秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

岩の聖地:聖岩(光岩)

2013-03-28 | 洞窟・巨石探訪

秩父にも不思議な場所はたくさんあります。

岩がゴロゴロの聖岩。標高は720mくらいで大滝(荒川村?)にあります。

日が差すと岩が光ってみえるので、光岩ともいいます。

Iwa08

表現するなら、岩をかきわけて歩くと言ったらよいか?それくらい岩がゴロゴロたくさん。

歩いている途中で、ふっと古代にタイムスリップしたような時空を感じて、まるで武甲山にいるみたい。

とっても不思議な場所でした。

Kodai Iwa05

三峰口から歩いていけると思いますが、登山ルートはないのでとっても危険です。

一人では行かない方がよいです~。

岩も様々な形で大きい。

Dance_2(踊っているような木)

途中から急な斜面になり、石も柔らかいものがあったりで、ちょっと足場は危険。

聖岩を直登するのはさすがに無理なので、少し迂回して登りましたが、かなり急な斜面を四つん這いになって登るようになり(じゃないと登れない)久しぶりの登山だったから、激!筋肉痛。

Iwa04 Hikari_2

実は犬のように四つん這いになるってすごく楽。

二足歩行は危険だね。昔の人(ホモサピエンスくらいの昔)は、四つん這いになって山を自由に登ったり降りたりしていたと思う?

二足歩行になってからずいぶん人間は弱くなった・・・などと話をしながら登ること約1時間半。

怖いながらもやっとこさ山頂に到着!!

Inori Iwa03_2
山頂で木々に祈りをささげ、おいしいおにぎりを頂く。

ありがたい。自然に感謝。

でもこの時すでに下りの事を考えてしまい、集中できず・・・(笑)

 

登ってきた道を下るのは危険と判断し、もひとつ先の急斜面を登り尾根つたいに下る予定だったのだが、上までいってびっくり。

崖っぷち。先の尾根がみえず。

たぶん降りれると思うのだけど、危険すぎる・・・

で、半泣きで再び同じ急斜面を下ることに。

木々の根は古くて手をかけてもポキポキ折れたり、鹿のフンだらけで手を置く場所にも気を使う。。。

足がずるってすべって落ちたら・・・・。

Katari_3 

何度も頭によぎるほど・・・、危険!

かと思ったら案外下りは大丈夫でした。

誰も怪我もなく無事降りられて良かったです。(今回は経験者と一緒だったからね~)

登山に慣れてる方も、ここを登った方は「二度と登りたくない」という意見あり。。。

そーかも。。。

Tasogare (恐竜岩)

なので、無理に山頂までは登らなくても面白い形の岩を楽しめることは間違いありませんので、登らない楽しみ方を次から提案できたら、と思います。

面白い岩には勝手に名前をつけました・・・。

Tako Torinoki
(左:タコ岩   右:鳥の木)

聖岩降りて沢のある方面へ歩いてまわると、剣岩(つるぎいわ)というのがありました。

浸食した岩が、このような形に残った面白い岩です。

ここはとても気持ちがよく、ふかふかの葉のじゅうたんがまるでソファーに座っているような感じ。

夏の暑い日もおすすめかも。

Nemuru

この聖岩についてはほとんど情報がないのですが、近くに双体道祖神があり、祠もあったようなのですが、確認できず。

聖という名前をつけているので、無名のお坊さんが登っていると思います。

Tobira_4 Koke

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

古御嶽城跡報告会(まとめ)

2013-03-26 | 新横瀬町誌

Hijiri
3月24日(日)
曇り空の中、荒川の音と聖岩が見える場所で行いました。
秩父の歴史~民俗学まで幅広い話になりましたが、今なぜ、この城跡に注目しざる得ないかは、感じ方は人それぞれにしても、良くも悪くも現実に「有る」ものを、無視できない人間の性が「生きる」ことと同じであって、それを見つけた時に始めて見つけられらた者(もの)は、息を吹き返すという命の構図。

それも人間の欲求のひとつであると感じました。

それがワクワクするのか?
触れたくないのか?
面白いか?
知りたくなる好奇心か?
嫌な感じがするか?

