秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

猟師のこと

2012-05-30 | 秩父の祭りと信仰

★横瀬町史「人と土(前編)」より

1750年、この年、横瀬村の数(名主組頭含む)およそ、650人~700人の内、鉄砲をもち猟をする者50人~60人。

秩父領16ケ村合わせて、300人~400人と推定することができる。

江戸城に家臣を派遣し、各地の豪族領土に忠誠心を誓わすために食料や鉄砲の数量を調査していた。

鉄砲請書というものがあり、江戸城から鉄砲を貸してもらうと、

「日常の手入れに関わらず猟時を守り、それ以外の時には打ちません。もし破損した場合はお願いを差し上げて修繕し何度も使用できるようにし、背いた場合はどのようなお咎めも受けます。」

という誓いをたてる。

猟師というのは誰でもなれるわけではなかった。

Mahorowa01鉄砲頭という人がいて、各地域の名主が代官あてに押印願を出していた。しかし、誰でもそれを出せば鉄砲が貸してもらい猟師になれるのではなく、横瀬村、根小屋城、鉢形城以来の鉄砲所持者の家系をもち、由緒正しい家柄の者が優先されていた。

親から子へ受け継がれることもあり、猟師は共同責任もつきまとうという事で人物証明でもあったという。

江戸時代の管理体制が、今よりもずっと厳しく秩序を保つことを優先することにより、日本は繁栄していったと思う。今の日本の政治に比べて昔は、江戸と秩父などの他の地域での信頼関係は太く保たれていたことがわかる。

(写真:お天狗様祭りのある森、背後にみえるのが武甲山。昔はこの森でも猟師はいた。この森から南へ行けば武甲山に辿りつけるが、登山道はない)

しかし、田畑を荒らす動物や鳥を打つだけではなく、乱党が起こった時などの招集に使われることの狙いもあり、また熊の胆(い)のような薬物を上納させる(有料)ためでもあった。

それは幕府や藩が無料で、火薬、玉(弾丸)の製法から、鉄砲に普段から慣れさせておくよう指導したこともあった。

猟師のメンバーは、横瀬町のみ名前を記し(猟師数50名)他の三沢地域などは、数のみ記した。

・上三沢村 猟師数 11名 ・中三沢 猟師数 11名 ・下三沢 猟師数 20名

・山田村 猟師数 19名 ・定峯村 猟師数 8名 ・栃谷村 猟師数 2名

・浦山村 猟師数 42名 ・日野村 猟師数 8名 ・白久村 猟師数 13名

秩父16ケ村に300の鉄砲を貸したことは、この時代の農民一揆が全国的に広がっていたこともあり、戦力として鉄砲の製造能力を上げ、秩父はその江戸城からの信頼を受けていたとも考えられる。

しかし、鉄砲に信頼を置かれた秩父の理由の一つとして、吉田町の龍勢祭りで有名な塩硝燒(えんしょうたき)きもあると思われる。

塩硝燒きは、黒色火薬(火縄銃、花火などに使う)製造の原料となる硝石を製造する作業のことで、横瀬郷伝統の特殊技術であった。北条氏が根小屋城に立てこもった時に、この技術が伝われたと考えられている。

自然の塩硝は日本ではほとんど手に入らないため、中国からなどの輸入に頼っていた。特にその交易で繁栄し塩硝生産されていた代表的な地域は、白川郷の和田家であったとされる。

他には九州:薩摩、山口県周防、広島県安芸、 四国:愛媛県伊予、徳島県阿波、飛騨白川、長野県信濃、東北:秋田県出羽最上地方、仙台地方など。

関東では秩父のみである。

火薬をつかい各地域で競いあうのが吉田町の龍勢祭り。元は、狼煙から始まったというこの伝統祭りは、朝比奈という地域からの伝承ともいわれる。朝比奈については宮城県に伝わる巨人伝説につながる。

