~い時代の懐かしさを感じたことがあり、それが武甲山に居た時の感覚と似ていました。暗く寂しい時代の頃です。
決して明るい感じではなかったので、もしかしたらそれが氷河期時代の地球の記憶だったのかもしれません。

聖岩 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130328

聖岩も武甲山と同じ石灰岩なので、石の性質によって記憶している時代や性格?的なものが違うのかもしれない。石灰の方が海の記憶を多く残しているのだから、いろんな出来事が走馬灯のように脳に巡るのかもしれない。
一緒にいた友人に聞いたら、『レムリア時代」の話を聞いて、妙に納得したことを思い出しました。

Mount03各地の巨石のほとんどは花崗岩が定番。
花崗岩の実態については、まだ明らかにされていないようです。
確か、最近アトランティス大陸ではないか?と海底遺跡を発見した海洋研究開発機構が興味深い報告をしていましたが、「陸地でないと形成されない花崗岩が大量に見つかった」ということです。

巨石を祭祀として用いるのには、花崗岩でなければならないのはなぜか?

高知新聞の「あしすと」から引用します。
「足摺岬は造山帯にもかかわらず、この花崗岩は非造山帯にだけ出る種類。
しかも日本ではここだけにしかないラパキビ花崗岩。
これは15~17億年前の古い大陸、特に北欧に広く分布しています。
足摺岬のラパキビ花崗岩のように若い(1、400万年前)ものは世界的にも珍しいのです。」

花崗岩は「深成岩」とよばれる火成岩で石英や雲母などたくさんの鉱物を含んでいます。
世界に点在する「ペトログラフ」は花崗岩であれば書いたり文字を刻んだりできたのでは?といわれていますが、風化が激しいので人工的なのか自然なのかは難しいところです。

松尾芭蕉は、たまに寄り道しながら巨石探訪をしています。石に刻まれた文字や石の伝説のある所に行っているので、全く関係ないとはいえない。アラハバキなど物部氏が巨石を祀るのも、世界に伝わるペトログラフの文字に何かがあったのでしょうか?昔は今ほどあまり風化されずに残っていたと思います。

はるか昔の記憶をたどるなら、シュメール文明の時代に遡るでしょう。

神社名に雲水神社というのが各地にありますが、私はこの雲が水を含むものと考えて、水を含む岩=花崗岩?で雲水と考えていたと思います。
模様が雲っぽいのもあるし。
雲水神社はニワタリ権現を祀ります。
ニワタリは鬼渡、二渡などいろいろな漢字をあてはめていますが、多くは会津地方に祀られている神社ですべて鬼の漢字を使います。
ニワタリについては、後ほど塩釜神社と一緒にお伝えしたい話なので割愛します。

ここの巨石にも三角形?のような形に見えるものがありましたが、自然のものかと…。
でもロマンがあって楽しいもんだ。
岩萌えも健在…

他にも入谷の重石(続石)、石割明神といわれた石神があり義経伝説の話があります。
その石の下から水が湧き出ているので、水を鏡としたので鏡石と伝わっています。
神行堂山は、志津川町では一番標高が高いそうですが、450mで登りは1時間くらいで山頂につきます。

Mount01 Flower_2

途中に立派な杉が並ぶ山道のようなところにでてきましたが、この近くに名前を彫った石がありました。地元の方が管理されているようです。
山内家という名前がたくさん彫られてありましたが、志津川町誌によると、巨石にあった藁を代々幣束として風習を今も守っています。
これはツトコ明神といって、山内家の本家、別家では高野山の巨石に6か所のツトコ(苞=つと)を立てる。わらをすぐってフクダを取り、根元を編んで藁苞を作って立て、中に幣束をさし立てて拝むのです。(写真下)

Tutoko_2昔は、藁で行っていたようですが、屋敷神(氏神)を石祠にしてからはツトコを作る風習はなくなったようです。
これも、疫病が流行ったことからきていると思います。
スサノオの蘇民将来に伝わる藁くぐりに似ています。
藁をくぐる風習は各地にありますが、民家で残っているのは貴重です。

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登山道には看板があります。
山道は、植林をしている杉が直立不動で何だか人工的。
途中から雑木林に変わり、植林地帯とは全然気持ちが違います。
山頂付近はかなり急な登り。
あんまり道が整備されていないのでトゲのある植物が痛い…。
里山は意外と登るのが大変ですが、やっと到着したか?と思える石祠を発見。
山頂らしい碑などはなかったのですが、景色もよく気持ちのよい山でした。

View01

神行堂山が巨石とどんな関係があったかわかりませんが、ご神木のような大きな杉が山頂付近にあったので、神聖な山と昔から崇められていたと思います。
巨石のあるあたりは、木々が生えていない採草地だったそうなので、遠くからも巨石は見えていたと思います。(今は植林されています)

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さ~て里山も色づきはじめて紅葉のまっさかり。
芋煮もいいけど、山もいいよね~♪
ということで、次回の縄文登山は宮城県「保呂羽山」へ。
日程はまだ未定ですが、一緒に縄文探訪したい「女性の方!!」
女性限定でお待ちしております~。

Viewtop

(巨石から見える風景)

<神行堂山への道>

車:仙台から登米方面~南三陸へ。「ひころの里」を目指し、入谷へ向かう。駐車場は2、3台くらいおけるスペースはあります。民家の近くなのですが大きな白いワンコがお出迎えしてくれるかも?所要時間約2時間半。(有料道路を使わない場合)

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荒川と北斗七星

2013-10-26 | 秩父の祭りと信仰

和銅黒谷は、古くは708年武蔵国秩父郡から自然銅が発見され、年号を和銅にし、最初の銅銭となりました。

ここには、東北地方からもたらされた蕨手刀があり、古くから東北地方と交易をしていたことがわかりました。
この和銅黒谷地域を支配していた人は、製鉄族と考えられますが、そのへんは水神巡礼で記したようなことです。

蕨手刀と円墳 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20121126

もうひとつ、気になることと言ったら荒川流域に点々と祀られた諏訪神社。

ある時、仙台市の図書館で見つけた本で、そのタイトルに引かれた。「古代東北の城柵と北斗七星の祭祀:千城央」無明舎出版。

本を読んで何となく似ているな。。。と思った形状が秩父にもあった。
和銅黒谷付近の荒川に沿って祀られた諏訪神社を全部線で結ぶと北斗七星のような形になると思ったわけです!?

千城著の「古代東北の城柵と北斗七星の祭祀」によると、大和朝廷が置いた多賀城、桃生城、伊治城、覚べつ城、胆沢城、志波城、徳丹城の側に軍神、タタラ系、伊勢神宮系などのいくつかの神社が7社祀られ、どれも5番目と6番目の間に小熊座(β)にあたる社が必ずあることでした。
また北上川、江合川のように川の側に建てられることがほとんどで、線で結ぶと秩父の図のように7社と小熊座にあたる社を三角形で結ぶことができる

①~⑧すべて諏訪神社。(ちょっと形が異なりますが、もしかしたら秩父神社が含まれるかもしれません)

Map_2
千城氏を参考にしてみましたが、秩父の諏訪神社が祀られた詳しい経緯はわかりません。

①小柱地区の諏訪神社
②太田部の諏訪神社・・・起源は不明だが、古くから獅子舞が伝わっている。
③品沢地区の諏訪神社
④小柱地区の諏訪神社
⑤大野原の諏訪神社・・・東に横瀬川と荒川の合流地点に立つ。諏訪民部之進という者の城跡と伝わる。後に諏訪社となったらしい。
⑥寺尾の諏訪神社
⑦札所22番近くの諏訪神社。ここも永田城があったところ。
⑧山田地区の諏訪神社・・・定峰峠付近にあたる。

他に、久那地区の諏訪神社は「じゃらんぽん祭り」というのがある。
由来は、諏訪神社に人身御供をして悪疫を退治したことから始まる。

創建時代は不明だが、比較的新しいものもある。
諏訪神社後に城を立てたり、城跡に諏訪社を立てるなど、神社が悪いものから封じる役目としての結界があったと考えられます。

北斗七星が陰陽道に関係しており、特に天武天皇は天文、忍術の達人であり百済観勒より伝わったとあります。
律令体制の中に、陰陽道を官僚組織として新たな役職とつけ、重要な位置にあった。

またそのような場所が、陸奥国と出羽国の兵士、軍団を統括する鎮守府、征夷の最前線に配置されていたことが注目される。

興味深いのは、頭上で見える北斗七星とは反対に鏡を通してみた形になっているもの。
春、夏、秋、冬によって北斗七星は回転しているのでそれぞれの季節により形が異なる。
秩父の場合は、夏の北斗七星に近い。

このような北斗七星の祭祀については、「禹(う)歩の祀り」といわれ、白い衣姿の陰陽師が呪文を唱えながら地上に描いた北斗七星の形をめぐって歩くことで祓い、地を鎮め、福を招くとされた。北辰(北極星)の周りを休むことなく回り続ける「車」に例えられ、北斗七星で結界を張りその形通り歩く(巡礼)こと。(参照:「古代東北の城柵と北斗七星の祭祀」)

秩父の札所観音霊場も、このような考え方があったと思います。

また諏訪神社は秩父市内~大滝にも3社祀られ荒川に沿って祀られている諏訪神社だけを数えると全部で10社。
古くに朝鮮半島から渡ってきた渡来人が住んでいた和銅黒谷に注目してみました。

時代も中世頃らしいので、東北地方のえみし征伐の柵の理由とは違うと思います。
ですが、秩父は妙見信仰であり亀に乗った妙見様の頭上に北斗七星と北極星を記して秩父夜祭に神降ろしをする祭りが長い間行われてきました。
その点が、東北地方と似た歴史背景があったと思い、全く関係ないとはいえないのです。

ただ、ここでは「荒川と諏訪神社、和銅黒谷」の視点から北斗七星を考えるだけにしておこうと思います。

▲荒川と和同黒谷----------------------------------------------▼

古代中世の秩父は、村の鎮守として諏訪神社を多く祀り14社ある。
八幡神社は8社、熊野神社は3社となっている。
その諏訪神社のうち10社が荒川に沿って祀られている。
秩父神社は妙見社。神社からみて南は武甲山。
昔は、荒川の源流が武甲山から来ていると考えていたでしょう。