は、参加者みなそれぞれ感じ方は違いました。

その力を与えている存在は何か?というと、やはり武甲山であるという結論に達す。
特に横瀬町はその影響を潜在的に強く受けているところと思います。

※なんのこっちゃわからん。。。という方は、まずこちらを読んで下さい。

古御嶽城跡(新横瀬町誌)http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130223

この城跡についてどう感じたか?いろんな意見があがりました。

1、100年くらい前とかに、武甲山の未来が霊的にみえた人たちが、その供養のために石碑をおいたとか。

 

2、大事なところが他にある。三角山を守るために武甲山が犠牲になった。

 

3、城跡は無念だった気がする。石碑を置きたくはないが、他の神々がたくさんあると自分たちの産土神もそこへ置かないと忘れられてしまうような、そんな仕方ない気で置かれたところも感じられる。

 

4、自分の霊統という魂の親子(血のつながりはないが魂のつながりがある系譜)のつながりに無意識に動かされ、その地に導かれる。城跡はそのような場所であり、代々その系譜を受け継ぎ、次の世代につなげるために、いまこの時にこの城跡がクローズアップされた気がする。

 

5、何かの構図、祈祷のような配置でおかれている。

 

6、城は神社とあまり区別していなかったから、立地条件に城を建てることはある。

ある石碑の裏に自分の先祖の名前があった!という発見もあったようで、先祖のつながりは無視できない生きるために必要なひとつの契約。

なので、その地へ導かれた結果、先祖が記した痕跡を次世代が発見するという行為が、「みたま」というむかしから日本の言葉で使われた魂のつながりのことなのです。
それは延々続くもの。

でも、それに気付いたら、さて今後どうするか・・・!?は代々供養していかねばならない責任もあるわけで・・・。それはそれで良かったのかどうかはわかりませんが・・・!?

▲構図からみるここの地主神は?-----------▼

まずは数ある情報提供して頂いたGarさんありがとうございました。
とっても勉強になりました。

私の産土が祀られている小山は最初に住んだ人が祀っている祠の隣にどんどん次に移り住んできた人の神々を置いたため、5つの社があります。(ひとつの社を5つにわけている)
なので、古御嶽城跡も次から次へといろんな人たちが石碑を置いていったと思います。

が、なぜここだけに?

Zu(クリックで拡大)

数ある石碑の中で、向いている位置が異なる石碑があることが気になりました。

例えば、中心と思われる三創世神は西側秩父市の方向に向かっていて、他の石碑もほぼ西。見晴らしはまあ良い感じ。それに向き合う形で聖徳太子が東の三角山の方を向いている。
北側を向くのは、八坂神社、少那彦名命、稲荷神社・琴平神社の石碑。

その中で、南の武甲山に向かっている石碑がひとつだけありました。

それが金山彦命でした。

この石碑は、中心の三創世神の石碑の後ろに大日尊とともに置かれています。
(大日尊はよくわかりません)

順番では、上の方が一番位が高いわけだから、御嶽教の三神よりも上に金山彦がいるという事。なので、この神が一番先におかれたと考えると御嶽教も気を使って三神を
手前に金山彦より手前においたかもしれない、でもすごい目立つけど・・・。

なので、この金山彦神が地主神であると思われます。

金山彦神は、和銅がとれた黒谷の聖神社にも祀られて、鉱山の神として知られています。

それには「金」という言葉や地名がキーワードで、横瀬町では「金」とつく地名は見当たりませんが、ここの城跡に似たような場所がありました。

埼玉県児玉郡神川町に御嶽山とダイジン山があります。

ダイジン山は旧神泉村にあり、周囲はゴルフ場になっています。

鏡岩という大きな岩盤があるのですが、ここは金鑽(かなさな)神社がありご神体が御諸山(みもろ山:もしくは御室山)です。
すぐ連なって御嶽山があり、二つの山の真ん中に鏡岩がある鉄岩で、ご神体を山とする神奈備山で古代祭祀の面影があるとされています。。

古くは金山彦をお祀りしていました。

また、金鑽の語源は砂鉄と考えられ、御嶽山から鉄が産出されたといわれています。

しかし御嶽山より先にあった山(信仰していた山)がダイジン山ではないか?とも考えられます。

ダイジン山の登り口には「三笠山神社」や八海山神社などの石碑があり、山頂の「御嶽山神社」と合わせて計7つの石碑がありました。

茨城県の鹿島神宮の前は「三笠山」と地元の方はよんでいました。

そこに気になる神社を発見。
「阿諏訪社丹生神社」というのがあり、このあたりは丹生神社が多い。
昔は児玉党が住んでいた地域でもあり、丹生(水銀)に携わっていた一族でした。

もひとつ「三社宮」という神社もあり、これは「みしゃぐ」と読むのではないか?と。
ミシャグとはミシャグジのことで諏訪地方に伝わる蛇神。白い蛇が象徴。
この信仰は建御名方神(タケミナカタ)や洩矢神(モレヤ神)と同一視されているのです。

実は、古御嶽城跡には私が確認した以外にもいくつかありまして、聖徳太子の石碑から横道にいくと「○○(画数の多い旧漢字)草○日不合尊」という石碑がありました。(手書きの写真を参照してください)これは「ウガヤフキアエズ」のことで、竹内文献という古い文献に記される神武天皇より前の王国があったという説。
火々出見命の子鵜萱葺不合命(うがやふきあえず)が開いた王朝とされています。