貝を捨てて大きな山になったという伝説は、私の知っている所では福島県の鹿狼山(かろうさん)とアサイネという人の宮城県の七ツ森地域に伝わる伝説。

いずれも巨人であった事が伝わり、鹿狼山は大津見神を祀る。

宮城県の朝比奈については過去に載せてあります。

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20100905

龍勢は、鉄砲の技術を発展させたものと思われるのですが、秩父の山人の象徴になる伝統祭りなのでしょう。

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(龍勢祭りのカレンダーの写真を使わせて頂きました。)

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母巣は狼の巣②

2012-05-25 | 秩父の祭りと信仰

▲死と再生の女神----------------------------------------▼

「古ヨーロッパの神々」マリヤ・ギンブタス著は、ヨーロッパの土器や文様の意味を解くカギとなる歴史本。

生と死の周期を現す女神像は、昆虫や動物と同じ威力と捉えた農耕社会から生まれたものであり、その動物たちは、ライオンや豹といった動物ではなく羊や牛といった家畜を中心としたものとされる。

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その中から一部を引用します。

「農耕時代になって家畜や犬の牡牛や牡羊が女神の眷族になったという事は、女神は野生ばかりでなく文明化された生を司る神となったということである。
女神の主たる役割は、生命力を蘇生さえることであり、それゆえに肉体的強靭さを備えた牡の動物に取り囲まれている。これらの動物は、すべて実際にヨーロッパにみられるものであり、アナトリアやメソポタミア女神に付き従う豹やライオンは古ヨーロッパ芸術では表現されなかった。」

写真:食物の実をたくさんつけている像(バチカン市国より)

隼人の盾にもデザインされる渦巻きや、横穴式古墳の円の図形など、古ヨーロッパでは、女神の身体や奉納用の壷に刻まれたり描かれたりしていた。

このような図形はミノア=ミュケナイ時代にまで続いていた。

しかしその後、先史時代の女神がだんだん薄れていき、家父長制に変わっていく。
ミノア文明のクレタ島に描かれたフレスコ画には、手を真上にあげている男女の信者
たちに囲まれている女神と、巨大な犬があらわされ、犬は女神の眷族とされていた。

▼女狩人・アルテミス-----------------------------------------------------------▲

アルテミスは、双子の兄アポロンで山の女神といわれる。
眷族としている犬は、狼とされるらしい。

犬と狼の違いは、魔術を持つのが狼で、使いが犬とヨーロッパでは捉える。
アルテミスは女性の力の象徴で、アマゾネスも狼を眷族とした話も伝えられている。
なぜ狼なのかは、多産であることと、子を守る母狼の姿・愛情、狩りのプロであるところで、
狩人たちは狼を神聖としてみていたとの説が多い。

またアルテミスには熊と深い関わりもあった。

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月と狩りの女神のアルテミスは乙女で、そのお伴する森や泉の妖精たちもみな処女であった。
その中にカリスト(アルテミスの添え名である)という名前の美しい妖精がいた。
大神ゼウスは彼女に情欲を抱き、女神アルテミスに姿を変えて近づきカリストをわがものに
した。それに気付いた大神の后ヘラは激しく嫉妬し、カリストがやがて男児を産むと、
彼女を熊に変えてしまった。
雪のような胸も腕も荒々しい毛で覆われ、泣く声も恐ろしい唸り声になったカリストは、猟犬や狩人に追われて森の奥深く逃げ込んだ。

他方、カリストの産んだ男児のアルカスは、立派な若者に成長した。
15歳の年のある日、アルカスは森のなかで一頭熊に出会った。熊はうれしそうに近づいてきたがそれが生みの親とは知らず、アルカスは持っていた槍を熊の心臓をめがけて投げつけた。

オリンポスの山上からそれを目にしたゼウスは母子の悲劇を未然に防ごうと、
一陣の疾風を巻き起こして二人を天へ拉致し、アルカスを小さな熊に変えカリストと並べて北の夜空においた。

これが北斗七星を擁して美しく輝く大熊座と小熊座である。
ところがどこまでも嫉妬深いヘラは、それを見て大海の支配者でミズヘビの神オケアノスを訪ね、その二人が彼を守っている海に入らせないようにした。