村の鎮守として古代~中世、北は野上、堀切、栃谷、東に流れて横瀬、下名栗、吾野大野原、西側へいくと別所、上影森、大滝贄川地区、白久、伊豆沢、中津も諏訪社を祀る。
そう考えると秩父全土を囲むように諏訪神社が祀られていることになる。

諏訪神社について詳しくはわかりませんが、これらはタケミナカタである天香香背男(アマノカガセオ)に対する何かでしょうか?
鹿島神宮のタケミカヅチに追われたタケミナカタは諏訪へ逃れモレヤと一緒になります。
しかし、妙見神よりもっと前は、北斗七星の星信仰でした。
その信仰をしていた人たちが、遠くからやってきたモレヤ一族の諏訪だったのかもしれません。

諏訪地方に北斗神社というのがあるそうです。
北斗神社のご祭神は、天御中主命(アメノミナカヌシ)。これも北極星。
仏教が伝来して妙見様になった。藁蛇信仰のひとつと考えられ、こちらも「目」が信仰になっている。
北斗七星を囲んでいる4星が太田、堀切、小柱。大田区は石神神社を祀る。
秩父は「田」とつく地名が多い。
秩父は山なので諏訪信仰と同じ焼畑などの山仕事を中心にしながら柱を立てて神降ろしをしてきた。御柱は秩父神社境内にもあります。
千城氏の本の中で、田のえみしがいて、田は雷の田のことをさしタタラを意味する。
菅を栽培し、砂鉄を収集し木炭、火炉を準備して乾燥期の真冬に火を入れるサイクルを行っているとされ、菅や、長者屋敷という地名が関係していると
指摘する。
なので鉄資源がなくなると移住していたので律令制には従わなかったという。
これが大和朝廷の怒りをかうことになる。

武甲山の西、上影森には長者屋敷ノ頭とつく山名がある。(標高871m)ほぼ直線に北に結ぶと秩父神社にあたる。
江戸時代、横瀬町の名主であった横田勘衛門が、江戸からお役人がこっそり松平長七郎の様子をうかがいに訪れた時、武甲山の説明をする際、武甲山の影森方面のある山を、「飯盛山」「氷川どっけかぶり山」と呼んでいた。
また秩父らしいインパクト大な名前だよ。。。。もちろん、そんな名前の山などない…
でも氷川とよんでいるところ、長者屋敷跡という名前がひっかかる。

Kiku
横瀬町根古屋にある古御嶽城跡には、諏訪神社はなく、中心にあるのは氷川神社、春日大社でした。
城跡は結界のために置かれた気もしますし、その発端が和銅黒谷にあると考えます。
新羅系の人たちが、先にいた縄文狩猟民族=諏訪の人たちに対する境界をひいたとすると・・・。
元は神社はなかったと思いますので、後で諏訪神社を北斗七星の形にしたのでしょうか?

(写真:武甲山参道途中にある菊紋様の祠)

和銅の自然銅は、707年に従六位下日下部宿祢老、嶋朝臣堅石、新羅の帰化人金上无の3人が見つけたと伝わる。
716年日高市の高麗神社の若光(高麗人の酋長)がやってきているので、おそらく先に新羅系の氏族が活動していたと思います。
794年武蔵七党が入り、丹生一族が活動の中心となる。
しかしその後の10年余り、自然災害(噴火、大雨、飢饉)などが相次いで起こり、秩父神社も災害対策として派遣され、昇格していく。
と、同時にエミシの反乱も強くなっていく。

神社の昇格はエミシを抑えると出世するというのを、「氷雨除け」で書きましたが、秩父神社や三峰神社は、元々はアラハバキ(物部氏)土着信仰だったのを、後から仏教などの宗派により支配されていったと考えられます。

その頃、天武天皇が政権を握り、秩父もそのうちの一つと考えられる。
そのうちのひとつとは、エミシ(土蜘蛛)征伐。エミシでもってエミシを制する。互いにエミシを利用しあう関係になっていったと思います。

また、災害が増えたことで、北斗七星の呪術的な祭祀が活発になったかもしれないし、それは、荒れる川を鎮めるのとエミシを鎮めることでしょう。

北斗七星でなければならない理由は、北極星を中心にして農業を行っていた天文学の知識をもった道教や陰陽道に由来するからでしょう。
自然災害を引き起こすのは天が行っていると考えていたので、天文や天気予報を予測することを行いながら、生活基盤を整えてきた渡来人が和銅黒谷にあったと思います。

古御嶽城跡は何に対して境界を設けたのかは、武甲山が守ってくれる意味も含めて、長瀞方面(和銅)からやってきた新羅・高句麗からの渡来人がこのあたりにも住んでいたと思います。

何も資料がないので詳しくはよくわかりませんが、武甲山が最後の砦であったことは確かでしょう。
道教では、蓬莱山を神仙とみていたので、武甲山が蓬莱山と見立てる考え方です。
秩父札所巡礼の最後33番は横瀬町にあったそうです。最後に武甲山をお参りをするように設定されていた
ことはわかっているので、(現在は順番は異なる)北斗七星のような陰陽道の流れから影響しているのかもしれません。

また、和銅黒谷だけでなく秩父市や横瀬町にも羊太夫の伝説がある。
その中に、八束小脛の話があるのだが、この人が羊太夫に協力した蝦夷や渡来人ではないか?という説があります。
八束小脛は神通力や魔術を使っていたという話もあるので、陰陽道にも関係していたのでしょうか?
羊太夫は渡来系で新羅からきたという説もあるが、私も北斗七星はインドから新羅へもたらされたと思う。
それは、仙台市泉区を流れる七北田川の志波彦を調べると大体みえてきます。
このへんは、後ほど詳細がわかったらお伝えしたいと思います。

▲水に命を捧げる女性の祈りとは・・・・------------------------------------▼

でもなぜ、妙見様は亀にのってやってくるのか?
昔は、亀(スッポン)の甲羅はドーム状の天とみたて、大地は平地だったと考えられていました。仙薬七星散の青斑石べつ合子(べつごうず)に、スッポンの甲羅の上に北斗七星が描かれています。
由来は、北斗七星の傍に雄鶏がスッポンが伏せたようにみえる「旬始」という青黒い光を
みせる星(彗星?)による。(
引用:「古代東北の城柵と北斗七星の祭祀:千城央」)

でも亀にのった妙見様は女性に見える。

そこには暗い過去もみえてくるような気がします。
横瀬町の姿の池でも、昔、度重なる氾濫で土砂崩れを起こし治水工事が中断されることが何度も起こった時に、人柱を立てたという伝説が残る。
犠牲になった女性は通りすがりの巡礼者だった・・・その方を弔うためにおかれた地蔵は何だかさびしい気もするが。。。
そんな残酷な時代が昔は当たり前にあった。

なので、女性の魔術的な力を借りて、自然の怒りを鎮める祈祷を行っていた時代を考えると、
荒川もそのように人柱をたてることがあったと思う。
福島県の女神山伝説からも、小手姫の最後は沼へ入水自殺をしたとあるが、実際はそうではないと思う。しかし、そのような言い伝えがあるのは、そういう事なんだろう。。。
後に役小角がやってきたと伝わるが、役小角でないにしろ、陰陽師の知識のあった者が、
水や池、沼に八大龍王を祀る儀式を行った背景には、人柱になった女性を弔う意味があったと考えてしまう。
その犠牲になった女性がヒメとよばれた巫女たちだったから・・・。

それに、禹歩とは、足が不自由だったので引きずっていたという伝承が中国にある。それが足神につながってアラハバキに至ると思う。足神や足を撫でる神様といったら、アシナヅチだ。
テナヅチ、アシナヅチという神様は、山神様であり女神でもある。
よくいわれるのは、コノハナサクヤヒメ。
このあたりが、私はミシャグチにも関係しているような気がします。
蛇神は女性ですが、アラハバキもミシャグチも同じ意味のような気がするのです。
それは、「ヅチorツチ」の意味は蛇で、「シオツチ」という塩釜神社に関係してくるからです。
おそらく、塩釜神社はアラハバキと思います。そして女神(蛇神)だった。
元は、志波彦(シワヒコ)であり、志波姫もいます。が、シワヒコという名前は東北地方に突如現れます。
それが、諏訪のタケミナカタとヤサカトメと同じではないか?と思うのです。

という事は、北斗七星で結界をしめすというのは、ミシャグチやアラハバキに対して。
かもしれません。
陰陽師で有名な清明神社には井戸の前の道が北斗七星になっているという。役小角も賀茂家出身で陰陽師の家系を継いでいる。女性に対して特に気を使って祈祷をしていた人だ。

そもそも、最初はシワヒコさんの伝説を調べていたのですが、なぜか北斗七星が流れてきました。
おそらく、泉区の七北田という地名は、七つの村があったからという理由だそうですが、北斗七星からきていると思います。

意外にも繋がていた荒川と七北田川。
関東~東北地方は互いに行き来しながら交易をしていたことは事実で、秩父はそれより前の、物部氏、阿部氏がいたアラハバキ的な土着信仰があったという事で、このような北斗七星を陰陽師の呪術で抑えられた意味があったかもしれない。

中世になると多くの城が神社の近くに立てたりするのは、時代が変わって城が塞神の意味をもつようになったのでしょう。

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そう考えると、秩父夜祭が今までとは違った視点で感じられると思います。
亀に乗って降りてくる妙見様に祈りを捧げる秩父夜祭り。
これ以上の自然災害、氾濫がおきないような平和を願う意味の裏に、多くの犠牲がある。

現在のダム信仰というべき、神がかり的?な現代社会の洗脳は、ダムのおかげで水害の被害がなくなったと言い張る。

しかし、それをすることで自然が弱くなりもっと土砂災害が増えてしまった。

あっちこっちに陰陽師が残した痕跡があると思います。

諏訪神社へ参拝する時は、穏やかな気持ちで過去を許す気持ちが大切なのでしょう。私たち先祖がしてきた償いは受け継いでいかなければなりませんから・・・。

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裏の山寺

2013-10-20 | 東北地方の伝説(山形県)

Kannon01
「裏山寺」といわれる垂水遺跡がある。
このあたりを所部集落といい、旧石器時代(1万年以上前)の石器や縄文遺跡が発掘されている。

そういう場所には、洞窟が必ずあって岩場も多い。
そこに住んでいた人たちのことを里人は「猿」とよび、伝説にもよく登場する。
その人は、マタギの開祖といわれた磐司磐三郎。
マタギについては、こちらを参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110211

▲天台の道-------------------▼

山寺は根本中堂から五台堂、立石寺の巡礼が一般的。松尾芭蕉の句が有名だから、山寺は松尾芭蕉のイメージが強かった。
でも伝説では、慈覚大師円仁と磐司磐三郎が立石寺を開いたと伝わる。
根本中堂入口を通りすぎしてそのまま直進していくと千手観音堂があり、奥へ歩くこと10分くらいで洞窟にあたる。
ここは、円仁が修行をした場所と言われていて垂水観音、不動堂、円仁宿跡がある。
だ~れもいないからもったいないし、さびしい所…。
台風の後だったからすごく水っぽい。。。?

