秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

石碑が多い古御嶽城跡(新横瀬町誌2)

2013-02-23 | 新横瀬町誌

Siro01
先日行った古御嶽神社から気になっていた城跡へ行ってみた。
石碑がたくさんあるという情報をネットで偶然みつけたことから。。。
御嶽信仰について詳しいことはわかりませんが、これだけ多くの石碑を置くのは珍しい。
他に愛知県豊田市の白鳥山というところにも同じように御嶽信仰でたくさんの石碑が巨石の上にたっている。

(すべての写真はクリックで拡大)

ここに城があったのは、妻坂峠を越えてやってくる敵に備えたとしているが、尾根や鞍部の急登は当時の人たちもかなり大変だったと思う。

元は武士であった人たちが住んだ場所なので、武士の視点から考えてみました。

まずは、武甲山縁起・・・

此武甲山の御嶽に始て祭りたまふは、人皇30代天下しろしめす欽明天皇の勅命なり。続日本後記日本総国風土記二載するところなり。
既に当山の鐘は人皇52代嵯峨天皇御宇弘仁年中新に鋳懸貞享年中に鋳直すといえとも銘は猶故のごとし。抑蔵王大権現は継體天皇大伴臣挟手彦臣を以て三韓を平治したまふ軍旅の太神なれば、朝廷守○大樹武軍の守護神なり。
天皇自ら鍬を携え、農業を教え皇后手ずから桑を採り蚕を養ひ宮女はみな麻をあみ綿をひきて賎の女の営みをすすめまして百穀豊○して細布太布にいたるまでみせに充満て国豊に民のかまどの煙いやます神桓の恵みぞ高き武蔵根や。

Siro02 Siro03

武甲山は朝鮮半島から日本へ渡来してきた人たちがいた頃、蔵のある所に蔵王権現を建てたという。武甲山もそのような財のある山とみられていたようだ。
災害などがあった場合、蔵をあけて救済し援助していた。
その豊かな村が横瀬にあり、江戸時代にも幕府から村全体で銃を持つことを許され、管理されていた歴史がある。
農民一揆があった時は銃をもたせ、銃の使い方なども指導されていたという。
それは武士から農民になった人たちが多く根古屋地区に移り住んでいるためだ。

城跡の山頂部は100メートルの平坦部、幅は10メートルと狭いが展望は北西側が木々の合間からよく見える。

さて城についての詳細は割愛させて頂き、興味深いのは城跡というのに数多くの石碑が置かれていること。名前の通り御嶽講の信仰深い人たちの聖地であることは確かだが、それ以外の信仰も含まれている。
城に石碑を置くなら根古屋城でもよいのに、なぜ古御嶽城に集中してあるのか?

Siro04古御嶽山頂に城はあり、横瀬町指定史跡。
古くは小御嶽とも書いたが、武甲山は指呼の間にあり、武甲山の御嶽に対する小さい御嶽の意ではなかろうか。北面は要害沢の谷、東は三角山(大机)に通じる尾根に築城された。
戦国時代を経て農民住民の生活も安定するなかで、生活拠点を基に、古御嶽神社に祀り古御嶽城跡を信仰の場として現代に継承されたものと推測される。
引用:「秩父の城郭の在地領主と寺院と農民の動向」今井武蔵氏

城跡へ行くには石灰工場のすぐ脇から鉄塔まで登り尾根を歩くか、古御嶽神社の入口手前から登って尾根まで歩くのが良い。いずれにしても整備されていないので道がわかりにくい。
尾根伝いに歩いていけば良いと思うのだけど、結構急な登りがあり動物のフンもたくさんあるっ!踏まないように注意して登るけど、アキレスけんがツーンとしてしまうほどの急な登りがあるのよっ・・・。

そして一番の難関は、強大な岩がみえて石が積まれている崖だ…
ここで足をすべらせたら大けがをするくらい結構危険!
もろい石が多いので手にかけるとコロコロ落ちてしまいそうなほど、大変な場所を超えないと城の中心まで行けない・・・高所恐怖症の人はちょっと無理かも。
でもそんな大変な崖に一番にお目にかかる石碑がある。

①「大江権現」・・・かつては女人禁制だったという。木曽御嶽信仰。

石碑は、墓石と違い銘文を刻み建てることに意味がある。
古代文明のマヤでは石に起源や伝説を刻み、権力を誇示したり権威の象徴として崇めてきた。ここの石碑は割れてしまってそのままのもあれば、新しくなっているものもあり手入れがまちまち。

Siroishi01_2(③・⑤)

他に尾根道には②大日大聖不動明王あり。
岩場を登りきると、③養蚕大神・・・絹のルート。この麓は城沢谷の井戸があり根古屋絹発祥地にある。ここに住んでいた阿佐美氏が武甲山の水質の良さに目をつけて元祖秩父絹がうまれる。
Siroisi02_2 Siroisi03(④・⑩)