海の神はしかたなくそのことを承知した。 

このため、ほかの星座は日に一度、天空を巡ると海に入って休息するのに、この母子の星座だけは小熊の尾の尖端(北極星)を固定したまま、絶えず北の夜空を巡り続ける運命になった。(写真:アルテミス)

北斗七星を熊とされるのは、他に北アメリカの多くの先住民族にも伝えられている。

ギリシャ神話では、予言、詩、音楽、魔術、医療を司るのが女神とされる。
月は女、太陽は男。これはユダヤ教が起源である。

また縄文土器に灰が残っていたものがあったように、女性が子供を産む時に火を燃やして儀式的な事はおこなわれていた。

同様にアテナイのテラコッタには、「鹿と犬に囲まれたアルテミスの三身像が現され、女神の手にはかがり火や弓が握られている」

女神がもつかがり火は、月に備わる受胎を促す力が関わっていたのではないか、
とマリヤ・ギンブタスは指摘している。
ローマ時代の女神像も三日月とかがり火を手にしている。

「アルテミスは女性の狩人であり、動物の姿をして現れる。
人間、動物、大地に豊穣をもたらし、すべての生命を守護する者であったから、男根像やあらゆる種類の動植物が供物として捧げられた。すべての生き物が、この女神像へ捧げられる犠牲とされたともいえる。」

最後に、
「神話的なイメージは何千年も渡って生き続け、強靭で美しい処女、母熊、生命の賦与者、生命の奪取者、として現れ古代ギリシャ文明が登場するまで少なくとも5000年存在し続けた。
村落共同体で今日に至るまで聖母マリアに姿を変えた大女神が信仰されている。」

※「」部分は、(古ヨーロッパの神々より引用)

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母巣は狼の巣①

2012-05-19 | 秩父の祭りと信仰

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母巣とは、元は柞(ははそ)と書き、母の巣(母の胎内)と重ねてそのようにいう。
柞は、コナラの別名。古くはクヌギ・ミズナラを含めてよんだ。
コナラは落葉広葉樹。コナラのドングリは重要な食物として狼が好んで食べた。
もちろん、縄文人の主食。

秩父が狼信仰のひとつになった理由に、このナラ科が生息する地域に属していたから
と、「狼擬」の著者である戸田氏の話はとても興味深く紹介している。
ブナ=ナラ=生業、生業の里は奈良。沖縄のナハ、ナラの語源から狼文化をよく知ることができる著者の視点が、とても面白い!
奈良県は秩父と同じ海のない県として狼が秩父の信仰の中心になったのが
このブナの生息する地域であったからではないか、とも記している。
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また、四大捕鯨地帯は、バスク、ノルウェー、シベリア、日本であるが、その共通項が
ブナ林帯という事も指摘している。
落葉樹が多い場所に狼の好む食物がたくさん実っている。
ブナ林は水をたくさん含むので、あらゆる森に湿地帯ができる。そこへ水鳥がたくさん集まり、白鳥も同様。

「狼はそのドングリ、クリに依存しつつ同時に猪、熊に依存する。そして恐らく
このブナ林からの落葉から発生するプランクトンに依存するのがサケ、マスであり、アユ
シシャモなのであろう」

「ブナ林が内陸部でサケ、マスを育て、沿岸部でイワシ、ニシンを育て、同時に熊、猪、鯨を育てており、同時に狼と人を育てるわけである。
そしてこのヨーロッパにおける地図は、ユーラシア大陸でロシアから始まる
大きな空白を作り、やっとユーラシア東端と日本列島全域が、北は北海道から南は
大陸半島までがブナ林帯に入る。
その中に位置する秩父、大和というわけである。」

(狼擬より)

ナラはヨーロッパではオークの事。オーク(樫)は水脈のある所に育つので、
よく雷が落ちるという。そのため、ヨーロッパでは雷の神様ともよばれる。
コナラなどのブナが生息しているところに雷がよく落ちている現象があったならば、
関東地方に多い雷神社などをお祀りして雷除けとしていた事も昔の人の信仰である。
そしてこの雷と共に神として音楽・芸能として祀ってきた航海人たちがエビス(夷)
であり、金毘羅様にも関係していると思う。

