秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

イタリアの青の洞窟

2012-04-21 | 洞窟・巨石探訪

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旧石器時代の数十万年前頃は最後の氷河期といわれ、北方南方からいろんな動物が日本列島にやってきました。
横瀬町では根古鍾乳洞があり、オオツノジカ・バイソン・トラ・オオカミなど。大血川洞窟では北方系クマ、皆野曽根坂では東洋ゾウ。

秩父の住居は自然の岩蔭や洞窟を利用していたようです。

川口市猿貝貝塚より出土した安行式土器というのがありますが、
およそ3500年前に作られたもので、青森県の亀ヶ岡文化と同時期に存在し、
交流していた可能性が指摘されています

実は、埼玉県の土器は非常に古いものが多く、宮城県塩釜市に由来する塩の釜は、埼玉県で発掘された釜と形状が似ていることから、埼玉県と東北の交流は以前からあったと言われています。
他にも深谷市にある鹿島群古墳は、宮城県の鹿島古墳ともよく似ていると地元の方が教えてくれたので、埼玉県にあった文化圏は東北地方にも互いに影響を受けていたと思います。

それが、東北から関東へやってきたのか、関東から東北へやってきたかは定かではなく、
日本刀の発祥が岩手県一関周辺なので、アテルイを中心に蝦夷が作っていた湾曲の刀は、
後に九州へ伝わっていることから、北方の文化圏が亀ヶ岡文化と安行文化は異なる
存在としてあったようです。

(写真:縄文人の居住地だった橋立鍾乳洞)

▲カプリ島の青の洞窟-----------------------------------------------------▼
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イタリア南島にある青の洞窟は観光名所として有名な洞窟です。
なぜ、こんなに人気があるかというと私の考えでは、その洞窟内に入ると完全に青い
空洞の中に入りますが、地質学は後にして、母親の胎内にいた時の「生」を体験できるからだと思い、その本能に人は洞窟に魅了されると思うからです。
特に水を含んでいたらまさしく地球の胎内!

逆に日本を例にとると近い感覚は、長野県善光寺のお戒壇巡りでしょうか・・・。
あれは私も体験しましたが、「死」を体験できるという完全に光のない暗闇ですが、
トラウマになりました・・・(笑)。禅は生と死が同じであるという日本の思想と違って
ヨーロッパは生を常に意識します。死はあまりみません。悪と考えるからでしょう。
でも生きているうちは、光に当たった方がいいです・・・。

Kapuri04陽的な青の洞窟は、地球の胎内といっても過言ではない不思議な空間に魅かれる場所です。
ただ、行くのは大変で、洞窟に入るまでに船の上で待つことになりますから。。。
※ナポリ島から船で約45分でカプリ島へ。そこから小型モータに乗り換え約10分で
洞窟近くへ。そのまま船の上で30分~1時間待ち。洞窟内はたったの2、3分で周遊。
あっという間です。(人がたくさん待ってますから)
余裕ある人はオススメです。

このカプリ島は、海蝕洞といって、波による浸食で形成された洞窟です。
日本にもたくさんあります。

青色にみえるのは、カプリ島の地質は石灰が多く含まれる地質で、
海面にある白い岩肌が水に反射して青く光るのだとか。青いのは炭酸カルシウムの影響が
あるといわれていて、中国の九寨溝などもそれ。

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武甲山も石灰岩であり、北側は最大600mの岩体があるといわれています。
かつてこの周辺が海だった事を考えると、青の洞窟のように青い池や洞窟がたくさん
あったでしょう。

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今でも影森方面を歩くと青い水が見えます。

(写真:ちょっと画像が荒いけど緑色の池)
ただ、石灰工業の敷地なので近くまでいけません。
秩父二子山も同様に石灰壁でできています。

原始地球は今より20倍ほどの二酸化炭素がありました。
それをサンゴやフズリナなどの有孔虫類がカルシウムと結ばれて石灰になりました。
鍾乳洞は、雨によりしみ込んだ水が地下水となって溜まり、空気中には酸素より二酸化炭素が多く含まれているので水は炭酸水に変わり、石灰を溶かして広がっていきます。
その成長は、100年間でたったの3センチ程度だといわれています。