Road Kannondou

山寺立石寺とは、本院・千手院・山王院・馬形院・南院・中院・芦沢院・安養院の総称という。
このあたりが、山寺の中心であったと考えられています。

蜂の巣みたいにぽこぽこ穴が空いてるのがちょっと気持ち悪いけど、これを最初に見つけた人は、びっくりしたと思うなー。
ぞっとするほど圧倒される岩の生命力!!
ひとり言をいってないとおかしくなりそう…。

Taremizu01 Taremizu02
(垂水遺跡)

ここに「古峯神社」の石碑が祀られていた。
古峯神社は天狗信仰で修験のメッカ。
栃木県の古峰ヶ原(こぶがはら)にあって、日光開山の祖「勝道上人」が修行した所。
円仁も下野国(現在の栃木県)壬生出身。壬生は水銀の意味があって地名になっている。磐司磐三郎も同じ下野国出身。
日光の戦場ヶ原の伝説に登場する磐司磐三郎は弓の名人であったと伝わる。

Taremizu03_2

垂水洞窟から峯の浦という道があったけど、立ち入り禁止になっていた。
峯の浦はそのまま山寺まで続いている道だが、残念ながら行けなかった。
「峯」という言葉は、峯が鉄の意味があると聞いたので、おそらくここも、産鉄族が住んでいた所かもしれない。
円仁は、エミシがいた所を追いかけているような気もする。
とすると、磐司磐三郎もエミシの血を受け継いでいる人かもしれない。
Kanban
エミシは北関東の独特な習慣をもった人たちが東北地方へ逃れ、地元の人と暮らすようになってエミシとよばれるようになった。
その特徴は近畿地方にはないという。

この道は、円仁が天台宗を開いたので天台の道とよばれています。
山寺へ向かう途中に、「対面岩」というのがあります。
860年、円仁がこの地方を支配していた狩人の磐司とこの大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられます。

「動物を殺すことをやめてほしい」
仏教を築くためには殺生はしていけない。
でも、マタギにとっては獲物をとらえて生活しているから困るし、ただ獲物を捕らえるだけの生活ではなく、森や山を神聖な場にしていたわけだ。
伝説では、「磐司は円仁の尊い心に関心して自ら帰依し、狩りをやめて開山の基礎を築いた」という。
これに動物が喜び、磐司に感謝するために獅子踊りをしたと伝わります。
毎年8月に磐司祠を主祭にシシ踊りを奉納するという「磐司祭」が行われています。

Taimeniwa01 (対面岩)
昔、狩りをしすぎてなのか、気候変動のせいか、動物が絶滅に危惧されることがあったのかもしれない。
マタギは動物と共存しながら森を支えてきた人たちであるけれど、仏教などの新しい宗教が入ってきて、木を伐採して建築や仏像など木々を多く使うことになる。
森そのものを精霊としていた人たちにとっては、森を失うことになるので住処がなくなり、動物も鳥も住処を移動する。
聖地としていた所に他の宗教を受け入れることはそう簡単にはできなかったはず。
でも、お互いに同じ出身者であることもあって、お互いに信頼関係はあったと思います。

「仕方ない」という部分もあっただろうけど、他に新天地を目指した方が無難(環境の変化?)もあって移動したと考えられます。

▲猿とは?---------------------------▼

磐司磐三郎は、兄弟だったという話もあれば、一人だったという話もあってどんな人か定かではない。
伝説の中では、父は藤原良継で母は香取明神磐比主命の子孫である山姫と伝わる。
由緒ある家だけど、猿丸太夫という名前も各地の伝説に多く登場する名前なので、本当かどうか疑わしい・・・。

秋田県の老犬神社が伝える磐司とは・・・
日光山に万次万次郎の弓達人がいて、当時上野国赤木神(群馬県)は大蛇で強かった。
日光権現がある時、白鹿に身を装い万次郎を誘って御堂に連れていき、神体を現す。
白木の弓と白羽の矢2本を授け赤木を討取れば、日本中の山を与えると約束された。
その万次の弓矢が赤木神の大蛇にあたり赤木神は負けてしまう。

戦場ヶ原の伝説は、赤城神のムカデVS二荒神の蛇。
ちなみに日光の二荒山神社と宇都宮の二荒山神社は同じではない。
「白羽の矢」という語源があるが、人間の体を捧げる「人身御供」に由来する。
犠牲者として選ばれる意味になった伝承は、「矢を立てる」ことで結界をあらわしている。
結界とは、賽の神といわれて石碑などを置くけれど、その結界が女性の意味があるのも、人身御供の犠牲の多くが女性だったからでは?

Nikkou(日光:戦場ヶ原と男体山)

白い鹿が神として描かれている伝説もあるけれど、やはり「白」が特徴みたいだ。

この矢の伝説は他にもある。
神が赤く塗った矢に変化して、女性のもとに通い子を産むという話。
「丹塗矢伝承」といって関連している。
赤木神は、赤く塗った丹であるから「丹生(水銀)」の象徴。金や鉄の意味があるのだから、戦場ヶ原は鉄族同士の争いをさしているようだが、気候変動により土砂災害や噴火などがあり被害が大きかった為、荒れ狂う川の氾濫を鎮めるために、人身御供が行われた方が自然かもしれない。

Tanムカデが何を示しているのかわからないが、穴がたくさんあった坑道のことという説もある。
そこで発掘を行っていたが、金を採掘するのに水銀汚染が深刻だった。
川が赤いとか岩場が赤く流れるというのは、汚染も考えられたのでは?
丹が赤いのはそのような性質から赤になるらしい。
秩父にも大血川という名前の川が大滝にあるけれど、金や銀などの鉱石を製錬する時に水銀を使い、それを丹砂(辰砂)といって赤色の土の塊を使う。(写真右)

後に、赤木は赤城神社として北関東を中心に多く祀られ、秩父へ入り和銅開珎の発掘にも関わってくる。
その一族たちが羊太夫という新羅からやってきた渡来人という説があるのも群馬県にある多胡碑に登場する名前で、群馬から寄居~長瀞経由して入ってきたと考えられるからです。
秩父や群馬に上野という地名のあるところに古くから縄文時代の遺跡が見つかっているのも、岩を信仰してきた祭祀場があったからだと思う。
その上野国は女性の長が関わっていると思います。
戦場ヶ原伝説は、上野国の女性酋長のような人が犠牲になったことがあったのかもしれません。神に捧げるという意味で。

そのような原始的なやり方を良いと思っていない人がいた。
それが伝説の早太郎伝承ではないでしょうか?

Iwa01 Iwa08

「早太郎伝承」は、猿神退治とよばれる。
旅人がある村を訪ねると、白羽の矢が立った家の娘を土地神に生贄に捧げねばと聞かされる。不審に思った旅人がこっそり見てみると、化け物が娘を連れていくのをみた。
その時に、「早太郎に聞かせるな」と話しているのを耳にし、旅人が早太郎を探し回ってみつけたのが、光前寺の犬であった。
娘の変わりに早太郎を送りだすと、翌朝、犬猿が死んでいるのが見つかる。
和尚は犬が息を引き取ったのを娶り、供養のために大般般若を寺に奉納した。

光前寺は長野県にあり、その女性を「矢奈比売」という。ヒメだから女性酋長だろうか?
「犬猿の仲」という語源は、ここからきているのでしょうか?
山寺には磐司磐三郎の墓?といわれる碑があり、犬の墓も一緒にあります。
犬も猿も、元は同じ同族でマタギの流れを組んだ者同士だったかもしれない。

Iwa03 Iwa04

(城岩七岩:集落からみると、城の砦のように岩が並んでみえる。岩にはそれぞれ名前がついています。垂水遺跡から歩いてすぐです。)

また、山寺の入口に、日枝神社があります。
この日枝神社は、日吉神社から勧請を受け、日吉山王社といい、猿を眷族とする日吉山大社を見立て、比叡山延暦寺の支配下におかれた日吉山王社という構図から「征服された土地神」をあらわすと考察される。
(wikipedia)

山寺にいた土地神=猿が、仏法により支配されたという話が、磐司磐三郎伝説なのだ。
チベットでは猿は観音菩薩の化身である。
伝説の内容が、蘇民将来に似ている。
山寺の影には、縄文時代から狩猟をしていたマタギといわれる人が発展させた聖地があった。

実際に垂水遺跡を訪れてみたけど、あんまり落ちつかず、ずっとソワソワ。
岩をみた後に、雨が降ってきたので足早に帰ってきてしまったけど、観音堂に戻ってきたら、すっきり晴れていた…たった5,6分だよ…。
おまけに、不動堂も円仁が修行した跡も拝観するのも忘れた。
忘れたというか、頭になかった。

Taimennhi_3 Taimeniwa_3
 

(対面岩とその隣に円仁、磐司磐三郎の御堂)
 

やっぱり、縄文のアニミズムの心はここにはもう残っていないのだろう。
岩場を占拠した仏法に、マタギは必要ないのだから。

でも二口渓谷の沢は(姉妹滝といって滝が2つあり)とっても気持ちが良かった。

磐司磐三郎は弓の名人として駆り出されただけで、争いに関わってきたとは思えない。
その技を誰も盗めないから、磐司磐三郎にしかできなかったので、それがエミシなのではないかな?と思うのでした。

後に秋田県の阿仁地区に行ったと伝わるが、磐司磐三郎どんな人かよくわかっていない。
対面岩の側にあるお堂は、仲良く円仁と磐司磐三郎がいます。
同じ同郷人だったから、同じような道を考えていたかもしれないですね…。

山寺にいったら、円仁と磐司磐三郎の姿も想像してみて下さい。

Kannon02_2

<千手観音堂への道>山寺駅から歩いて10分。線路を渡って千手観音堂へいきますので、電車には注意です。

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★宇宙の青麻神社

2013-10-16 | 水神巡礼(東北編)

東北水神巡礼 2 (神社編)

Ao03
青麻山に登ってから青麻神社が気になっていたけど、ある日、泉区にいて時間があったから車で行くと近いのかな~?と調べたら意外にも近くにあった!