秩父神社の近くにまつり会館がありますが、そのすぐ側に柞という森がある。
秩父神社全体は、柞の森といわれていた。

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よく秩父夜祭から、武甲山を男神、秩父神社を女神として蛇神と女神の合体と
捉えられているが、これがイメージでは中国の男女両性蛇神にもみえる。
伏義(ふっき)と女媧。
兄妹or夫婦といわれる女媧は蛇身人首の姿で描かれている。

雲南省の伝説によると、
伏羲と女媧の父がかつて自身が閉じ込め、
自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、
雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。
兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、
そこから生った巨大な瓢箪の中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとある。

(写真:まつり会館)

洪水伝説の中で、これが苗族(ミャオ族)に民間信仰として伝わっているのに信憑性があるといわれている。299px1_2

キリスト教の場合は、ノアの方舟として語られている通り、キリスト教という宗教上の伝説とは異なるために不思議な話。絵をみるとわかるけれど、ヘビのように巻いている姿がDNAという人類の子孫を残した記録を表す説もある。

また、伏羲とは方舟を指しており、女媧がこれに乗って洪水の難を逃れたのではと推論している。
(by Wikipedia 写真:伏義と女媧 Wikipedia (パブリックドメイン)

おそらく、これが「船」と名前のつく山が多い日本の伝説の元になったと思う。

秩父の場合、人類の起源を秩父全体としてみたて、男(武甲山)、女(秩父神社)、山の伏流水が胎水、荒川の流れが秩父の土を潤し田畑を実らせる生命の図になるのかもしれない。

そんな理想郷のような世界を昔の人は描いていたのかもしれない。

ただ今は破壊がすすむ秩父を、限られた中でみようとしても残念ながら消えてしまっているものが多いので、想像でしか語れない事が悲しいと思う。

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▲武甲山山頂の森

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懐かしい望楼

2012-05-13 | 日記・エッセイ・コラム

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▲ふかふかの芝桜(撮影日:4月29日)

GWに咲く芝桜がもう終わってしまったのだけど、まだちょっと見られる程度かな。。

芝桜へ行く道は、西武秩父駅から羊山まで行くか、横瀬駅下車して地下道をくぐり、宇根地区へ歩くコースもある。

武甲山を眺めながら行くのであれば、横瀬駅下車がおすすめ。

子供の頃は、田んぼや畑が広がり牛も飼っている家もあった。宇根地区からも武甲山に登ることができたが、石灰開発で大規模な土砂崩れが起こり、登山口は閉鎖。

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宇根地区はのどかな里山風景。その芝桜へ行く途中に懐かしい火消しの望楼がある。鉄筋だけど昔は木の櫓であった。

町内会のイベントや花火大会などもやっている所になっているのだが、ここには大切にされている天王様とよばれる八阪神社が鎮座する。毎年4月第1日曜日は天王様のお祭りがあり、山車が練り歩く。

お祀りされている神は、京都祇園に発する天王様の守護神スサノオであります。疫病神の信仰で東北地方では、蘇民祭で有名。別名、裸祭りともいうが。

宇根の天王さまは、天思兼命(秩父神社と同じ)と、スサノオの2神を祀っている。

全国にある天王さまは牛頭天王であるが、宇根の祠は岩手県花巻市にある胡四王神社と何となく似ている。

文化財にもなっているのですが、彫刻が素晴らしいもので中国の寓話をテーマに龍や鳥獣が施されている。これは、花巻市で見た胡四王神社の彫刻と何となく(同じではないよ)似ているようで、面白いと思った。

→ 胡四王神社については、越国とスサノオのところでちょっと載せてます。http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101206

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元は、ここに神社はなく向かいの天王山からここへ移動してきた。1846年、地元の地主によって天王様は建立された。少し小さいが見ごたえはあるので、ぜひ、芝桜のついでに立ち寄ってほしい神社です。