ですから、武甲山の年齢は3億5000年といわれるほど気の遠くなる時間が経っている
山なのです。
秩父の鍾乳洞は、小川町の古寺鍾乳洞(閉鎖)、横瀬町根古屋鍾乳洞(今は立ち入り禁止)
水潜寺(札所34番)、奥秩父地方の赤沢、十文字、豆焼沢鍾乳洞など(高所にあり)があります。そして縄文人の居住区として大滝の神庭洞窟があり、住居の他に儀式なども執り行われていたそうです。

そんな青い海があっただろう石灰体の武甲山。
地質学的にも価値ある秩父が信仰のメッカになった事と、札所観音霊場になったのには、
偶然ではなく秩父の地層にあり、豊かな水があったこと。
それを大きなスケールで捉えると、地上にある物しか見えていない私たちと異なり、地下を
知っていたのでは?と思われる知識ある人々がいた事がわかります。
それは富士山をみればわかる通り、日本列島につながる分水嶺や伏流水といったものの上にそびえるのは山。
なぜ、その地点に神社を建てるのか・・・。
その水が命の誕生の発端であり、それを粗末にしてはならない先祖の教えを忠実に
守ったある一族。

その子孫にあたる人たちが秩父で水を祈願し、それが秩父夜祭になっているという歴史について、次回お話できたらと思います。

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写真:ナポリ島の街。山はベスビオ火山。火山灰により一夜にして壊滅状態になったポンペイシティで有名。この山は休止火山なので、またいつか噴火を起こすとか?

1200mくらいの標高ですが、噴火前はこれより半分くらい山頂部が高い山だったとか。噴火で山頂部が吹っ飛んだと!そんなにすさまじい山には見えないのですが・・・。

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イタリアの狼伝説

2012-04-14 | 神話・伝説

とうとうまほろばの道も、海を越えたか~。。。

4月1日~9日まで、イタリアを周遊してきました。ローマから南はカプリ島、北はトスカーナ地方のシエナ、サンジャミニャーノ、フィレンツェ、ベネチア、ベローナ、ミラノ。

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(写真:サンジャミニャーノからみる田園風景)

バロック様式、ルネサンス芸術が集まったイタリアは日本とは対照的。それがまた面白い。

そして、イタリアにもオオカミ話があった~。それはシエナという所。

ローマからバスで約2時間北へ進むと、美しい田園風景にブドウ畑やオリーブ、酪農がさかんな街に変わります。

このあたりは北部の後継者不足に悩まされることはなく、恵まれた環境の中で酪農を目指す若い人が多いのだそう。トスカーナ地方では、白ワインやハムが美味しいそうで、ミケランジェロもこの地方のワインとハムを好んで食べていたそうです。

革製品はフィレンツェが有名ですが、シエナから少し北へ行ったサンジャミニャーノも安くて良い革製品のお店がたくさんあります。

街も静かで比較的観光客が少ないのでおすすめです。

▲ローマ建国のロムルス王は狼の子?---------------------------------▼Mahoroba02_3

ロムルスは、レムスと双子の兄弟として生まれ、彼らの母レア・シルビアは、アイネイアス(半神の英雄で、トロイア戦争でローマに逃れ建国の租とされる)の子孫で、アルバ・ロンガ(古代ローマ母市になったラテン人の都市国家)の娘にあたる。

ヌミトルの兄弟アムリウスは、兄の王位を奪ったが、ヌミトルの娘が将来子供を産んで自分の王位を脅かさないようにと、レア・シルビアを処女でなければならない娘の女神官にしてしまった。

しかし、戦いの神マルスはレア・シルビアに一目ぼれし、ロムルスとレムスが生まれる。それがわかってしまうと、レア・シルビアは処刑されるため、双子を籠に入れてティベル川の岸に捨てた。

双子はそのままローマまで流れ着くと、子供を産んだ雌狼がやってきて双子に乳を与えた。さらにキツツキも養った。(狼とキツツキは、マルス神の聖獣である)そこへ羊飼いがやってきて双子を育てることになった。