巡礼だから歩かないといけないのだけど、ここは車で…。

仙台市宮城野区岩切にある青麻神社は、別名青麻岩戸三光宮という。
白蛇が眷族?なのか、ご神水には蛙の像もいた。

水に蛙なのは、月神の眷族ということなのでしょか?
蛙のような鱗をもった人伝説が海外にある。
日本でも、うらしま太郎伝説や海幸彦の伝説に鰐族の話もでてくる。
どこか宇宙の星からやってきた人と解釈するとわかりやすいが、爬虫類を信仰していた島(南東)の人が、体に掘った鱗のような入れ墨の人達のこと言っているのもあるかもしれない。

ご祭神は、天照大神、月読神、天之御中主神。
日月星信仰の三光神を祀る中心地。

青麻神社といったら水!
名水といわれるご神水は有名で、たくさんの人が訪れ水を汲みにやってくる。

Ao2 Ao05_2

(池の手前にある石が蛙みたい)

社伝によれば仁寿(にんじゅ)2年(852年)現社家の遠祖穂積保昌が山城国よりこの地に来て里人に苧(からむし=麻の一種)の栽培を教え、一族が尊崇する日月星の三光神(天照大神(あまてらすおおかみ)、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の三神)を、清水が湧く山峡の岩窟中に奉祀したのが創始と伝えられています。社名、地名も麻の栽培より起こり、神紋にも麻。

麻を燃やしたり、麻を使って呪術的なことをしていた時代は、覚醒する目的として利用していたのだと思います。

生活として用いる以外に。

その時に、日月星の三つの光に繋がる何かを見つけたのかもしれない?
それがオリオン座の三星ではないか?と思います。
三光をサンコウといって、オリオン座の三星を伝承とする話は各地にあります。
秩父ではサンジョウと言いました。
オリオン座の3つ星の下には、地球から肉眼でみえる唯一の星雲。
小さい頃、うっすら赤くオリオン星雲が見えることがあった。
今はほとんど見えない。
だから、1000年以上も前だったらもっとよく見えていたと思う。

星をみて生活のリズムを整えていた時代に比べて、現代は全く星を見なくなってしまいました…。

穂積氏は物部氏と同族と言われたり、他にニギハヤヒの後裔が穂積姓を賜ったと伝わる。
他の説では、内色許男命(うつしこおのみこと)の祖ともいわれる。
星を信仰している人たちは、天文学の知識があったと伝わります。
天文を知ることで、天変地異の予測(噴火や地震が多かったので)豊作祈願をしていたからで、星は最も重要な生活の糧にありました。

また、天変地異が起こる時に水が氾濫するため、水を鎮める方法を行っていたと思います。
水は液体状に動くものと捉えていたかもしれない。

今も普通に天気予報をみるような感じで、星の運行を毎日調べて天候や自然を把握していたと思います。

Ao04 Ao01_2

(水をたくさん含んでいる鎮守の森と山神神社)

三峰神社は青麻神社と縁があるのでしょうか?
天之御中主神は秩父神社のご祭神でもありますが、岩手県紫波町の青麻神社の下に三峰神社があります。
宮城県船形連峰は、三光宮の石碑(写真下)がありますが、三峰山という名前がついた山があります。
昔、三峰講の人がやってきて山頂に大口真神を祀ったようです。(現在はない…?)

Funagata
そういえば、千葉氏は妙見信仰なのだが、○3つの家紋だ。
昔は、星を★ではなく、○で表現した。
3つ星信仰は、妙見信仰と同じ?
北斗七星とオリオン座。
そして「青」は、青い星=プレアデス星団?と思う。
アオはアサであって、アソにも共通する。

アソは火という意味のアソベ氏がいる。それが阿部氏。
阿部氏はどこから来たのかな~。

もうひとつ、日月神を信仰していたシュメール人の存在も気になる。
メソポタミア文明の基礎を築いた人たちが、スメルという人たちで、スメルがスメラミコトになり日本の天皇の系譜に関係してきたという。
シュメール文明も、水神を信仰し、日月神を掘った石碑が残されています。

はるか昔、オリオン座やプレアデス星団、シリウスなどなど、いろんな所からやってきた存在がいて、地球に来てしまったからには「肉体」を持たねばならない。
それがほしくて地球に来ているのだから、星へ帰ることはできない覚悟で来ている。
星へ帰りたければ肉体を手放さないといけないが、それを死とは捉えずにいたと思います。
でも、ある時、肉体から離れるということは、死を意味することになった。
地球に来て良かったけど、死はやはり恐怖を植え付けるものに変わる。
地球の引力や磁場が強くなったとか、これも地球が変化したからだと思う。

たぶん、呪術的なことしていたというのは、イタコや巫女などの儀式がどういうものかわからないけれど、肉体を持ったままでも星と地球へ往来できることが普通にできていたと思う。
時には巨大な光をもって多くの人を飛ばしたり・・・

そんな星の世界を考えてしまう青麻神社でした。

Ao07<青麻神社への道>
宮城県県民の森を目指していくと良いです。
国道4号線から東北学院大学の前(35号線)を直進し、分岐点右折し、3号線へ向か、35号線を岩切方面へ進み今市橋の所を左折していく方法など。
駐車場スペースは広いです。

(写真:元茶屋の清水。昔、青麻神社参拝者のための茶店で引いていた清水を復旧したものです)

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閻魔大王の妹?(札所25番久昌寺)  

2013-10-11 | 水神巡礼(秩父編・その他)

秩父水神巡礼12 (札所編)


鬼女伝説

奥野という所に住んでいた女は、欲が深く悪い性格のため夫や村から見放され、いたたまれなくなって山の麓にこもっていた。
しかし、まだ悪業を重ねたため、村人によって荒川へ投げ込まれたが、不思議にも命は助かり久那の岩窟に住みつく。ここで女の子を出産する。
悪人たりともわが子はかわいい。子供が15歳になるまで育てるがその成人を見ずに女は亡くなる。残された子は心優しい持ち主で、邪悪な母なれど母を思うたびに悲しんだ。
娘は母があの世で苦しむことなく悪行を弔うために観音堂を建立する。
村人はその心情にうたれ、御堂は建立され観世音が安置されました。

25view 25art

▲閻魔大王の御手形の由来--------------▼

Temple00
このお寺は、性空上人をはじめとする13人の聖者が、秩父札所を巡っていた時に、閻魔大王(えんまだいおう)から石の手判と証文を賜ったと伝わる。(600年頃?)
証文は西国24番の中山寺へ納め、手判は久昌寺(きゅうしょうじ)へ納めたという。
※拝観はできませんが、写真があります。

住職の方orお寺の関係者の方に、鬼女の伝説のことについて訊ねたら、「この伝説は作り話なので、どこからか来た話を付け加えただけですよ」とあっさり否定されてしまった…。

それじゃあ、つまらないな~と思っていたら、もう一人のお寺の方が
「この鬼女は閻魔大王の妹ですよ」と言うではないかっ!

そして十王経物語絵図の資料を見せてくれた。

えーっ、妹がいたんだ。
でもほんとに?

あの~死んだら閻魔様がいて、生きていた時に悪行があったら正直に言わないと、舌を抜かれるって聞いて、子供ながらに地獄絵を想像していたあの閻魔様でしょうか?

閻魔大王に妹がいたって本当かな~。と、思って試しにネットで調べてみたら、

いた。
名前はヤミー。

閻魔大王は、十王の中で一番有名な大王。
9人の使いを従える太陽神の息子とされる。
インドから仏教と共に中国に伝わり、冥界の住人として信仰をあつめる。
十王の審判の日に(7日ごとに行われる)遺族が供養することにより、善行が故人にも及び魂が少しでも早く極楽に行くことができるという。

その審判には盗みや殺生、嘘がないかどうか。

その中で閻魔大王は、六道の行き先を決定する。
6つの鳥居が並びそのどれかの鳥居をくぐることにより、来世が決まるという話し。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つ。

(十王経物語絵図より)

閻魔は「ヤマ」ともいいチベット仏画にもあらわれる。
ペルシャ語では「イマ」という。
ヤマ(閻魔大王)の妹がヤミーといい、兄弟姉妹婚で最初に人類が生まれ人間で最初の死者となったそうだ。
そのため、死者の国の王になった。また、ヤミーは双生神とされる。
ヤマは、天界の国のことで、地獄のようなドロドロしたような所ではなくとても美しい世界なのだ。

Temple02ヤミーは女性の死者を役目として受け持つそう。
また、太陽神の兄は昼を意味し、兄が冥界で役目をもつことは妹との別れでもある。
あまりにも孤独でさびしいというので、夜を作ったといわれ、夜は眠っているから悲しみをもたなくて済み、孤独を忘れることができるからという。

これが闇のことで、妹の名前、ヤミーからきた・・・というのは本当かどうかわからない…。
黄泉の国がヨミと読むのも、閻魔大王のヤマor妹のヤミーから関係しているというのもあるかも?