天王様への道>西武秩父線横瀬駅下車。地下道をくぐり芝桜へ行くコースをたどる。川や民家を通り、広い道にでたところ左方向に、望楼がみえます。そこが八阪神社で天王様が祀られています。

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天狗の古峰神社(栃木県鹿沼市)

2012-05-09 | 日記・エッセイ・コラム

Furumine03_7栃木県鹿沼市古峯ヶ原(こぶがはら)にある広大な古峯神社は、
お天狗様が鎮座する。

ご祭神は、ヤマトタケルノミコト。

なぜ、天狗なのにヤマトタケルノミコトなのか、ちょっと不思議…。

由緒は、
1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。


この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、
その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。
明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。

(古峯神社HPより引用)

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「天狗の間」・・・チベットのお面みたいに大きいぞ~。もうこれは信仰を超えた芸術ですね。

三峰神社と同じ、峰の漢字は「峯」と旧漢字を使う。
それは、かなり古いことを意味しています。

私の先祖は、サルタヒコをお祀りしていますが、お天狗様といわれる小山にも、
古峯神社も祀られています。
こちらでは、「ふるみね」と言わず、「こみね」と言う。
武甲山正面に建つ小さな祠なのですが、毎年お天狗様のお祭りは梵天を高くあげ、太鼓をたたき、地元の人たちでにぎわうのですが、これも天狗信仰という修験者の名残り。

古峯講は、東北地方が特に多いとの事。
地理的に福島県が近いからというのもありますが、山形県、宮城県、岩手県
北海道など、各地から巡礼者が集まるところです。

実際、行った時も福島県ナンバーの車をよくみかけましたが、ある部屋に飾って
あった奉納に、ちょっと気になる地名を発見。
岩代国伊達郡と宮城県亘理町。

「岩代国は福島県西部にあたる。
東隣の磐城国と福島県の中部を分割する。
具体的には、北の伊達郡と安達郡が岩代国で、南の東白川郡と西白河郡が磐城国、
(ただし旧大信村西部は岩代国)、その中間においては阿武隈川が両国の境である。」(Wikipedia)

亘理町については、伝説にヤマトタケルノ尊が遠征してやってきた所とされ、
東北地方では、ヤマトタケル伝説は結構多い。

仙台市にある愛宕神社は伊達正宗が創建されたといわれます。
元は山形県米沢市にあったものだそう。
ご祭神は、火の神であるカグツチというから、天狗と同じだ。
他に天照大神、豊受大神、大物主神、大山咋神、大国主神、速玉男神、伊邪那岐・伊邪那美などなどたくさんの神々をお祀りしている。

この愛宕神社にも、巨大は烏天狗と大天狗がおり、以前は「天狗山」といわれていた。

▲火の神---------------------------------------------------▼

天孫降臨のイザナギとイザナミ伝説では、イザナミが火の神カグツチを生み、その時に陰部に火傷を負い苦しみながら亡くなった。

その間、イザナミが吐いた物から神々が生まれた。

カナヤマヒコ、カナヤマヒメ(金属の神)・ハニヤスヒメ(粘土)・ミツハノメ(水の神)・ワクムスヒ(蚕と桑の五穀)・トヨウケヒメ(食物の神)

これらは、鉄や銅といった金属や鉱石技術が生まれて釜や鍬などの道具により、食べ物や生活が向上したことを意味している。水の神と粘土は土器。

火の起源は、文化の進歩なのでおそらく修験者がその技術を担っていたと思う。それをもたらしたのも大陸から渡ってきた人たち。

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役小角は吉野で金を発掘し、そこに蔵王権現をお祀りして目印とした。大陸からの交易を活発にするために大海皇子(天武天皇)と関係を持った話はよく知られている。大海皇子は元は大海人と書いた。ここにも海の民が深くかかわっている。