その石碑の裏にあった名前が「守屋」さんだったのです。

秩父には諏訪神社がたくさんあり荒川に沿って影森~長瀞まで10以上の社が置かれています。
荒川を意識して祀られたかれたと思われる諏訪神社。

鉄の他に水も重要であったことを大事していた一族が守屋氏でした。

▲諏訪と秩父の関係----------------------▼

古御嶽城跡とはちょっとずれますが、武甲山を知る前に諏訪を知る必要があると思ったので、
まずは守屋山をご神体とする諏訪について。

鹿島神宮~武甲山~秩父神社~諏訪神社まで東西にほぼ直線に並ぶ経度に神社を建てたことを説明するのに守屋氏の存在は欠かせません。

守屋氏は、元は「洩矢」とかく。
しかし、守屋氏は洩矢の血筋ではないのです。
洩矢氏は2000年も前の人たちといわれており、後に守田神→千鹿頭神となります。
この千鹿頭が最後の洩矢一族とされています。
最後の千鹿頭神は、茨城県~福島県南部で途絶え、
現在のところ東北地方には千鹿頭神の話は見当たりません。

また千鹿頭神社は関東地方にとても多く、茨城県に「金サ~」と金のつく地名があるところに千鹿頭神の痕跡が残されています。

矢という漢字をあてるのは、狩猟の意味があり縄文時代から住んでいた人たちでした。

その洩矢氏は別の一族であった守屋氏へ神社の役職を譲ることになります。
なので、洩矢と守屋は別の一族なのです。
(なので以後モレヤとカタカナ表記します)

神話にある鹿島のタケミカズチの戦いに負けたタケミナカタが諏訪へやってきた時に、すでに諏訪に住んでいたとモリヤと対戦した話。
タケミナカタは藤の枝、モリヤは鉄の輪(諏訪に伝わる鉄の鈴)で対戦したとあります。
結果、藤の枝が勝ちタケミナカタが諏訪神社を守ることになったというが、実際は、敵対していたのではなくモリヤがタケミナカタに譲ることになり、タケミナカタは代々、大祝(おおほり)として仕えることにした。
それを神氏(みわし)と言い、モリヤは神長として代々守屋氏として受け継ぐことになったのです。

また、諏訪に伝わる鹿の頭をささげる儀式などを神格として祀る神社などがモリヤの特徴です。
鹿島神宮にアテルイの面を奉納したという伝説も、ここに関係しているような気がします。
おそらく洩矢を「モレ」とも読むので、アテルイと一緒にいたモレは、洩矢ではないか?と考えてしまう。

秩父も諏訪とのネットワークがあり、秩父神社の思兼命は朝廷側、武甲山の大国主は出雲系で諏訪との接点もある。
モリヤ一族が住んでいた諏訪は南の方で、北に北斗星がありました。
住んでいるところが真北にあったので、妙見信仰より早く北斗星を信仰していました。

秩父夜祭で、諏訪社の前では屋台囃しの音を止めるというのも、モレヤ神に対する配慮と考えられるのです。

秩父夜祭の武甲山と秩父神社の密会という意味は、山をご神体とするモレヤ神とタケミナカタとの関係と似ていて、朝廷側につく人と昔から土着神としていた人との政治的な意味があった歴史への「祀り」が「祭り」になったのではないか?と思います。
稲作文化が伝わって少しづつ融合していったということに「水」との契約もあったと考えられます。それは鉄をつくるのに水と火が必要であるばかりでなく、「ヒ」は魂や命といった息を吹く意味もあるからです。
雨乞いがその例でもあり、今宮神社の伏流水を秩父神社に返す水の儀式は、武甲山からおりてきた水を使ったから、その水をまた武甲山に返すという自然のサイクルです。

モレヤの鉄の鈴は神をおろすために使われた「ひもろぎ」の道具でした。
タケミナカタの藤の枝は本当に藤の枝か定かではありませんが、鹿島に伝わる直刀もひもろぎの意味があったかもしれません。

Kumo02
ひもろぎ(神籬)とは、気象や自然の変化に神の存在を信じ、感謝と祈りをささげるために祭祀を行っていました。
その時に降臨するのが磐座であり、岩に降りると考えられそれは山である神奈備なのです。
「ひ」は神霊、「もろ」は天下る、「き」は木であり神の依り代となる。
漢字の籬は垣根の意味で、石のこと。

古御嶽城跡の中心にある創世神石碑の横にあった氷川太神は、物部氏との関わりがあると
考えられます。
実はアラハバキのハバキは「ハハキ」であり、蛇のことだが、神おろしをしていたアラハバキがいたわけで、それが物部氏であるという。
(物部氏については割愛します)

アラハバキも諏訪の蛇と同じで、ひもろぎの蛇なのです。
それは風に揺れる木々の動きが蛇のような姿にみえることから、神が降りる時は蛇のように木が揺れると当時の人々は考えていたのです。