鬼女伝説は、娘が母を供養することで来世、幸せになれるように魂を上天させた話なのだと思います。
そういった女性を担当したのが閻魔大王の妹というのならば、鬼女の娘は閻魔大王の妹なのだろう。
受胎告知みたいに誰の子かわからないけど、岩場で生まれた子は聖者と解釈される。
なので鬼女伝説はマリア信仰にも似ている。
そういう場所には水を祀る。

久昌寺の風景はとてもきれい。
のんびり里を巡りながら、母娘の伝説を想像してみるのも面白い。
このお寺に来ると、鬼女といわれても悪い人ではないのだよと、優しく受け入れてしまう。
そんな気持ちにさせるお寺でした。

※山名は岩谷山といいこの岩の側に観音堂があります。
(左に光が写ってる~)

25_2

▲別所の地名---------------------▼

もうひとつ気になるのが、久那と別所という地名。
久昌寺(きゅうしょうじ)は久那にあり、この地区では水神と聖天社を祀り、鎮守が葛城神社なのだ。
葛城は大和国(奈良県)の頃、山岳信仰を集めた所で役小角が関わっていた。
葛城神社は武甲山を向いている。
もう一つこの地区には、杵築神社がある。こちらは武甲山御嶽神社にも祀られていた出雲系の神。こちらも武甲山を向いている。

ちなみに北へいくと吉田町など椋神社を鎮守としている地区が多く(皆野、薪田など)
雷神は、皆野、定峰、寺尾地区が鎮守。(これは群馬県からきていると思う。)
東へ南下していくと水神社と聖天社が集中しており、久那地区意外では、水神社は田村、大滝、坂本地区が多い。
芦ヶ久保や名栗方面の多くの地区では聖天社を鎮守としている。

巴川は大きく8の字に濁流している川で、江戸時代の日本画家、谷文晁の名山図絵にも描いていたほど
昔から有名な場所でした。
この巴川のある久那の隣が「別所」という地名。
別所は、縄文遺跡の集落がある所につけられるようです。
ベツは「ペッ」で、アイヌ語の川の意味。
ペツは小さい川で、ナイは大きな川で分ける。

他にもこんな説があった。

「別所」という地名は、奈良時代から平安時代初期に行われた征夷の結果、俘囚となった人々を移配した所だとされる。(全国地名辞典)
その関係で別所を設けたという説が、福島県相馬市にもある。
福島県相馬市に太田神社があり、相馬妙見信仰で星宮ともいった。
ご祭神は、天之御中主神。
1323年、相馬重胤が下総国相馬郡から陸奥国行方郡太田村に妙見神を持して移住し、最初に居を構えた別所館を跡地とする。

この神社の宮司さんは佐藤姓なのだが、江戸時代まで「多」姓を名乗っていたそうだ。
太田神社も多氏のオオからきているという。
多氏は、その征夷に参加しており、その関係で別所が設けられたという説。
相馬市の太田神社は妙見宮とされる以前から多氏が宮司を続けていたと考えらています。

(参照:「産鉄族のオオ氏」)

2501_2 Temple01_2(弁天池と観音堂)

秩父にも太田部という地名がある。
秩父神社の妙見信仰と相馬市の妙見信仰も同族といっても過言ではない。

久那の久昌寺は白龍王弁財天があり、この近くの札所12番は「白山別所」といわれ、別所小太郎という人が住んでおり、縄文時代~古墳時代の遺跡が3か所見つかっている。

秩父の地名にはアイヌ語が残っている所が多いのですが、久那というと、岩手県にある「久那斗神社」を思いつく。
クナトは他に、山梨県久那土(くなど)がある。

岩手県久那斗神社のご祭神は木箱だとか。
明治政府が押し付けた?らしい。
木箱とは国家の象徴というが。。。
本来は、仙人様という一つ目の神様。岐之神ともいう。

この神社があるところは、平泉の黄金ルートのひとつで、鉱山開発のために仙人峠を越えるのが大変だった。その安全を祈願するという事で建てられたようですが、エミシの境界を引くために置かれたと思います。

久那斗神社に伝わる伝説は、983年、俵藤太秀郷の嫡子俵之助秀忠が修行の途中にこの地に立ち寄り、赤渕に住む大蛇の頼みを聞いて黒渕に住む非道の黒大蛇を退治し、その礼に赤大蛇から大鏡を送られた。
その大鏡を山の上に引き上げ御宮を建て、荒神を祀り「岐之神仙人大権現」として祀った。

岐神は、黄泉国から帰るイザナギが筑前日向で禊をする。
その時に投げ捨てた杖から生まれた神が、幸神、塞神=道祖神とされる。
それに対し、海神は都岐多都久那登(ときたつくなと)という。
また岐は、「ふなと」のことで海神の意味。

道中の安全にクナトを置いている?
それは、鉄族にも深く関係していて、塞神のサイは鉄の意味の古語「サヒ」からきているとか、
イザナギ、イザナミの語源は、鉄鐸を「さなぎ」と読み、そこからきているとか、いろいろとあります。
アラハバキなどの「アラ」には、鉄の意味があることは定説になっていますが、常陸国風土記に「あらさかの神」という歌がある。
あらさかとは、荒神のことで産鉄族が信仰していた神のことだといわれる。
荒川のアラも、あらさか神の川だから、荒川なんだと思う。

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Benten_4(弁財天)

(杵築神社から見える武甲山)

和銅開珎の聖神社(黒谷)にも古くから東北地方との交流があったのだから、秩父にもそのような鉱石を求めて遠くからやってきた鉄族がいてもおかしくない。
それに武蔵国の(現行田市)古墳などの特徴から、畿内地方にはなく群馬、埼玉県にしかない特徴ある古墳が発見されている。

偶然というのは必ずしもなく、その土地の因果関係があって地名や伝説は作られると思っています。

また面白い風習では、「ジャランポン祭り」というのがあり、生きたまま人を棺桶に入れて葬る
儀式。このような儀式があるのも、死からの再生を願う人たちや命を宿す所であったと思います。
水神社の御神体は、鏡だというのだから。

閻魔大王の妹という話をここに伝えた意味は?
別所に白山信仰のククリヒメが伝わっているのは?
弁天池を祀り鬼女を祈願する久那の由来は?

秩父は、はるか遠くから逃れてやってきた人たちの住処でした。
争いよりも山での生活を選んだ人たちの、厳しいけれど里の楽園でした。

<札所25番への道> 電車:秩父鉄道「浦山口駅」より徒歩30分。

西武秩父駅から西武観光バス・久那線乗車、終点「久那」停留所下車 徒歩10分。

春はカタクリ、秋は彼岸花が見られます。

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※各地の伝説・神話リストVer5/31(東北地方1)

2013-10-10 | ※伝説・神話リスト(東北)

今までの中から伝説・神話のリストをのせました。随時アップしていきますので、興味のあるタイトルから参考にして下さい。

※一つの記事に複数の伝説も含まれています。)

◆アイヌの伝説

1.ハルニレ http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/e9408d77b6aa4db797b808a4be6a8313
2.小さなアワの穂 https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0f9d7a1aad0d9c01776cbb15930fd5ba

◆青森県

3.八戸えんぶりhttp://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150215
4.十三湖のしじみ伝承 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20160410
5.十和田湖の龍伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/877ea13b049e103970ccdaedd0044139

◆岩手県

6.照井太郎高春(一関) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161101
7.皆鶴姫伝承(一関) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170720
8.藤原秀衡の狼伝説(平泉)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130826
9.平泉の三峰神社の由来http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100830
10.達谷西光寺、姫待不動堂(平泉)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131118
11.空飛ぶ舟(平泉)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150424
12.山伏岩(平泉)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150426
13.舞草刀の伝承(平泉) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3acd245b041f7ce7175922e0bad6a363
14.角塚古墳の伝承(奥州市胆沢) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/93bfe38afeee037692d23f205a405dfa
15.大工と鬼六(奥州市胆沢) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/00d160422f8b84da543bf3367293b4e5
16.小夜姫の伝承(水沢)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170311
17.水沢の蘇民将来 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170327
18.ホロワ山の伝説(戸倉・藤浜)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131108
19.丹内山神社の伝承(東和町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/9750dd2f60909b5d560021d1e07c8442
20.マヨイガ:遠野物語 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130530
21.狼の経立(ふったち):遠野http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100909
22.遠野三山伝説、卯鳥様、キツネの関所、カッパ石、続石:遠野物語 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130522
23.早池峰神社の遠野物語(遠野)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150922
24.遠野物語94(狐)(遠野)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3b218ddfd54d76b30465326120af28c3
25.八幡平の由来 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110705
26.豆渡り長者(八幡平) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/4e49ca8eba2baccc3a2ff1bbaf94aa02
27.三ツ石神社(盛岡) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140304
28.魚の女房と、みちびき地蔵(気仙沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150926
29.奥州馬の伝説(宮古市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161129

◆秋田県

30.老犬神社の由来 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110303
31.鳥海山の伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131007
32.黒百合伝説(鳥海山) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150526
33.秋田駒ヶ岳の手長足長伝説http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130806
34.白神山地のマタンキhttp://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/d7968bf027781128328c38dc189908f6
35.光る怪鳥(鹿角市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/829ba2c4beb4846024718ef3b76f339a
36.鹿角の神々の戦い http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/f76d7d45009b64268adc73328fb2ab06
37.だんぶり長者 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/697b7b3634f1b2a2f2d145cd6fe2f34e
38.マタギ犬を祀る老犬神社(大舘市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/9c6afea460e62e7d964544eef26012bd
39.なまはげと徐福伝説(男鹿半島)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/bad4851be34563529a95e77e1d14544b