また奈良の大仏を建立するのに金が必要で、その産出に多くの功績を残したのは宮城県の涌谷町。黄金の国ジパングとは平泉の事をいった。

その時代から奈良~宮城県の東北地方まで、修験ネットワークはあった。

古峰神社は東北地方と関東を結ぶルートの一つだったかもしれない。また、古峰神社の近くは、足尾銅山がある。

足尾山地というのは、秩父古生層の砂岩やチャートに噴出した足尾流紋岩というものに銅を発掘している。秩父古生層とは、秩父山地をはじめ日本各地に広く分布する古い地層。古生代石炭紀・二畳紀の地層と考えられていたが、現在はその主要部が中生代三畳紀のものと判明。(yahoo辞典)

つまり、日光が秩父修験道と関係するのもこの地層や水脈を辿ってやってきたわけで、修験者はそのように水脈や鉱石を探す知恵を持っていた。三峰神社の狼信仰も日光からやってきている。

狼を連れて歩いていた修験者がいてもおかしくはない・・・。

犬の嗅覚を使って水銀を当てた事もあったかもしれない。

しっかし意外にも関東では古峰神社はあまり知られていない。というか、あまり聞いた事がないという。ここは隠れたパワースポットかもね~。

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広い庭園。茶屋もありゆっくり散策ができます。

古峰神社への道>古峰神社の公式サイトへ  http://www.furumine-jinjya.jp/

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武甲山の山開きにちなんで・・・

2012-05-01 | 武甲山

秩父夜祭りの意味は、もっと古代の原始的な信仰が現在の夜祭りになったと思う。

何でそうなのかは、水を大事にしていた古代の信仰が残っていてそれをお祀りするのが龍だからだ。その龍が武甲山の男神とあるけど、逆で女性なんじゃないかな~と思えてきた。

私の知人が「武甲山は元々は女神だったのに、後から男神にされた」と言っていたのを聞いて、「へ~、そういう事もあるんだ」と、素直に感心した。

世界各地に伝わる水や蛇伝説は女性であるから秩父夜祭りが単純に御田植祭りだけで終わりにはなっていない。武甲山の何を祈願して夜祭りがあるか・・・実は、これが「」に関わりそれが蛇ではなく龍の事と深く関係している。それを地元の人たちは龍には「水が不可欠」と知って、せっせと雨乞いをしていた。

水がないと作物が実らない。

でも、それだけではない。

龍信仰は、中国からきているのでここではあまり詳しくわからないから述べませんが、龍と玉と女神は中国に多い伝説です。

また、メソポタミアなど独特の文化をもっている地域にも龍信仰伝説が残っており、日本に伝わったのがその地域から中国にもたらされたもの。

またヤマトタケルの白鳥伝説や鳥、動物をトーテムとしてきたそれぞれの民族にあって、その中に龍や蛇をトーテムにしていた民族がいた事がある。

ただ、それが秩父に関係しているかはわかりません。

▲武甲山が龍神だったワケ------------------------------------------▼

千嶋寿著の「秩父大祭 歴史と信仰」に、武甲山の興味深い話がのっていましたので、
一部ご紹介します。

守屋越前「武蔵国号神社秩父嶽碑」文から。

「この嶽(武甲山)は、嵩然たる一石山にして怪厳・嵌洞多く高くそびえて常に白雲、
黒雲をたなびかせている。特に晴雨に関わらず雲気盛んなのは大蛇が住んでいる「大蛇窪」
である。
この大蛇は時々姿を現して庶衆を悩ませること久しかった。ヤマトタケル東夷征伐の軍旅の
途中、この土地の庶衆の悩みを哀れみ、山に登って大蛇に接して威嚇した。

「汝は本来万物の霊」たるものである。
人民を害するべきものではない。それを今まで犯してきたのだから死の罪に当たる。
しかし「旧罪を許し蛇王・山神」となし、「祭祀を営行」するようにしてやろう。
だから悪業を改めよ。
大蛇は尊の言葉に感悦し、以後「永久に氷・雨・風をはらい、人民の安泰せしめ
九穀を豊穣する」ことを誓った。
尊は、それより山頂へ至り冑を岩蔵に埋めて国家鎮護の石門を建てた。
この時からこの国を「武蔵国」とよぶようになった。
大蛇窪の大蛇=山神は、その後嵯峨天皇の論言によって蔵王権現とされ、山頂に
蔵王権現社が建てられた。」