後に成長した二人は自分が不当に王座を奪われたことを知り、祖父を王位に復帰させローマで新しい都を造ることにした。

ロムルスはパラティヌスの丘、レムスはアウンティヌスの丘に互いの城を建てるのだが、なわばり争いが過酷し、ロムルスはレムスを殺してしまう。

ローマ建国はBC753年の事だとされる。多くの市民を集めるために、亡命者や奴隷などを迎えいれたという。伝承では、ロムルスは暴君で貴族たちからは恨まれていたようで、57歳で亡くなったといわれている。その後は、クウイリヌス神になった。

(参照:世界神話辞典 角川選書)

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(写真:狼像の下に双子像。鳩は偶然止まってました。)

ローマの神々もたくさんいます。

マルス神はギリシャ神話のアレスにあたり、ローマに持ち込まれたギリシャ神話を同一にあてたとされ、ギリシャ地方のアルカディアから移住してきたアイネイアスやアンドロスという人たちが信仰を広めたそうです。

日本のオオクニヌシ神の生と死のサイクルや、豊穣をつかさどる神という話も、元はギリシャ神話からもたらされたものなので、その当時から西洋の人たちが日本にいた事は確かなのです。

修験道も、もとはユダヤ教からきている事も知られています。

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他にもモンゴル族の起源も狼が祖先であり、古代チュルク
(オスマン帝国、現代のトルコを意味する。シベリア半島からアナトリア半島まで広大な地域に住んでいた人をチュルク族という)の中に属する高車族(トルコ系騎馬民族)の伝承では、匈奴の王女が老いた狼の妻となり、高車族が生まれたとある。

いずれにしても、狼租神話の中では騎馬民族の人たちの伝承により、荒々しい暴君としてかかれる事は多い。

その伝承は、ちらほら日本の神話にも伝わっています。

(写真:シエナの礼拝堂。イタリアの礼拝堂の天井は宇宙観がある)

なので、日本はずっと古い時代からいた人たちによる民族といわれているのは、縄文時代が発祥で縄文土器からもいえるように、言葉をまだもたなかった時代の人々を祖先として敬っているのです。それをヤマトタケル伝説など秩父の場合、狼と人を神的に書かれるようになるのは、ギリシャなどから逆輸入された西洋の影響があるのでは?と思うのです。

秩父地方の狼の場合、もっと古いアイヌ人と同様に動物を神として敬う風習のため、人間が神とされるより前の時代にあたります。

それが土着といって、先祖代々その土地に住んで信仰することを言います。ですから、騎馬民族は、大陸から移動してきた民族なので、その主を後世に残すために伝えた伝承が狼の子というようになり、人を神格化するのです。すでにその土地に住んでいた人は、狼や鹿、猪、鳥など自然や動物を信仰していただけの違いです。

アイヌ人や縄文人が北と南に移動したのは、自分たちの領域を奪われたというよりは、理解できなかったのかもしれません。

その後、騎馬民族は埼玉県に王国を作り、さきたま古墳がたくさん作られます。その時の秩父はどうだったかというと、まだ古い土着信仰を守った人たちと焼畑などの農業をやりながら、朝鮮半島からきた人たちの資源(金や銅など)を交易として生計をたてながら、秩父独特の山岳民族が残ることになるのです。

マタギなどもそのひとつ。

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(写真・シエナの街)

秩父地方では海がない盆地や内陸でも海を祀る神様が多いのは、単純に海から先祖がやってきた人たちをそのまま崇めているだろうけど、その海からやってきた人はどこから来た人か?を考えてみれば、やはりそこは海の底である地下になるのかもしれません。

じゃ、それは何なのか・・・という事で、カプリ島の青の洞窟へ入ってみました。

イタリアとは全く縁がないと思っていても、やっぱり世界はつながっていた~。

次回は、海の神様ネプチューンと、武甲山には青い洞窟がある?!という都市伝説のような噂話がある、元祖カプリ島の青の洞窟について書いてみま~す。

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