他に尾根道には、④産泰大神(女人講)別のところにもう一つある。・・・富士講とフチアイヌの関係。
古御嶽神社の産泰神社の大きな石碑はコノハナサクヤヒメ。女人講に関係していると思う。
⑤阿夫利神社・・・雨乞いの龍神。(神奈川県大山)
⑥大天狗・小天狗、
⑦制多迦童子・・・不動明王の従者八大童子の8番目。なぜ8番目のみここに?
古御嶽神社には、清浄比丘童子、こんがら童子以外の石碑はそろっている。

Syotoku Siro06_2 (⑧・尾根)

⑧聖徳太子・・・この石碑のみ東向きで奥の院と向き合っている。
なぜ聖徳太子?は、あんまりにも有名すぎて逆にわからない…。純粋に平和を祈って建てられた気がするが。
登りきったところに平坦な場所にあるのが郭1としてある。

Siro05_2 (⑨)

郭1には、⑨摩利支天・・・木曽御嶽山にはこの名前の山があり。
⑩八坂神社・・・古御嶽神社の入口にもある。隣に猿田彦神が並んで祠あり。
京都の祇園祭りと歴史があり、きゅうりの切り口に似ている五坊星の形の家紋が特徴。
魔よけのような意味があると聞いた。このあたりの民家の言い伝えで、夏にきゅうり(祇園祭りのとき?)は食べないという家が何軒かある。

Siroisi04_3(⑪)

⑪稲荷神社・琴平神社
⑫割れていて不明の碑

Sukunahio
その先の尾根道に、⑬少那彦名命・・・なぜか大国主の石碑がない。(⑬と武甲山)

⑭水天宮

その先もうひとつ郭2があり、そこが中心とされているようだ。

⑮秋葉神社、
⑯日本武尊

奥の院といわれる所には、
⑰国常立命、国狭槌尊、豊斟淳尊・・・創世の神。
御嶽教は国常立命・大己貴命・少彦名命の三柱で、この三神を御嶽大神と称え開山霊神(覚明霊神・普寛霊神)と天神地祇八百万神を配祀神としているといわれている。
御嶽大神は、天地開びゃく、国土開発、殖産興業、治病など宇宙観をもった守護神であるとされており、この世を生んだ神として国常立命をたてるのも御嶽信仰の特徴。

Siroisi05(⑭・⑮)


中心に宇宙の神が座し、左右に三大神と土着神。
それらを囲むように、(城を囲む?)数多くの石碑が建てられている。
北西に向かって建てられているので、その向きに意味があるのだろうか・・・?

Yamato (⑯)

国常立命は御嶽信仰で秩父では三峯神社と和銅開珎がある聖神社に祭られている。(他にもあるかもしれないけど)

⑱八幡大神、天照皇大神、春日大神・・・
三神として八幡様(戦いの神)天照大神(太陽神)はわかるが、春日大神にちょっと違和感。
地元の信仰も考えられると思うのだが、秩父で春日神社をほとんど見かけたことがない。
これは和銅開珎に貢献した丹生氏と関係がありそう。
長瀞町井戸という地名に、金嶽春日神社がある。このあたりは武蔵七党、丹党の根拠地。横瀬にも昔は丹生神社があった。
武蔵七党は、上野(群馬県)、下野(栃木県)、相模(神奈川県)平安後期~室町時代まで支配していた関東一の武士と鍛冶の集団だった。
飯能~秩父にかけて丹党は住んでいた事もあり、加治丘陵がある加治は鍛冶。
そして飯能市の高麗は高麗国の里。

Okunomiya01 (奥の院)

もうひとつ、春日神社は元は枚岡(ひらおか)神社(大阪府)といった。
この神社のご祭神は、第一殿:天児屋根大神第二殿:比売大神 - 天児屋根大神の后神で、第三殿に鹿島神宮の神様武甕槌大神(たけみかずち)と第四段には経津主命(フツヌシ)をお祀りしている。
また中臣鎌足の出生地といわれ藤原氏と関係が深いし天皇家の宮廷に属していた貴族に縁がある気もする。羊太夫が藤原不比等説があるのは?
和銅開珎に携わった一族が祀ったということもあるのだろうか?

ただ、並んで氷川大神をおいているところがまた不思議。
物部氏の存在も気になるところ。
このへんまだ調べないといけない。。。

また鹿島神社の緯度は北緯35度58分、諏訪神社上社は北緯35度59分。
その間に秩父神社(北緯35度59分)武甲山は北緯35度57分。
東西に直線に結ぶとほぼ同じ位置にあたる。また、木曽御嶽山は、北緯35度53分。

Okunoin

(中央に三創世神、右:三大神社、左:氷川太神)

⑲氷川太神・・・土着信仰からアラハバキも考えられるが、ここが武士団の聖地だったと考えると北条氏とも関係がありそう。
大宮にある氷川女体神社には、三室とよばれ三女神だ。多くの財宝の蔵をもつことで埼玉の正倉院といわれている。そこには武家からの信仰も厚く文化財指定になっている三鱗紋の太刀がある。これは、北条氏の家紋は三鱗紋であり北条泰時の奉納と伝わる。
秩父札所15番は三鱗紋であり。
詳細は、リンク