その自然現象としての木々の動きをあやつれる山を熟知していた人がいて、鈴の音や銅鐸などの道具を使って風の動きをよんで雨が降るのかどうか雲の動きも理解していました。
その霊的な力を政治に利用した経緯もあるのですが、その力を恐れた朝廷は次第に排除するようになりました。

金山彦を祀る産鉄族たちは、モリヤ氏の神おろしのために必要な鉄を欲していました。
唯一武甲山に向かっている金山彦の石碑は、武甲山を鉱山の神としてあがめていたのでしょう。
武甲山に豊富な水があり、生川、横瀬川、荒川~海へ流れていきます。
水の系譜である最初に生まれる川を「生川」と名付けたのは偶然ではなく、武甲山が自然を生み出していると縄文時代から考えられていたのです。

▲石碑とは?---------------------▼

石は人の念や思いを記憶するといわれています。
秩父は岩場が多く、チャートといわれる秩父古生層は千葉県~沖縄まで続いているようです。
その巨大な石灰を含んだ岩は太平洋から日本列島とぶつかり砕けて隆起した山が武甲山でした。
当時は武甲山山頂あたりは陸(両神山も)で、秩父湾ができていました。

サンゴの記憶、太平洋の海の記憶、航海して渡ってきた人が休んだかもしれない武甲山島。
その武甲山の石灰石などは古いもので1億年以上といわれます。

島だった武甲山の長い歴史から、人が置いた石碑の歴史は短いが、代々受け継がれた先祖の人たちの記憶が良くも悪くも記録され保管されていきます。

その石碑が、古御嶽城跡にたくさんおかれているわけです。
だからこの場所にきて、何かを感じる人は多いと思う。
でもここでお湯沸かしてコーヒータイムしちゃったけどね・・・。
でも三角山まで行く勇気はなかった…。

Buko01
(武甲山頂近くの磐蔵:昔から残る岩)

おそらく武甲山をみて罪悪感に感じる人がいるというのは、石灰開発を行っている人たちの
想いや念がそこに映されている結果だと思います。鏡岩とはそういう意味があります。
本人がそう思っているのではなく、岩が記録することを考えると破壊の影響があるのかも
しれない。
つまり、武甲山の石灰開発をどこかで申し訳なく感じている地元の人たちの思いも含まれているということ。古くは100年以上も前から続いている鉱山であるならば、仕方ない。。。
自然はそのまま受け取るわけだから、先祖にしてみればその想いは喜ばしいものではない。
その山を毎日みているわけですから、武甲山をみたくないのはよくわかります。

自然に対し謙虚に楽しみながら、後のことを考えて恩返しの気持ちで残すことを考慮して掘っていたら、あんな形にはなっていなかったはずでは?

武甲山の土地所有権が複雑で、株を買った人たちはあまり気にしていないかもしれない。それが当たり前だった時代だから。土地、金、権力、一番問題のある物質欲を押しつけてしまった武甲山に対し、散々手をつけて後は子孫に受け継ぐと言われても困る。

今この時代に、その昔の時が通用するかどうか?

この古御嶽城跡を関係ある人以外は全く知られていないのは、触れたくない何かがあってそこに石碑を置いたかもしれない。
片づけるにも手がつけられない状態になっているのは、やっぱりなかなかここに足を踏み入れる勇気はないのかも。

石碑がたくさんいろんなものを背負っているからで。

根古屋城に関係していた北条氏が守屋氏に、武甲山の御嶽神社の修復や管理をまかせた
話も、守屋氏が代々諏訪から受け継いだひもろぎに関係していたかもしれません。

このあたりについては、別の機会に。

てなことでまだ続きがありそうな古御嶽城跡、宗教の話はさっぱりわかりませんが、自然崇拝を軸として考えると秩父がよくみえてきます。

最後に、

あのあたりに行ってみて「良い感じがあまりしない」という意見もありました。
その嫌な感じのひとつに、大地と人がつながっている振動から考えると、それは怖い話じゃなくて、人工的に作られたトンネルが「地下」にあることで湧きあがってくるマイナスの振動を捉えるからと考えます。
これは武甲山の発破と同じ現象で、何となく潜在的に武甲山を避けるのは、そこにあるのではないでしょうか?

感じない人は、何も気にしてませんが、地下に水が含まれていたら、当然そこは気持ちのよい沢になるわけですから。

あのあたりがトンネルを作るのに最適だったのは湧水があったと思われ、地盤が比較的やわらかいことにあったでしょう。
穴や洞窟などは至るところにあったのですが、それがトンネルを作るには最適な環境があったと言わざるを得ない。

その武甲山の供養として御嶽神社がその役目をもっているとするなら、それはそれで大変な作業です・・・。

Buko02

(武甲山)

はてさて、この場所を知ってしまった私たちは次はどこへ導かれるのでしょうか~?