大蛇窪は、「武山」のほぼ中心地の窪地であると。武山といわれる所は、武甲山の西側に
あたり、ここに水があり大蛇が住んでいたという伝承が語られているそうです。
実際に大蛇をみた人もいるとの事。

実は、この地点が秩父夜祭信仰の軸にあたり、原点に当たるといいます。
その大蛇窪は、聖地なのでそこに入れる時は春秋の二期、特定の日のみといわれています。
武甲山のご神体は、「蛇」である事がこの碑文から考察できますが、
龍神が蛇と同じということと、秩父神社の龍伝説があるというのも、この地を治めていた
人物が龍系統の祖先をもつものと言われています。

ただ、この書物は武甲山を神格化するために龍神にし、特別視した事もありますが、いずれにしても山神には蛇がつきもの。それが龍になっているのが現在の武甲山信仰になっています。

が、他と違うのがこの大蛇窪を祈願するのが夜祭りで龍なのですが、山頂を守るのが「オオカミ」になっている。龍と狼が結びつかない。

狼を信仰していた人と龍を信仰していた人が合体しているような山。

ちなみに、その場所からさらに西側は、現在秩父セメント三の輪鉱産がありますが、
三の輪は、奈良県大和の三輪山からきている。
また千嶋氏は、大持山と小持山の「持」は、オオナムチ(大国主神)からきていると指摘しており、それが本居宣長は「持」をムチと考えています。
蔵王権現はスクナビトだし。

このあたりが夜祭りの信仰軸になっている。

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(▲現在は秩父市有林地帯。なので勝手に行くことはできない。三輪山は実際はもう少し山頂手前だが、掘ってしまったから場所の特定が難しい。それより西側が諸山。)

おそらく、秩父神社の「つなぎの龍」の彫刻の伝説は、ここの龍を縛ったのではないかと思う。元々秩父湾があった場所だから、湿地や沼地はあったのでそこに白鳥やもしかしたら大蛇のようなものがいたと思われる。

伝説では現在の御花畑駅に昔あった沼地に龍が暴れていたという事。

Mahoro2_2秩父市の今宮神社は、八大龍王神のご神体としており武甲山の伏流水が秩父最古の龍神池といわれているそうです。
4月4日の「水分祭(みくまりさい)」は、その水を秩父神社に与え、12月3日の夜祭りは、その水を今宮神社へ返す事だそうです。
水と深い関わりのある夜祭は豊穣を願うには雨水が必要で、その水がいつまでも枯れずに
毎年豊作でいられる秩父は、武甲山のおかげであるという事。
江戸時代の大飢饉では、名古屋や関西からも秩父へ巡礼にやってきた事がありますが、
それは秩父地方が比較的、大飢饉にはそれほど影響がなかったといわれている。

夜祭では秩父神社と武甲山が会う日とされていますが、母と父が合体するという意味にも捉え、そこに水が含まれるというのは、生命の誕生「胎水(母親のお腹)」を祝う原始古代の信仰が今でも受け継がれているという古代の哲学に通じる。
それだけ秩父は水に執着をしてきた山民だと思うのだが、水の循環をひとめぐりすると戻るのはやはり武甲山なのである。

(写真:今宮神社・武甲山の伏琉水)

そしてこれが後に札所観音霊場にもつながっているという水の秩父。

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(「水分」と書いて、「みくまり」と読む)

観音霊場は女性の神様といわれるくらい優しい。東京の浅草寺の観音堂へ行くとそれを感じる事ができます。

秩父霊場を受け入れるのには、まずは女神のような母が大事であったことがよくわかる。そしてこの霊場も海からやってきた民族によって形つくられた事もだんだん見えてくる。

秩父札所霊場についても、これからお伝えしていこうと思う。

ちなみに今日、5月1日は武甲山の山開き♪今年も多くの方が楽しんでもらえるように怪我なく過ごせるようにお祈りしております。

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