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20111010

(古御嶽城は根古屋城と同じ鉢形城落城により開城したといわれている。
初めて鉢形城を築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となった。)

奥の院の裏は、金山彦命⑳、大日尊21がある。

金山彦は和同黒谷のところに関係しているから、丹生一族の子孫とつながりがありそう。

Siroisi06_2(⑳・21)

この先を歩いていくと三角山(大机山)にいくが、かなりの傾斜で今回は断念。。。
また三角という名前の山からして、見た目がピラミッドのように結構急な山だから謎。

確認できたのは21個の石碑。

さて、これだけの信仰深い石碑が集まる要因のひとつに、武士の出身が多い根古屋地区の特徴が考えられる。他の地区でも横瀬町は武士だった家が多いのだが。
私の実家にも槍や短刀がある。

横瀬町誌(総家一覧)より

根古屋地区の家に祀っている祠堂
八幡様(宮)13戸、若宮八幡大神6戸、秋葉大神4戸、金山様3戸、稲荷神社2戸、山の神(生川にあった)2戸、
湯権現宮、白鬚大神、猿田彦神、水天宮、古峯神社、水神、聖神社、天満天神、天王様、大山阿夫利神社、おしゃぐり様、杵築神社、武甲山御嶽社里宮、熊野御嶽社里宮(いずれも守屋家が管理)神明宮が各々1戸(1戸に複数信仰している家もあり)

Puko_2
(城跡からみえる武甲山)

根古屋の言い伝えをいくつかご紹介。
古御嶽神社に国心行者と佐野正雄の石碑あり。熱心な御嶽行者。
・鉢山指念仏講を行い当時の掛け軸を保存
・鷹をとった家。宇根まで他所をふまずじ行けた。
・将軍家の奥女中をしていた人のボタンの花手芸品が残っている。
・昔、鉢形という家が火事になりその時屋根に白装束のお天狗様をかいて火をまぬがれた。
・けんむし坂というのがある。根古屋城渡辺監物の住んでいた御屋敷の下にあったのでケンモツがケンムシに。または、見張り番がいつも剣を持っていたため
・今の三区の戸数が少なく、23戸くらいの時代に牛頭大王さまのお日待を始め、今でも毎年7月21日、宿は廻り番で土用の暑い日に昔話をして楽しむ。
・守屋家は、北条氏邦より武甲山御嶽社の修復を命じられ横瀬に移りすみ神主となる。
・鉢形城落城の時、落人、木の間の奥に住む。
・武田の軍勢が対岸上にある野栗権現様の祠に火を放ち軍に勝てば立派な祠を建立するからと戦勝祈願し武光橋より柳生橋に至る間、早馬をとばして走りさったので早道場の地名となる。

また根古屋は小泉の姓が一番多い。抱きおもだかの家紋は勝ち草といい、武具の紋様に使われる武家が多い。

鎌倉~戦国時代よりもっと歴史をさかのぼると別の世界観がみえてくると思う。

Siro07
武士出身の人たちが大事にしてきたのは、意外にも刀とか権力、物質的なお金といったものではなく、先祖を守り継承する精神的な誇りだったと思う。
この城跡に残した意味は、まだまだ調査しないとみえてきませんが、ふりかえりの時期であるとも考える。(これからの秩父再生の鍵)

石灰工場のために枯渇した森になってしまって残念な箇所もあるが信仰はまだ残っている。
やはり、ここが聖地とされたのは泉と川、沢のある森があったためだ。
桂淵という地名があり、「桂の前」という女性が入水をとげたという伝説もある。

(写真:三角山へいく傾斜)

Suiro

(写真:ぽっかり大きな穴。奥深いところまでありそう。かつてはここに川が流れていたと思われる水脈か?水路のようだ。場所は古御嶽神社付近の林)

そのことを考えると、武甲山が元は嶽山といわれたというが、御嶽を「うたき」とよぶ沖縄に伝わる巫女のうたきの存在に近い場所だったかもしれない。
縄文遺跡が多いうえにアイヌ語地名、鍾乳洞窟、岩に名前がつけられている武甲山であれば、かつて「うたき」があったと考えても不思議ではない。
雨乞いの岩や龍神、秩父夜祭。アニミズムから古代神話~武士集団によって形成されたことが現在の信仰の形になったかもしれない。
そして武甲山が女神であるという事を知っていた女性の信者たちが歩いて置いた碑が、産泰大神。人数も18人と刻まれている。

Suiro02
まだまだ伝えたい事がたくさんあるのですが、なぜそんなに石碑をおく必要があったのかは謎です。御嶽教も実際のところよくわからない…。

それで、もったいないのでいくつかの資料を交えて古御嶽城跡の情報共有も含め、「古御嶽城跡報告会」をやりま~す。
武甲山や横瀬町の存在、秩父とは何?という事も含めて幅広く座学します。