◆山形県

40. 阿古耶姫の伝説(山形市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110722
41.歌懸稲荷神社の伝説(山形市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150117
42.水の種(山形市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140622
43.最上のすすき姫(山形市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170614
44.義家の橋・柏倉八幡神社(山形市) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/4d3ed92fd2a355bbe9d5e41aef3c3f6d
45.岩谷十八夜観音堂の由縁(村山郡) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/939d27418b47dbe0fe6c2d6ca9fb23d0
46.蔵王山と月山(上山市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/de1711f60de937997025742c723fe591
47.谷風と三吉山(上山市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3f82cdbff0645ef9bf641803834f61c4
48.面白山峠の雪女http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a2ec2a09505423afccffe0bda65d29da
49.天童の伝説http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150106
50.水晶山の伝説(天童)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150512
51.雨呼山の龍伝説(天童) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/be87247c1376072494e26258b445caf7
52.最上観音堂の由来(若松寺)(天童) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/785d799474aa152813aec3168d995db2
53.べんべこ太郎(天童) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170702
54.阿久津八幡神社と片目の葦(高畠町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/58ed6f69850dc707d8a23798621ae14b
55.ジジババ石(高畠町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/d8df5ede7b52c3382997ee0fc545494c
56.犬の宮の由来(高畠町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110303
57.山寺の伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110211
58.カッパのわび証文 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140116
59.白竜湖の伝説(赤湯) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20151227
60.赤湯の烏帽子岩(赤湯) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20151229
61.天女伝説(尾花沢)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170320
62.笛吹き沼と仙人堂(最上町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140727
63.材木沼の伝説(最上町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/765d13e1aaf00301012a6ff73c2b57dc
64.義経の瀬見温泉(最上町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/691c6591419da463869e7aeccd96f1cf
65.慈恩寺の七不思議(寒河江)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/79f2531b72495161021cadb8078e64b3
66.日月寺の伝説(西川町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/7021555d222a05d2639bd466e9bfce73
67.佛足石(西川町) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/2107bec7a17dfa19a9260f0c8c55c80d
68.鼓の滝と獅子踊り(羽黒町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140709
69.きつねとお羽黒山伏(羽黒町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6afffc1c85a7139253dc0078a8949ce1
70.酒田の地名由来(酒田市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150214
71.鳥海山の伝説(遊佐町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140714
72.丸池大明神(遊佐町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161114
73.ハタハタの由来(遊佐町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161114
74.蜂の援助(不明) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161004

◆宮城県

<仙台市・県南>-------------------------------------------------------------

75.蕃山の伝説   (仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110219
76.おいのいし  (仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130918
77.蛸薬師堂の伝説(仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101123
78.鷲倉神社の伝説(仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131104
79.太白山の伝説(仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140325
80.根の白石の伝説(仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150128
81.人来田の地名由来(仙台市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150726
82.乳考ヶ墓伝説(仙台市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/06753939b4a21679f4f3d22769f030d0
83.橋姫明神の伝説(仙台市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a498c86023e61a29ae35a4c01c8aa417
84.三居沢不動尊の伝説(仙台市) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a74d4d1528565b12d6d7e41e9609f088
85.名取老女の伝説(名取市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20141020
86.名取大舘山の樽水伝説(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150627
87.塩薬師堂の伝説(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/133989eece5ae5e583635ce997247b2e
88.城丸明神の伝承(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/273e1913754980a384bd5d2571869e14
89.カニと十一面観音(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c37a993034ac3dee15be5e8fa25b180b
90.秀麓齋の由来(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161203
91.老女と烏宮の伝説(名取市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161229
92.金蛇水神社の伝説(岩沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150112
93.竹駒神社の伝説(岩沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150116
94.円仁と大蛇伝説(岩沼) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170729
95.おすず姫(岩沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/8bcb5e6b6ab91041bbdf1960bc6c3649
96.値千貫の松(岩沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/90632fe6c337fbf027e5a779e37e1cbc
97.百合若大臣の伝承(岩沼)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/7387bda21dfd6beb271dbb793bbf5a39
98.岩沼の聖徳太子講(オデスコ)(岩沼) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/8e8ee019204bd94551536252b35596b4
99.安福河伯神社の由来(亘理町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140116
100.亘理町の鳥の海http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/8f518be7528360bf3e61f87302cd39b1
101.湊神社とサメ伝承(亘理町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6893247b737d7beec3b149e6f6124680
101.七ケ浜の深山権現   http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131129
102.鼻節神社の伝説(七ケ浜)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131129
103.青麻神社の由来 (岩切)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131016
104.悪玉姫伝説(岩切) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/920d1a790b8a7cc3b94701a996e8f9ec
105.藤鞭と牛石の伝説(塩釜)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131113
106.三本木町の狼 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110120
107.白鳥伝説と羽衣伝説(蔵王町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130925
108.刈田嶺神社の狛狗(蔵王町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/471861be6fe01e72eb32585ef3cf805d.
109.鉾附神社の伝承(蔵王町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161030
110.鎌倉権五郎景政の鎌倉温泉(蔵王町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/279ff43731de7025f4997099fcad48eb
111.悲恋の傾城森(白石市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/84043fc55ad96ce66b912f045099ccbc
112.鎌先温泉に伝わるかぐや姫伝承(白石市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/babb8f7a9d59e5cbd15ed1024f7fd109
113.菊面石の伝承(白石市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/496e066c6619b1363d619dee067a0ec8
114.田村神社甲冑堂の伝承(白石市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161127
115.馬牛沼の伝承(白石市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161129
116.萬蔵稲荷神社の伝説(白石市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170426
117.大高山神社の由来(大河原町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150404
118.お笛田伝説(大河原町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150407
119.青根温泉に伝わるあこや姫伝説(柴田町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20141104
120.葉坂の折石神社の由来(柴田町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a15755737e4ad77daf01349d7be361bf
121.雨乞いゆず、汗かき地蔵等(柴田町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161023
122.鬼の手掛け石(村田町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20160302
123.八竜様の怪童子(村田町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/bcc5bee453d8ce0c513f7ab82164dfe6
124.うなぎとかに(村田町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/9910d1151428b64d6474df6a883930d0
125.蛇塚八幡(川崎町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150228
126.雲から落ちた雷神(角田市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130911
127.相善神の由来 (角田市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130911
128.送り狼(丸森町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20151001
129.下瀧大明神の伝説(角田市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/e82a532f30ce4ada84cc883f2d097517
130.羽山と立石の伝説(丸森町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/552c0d648c45014c3a13a2684a166c0b
131.不動尊公園の伝承(丸森町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/79e59ddd5107f0236ae8872cd36900d6
132.筆甫の由来(丸森町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161005.
133.羽入沼(丸森町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170328
134.天狗の岩岳 (丸森町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/61dd00eefe337a1b4b15cae8cf49c6f7
<県北>------------------------------------------------------------

135.栗原市の三山伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130828
136.伊豆権現の伊豆沼(栗原市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6362608aa0d91be683e1acd9d57424b5
137.駒ヶ淵の伝説(栗原市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/ec15b5818f58a98a5b0c83dd9cfb96d3
138.炭焼藤太伝説(栗原市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20141105
139.醍醐ケ池の伝説(栗原市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20141106
140.イグサ嫌う神(栗原市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/be736a2813dfd08c36f6e32be908649c
141.鈴は口の言霊(栗原市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c343c77ffca3ff9e904447e985ea8df1
142.小野小町の墓(栗原市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170517
143.紫波姫神社の由縁(栗原市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170527
144.横山不動尊の青龍権現(登米) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161103
145.大嶽山の由来(登米) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170716
146.遠流志別石神社の由来(登米) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/01f4c0d26376ae3c4546f5458dc9c04e
147.将軍地蔵伝説 (定義山)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130815
148.鹿島神社の要石 (色麻町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130407
149.藤原経清の墓伝承 (色麻町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150125
150.須岐神社の伝説(黒川郡) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131208
151.鹿狼山の伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100905
152.七ツ森の朝比奈伝説(黒川郡)  http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a72d0eae4c6e3054b370ec0e1abb30e3
153.七ツ森玉ヶ池の伝説(黒川郡) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/80d0525f360032fc6b7482fa4040823
154.お河童様の磯良神社 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150530
155.十宮の富谷町伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c1323573944fd7c39faf0b74ddf863ef
156.船形山の伝説(加美町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100830
157.鹿島神社のおものめ様(加美町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a9c1bfe5548acdea58245b693d5541a9
158.アラハバキの地名由来 (大崎市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130903
159.カマ神様(石巻市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c0efcdbfd1d748e26cc1010dab13883e
160.日光の神々の本家は北村(石巻市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150305
161.人魚の森(石巻市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170709
162.天狗の栄存法印(石巻市) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/42be21149b679002442f1eba6d09d98a
163.高野山の巨石(志津川町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131031
164.月蝕のオオカミ(女川町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/30211232863126cbf0a24a647e1ed0a8
165.江島の伝承(女川町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20170712
166.桃太郎伝説の続き(牡鹿半島)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20151018
167.海坊主(牡鹿半島) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3b80fa9eb26a04c243495f8d6602fab0
168.御崎神社の由来(唐桑半島)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/84e79850e69c4f9fefdc51bbce3afc21