ご参加頂いた方々、大変おつかれさまでした!!

5時間以上は話していたかしら?また機会があったら第二回、ちちぶ学しましょう。

参考に国土地理院の地図をリンクしておきます。
武甲鉱業ベルトコンベアーは、山頂から真下にトンネルがあり、直角に曲がって
三角山~二子山~顔振峠~越上山~毛呂山町に入り、毛呂山町の富士山~高麗へ~日高市で終着なのだ~。

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=53397055

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

座禅草(秩父市寺沢川)

2013-03-19 | 日記・エッセイ・コラム

春になると一斉にいろんな花が咲き始めて、人も鑑賞で大忙し?!

花が好きな人にとってはこの頃から秋まで、山へ川へ沢へ!大忙しなのではないでしょうか?私もその一人ですが、この頃から森へ行き花に会う楽しみが増えます。

で、花というとずっと前から気になっていた座禅草をやっと見ることができました。

Zazen01

秩父では秩父市日野と横瀬町のみ生息しています。

座禅草・・・湿地に生える大形の多年草でサトイモ科に属する。

花を守る仏炎包は葉が変形したもの。紫色で卵形、肉厚でとがっているのですが、これが白いのがミズバショウです。

まるでお坊さんが座禅をしているように見えるので、「座禅草」とよばれています。

Zazen03 Zazen02

自ら熱を発して高い時は26度くらいにもなるそう。その熱で周りの雪がとけるので、ひょっこり顔を出す座禅草は発見しやすいといいますが、そのメカニズムはよくわかっていません。

また、その時の匂いがかなりきついらしくて(けっこう臭い)。その匂いでハエなどの虫を呼びよせて花粉が遠くへ運ばれるように促すためなのだといいます。

植物はとても賢いのです。

Sumire
<座禅草への道>

今頃~来週あたり(4月始め頃)が一番見ごろだと思います。今は、まだつぼみが多いです。

武州日野駅から歩く場合は、如意輪観音堂の前を通り熊倉山登山口の方へ歩いていく。

水車小屋~配水場まで歩き、橋を渡り(熊倉山登山口ではない道へ歩く)、しばらくすると旅館山翠荘があるのでその先奥へ進んでいくと座禅草の群生地に到着します。

所要時間:徒歩30分くらい。

(写真:タチツボスミレ)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

浦山口の不動名水

2013-03-16 | 水神巡礼(秩父編・その他)

秩父水神巡礼⑨(神社編)

暖かくなりました~。

今日は東京では桜の開花宣言がありました。

いつもより10日早いとか?

さて、これから足を運んでみたくなる季節に、湧水が飲めるというのは登山好きにとっては最高です。

武甲山の登山道にも湧水が何か所かあります。雨が降った後は小さい湧水も含めたら、あっちこっちに見当たります。

ここの不動尊も、そんな武甲山からの水が流れ出ている事で有名。

ちちてつ浦山口駅を下車して国道140号線へ少しだけ進むと、不動尊があります。

武甲山地中の石灰岩が流れ出ているそうで、日照り続きでも絶える事無く大地震の前にはこの水が白濁した事から、ここに不動尊を祀ったといわれています。

Photo Photo_2

ここから反対側に歩き山神様の赤い鳥居を過ぎて登っていくと、浦山の鍾乳洞(橋立鍾乳洞)があります。

縦型鍾乳洞は珍しいものなので一度は行ってみることをおすすめします。

ここにある「カフェ:花散る里」は、おいし~いジェラートとコーヒーが飲めてGOODです!

「食べログ」http://tabelog.com/saitama/A1107/A110701/11024003/

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

水と風の神様:田無神社

2013-03-09 | 日記・エッセイ・コラム

Tanasi05_2西東京市田無に田無神社があります。

田無の地名はいろいろ説があるのですが定まらず、そのまま田んぼがない所といった話が定説らしい。

田無駅(西武新宿線)を降りて4,5分くらいのところに田無神社があり、とっても静かでよい神社でした。

ご祭神は、金龍神と大国主命。金龍神は、青、赤、白、黒龍が一体となり5龍になる。

またこの神社の創建が鎌倉時代頃で、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)というのが龍神様だというが、フツヌシ命(級津彦命、級戸辺命)のことらしい。

水を祀る五龍と、朝霧を吹いた時に生まれたという美しい由来のあるフツヌシ命(経津主神)を祀っているのだから明るく、東京の中で一番気持ちよいと感じた神社でした。(出雲国風土記では布都怒志命として登場します。)

そういえば、花などに水をあげる「じょうろ」は水が噴出するというポルトガル語からきている。水の噴出のじょうろ・・・じょーろ・・・じょーど・・・と転音した気もする。水ということで考えるならば、外来語か?