場所は、これまた縁深い普寛が生まれた大滝の秩父御岳山近くの民家でやるのですっごい興味があるという方は、お茶でも飲みながら秩父を語りましょう。

詳細は後ほど。。。
また城跡についての新たな情報があったらその都度のせていきます。

(写真:枯渇した森。この先の水量は少なく武甲山の工場地帯の領域へ)

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The Magic Mountain (Bugarach)

2013-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

謎に包まれた山がフランスにあります。
ビュガラッシュ山というらしい。英語発音は微妙。

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この山が一躍有名になったのは、2012年12月にマヤ歴の終わりとか何だとかで、
その日にこの山からUFOが現れて人々を救ってくれるのだという噂。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/9531861.stm

(※写真はBBCサイトより)

世界中の報道陣が集まったようで、暇なのは世界中同じか~と言っている自分もこれをネタにするのもどうかと・・・。
残念?なことにUFOは出てきませんが目撃情報はよくあるとの事。

この山が昔から謎とされているのは、マチュピチュでもそうだけど地下空間が存在していて水鉱脈というのか?長い距離に至って確認されているという。

この山は石灰層でたくさんの洞窟があり大きな地下塩があるという。
また巨大なタンクがあり100mほど深く地下のネットワークは複雑に存在しているというが、そのあたり探査が行われていない。
昔、ある探検家がこの山に調査に行ったが帰らぬ人となってしまった。
なので、一般的に知られていない洞窟がまだあるとの事。

伝説では地下で働く異教徒のネットワークがあるとか、ケルトの言い伝えでは、空洞の丘には「他の国」へ行く入口があると伝えられている。
これらは空洞というより、クリスタルやガラスのような特徴をもっているという。

もうひとつ不思議なのは、上から下に向かって地層が新しくなっていると言い?山頂付近がずっと古い地層で、下の方へ行くに従い新しい地層なので「逆さの山」ともいわれている。

本当かどうかは実際登ってみないとわからない・・・ネ。

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おまけに、東北で一番謎の神秘と私が思っているのが、早池峰山のテーブルストーンといわれる巨大な岩。
現地のガイドの方が驚愕な事実を淡々と説明してくれた。

地球の磁場が逆だった頃、(N極とS極が真逆)に隆起した岩なので、この岩だけ他の岩と逆に傾いている、と。ホントカ!?
地球の磁場は転々と移動するとは聞いたが、実際その時の岩が残っているのを生きている間に日本でお目にかかるとは~。

確かにこの岩だけ傾きが他の岩とは逆。
地球の磁場が逆だった頃に生きていた岩ってスゴイ!と思った。
要するに、ハワイに行かなくてもこの岩で癒し効果が絶大なのだ。
でもあんまりにも巨大で高く危険で登れないし近づけない。
淡々と話をする岩手県人がすごいと思った出来事でした。

早池峰山小田越コース登り始めて岩が多くなるところでお目にかかれます。

謎の山はまだまだたくさんあります!!

Hayachine (ハヤチネウスユキソウ)

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女性のための札所9番

2013-02-14 | 水神巡礼(秩父編・その他)

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秩父水神巡礼⑦(札所編・9番)


昔この村に親孝行な少年がいた。

盲目の母の眼を開かせようと、日夜老母の手を引いて観音様にお詣りしていた。

ある日のこと、老僧が現れて、この母子の健気な姿を大いに哀れみ、母に眼を救いたければ観音経の「無垢清浄光・慧日破諸闇」の二句を唱えるよう論すとそのまま姿を消してしまった。

母子は、堂にこもって、一心に観音経の二句を唱えつづけていると明け方、内陣から明るい星が光りまたたき二人を照らした。

そのとたん母の眼が一瞬のうちに開いて、暗黒の世界から解放されたという。

これにより山号を明星山、開基が明智禅師であるところから寺号を明智寺とした。

また、安産子育ての観音様として、1月と8月のそれぞれ16日の縁日には、たくさんの女性の信者達で賑わう。

如意輪観音が、安産・子育てに霊験があるので、妊婦や若い夫婦連れが訪れ、安産の護符や岩田帯等を求めて帰る。
92 (六角堂の建物)

境内にある井戸は、武甲山の伏流水だったが現在は枯れてしまい水がでなくなっている。

残念・・・・。

Buko01_2本尊の如意輪観音は恵心僧都作と伝わる。平安時代に一条天皇の妃が難産で苦しんだ際に、勅命を受けて長さ九寸一分の香木から如意輪観音を彫って祈願したところ親王が誕生、母子ともに無事だったという。

札所巡礼地が最後の秩父になったのはなぜか。

そんな事を考えていると何かみえてきそうな、みえてこないような、はがゆい感じが観音様だけ知っていることなのかもしれない。

また札所9番は、観音様の隣に青石(緑泥片岩)の石碑などがありますが、秩父の青石は有名。庭先などに使います。

※秩父青石は、白亜紀・秩父中・古生層が地下20~30kmの深さまで沈み、200度~300度の圧力で変成したものとされる。海底火山の噴出物が変成した緑泥石片岩のことを秩父青石という。美しく加工しやすい。