◆福島県

169.柳津町の伝説 (会津)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101206
170.会津磐梯山の伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131224
171.八槻の都々古和気神社の伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130719
172.立木観音堂の伝説(会津) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/768be445a028913c8387bbb550f68d19
173.赤べこの伝説(会津) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/2b451d08313c2c916dec83cfb390ca8b
174.梁取の地名由来(会津) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/2b451d08313c2c916dec83cfb390ca8b
175.七尋泥鰌(ななひろどじょう)の伝説(会津) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/8a4d9e987fdc6889157dfc647ebe8e9d
176.弁天様と飯盛山(会津)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161015
177.沼沢湖の大蛇伝説(会津) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20161206
178.岩角山の伝説(本宮市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a4d6e36c904237c2af5dd66f1871f486
179.石都々古別神社の由来(郡山市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/030b7b4a2481838a4a64948ea5c953a5
180.八槻都々古別神社と土蜘蛛伝承(郡山市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/e33fd88e44361d280ef9971f6b210630
181.虎女伝説  (福島市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20120302
182.吾妻山の巨人説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110129
183.信夫山の由縁(福島市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140719
184.白狼の墓標 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140702
185.吾妻山の雪うさぎ(福島市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/390b34c5e86f034c52384103a5da33eb
186.鶏と蛇の話(福島市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/f9c38be9d4aaf87704e68b889d2e86d1
187.中野不動尊のあんど釜(福島市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/b05565ce4c4bbe31dd4fe6630fc116d8
188.蚕租神社の由来(福島市) https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/211711168352ea2d9409e8888285e73d
189.飯坂温泉の由来 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0b9dc110669b4aacbacc7f4967d3f5ff
190.水蜘蛛(国見町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/62f96b48ac3be4a9a0797211f6bbb685
191.
.半田沼の赤牛伝説 (桑折町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101010
192.半田沼の桔梗伝説(桑折町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/52b192e883d559048760a2468058a97e
193.
.女神山の伝説 (川俣町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100919
194.月宮神社の由来(川俣町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20151011
195.虎捕山の伝説 (霊山町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100905
196.マタギが見た霊山の宝物(霊山町) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/01dab3df12c9c99681339015c96c3e8e
197.高子沼の金と丹露磐(伊達市保原町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150918
198.坂上田村麻呂の鬼石観音(伊達市梁川町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/ea725b745abe4b51e0722d8f44d8bd86
199.相馬神社の由来(相馬市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/beda61e1d1b167ee9e1593213ce8e75a
200.子眉嶺神社の鏡池(相馬市)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/fd878bc15d0901b987abc6a1c84bf972
201.磐梯山の弘法清水の由来(磐梯町)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150506
202.阿武隈鍾乳洞の鬼伝説 (田村市) http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150504

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氷雨除けの護符

2013-10-07 | 武甲山

Fuda01
横瀬町資料館に展示してあったのを気づかなかったのですが、端っこに不思議な護符が。

「武甲御嶽大神氷雨除守護」
「熊野大神氷除御秡」

氷雨とは何だろう…
冷たい雨の事だけど、雹(ひょう)や霰(あられ)ともいう。
雷とも関係してたりして。

冷たい雨が作物に影響を及ぼすことによるものか、それとももっと深い意味があるのか…

秩父は焼畑をはるか昔からやっていました。
秩父に諏訪信仰が多いのは、焼畑農業を進めていた人たちが秩父に住んでいたからでしょう。
神話で火に囲まれる話は、焼畑のことを伝えていると思います。
氷雨が降らせるのは、焼畑から稲作農業への変換期の象徴もあるだろうし、異文化の交流や、中には権力者への支配に翻弄された山人もいたと思う。

氷雨を避けるということは、農作物の被害を守る意味もあるだろうし、権力者の交代という意味もあるかもしれない。
でも伝説の中の氷雨には、不思議な話が伝わっていた。

武甲山の伝説では、ヤマトタケルが兜を山頂に置いたので武甲と名付けた。
ヤマトタケルの最後は、伊吹山で神の化身である白い大猪に氷雨を降らされて失神してしまう。その後、気を取り戻すがそれが原因で亡くなってしまう。そして白鳥になったヤマトタケルは大和へ帰るのでした。
白い猪の怒りをかってしまったのは、ヤマトタケルが猪が神とは知らず、帰りに打ちまかせて戦おうとしたから。

伊吹山も石灰の山で武甲山と同じ性質の山。
ヤマトタケルは石灰山が好きらしい?

氷雨によって亡くなってしまったヤマトタケルの伝説が伝わるから武甲山も氷雨除けの護符で祈願をしていたのでしょうか?

この氷雨について考えてみました。(考えるのか…)
まとめてみると、

1.火の神を冷やす(消す)ための雨
2.「ひさめ」は女性酋長の象徴
3.女性との結界を示す

氷雨が古代にどのように考えられていたかわかりませんが、

古事記や神話などの話によると、氷雨がでてくるのは、先に説明したヤマトタケルの伊吹山と秋田県の鳥海山、神武天皇東征の時です。

いずれも、大和側?か古代王国を支えていた氏族と後からやってきた渡来系氏族が関係しているようです。

▲氷雨の氷(ひ)----------------▼

氷雨の「氷」は、「ひ」とよむ。
古くは冰(ひょう)と書いた。これは、氷の割れ目を描いた象形文字の「冫」に「水」で「冰」となった。

氷川神社も氷を使っていますが、旧漢字を使っているのが、宮城県陸前高田市にある「氷上神社(ひかみ)」です。
氷上山は信仰の山で、神社はその山をご神体にしている。
ご祭神は、衣太手神(きぬたてのかみ)、登奈考志神(となこしのかみ)、理訓許段神(りくこたのかみ)あるいは、天照大神、スサノオ神、クシナダヒメ(稲田姫命)

(あるいは、天照大神、速進男神、クシナダヒメ(稲田姫命))
この三神の名前は、アイヌ語からきているそうです。
きぬたての神は、森の中に鎮座する神、となこしのかみは、沼を超えた遠くの神、りくこたのかみは、丘の村の神。
土着神と大和神が一緒になっているみたいです。
氷上山付近の3か所に神社を祀っていたようですが、昔は境内に三峰神社が祀られていました。
現在は、陸前高田市の町(名前忘れた)に遷されています。
震災の時、津波はぎりぎりで大丈夫だったらしく今もあるようです。

氷上山の伝説では、太陽神と考えられ山頂付近では火事があっても自然に消えるので、火の神として祀られた。火=日の神ですが、なぜか氷という漢字になった。

秩父の宝登山にも火災に囲まれてしまったヤマトタケルに狼が助けて導いてくれたという伝説がある。
どちらも火に関係してる。

火と水の融合と考えた信仰でしょうか?

Yokoze_2 (横瀬町の棚田)

▲鳥海山の鬼は女性?------------------▼

鳥海山は卵生神話の山で古くから信仰の山として有名。
伝説では、慈覚大師(864年)が日本の東北から五色の光が放たれていたので、訪ねて登ってみると、鳥海山だった。
そこには鬼が住んでおり、氷雨を降らせて抵抗したので大師は、火生三昧(かしょうさんまや)
の法で火災を起こして焼きつくしてしまった。
鬼は退き、仏法を保護することを誓い、大師を先導し大路を開いたと伝わる。

鳥海山は、578年、708年~715年、それ以降の140年間は活火山でした。
噴火の話とも考えるのですが、エミシは天変地異が起こると反乱をおこすと信じていた大和朝廷の人々の恐れもあったと思います。
自然災害の度に神社が昇格するのは(秩父神社もそう)エミシなどの土着民の反乱を、朝廷の命令から鎮めたことへの報酬と考えられています。

なので、抵抗したのはエミシなどの先住民で仏法を受け入れた話だったりする。
また、鳥海山は大物主忌神を祀っている。
ここで気になるご神祭が、トヨウケヒメ。
トヨウケヒメは伊勢神宮の最もな神らしいですが(あんまり伊勢神宮のことはわからない)元はイザナミ(女性)からでてきた神様で、カナヤマヒコ、ミツハノメなどの一族となっている。

白鳥説の中で、イザナギは白鳥、イザナミは鷹。という異なる鳥のトーテムを信仰していた部族同士の結婚だとする説がある。
東北では日高見(北上)の神話が確かに多い。日高見の高は鷹のことで、タカミムスビの事だという。とすると、その5代目がトヨウケヒメとか。
タカミムスビは、熊野から大和へ道案内した賀茂建角身命で化身がヤタガラス。
味鋤高根彦と同一といわれていて、タカヒコネの高が、鷹ということも言われている。

その系譜にトヨウケヒメがいるとしたら、女性であって鷹族のイザナミの系統をもつということでしょうか?

鬼というと大体、鬼婆場で女性の話が多い。鬼爺はあんまり聞いたことがないな…。
鳥海山の鬼が女性だったとしたら、大師に導き、その路を開いたのは女性であって、外部の人を受け入れるか否かを決定した人が女性だったでしょう。
そのような女性がリーダとなる女性酋長の村があったと思います。

氷雨を降らせた鬼は、火災を消す火のおまじないのような事をしていた気もする。
火は水より強いから。
それより強い仏法の教えによって降参したということを伝えたかったのでしょうか?

また、女性だと思う理由は、もうひとつあって熊野の氷。
これはこの護符に関係しているかどうかわかりませんが、神武天皇の軍勢が、長すね彦を攻撃した時、なかなかうまくできなかった。
その時、氷雨が降り金色のトビが飛んできて弓に止まった。鷲という説もあるのだが、トビという鳥。トンビの事かと思うけれど、鳴き方に特徴がある。

その矢に止まったトビが光輝いて目がくらみ、長すね彦は降参する。

このトビの由来が、トベの女性酋長のことでは?という話。
女性の酋長には、○○トベという名前がつく。それがトベ~トメ~トネになったという。○○トメも女性酋長の名前。
利根川はトネからきている。利根川付近には土蜘蛛とよばれる先住民がたくさん住んでいたそうですが、その氏族たちは女性酋長であることが特徴なんだそう。
確かに、鹿島神社は利根川など川を挟んで三角形を造るのが好きだから、水神を意識して祀った祠は、水神の女神を考えていたかもしれない。

長すね彦のような戦いにてこずるほど強い人が降参するのだから、よっぽどだと思う。
母か妹か同じ家系の女性だったりして。
似ているのは、役小角。この方の魔力があまりにも強いので捕まえることができず。そこで役小角の母を人質にして役小角を呼びよせる話は有名。

長すね彦の話も、婚姻が関わっているかもしれないのですが、それが原因?で東北へ逃れます。

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▲ひさめの響き-----------------▼

「ひさめ」はとても女性的な言葉です。
母音がたくさん詰まっているような音に感じます。

女人禁制とは、女性との結界を置くために石を置いた風習があったそうだ。
でも仏教は女性に対して積極的で、比較的受け入れてきたのです。
秩父の太陽寺があるように女性を受け入れています。
しかし、人間の欲は離れることができず、そこに境界を設けて女性から立ちきることをしたのが、男性主体の修験にあると考えます。煩悩を捨てられない時は、その結界をくぐる・・・。
意外と自由な山生活もあったと思いますが、下界に帰りたくないから山に登ったのに、女性がたくさんいるのも困ったことだと…。
仏法により鳥海山を焼きつくしたというのは、女性に対する穢れもあったと思います。

結界を象徴する道祖神は猿田彦と結びつけられますが、これも婚姻が関わっています。
天孫降臨の時に、アメノウズメを道案内した猿田彦は結婚したという話になっている。先に住んでいた先住民と後からきた渡来人の婚姻のことだと言われています。

そのまんま素直にみたら、白鳥は白人、鷹人はアジア人にみえる。
白いものは、白い人、石灰の山は白いから白い神。
昔はそのまま考えていたわけだから、やはり異なる氏族同士の結婚が流行っていて?
そうやって日本人の血縁を広めたのが物部氏や秦氏などの渡来系氏族ではないでしょうか?