縁起によると、尉殿大権現は明治五年(1872年)に熊野神社、八幡神社を合祀し、田無神社と社名を改めました。その際に、主祭神・大国主命と須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、日本武尊命(やまとたけるのみこと)、大鳥大神(おおとりのおおかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)をはじめ、日本のすべての神々様をお祀りして、現在に至っています。

Tanasi02 Tanasi03
(左:水神宮   右:5龍にあわせて5本の杉が植えてある)

経津主神はタケミカズチと関係が深いようで、経津主神を祀るのは香取神宮。また、武甕槌神を祀る鹿島神宮が、利根川を挟んで位置することから、水の神様とされたのかもしれません。

この神社の御水では、青梅からの湧水がでているとありました。

境内には、他に塩釜神社の塩土の神様もお祀りしている。シオツチという人は、経津主神と建御雷神に香取や鹿島神宮の道案内をした人なので、川に関係している所からも海や川の航海技術のあった人だと思われます。なので、塩を用いた保存技術も知っていました。

もしかしたら、ここも鹿島・香取神宮へ行くルートの拠点になったかもしれません。

Tanasi04
鹿島神宮は東国征伐の一番北に位置し、そこから北上する地域は「異国」として蝦夷の本拠地となります。

塩釜神社を建てたのも、多賀城から鬼門にあたるところだというので、蝦夷と大和朝廷の異なる政権が混じりあっていた場所だと思います。

また、経津主命の「ふつ」は、刀をふるい落とすといった言葉で神格化としたといわれていますが、ふつふつとわきあがるイメージはそのような闘争心ではなく、泉の事かもしれません。

(写真:大国主命)


大きな地図で見る

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

丹生から乳へ

2013-03-04 | 水神巡礼(秩父編・その他)

秩父水神巡礼⑧ (井戸にまつわる民俗史:梅ヶ枝の井)

梅の大樹が枝をさしかわす奥に、梅ヶ井神社が祀ってあるが、社の前に直径1,2メートル、水深3メートル余りの井戸がある。
これが梅ヶ枝の井である。この井戸はどんな干ばつにも枯渇しないといわれている。

昔から母乳の出ない婦人が、この井戸の水をもらってお粥をたいて食べると、母乳が出るようになったと伝えられている。
ミルクなどもなく、母乳が唯一のものであった頃には、この井戸水を求めて遠くから訪ねてくる者で賑わったといわれ、今でも婦人がお水をもらいに訪れるという。
また、梅ヶ井の井戸水を3日汲めば、3日雨が降るといわれ干ばつ時の雨乞いの際にも使われたという。

Wacca02

「井」とは、水が出るところと、古事記から記されているくらい古い。
一番古い井戸は、奈良県唐古遺跡。弥生時代から掘られているそうだが、祭器のためであり
実用として使われていません。
生活として使われるようになったのは、仏教が伝来してからといわれています。

平安時代では、枕草紙に
「井は、ほりかねの井(入間郡)、たまの井、はしり井(滋賀県)は逢坂なるがおかしき也。
山の井、などさしもあさきためしなりはじめけん。飛鳥井はみもひもさむし、とほめたるこそおかしけれ。千貫の井(京都)、少将井、さくら井、きさきまちの井」

ほりかねの井は、掘りにくい井戸ということらしく入間郡掘兼村の井戸のことで、関西からも来られたほど有名でした。
関東ローム層は地下水が深く10mを超えるという。
東京都羽村市は、「まいまいず井戸」というカタツムリのように深く掘られている井戸が有名。武蔵の台地は洪積台地といって水利の便が乏しい。
崩れやすく、すり鉢状態に掘って井戸をつくる方法で3年もかかったという。
多摩川の洪水より移住したが、多摩川まで水を汲みにいくのが面倒で不便なので井戸を掘ったといわれています。
地下水は安定しているので河川水よりは有利という点から。
(参照:「地下水は語る」守田優 → 関東地方の水について参考になる本です)

地下水が豊富な秩父では札所20番の伝説と同じように、荒川の存在がとても大きく関わっていました。
井戸が人々の心の支えになっていたとわかります。

▲丹生(ニュウ)は祈りの乳?-----------------------▼

River_2
長瀞は、武蔵七党とよばれた土着の武士団が結成され、その中に丹党が住んでいた場所でした。
彼らは、和銅黒谷の自然銅が発見されるようになりこのあたりの採掘に力を発揮します。

秩父では丹党、児玉党があり、児玉党は武蔵七党の中では一番大きかったといいます。
それは藤原氏の権威を背景にふるっていたという。
丹党は、宣化天皇(535~549年)の末裔であるといわれています。
天皇の皇子殖栗王の後裔であり、タジヒとは、いたどりの花が浴場の中に散ったので多治彦と称したといわれています。
いたどりを象徴として使う家紋があるのですが、開墾に当たる部族が使用したといわれているように、未開拓な秩父にやってきて「丹」と名乗るようになったとされます。