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<札所9番への道>

横瀬駅から徒歩約15分。芦ヶ久保方面へ歩き左へ曲がる。(三菱セメントの方を歩く)

直進していくと道標石があるのでわかりやすい。正面は三菱セメントと武甲山が見えます。

 

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古御嶽神社(新横瀬町誌その1)

2013-02-07 | 新横瀬町誌

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▲武甲山社歴▼
27代安閑天皇の時、屯倉に米鞍を蓄えることがはじまりその後代々大雨洪水、旱の災害がある国へ屯倉を開き米を被災地へおくっていた。それが長く続き国が栄えたという。
この時以来、貯えられた蔵が建てられている国の高い山に蔵王権現を祀ることになったと述べられている。

豊かな実りがあった秩父。かつて武甲山には蔵王権現が祀られていた。
後に御嶽信仰が流行して御嶽神社が祀られることになる。
1200年程前に疫病が発生し、国司の信濃守石川望足が国常立命と大巳貴命(おおなむちのみこと)大国主命と少彦名命を御嶽山に祀った。
それから御嶽登拝につながったとされる。

武甲山が実りの山であるのは豊富な水と聖山として縄文時代から崇められていたこと。横瀬町にはたくさんの縄文遺跡に根古屋鍾乳洞もあり、そこには狼や鹿などの動物の骨が見つかっている。そのため昔からいろんな講の人たちが秩父に入る度に、何かを置いていく。その何かがわからないけど、武甲山のためになる何か。

Komitake

▲古御嶽神社の聖地▼

根古屋にある古御嶽城跡の手前に古御嶽神社がある。
石灰開発のためにここへ下ろされたと思われるが、友人曰く、「山頂にあったものをここに納めた」と、奥の院もあるらしい。
鳥居から神社に向かって歩くと裏側に到着するので不自然でおかしいうえに、荒れ果てた大地に残るのは多数の碑のみ。

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鳥居の奥に武甲隧道というのがあり昭和58年に完成した石灰石搬出ルート。
そのベルトの総延長は23キロ以上にも及ぶ。
巨大な穴があるのかどうか、鍵のかかった扉の下から大量に水が流れ出ている。
どこからやってくる水か不明だが、搬出の際に必要な水なのかどうか・・・

信仰登山というのがあり、三峰参り、武甲山の御嶽参り、秩父札所観音巡礼に来る場合、いくつかのルートがあるのだが、ここは旧正丸峠~妻坂峠~横瀬町の根古屋へのルートがあった。伊豆ケ岳(吾野)の近くに古御嶽山がある。

根古屋城跡は、北条氏が甲斐の武田氏に備えて根古屋城を阿佐美伊賀守にまかせた。
その阿佐美氏は、武甲山の水の質の良さに目をつけ絹の生産をはじめる。「秩父絹」の誕生だ。
里宮の御嶽神社の側に、絹の工程時に使用した井戸(城谷沢の井)も残されている。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20120621

武甲山登山口に近い西側の古御嶽城は、根古屋城前衛の支城として妻坂峠を抑える目的で建てられたそうだ。
後に御嶽信仰の山と知られ数多くの石碑が建てられるようになる。
(参照:山村と峠道 山ぐに秩父を巡る 飯野頼治著)

古御嶽神社にもかつて川が流れていたようだが枯れてしまっている。
よくみると洞窟のように穴のあいた岩もあり、ここで修行をしていた可能性もありそうなのだが、手入れされていないようで廃墟になってる。

聖地①産泰神社・・・コノハナサクヤヒメ

群馬県前橋市にある産泰神社のご祭神は、木花咲耶比命(コノハナサクヤヒメ)。
この神様はすっごいきれいな音を発する癒しの音だと思う。創建は不明だそうですが、背後にある巨石群により神社信仰初現形態の一つである巨石崇拝に起源があるという。
また、富士山が女性の神となったのも不明だが、友人から「フチアイヌ」という偉大なる母=グランドマザーが富士山に住んでいたという興味深い話を聞いた。
フチは、アイヌ語で火。噴火で燃える富士山の火を意味し、「産」の字をあてているのは、縄文時代の出産時に火を焚いたことと同様に、富士山が地球の子宮と捉えて、出産時の痛みと富士山の活発な活動を静めるための儀式とした由縁があると思う。
ただ、本来富士山の神は男性なのだが・・・

もうひとつ富士山といえば、浅間神社でアサマも火の意味がある。
806年富士山本宮浅間大社は、山宮浅間神社で祀られ遷都するまでは富知神社(ふちじんじゃ)の湧玉池を祭器していたとされる。
800年~1000年頃にかけて、全国的に火山の噴火が多かった。
火山を静めるために祠や神社を建てたという話があるように、富士山の噴火も864年のおこり、多数の犠牲者があったという。
おそらく武甲山付近にも湧玉池のような池があったと思う。
地理的環境からあってもおかしくはない。その流れで富士山信仰がここへやってきたのかもしれない。