今よりは自由ではなかった時代、女性たちは必至に抵抗していたのかもしれません。
差別的に女性を排除された歴史があるから、観音霊場が建てられ多くの山神、鬼伝説など、女性を弔うようになっているのです。

秩父では鬼女を祀っている観音堂があります。(このお寺については後で)

単一民族の中で9種類のDNAを持っているのは日本人だけ。
普通は2,3種類なのだそうですが、これだけ多くの遺伝子を持っているということは、地球上の全人類を統合させたい民族を作りたかったと言っているようなものです。

だから日本の神話はいろんな人物や名前がごっちゃになってとっても複雑!
でもなぜか、世界中に伝わる洪水伝説だけは日本の神話にない。
それが日本列島に残された秘密。

武甲山が氷雨除けとして考えられていた信仰があったことだけでも大きな発見でした。
鳥海山のように、武甲山も火神と水神であったと思います。
氷雨の月神、太陽の天照神。
男性と女性の融合で子供が生まれる三位一体。
宇宙では、月と地球と引力。
宇宙の摂理に関係している山には、この三神を置きます。
秩父は武甲山だけでなくて荒川も含まれる。

やはり、武甲山は母なる山で武甲山の清水は命を産み、荒川に流れているのでした。
昔は鍾乳洞窟がたくさんあったと思うので、洞窟は胎内だから母神として祀られていた古代から、修験道ができて観音霊場が伝わり武甲山が太陽神になったと思います。

最近、角田や蔵王方面などへ行くことが増えて、白鳥やヤマトタケルの話が降ってくる。
ヤマトタケルは女性だったのでは?と思います。
実際にいたかどうか不明だということは、女性であった事も無視できない。
東国征伐で大和朝廷に帰ってきても、何も評価されず白鳥になって飛んでいったという完結は不自然だし無理がある。

今度は、総本山の蔵王山に登ったら何かわかるかも?しれません…妄想は続く。

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荒川は鬼の涙

2013-10-02 | 日記・エッセイ・コラム

むかしむかしの大昔、奥秩父の山奥から大きな鬼が里に出て来たと。
その鬼は、大きな緑の石を背負っていたそうな。
大石はきらきら陽に輝いて、行きあう人がその見事さに思わず驚きの声をあげたほどだ。
得意になった秩父の鬼は、歩きにあるき、歩きつづけて都の近く今の浦和あたりに来た時、さしもの力自慢も疲れはてたか、背負った緑の大石をドボーンと落としてしまった。

なんとしたことか、緑の石は根の生えたようにみじんも動かない。見渡す限りの広々とした田園の里を流れる川の中にドッカと座って、てこも動こうとしないのだ。
力を落とした大鬼は、とうとうあきらめて大粒の涙を滝のように流しながら、泣き泣きふるさとの秩父へ帰ったのだそうな。

なぜ鬼が緑の石を背負って都へ向かったのか?
それは鬼にきいてみなければわからないこと。
でも、穀倉地帯の浦和あたり、干ばつ続きの時、この石の周りを掘ればコンコンと水が湧き出るという伝説が今でもあるという。

山の神々のありがたい思し召しで奥秩父の緑と豊かで尽きることのない水を鬼を使者として南の人々の差し向けたのかもしれない。
そういえば、荒川は今でもこの大鬼が歩いたとおりの道筋を流れ続けている。

参照:秩父散歩 民話の里みち札所の小径(秩父野の花の会)昭和55年


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(荒川源流と長瀞から荒川を眺める)

▲あらかわ上映会----------------▼

先日、「あらかわ」の上映会に参加し、観てきました。
ドキュメンタリー映画で、フランスでは高い評価を得ましたが、秩父では一般公開していません。
今後も要望があれば上映しますが、DVDが発売されるとの事。
情報がありましたら、またお知らせします。

荒川は埼玉県・東京都などの首都圏に水を供給している川。
奥秩父地方は、その荒川を生み出す巨大な森のダム。

秩父はダムが多い。なぜこんなにダムが多いのか?

滝沢ダムは長細く大きいな中津にあるダム。
住民の移転を迫られた人々の村での生活、文化、山仕事、猟師など思いを綴った映画です。
「村が沈む」ということで、子供の頃、ニュースでみたことを覚えています。
滝沢ダムで移転を余儀なくされた方の住居は、武甲山がよくみえる高台にあり、私の住む家の近所にありました。なので、この映画の撮影は20年以上も前になります。

ダム側の意見としては、「あんな山奥に住んだって若い者も皆な出て行ったし、よいじゃぁねえ(大変)。ここから出てもっといい暮らしができる方がいいだんべ」
と、思うのだ。

Arakawa00180歳代の高齢の方が、「第二の故郷としてがんばりましょう」と言っていた言葉がとても印象に残りました。
千島姓が多い大滝の方々。どこか遠くから奥秩父へやってきたご先祖様の道筋を受け継いでいるような気がする。
寂しいけれどもそれでも生きる、その力強さはなかなか持てません。

最後まで、生まれ育った山の暮らしで余生を過ごしたいと思うものですが、その暮らしも思い出もすべてダムによって沈んでしまいました。

「本当にダムが必要なのか?」
そんな問いかけに答えはなく、問題はたくさんつまっていました。

秩父の自然環境の現状に詳しい野口先生より参考にしてまとめてみます。
(2009年9月 賑わい塾より)

・ダムは少なくとも30~50年の歳月がかかるので地域分裂がうまれる。
・水の上げ下げ(夏と冬の調節)で、地盤がゆるむ。
 二瀬ダムはゆるくなっているのでその補強にお金がかかる。
・水事業を過大に見積もる
・砂利が流れてこない。川の浸食だけが進んで荒川はほとんど岩盤化し、砂利が多すぎて水がたまらない(100%のうち80%くらいが砂利)なので砂利をくみ上げてダンプカーが運ぶ仕事が増える。そのため魚の産卵が減った。
・浦山ダム、合角ダムは平地にあるので、水の温度が高い。そのため水質が悪くなる。
 地元の要望より「清水バイパス」というものを造った。
 (清水バイパス・・・ダム湖に水を落とさず上流の水を直径1mの管でダイレクトに落とす。)
 18億円という巨額を投資したが効果はなし。
・生活用水原単位は、一人一日何リットル使うか、ということです。
 節水時期に下がるのはわかりきっているので、どんどん上げるのです。
 安定水位とか不安定水位という言葉が使われているのですが、ダムの水は安定水位です。私たちが沢の水を使っていることは不安定水位です。

※沢の水が不安定だからと言い、ダムの水を使うようにしてどんどん水位をあげて、
ダム開発を進める仕組みになっている。

現在は、アユが登れる川づくりを試みながら、ダムの技術も自然と共存できるように奮闘しているようです…。

美味しいものを食べて、おしゃれして洋服を買って、車でドライブして…という楽しみも大事ではありますが、その影で失っているものはたくさんあり、人の痛みや悲しみの上にダムがあることを忘れてはならないと思います。


川をよくするっていうのは、どういうことかというと、
当然、木を植えたり森を回復しなきゃならないだろうし、
地下水のことや昆虫のことを考えなきゃならない。
で、今度川の中の生物が生き返る。
それが生き返ることは海の生物が生き返る。
だから、漁師は何を考えるかっていうと、
やっぱり山のてっぺんまで思いをはせないとね。

「あらかわ」より

Arakawa01 Arakawa04_2
写真:皆でおいしい地場産のものを食べながら、大賑わい。
   武甲山の写真をとり続けている写真家篠島さんの熱い語りと歌で盛り上がりました。

写真下:猫も参加してくれました~♪

▲アラという言葉-----------------------▼

さて、話を変えて古代の歴史からみる荒川。
言葉の響きですが、アラの「ラ」は、父音。
父音は、清音のK・S・T・N・H・M・Y・Rと濁音のG・Z・D・B、反濁音のPで13音。
この言葉の特徴は、はるか昔ヒッタイトがあった鉄の国や中東などあちらから来ているようなのです。

ちちふの乳から「母音」+荒々しい川の「父音」=子音が生まれる。
母音は、おそらく縄文やアイヌ人から生まれた日本の言葉の元祖だと思います。
荒川や阿武隈川など、どちらも「ア」から生まれる。
アは、生み出す力の意味があるといいます。

荒川が強大な水を供給できるのは、言葉から考えるとその通りで、川にも言霊の響きが記憶されているから、強い川になっている。

Arakawa03

利根川のトネは、女性の酋長が住んでいた所といわれるので、トミやトネなどは女性の意味のある母なる川だ。
そこに大きな前方後円墳があって強大な王国があったのも、当然のことだろう。
荒川も利根川も水の恵みによって豊かな稲が育っていた。

食があるということは、母乳がでるということで、子供が育つことが一番大事なことだった。
母なる川=母乳で赤ちゃんの成長を願っている。

秩父札所観音霊場が、最後の札所として1か所増やして100にしたのは、日本語にあると思う。母音+父音=子音で100音になる。
そのような思想に基づいて考えていた人はいたと思うし、その思想に基づいて巡礼した人たちもたくさんいたでしょう。

観音様が水神であるというのも、ここからきていると思います。
水は言葉を生み出した存在なのでしょうか?
水が記憶するとはよく聞きますが、水から命が生まれていることをはるか昔から知っていた人たちがいました。

その人たちがどういう人たちだったのか?

このブログのテーマなのですが、まだまだ追いかけていくつもり?です。。。

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