(写真:荒川と金ヶ嶽(正面に見える山)

丹は水銀のことで、丹生都比売神社があるように、紀伊山地では丹=朱砂の鉱石から採取された朱を意味しており、その丹の鉱脈があるところに「丹生」という地名や神社を建てていきました。
朱なので赤い色をしていたという事で、神社などを朱色にするのはここからきているともいわれています。
水銀の鉱脈は全国にたくさんありました。
特に日本海側~紀伊半島、吉野あたりにも多くの金が採掘されています。
吉野にある蔵王権現は、役小角が金採掘を隠すためにその地に置かれたという説もあります。

東北では遠野地方にある有名な河童淵は、裸の女性を象った河童がお祀りされており、(観光名所のひとつといわれるガイドのおじさん(笑)がうれしそうに見せてくれるのだ・・・)
乳水神様ともいう。いつの頃かはわかりませんが、丹生が必要なくなった時に、乳に変わり民俗風習へ流れていったと思います。

やたらと関東には多いと感じる菅原道真という方。
この方の乳母を務めたのが、多治比文子であり巫女でした。
母乳がでないという事は、赤ちゃんが育たないという母にとってとても辛いことでした。
そのため、貴族などは乳母など育ての親が大事でした。
栄養失調やまだ早い出産が多かった為、母として未熟な場合は、出産経験のあるベテランに育てられることも不思議ではありませんでした。
北野天満宮の始まりは、文子が道真のお告げを受けて建てたといわれています。

Kasuga01
丹生が乳にかわったのも秩父の「ちち」とも縁あると考えるのです。
壬生という地名も丹生からきていると聞いた。
円仁の故郷が下野国壬生というところで(現在の栃木県)この壬生が、「みぶ」ではなく「にふ」と言い、丹生が転音したという。
円仁は摩多羅神を日本にもってきたといい、古御嶽城跡にあった碑があるように、御嶽教ともここにつながっている。
この井戸にも最近建てられたような真新しい大きな碑があるのも御嶽教だし。
正直いって井戸より目立つ碑が残念。もう少し配慮すべき。
他にも男根信仰を思わせるような石や、馬頭尊、少名彦などの碑もあった。

もしかしたら秩父の「ちち」も乳とも考えられるかも、と思い、ただ訓読みで読んだ場合だが…元は丹生だとしたら?ちちぶと「ぶ」が濁るより「チチフ」といった方が自然で、丹生や壬生の「ふ」or「う」が「生」と漢字を当てるのは、生み出すことに意味がありそうなのです。

産まれる出産と、地中から噴き出る水。(ちなみに水銀も噴き出すのだそう)
水の噴き出す泉から乳が噴き出して子供が育つと考えてもおかしくない。
生まれる命とは、「ち」にその意味があり神名によくある「ち」
は超自然的なことを現す。そこに生み出す力=呼吸の「ふ」で命が芽吹く意味も考えられると思います。何度もいいますが、秩父は荒川から大きな影響を受けているからです。

当然、水もなかったら金の採掘はできません。土と水と火はかかせない道具なのです。

金を生み出す大地は渡来系がもたらした思想。

生を生み出す大地をもたらしたのは、アイヌや縄文人の思想。
その融合した地が秩父の特徴でしょう。
春日神社の「春」の文字は、まさしくその意味を表しているのです。

この文字について友人から、

「春の文字だけ篆書なんですね。あとは隷書体。春を意識してる碑ってこと?篆書は金文から発達した、象形に近い文字です。この「春」も、寒い冬の間閉じ込められた草が日の光を受けて芽を出す、というようなことらしい。甲骨文字には四季にあたる文字が確かめられないそうで、比較的新しい金文から推測しているようです。ちなみに、春、は象形文字ではなく、形声文字です。白川静によると『漢字』というのは文字というより神事に使う霊力を秘めた形…というのがもとであるとか」

Sekihi
春日神社隣の法善寺に女人講の碑を発見。
「如意輪尊」と読むのか?その下に女人講とある。
秩父は他県からも多くの女性参拝者がやってきた歴史があります。
水銀の丹生一族の支配から衰退し、庶民の人たちの信仰に変わったのが乳であり、女性の命の水として変化したことはあり得ると思うのです。
なので、丹生を乳に変化させたのは女性たちだったのです。

▲金の産地----------------------▼

「この地、まことに尊き地なり。金(銅)を産す。近くに金石、北に北尾、南に金崎、中心に金ヶ嶽ありて高くそびゆ。このふもとに井あり。水徹して富士の金明水の如し、四時洄るるを知らず。この井をくみて用うれば乳出ずることこの井の水の如し。」
生む井がウメが井と転じて、梅ヶ井といわれるようになった。
乳がたくさんでるのだから、たくさん産むがよいということ。
長瀞町井戸の地名由来はここから。