Komitake04_2

聖地②岩戸神社 
石碑の文字の様子と御嶽信仰から石碑の文字は、「岩戸」だと思われます。
御嶽神社は岩戸権現といわれ、御嶽山の御嶽神社の里宮には天狗の巨大なお面があり、岩戸観音様もいらっしゃる。

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富士講のはじまりは、角行という人の系譜をくむという。
役小角と同じ「角」とあてるのは、奇怪な能力をもつ人を鬼と言っていたので、その力が頭に角があるとイメージしたのかも?しれません。
もっと興味深い話だと秋田県のある石の建造物がある山(太陽信仰)には、宇宙飛行士のようなヘルメットのアンテナが角だという話もあって面白い。
要するに角は、テレパシーの道具。

角行は、藤原鎌足の子孫。(長崎県出身)
父母が北斗星(妙見菩薩)に祈願して授かった子であるとか、7歳で北斗星のお告げをうけて
宿命を自覚したとか。富士山麓の人穴の岩窟で修行中に役小角よりお告げを受け、この穴で4寸5分角の角材の上に爪立ちして千日間の苦行を実践し1560年に角行と与えられた。
疫病の救済をした「フセギ」という民間事象(呪符)は、埼玉県内に広くみられるという。(by Wikipedia)

この古御嶽神社の先で道がなくなっている。岩戸の石碑から城へ通じる道があったらしいが、今は登れる状態ではない。
昔はこの先二子山~芦ヶ久保~吾野~・・・の道があった。
修験道がなくなった理由のひとつに、武士の時代になり街道が開け、峠の道を利用するこが
なくなったことにある。
旧道から新道がうまれたという事も考えられ、だんだん古い修験道は廃墟となってしまうのです。例えば、正丸峠は新しい道で、中世以降は旧正丸峠、それより古い峠が虚空蔵峠となる。

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聖地③多数の修験者の碑

横瀬町誌(旧家総覧)より
中郷地区の言い伝え・・・いく代か前の御嶽講の行者になった人があり、根古屋古御嶽に茂宗行者の石碑が建立されている。この人の代ぐらいまで、家伝薬として伝わる「湿皮ぜんの妙薬」があり、この薬を毎年関西方面に行商に行ったと伝える。
茂宗行者といわれた人は、行商の都度、木曽御嶽に登山(前後23回)したという。
また京伏見稲荷の分神を二体請けて帰り、一体を屋敷に氏神とし、もう一体は大宮郷宮ノ側に祀ったと伝える。

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たくさんの石碑がありますが、御一人一人の思いが伝わる立派な石碑です。
ここでこのように鎮座する思想には圧巻です。このような場所こそ、本当の聖地だと私は思います。(石碑は古御嶽神社に向かって建っています)
いつかここがお花畑になったらいいな。コノハナサクヤヒメだもんね。

聖地④三角山
古御嶽城跡の後ろが三角山という名前の山。
気になる名前・・・このへん調査中。

<古御嶽神社への道>横瀬駅下車~猿田彦神社への道と同じルート。立ち入り禁止のある横道を歩くと古御嶽神社です。

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ブレンダンとケルズの秘密

2013-02-03 | 日記・エッセイ・コラム

Kells01
日本人も古代ケルトの叡智を受け継いでいるという。
その歴史は、九州地方から始まった横穴式古墳の装飾壁画にみられる。
九州地方(熊本県)~関東地方~茨城県~福島県(相馬地方)~宮城県北部に装飾壁画の横穴式石室の特徴が伝わっている。
東南アジアからやってきた民族と、西はケルトの方からやってきて伝わったという説があり、円形、三角形や渦巻などの幾何学模様はどのような意味があって古墳に描かれたかは今でも不明。

ケルトの故地、ラ・テーヌ文明というのがあり、西はイベリア、ウェールズ、フランス、アイルランドなど、東はエルトリア、スキタイなど黒海を越えて大陸へ渡りシベリアか中国大陸を渡って日本へ上陸した可能性が大きい。
ケルトといっても日本人のように、単一民族ではなく異なる民族が一文化圏をもっていて、その文明を築いてきた人たちを総称してケルト人という。

彼らと古代日本の共通点は、はるか昔から巨石などの岩を神とし、森の動植物に対する宇宙観が似ていいます。
後にローマやゲルマン人の侵略で現在のキリスト教文化に吸収されていきますが、日本では禅が、ケルト思想に少なからず影響されていると思います。
例えば、この映画についても共感できる日本人は多い。バッチフラワーレメディという水の波動を使ったレメディは元はウェールズ出身のバッチ博士の故郷。
アジアの中では日本人しかバッチフラワーは浸透していないと聞いたことがある。

Torazuka
他の宗教や思想を受け入れやすい背景には、禅というのが日本人の生活の中に元々備わっているものだから、バッチ博士もケルト的なアニミズムも受け入れられるという事なのでしょう。

「ブレンダンとケルトの秘密」は、フランス・アイルランド・ベルギー合作の長編アニメーションで、アカデミ賞長編アニメーションにノミネートされました。
私がこの作品に出会ったのは、3年前に東京国立近代美術館で上映された時でした。
すっごくきれいなCGアニメで、日本の古代神話でもみているかのような懐かしささえ思い出すような気持ちのよい作品でした。歌や音楽もGOOD。
日本語字幕だったので係の方に、他の場所でもみられるようにフィルムの貸出は可能か?
聞いたら、著作権のためフランスから借りているから残念ながらNOです。という事。
フランスね~・・・・
仕方なくあきらめていたのですがDVDが発売されていると聞いて、英語ですがようやく最近、購入したわけです!
でもウチのDVDプレーヤーは海外に対応していないので見られない!(泣)
パソで見てます・・・

(写真:茨城県ひたちなか市の虎塚古墳)

そういえば、このケルズの話では白い狼の化身アシュリンというかわいい少女がでてくるな~。森だし、狼だし、巨石、地下に眠る蛇、クリスタル、・・・・・。
あれ?これって秩父まほろばにつながってネ?

ってことで、ケルトについて再び勉強を始めました。

Kells04白い狼の化身アシュリンは、日本でいう瀬織律姫みたいだし、蛇の目のクリスタルを獲得するため格闘する姿は、ヤマタノオロチだし、危機から狼が救ってくれた話なんてヤマトタケルだし。すべての出来事は、森の中に潜む文明で地下に眠る大蛇の宝、水晶なのです。
その水晶が過去の叡智を持っているのかどうか?その中に見える叡智を聖書として残し、記したといわれるモデルとなったのが、世界で最も美しいといわれる本、キーローページ(ギリシャ語のXとPを重ねたモノグラム)です。
(その水晶を使って描いたかどうかは不明です)

ケルズの書(詳しくはwikipedeaで)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%9B%B8

▲ドルイド僧について▼(ケルト神話の世界:ヤン・ブレキリアン 中央文庫)

ケルトにはドルイドという僧がいました。
秘儀伝授をうけており、長期間学問修行の終わりに超心理学的とよばれる能力を
獲得した。野生動物や自然の力、磁気的な影響力など。また音楽や詩などの分野にも優れていた。
しかし、かなりの知識をもっていたが、秘儀に通じていない人々にその能力を超えた
真理を明かすことで価値を下げることを望まなかったので口承(詩)にこだわった。

また瞑想によって創造主との交信も行っていた。
秘儀を伝授された人々を誤って解釈したりしない知的訓練を受けた人のみ開示していたとも
いわれる。
後に、ローマ人とゲルマン人の侵略でその秘儀は破壊されたが、残されたのはアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、コンウォール、フランスブルターニュ島。

ドルイド教の教えは詩になっていて何万もの詩を暗記していました。
大半が失われたのですが、残された一部はアイルランドやウェールズの修道士により記録されます。バイキングの略奪で修道院は筆写された写本は破棄されました。

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▲悪い竜と水晶▼

大蛇(龍)と狼の関係はケルト世界では共通とみている。
西洋では竜はサタンであり、人間の中に潜むもう一人の悪い部分をもつ自分。
誘惑や執着などをもっていると堕落してしまう。
狼人間があるように西洋では狼も魔物として扱う。

狼が多く生息していた地域の北欧やシベリア地方、日本などは狼を神格化している。
日本の場合、単にトーテムとしてというより、狛犬のように神を守る番人として狼を崇めたり、
狼の骨を保管したり、粉を飲んだりと呪教的に残っている秩父地方やその周辺の地域は、
かなりアニミズムな文化が形成されたまま、里が生まれたというのは特殊だと思う。
狼の存在云々ではなく、森と深く関わってきた里文化の特徴に動物が関わっている民話などは、ケルト神話にもよくでてくるから、そのへんお互いの国同士の違和感を感じない。

ブレンダンとケルズの書では、蛇の目がクリスタルになっている。
古代文明の叡智とは地下に封印された楽園があり、地上から地下へ下ろしたか降ろされたか、落ちてしまったか。。。その沈んだ王国に蛇や水晶が関わっていることを示していると思う。封印されてしまったのが何か?
世界の神話が語られた背景には、何があったか、簡単にはわからない。

Kells06_3
おそらく地下に沈んだ世界は悪の世界(黄泉の国)として死者がいくもの。
地上は善として捉え、地下に沈んだ世界を浮上できないようにするため、岩となって堅くなってしまったのかもしれない。
それより前は、もっと水晶のようなクリアな美しい世界で、その痕跡が今でも残り、それを探して崇めていたのが巨石信仰ではないか?と思う。