「水銀のあるところに金あり」と、昔の人は水銀を見つけるためにシダ植物や犬などの嗅覚も
使って峠を歩いていたといいますが、なぜ水銀が貴重だったのか・・・
水銀と金属の化合物を総称してアマルガムといいますが、水銀は、金、銀などの金属と溶け合って合金を作りやすいといわれます。
金だけを取り除きたい時に、古くから使われていた方法で金が含まれている鉱石に水銀を混ぜると水銀のみ蒸発して金だけが残るのです。
この手法を知っていたのが、丹生一族だったといわれています。

奈良の大仏の金は、そのまま金メッキとして使っていたので水銀を取り除くことなく、そのまま有害な水銀を吸ったり流したりしていたので大公害になっていたそうです。それを阻止したのが渡来人の技術でした。

それが地元の人にとっては有難い事だったのです。それで寿命が延びたわけでもありますから。
奈良の大仏の金が宮城県涌谷町から使われていた事からも、鉱石のネットワークを管轄する集団は、奈良県を中心に全国各地の東北地方まで伝わっていました。
その指揮命令などをしていたのが現在の修験の発祥と思われる役小角のような人たちでした。
飛脚のように足が早い。馬も自由に乗りこなせる、そし不老不死を探しに日本へやってきた金探しの僧侶たちの仲介をしていたので、山は一般に普通の人が入れないようにしていたのです。


Temle_2鬼伝説や山姥、神隠しなどなどいろいろな話をしながら山に近付けないようにしたのは、金を取られないためでした。
金を扱えるということは、不老不死といった薬の他に空海が持ち込んだ即身仏として存在している肉体への探求
です。
それが山形県の湯殿山付近のお湯です。(場所は不明)
水銀を多く含む湯を飲むことで、即身仏が完成すると記したのは空海でした。
それも不老不死と関係しているのですが、金が物質界では不変なものであり、肉体を持つことの苦しみの解放に金が関わっているという事なのでしょう。

秩父の伝説で足の速い六兵衛さんの話がありましたけど、六兵衛さんも渡来系の人ではないか、と思うのです。

寄居町には鉢形城があります。寄居は土師器や須恵器などが発見され渡来人が多く住んだところでした。根古屋や古御嶽城跡のある横瀬町にここから多くの人がやってきた事もあり、横瀬に向かうということは、武甲山に向かっていくことと等しいわけです。

横瀬町にも丹生社があり古い書には記載されているのですが、現在は不明。

金ケ嶽が古御嶽城跡の奥にある三角山と似ていると思うのですが、目立つ里山と水銀鉱脈には何か関係があるのでしょうか・・・
水銀鉱脈を探し歩くということだけでもすごいのですが、それを祈りの形に変えた女性たちもすごい!と改めて感じる長瀞町でした~。

【イネハポからのお知らせ】

古御嶽城跡報告会 3月24日(日)に行います。
あ、別に何かの宗教団体とか、異常にスピリチャルにはまっているとかではないです。
ごく普通に皆さんお仕事をされていて、秩父が好き、自然が好き、歴史が好き、山歩きが好き、という方たちですので。

ここでいう御嶽教という言葉は、信仰の一つとして捉えています。修験という言葉を何度も使っていますが、もうひとつの祈りの形です。

日光では土日に山伏になるサラリーマンが増えており、そういう方たちの修験講座などもあります。健全に生きるとは単純に山と対話することに尽きるわけで、それはただ肉体に費やすという簡単なものです。

ようするに運動をして体を使うと気持ちがよい!という当たり前のこと。

なぜ、人はその体をもって生まれたか?肉体をもって生まれたことで苦しみを味わう事とは何か?障がいも含めてです。その疑問が生まれて初めて、私とは何か?という存在が意識されると、木や川や水は・・・?とミクロな世界へ向かい自分自身への関心に向けられるようになります。

マクロ的に広がった宇宙をみる傾向が強い人というのは、アメリカや中国など消費が高い国だと思います。日本は逆にミクロに向かっていると思います。内側へ向かうのは人間の核となるものと地球の内部で、全ての本質です。

現在はその森と人との関係が多様化しています。

森でのお茶会であったり、医療として行うならば森林療法、宗教観や哲学の視点からでは修験や山伏といった信仰につながる事で、ただシンプルに生きる方法を知るだけです。

いろんな角度から、これから緩やかな波で秩父を盛り上げていきま~す。

https://ja-jp.facebook.com/Inehapo

Train
<梅ヶ枝の井への道>

ちちてつ野上駅下車→妙音弁財天→橋を渡ると「元気プラザ」あり。その先信号を渡って長瀞方面を歩くと春日神社あり→小さな看板を頼りにそのまま進んで5分くらいの所にあります。(車道より少し奥)徒歩約20分。

大きな地図で見る

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加