ニコンのサイト「光と人の物語」が面白いので、そこから引用させて頂きます。

水晶を「凍ったままの氷」といったのは古代ローマの大プリニウスだった。
透明な水晶は古代ローマでは夏に涼をとるために飾られたという。
 プリニウスはローマの博物学者であると同時に、政治家、軍人でもあった。
地理学や天文学、植物学や鉱物学など広い範囲の知識をまとめた全37巻にものぼる
「博物誌」は圧巻だ。中には怪獣や巨人の表記もあり、科学的価値については議論のあるところだが、当時の知識を集大成した功績は大きい。
水晶についても、博物誌にあるように「凍ったままの氷」ではもちろんないが、透明で美しいこの鉱物はどこにでもあることもあり、こうした記述が残っていること自体が興味深い。
博物誌は中世に印刷技術が出てきて出版されるようになってからも読まれ続けてきた。

水晶体は体の中でも特殊な透明な組織だ。透明な組織とは普通では考えられない。

驚くことに、水晶体の細胞は、一生を通じてほとんど入れ替わらない。
体の組織の多くの細胞は、常に新しく入れ替わっており、6カ月で約9割が新しい細胞に入れ替わる。
しかし水晶体の特に中心部は、生まれるときにできた細胞を、一生を通じて使う。

プリニウスの水晶について、「必然的な結論は、水晶は、純粋な雪になって空から降ってくる水分からできたものだということである」
といっているのですが、雪の結晶が必ず6角形でなければ結晶が生まれない理由はいろいろ
ですが、まだ科学が進歩していなかった時代でも、6角形が重要であることは知っていました。
ブレンダンとケルズの書に水晶を手に入れないと書けないといのは、水晶が一度記憶されたものは永遠のものであり、それが岩からではなく地下に存在しているもの。

「6」が西洋では悪の数字ですが、「8」は日本の神の数字。観音様はその6の封印を解くために置かれたと想像すると、水の結晶の塊である水晶を指していると考えてもおかしくない。

▲簡単にあらすじ▼

ケルズの修道院にブレンダンという少年が住んでいました。
バイキングの襲来でアイオナ島から逃れてきた名高い装飾画家のエイダンが「ケルズの書」を抱えてやってきます。
エイダンは興味を示すブレンダンに写本を一緒に完成させてほしいとお願いします。
しかし、修道院長はそれを良いとは思いませんでした。
バイキングの襲来を防ぐ防壁建設を手伝ってほしかったからです。

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写本を書くためには、森にあるインクの原料となるカシの実が必要でした。
ブレンダンは森には恐ろしい魔物が住んでいると信じていたので、森へ行くことに恐怖を抱いていましたが、どうしても写本を書きたい一心で、院長に内緒で森へ行ってしまいます。

その森で白い狼の化身であるアシュリンというかわいい少女と出会い、友達になります。
ある森を歩いている途中に、大きな巨石のある扉を発見しますが、アシュリンは絶対に近づかないようにと言い聞かせます。
そこには地下に眠る大きな蛇が住んでおり、人々を飲み殺してしまうからです。
好奇心なブレンダンは扉まで行こうとしますが、その扉に潜む魔物によって追い返されます。

Kells05
ブレンダンは再び修道院に戻り、木の実をたくさん集めてきたのでエイダンと写本を書き始めます。
が、なかなか描くことができません。
エイダンは航海の途中、高僧の涙の結晶でできたクリスタルを失ってしまったことを嘆きます。
それがないと書けないのだ、と初めてそのクリスタルの存在を知るのです。
そのクリスタルは、ブレンダンが森へ行った時巨石の扉で、一瞬見えた蛇がもっているクリスタルと同じものでした。

ブレンダンは再び内緒で森へ行こうとしますが、院長に見つかってしまい監禁されてしまうのですが、いつも一緒にいた飼い猫が森へ行き、アシュリンに助けを求めてくれました。
アシュリンは詩の魔法を使って鍵を取り出し、ブレンダンを脱出させます。
2人は森へ行き、ブレンダンはクリスタルを取りに地下に眠る大蛇の元へ向かいます。
大きな蛇と獲得しながらも、何とかクリスタルを得ることができ、修道院へ急いでもどります。

エイダンとブレンダンは写本の制作に没頭しますが、とうとうバイキングが修道院を襲撃してきました。
負傷する人々の助けもままならず、ケルズの書を完成させるためにエイダンとブレンダンは旅にでます。

それから10年の月日が絶ち、ブレンダンは完成されたケルズの書を持ち再び修道院長の元へ戻ります。Kells00

ブレンダンに対して罪悪感や後悔を持ち続けていた修道院長は、ブレンダンの再会に喜び、完成されたケルズの書に手をあて院長は涙を流すのでした。

ブレンダンとケルズの秘密は残そうとしたドルイド僧の姿ともみえるし、アシュリンが鍵を取り出す時に、詩を唄いながら猫に魔法をかけるところなども、ドルイド僧の特徴なのかもしれません。
ケルト文明と縄紋様の縄文土器をうみだした縄文人やアイヌ、隼人、なども同じ系譜かもしれません。
また地下に眠る大蛇とクリスタルの関係に、神話の原点があると感じます。

また、機会があったらケルトの世界をお伝えしたいです。

(イギリス:コッツウォルズ)

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